2001年11月の猫時間通信

 

●2001.11.28(水)〜30(金)

三日間、JavaOneのみ。パシフィコ横浜に通い続け。実は相当迷ったのだが(参加費も高いし)、日本で最初のJavaOneだし、出ない手はなかろうと、結局参加した。じゃ、あえてダラダラ感想を。

私は今までのアメリカ本国のJavaOneには出たことがなかったので、今回がはじめて。登録がうまくいっていなかったようなのだが、きちんと責任者が案内してくれて、オノラリー会員として扱われることになった。よかった、よかった。

5回の基調講演、午前と午後の多数のセッション、展示会、夜のBOFと盛り沢山。一人で行くには、量が多すぎますがな。まぁ、面白いには面白かった。開発者が多数集まるイベントだけに、展示会は音楽をガシガシ流すところもなく、リラックスした中で、技術的な説明を受けられた。(一部、そうでないとこもあったけど。)

セッションの説明は、そう深く突っ込んだ内容ではない。むしろ、はじめての海外のJavaOneであるからか、基本的な説明が中心。もちろん、質疑応答で突っ込むことは可能だが、そう長く質疑応答ができるわけでもない。英語で直接聞くのはけっこうつらく、ここでも英語力のなさを痛感・・・
ただ、正直に言えば、今後のロードマップを話す場合は、最初からもうちょっと突っ込んだ話をしてくれるとうれしい。

ちなみに、非常に混雑していたのはJ2EE (Java2 Paltform Enterprize Edition)関連。今はJavaで一番ヒットしているところだからな。でも、新しい言語仕様のassertionなどもだいぶ皆さんの興味を引いていたようだ。他に、携帯電話開発関係者がJ2MEについて話す、なども人気があった。

JavaOneにあわせてケーラボ(日本のソフトウェア会社)が、公式アプリを製作。iアプリと、J-Sky Javaで動作していた。まずまずのアプリケーションだったと思う、せっかくなので私は活用してみたけど、面白かった。

基調講演では最終日に非常に面白い技術が紹介されていた。ここじゃ書き切れないな。でも、大事なのは技術じゃなくてサービス、という言葉がサイエンティストから出てくるのは、おもしろい。

最後に、私はオノラリー・クラブというリラックススペースに入り損ねた。ソファがあって、コーヒーはフリーで、ビリヤードやダーツがあったとか。もったいなかったな。


三日間、天気にも恵まれて、パシフィコ横浜の会場から夕焼けや街明かりがすごく映えて見えた。それもちょっと印象に残った。


 

●2001.11.27(火)

とあるツテでお招きにあずかり、Java関連のコンソーシアムであるJ Consortiumを聴講。

フランクに進み、なかなか興味深い会だった。ちなみに、この日に呼ばれた通訳はすばらしい力の持ち主だった。


 

●2001.11.23(金)〜26(月)

床屋、買い物など、やるべきことを淡々と済ませていたので、特筆事項が少ないが・・・

SONYのICレコーダから、Windowsにデータを吸い上げるソフトを購入。ThinkPad s30にインストール、一発で動作してくれる。ファイルを変換して転送すれば、Macでも聞こえる。ただ、SONYのフォーマットは圧縮率が高いらしく、一般的なフォーマットに変換すると、ファイルサイズがえらく大きくなるな。


 

●2001.11.22(木)

火曜日に引き続き、MSTにもう一度。聞いておきたいセミナーがあったので、足を運び直した形。

ARM社(かつてはAppleやAcornが共同出資していたが、現在はIntel傘下)のセミナーは、面白かった。組み込みチップは、通常のPCなどのチップと同じではない面がある。それがはからずも、このセミナーに出た格好だ。

現在、PDAの世界はPalm社が後退しており、その間隙を突くようにしてMicrosoftがPocketPCを繰り出している。最新バージョンPocketPC 2002は、従来サポートしていた日立のSH系チップのサポートを止めて、StrongARM一本に絞っている。時々「PDAの世界もWintelかぁ(MSのOSに、Intelのチップ)」と言われる。

だが、ARM社はチップの設計もするけど、実装は別会社に任せる。つまり、実装会社にライセンス供与するのだ。
逆に、チップを採用したボックスメーカ(つまり、PocketPCを採用したeGENIOのような、きちんと箱に入ったマシンを作るメーカ)が、ASICを特に組み合わせたりして、実装会社に「ARMアーキテクチャのカスタムチップを作ってくれ」と依頼することもある。それが可能な設計を、ARMはしている。

自分で全部やっていないから、逆にこういう商売をやりやすいのだ。この柔軟性は、市場に注目されている。Palmも、次世代はStrongARMでいくと言っているのも、こういう側面があるのだ。

