猫時間通信

2002年11月

 

■2002/11/26■ 「あとがき」延期

いろいろ忙しく、予告していた11月の闘病通信「あとがき」の更新は、12月上旬に延期します。


作っているページで、Mac版のNetscape Navigator 7.0、Internet Explorer 5.2で調整がとれたので、Win版のIE 5.5に持っていったら、ずれまくり。ちなみに、WinでもNetscape 7.0だとまったく大丈夫。特定のソフトウェアに依存するスタイルシートを使ってるわけじゃないし・・・テーブルが問題を起こすのも珍しい。HTMLのような表示言語って、実はプログラミング言語より面倒かも。


■2002/11/25■ Macのカラー・キャリブレーション

内容を電脳ページ記事に移しました。


■2002/11/21■ なんという日

触れようかどうしようか迷ったが、やはり触れておこうと思う。

風俗嬢をしつつ原稿を出し続け、1999年あたりから文筆業・作家業に専念していた菜摘ひかる氏が亡くなられたそうだ。公式ホームページに情報が出た。11月4日の逝去を、11月19日に友人一同が発表したと、そこにある。(ここではあえてリンクを張りませんが、たいへん有名なページなので、探せばすぐわかります。)

もちろん面識も何もないのだが、たいへん驚いた。1995年だったかな、まだ堀の内でソープ嬢をしていた頃の日記が目にとまったのが、読み始めたきっかけ。営業ページはまったくない。淡々と自分のことを書いた日記が面白かった。風俗嬢の多くの日記は退屈なのだが、彼女のページは不思議と面白く読み続けていた。別に風俗嬢の実態云々などでなく、またああした職業についてしまう女性の代表として見るのでもまったくなく、ただ単純に「こういう感じ方をし、そして表現できる人間がいるんだ」と思いつつ(感嘆とも違い、ただあっけらかんと「ふーん」と思いながら、読み進めてしまう)。そして、それは世間が期待するような女性ライター・女性作家達が描く女性像ともまったく違っていた。ホームページの日記(ホームページからは閉鎖されています)も書籍として出版されているので、興味のある方は直接お読みになったほうがいいと思う。ここで私が理屈をこねても伝わらないだろうから。

小説を出し始めて1年だろうか。これから羽ばたこうというときに、魂が身体そのものから羽ばたいてしまったのか。生き急ぐような彼女の文体を思い起こしつつ、合掌。


夜、上記のようなことがあった直後、何気なくアサヒ・コムを見に行った。高円宮殿下のご逝去の記事。本日、二度目の驚愕(テレビを見ないんでね)。

本気でやりたいことがあったら、躊躇してはいけません。そう言われた気がした。


■2002/11/18■ 18世紀オケの第9

本題前に、「よみもの」でお話、はじめました。


18世紀オーケストラ、東京芸術劇場でのベートーヴェン全交響曲演奏プログラム。本日で終了である。最後はもちろん「第9」。オケが入場し、チューニングが終わると、合唱団、続いてソロが入る。そして、指揮者の登場。声楽陣がずっと座って待つスタイル。声を使う人はたいへんだろうが、音楽の流れが途切れず、これはうれしい。

演奏自体は、4日連続公演最終日の第8番と第5番のような、どうしようもない(アマチュアのような)へまは、一応なかったと言っておこうか。どうもトランペットの第1が決まらなかったり、音程が低い瞬間が出たり。また、あれ、と思うような箇所でオーボエやフルートがしくじったり。また、ホルンがどうも今回はなぁ、と思ったり。そういう部分はないわけじゃなかった。第7番をやった時くらいの出来ではあったか(ということは、やっぱりダメじゃん)。完全にピシっと決まらない部分が出て、万全の構えとはならない。第1楽章のクライマックス(再現部の最初、ティンパニ連打のオルゲルプンクトに支えられて、ニ短調のテーマが最強音で奏でられるところ)で、一瞬合奏を見失いかけたりもした。

まずまずだったのは第3楽章か。例によって速めのテンポで歌い上げるため、適度な緊張とカンタービレを失わずに進む。このオケの美点である、クラリネットとヴィオラがハモる瞬間も聞こえると、ほっとしてくる。管楽器主体の第3変奏から先へ進んで弦が入る瞬間などは美しかった。この楽章がうまくいったためか、第4楽章のスタート自体はスムーズだったが、実を言うともっと音程とアインザッツが揃い、がつんと来て欲しかった。

