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そしてもう一度、帰る渚

 1

 朽ちかけた木の窓枠に画板を乗せて、十二色の色鉛筆をさらさらと動かしている朋子の、天使の小さな羽根のような肩甲骨に欲情してしまった。
 そこで俊雄はのっそりと床から起き上がって、ぎしぎし鳴る古いベッドにひざを乗せ、朋子の背中に抱きついた。
 半袖の白いブラウス一枚だから、手でさすると肩や背中の素肌の熱がよく汲み取れる。ブラジャーのホックも透けて見える。布の上からパチッとホックをはずして、朋子の体の前に手を回し、あまり大きくない乳房を、ずれるブラジャーごともんだ。
 朋子は、馬鹿みたいに濃く晴れた空に目を向けたまま、うっとうしそうに言った。
「絵の線が崩れる」
「そうか」
「色鉛筆、下に落してしまうかもしれへん」
「拾ってきてやるよ」
 俊雄はおかまいなしに、朋子の男の子みたいに細っこい体に手を這わせる。左手で胸をもみながら、右手を下におろす。朋子は愛想のないデニムのミニスカートをはいている。靴下ははかず、素足をひざから外に折り曲げて、ぺたんとベッドに座り込んでいる。その少し冷たいひざ頭に手を置いて、太ももの内側へと繰り返し滑らせた。
 朋子はまだデッサンを続けている。デッサンだかなんだか、絵の素養のない俊雄にはわからない。たった十二本の色鉛筆で、刻々と移り変わる瀬戸内の海と空を、驚くほど精細に写し取る、そういうことを朋子は日がな一日やっている。俊雄はそれをうまいと思うし、好きだし、それ以上のことを考える必要も感じない。
 それは好きだが、朋子の体も好きだ。だから、絵のじゃまになってしまうが、ついむさぼる。
 ブラウスの上からしきりに肩甲骨に口付けし、スカートの中に突っ込んだ手でしつこく内ももを撫でていると、さすがに朋子の様子も変わった。色鉛筆が遅くなり、画板の上に徐々に頭を垂れていった。
 それが一番簡単なカットだという理由で、肩上でばっさり切ったおかっぱの髪の端が、横顔を隠すように傾いて、画板に触れた。朋子は、少し低い声で文句を言った。
「あかんて……まだ描きたいもん」
「終わってからにしたら?」
「波の色変わってしまうやん」
「だったら、変わった色でそのまま続けたら」
「……変なこと考えるなー、あんた」
 朋子は呆れたように言いつつも、色鉛筆を紙箱にしまい始めた。俊雄は顔を上げて、朋子の髪をかきあげ、愛しげに耳たぶを吸う。
 窓の外から、間延びした大声がかけられたのは、その時だった。
「ともこちゃーん、また絵ぇー?」
 二人が二階から見下ろすと、漁協の手ぬぐいをかぶった岬のおばちゃんが、家の前の道路を歩きながらこっちを見ていた。
「はぁーい」
 朋子は、俊雄の愛撫のせいでやや甲高くなった声で、返事をする。その頃ようやく、おばちゃんは朋子の背後の俊雄に気づいたらしかった。
「あれぇ、一本釣りのにぃちゃんも一緒か」
「はぁい」
「ごめんよぅ、続けてぇや。んでも、子ぉはらまんようになぁ」
「わかってまぁす」
 甘い声で答える朋子の横で、俊雄も軽く頭を下げた。若いもんにはついていけん、というようにおばちゃんは片手を振って、海岸道路をほたほたと足早に去っていった。
 カーブする防潮堤に隠れておばちゃん見えなくなると、俊雄は朋子のブラウスの裾から中に手を突っ込んで、浮いたブラの下の乳房を盛大にもみ始めた。朋子は、小さな頭をこてんと画板に横たえて、はふっと息を吐く。
「んもう、おばちゃんに突っ込まれてしまったやないの」
「突っ込むのはおれ」
「……なにそれ、オヤジくっさ。二十一とは思えんわ」
「ともこも十七とは思えんよ。エッチくて」
「何歳だろうと、いじられたら気持ちええのが普通やん」
「気持ちいいんだったら、こちゃこちゃ文句言うなって」
 俊雄は朋子のスカートを無理やりずり上げた。子供っぽい綿のパンツに包まれたお尻が出てきたので、それも無理やりずり下げた。
 しぶしぶといった感じで腰を浮かせている朋子のお尻を持ち上げて、その下にあぐらをかいて入り込む。
「入れるぞー」
「もう、勝手にすれば」
 言われたとおり、俊雄は勝手に挿入する。見下ろすと、よじれた青いデニムのスカートの下、白桃のように無垢なお尻の陰に、自分の赤黒い勃起が埋まっていく。
 朋子の粘膜のきゅうくつさと、おもちゃのような軽い体重が、ぐぐっと先端にかぶさった。力を加えると、それがぬるぬると根元まで覆った。
「入ったぞー」
「ほんまに勝手やねぇ」
 あきらめた朋子が画板の上に腕を組んで、あごを乗せた。昼寝をする猫のように目を閉じる。そのつややかな黒髪に頬ずりして、後ろの俊雄は一生懸命、朋子を上下させる。
 犯せば朋子もかなり濡れる。ちゅぷちゅぷちゅぷと十分な音が上がっている。俊雄は気持ちよくてしきりに頬ずりする。けれども朋子は顔に出さない。目もとをうっすら赤くするだけで、うっとりというよりはのんびりとした顔で、夏風に髪を任せている。
 そのうち俊雄がうめき出す。
「ともこ……イきそう。イっていい?」
「ええよぉ。よーさん中に出してぇ」
「子ぉはらんだらあかん、だろ?」
「ええて。昨日せーり終わったばっかやん」
「そ……そうか? それじゃ、悪いけど……」
 ぐぷぐぷ、ぐぷっ! とひときわ強く突きこんで、俊雄がくーっと目を細めた。朋子が「はぉ」とうめいて、ざわっと髪を膨らませる。この時だけは、全身に帯電したように反応する。
 俊雄の先端、朋子の中で、たっぷりと射精が行われている。
 家の二階の窓に並んだ二つの顔が、そろってふるふる震えている。やがて鎮まり、ことりと画板に顔を並べた。
 朋子の頬にキスをしながら、俊雄は満足そうに言う。
「あーイったイった。サンキュー朋子」
「いいええ。うちもそれなりに」
 丸っこい鼻をこすり、朋子もほんわりと温まったような口調で答える。
 海岸沿いの古びた二階家に並んだ顔を、八月の瀬戸の陽がうらうらと照らし、防潮堤を越えた潮の香が撫でている。

 二人が出会ったのは、七月の末の宵だった。
「おーお、天気予報のあてにならねーこと……」
 半分錆びたヤンマーのホーロー看板のかかった、廃屋のような二階建ての商家の軒にしゃがみこんで、俊雄はやけくそ気味にマイルドセブンをくわえ、ライターを鳴らした。
 目の前は土砂降りの雨。豆をぶちまけたような音を立ててアスファルトに雨滴がはぜ、防潮堤の向こうの海は暗く騒いでいる。
 明日までもつと言ったNHKを信じて、岬の岩場で夜釣りのまま野宿に持ち込もうとしたが、五時のサイレンから風向きが変わった。うなじを撫でる空気の冷たさにこりゃやばいと思って片付けを始めると、案の定、半時間もしないうちに天の底が抜けた。
 取るものとりあえずカブの荷台にくくりつけて、本土へ帰ろうと船着場に行ったところが、生憎の欠航。サウナはおろか民宿すらない瀬戸内の小島とあって、一夜の宿りも見つからず、あてどなく走り回った末にかろうじてたどりついたのが、この廃屋の軒だった。
「今夜はここの軒先一間が頼りか……」
 出幅二尺もないトタンの軒から、ばたばたとしずくがこぼれる。横になれないこともないが、俊雄の寝相では目が覚めたら泥まみれだろう。振り返って見れば、背後はほこりまみれのガラス戸。こすって覗くと、なにやら古びたくもの巣まみれの作業台と機械が見えた。火の気も人気も感じられない。たいして期待せずにガタガタ引いてみたが、やはり鍵だけはしっかりとかかっていた。
「しゃあねえなあ、ションベンしてとっとと寝ちまうか」
 いつでもどこでも寝られるのは俊雄の特技である。軒からきょろきょろと左右を見回す。どちらにも防潮堤沿いの道が伸びているが、右手は岬まで漁師小屋一軒もなし、左手の町までも三町がとこは離れている。もちろん人影など一つもない。
 で、俊雄は軒の端までいって、くわえ煙草のまま立小便を始めた。
「うーふ、ミミズもカエルもごめんごめん、と……」
 じょろじょろと土に穴を開けていると、突然、背後から声をかけられた。
「あんた、人んちの前で何してるの」
「うは!?」
 驚いて煙草を落っことした。しかし股間のものはそう簡単に収められない。出しっぱなしのままで肩越しに振り返る。
 てっきり無人だと思っていた廃屋のガラス戸を細く開けて、おかっぱ頭の女の子が顔を出していた。
「なあ、何してるの」
 きつい眼差しで女の子はにらむ。俊雄としてはこう答えるしかない。
「な、何って、見たまんまだけどね……」
「十七年ここで暮らしてるけど、うちの前でおしっこしたのはあんたが初めてや。一体どういうつもりなん?」
「どうもこうも、飲めば出るのが人間の性ってやつで……近場にトイレもないことだし」
「おトイレあるわ、中に。人呼び出しといて待てんかったの?」
「あ、中ね。中。いや、誰かいるとは思わなかったもんだから」
「……あのなあ、世間話する前に、それとっととやめてえや、もう」
「無理だっつの」
「無理ってね!」
 ガラガラピシャン! と女の子がガラス戸を全開にした。それがいけなかった。狭い軒に突っ立っていた俊雄のひじを、ガラス戸が直撃した。
「あ」「あ」
 たたらを踏んだ俊雄が、前のめりに転んだ。
 頭から泥の中に突っ込んだ俊雄に、車軸を流すような雨と少女の驚いた視線が突き刺さった。