今まで組み込みでかなり頑張っていた日立は、逆にきちんとチップを設計・製造して、サンプルのボードも作って、販売している。つまり、従来のPCのチップに近い商売だ(そして、従来のマイコン市場はこれが普通だった)。シェアを落としつつあるが、国産チップにも頑張ってほしい。


 

●2001.11.21(水)

早朝、資源ゴミとして古い雑誌などを大量に出す。出していると、自転車に乗ったおじさんがやってきた。こちらが持ち出した雑誌の束を受け取って、ゴミ捨て場に置いたりしてくれる。おじさんは、吟味しながら、どうも抜き取っている。こうして古本屋に出回るのか。

確かに、2年前の発行とは言え、きれいな状態のMacPowerなどは、お店によってはうりものになるだろうからなぁ。


夜は、青山へ。青山スパイラルの地下にあるクラブCAYで、テルミンのCD『eyemoon』の発売記念ライブがあると聞き、チケットを買っておいたのだった。

テルミン (Theremin) は・・・映画にもなったよね、知ってる人は知ってるよね?世界最初の電子楽器(ロシアのテルミン博士が真空管の発振音を楽器に応用した)。演奏できる人がいるのか、とも言われたが、クララ・ロックモアが最初のソリストとして、SP盤に吹き込んでいる。これはCDにもなっており、ムーグ博士(そう、世界最初のアナログ・シンセサイザー開発者のロバート・ムーグ)が回路図付きで紹介している。もちろん英文ですが。
数年前、オンドマルトゥノ(フランスの、やはりシンセサイザー以前の電子楽器)が話題になったことがあった。あれは原田節さんの功績だが、オンドマルトゥノはもっとずっと楽器らしい。テルミンは見ればわかるが、楽器にさえ見えない。どういうライブになるか。

閑話休題。全席自由なのだが・・・早めに到着すると、もう並んでいる。同居人と二人で慌てて立ち食いそばをすすり、並ぶ。しかも、自分達の後に滔々と列が増える。こりゃ、すげぇイベントになりそうだ。

CAYは初めてだったが、イベントをやるにはまっとうな箱だ。同居人が素早くよい席を確保。周囲を見渡すと、どんどん人が入ってくる・・・チケットは何枚売れたのだろうか、立ち見続出のすごい状態。

やの雪さんは髪が長く、黒っぽい装束で出てきた。しかも、太鼓も入った足取りの重い音に乗り、まるで菅公(菅原道真様)が出てきそうな。

実を言うと、クララ・ロックモアの演奏は、おどろおどろしいところがあって、私はあまり好きではない。しかし、やの雪さんの演奏はまったくそんなところもなく、真空管独特の粘っこい音とともに、存在感のある音が会場に充溢する素敵な時間だった(現代なので、ムーグ博士が再現したデジタル・テルミンも演奏していた。実際、やのさんはRCA真空管のテルミンを「御老体」と呼んでいた)。
サンサーンスの「白鳥」を演奏している映像が、休憩中に流れていた(もちろん、手塚真の監修)。これを見て、聞いても、クララ・ロックモアの妙にお行儀がよく、その割に不思議な怖さの漂う音に対して、やの雪さんは清楚で美しいのだ。

ちなみに、このCDをプロデュースした関係から、この日の司会進行は手塚真&岡野玲子夫妻。二人のトークショーのゲストは、清田少年。もちろん、スプーン、曲げてました。そして、後半はルネッサンス以前の古楽演奏の老舗、カテリーナ合奏団とテルミンの共演、すなわち一度は滅びた点で共通している、西洋古楽器と電子古楽器の遭遇。
この日のテーマは、こうして音を通じて時空を超える経験から発して、不思議なことを抑圧せず、感じ取ろうよ、というもの。たいへん楽しかったです。

やの雪さんは最後のアンコールで、ギターをバックに名曲 "Summertime"(ガーシュウィン)を演奏した。亡くなった姉、今日来た皆さんに捧げます、という言葉とともに始まったその演奏は、まったく圧巻だった。これほど振幅の激しい表現ができる楽器だとは!実際に、会場からはすすり泣きが聞こえてきた。それくらいの名演だった。


 

●2001.11.20(火)

MST(組み込み機器用技術の展示会)を見るために、東京ビッグサイトへ。あのへんは、実は食事の場所にすげー困るのだ・・・

それはさておき、今年は測定器系の展示が少なく、OSや開発環境などのソフトウェア系が目立っていた。最近の機器は開発がたいへんだ、というのが言われてきたが、それを解決する商売のメドがたってきたのか。
というより、様々なOSやソフトウェア技術が出てくると、競争が激しくなる。嵐の前の静けさか。


 

●2001.11.19(月)

今週から、見学する用事が増えるのだ。その準備。デジカメの電池や充電器を買ったり。

新宿で用事を済ませたので、久々にTOPSでコーヒーを飲んでみるが、意外に濃くて驚く。ここのコーヒーって、こんなだったか?


