概略
左の[特徴]でも触れていますが、社の起源の詳細は不明。ただし、奈良に都があった頃、朝鮮使(高麗の調使)であったイシリ(伊之利)の血をひく八坂氏が、高麗の牛頭山に祀られている牛頭天王を勧請したのがきっかけとも言われています。八坂神社という名前は近代に入ってからで、もともとは祇園社と呼ばれていました。
疫病や災厄を防ぐに霊験あらたかと有名ですが、牛頭天王からきていると考えるほうが、何となく納得してしまうのは、きっと私たちが現代の民族学や考古学に慣れているからでしょう。八坂神社は、神仏習合以来、素戔嗚尊を祀っており、祇園祭最終日に芽の輪くぐりをすると「蘇民将来子孫也」というお守りをいただくことになります。
有名な祇園祭も、この神社のお祭り。ものすごい高さになる山鉾で練り歩くことで有名ですが、高いところに尊いものが宿る古代の信仰と関係しているのかもしれません。
とにかく有名なところ
花街祇園のお社であり、その華やかさを支える神社。四条通りから見える赤い門も有名ですが、どちらかといえば境内に上がって、本殿から南へ伸びる門のほうが、本来の玄関でしょう(ここをまっすぐたどれば、料亭街を経て八坂の塔方面へ出る)。
立派な本殿を中心に、摂社末社が周囲に配置され、よく整った美しい境内は、人がたくさん詣っても不思議とうるさく感じにくい、独特の気がみなぎっています。親しみやすさと懐の深さを兼ね備えたその気は、祇園祭の頃に高潮するようで、夏の疫病対策の祭りとして、自然にこのような土地の祭神が選ばれたのではないかと感じるほど。
2002年まで、本殿の修復工事が行われており、その間は仮殿に移されていました。本殿を開けたせいか、このころの空気は独特で、夏の夕刻など、本来の本殿のあるあたりから、まるで清冽な水があふれ出るように大量の透明な気が街へと流れ出し、それは長い夕焼けとともに、心身の奥深くに共鳴する、独特の静かな躍動を呼び起こしてくれました。この感覚は本殿が完成し、ご遷座されてから、直接的には感じられなくなりましたが、あの感覚を知るかぎり、この地の気の力は結構すごいものだと今も思っています。
祇園祭
祇園祭は、もちろんここのお祭り。有名な山鉾巡業は、とても観光客が多くて見やすいものではありませんし、地元の人間でなければ祭りそのものに深く関われるものでもありません。また、祇園祭そのものは7/1〜7/31の一ヶ月に渡って行われるものです。その間、ちょくちょく行われる小さなイベントもあり、祭りを締めくくる神輿洗(7/28)は、夜の神輿担ぎ、終わる祭りへの花街の人々の哀惜が感じられて、夏の夜を一際深く印象づけてくれます。通りかかったら、ちょっと眺めるだけでも。
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