つまり、そこそこ悪くないのだけど、合奏を安定してまとめる部分が目立って、思わずうなるような箇所も少なかった。メリハリを効かせようとしてかえって仇になったのだろうか。以前の公演では管楽器などにもっと膨らみがあったし、ホルンももっと思いきって音が出ていた(ホルンは奏者がかなり交代しているが)。弦楽器と管楽器があんなに分離したアンサンブルにもなっていなかった。ブリュッヘンの指揮は、奇をてらうよりも、実直に音を鳴らし、その中に美しい瞬間が現れるところがいいのに、それが出なく、もどかしい思い。

合唱のグルベンキアンは、CDや前回の第9公演でも耳にしている。今回も50名いないくらいの声が、驚くべき発音の明瞭さで響き渡った。このくらいの人数だと、言葉が言葉に聞こえるし、無理してがなり上げないから、朗唱がとても美しい。第9は本来、大学寮歌のような雰囲気を持った旋律だけに、こうやって響くと「あぁ、いいなぁ」と思える。第4楽章は、オケと合唱のバランスも悪くなく、打楽器軍楽隊の盛り上げから後はまずまずスムーズ。

気になったのは、CDよりもテンポの変化が思いきった部分が多く、それにオケがついていっていない、そのために、部分的にいい響きも聞こえるのに、自信をもって「これだ!」という音楽になりきっていないこと。これにつられてうまかった合唱が乱れたのは、最後のプレストから、テンポが落ちてマエストーソになるところ。オケが戸惑うのと同様に、合唱も戸惑っていた(すぐに両方とも復調したけど)。ここが決まってから、オケが最後の高速突進に入るだけに、そして、第4楽章はまぁまぁの出来で進んでいただけに、残念至極。

聞いていて思ったのは、要するにリハーサル不足だったのではないかということ。常設オーケストラではないだけに、リハーサルに時間をかけると聞いているが、今回はその時間がなかったのではないか。プロとはいえ、いつも一緒にやっているとは限らないフェスティバルアンサンブルが、常設オケでも必ずしもうまくいくとは限らないベートーヴェン全曲演奏会である、リハ不足は即、音に反映する。招聘やリハその他にどういう条件があったのかは知らないが、今回の公演はお世辞にも成功とは言い兼ねる。横浜のみなとみらいが明日、そして渋谷のオーチャードホールで千秋楽だが、それらで一度くらい素晴らしい(多少の傷を見逃せるような)音楽経験をする人がいることを、祈ろう。

来年、ブリュッヘンはイギリスの常設オケを率いて来日予定があるが、それはうまくいくように。せめて老醜はさらさないでほしい・・・

演奏の特徴や解釈云々(解釈という言葉は嫌いだが)はまた別にまとめる予定。


観客層は、どうもクラシックは初めてという感じの人々もかなりいて、明らかに「第9を聴きに来ました」という方々だろうか。それまでの公演よりはるかに人が入っていただけに、招待券のばらまきでもしたのか。

こういう方々は、大太鼓やシンバルの大熱演、合唱のクリアな発音、麗しくうたわれる「歓びの歌」にひどく感じ入ったようだ。私のうしろにいた若いカップルなど、合唱が歌い終えて、オーケストラが最後のニ長調の大突進、決めの和音の後で「すげ〜!」と声を挙げていたし、大入りの観客は割れんばかりの拍手。たぶん、素直に感動した方々も多かったのだと思う、あの拍手は嘘ではないだろう。

逆に、音楽を演奏する人々は、必ずしも感心しなかった、いや「CDが良かったんで聴きに来たんだけどねぇ」という人も多かったはずだ。いろいろな気持ちが入り乱れたコンサートだったようである。

ちょっと気になったのは、クラシックに慣れていない人々のほとんどが、合唱が始まるまで集中を欠いていたようで、長い前奏のように感じていたせいか、なかなか完全に静まらなかった(紙のかする音、咳き込む音だけでなく、演奏中に鞄からハンカチなどを取り出す音など)。もちろん、今回の演奏がすごい力を持って演奏されていないことの証明でもあるのだけれどね。演奏が有無を言わせぬ力がなかったから仕方ないわけだが(素人ほどこういうことに敏感である!)、少し残念。