 

●2001.11.18(日)

昨日の御買い物の続き。まずは秋葉原へ。ここでは同居人の買い物。

デジカメも秋葉原で買おうか迷うが、ポイントが使えるのは大きいので、有楽町へ移動。有楽町と秋葉原って、近いのだ(東京出身で散歩好きなら、歩く人もいるかもしれない)。

結局、有楽町のビックカメラで、オリンパスのC40-Zoomを購入。一緒に128MBのメディアも買う。早速、家で撮ってみるが、最近のデジカメは処理速度も上がり、しかも画像も鮮明だ。以前、組み込み系の会社でデジカメ関連の仕事をしている人がいて、話は聞いているし、自分でも経験していたが、やはり自宅にやってくると感慨がひとしお。

ちなみに、C40-ZoomはUSBケーブルが付属する。そのままMacOS Xで動作するPowerBook G3 (FireWire) に接続する。いきなりImage Captureアプリケーションが起動し、ホームディレクトリのPictureフォルダに画像を全部転送。
こりゃ、楽ですな。すばらしい。


やっと、京都ページのリニューアルを開始する。11月中に、一度は手をつけたかったのだ。順調にゆきそうな日程ではない(これから忙しい)のだが、やれる範囲で・・・


 

●2001.11.17(土)

実家に行く約束をしていて、その前に新宿に所用で出る。同居人と待ち合わせて、昼食を丸井本店裏に出来たビストロ Chez Chaugo でとる。土日はランチが1500円。味は悪くない、だが、がっちりおいしいのとは違う。パリの裏町風を気取っているのでちょっと期待したら、意外にフェミニンなお店だった。ただ、場所を考えれば妥当か。デザートは追加せずに出た。パンが結構いいっす。自家製だとか。


実家で話をしてから、有楽町へ出る。ビックカメラでデジカメを物色。さらに、ソフマップでマックなどを見る。同居人は両方のお店が初めてだったので、その点でも興味ある夕方だったか。ビックカメラは、ソフマップが出来て以来、地下鉄有楽町線の出口直結を活かすため、音楽を改札口に聞こえるように流している。個人的にすごいマイナス・ポイント。

一度冷静になるために、休憩。ソフマップから歩いて行ける、十一房珈琲店でお茶。珈琲とソフトパンなど。最近、スタンド系カフェに入ることが多かったせいか、身体に染み渡る。いや、それだけじゃない、ここは本当に上質のコーヒーが出るお店なのだから。

デジカメは、かなり必要になりそうなので、二人で真剣に考える。最初、サンヨーの動画デジカメを考えていたが、やはりサンヨーよりもカメラメーカーのデジカメの方が、操作性がよいという結論に。これまでの情報から、フジのFInePixの4800z or 6800zに絞って、再度実物で確認することにした。
その後、もう一度ソフマップとビックカメラを見るが、デジカメの候補は絞りきれず。ソフマップのサンプル写真を見て、むしろ最初はちょっと不満だったオリンパスのC40-Zoomが再度浮上。不満点は、レンズ蓋の開閉が電源スイッチを兼ねているにもかかわらず、ここの操作性がいまいちだということ。しかし、いざという時にアルカリ電池も使えるのはとても大きい。

結局、決めかねたまま、家路につく。


 

●2001.11.16(金)

今年10月の京都日記がメモのままだったので、更新準備を始める。ちなみに、この日も散歩日和で、京都散歩日記を書くにはよかったなぁ。

東京駅八重洲口から出て少し歩いたところにあるスターバックスコーヒーに初めて入る。新宿や渋谷みたいに混雑していなくていいじゃん、と思っていたら、映画のパンフレットを持って客が何組かやってきた・・・あのへんに映画館があったっけ、と思う。


 

●2001.11.15(木)

「文學界」の佐藤洋二郎「おーい、宗像さん」を読了。「わたし」は、ある同人誌に参加するかどうか迷っている最中に、宗像さんに出会う。そして、しばらく文学から離れ、再び作家として秋山駿氏の会に顔を出すようになった頃、再開する。会社(新聞社)を辞めて小説を書く、を秋山氏の前で繰り返す宗像さん。そして、不思議と「わたし」と縁ができ、話していくうちに感じる宗像さんの様々。