「二十一年生きてるけど、自分の小便で顔洗ったのは初めてだぜ」
「せやから、ごめん言うてるやん。タオルも貸してるし」
 廃屋――ではなくて少女の家の一階で、雨で洗い流した頭と顔を、俊雄はごしごし拭いていた。少女はそばのパイプ椅子に腰掛けて、突っかけの片足をぶらぶらさせている。
「ふー、ありがとな」
 一通り拭き終わると、タオルを返して俊雄は機械油くさい室内を見回した。外から見たとおり、そこは何かの作業場らしかった。土間に古びたエンジンのような機械と作業台が置かれていて、隅に便所と二階への階段がある。それ以外は何もない。
「ここ、おまえの家?」
「うん。もともとお父んの店やってんけどな。漁船のエンジン直しててん。でも今はうちの家」
「一人暮らしか」
「せや。お父んもお母んもいてへんから」
 俊雄は少女を振り向いた。今何か、けっこう深刻な台詞を聞いたような気がしたが、少女はあっけらかんとした顔をしていて、空耳のようにも思えた。
 よく見直す。ノースリーブのぺらぺらのワンピースを着た少女。カチューシャを挿したおかっぱ頭に化粧気のない顔。ここらでは珍しく色白の頬。都会の垢抜けた女の子には遠く及ばないが、目もとや口元は線がくっきりしていて、涼しさを感じさせる。この田舎にあっては、まずまずの美少女と言えるだろう。鼻がちょっとまるっこいが、それも愛嬌だ。十七年暮らしているといったが、それより二つは幼く見えた。
 黙ると雰囲気が重くなりそうなので、俊雄は質問を続けた。 
「一人暮らしで……学校は?」
「行ってるよ、倉敷の高校。先週から夏休みやろ」
「ああ、そうか……」
「部活はまだあるはずなんやけどな、学校は船賃まで出してくれへんから」
「学校が?」
「奨学金取ってるの。でもそれ、授業料だけやから」
「で、夏休みの間は本土に渡れない?」
「そゆこと」
 うなずくと、少女はぱっと立ち上がり、奥の階段に向かった。
「上、あがってええよ」
「なんで」
「なんでもゴマメの歯も、あんたズボンまでぐしょ濡れやん。いくらこの島が暑い言うても、脱いで着替えんと風邪ひくよ。着替えあるの?」
「あるけど、カブごと濡れちまった」
「カブ?」
「表のバイク。東京からあれ一台で来たんだぜ」
「あの新聞配達で?」
 ちらりとガラス戸越しに表を見てから、少女はちょっと感心したようにうなずいた。
「それはアホやなあ」
「誰がアホだ、チャレンジャーと呼べ」
「アホは風邪引かん言うけどな……アホやない言うなら、風邪も引くやろ」
 独り言のようにつぶやいて、少女はとんとんと階段を上っていた。五段目で顔だけ戻して、はよあがり、と呼ばわった。
「へいへい」
 土間から靴を脱いで踊り場にあがって、俊雄は階段を昇った。途中で見上げると、傾斜が急なせいで、磨いたロウのような太ももの上に、木綿のパンツがちらりと見えた。
 階段の上は狭い廊下で、みかん箱がいくつか積まれていた。ふすまを入ると、八畳の一間だった。
 窓は二つ、海側と陸側。海側の窓の下にはベッド、というか材木を組んだ手製らしい寝台があって、もとはピンクだったらしい黄ばんだ枕と、タオルケットがくしゃっと置かれている。陸側の窓の下には、やはり材木の机。白熱灯と手回しの鉛筆削りが大時代だ。正面の壁にはクロゼット、ではなくタンスがあって、その上の壁に、妙に場違いな蒸気船の西洋画がかけられていたが、タンスの上には熊や子猫の小物が行儀よく並べられ、隣の壁にハンガーでセーラー服がかかっていた。
 俊雄は急に気後れした。貧乏くさいとはいえ、そこはまぎれもなく「女の子の部屋」だったからだ。
 そんなことには頓着せず、少女はタンスの前に膝をついて、引き出しを漁る。
「あんたに合うサイズあるかなあ……確かお父んのシャツとか、どっかに……」
 ストラップのかかったむき出しの肩や、つるつるのふくらはぎが妙になまめかしい。いや、そう思えるのは俊雄のほうが変な気持ちになったからだ。これはいかん、と俊雄は目を逸らして、また質問で気をまぎらわせる。
「ここって、この部屋だけか? キッチンとか風呂は?」
「お父んの店や言うたやろ。店の倉庫をうちの部屋にしただけや。お風呂は下で水浴びるからいらへんし、ご飯はお爺が持ってきてくれる」
「ああ、爺さんいるのか」
「いるよ。船着場の事務員してる。あんま優しないけどな。……ああ、あったあった」
 タンスの奥からぞろりと服を引っ張り出して、少女は俊雄に押し付けた。
「ワイシャツと作業服のズボンやけど、ええやろ。パンツはない。あきらめて」
「なんでもいい。ありがとな」
 受け取った俊雄はどきっとした。色気もくそもない男物の服から、甘い石鹸の匂いが立ち昇ったからだ。少女の服に押しつぶされていたのだから、無理もない。
 少女は畳に座り込んだまま催促する。
「何ぼさっとしてんの。はよ着替え」
 着替えろということは脱げということだが、照れる様子はまったくない。飯を食えというのと同じようにじっと見つめている。恥ずかしがるのがかえっていやらしく思えて、俊雄は思い切った。Tシャツとジーンズを勢いよく脱ぎ捨て、トランクス一丁になって着替えを着る。
 少女が目を大きくして、俊雄の胸や尻を見つめた。
「へえ、都会の人にしてはマシな体やな。東京なんやろ?」
「ああ」
「その東京の人が何しに来てん」
「俺も夏休み。カブで貧乏旅行するのが趣味なんだよ」
「貧乏旅行ねえ……」
 少女が横を向いて、ぶつぶつ言った。やっぱアホや、なんでわざわざ貧乏、と言ったようだった。それから、濡れた服をひったくって、さっさとハンガーにかけた。
「ここに干しとくわ。明日までには乾くやろ」
「明日までって、明日までいていいのか?」
「いいも悪いも、他に行くあてあるのん?」
 言われてみればその通りだが、ずいぶん警戒心のない子だ、と俊雄は呆れた。
 それが終わると、少女はベッドに上がり、窓枠にひじをついて外を見つめた。古臭い木枠のガラス窓に雨粒が当たって、ガタガタと鳴っている。外はもう真っ暗だ。黙って座っているのも居心地が悪くて、俊雄は言った。
「晩飯、どうするんだって? 爺さんが持ってきてくれるとか……」
「ああ、お爺は本家やから。いつも、様子見がてらおべんと持ってきてくれる。ほったらかしてんのが気が咎めるんやろね」
「ほったらかされてんのね」
「気楽でええよ。おかずに文句つけれへんけど。……あ、しまった」
 少女は、窓ガラスにコツンと額をぶつけた。
「あんたの分、あらへんやん。半分こしたらひもじいやろなあ」
 それを聞くと、俊雄の頭に名案が閃いた。立ち上がる。
「よし、待ってろ」
「え。どこ行くの?」
「おかず、あるぜ」
 階段を下りると、少女もぱたぱたとついてきた。表のカブの荷台の旗をどけて、愛用のクーラーボックスを取り外す。作業場に持ち帰ると、少女が不思議そうに首をかしげた。
「なにそれ」
「俺は毎年、夏休みの始めっから終わりまで日本中をうろちょろするんだけどね。東京出るときには、ガス代しか持っていかない」
 言いながら、今度はデイパックを持ってきて、作業台に載せた。
「食費や宿代は、出先で稼ぐようにしてるんだ。どうやってると思う?」
「どうやってるの」
「こうやってる」
 含み笑いしながらクーラーボックスを開けると、わあ、と少女が顔を輝かせた。
 中身は二十匹ほどの魚だった。果物ナイフほどの銀色の小魚がぴしゃぴしゃと泳ぎ回り、その下に、ずっと大きいうちわほどの大きさの魚が一尾、横たわって口を開閉している。
「魚釣って、観光客に売るのさ」
「釣るって……あかんやん、漁協に怒られるで」
「うん、怒られる。だから一ヵ所には留まれない」
 笑いながら俊雄は作業台を濡れタオルでざっと拭き、小魚をつまみ出して乗せた。キーホルダー代わりのビクトリノックスの刃を立てるが早いか、尻から背びれをそぎ落とし、返す刃で首を切ってくるりと皮をはぎ、仕上げに中骨を取り外す。
 その調子で流れるように小魚をさばいていき、あっというまに十匹あまりをむき身にしてしまった。少女がへええとため息を漏らす。
「うまいもんやねえ」
「シロギス、好きか?」
「うん、好きー。すごいねえ、あんたただのアホやないんやね」
「だからアホは余計だっつーに」
 二人ではしゃいでいると、表で車のブレーキの音がした。
 軽トラが止まっていた。雨の中に腕をかざして、船会社の紺の制服が降りてきた。ガラス戸を乱暴に開けて、愚痴りながら入ってくる。
「まったくいまいましいわ、この雨で発便は足止めになるし、着便は一時間半も遅れよるし……あんた誰や」
 俊雄に気づいて、うろんそうな目を向ける。いたちのような先細りの顔をした貧相な老人である。俊雄は簡単に答えた。
「旅のもんです。そこで雨宿りをしていたらこの子に助けられました」
「旅のもん? 旅のもんがこんな時間に何してんのや。発便逃したら網元さんのとこに泊めてもらえるの、知らんのか?」
「あれ、そうなんですか。そいつは知らなかった」
 別に嘘でもなく驚いている俊雄を、老人はじろじろ見つめながら、手に持った風呂敷包みを少女に突き出した。
「ほれ、今日の。あかんで、見ず知らずの人を軽々しく家に入れたら」
「ええやん、別に。この人強盗でもなんでもないで」
「そういうことやない。おまえももう年頃なんやから……あれ、これはなんや」
 作業台の上のシロギスに気づいたのだった。俊雄が苦笑いする。
「ちょっとね。漁業権にひっかかるほどは釣ってないつもりですが」
「あんたが釣ったんか。あかんあかん、数の問題やない。こういうのはちゃんと鑑札をもらってから……」
 言いかけて、老人はクーラーボックスの中に目を留めた。ぎょっとして覗き込む。
「これは……」
「それも見つかっちゃったか」
「鯛やないか。それも尺を越えとる」
 老人は俊雄を振り返り、つばを飛ばして喚いた。
「おい、冗談はたいがいにせえ。この島で、それも今の季節に、こんなん釣れるわけないやろ」
「それが釣れるんですねえ。俺はそういうの、得意なんで」
「う、ううむ……」
 目を白黒させた老人は、やがて、別人のように感心した顔で言った。
「尺鯛あげるとはたいした腕前やなあ。どこの島のお人や?」
「島じゃありません、俺は東京のもんです」
「なに、東京? ほほう……東京もんはちゃらちゃらした観光客ばかりや思うとったが、あんたのようなお人がおるか。こりゃ驚いたわ。地元の人間でも、よう上げんぜ」
「そりゃどうも」
「せや、泊まりに来ぉへんか。網元さんも仰天しよるぜ。あんた酒は呑めるんか」
「お爺、この人鑑札ないって」
 少女の言葉を聞くと、老人は頭をかいた。
「せやったな。一応、密漁者いうことになるんか。それはちょっとまずいな。……しかし、よく見ればあんた、男っぷりもええな。追い出すにはしのびんなあ」
 老人は、うんうんとうなずいて言った。
「ま、ええわ。そんならここに泊まりぃ」
「いいんですか」
「ええわええわ。朋子、おまえもええやろ」
「調子ええんやから」
「嫌やないやろ? そんならええやんか。あんた、ここ泊まり」
「はあ、そういうことなら……」
 俊雄はクーラーボックスから、まだ生きている色鮮やかな鯛をつかみ出して、そこらに落ちていた新聞紙に包み、老人に差し出した。
「よければ持ってってください」
「なに、ええのか」
「はあ。どっちみち売るつもりでしたし」
「そんなら遠慮なくもらっとこう。おおきにな」
 鯛を抱えると、老人はうきうきと外へ出て、軽トラで去っていってしまった。
 俊雄は拍子抜けしてつぶやく。
「えらくあっさり許可が出たなあ。いいのかこれで」
「お爺、誰でもええんよ。本音はさっさとうちを片付けたいんやから」
「あー、それでか……って、意味わかってるのか」
「なにが? あ、はよお魚料理せんと、悪ぅなってしまう」
 ひらりと身を翻して、少女は俊雄から離れ、壁の棚に向かう。
「カセットコンロと網があるわ。塩焼きにして食べよ」
「ともこちゃん」
「はい?」
 振り向いた少女に、確かめるように俊雄は言った。
「ともこちゃんていう名前なんだな。字は?」
「つきつきの朋に子供の子。うつくしい名前やろ?」
「あー、美しいな。名前は」
「名前は、は余計や」
 楽しそうに言って、朋子はコンロを持ってきた。俊雄の顔を覗き込む。
「あんたの名前は?」
「名乗るほどのもんじゃ……なんて言うと、不便だよな。俊雄でいいよ。俊才の英雄」
「カッコええねえ、名前は」
「名前は、は余計だ」
「あはは。よろしくな、俊雄さん」
 屈託のないウインクをして、朋子はシロギスの塩焼きを作り始めた。
 若干の気がかりを覚えつつ、俊雄はそれを手伝った。

