[鶯 谷 徒 然]       

(43)8月15日
 今年もまた8月15日が巡ってきた。一般的には「終戦記念日」といわれ、毎年政府主催の戦没者追悼の式典が行われる。主人は8月15日が巡ってくるたびに考える。「終戦記念日」という言葉に問題が潜んでいるのではないかと。ここは「敗戦記念日」としなければならないのではなかろうか。「終戦」としたことで、現在に至る諸々の問題が起こってきたのではないかと考えている。

 誰がいつから「終戦記念日」と言い始めたのかを究明する手段を持たないが、今でも必ず「終戦記念日」ではなく、「敗戦記念日」と言ったり書いたりする人たちが少なからずいる。とくに左翼的考えの持ち主や戦争体験者に多い。海外の戦地にいて1945年8月15日を迎えた元兵士らには、単に戦争が終わったという思いよりも、日本が戦争に負けたという思いが勝っていたのではあるまいか。とくに敵軍によって武装解除を迫られたり、捕虜になって収容所に入れられたりした兵士の場合は「終わった」という思いよりも「負けた」という思いの方が強かったのではなかろうか。8月15日が近づいて新聞の投書欄などに投稿された戦争体験者の文を読むと、、「敗戦記念日」としている人が多いように思う。

 一方、日本国内でB29の空襲に脅かされた一般の人たちにとっては、空襲の恐怖から解放され、進駐軍を目の当たりにした時には、「やっと戦争が終わったんだ」という感慨が大きかったと想像できる。そんな大多数の国民にとっては「終戦記念日」でもしっくりするのだろう。もちろん「日本が負けたんだ」ということは十分認識していたに違いない。
 しかし、戦後長い間にわたってマスコミをはじめ誰もが「終戦記念日」といい続け、また書き続けてきたことで、あの日中戦争から太平洋戦争へと続いた戦争に、日本は負けたのだ」という意識が徐々に薄められてきたのではあるまいか。しかし、「日本はあの戦争に負けたのだ」という認識を日本人は持たなければいけないし、持ち続ける必要があると主人は考える。

 アメリカの腰ぎんちゃくになりさがった安部晋三首相は「日本は確かにアメリカには負けたが、中国や朝鮮(韓国)に負けたわけではない」と虚勢をはりたいのだろう。しかし、負けたことによって中国や朝鮮(韓国)から日本が追い出されたことは間違いない真実だ。あの戦争に日本が負けたという事実は安部首相でもその他の誰も否定できない。

 「単なる終戦ではなく、日本は負けたのだ」という事実を再認識することから戦後の日本は歩み始めなければならなかった。掛け違えたボタンは一刻でも早く、掛け直さなければいけない。    (2014年8月)