切ない話。一見、紋切り型に見えちゃうラストが逆に見事。また、意地になる宗像をさりげなく止めることになる「わたし」とのやりとりが、何気ない書きっぷりなのに、ぐっとくる。ちょっと演歌入ってるかな、でも、一気に読んだ。


MacOS Xに、SambaXをインストールする。なんか設定でハマる・・・こうやって設定にハマるの、久々かも。


 

●2001.11.14(水)

日記の更新が、11月13日以降、途絶えて、実は今は12月11日である。もちろん、メモや下書きは書いてあるから、更新が遅れていただけ。

直接の原因として、11月下旬の行事に向けて忙しかったこともあるが、それとは微妙に異なる本当の理由。それは、DreamWeaver様だ。

私は今年に入ってから、DreamWeaverをよく使っている。割合よく出来ていると思っていたので、タグも直接チェックしていなかった。ところが、今年の10月と11月の猫時間通信を見ると、えらく余分なタグがひっついてる・・・しかも、divタグが妙にネストしている。どうやらスタイルシート絡みで、しかもコピー&ペーストしたからalignを変えた際に、その操作をいちいちすべて記録しているとしか考えられないようなコードが入っているらしい。

これについては、悠長に確認していられないので、確かなことは言えないが、HTML生成ツールを全面信用するのはいかんのですかね。(当たり前だという声が聞こえてきそうだな。でも、HTMLのようなものこそ、ツールを使いたいが。)


ところで、この日はMac OS Xのアップデータが出た日だった。これでVer.10.1.1になった。すごく変わったわけじゃないが、Intenet Explorerの操作がさらに速くなったようだ。体感速度が向上している。


今月の「新潮」に掲載された星野智幸「毒身温泉」。作中にURLが出ていて、作者のホームページなので、アクセスするとやはり本当にあった。


 

●2001.11.13(火)

早朝から用事があって動いたためか、少し疲れたか?


ところで、「音楽をやっているのに、なんでライブやコンサートを開かないの?」と聞かれたことがある。

私がやるのは、ヨーロッパの16〜18世紀くらいを中心とする、古楽器の曲だ。こういう曲は、お世辞にもメジャーではないし、よほどの物好きでなければ積極的に聞かない。だから、私が人を呼んだ場合にも、初めて聞く曲ばかり、という人が多いことになる。

こういう場合、本来はとても楽しい曲なのに、演奏のデキがあまりよくないだけでも「やっぱりつまらん音楽」となってしまう可能性がある。というか、一度、そういう経験をしたことがある。別にそれがトラウマになったわけではないのだが、やはり初めて聞く分野の音楽は、最高のものを一度耳にしていただき、それから素人の演奏を聞くべきかもしれない、と思ったのは事実だ。
やはりミューズに魅入られたプロフェッショナルが、何かが乗り移って演奏する際の凄み、というものはある。だからこそのプロフェッショナルなのだ、と思う。

しかし、もちろん、人前でやるからには素人も玄人も関係なく、ただよい音楽、素敵な表現があるだけだ。そんなことは百も承知だし、人前だろうがそうでなかろうが、表現したいものが胸にあるからこそ、楽器をとる。
やはり、やむにやまれぬ何かがある。でも、やるのは主として楽器をやる仲間のパーティなどだが・・・

最近、こういう時に、昔の貴族達は何を考え、何を感じて楽器を奏でていたのか、と思うことがある。


 

●2001.11.12(月)

午前中に大雨が降りだして、慌てて洗濯物を取り込む。外の寒さにとても驚くが、よく考えればもう11月である。午後は晴れてきた。

あまりに凝りがひどく、60分のマッサージを受ける。
実は薦められていたことがある。一度、80分で、40分は上半身、40分は下半身という具合に全面的なマッサージをやる。20分でいいからちょくちょく受けながら、凝りのない状態に持っていくようにする。
いいことだと思う。ただ、80分マッサージを受けるとさすがにその日から翌日夕方くらいまで、使い物にならない可能性もあって(筋肉がすごく緩むため、一度本当に緩める日にしないとかえって身体に悪い)、機会がなかなかやってこない、というのが正直なところ。

この日のマッサージもけっこうきいて、夕方は少し力が入らない。これくらいの日はあってもいいということか。


 

●2001.11.11(日)