 テレビもない家だから、食事の後は寝るしかない。ごめん布団あれへん、と朋子はすまなさそうに言ったが、俊雄は気にもかけなかった。もともと寝袋と銀マットだけで野宿をするつもりだったのだ。畳の上で寝られるだけでありがたかった。
 それじゃおやすみ、と電気を消して横になってから、三十分。
 まんじりともせず寝返りを打っていた俊雄は、そっと窓際のベッドをうかがった。暗闇に沈むほっそりとした体の輪郭を、ときおり岬の灯台の光がさっと照らしている。
 寝ているな、と見当をつけて、貴重品入れのウエストポーチからティッシュを取り出そうとした。気をつけたつもりだったが、がさがさという音が意外に大きく響いた。
 すると、当たり前のように声をかけられた。
「俊雄さん、起きてるの?」
「あ、うん……」
「早よ寝てよ。うち、眠られへんやん」
 言われて、気づいた。のんきそうな朋子も、見ず知らずの男がそばにいるのに無防備に眠ってしまうのは、抵抗があるのだろう。
「悪ぃ、寝るよ」
「ん、そうして」
 ごそっとベッドの上の線が動いた。朋子も寝返りを打ったようだった。
 こちらを見ている、らしい。暗くてよくわからない。
 明るければ、互いにまじまじと顔を見ているのかもしれない。
 そう思いつつ、確かめることもできず、俊雄は目をつぶった。それでもなかなか寝付けなかったが、雨と波の音が、じきに彼を眠らせた。

 翌朝は快晴だった。目を覚ますと、まぶしい朝日のなだれ込む窓辺で、朋子が画板を置いて絵を描いていた。俊雄が身を起こすと、振り返りもせずに言った。
「おはよ。ご飯、そこよ」
 ちゃぶ台代わりのみかん箱に、昨日の残りが置かれていた。
 一階の便所で顔を洗ってきて、食事に手をつけた。なにやらカリカリ手を動かしていた朋子が、やがて色鉛筆を置き、うーんと伸びをした。ぶかぶかでしわくちゃの、水玉のパジャマ姿だが、お尻のところだけは布地がピンと張って、パンツの逆三角が透けて見えた。
 それから振り返った。逆光に隠れた顔で、気がかりそうに言った。
「今日、どうするの」
「とりあえず、この島の釣りポイントを残らず回ろうと思ってるんだけど」
「それじゃ、まだ島から出ぇへんのね」
「ああ」
「もしよかったら、今夜も泊まる?」
「いいのか?」
「泊まるのね? やった」
 朋子が窓辺から離れたので表情がわかった。目を細めて、にかっと笑っていた。
 ベッドから降りて、みかん箱の向かいにやってくる。ぺたんと座り込んで、俊雄の塩焼きを一つ取り上げた。
「うちなー、この島に友達が一人もいてへんねん。年の近い人間は、みんな町に出てってしもたから。俊雄さんいてくれると、ええヒマつぶしになるわ」
「それじゃ遠慮なく」
 答えた俊雄は、名案らしきものを思いついた。
「そうだ、こうしよう。ただで泊めてもらうのは悪いから、今日も俺がおかずを釣ってくるよ。いや、観光客に売って宿代稼いでもいいな」
「それ、ええね」
 朋子が目を輝かせた。
「それじゃうちは下宿屋やね。楽しみにしてるわ。よろしく」
「あいよ」
 気安く請合って、俊雄は一息に飯をかき込んだ。

 2

 灯台を臨む岬の岩場で釣り糸を垂れていると、八本足のマダコが釣れたので、俊雄は東京での暮らしを思い出した。
「馬鹿なことしてたよなあ……」
 東京での暮らし、それはこのタコのような暮らしだった。さまざまなことを同時にいくつもこなさなければいけない。大学生として講義に出て、レポートを書き、パンツを洗い、友達と電話で話し、コンパに行き、電気代と家賃を払い、ビル警備のバイトをし、アパートの上の家に水漏れの文句を言いに行き、切れた電球を換え、雑誌を読み、郷里に手紙を出し、また友達と電話して愚痴を聞き、美緒とのデートに出かける。
 美緒はあの暮らしの象徴のような存在だった。髪の長い、学部でも指折りの美人だったが、段取りにやたらうるさかった。毎日の電話とメールは欠かせず、混んでいなくて面白い穴場のデートスポットに行きたがり、行けば行ったでずっと手をつなぎ、セックスは歯の浮くような誉め言葉と入念な前戯がなければ満足しなかった。何につけ盛り上げなければ気がすまなかった。もうちょっとベタつかない付き合い方ができないかと俊雄が言っても、理解できないようだった。
 俊雄が毎年夏の恒例にしている放浪にも反対した。一月半も放っておかれるのは耐えられないというのだ。それなら、いっそ一緒に来ればいいと言ったのだが、貧乏旅行なんかとんでもないと断られた。
 だから別れた。別れて、段取りと付き合いがごちゃごちゃとからまった東京の暮らしから離れて、旅に出た。東京の暮らしから離れたのはともかく、理由にもならない理由で美緒をふったのはちょっと申し訳なかったが、旅先から電話した友達の話で、肩の荷が下りた。美緒は別の彼氏を見つけて楽しくやっているそうだった。
 今こうして、何の予定もなく、携帯電話すら持たずに、無心に針にえさをつけていると、つくづく都会では馬鹿なことをしていたと思えるのだった。
「人間シンプルが一番だよな。これでいい、これでいい、と……」
 年寄りのようにつぶやいて、再び仕掛けを振り入れる。すると、力の加減が悪くてエサがすっぽ抜けた。ぽちゃんとゴカイが波間に落ち、針がぷらぷらと揺れる。俊雄は舌打ちする。あまり集中できていない。
 これでいいこれでいいというのは、無理やり自分に言い聞かせた言葉だった。よくないことが一つある。旅先では、性欲の処理ができないのだ。
 旅行の間ぐらい忘れればいいというのは、長旅をしない普通の人間の考えだ。一月半もの長旅、しかも毎年恒例ともなれば、旅路がすでに日常になる。日常の暮らしに性欲はつきものだ。南極越冬隊でさえ、ダッチワイフを持っていった。
 つきものだからなんとかしたいが、それは難しい。旅先で女の子をナンパしてどうこうというのは、浮かれた観光客のいるリゾート地なら可能かもしれないが、俊雄が巡るのは若い観光客など来ない辺鄙な田舎である。行きずりの付き合いをする相手などいない。
 では例年俊雄がどうしていたかというと、それはもう野宿しながらオナニーするしかない。人の来ない真っ暗な野っ原や海岸で、コンビニで買ったエロ本をおかずに、懐中電灯を頼りにオナニーするのである。変質者的な興奮や背徳感などはなく、あるいは一人身の寂しさなどというものも別になく、するしかないから事務的にするのである。
 ところがそれが、今回はできていない。
 朋子の家に泊まりこんで、もう四日目。目を覚ましている女の子の部屋でそんなことをするわけにはいかず、さりとて可愛い女の子の部屋でむらむらせずにいることもできず、板ばさみになって困っているのが、今の俊雄なのだった。
 煙草をくわえて浮きを眺めつつ、ぼんやりとつぶやく。
「ったく、参ったなおい。いっそ便所に隠れてするかなあ……」
 言ってから顔をしかめる。朋子の家は汲み取りである。あの臭気の中で妄想を組み立てるのは、さすがにご免こうむりたかった。
 岬の岩場にぽつんと座って、あまり人には言えないようなことを考えていると、波打ち際から灯台へとつながるコンクリートの道を、馬鹿でかい麦わら帽子がひょこひょこ登ってきた。
「俊雄さーん、釣れたー?」
 朋子だった。俊雄は背中で叫んだ。
「おー、今日は酢ダコな」
「今度はタコぉ? よー釣れるねえ、こんな季節に」
「それだけが取り柄じゃからのぉ」
 おどけて言って、俊雄はさおを上げた。何の気もなかったが、ひょいとトゲトゲの魚が、磯の波からごぼう抜きに上がってきた。
 隣に並んだ朋子が、呆れたようにつぶやいた。
「あれ、今度はカサゴ……ほとんどこの辺の生態系無視してるね、あんた」
「こいつは丸焼きだな」
 クーラーボックスにカサゴを放り込んで、俊雄は道具を片付け始めた。
「もう帰るの?」
「おう、十分釣れたから」
 そう言って、俊雄は朋子を見る。Tシャツとカットジーンズからすらりとした手足が伸びているが、白い肌が痛々しいほど真っ赤に焼けている。彼女がもともと、ひどく色白だったことを、俊雄は思い出した。
「そういや朋子ちゃん、あんまり日焼けしてないのな」
「うち、外出るの嫌いやもん」
 朋子は麦わら帽子のつばに両手をかけて、ぷーっとふくれた。
「嫌いやから日焼けせーへん。せーへんから日が当たると痛い。痛いから出るの嫌い」
「悪循環なわけね」
「せやよ。わざわざ様子見に来てあげてんから、感謝しー」
「するする、感謝する」
 そう言うと、俊雄はいきなり朋子の腰を抱えて、そばに止めてあったカブのシートに載せた。朋子があわてて叫ぶ。
「いや、何するの?」
「急いで帰らないと、イナバの白兎みたいになっちまうかもしれんからな」
 俊雄は笑って朋子の前に体を押し込んだ。朋子が腰に腕を回して、べったりとしがみつき、引きつった声で言う。
「う、うちバイク乗ったことない」
「大丈夫大丈夫」
「転べへん?」
「転んでも死なんから。俺はもう五、六ぺんも」
「い、いややー!」
 降りようとする前に、俊雄はキックもかまさず三速でカブを坂に出した。クラッチをつなぐと、ごろごろぽぽんとエンジンがかかり、そのまま一気に駆け下りる。
「死ぬ、死んでしまうー!」
「死なねーって」
 悲鳴を上げて朋子が抱きつき、胸のふくらみが俊雄の背中でつぶれる。実はそれが目的である。夜中に余計眠れなくなることを覚悟でそれを楽しみつつ、俊雄はスロットルを全開にした。