■2002/11/17■ 飲み屋の割引券

新宿界隈を午後5〜6時頃に歩いていると、飲み屋の割引券を配っている風景によく出くわす。割引券の束を左手に持ち、右手には通行人に渡すべく束から抜き出した1〜2枚をひらひらさせて、口にする言葉。

「居酒屋の割引券になりま〜す」

おぉー、そうきたか。「割引券です」ではなく、「割引券になります」か。「カラオケの方、いかがですか」もおもしろいが、こういう例もあるらしい。


ところで、JR新宿駅東口にベネトンの直営店が出ている(以前はUFJ銀行があった)。今年の10月からだったか。その周辺にあった宝くじ売り場が全部なくなっていた。ベネトンのディスプレイに似合わないから撤退要請したの? それは関係ない? どっちなんだろ、たいしたことじゃないけど、ちょっとだけ気になってしまった。


■2002/11/11■ なんで?

少し暖かいですね。

それにしても、どうして急ぎの用事がある日に限って、期限や用事が集中するかね。つかれた。ふぅ。


■2002/11/10■ 本日は大不調

11/09で書き落としが一つ。18世紀オケ、第4番の冒頭で第1ヴァイオリンに音程を外しまくっていた人がいた。序奏の途中から復調していったけど、あれがなければよかったのに。


さて、ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラの日本公演、本日で4日目。芸術劇場での東京公演が一段落し、これから地方を回ることになる。昨日までと違い、マチネー(午後の公演)。

演目は8番と5番。しかし、8番の出だし、爆発するようなヘ長調の喜びに満ちたフォルテが、ばしっと決まらない。音色はいいが、どうも音程が不安定で雑味が多すぎて、安心できない。第1楽章の中間部、テクスチャーが複雑になる部分など、聴き所できちんと鳴る瞬間もあったが、どうも金管楽器の不安定さが目立つ。ホルンの弱音が決まらず、トランペットも意外なところで音程を外す。今日日、日本のオーケストラでもやらないくらいだ。

第5で復調してほしいと思ったが、それはやってこなかった。第1楽章、合奏が決まらない瞬間(特にコントラバス、フライングあり)もあり、それに加えてトランペット、ますます音程が決まらず。というより、トランペットの不調につられてか、ティンパニが第2楽章で1小節ずれたり(このティンパニ奏者がこんなに目立つミスをするのを見たのは初めて)。ただ、第2楽章で弦楽器や管楽器は安定してきたし、ティンパニもミスは1度で大外しはなく、徐々にいい方向へいくかに思えた。

第3楽章の最後、ピアニッシモでハ短調からハ長調へと楽器が積み重なり、肌が粟立つクレッシェンドから、第4楽章ファンファーレへ突入。ここまではよかったけど、勢いがあるのはいいとしても、もうちょっとフレージングが丁寧に決まれば…万全とはいえなくともそこそこすばらしかった91年オーチャードホールの第5のほうがよかった…と思っていたら、なんと、途中からトランペットがまったく音程を外してしまい、落ちまくり。他の楽器はそこそこきちんと盛り上げているだけに(第4楽章は音楽の造形自体の方向性はよいものがあった)、腹立たしいくらい。

あぁ、こんなことって! アマチュアなら「完全に音になっていなかったけど、何をやりたかったかはわかる」でもまぁ聞いてもらえるが、プロでは許されないはず。

昨日、特に第6で神の降臨の瞬間もあったのに。今日は魔が差した日だったのか? マチネーで条件もあまりよくないのは周知、常設オーケストラではないから大変なのも承知、それでも今日はちょっとひどすぎ。会場、人は昨日よりも入って、拍手も大きかったが、しかし、第6の時のような、心からにじみ出る暖かいものではなかった(あの時はみんな、本当に感動していた)。声もあまりあがらない。日本の聴衆は素直に感情を表現するようになったなぁ。


しかし、ここまでひどいと、マネージメント面でよほど大きな問題があって、宿泊や食事が悪すぎたのかとか、リハーサルがほとんどないまま演奏していないか、とかいろいろかんぐってしまう。

間をおいて、18日は芸術劇場連続公演の最終日。もちろん、第9。合唱団はうまいことで知られているグルベンキアンだし、ソロ歌唱陣がはずさなければまともな音楽になるはずだから、せめて意地の音を聞かせてほしいよ!