横浜で雅楽演奏会のマチネー(神奈川県立音楽堂)。伶楽舎の抜粋メンバーによる演奏会で、3部構成。

第1部が正倉院時代の楽器と曲の復元演奏。西洋音楽で言えば、古楽器による演奏会だが、むしろギリシャや中世のような伝統のあまり残っていない音楽を、想像力と創造力を働かせながら復元していくものに近いのかもしれない。
この日に演奏されたのは「番假崇(ばんかそう)」。天平時代の琵琶の楽譜が、納経出納帳の裏に見い出されたものを、復元したそうだ。世界最古の琵琶譜でもある。琵琶の楽譜しかなく、メロディを感じにくいため、正倉院に残されている楽器を復元して、オーケストレーションを施したもの。
笙の2倍の大きさになる「う(竹冠に、宇と書く)」、篳篥より長い大篳篥、パンフルートと同じ構造を持つ排簫、といった珍しい管楽器群。鉄の弦を張った琴。方響という古代のシロフォン。「くご」というL字型の珍しいハープ。雅楽でもあまり使われなくなった楽器の、妙に懐かしさを呼び覚ます音色が頭上にからみ合う。

第2部は伊藤乾氏の委嘱新作を初演。「説教 あぽとおしす縁起」。雅楽器と語りとパフォーマンス(踊り、及びプロジェクター)によるもの。声は海老原廣伸。舞踏は五井輝。作曲者自身が打ち物を担当。あぽとおしすは、生物学用語のアポトーシス。細胞がひからびて死ぬことを指し、細胞レベルでのレクイエム。
和洋東西を問わぬ、様々な名句を集め、春夏秋冬の時間の流れの中で、語りが展開していく。海老原氏の発音は非常にわかりやすく声も明瞭で、滔々とすばらしい。それを支えるメロディは驚くほど古典雅楽のまま。ただし、舞台のみならず、客席に配置された篳篥などの響きが、サンマルコ大聖堂の立体オーケストラを思わせる。ここに、細胞の誕生から死までを描いた五井氏のパフォーマンスが展開していき、様々なパーツによってコラージュされて、重層構造になっていく。
とても面白く聞けた。ただ、プロジェクターは今年9月のテロ事件の映像から始まって「あのテロ以降の世界」に絡む映像ばかりが展開されていく。これは作曲している段階で意図していたのだろうか、作曲中に起きた衝撃から取り上げられたものなのだろうか、後から差し換えられたものなのだろうか。実は、映像だけが浮いているように思えてしまったのだが、それは私の誤読なのか。理屈っぽい作品だけに、なんだか気になって仕方がない。

第3部は、中世貴族達(平安時代)の宴における管絃や舞を再現して、それを客席から鑑賞する趣。雑芸の「白薄様(しろうすよう)」を唄いながら入場し、調子を合わせてから、管絃と舞いが繰り広げられる。そして、雑芸の「退出音声(まかでおんじょう)」で退出していく。その様子を客席から眺めるもの。

驚くほど練れた器楽と歌と踊りで、本当に楽しいひとときだった。周りの楽人が手を鳴らす中で(貴族が酒を飲みながら手拍子を打ちつつ眺めるわけです)、琵琶の中村かほる氏の扮する白拍子。篳篥の小林勝幸氏の舞った「萬歳楽」。本当に舞いがお好きな様子が伝わってくる。
また、ノリが太くて、その輪が客席に伝わってくるので、自然に身体が揺れる。
優雅という言葉はあまりに非特性的で、表現にならない。楽しく、はかなく、切なく、美しい。その上に雅びが加わるのだ。いや、そういうものの総体が雅びであり、もののあはれか。


演奏会後は、中華街に繰り出す。出会った知人を、中華街の行きつけのお店へご案内。おいしい、おいしいを連発していただき、何より。

ただし、私は食べ過ぎて、帰りの電車の中で少しぐったりしてしまった・・・失態でした。失礼いたしました〜。


 

●2001.11.10(土)

どうも私も調子がいまひとつになってきた。昨日感じていた落ち込みはむしろ、風邪だったらしい?

というわけで、医者に赴く。知人と会う予定があるので「こういう状態だと人に移しますかね」と医者に尋ねたら、「風邪を引いているのにわざわざ活動する生き物は人間だけだよ」。

ちげぇねぇや。でも、とりあえず出かけることにした。何せ、言い出しっぺが私だし、ぜひ行きたかったし。


知人に会うために、夕方から外出。少し快方に向かいつつあるが、念のために家にいる同居人へと、煮込みを作る。実は、これを一部持っていって食おうと思ったのだが、肉の量が不足していて、味付けも時間がなくて中途半端になり、おうち用にしてしまった。結局、まい泉のカツなどを買って、楽器を持って・・・