 その夜は、思ったとおりの地獄だった。
 ベッドに背を向けて横になっていると、昼に触れた朋子の体を見たくてたまらなくなる。寝返りを打って朋子のほうを向くと、わずかに動いただけで悟られるような気がして、バスタオルをかけた腰に手をやることもできない。
 金縛りだ……。
 悶々としながら、俊雄は何度も寝返りを打った。
 一時間以上そうしてから、ついにたまらなくなって、俊雄は決心した。下へ降りると朋子がついてくるのだが、便所にまでは入ってこない。鼻をつまんであの中で抜くしか――
「まだなの?」
 朋子が言った。
 朋子もこっちを向いていた。声の響きでわかった。暗闇の中で、畳の俊雄とベッドの朋子が、見えない相手の目を見つめていた。
 俊雄は押し殺した声で言う。
「悪い、まだ眠れん。先に寝ていいよ、なんにもしねーから」
「うちも眠られへんのやけど」
 次の朋子の言葉で、俊雄は体を硬くした。
「おなにぃ、せんと」
「……なに?」
「あんたが寝てくれんとおなにーできへんから、眠れへん言うてるの」
「朋子ちゃん……何言ってんだ」
「なにもカニも、あんたと同じよ。あんたが初日からずうっともぞもぞしてたの、溜まってるからでしょ? うちかて同じや。毎日してることせぇへんと、落ち着いて眠れへんわ」
「おいおい……」
 俊雄は毒気を抜かれてため息をついた。
「なんだよ、俺が抜きたかったの、バレてたの?」
「よーわかるわ。学校の男子と同じオーラ出てるもん。せやけど、俊雄さんさすがに大人やね。冗談でもやらせろとか言わへん。男子ら、めちゃめちゃえげつないこと言うんやで」
「いや、俺もえげつないこと考えてるけどな」
 俊雄は自嘲気味に言った。
「朋子ちゃん見て、やらしいこと考えたよ。けど、そういうのは抜けば収まるって知ってるからな。どうやって抜こうかってことだけ、考えてた」
「そうなん? なんや、がっかりやわ」
 朋子がため息をついたので、俊雄はごくりと唾を飲み込んだ。
「もしかして、期待してたのか」
「ちょっとな。うち高校二年やで。クラスの女子の三分の一ぐらい、もう経験済みや。うちかて興味あるけど、夏休みいっぱいこの島に閉じ込められてて、誰にも会いに行けへん。島の人らはおっさんばっかで、趣味やない。俊雄さんが来て、ちゃーんす! 思てんけど……」
 朋子がまた、大げさにため息をついた。
「そぉかー、襲わへんのか。もったいないなー、タダの据え膳がちーんと置いてあるのになー」
「お、襲う襲う」
 俊雄がごそっと体を起こすと、朋子がけらけら笑った。
「なんやの、その変わりようは。抜けば収まるんと違かったの?」
「収まるけど、女の子とやれるもんならやりたい。当たり前だろ?」
「せやねー、うちもおなにぃより、男の子としてみたいもんな」
 ベッドの上の影が、ごそごそと動いた。ぱんぱん、とシーツを叩く音。
「はい、場所あけたで。こっち来て」
「そういうことなら、ここはひとつお邪魔して……」
 俊雄はいそいそとベッドに近づいて、片手をついた。部屋に漂う朋子の甘酸っぱい香りが、ふわりと濃くなった。ふー、ふー、と息がかかる。明らかに、昼間より呼吸が強い。
「もうやらしくなってるな?」
「言うたやん、おなにぃしたいて。濡れてるよ」
 短く言葉を切ってから、朋子が興味津々といった感じで聞いた。
「俊雄さんも、ちんちん立ってるの?」
「おう、ビッキビキ。何しろ溜まってるからな」
「まじ? なー、触ってええ? 正体わからんもん突っ込まれるの、やっぱ怖いわ」
「どうぞどうぞ」
 朋子の手が、ぱたぱたと俊雄の腹を撫で回した。その手を引いて、ジーンズの股間に当ててやる。むきゅ、と遠慮なくつかんで、朋子はまさぐり始めた。
「うあ、ほんまや! ごっつ硬くなってる! すごー、こわぁー! バットかこれ!」
「お、気持ちいい……」
 さわさわしこしこと這い回る朋子の手が、思ったよりもずっと心地よい。技巧がないのに、いや、技巧がないからだ。美緒はこれほど喜んではくれなかった。
「朋子ちゃん、俺も朋子ちゃんに触りたいな」
「ええよ。でも、痛くしたらあかんで」
「はいはい」
 下半身を朋子の顔の辺りに突きつける形で、俊雄は上下逆に横たわった。手探りすると、パジャマに包まれた朋子の腰骨が手に触れた。太ももを横断して、股間に手を伸ばす。
 熱気の溜まった布と肌の間にぎゅっと手を差し込むと、くふー、と朋子が息を漏らした。
「あぁ、気持ちぃー。机の角みたい」
「なんだそれ、ひどい例えだな」
「自分の手ぇよりもええて言うてんの。んんん、ぴりぴりしてええ気持ち……もっとどんどん触って」
 暗闇の中で、二人は夢中になって相手の体をまさぐった。数分に一回灯台の光が横切るときだけ、からみあう体がさっと白く浮かび上がった。
 俊雄にいじりまくられてたまらなくなった朋子が、んんー、んんー、と俊雄の股間に頬ずりしている。片足を立てて大きく股を広げ、指を受け入れている。俊雄の指に、パジャマまで湿らせそうなパンツの湿りと、その中のぷっくりした切れ込みがはっきり伝わる。
 俊雄の興奮もものすごい。期待するだけ無駄なので、今まで旅先で出会った女の子にはできるだけ妙な気持ちを抱かないようにしてきた。それが、今回は思いもかけない幸運にめぐり合ってしまった。朋子に会ってからの四日分の欲望だけではなく、今までの旅で抱いたことのあるすべての劣情を、まとめてぶつけるような気持ちで、朋子の体を思うさままさぐる。
 朋子が、はあはあ息を荒くしながら言った。
「なー、ここから先どうしたらええの?」
「わからんよな、初めてだと。俺が全部やってやるから、任せてくれる?」
「うん、任せるー。お願いしますぅ」
 俊雄は向きを変え、朋子の左右に手をついて上に覆いかぶさった。髪がかかるほど顔を近づけて、ささやく。
「キスとか、いいよな? 唾つくけど」
「ええよ。せっくすのとき、あそこぴちゃぴちゃになるんやろ? よだれぐらい、どってことないわ」
「じゃ、体中なめてやる」
「うわぁ、えげつな」
 含み笑いする朋子の首元から、手早くボタンをすべて外した。パジャマの上を剥ぎ取り、ついでズボンも引きずりおろす。うふ、と朋子が妙な笑い声を上げる。
「やらしいなあ、裸一歩手前にされてしまった」
「一歩手前じゃなくて、全部脱がすっつの」
 言いながら、俊雄はキスした。んあ、とうめく唇に強引に舌を突っ込む。
 ちゅくちゅくと唾液を飛ばして口付けながら、息継ぎの隙に自分のシャツとズボンも脱いだ。互いに半裸になって、肌を押し付けつつ唇を下げていく。
 朋子の体は腕も胸も腹も肉付きが薄く、たゆたゆした感じには乏しかった。しかしその分、肌から神経までが浅く、敏感なようだった。ぺろぺろとなめまわすにつれて、その部分がいちいち震え、いやぁ、あはぁ、と嬉しいような困ったような声が上がった。
 へそを越えてパンツに差し掛かったところで、細い足を思いきり広げさせて、その間に俊雄はうずくまった。顔を寄せ、木綿に隠された性器に鼻を押し付ける。んんーん、と朋子がくすぐったそうに身を縮めた。
「恥ずかしいなぁ、もう……そんなとこ、顔で触るものなん?」
「いや、俺の趣味」
「どーゆー趣味や。おしっこついてしまうよ?」
「それが好きなの。気にしないで感じとけ」
「変な人や……」
 朋子のそこは、他の部分と同じ甘い汗の香りと、潤んだ粘膜の卑猥な匂いの混ざったものを発していたが、垢じみた不快な臭いに変質してはいなかった。そういう女も俊雄の経験ではいたのだが、朋子はそうでなかったので驚いた。風呂といえば家の裏の洗い場でホースの水をかぶるだけなのに。
 くんくんかいで、悪くないなと言うと、朋子が安心したように言った。
「いちお、よく洗ってるよ、そこ。……気持ちええから」
「ああ、そういうことな」
 苦笑交じりに納得して、味見にとりかかった。
 パンツを指でかきわけて、ひだに舌を埋める。予想通り、ぽてっとした丘の間に薄いひだがぴらぴらと重なった、可愛らしい造りで、パンツとこすれあって表面はにちゃにちゃだった。中へと舌を進めると、熱くとろとろに溶けていて、かき回すとつぷつぷとあふれた。よく洗っているというだけあって、味はしない。最初におしっこのしょっぱさが少しあっただけだ。
 見えないことが妄想をかきたてる。あっけらかんとした、おかっぱ頭の細身の美少女。その秘密の部分に、直接触れている。昼間の街中なら口にすることも許されないことを、好きなだけすることができる。
 欲情がどんどんふくれあがって、しゃにむにパンツを引きずりおろした。あらわになったそこに顔を押し付けて、外から中までしゃぶり尽くした。
 朋子の息がはふはふと弾む。嬉しそうにつぶやく。
「あー、それめっちゃいい……イってしまいそう。イってええ? なー、ええ?」
「おう、いけいけ。いっちゃえ」
「ん、わかったイくよ。ん、んん、んぅ……!」
 俊雄の舌を包んだひだが、ひくひく・きゅうっと痙攣した。お尻が驚くほどベッドに沈み込んでいる。お尻と頭で体を支えてブリッジをしているのだ。両足は強く折り曲げられて、つま先だけがまっすぐに伸びた。
 一心に舌を動かしていた俊雄が、濡れた顔を上げて聞く。
「イけたか?」
「……イった〜。よかったよぉ。俊雄さんもイったら?」
「それじゃ、入れるぞ」
「うん、ええよぉ。うちのバージン持ってって」
「あー、そうなるな。それじゃありがたく……」
 俊雄は体をずり上げて、朋子の両肩をしっかり抱きしめた。それから浮かせた腰をゆっくり沈めて、先端をひだの真ん中にあてがった。
 潤んだくぼみがくちゅりと迎え、すぐにきつい抵抗に出会った。力を込めると、朋子の腰がずりあがった。耳元で朋子がうめく。
「いた、痛いそれ。場所そこでええの?」
「ここだよ。痛いの知ってるだろ?」
「知ってるけど、あた、痛いって、裂けてしまう」
「そういうもんだって」
 俊雄は小刻みに腰を震わせながら、思いきって力をこめた。ずぶっ! と音が聞こえそうな貫通の感触があり、一気に深くまで入り込んだ。
「あっつー……!」
 朋子が俊雄の背中にしがみつき、爪を立てた。うらみがましくつぶやく。
「痛いよぉー……うちを殺すつもりなん?」
「すぐ慣れる、はずだけどな」
「はずやなー、ほんま慣れんと困るって、これ……」
 多分、力いっぱい顔をしかめているだろう。不自然にこわばった朋子の体をぎゅっと抱きしめて、俊雄は動き始めた。きちきちに締め付ける粘膜をなだめすかすように、少しずつ動きを大きくする。
 はぉ、はぉ、とうめいていた朋子が、じきに、はふーと息を吐いた。
「ああ、やっと痛なくなってきた……助かるわぁ」
「うん、滑るようになってきたな」
「まー、何はともあれバージン卒業や。俊雄さん、おーきに」
「そりゃこっちの台詞だ。処女なんて初めてだから悪いぐらいだよ」
「そうなん? それじゃいっぱい感謝して。うちが一個しか持ってないもん、あげたんやから」
「もちろん。大感謝だよ」
 朋子の腹を中からえぐりあげるように、ぐいっ、ぐいっ、と俊雄は動く。あふ、あふ、と朋子も楽しみ始めた。おなにぃしとくもんやなー、おかげでなんやコツわかるわ、と知ったようなことをつぶやく。
「俊雄さんも気持ちええ?」
「ああ、すっげ気持ちいい」
「せーし出る? どぴゅって出るんやろ?」
「出るぞお? 溜まってっから、たくさん出るぞお?」
「うわあ、うちのおなか、だくだくにされてしまう……どんなんやろなー」
 しがみついた朋子が、楽しそうにぶるるっと体を震わせる。今さらながら、俊雄は聞いた。
「朋子ちゃん、生理いつよ。生理の反対側あたりが……十四日目あたりがやばいんだぞ」
「あー、それならおっけぃや。あと四日ぐらいでせーりのはずやから」
「四日じゃあんまりオッケィでもないと思うけど……おーぅ、悪い、我慢できん」
「うちもぉ、今やめたら怒るよ、このままイってぇ!」
「よしっ、い……いくっ!」
 欲望のまま、俊雄は朋子のお尻を裏から押さえつけて、思いきり深くで射精した。ああー、と朋子があごを反らせてうめく。
「わ、わかるぅ! ちんちんぷるぷるしてるぅ、俊雄さんイってるぅ!」
「朋子ちゃん、いい? 気持ちいい?」
「ええよ、なんかええ。女のよろこびってやつかもしれん。……あー、あったかいの、じわぁってきたあ♪」
 朋子が、つやつやの頬を俊雄の顔に押し付けて、嬉しそうにささやいた。
「かんぺきやわぁ。めちゃめちゃ本格的にせっくすできた……俊雄さん、サンキュなー」
「いや、俺も……めちゃいいわ……」
 言いながら、まだ俊雄はびくん、びくん、と腰を震わせている。朋子を突き上げて放ち続けているのだ。鋭い快感を楽しみつつ、一方では妙なことを気にかけていた。これだけぺらぺらしゃべるということは、朋子はいっていないんじゃないかということだ。
 いや、そういうわけでもないようだった。
「うちも、うちも来てるよぉ……奥、おくぅうう……」
 言葉を吐きながら、朋子が太ももから腰、腹、胸までをさざなみのように震わせる。確かに絶頂している。朋子はそういう、話しながらいくという、面白い達し方をする娘のようだった。
 俊雄の脈動と、朋子の震えが収まると、二人はどっと重なって横たわった。はあー、はあー、と荒い息が、しばらく部屋の中を満たした。
 やがて、朋子がささやくように言った。
「俊雄さん……」
「ん?」
「行くあて、ない言うたよね」
「……ああ」
「しばらく、いてよ。うち、これ気に入ったわ。学校始まるまで、いっぱいしてぇ」
「それはつまり、俺からみると……朝晩メシの出る下宿に泊まり放題で、触り放題やりたい放題のかわいい女の子が付いて、料金は釣ってきた魚、つーことになるんかな?」
「あは、そーゆーことになるわ。やりたい放題ですよお客さん。どお?」
「嫌なわけないだろ」
 そういうと俊雄は、まだ脱がせていなかった朋子のブラジャーをはぎとって、汗まみれの乳房に唇を押し付けた。
「とりあえず、こいつをお代わり」
「まいどー♪」
 二回戦が始まるまで、さほど時間はかからなかった。