この第8と第5しか聴いていない方々へ。ほんとに、昨日はすばらしかったんだよ!(第6)


■2002/11/09■ 18世紀オケ、炸裂!

ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラの日本公演、本日で3日目。

本日は6番と4番。やっと、18世紀オケ・サウンドの炸裂! これまで二日間、徐々にアンサンブルが練り上がっていく様を見てきたが、今日やっと、以前の公演でたびたび経験してきた素晴らしい瞬間を味わうことが出来た。今日聴いた方々の、至極幸福そうな表情も印象的。

昨日の2番と7番で復調してきたが、どうもところどころ「あれ?」と思う合奏の弱さがあった。緊密さに今一歩欠けていたり、弦楽器がばっちり合っていても金管が音を少々外し気味だったり。おおまかに見ればもちろん合っていたのだが、このオーケストラは古い楽器を復元して、平均率ではなく純正調に近い響きで要所を決めるのが特徴。そうすることで、ガット弦や、複雑な倍音を含む木管楽器や金管楽器の音同士が「ぼぅぅん」と共鳴を起こし、50名そこそこなのにずっと厚みのある音が、立体的に響く。ヴィブラートのない弱音の美しさ、ガツンと一発を鳴らすときの底力が、立ち上る瞬間。そして、それを経験してこそ「聴きに来て良かった!」と思うのだ。たとえうまくても、それがないと、正直に言えば食い足りない。

今日は昨日までの弱さが完全に払拭され、決め所の随所で素晴らしく厚みのある音が響き渡り、ホールの残響の中から次のフレーズが美しく立ち上がる度に「く〜〜〜っ」とうなってしまう(もちろん声に出さないけど)。

私は6番、俗に言う「田園」は冗長で退屈な曲と感じており、しかも今まで浴びるほど聴いたおかげで寝ないで済むか心配だったが、まさかこの曲で感動するとは! 出だしの、あの草原に薫風渡る弦の音、あれがすぅっと始まって、丁寧に音が紡がれていく。寝そうになる第2楽章が美しく、続く踊りと嵐のフォルテの躍動感。何よりも素晴らしかった、終楽章。あの「ラーソ、ミド」を弦楽器が積み上げていく度に、なんとも言えない胸がいっぱいになるような感慨が生まれる。そして、最後、ぐっとテンポを落とし、弦楽器の音はヴィブラートをつけず、やわらかい弓遣いで、触れたら壊れそうな赤ん坊を優しく撫でるサウンドで奏でる。心の大事なフチを、そっと愛撫する音、清潔なスラーとスピッカート。この自由なテンポの揺れに、奏者、聴衆が完全につかまれて、ブリュッヘンと呼吸をともにする。

音楽の神が降りる瞬間。

もちろん、4番も素晴らしかった。この日はもしかすると、ブラボー屋が盛り上げていたのかもしれないが、とにかく観客の反応がダイレクト。


昨日感じた、切迫感よりゆとりある演奏を、という方向は、この日も感じた。ブリュッヘンの演奏は、もちろん古楽器からインスパイアされていて、それなくしては成り立たないが、しかし、もはや彼の演奏の大きさは古楽器だのモダン楽器だのといったテーゼを飛び越えて、もっと大きなものへ向かっている。そのために必要な土台が今までででき上がっており、もっと自由な世界への飛翔を始めているようだ。

さて、明日は4日連続の最後、8番と5番。マチネー。楽しみ、楽しみ。当日券、あるようです。(でもな、ジェシー・ノーマンの歌のリサイタルとぶつかってるんだよな。)


■2002/11/08■ 18世紀オケ、初日と2日目

ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラの日本公演が続いている。7日から10日まで、東京(芸術劇場)でベートーヴェンの交響曲を2曲ずつ毎日。そして、地方を少し回ってから、関東に戻って第9の連続公演。ものすごいハードスケジュールだと思う。