で、私のバロックリコーダーを持っていったりしたのだが、実は他の分野のプロが混じっていて、少し緊張。バッハの無伴奏チェロから、リコーダー編曲したもの(そういうのがあるんですよ)などを吹く頃に、少し気持ちが安定してきたか・・・伴奏がつくか、アンサンブルがあったほうが、イメージが掴みやすかったかも。ちょっと中途半端で失礼しました。

でも、とてもおいしく、楽しい会だったことに、感謝。


 

●2001.11.08〜09(木〜金)

少し前から風邪で不調だった同居人が、寝込んだ。熱がどんどん上がるわけではないが、かなりだるくて、咽が痛いらしい。

食事の用意をしたりしているうちに、家事の時間がいつもより多くなり、予定が必ずしも全部消化できず。自分で自分が少しイヤになり、音楽を聞いてみたりするが、はかばかしく気分が改まらず。

ちみっと甘い食べ物を買ってきて、同居人と二人で和んでみる。


 

●2001.11.07(水)

この日の出来事ではないのだが・・・

私、コミックも好きなのに、東京は池袋ジュンク堂のコミック売り場(地下1階)には最近まで立ち寄ったことがなかった。するりと昇りのエスカレータに乗ってしまうと、2階の料理やお茶の本、3階の文芸、4階の哲学・思想・心理学・宗教・歴史、5階のコンピューターと見ていく内に時間がなくなってしまい、つい寄らずにいた。
ただし、理由はそれだけではない。怖かったのだ。いや、これは「まんじゅう怖い」。これほど本のある店である、面積一杯にコミックスが埋まっていることを考えると、3時間は店を出られず、何を買おうか迷った挙げ句、正気じゃない買い物をしてしまうことは明々白々と思えたからだ。

じゃ、いままではどうしていたか。昔は、というより独身だった頃は、神保町の巡回コースに加えていた。いくつも店を見て廻ることになり、勢い1店当たりの滞在時間が短くなるので、安心して(?)廻れた。
最近は、近所にそう悪くない本屋があり、地元の本屋には頑張ってもらいたいので、できるだけそこで買うようにする。品薄な場合は、池袋のとらのあなに行く。ここは特に少女漫画・ヤングレディース系の品揃えがきめ細やかで圧倒的だが、濃いお客さんも多く、私くらいの年齢の客も少ないため、自然に滞在時間が圧縮される。安全。

ジュンク堂のような店は、入る前に「今日は何時何分まで!」と自分に宣言してから入る必要がある。そして、その時間を考えると、コミックまでは手がまわりにくい。


で、実際に行ってみたのだ。その時はたまたま1時間くらい時間があき、地下だけと自分にしつこく言い聞かせてから入った。

パラダーイス!

まいった。やばい、やばいよ、これは・・・

品揃えもそうだが、紺野キタの本がまとめてあったり、黒田硫黄コーナーがあったり、旬のおいしさがきちんと出ている。売り場担当者の愛か? 今までサイン会を開いた作家の色紙があったり、生原稿をガラスケースに入れてあったり。(須藤真澄の「おさんぽ大王」の原稿、私の予想以上にこってりした線でした・・・)

壮絶なほどの品揃えというのとは違うのだが、とらのあなとはまた違う品構成、売り場構成で、しかもこちらは安心して長時間居られる何かがある。

すごく迷って、1冊だけと決めて、紺野キタ「ひみつのドミトリー 乙女は祈る」を買ってきたけど(以前、コミックFantasyに連載されていた女子高寄宿舎もの)、こういう風に広がりのある店舗にたくさんの単行本がまとめて置かれていると、「あ、そういえばこいつは買い忘れていたやつだな、どーしよーかなー」などと真剣に自問自答を始めてしまうのだ。

もちろん、自分への約束でも、翻したりせず、1時間でちゃんと出てきました。


 

●2001.11.05〜06(月〜火)

運転免許の更新に行ってきた。

はじめて警察署の更新所でやってきたのだが、豊洲や江東の運転免許試験所よりはるかに早く終わるので、驚いた。利用しない手はない。

いつもと違う場所へ赴くと、いつもと違うランチを食べる。これもまた新鮮。


この際に、初めて行く場所なので、あえてJ-フォンのサービス、J-Naviを利用してみた。

これは、場所を指定すると、地図を表示してくれるのだが、それだけではなく、行き方案内を文章で示してくれる。つまり、「○○駅の××口を降りて、右に曲がり、直進して???ビルを左手に見ながら、マクドナルドのある交差点に辿り着きます・・・」などといった具合に、文章で行き方を教えてくれるのだ。