 3

 数日後、俊雄は、船着場の岸壁で、日帰りで来て坊主で帰るはずだった釣り客を呼び止めて、商談に持ち込んでいた。
「六十センチのスズキがその値段か……うむむ」
「見ての通り生きてます。嘘偽りなくここで釣れたもんですよ。なんだったら、あとこれぐらいはおまけしますけど」
 フィッシングベストの肩にロッドを担いだ三人組に、俊雄は五本指を立てて見せる。ふと顔を上げると、向こうの漁船の止めてある浜から、漁協の帽子をかぶった太った男が、扇子で顔を仰ぎながらやって来た。
 その男は、他でもない俊雄のそばまで来ると、うさんくさそうな目でじろじろとにらんだ。釣り客三人組が気がついて、小声で俊雄に尋ねる。
「うん? こちらは……」
「網元の玉岡いいます。ちょっと失礼」
 そう言うと、玉岡は俊雄に向き直って、胴間声で言った。
「あんたが、平良の朋子ちゃんとこに転げ込んだっちゅう若いのか」
「はあ」
「はあやないがな。もう島中のもんが知っとおぜ。わしに挨拶にも来んとは、一体どないなつもりや」
「ああ、それは……」
 下手な返事はできないと俊雄は直感した。網元といえばこの島の漁業のもと締めで、漁業はこの島の主産業だから、実質的に島の世話役のようなものだ。
 口先でごまかさず、率直に話をしたほうがいいと踏んで、俊雄は頭を下げた。
「いつかご挨拶にうかがうつもりでした。遅れてすみません」
「ふん、呑気なもんやな。都会もんはこれだから困る。地元のしきたりちうもんを大事にしてもらわんと……」
 言いながら、俊雄のカブのクーラーボックスを覗いて、ちょっと表情を変えた。
「……都会もんにしては、やりよるな。平良の爺さんが言うとったのはこれか」
「無断ですみません。でも、これしか稼ぐあてがないんで……」
「無断? あんた密漁者なんか?」
 待たされている釣り客が目をむく。俊雄は困って空を見上げる。玉岡はむすっとした顔で、汗がだらだら流れ落ちる顔を扇いでいる。
 気まずい雰囲気を救ったのは、少女の声だった。
「俊雄さーん、何してんの」
 一同が振り返ると、海沿いの防潮堤の上をすたすた歩いて、麦わら帽子の朋子がやってきた。途中でなぜか足を止め、こちらをじっと見つめる。
 視線が玉岡に向いていた。玉岡も彼女を見つめたが、片手を挙げて叫んだ。
「朋子ちゃん、こっち来ぉ」
 仕方なく、という感じで朋子がそばに来る。が、俊雄の陰に隠れるようにして玉岡から距離をとる。
 朋子と俊雄を見比べて、玉岡が言った。
「あんた、この若いのをうちに住まわせてるんやて?」
「そうよ。あかんの?」
「あかんいうことはないが、心配やがな。どこの何者とも知れんのに」
「島の人はみぃなそう言うてよそ者いじめるんやから。どこの何者でもええやん、この人はきちんと役に立ってます」
「ほお」
「うちの事情、玉岡さんも知ってるでしょ。この人のおかげで、うちのご飯、豪華になってるのよ。代わりに泊めてあげてるの。ギブアンドテークや。公平な取引や」
「ほおほお。なるほどな。そういう仕掛けか」
 何がなるほどなのか、わけ知り顔でうなずくと、玉岡はいきなり釣り客を振り返って尋ねた。
「あんたら、このスズキいくらで買え言われました?」
「え? 値段か? まあ、これぐらい……」
 釣り客が、俊雄が提示した価格を言うと、玉岡は鷹揚にうなずいた。
「そんなもんですな。ぼったくりもせず、さりとて私らに迷惑をかけもせず。ええですわ、買う気ぃあるんでしたら、どうぞ」
「ええのか?」
「問題ありまへん」
 玉岡が魚をつかみ上げて、釣り客のクーラーボックスに押し込んだ。釣り客は紙入れから数枚の千円札を出して玉岡に差し出す。
 玉岡はそれを受け取ると、一枚抜いて、残りを俊雄に差し出した。
「ほれ、あんたの取り分」
「はあ……」
 俊雄はなんと言っていいか分からず、黙って札を見下ろした。
 小さな港に二百トンほどの連絡船が入ってきた。じゃ、私らはこれで、と釣り客たちがそそくさと去っていく。
 玉岡も片手を上げて、背中を向けた。
「それじゃな、俊雄君。あんじょう稼ぎ」
 そう言って歩き出す。俊雄は狐につままれたような気分だった。これはどういう意味なのだろう。罰金を取られたということなのだろうか。喜ぶべきなのか怒るべきなのかもよくわからない。
「玉岡さん、ちょっと」
「なんや」
 少し先で太った姿が振り返る。俊雄はためらいがちに聞く。
「これからも……釣りをしていいんですか」
「朋子ちゃん養うんやろ。釣らな食わせられんがな。あかん言えるかい」
「養うって……」
「しっかりせえ、だぁほ。旦那がそないおどおどすな」
 ぞんざいに言って、玉岡は陽炎の中をよたよたと去っていった。
 俊雄は、ようやく悟った。これは、つまり――夫婦扱いされているのだ。ということは、釣りを認められただけでなく、朋子の所に滞在することも一緒に認められたというわけだ。
 朋子を見下ろす。
「今の、意味分かったか?」
「……島にいてもええからピンはねさせろ、いうことやろ」
「まあそんなとこだな」
 俊雄は苦笑した。むー? と朋子は眉をひそめる。そんな朋子をまたしてもカブの荷台に乗せて、俊雄は言った。
「何はともあれ、先立つもんができたから、まさご屋行こうぜ」
「あ、うん。うち桃缶食べたい」
「食べろ食べろ、桃でもみかんでもナタデココでも。ナタデココって知ってるか?」
「馬鹿にせんといて。倉敷で友達と食べてたわ」
 頭を叩かれて、俊雄は笑いながら、島で唯一の雑貨屋に向けてカブを出した。

