万歳!
平成27年円通誌66号に掲載されました。

もう20年も前だろうか、先代住職がニコニコしながら帰ってきた。「いいものが手に入った」という。先代は今度ある会で締めの万歳三唱の音頭を頼まれているのだが、その時に使えるちょっと面白い情報をもらったのだそうだ。
よく話を聞くと、明治時代に布告された万歳三唱のやり方の法律だそうで、もちろんもうその法律は効力を失しているものの、このやり方でやればウケること間違いなし!のやりかたである。「萬歳三唱令」という、先代のもらってきたその古い法律には詳しい万歳のやり方が書いてあり、それによると

※万歳は大日本帝国と帝国臣民の発展を祈り発声する
※音頭を取る人は気力充実態度厳正を心がける
※直立不動の体勢で両腕を体の側面にぴったりとくっつけ、万歳の発声とともに右足を半歩前に出し、同時に指先が体側を通過するように腕を上にあげ、指をまっすぐにのばし両掌が内側を向くようにする
※発声の終了とともにすばやく元の直立不動の姿勢に戻す
※これを三度繰り返す、どの動作にも節度を持って気迫を決めて行う

などとある。今のやり方からすると変ではあるが、明治時代のやり方なら変ではないかもしれない。「朕萬歳三唱ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム」などとも書いてあるし、太政官布告、なのだそうである。
先代はその萬歳三唱令の書いた紙をその会にもっていき、締めの万歳三唱の時にこの古い法律を説明し、皆と一緒に古いやり方の万歳三唱をおこない、大いに喝采をもらい、気をよくした先代はその後も万歳の音頭を頼まれるたびにこのやり方の万歳三唱をやって、その都度大いに御列席の皆様に喜ばれるのであった。

 私の弟、つまり先代住職からすると次男になるのだが、弟の結婚式でも例の万歳三唱を行い、良い気分だった先代だが、その数日後に衝撃的なニュースが新聞に載った。「萬歳三唱令」は存在しない、というものだ。
当時、先代と同じような萬歳三唱令を見つけてどこかに問い合わせた人がいたらしく、新聞社かどこかが詳しく調べてみたところそんな布告は存在しなかったことが分かった。つまり「萬歳三唱令」というのは全くの出鱈目、全くのウソなのである。
だれがなんのためにそんな偽布告をつくったのかは今現在もはっきりしていない。多分面白半分ふざけ半分で作ってみたのだろう。
「萬歳三唱令」が出鱈目だと分かった後の先代は、しばらくガックリしていた。「ありもしない万歳のやり方を皆に伝えていたなんて」と落ち込んでいたりもしたが、少し時間が経つと今度は『「萬歳三唱令」は存在しない』ことも踏まえて、あえてこのやり方で万歳の音頭をとるようになった。
つまり、「こういう古い法律があって、でも実はこの法律は偽物の法律で存在しないが、今万歳をするこのお祝いの気持ち喜びの気持ちは本物であるので、この方法で万歳をする」とするやり方で、これに実際のやり方も説明するので少々前口上が長くなってしまうのだが、誰が作ったのかわからない得体のしれない方法ではあるが、"気持ちは本物"の万歳を行うようになり、御列席の皆様にも偽のやり方と伝えたうえでの万歳三唱をし続けるうち、まただんだん喝采を浴びるようになったのだ。
次第に先代の万歳は有名になり、いつの間にか祝いの席での万歳は大正寺閑栖和尚にしてもらおうという風潮が一部出来上がってしまっていた。
晩年は、やはり偽のやり方というので気後れしたのか「ワシはもう万歳はよかろう」という時もあったが、そういう時には私が長い前口上を申し上げ、そのうえで先代に万歳だけしてもらったりもした。私が口上を言い、先代が万歳をするパターンも徐々に出来上がっていった。先代が出席しないような小さな席であれば私が万歳をすることもあった。私も調子に乗っていたのだ。
先代の津送新忌斎、つまり本葬の席の最後に、先代を偲ぶのにふさわしいといえども、弟子が師匠の葬儀で万歳三唱をしたのはいくらなんでも調子に乗りすぎであろう。先代はよくこういう万歳をしていたのだ、と偲ぶ意で行ったのだが、先代が亡くなって喜んでいるとも誤解されかねない行為である。ああ、調子に乗りすぎた。恥ずかしい限りである。

先代が万歳を頼まれるのは晩年であった。それは先代が万歳の音頭を頼まれるのにふさわしい年齢であったということである。今の私では若輩すぎて万歳をする機会はまずない。それでも私が万歳をしてもおかしくないような小さな席では頼まれることがあり、懐かしさとともに披露することがある。また先代がこういう万歳をしてきたと知っている方から、「万歳三唱の音頭をとってくれと言われたけれど、大正寺さんにやってほしい」等と無茶振りをされることもあり、そういう時は「前口上だけ引き受けますから音頭はそちらでとってください」と答えることにしている。
そんなわけで、この誰が作ったかわからない偽の法律「萬歳三唱令」は未だに私の中で生き続け、たまには少々長い前口上を述べて音頭取りに任せたり、たまにはまた調子に乗って自分で音頭をとったりしているのだ。酒の席ではいつでも陽気だった先代住職を思い出しながら。
追記:文章掲載当時ははっきりとしてませんでしたが、現在ではだれがなんのためにそんな偽布告をつくったのかが判明しています。先代との愉快な思い出になりました、萬歳三唱令を作ってくれた皆様ありがとうございます。

戻る