しかも、80mごとに地図まで表示してくれる。マンションや雑居ビルも含めて、様々なランドスケープを使って文と地図で行き方を示すのは・・・『地図を読めない女たち』には、非常に重宝する機能だろう。(J-フォンは若い女性が多いので、こういうサービスは隠れた人気があるのかもしれない・・・お金はちょっとかかるけど。)


 

●2001.11.04(日)

ちょっとした知人のツテで、ミニコンサートと、講演を聞く。その後にパーティ。いろいろ楽しかったのだが、これについては自分の中でもうちょっと熟成してから書こうかな。


 

●2001.11.03(土)

宮崎駿の「千と千尋の神隠し」、今頃になって見た。公開後、3ヶ月以上経っているのに、みっしり劇場が埋まっている。文化の日とは言え、すごいですね。

前作の「もののけ姫」ほどの破綻もなく、しっかりした見ごたえを感じて、嬉しかった。見終わると、見た映像が自分の内部の記憶のイメージを換気して、様々なものがわき上がってくる。とても不思議な後味。ユングなどが好きな方なら「原型(アーキタイプ)に触れる映像」と言うかもしれない。

以下、ネタばらし、あり。

切ない話。両親は頼りにならずブタになってしまい、自分で自立するしかない世界で(漫画映画らしいラッキーに支えられるとはいえ)、働きながら脱出の糸口を掴む。そして、「絶対に振り向いちゃだめだよ」と言われて出口に着くと、両親が待っている。二人はブタにされていた記憶がまったくなく、子供扱いにしたまま元の世界に戻ろうとする。
振り向きたいだろうに、振り向かない、振り向けない。行きは怖さで母の腕を掴んでいたトンネルの中を、帰りはもう後戻りが出来ない複雑な気持ちで、同じように母の腕を掴みながら出て行くのだ。

この両親の設定が、実は私と同世代・・・そういや、こういう親、多いかもしれない・・・

あと、カオナシが千尋(この中では千か)に対して、モノを差し出すが、彼女は必要以上にほしがらない。これは10才以前の子供には有効な設定であり、こういう子って、実際にいる。というか、自分がそうだったと両親から聞かされている(欲を出させるために苦労したはずだ、私の親は。今は欲だらけですが(^_^;、これを見てずいぶんといろんなことを思い出しました)。
そして、あのような世界では、重要な資質なのだと思う。


 

●2001.11.02(金)

X-Partyに出てきた。ASCII主催で、MacOS Xのためのイベントをクラブで行うもの。申し込んだら抽選にあたったので、出てきた。

渋谷のクラブはまぁ悪くはなかった。問題は、これは誰に向けて行われたイベントだったのか、ということ。

J-WAVEの人気DJ、Lucyの司会も順当だったと思う。いわゆるテレビ的な運びも、こういうイベントではありがちだし、まぁ仕方ないと思う。多分、いかなコンピュータ関係のイベントとは言っても、マックユーザなら音楽が好きで、映像が好きで、センスあるこだわりがあって、生活を楽しんでいて、という人が集まることを想定して、それなりにイベントにのってくるだろうと考えていたんだと思う。

集まったのは、ごく普通の秋葉原にいる方々が中心だったのではないだろうか。つまり、Macオタクが多かったのでは? 私もその一人に入っちゃうかもしれないんで、人のことは言えないが、しかし・・・
なんで途中で行われたSuper Bell'sのライブで、あんなにみんな固まったように動かないんだろう。クラブでどうふるまうかわからなくて、あるいは照れくさくて困っていたんだろうか。フレンドリーな鉄道ネタのテクノをやってたんだけど、踊る人が少ない! 踊ろうよ、頼むよ、と言いたくなってしまった。(もちろん、私は踊ってました。)

デモで面白かったのは、Symantecと、alias FrontのMaya for MacOS X。特に、Mayaの研究開発部門がデモ用に作った映像には驚いた。Mayaは、物理レベルでの動きをシミュレートすることで、画面上に動きを造り出す。それを、流体の、3D表示で、色の透明度や変化まで考慮しつつやっちゃうのだ。つまり、海が風の強さで、波から色まで変化していく様子を、ほとんど完全にシミュレーションしてしまう。
1989年当時、同僚だったエンジニアが流体の解析と表示を、2次元のレベルで行うのに苦労していた。これはライブラリ化されて、さらに3次元へいくと計算量が半端じゃなくて、などという話をしていたのは1990年代の半ばくらいかな。
もうここまで来たのか!と感慨しきり。