 カレンダーがめくられて、真夏のまっしろな陽光にあぶられる小さな島で、二人の気兼ねない同居生活が送られていった。下宿屋と客というよりも、もっと適切な表現があった。言うなれば、原始狩猟生活を営む夫婦者だ。都会ではとうてい望めない、シンプルでのどかな日常の積み重ねが、毎日を織り成した。
 たとえば、その日常のひとこま――
 朝まだき夜明け前、ほのかな青い光の満ち始める二人だけの八畳で、魚の騒ぐ明けまずめを狙う俊雄が、早々と目を覚ます。
 覚ましたはいいがそこは朋子のベッドの上で、鼻先に彼女の甘い髪がもつれている。起き抜けの一服とばかりに存分にかいでいると、当然、股間に来る。最近はキャミソール――というよりすり切れたスリップ一枚で寝ている、彼女の胸に手を当てる。さらさらと揉みしだくと寝ていても乳首が立つ。いや、その辺りで朋子も目覚めの声を漏らす。
「ん……おはよ、俊雄さん」
「おはよ、朋子」
 挨拶するだけで、まだまともに話せるほどお互い覚醒していない。夢うつつのまま朋子がふらふらと手を振って抵抗し、それを押しのけて俊雄がまさぐる。朋子の起伏の少ない、しかし熱い体を、頬からふくらはぎまで撫で回す。
「まだ……ねむぅ……」
「寝てていいよ」
 言いながら顔を下げてショーツを脱がせ、濡れていない朋子を濡らしにかかる。ぴちゃぴちゃ音を立てて可愛がると朋子もくぅんと鼻を鳴らし、抵抗が曖昧になる。
 十分濡らして、自分のトランクスを下げると勃起が飛び出す。ナイロンにつつまれた朋子の体に、さわさわと這い登るように胸を重ねて、ゆっくり股間をつなぐ。力はかけるが体重はあまりかけない。かけたら、薄い朋子の体が、バネのへたったベッドに沈んでしまう。
 だから、わきの下から肩へと腕を回して、抱え込むようにして抱きしめる。それでも朋子は文句を言う。
「あっついやん……離れてよ……」
「今しかできないだろ、こういうの」
 昼ともなれば日向は三十五度を越える。ぴったりくっついていられるのは涼しい朝だけだ。その機を俊雄は逃がす気はない。
 細い体をしっかり抱いて、ろくに反応もしない朋子を俊雄は犯す。くんくんと朋子が鼻を鳴らすが、感じているのか夢を見ているのかもよく分からない。それぐらい二人とも構えていない。ごく当たり前のようにセックスする。
 朝立ちの俊雄があっけなく達して、大腿をぎゅっと伸ばして射精する。んんーん、と顔をしかめてそれを感じた朋子が、うっすらと目を開いてぼそぼそ言う。
「……出したいだけやったら、おなにぃじゃあかんの?」
「悪い、痛かったか?」
「痛くはないよ。でも、こんなマグロでええんかと……」
「そりゃ手でするよりはずっとな」
「そんならええけど。お疲れさん」
「うい、ごちそうさま」
「うち、まだ寝てるから……いってらっさい」
 そのまま、すーっと朋子は寝入る。額の汗を横殴りに腕で拭いて俊雄は体を離す。昨夜も使ったそれ専用のタオルを床から拾って、朋子のあそこをていねいに拭いてやり、ぴしゃりと一つ自分の頬を叩いて、さて仕事と一階へ降りていく……
 また、たとえば別の日常のひとこま――
 開け放った南北両方の窓から、からりと焼けた風と、しゃあしゃあやかましいセミの声が、遠慮なく吹き込んでくる昼間。
 船着場から持ってきた一昨日の新聞を、畳に寝そべった俊雄が読んでいると、いつものように窓際で画板を抱えていた朋子が、くるりと振り返ってとんでもないことを言う。
「俊雄さん、ちんちん見せて」
「なんだいきなり」
「見てみたい。というか描いてみたいねん。明るいところで俊雄さんのちんちん見たこと、ないもん」
「また恥ずかしいこと言い出すな、こいつは」
「ええやん、ヒマやろ」
「むーう、まあいいけど……代わりにお前のも見せろよ」
「後でな」
「なんで」
「見せたらちんちん立ってしまうやろ。へなへなのが見たい」
「へなへなって言い方があるか」
「じゃ、にょろにょろ」
「……もういい、好きにしろ」
 ぶつくさ言って、俊雄はジーンズを脱ぎ、トランクスも脱いであぐらをかく。いそいそとその前にやってきた朋子が、畳に置いた画板に乗り出すようにして、顔を突き出す。
「……ふーん、カッコ悪いもんやねえ」
「うるさい。おまえのだって似たようなもんだろ」
「うちのはそないもじゃもじゃやないもん。もっとお上品や」
 言いながら、朋子がデッサンを始める。デッサンだかなんだか、絵の素養のない俊雄にはわからないのだが、とにかく、ただの色鉛筆ではっとするほどうまい絵を描いてしまうのが朋子だ。
 ところが、今日の朋子はどういうわけか調子が悪く、線を描いては砂消しゴムで消しを数回繰り返した末、ぶーたれた顔でにらみつけた。
「あかん、これ失敗やった。そのへなにょろ、描きにくーてかなわん」
「んだよ、ったく……じゃ立ったの描くか?」
「そうするわ。見せてあげる」
 そう言って、スカートの裾に手を入れた。今日の服装は、初日と同じ薄っぺらな水色のワンピースだ。体育座りのような姿勢で、お尻を浮かせてパンツを下げ、立てた膝からつま先に落してするりと抜く。
 そのまま、軽く足を広げ、膝の上に画板を載せた。
「ほい、覗いて」
「あ、うん……」
 俊雄は軽く唾を飲みこむ。画板とスカートに光がさえぎられて、朋子の股間が思ったより暗い。日影に白くぷりりとした太ももが合わさり、床の高さにほんのりピンクの割れ目が少しだけ見える。
「これいいわ。覗きしてるみたいで興奮する」
「みたいやね。ちんちん急に元気になった」
 ひくん、ひくんと脈動しながら俊雄の性器が起き上がる。おー血が来てる血が来てる、と朋子が感心する。八割がた勃起したところで、まじめな顔で注文をつけた。
「もうちょいまっすぐにならへん? 裏がよく見えるぐらい」
「さあなあ、触ってほしいところだ」
「触ってたら描けへんやん。うーん、興奮させればええのかな」
 朋子は、猫じみた細い目になって、いたずらっぽくささやく。
「俊雄さん……うち、それ好きよ。こうやって見てるとな、だんだんほしくなって、ここが……」
 画板を少しだけ持ち上げて、片手を足の下から股にあて、自分のひだをちらりと開く。
「うずいてくるよ……」
 俊雄の鼻息が強くなって、性器が見て分かるほど張りを増した。ふと気づいて思わずつぶやく。
「くう……わかりやすいな、俺って」
「正直な反応、おおきに」
 朋子がくすくす笑って色鉛筆を走らせる。
「描きやすうなった。しばらく我慢してな。終わったら襲ってもええから」
「急げ、いつぶち切れるかわかんねーぞ」
 目を見開いて朋子のあそこを凝視しながら、俊雄が言った。
 しかし、ぶち切れたのは朋子が先だった。顔を近づけて微にいり細に渡って見つめるうち、妄想が育ってしまったようだった。俊雄の位置からでもわかるほどあそこがあふれ出し、真下のスカートに小さな水たまりができて、もじもじ膝頭をすり合わせるようになった。
 と思うとやにわに画板をわきに放り出し、体を投げ出すようにして俊雄の股間に倒れこんだ。断りの言葉もなしに、かぷりと小さな口に飲み込む。
「おぅ……朋子も限界?」
 ふんふん、とうなずいて朋子がしゃぶる。これ幸いと俊雄も受ける。後ろに両手をついて腰を突き出すようにし、ついでにおどかしてやろうと、目を閉じて集中する。 
 慣れたもので、たいして時間もかからず射精できた。急に喉を叩いた精液に驚いて、朋子が温かい口をぷはっと離す。
「あ、あかんて、まだ」
 あわてた様子で手のひらで塞ぐが、それで収まるものでもない。はじけた白濁が指の間からほとばしり、朋子の白い頬をさらに白く汚す。
「んもお」
 恨みがましい目で見上げて、朋子が体を起こす。
「どうてくれるの、入れてほしかったのに」
「また……立たせたら?」
 はあはあ息を吐いて俊雄がからかうと、ようしと朋子が本気になる。俊雄のあぐらにまたがって、とろとろにあふれた谷間を半萎えの性器に押し付ける。
「ほら、わかるやろ。もうほしくてたまらへん」
「ああ、わかる……」
 いくらもたたないうちに俊雄は復活する。待ってましたとばかりに朋子が腰を沈める。
 熱く潤んだ十七歳の少女が膝の上ではねる。激しい動きで腕にも首筋にも大粒の汗が浮き、吸ったワンピースがぐっしょり濡れる。高い室温が蒸発させて、部屋の空気を甘くする。その匂いもせっぱ詰まったあえぎも、さわさわと吹き込む夏風とセミの声が封じ込める。
 表の海を横切った漁船が、ディーゼルの音を二階建ての小屋にぶつける。その重い音を貫いて、朋子の嬉しげな叫びが細く空に抜けていく……
 あるいはまた、別の日常のひとこま――
 あざらかに燃え上がる大きな夕焼け空のもと、防潮堤に並んで座って、二人は沖を見つめる。
 金の光を散らす波濤の向こうに、古くは八十島かけてと詠われた瀬戸の島々が、遠く近くと並んでいる。行きかう小船もそろそろ赤青白の明かりをともし始めた。餌を求める海鳥が鳴き交わしながら陸へ帰り、遠い航路を城砦のようなタンカーが滑っていく。
 それを見つめて、二人はずっと、何時間かもわからぬ間、ぼんやり肩を寄せていた。何をするつもりもなく、必要もないゆるやかな時間だった。
 俊雄の堅く締まった二の腕に、朋子の細い肩が触れている。互いにそれを感じつつ、それ以上触れたいと思いつつ、触れてもいいとわかっていながら、あせることもないと落ち着いて、たかだか数センチ四方の接点だけで、静かにずっと触れていた。
 それもそろそろ、切り上げ時だった。
 海鳥の声が遠ざかり、宵の明星もくっきりと浮かんだ。紺に染まりつつある空の下で、どちらからともなく手を伸ばして、あごを撫で、肩をつかみ、四本の腕をからませるようにして、さすり合い抱き合い、くちづけした。
「なごむなぁ……」
「だなあ」
 朋子が下から甘えるように俊雄の口元をちゅっちゅと吸う。受け止めながら俊雄が朋子の胸を揉みしだく。前戯というにはひめやかさが足りない。あっけらかんとした軽い触れ合いだ。
「朋子さあ、おまえ将来何するの?」
「なんやろね、絵ぇ描いて食べていけたらええ思てるよ」
「いいねえ。おまえの絵、うまいからねえ」
「俊雄さんは。何になるのん?」
「さあな。一本釣りだけで食ってくのは難しいだろうなあ」
「プロになり。そんなプロおるかどうか知らんけど」
「なれたらなろうかなあ」
 いつともわからぬ先のことをささやきあって、愛撫を深めていく。二人ともそれ以前のことは口にしない。それ以前――この夏が終わったら、ということを。
 それだけは考えてはいけない。それだけが、そのゆるやかな流れの先にある滝だった。
 んーふ、んーふ、と俊雄の胸に顔をこすり付けて、朋子が幸せそうにつぶやく。
「不思議やねぇ、楽しいねぇ。ヘンな男の人ひとり来ただけで、毎日こんなに楽しくなるんやねぇ」
「ヘンな女の子ひとり捕まえただけで、毎日こんなに楽しくなるんだなあ」
「大きなお世話やねぇ、うちら……」
 くっくと泣いているように笑って、朋子が俊雄の腕を引く。
「さー、うちに入ろ。お爺が来て晩御飯食べたら、水浴びして、またよーさんえっちしよな」
「よーさんな」
 二人は向きを変え、手を取り合って防潮堤から飛び降りる。

 そして、悟ったような顔で訪ねてきた朋子の祖父が、粗末な夕食を置いて去ると、約束通り、一番熱い二人きりの夜を始めるのだ。
 家の裏の洗い場で、ホースの水を二人して掛け合う。この時からすでに二人とも全裸だ。
 冷たい水をかぶれば、熱気で火照った体も震えるほど冷える。心地よい冷たさを帯びた朋子の体を、姫を抱く騎士のように俊雄が両腕で抱き上げる。そしておもむろに家に入り、二階に上がる。
 ベッドに投げ出し、倒れこんで、二人して獣になる。生まれたままの姿、という言い方がぴったり来る。何もかも忘れて満たしあうのだ。
「ほら、今日はうちが最初にやらせて……」
 俊雄を大の字に横たわらせて、朋子がひたりと覆いかぶさる。唇に始まって、体の前のことごとくに、ちゅ、ちゅ、と小さなキスをまんべんなく降らせていく。水揚げした魚のような、ひんやりと濡れた肢体が、俊雄の胸をゆっくり下に滑っていく。
 なめらかな腹で俊雄のこわばりをころころと押しつぶしながら、乳首を舌で細かくくすぐって、朋子はささやくように聞く。
「気持ちええ?」
「ああ、すごく……」
「うちもええよぉ……?」
 俊雄が見下ろすと、闇の中にほんのり白く浮いたまるい頬と、淡い燐光を放つ朋子の瞳が見えた。
 腹の上で、二つの小さな硬い点がくるくると円を描いているのを、俊雄は感じている。朋子がささやかなふくらみの頂をこすりつけている。
 さらに滑り降りた朋子が、顔を股間に近づけると、その髪に手を当てて、俊雄は引き止める。
「なめ合いっこ、しよう」
「うん」
 朋子が向きを変え、俊雄の顔の両横に膝を立てて、またぐ。その股間に唇を近づけたかったが、頭を持ち上げるのがおっくうだ。俊雄は朋子の果物のようなお尻を外側から両手でつかみ、ひねるように右へ倒した。どさりとシーツに落ちた太ももの間に、もぞもぞと顔を進める。
 うっすらと形が見えるほどの近さだった。朋子のつつましい谷間と小さなお尻の穴が、目の前でひくひく息づいている。しっかり腰をつかまえて、深く顔をうずめた。たとえようもなく柔らかくなめらかな太ももが、それをきゅっと挟み込んだ。
 巴の姿勢で密着した二人の体が、ベッドをきしませてうごめいている。ふむ、くむ、ちゅぷ、ちゅぱ、というくぐもった音が間断なく上がる。俊雄は夢中で朋子の柔らかい部分をいじめていて、朋子も逆に俊雄の硬さを口の中に刻み込んでいた。
 その時間が、異様に長い。灯台の光条が何十回部屋を横切ったか知れない。それほど二人とも、この姿勢が楽しい。お互い絶頂したい気持ちはもちろんある。しかし、それをこらえて長引かせてしまうほど、このむさぼりあいは心地いいのだ。
 いつしか、水道で冷やした肌に汗が浮き、体奥からの熱が全身からにじみだして、ねっとりと二人を包み込んでいた。俊雄の顔は愛液でてろてろになり、朋子もあごの下まで唾液をあふれさせている。二人分の湿気を受け止めて、シーツはぐっしょり濡れている。
 喉まで受け入れていたこわばりを吐き出して、小作りな指でくちくちとしごきたてながら、朋子が低い声でささやく。
「俊雄さん……これ、さっきからびくびくしてるよ。もう限界なんと違う?」
「限界……超えてるよ……」
 目を閉じて一心に舌を動かす合間に、俊雄が短く答える。
「どっかのスイッチをちょっとだけ押したら、おまえがおぼれるぐらい噴き出すよ。出てないだけで、とっくにいってる感じだ。……おまえこそ、これ、もういってるだろ? おしっこみたいに出てくる……」
「わかるぅ……?」
 もじもじと性器を俊雄にこすりつけて、朋子があえぐ。
「イきっぱなしやねん。いつものツーンとくる奴と違くて、ほわほわー、ほわほわー、いうのがずうっとその辺に貼り付いてる。メチャメチャ気持ちええよ。多分、俊雄さんのとおんなじやろね」
「じゃ、つついたら最後までいくかな?」
 冗談交じりに、俊雄は舌でクリトリスをむき出しにして、軽く歯を立てた。反応は想像以上だった。
「あッ……く!!」
 太ももがピンとつっぱり、銛を刺された魚のようにつま先がビクビクッと暴れた。細い声で朋子がうめく。
「し、死ぬかと……」
「死ね、ともこっ」
 ぷくりとふくれあがった粒に、俊雄はかりかりと強く歯を立てた。「きゃは! いあっ! かぅっ!」と朋子がわめき、ビクン、ビクン、とのたうった。
 顔を離して様子を見ると、全身をピリピリと震わせた朋子が、息も絶え絶えに声を吐いた。
「すごすぎるぅ……なんや氷の針で刺されまくってるみたい」
「それなら、入れなくてもいいかな?」
「やっ、いやや」
 朋子が顔をこちらに向けたのがわかった。切迫した声で訴える。
「ちゃんと入れてよ、入れて中ひっかいて。もっと気ぃ狂うぐらい気持ちよぉして」
「ようし……」
 朋子の肌に勃起が触れないように注意しながら、俊雄は体を引き抜いた。もし今先端に触れられたら、即座に暴発してしまいそうなほど興奮していた。
「おら、寝ろっ」
「うん」
 膝から下を交差させて、もじもじすり合わせている朋子を、うつぶせにベッドに横たえた。深呼吸して、その背中に手を当てる。
 乱れたおかっぱの髪から、細いうなじ、突き出た肩甲骨、薄い背筋、ぷくりと丸いお尻、張り詰めた太もも、汗のたまった膝の裏、しなやかなふくらはぎときゅっと締まったアキレス腱、そして切なげに閉じたり開いたりしている足の指――華奢な朋子の輪郭を改めてなぞり、目では見えないすらりとしたその肢体を、鮮明に脳裏に思い浮かべてから、俊雄は両手をお尻にあてた。
 むにむにと手のひらでこね回し、ぐいっと引き起こして割り開いた。朋子が待ち遠しげにそこを突き出す。
「来てぇ」
 両足をまたいで、俊雄は中腰で先端を近づけた。白いたっぷりした肉に囲まれた、中央の暗がりに、そっと差し入れる。
 ゆで上がった果肉の中に潜り込んでいく感触が、直接脳に届いて、ぬぷぬぷという音さえ聞こえたような気がした。股の内側がぶるるっと痙攣して、勝手に射精しそうになり、俊雄は必死でこらえた。
「くぁ、かったぁ……と、俊雄さん、なにこれ……」
 ふうふう息を吐いた朋子が、ベッド押し付けた顔を右に左に向けかえ、たまらなくなったようにぎゅっとシーツをつかんだ。
「どれだけ興奮してるの、もうごりごりやん。ちんちん破裂してしまうんやないの?」
「す、するかもな。何しろおまえの、ものすごくよくって……」
 朋子の尻に指を食い込ませて、俊雄は息を整える。
「ぶちまけたい、もう何も考えられないぐらい……」
「あかんて、もっとぐいぐいしてくれなぁ」
 朋子が尻を左右にふってねだる。ばか! と俊雄はその尻を軽く叩く。
「そんなことしたら、余計いいだろうが!」
「ああん、もう、どうしたらええのよぉ……」
 泣きそうにわめく朋子の中に、思い切って俊雄は強く突き込んだ。
「ひはっ!」
 身を硬くして朋子が鳴く。その背中に覆いかぶさって、注意深く俊雄は動き始めた。自分が感じる以上の快感を朋子にやって、先にいかせてやらなければいけない。しかし、感じさせると自分も気持ちいい。とてつもなく難しい。
 立てひざで腰だけを前後させながら、俊雄は目を開けてまわりを見回し、少しでも気を逸らせようとした。開け放った右手の窓から海が見える。そちらに意識を向けようとする。
 夜半の海は、静かな音を送っていた。強く弱く繰り返す波のざわめきと、遠くに漁船のエンジン音。定置網の赤い標識灯があちらこちらで点滅し、忘れた頃に灯台の閃光がさっと届く。
 こんな景色は初めてではない。夏になるたび、俊雄は日本中でこういう景色を見てきた。寝袋をかぶる必要もない暑い浜で、ラジオの小声の深夜放送を友に、じっと海を見つめていた。
 それと同じような景色を――少女と交わりながら見ている。現実感のなさに、一瞬、夢を見ているような気分になった。
「としお……さぁん……」
 きゅんっ、と奥のほうをひくつかせて朋子がうめき、俊雄の意識を引き戻した。頭がどれだけほかごとを考えていても、体は本能に支配されて務めを果たそうとしていた。さあ溺れろ、達しろとばかりに、濃密な底なしの快感を脊髄に注ぎ込んでくる。
「うち、もぉだめぇ……我慢できへんん……」
 シーツをくしゃくしゃに引き寄せて、朋子が断続的に身じろぎしている。つかの間の物思いの最中も、俊雄は動き続けていた。そのポンプで送り込まれた快感で、朋子は決壊しそうになっている。俊雄をくるむ柔軟な部分が、きゅうきゅう音がしそうなほど引きつって、最後の刺激を待っている。
「もぉ、もぉいいから、来て。熱いの飲ませてぇ」
「いい……のか? 前の生理から、そろそろ……」
「言わんといてよ、いじわるぅ! そんなん言われても、もう止まれへんよぉ!」
「く……そうだよ……な……」
 俊雄もこらえられなかった。自制の掛け金をはずして、最後の絶頂へと走り出す。
 腰を高くして、先端を下に向けた。朋子の腹の裏側を勢いよくえぐり立てる。「ひゃぅ、ひゃあぁぁん!」と朋子が頭に響くような高い悲鳴を上げる。
「それいい、そのままぁ、そのまま最後までぇ!」
「ああ、俺も、ここがっ!」
「うんん、そこで、そこでっ、んゃあ、ひゃぁあ!」
「くぅ、くふっ、とも、ともこっ!」
「としおさぁぁん!」
 びしゃっ! びしゃあっ! としぶきの音が聞こえた。朋子の粘膜に俊雄の大波が叩きつけられた。矢継ぎばやの波を二度、三度、と送り出し、俊雄は言葉も忘れて奥へと流し込む。
「きたぁ……っ!」
 朋子が歯を食いしばってシーツを握り締めた。ねこ毛の髪の毛が風を含んだようにふわっとふくらみ、全身にさあっと無数の汗の玉が生まれた。
 そのまま、時間が止まったように二人は静止した。朋子の髪だけが、ゆっくりと元の形に収まっていった。
 ベッドに立てかけられていた画板がガタンと倒れた。それが合図だったように、二人はどっと倒れ伏した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 重なった二人の重なった吐息が、いつまでも続く。萎えた俊雄のものがこぷりと抜けると、温かく泡立った朋子の入り口が、閉じる花弁のように落ち着きながら、飲み干せなかった白いしずくを名残惜しそうにとろりとこぼす。