あとで詳細をまとめるが、速報を。


初日は、1番と3番。この日はやや硬めだったか。日本公演全体の初日でもあり、まだアンサンブルが練りきっていない模様。特に3番は、同じ会場で以前、超絶的な名演奏があり(それこそ血飛沫が飛ぶような、居合抜きの勢いがある、第1楽章から第4楽章までいささかの緩みもないエロイカ!)、そういったものを期待する向きもあったかもしれない。

実際に響いた音は、以前と比べて優美ささえ漂うもの。強奏で力強い音ももちろんあるが、古楽器の持つ音の硬さを強調せずに余裕のある響きを重視する感じ。テンポもずっと自由に動くものだった。今までのブリュッヘンのベートーヴェン演奏は、凝縮力と集中力のある、緊張と力感に満ちたものだったが、それとはまったく一線を画していた。広がりがあり、各人が自由に感性を広げながら聞くベートーヴェンとでもいうか。

ただ、合奏に締まりがあれば効果的だったろうが、この日はいささかアンサンブルが不調だったか。結果的に、老英雄が回顧する趣が出て、それはそれで独特の味があったが(第二楽章が胸に沁みる)、逆に第4楽章のコーダの驚く速弾きと迫力の効果が落ちてしまった気もする。

2日目は、2番と7番。この日はアンサンブルの緊密さが増し、こくがある弦楽器にすばらしい管楽器と打楽器の合奏が乗る「18世紀オケ・サウンド」が体験できた。曲も、ニ長調とイ長調で、楽器のよく鳴る調性であり、18世紀末から19世紀初頭の楽器のサウンドをもっとも味わい深く聞ける。

出来は2番のほうがよかったか。7番、このオケには珍しく金管の不調が目立ち、要所でトランペットの音程が若干乱れたり、ホルンの音が弱かったりする(確かにこの日は気温とともに湿度も高く、結露しやすかったので、演奏が難しい古楽器には条件がよくなかった)。ただ、ヴィオラからチェロ、バスに至る弦楽器がしっとりといい音を出して、そのベースに他の楽器が清潔なフレージングで奏でると「あぁ、いいなぁ」という気持ちを味わえた。それだけに、第7の第二楽章、あの有名なイ短調のアレグレット、低音弦が奏でる簡素な旋律が清潔な輪郭を描き、徐々に楽器が積み重なる(第9の歓喜の歌の出現のような)くだりの美しさは際立っていた。観客の拍手が初日よりもはるかに熱があったのも、当然だろう。


どうも、しり上がりに調子がよくなっていくようだ。9日は6番と4番、特に4番は楽しみ。10日は8番と5番。こうして、関東では18〜20日の第9演奏会を迎える(私は18日、芸術劇場)。

今回のブリュッヘンは、以前のように迫力で勝負するより、全体に無理した強奏をやめて、じっくり聞かせて自由に想像力が泳ぐような演奏になっているように感じられる。そして、それが21世紀のベートーヴェン像だと感じているのだろうか。極端に恣意的な聴き方をすれば、9.11事件以降のベートーヴェン像の提示にさえ見えてくる(そういうことを考えていると本気で思っていませんけど)。年齢的にみても、こうした強行軍を行う公演は、そろそろ難しくなってきているのだが、今回のこの変化の大きさは非常に気になる。たぶんCDも発売されるはずだが、どうなっているだろう。

ちなみに、初日と二日目は意外にも空き席がありました。当日券もあるようなので、気になる方はいかが? 第9は19日がみなとみらいホール、20日はオーチャードホール。


■2002/11/06■ Mac OS Xに移れなくても・・・

寝違えたようで、左の肩が痛い。寒い時期にこれをやると、けっこう厳しいものがありますな。

この頃はMacintoshに関しては、Mac OS X 10.2.1(いわゆるJaguar)しか使っていない。安定しているし、10.1時代よりも速いし、気分的にも楽しく使える機能が多い。Finderが不便だと思うなら、Path Finderというソフトで補完することも出来る。

問題は、商用ソフト。DreamWeaverその他、まとめてバージョンアップすると、ひどい場合は「ハードウェアが買えるんじゃない?」という金額に発展する。Mac OS Xで使い勝手が変わるだけでなく、これまで利用してきたソフトすべてにお金がかかる、しかもハードウェアがいいほうが快適に使える・・・たぶん、この3つが同時にやってくるので、Mac OS Xに移行しない人々も多いのだろうなぁ・・・まぁそれが便利に使えていれば、あえて変える必要がないのは確かだ。