ちなみに、アップルから原田社長が出ていましたが、これは純粋に私が憶測で書いてますが、パーティの前にやっていたMayaの発表会の後だったので、飲んでから出てきたんじゃないだろうか・・・(そう言いたくなるくらい、いつもよりルーズな・・・)
さらにちなみに、一応iPodを見せてはくれました。

ただ、私はこのイベント、成功とも呼べないし、失敗というほどでもないし、フクザツな心境で会場をあとにしました。(オールナイトでクラブで遊べるのだが、疲れたのと、翌日があるので帰ることにした。)

帰りに食ったラーメンが(なんてことない、ちりめん亭なんだけど)、妙にうまかった。


 

●2001.11.01(木)

横浜トリエンナーレを見てきた。もうすぐ終了してしまうので、終了直前の混雑を避けて、この期日を選んだはずだった。たぶん神奈川県の小学校と思われる団体がやってきていて、意外な混雑、というよりうるさかった・・・

既に有名なことだが、会場は予想以上に広く、また横浜観光地帯に点在している。朝11時に到着して、本当に夜6時の閉館までぎっちりのスケジュールで見て歩くことになった。チケットは二日間有効になっているが、本当に二日かけたほうがよかった。また、その価値はあるだろう。

全体としては、パシフィコ横浜の展示場にあるものが面白かった。赤レンガ倉庫の方は、建物の天井が低く暗いのを利用した、映像系(ビデオやプロジェクター系)の展示が多く、逆に圧迫感が増して疲労する。それに、なぜか映像系は結果的に似たパースペクティブを持つものが多く、見ていて単調にさえ感じられてしまう。これは私が見慣れていないからなのか。でも、つまらないものはつまらない。

なお、パシフィコ横浜から赤レンガ倉庫への移動は、レンタサイクルを活用。3時間で千円。ちょっと高いかと思いつつ、背に腹は変えられない思いで借りた。いざ乗ってみると、自転車がよく整備されていて、ブレーキの効き、ハンドルの軽さ、とてもレンタサイクルとは思えない。
適度に晴れた海沿いの道で風を切って進む楽しさ。特に夕焼け時の刻一刻と暗くなる空を見上げなら走る嬉しさ。ペダルの漕ぎやすさと相俟って、進むこと自体が楽しくなる夕方だった。もっとも、短足の私には、ペダルの位置を調整しにくいというオマケもついてきたが。


展示されたアートの話。パシフィコ横浜会場から。BREAD MANはとんでもなく楽しく、母との写真も存在感がある。次に、会田誠。パンチラ俳句、女性のミキサー、浮浪者から譲り受けた遺品の他に、自殺未遂マシーン。キテますね。子供が喜んでいた秋元きつねのアニメーションも痛快だが、全編を通すとやや単調かも。
アブラモヴィッチの「出口」は、 スケートリンクのような磁石の板をひいて、底に鉄が貼ってある靴で滑る(!)。この時、消音ヘッドフォンを装着しなければならない(逆位相の音を出すことで、外界のホワイトノイズを消す)。ノイズが消えて、妙に無音化された中で、滑る。日常の行為をすべて逆転させる体験。
他にも、見どころはけっこう満載だった。
ちなみに、話題の鳥羽秘宝館の引っ越し興業(ん?)は、私にはもう飽きたネタだった。

赤レンガ倉庫の展示物で印象に残ったものは、正直言ってありません。
ただ、近くの公園にあるオノ・ヨーコの作品。貨物列車を機銃掃射しただけと言えばそれまでだ。バックグラウンドにサウンドは響いている。昼間見ると、残骸の無惨さを前にすることになる、人によっては印象に残らないかもしれない。夜になり、中の電灯がつき、レーザー光線が天井を突き破って横浜の空に一筋の光を放つ。外から自転車で近付いてきたとき、空に吸い込まれる光を見上げながら肌が泡立ったのは、海風のせいではない。
これは祈りだ。Love and Peaceを伝え続けてきた彼女は、本当に大切で訴えるべきものとして、祈りにまで純化したのかもしれない。

もっと言えば、この作品を見ながら振り返ると、暮れ行く空の中に、みなとみらい21の新しいビル群が、光の渦となって展開している。海を向く作品の静かな佇まいと、戦後を上回る大きな横浜の変貌、それが見るものに刃のように差し向けられる。ここまで考えて展示されたのだろうか。


食事だが、悠長にしている暇はまずない。
パシフィコ横浜会場のカフェで昼食を取ったが、ここは付属のサラダも意外にまともで、悪くなかった。ただ、満腹にならず、デザートをとったらこれがてんこ盛りで、血糖値で空腹を維持する、という皮肉な結果になった。
なお、赤レンガ倉庫のカフェは、たばこがきつくて入れなかった。



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