 4

 朋子は画帳のバインダーの穴に、小さなリボンを結び付けていた。最初、一番上の穴に結ばれていたそのリボンは、盛夏が残暑へと移るにつれ、下のほうへと移動していった。ある日、岬の小道で、従者のように日傘をさしていた俊雄が、座って絵を描いている朋子の画帳の、そのリボンに気づいた。
「それ、なんだ」
「パラベグマータ、いうんよ」
「ぱらベぐ……なんだそりゃ、何語?」
「古代ギリシア語。釘暦、いう意味。昔のギリシアでは、カレンダーにざーっと穴を開けといて、一日ごとに一つずつ、刺した釘を動かしてったの」
「で、おまえのパラベグは、まさか……」
「わかるでしょ」
 顔を上げてにっと目を細めると、朋子はひいふうみ、とリボンの上の穴を数えた。
「二十三。もう二十三回も。好きやなあ俊雄さんも。いったい何食ったらそないようさん出せるんや」
「……おまえと同じもんしか食ってねえぞ」
「うは、せやった。うちも同罪やった」
 けらけら笑うと、朋子は幸せそうに、カットジーンズのおなかのあたりを撫でた。
「この中に二十三回もなあ……おなかどないなってんねやろな。よう破れへんもんや。不ぅ思議ぃ」
「アホかおまえは……」
 俊雄は呆れて肩をすくめた。結果についてはすでに開き直っていた。朋子のように数えてこそいないが、言いわけもできないほど何度も中出ししたのはわかっている。妊娠するものならとっくにしているだろう。
 が、心配の必要はなかった。夏休みも残すところ数日となったある日の朝、起きるが早いか便所に行った朋子が、なかなか戻ってこないので、俊雄も様子を見に一階に降りた。 朋子は階段の上がりかまちで、青い顔をして座っていた。
「せーり、来たわ……」
「あれ、そうか」
「つまらん。赤ちゃんできたら、俊雄さん引き止められたのに」
「怖いこと言うなよ。そこ喜ぶとこだろ」
「なんで喜ばなあかんねん。だいいち、せーりメチャメチャつらいねんで。血ぃだらだら出ておなか踏んづけられたみたいに痛むんやで。見てみい、これ!」
「わわ、わかったわかった」
 朋子がぐいっと突きつけた、なにやら恐ろしい色のパンツを押し戻して、俊雄は階段の上に逃げた。朋子はふくれっつらで、おんぼろの洗濯機のある裏へと出て行く。
「もう、この島、ロリエもウィスパーも売ってへんから、江戸時代みたいに手ぬぐい使うしかあらへんし、俊雄さんは冷たいこと言うし、最低や……」
「悪ぃな」
 外の朋子に窓から手を振って、俊雄は畳に座り込んだ。
 妙な気分だった。がっかりしていたのだ。
 朋子が妊娠していれば、逃げられない。なんとかするしかない。どうなんとかするにしても、今までの生活は壊れて新しいことをしなければいけない。それでもいい、いっそそのほうがいい、と思っていた。
 でも、していなかった。
 俊雄をこの島に強制的につなぎとめるものは、来たときと同じように、何もない。そして、夏はもう終わりだった。
 別に東京が恋しくなったわけではなかったが、俊雄は潮時が来たのを感じていた。それも、あまり積極的な気分ではなかった。ここに残りたいのだが、それをしてはいけない理由がある、そんな気持ちだ。
 少し考えて、俊雄はその理由に気づいた。
 自分がここに留まることは、ある意味で安定できる。女の子の家に居座る居候だという引け目はない。腕一本で食わせてやれるのだから。
 しかし、朋子が。
 あの天真爛漫な、小魚のような生命力と好奇心に満ちた少女が、外の世界へ出ることなく、出る必要もなくなって、ここでずっと暮らすことになってしまうのは、かわいそうだ。
 終わらせるべきだろう。
 ひどく億劫だったが、俊雄はその結論を認めた。認めると速かった。一ヵ月以上暮らして、それなりに散らばってしまった自分の荷物を、部屋中からかき集めてひとまとめにする。広くもない部屋のあちこちから、朋子のカチューシャや朋子の箸や朋子の靴下や朋子のパンツがぞろぞろ出てきて呆れたが、今さらそれらにどぎまぎしたりしない。ざっくりまとめてみかん箱に放り込んでやった。
 ただ――一つ、気になるものがあった。
 画帳。画板のクリップに挟んであるそれを取って、俊雄はページをめくった。自分のあれを描かれたとんでもない一枚を、苦笑して破り、他のものに目を通してめくり続けた末、一枚の、青と赤が入り混じった奇妙な絵で、手を止めた。
 それは、それを描いている朋子を俊雄が無理やり犯して、途中で止めさせてしまった、窓からの景色の絵だった。あの後、夕方になって朋子は描く気を取り戻し、たまにはヘンなのもええやろと言って、昼の青い空に夕暮れの赤い海を描き足したのだった。
 この一枚の空と海の間に、二人がしたことが挟まっている。
 俊雄はそれを破り取り、まるめて荷物に突っ込んだ。
 階段に足音がして、朋子が顔を出した。ぎゅうぎゅうにしぼった濡れパンツをほぐして、窓際の物干しにぶら下げる。ふと振り返って、部屋の中を見回した。
「あれ、片付いてる……」
「おう、小さな親切」
「大きなお世話や。そこらへんのはそのまま使えるものなのに。一応、洗い物は下に持ってってるんやから」
「そんなずぼらじゃ、お嫁さんになれねえぞ」
「ええよ、別に。掃除してくれる人と結婚するから」
 いい加減なことを言って、朋子はベッドに向かった。俊雄が元の位置に戻した画板を取って、飽きもせずまた、窓際で絵を描き始める。
 途中で一度、振り向いた。
「俊雄さん」
「なに?」
「ん……別に。そこにいてへんような気がしたから」
 そう言って、また窓の外を向いた。
 肩の上でさわさわとなびく髪と、白いブラウスの下で動く肩の骨を、俊雄は日暮れまで見つめていた。