ただ、私個人はClassic環境を使うにしても、10.2へ移ってそう大きな損をしたと思っていない。速度はMacOS 9から起動した場合と遜色ない。しかも安定している。そうはいっても、積極的に人に変えさせるほど勧められるかというと、微妙。

しかしですね、たとえばMacOS 9を使っているなら、Netscape Navigator 4.7はそろそろやめて、Netscape 7に移行したほうがいいかもしれない、とは言います。だって、Netscape 4以前は、CSSをまともに解釈できない・・・確かにNetscape 6はひどかったけど、7はもっとまともに動いているように感じる。


「よみもの」に喫茶エッセイを追加。少し硬め? まぁ以前に読み、最近読み直していまだに触発されている本をベースにしてはいます。


■2002/11/05■ 寒い・・・

しかし、寒い。11月に入ったら12月並なんて・・・身体と頭の調整がつかなくて、混乱気味のようだ。猫がにゃ〜と声をかけてくる季節でもあるけどね。


「よみもの」に音楽エッセイを追加。


■2002/11/01〜02■ 正倉院展

正倉院展を見学する機会を持つことができた。実は生まれて初めてである。個人的なお目当ては、雅楽の楽器。四弦の紫檀の琵琶や、石の笛は特に興味があった。しかし、最大の衝撃を受けたのは、聖武天皇が着用したという王冠の残欠と、大仏用に作られた数珠だった。

王冠は事故にあって破損してしまい、原形はまったくとどめていないのだが、冠を飾るパーツは残っている。金属彫刻の美しい花なども見ごたえがあったのだが、何と言っても驚いたのは、数々の宝石類を紐でまとめて輪にしたもの。今ならビーズアクセサリだが、使われている石が半端でない。似たようなものは現在の石のお店でもたくさん見かけるし、中には相当に高価なものもあるが、そんなものの比ではないくらい強く、目を引く。サンゴ、瑪瑙、水晶、紫水晶、真珠など、今でも貴金属の店で見かけるものばかり。サイズは極小さく、ほんとうにビーズ細工用の玉と同じ大きさのものばかり。しかし、まったく格が違うのか、何か祈るような力を感じる。四方を飾っていたと想像される水晶も、1250年を経ているが、実に強く目を引くものばかり。

また、光明皇太后が大仏に備えた数珠には、房の部分(現在なら編み紐になっていることが多い)に、紫水晶が使われている。これもすごく強く目を引く。そして、守ろうとする心、祈りが込められているように感じる。

想像するに、疫病や飢饉などの未曾有の国難を前に、国土と生活の安泰を願う人々が集められ、工人達もその意を酌む人々が集められて、よい石を選び、祈りを込めて結い上げたのではなかろうか。そして、それを頭上に戴く聖武天皇は国を代表して、その石の力で守られることを願って、大仏開眼会に臨んだように感じる。

現代の感性からすれば「飢えた人々もいるのに、こんなことに金を使って」となるかもしれない。が、当時は、祭祀は文化と技術の粋を集めるものであり、大事に欠かせないものであった。国家プロジェクトである。そして、本気で祈り、それを形に込めようとしたなら、何らかの形で後続の者が触れて、感じないはずがない。それが作品というものだ。そして、それが納められているのが正倉院なのだと、はじめて実感した。

もちろん、琵琶も素晴らしい紫檀を使っており(木管楽器をやるので、木材は見慣れている)、また石の笛にある彫刻は、ヨーロッパのトラヴェルソなら18世紀の象牙製のものに至ってやっと見られるようになったものだ。これも、よくぞこんなものが残っていたものだ。

あの頃の宝は、本当に、文字通り、宝だった。モノ自体の、存在の気合いが違う。そして、それが1250年を経てなお、残っている。それがわかっただけでも、じゅうぶんな収穫だった。毎年やっている(そして、その度に出品物が違う、なにしろ9千点以上ある)ので、できればこれからもたびたび見に行きたいものだ・・・


10月最後はすげぇ勢いで仕事していたもので、万全の体調で行けなかったのも、ちょっと残念。


 


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