 5

 翌日の明け方、俊雄はカブに荷物をしばりつけて、エンジンをかけずにそこを離れた。朝一番の連絡船に乗るとき、朋子の祖父と顔を合わせたが、ちょっと買い物にというと、無言で見送ってもらえた。後で気づいたが、彼は悟っていたのだろう。俊雄が出て行くと決めた時点で、引き止める価値がなくなったということに。彼が朋子にあてがいたがっていたのは、望んでこの島にいてくれる男なのだから。
 国道二号と一号をえんえん走って帰る途中、本州が風速何十メートルだかの恐ろしく凶暴な台風に直撃されて、浜松のあたりで大ゴケした。愛用のグラスロッドが鞘ごと折れるほどの派手な転倒だったが、二つばかり奇跡が起きた。俊雄がかすり傷で済んだこと、そしてザックの中のあの絵が濡れなかったことだ。
 九月には、何事もなかったように大学に出た。以前と変わらぬせわしない日常が戻ってきた。レポートを書き、教官に叱られ、電話をかけ、飲みにいき、女の話をし、借金を頼まれ、カブを乗っていかれ、壊され、直され、お詫びの一升瓶を持った友達に、アパートを訪ねられ――
 その友達が美大の男で、壁に貼っておいた朋子の絵に目を留めた。
 伊達ものの八角眼鏡をいつもかけて、利いた風な美術論をふり回すそいつが、これは誰のだと聞いたとき、またぞろ薀蓄だな、と俊雄はいたずらっ気を起こした。それは瀬戸内海の何々島に住む人が手すさびに描いたもので――ここまでは本当だ――その人は画壇を嫌って隠棲した、有名な前衛画家だ、と吹き込んだ。
 八角眼鏡はふんふんうなずいて聞いていたが、最後のところで首をふって、前衛じゃないね正統な印象派だ、とのたまった。俊雄は肩をすくめ、カラーコピーをとらせろと言ったそいつに、一晩だけその絵を貸した。他人にその絵の含みがわかってたまるか、という自信のようなものもあった。
 絵は無事帰ってきたが、また客にその絵のことを聞かれるのはわずらわしかったので、丸めて本棚の上に置いた。それが悪くて、じきに俊雄はそのことを忘れてしまった。
 秋が深まり、冬が来て、それが終わり、春になった。俊雄は全ての単位を取り、落第もせず法学の三年になった。講義は単調だが消化できないわけではなく、そのまま法曹の世界へと人生のレールを進めそうな気がした。ただ、恋人だけはできなかった。好意を示してくれる女もいたが、ある距離より近づかれると急に吐き気がして、丁重に断った。そういう時思い出すのは、何のためらいもなく触れられた細い肩と、大物を釣って岬の小道を降りるときの誇らしげな気持ちだった。ただ、それはすでに漠然とした夢の思い出のようなものになっていて、ともすれば現実の記憶だとは思えなくなっていた。
 だから、その名を聞いたとき、誰のことだかわからなかった。
「平良さんがお会いになりたいと言っています」
 六月日曜日に電話をかけてきたその男は、俊雄でも知っているある有名な画廊の主人だと名乗ってから、そう言った。寝起きでぼんやりとしていた俊雄は、おうむ返しに聞いた。
「平良さん?」
「ご存知ありませんか。あちらはあなたのことをよく知っているそうですが」
「さあ……ちょっと覚えがありませんが」
「会えばわかるそうなんですが……東京にいられるのは明日までなんです。今日はお忙しい?」
「ええまあ。明日の午前中ならいますけど」
「じゃ、十時にうかがいます」
 一方的にそう言って、男は電話を切った。俊雄はしばらく受話器を見つめていたが、すぐにそれを置いて二度寝した。実は今日も予定はない。ただ、やたらと疲れているだけだ。 まあ誰でも構わない。人違いならすぐ帰るだろう。ああでも、午後は地裁に傍聴にいくから遅れたらまずいな。早めに切り上げてもらわないと……

「俊雄・さんっ」
 アパートの玄関に現れた少女を、俊雄はぽかんと口を開けて見つめた。
 セミロングの髪がふわりとかかった、夏服セーラーの襟がまぶしい。それが引き立つのはおいしそうな小麦色に肌が焼けているからだ。半袖からのぞくほっそりした腕はなぜか白いのに、かわいらしい丸い頬は夏を先取りしたような肌だ。
 いや、俊雄が驚いたのはそんなことにではなく――
「ああ、これな。実は雪焼けやねん」
 そんなことに驚いているのではないのに、少女は昨日会った友達に説明するように、軽やかに言った。
「雪見たことない言うたら、この佐和瀬さんが四月に大雪山連れてってくれてな。そこで三日ぐらい絵ぇ描いてん。そしたら見事に焼けてしまった。ゴーグルしたら色わからへんようになるから、目ぇ出して描いたんがまずかってんなー。そのあとチカチカして参ったわ。やっぱり島がええ」
「……朋子ちゃん、か?」
「他の誰に見えるの」
 朋子はぷっと頬をふくらませてにらんだ。あーあー、と俊雄は人目もはばからず大声を上げる。そうやってふくれると、多少は女らしかった顔の輪郭が一気に幼くなって、去年の夏に見たままの表情に戻ったのだ。
 ごほん、と太い咳払いが聞こえた。俊雄が半開きのドアをさらに開けると、高そうなスーツを身に着けた、恰幅のいいサングラスの男が立っていた。朋子の横から名刺を差し出す。
「わたくし、昨日お電話さしあげた、Mギャラリーの佐和瀬と申します。平良さんが、上京のついでにあなたのお宅をご訪問したいとおっしゃるので、あなたのご友人の恵庭さんに住所電話をお聞きして、お訪ねした次第で……」
 恵庭というのは、例の八角眼鏡の美大生の名前だ。そうと聞いても、成り行きがさっぱりわからない。一番わからないのは、この見るからに洗練された都会人という感じの紳士が、人もあろうに朋子をうやまい奉っている理由だ。
「朋子ちゃん、この人とどういう関係?」
「ぱとろん、ていうんかな。絵ぇ買ってもろてる」
「絵……朋子ちゃんの絵を、お金出して?」
 俊雄が目を白黒させると、佐和瀬が責めるように言った。
「あなたご存知ありませんか、『炎黎』。外務大臣賞になった。今年の日春展で」
「はあ?」
「ご存じないのね、まあ法学の学生さんじゃしょうがない……」
 横を向いて佐和瀬はぶつぶつ言う。朋子が首を伸ばして、アパートの中を覗き込んだ。
「俊雄さん、あの絵ある? ほれ、うちのとこから盗ってったやつ」
「盗ってったって、人聞きの悪い……ああ、あれか。うん、確かに盗ってったな」
 頭をかいて、俊雄はずっと棚の上に放り出してあったあの絵を持ってきた。悪かった、と差し出してから、やや居直ったように言う。
「でも、わかるだろう。俺だって忘れたくなかったんだ」
「そのわりに、誰だかわからへんみたいやったな」
「いやそれは……何しろこっちの暮らしは忙しくて」
 俊雄がへどもどしていると、佐和瀬が丸まった紙を開いて、ほうとため息をついた。
「やあ、これだ。これがオリジナルなんですね。思ったとおり、素描にして見事な色使いだ。やっとめぐり合えた」
「……なんの、オリジナルなんですか?」
「わたくしが見せられたカラーコピーのです」
 佐和瀬は紙に穴が開くほど絵を見つめながら言う。
「あなたが恵庭さんにコピーをとらせ、恵庭さんが教授に見せ、教授がわたくしに見せた、それのです。一目見て感じるところがあったので、逆のルートで恵庭さんに作者をお聞きしました。手がかりは島の名前だけでしたが、簡単に見つかりましたね。何しろあの島で絵など描いていたのは平良さんただ一人でしたから」
「それで……あなたが朋子ちゃんを、画家として発掘した?」
「さようです」
 佐和瀬は絵を大切そうに丸め、朋子に目を移した。
「最初にお会いしたときだけ、信じられませんでしたがね。画帳を拝見して不明を恥じました。五、六幅習作を描いていただいてから、大雪山で挑戦していただいたのが――『炎黎』です。見事に受賞しましたよ」
「へええ……」
 やっと経緯がわかって、俊雄は深々とうなずいた。ただ、納得したわけではない。単純に驚いているのだった。
 朋子に目を向ける。
「おまえがなあ……」
 誉める言葉の一つでもかけてやろうとすると、不意に朋子が顔を曇らせた。伏し目がちになって何かつぶやく。
「……つもりやの」
「え?」
「どーゆーつもりや、言うてんの!」
 ぼすっ、とこぶしが俊雄のみぞおちにめり込んだ。うげっと体を折る俊雄に、眉を吊り上げた朋子が怒りの言葉を浴びせる。
「あんなに楽しー夏休み過ごしたのに、一言もいわんと出てってしまうなんて、あんた何考えてんの! うちメチャメチャ泣いたんやで! もうほんまに海に身ぃ投げて死んだろか思たわ!」
「そ、それは悪かった……よく死ななかったな」
「あ、身投げはやめた。泳げへんから」
 あっさり言って手を振ったが、目は笑っていなかった。上目づかいににらみつける。
「教えて。あんたが出て行ったのは、東京のほうが楽しいから?」
「それは違う」
「じゃ島が嫌いになったから?」
「それも違う」
「うちが嫌いになったからか!」
「違う違う、言っただろう、忘れたくなかったって」
「そんなら! そんならなんで行ってしまったの!」
「……朋子ちゃんが、かわいそうだったからな」
 俊雄は、言いわけでしかないとわかっていながら、言った。
「俺なんかと一緒にいても、先行きがないからな。おまえはまだいろんなことができる。その可能性を、狭めちまうのが悪い気がして……」
「ほんま?」
「ほんま」
「ほんまにほんま?」
「いや、本当だって。冗談でなく」
「だったら、晴れて島に戻れるわけやね」
「……は?」
 しおらしく謝っていた俊雄は、思わず目をこすった。朋子が、にんまりと笑っていた。
「うちの可能性、でっかく花開いてるやん」
「あ……」
「これから絵ぇ描いて暮らすわ。もちろん学校は出るけどな。言うたやろ、奨学金もろてるて。これでも優等生なんやで。ほんで学校出たら毎日絵ぇ描く。島暮らしでもさしつかえない。結婚相手に縛られる仕事でもない。俊雄さんがまた転がり込んできても、全然まったくもーまんたいや」
「え……その……なんで俺?」
「魚、食べたいもん」
 文句があるかといわんばかりにあごを上げて、朋子は俊雄を見つめた。俊雄は立ちすくんだ。
 とんでもない話だ、と思った。都会の暮らしにも再び慣れ、順調に将来への道を定めつつあった自分をつかまえて、島で魚を釣れ、と来た。誰がこんな申し出にイエスというのか。
「なあ」
 朋子が、ほんの少し違う口調で言った。俊雄は瞬きして彼女を見つめた。
「嫌や、ないんやろ……?」
 そのわずかな口調の揺れで、俊雄ははっきりと感じた。朋子の、必死の虚勢を。
 室内で電話が鳴った。ちょっとどうも、と俊雄は逃げるようにして引っ込んだ。受話器を取り上げる。相手は講座の友人だった。
「もう出たか? ってまだ出てないな。ちょうどいいわ、九十五年の判例集忘れたから、おまえ持ってきてくれよ。んで待ち合わせ場所も変更な。ややこしいからファックス送る。あと、おまえ携帯持てよ、不便だから。それと五時過ぎに」
 俊雄は電話を切った。
 昼からの予定が、友人と教官とその他もろもろの人々と話し合い関わりあうことが、この大きな町で暮らすために必要なありとあらゆる義務と行動が、砂上に楼閣を築くような空しいことに思えてきた。
 振り返る。戸口に、少女のほっそりした頼りないシルエット。
 釣って渡し、描いて眺め、愛し合う。ただそれだけの暮らし。
 俊雄は、苦笑した。
「……どうにもシンプルだね」
 戸口に出る。朋子が、まつげをかすかに震わせて、いつわりの自信で支えた声で、尋ねた。
「な、いつ出発する?」
「今」
「……い、ま?」
「おう。ちょっと待ってな、荷物まとめる」
 背を向けてもう一度中に入ろうとすると、朋子がはじけた。ものも言わずに背中に飛びついて、安堵か悲嘆かわからない嗚咽を漏らす。
「いま、いま……来て、くれるんやね」
「まあな。ほれ放せ」
 そっけなく言ったが、朋子は離れなかった。うええん、と子供のように泣いて、背中に貼りついていた。俊雄が振り向くと、佐和瀬は肩をすくめ、くるりとむこうを向いた。話のわかる人物のようだった。
 ようやく俊雄は、朋子を抱きしめた。
 とろけそうに甘えた声で、朋子がささやく。
「帰ったら、いっぱいしような。今度は、赤ちゃん作ろうな」
「そうだな、しような。そんで、また海を見ような」
「うん……」
 涙交じりの口づけの少し塩辛い味に、俊雄はあの海を思い出す。
 そしてもう一度、帰る渚を。

―― おわり ――



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