陸標台へ二人旅  後日談 1  昼飯時には遅いころ。ピントの街の広場から一本入った路地にある、歌鍋軒のドアを押し開けて、女剣士のサンギータが叫んだ。 「ザムさん、お湯いっぱいください!」  床にモップをかけていた、店主のザムザム・ジンが叫び返す。 「サンギータか、どっちだ!」 「洗うほう!」  ザムはフロアの奥の暖炉にかけっぱなしになっている、カラカラと歌っているような大鍋から、手桶にいっぱいの熱湯を汲んで戸口に持ってきた。 「ほらよ」 「ありがとう」  サンギータは店に入らず裏へ回って、厨房の横にある小部屋の戸を開けた。中の床は石張りだ。ミツレルが後について入ると、しっかり戸を閉めて説明した。 「あなたは初めてですよね。ここはシベット隊ご用達のお店なんですけど、傭兵が外で汚れてきたときは、まず洗い場で洗えって言われてるんです。血や泥にまみれたまま店に入るなって」 「『どっちだ』って聞いてたのは?」 「洗うか飲むかってこと」  言いながらサンギータがマントを外し、上衣を脱いだのでミツレルはぎょっとした。女剣士は残りも思い切りよく脱いでいく。 「あの、ギータさん」 「ここに男は来ないから心配しないで」  瞬く間にすらりとした大柄な裸身を晒すと、サンギータは隅の水がめで熱湯を割り始める。ミツレルが裸になるのは覚悟が要ったが、サンギータが手ぬぐいを搾る姿を目にすると、数日前の熱い夜が思い出されて、胸が高鳴った。 「ギータさん……拭き合いっこ、します?」  振り向いたサンギータが何かに気付いた顔をする。 「あの猟師小屋みたいに?」 「ええ」 「昨夜したばっかりですよね?」  魔女トワチカとの戦いのあと、川を下って花の淵で一泊した。その小さなテントの中で愛し合った。  誰はばかることのない満ち足りた交わりだったが、だからこそ、だった。 「はい。あれがとってもよかったから、もう一度、って……」  ミツレルは恥じらいに頬を染めながら、ふっくらとした柔らかな裸身を前に進める。  それを見たサンギータが顔をこわばらせて瞬きした。 「あれでお互い、体のすみずみまで……したでしょう。それを洗い落とすんです」 「ギータさん」 「ミツレルさん、思い出して。ここはもう街です。女同士で愛し合うものはいません。それだからこうして一緒に湯浴びできるんです。私たちはただの仲間である二人に戻って、ここを出なきゃいけません」 「それは……そうですね。あたしたち、ただの仲間なんですね」  ぐうの音も出ないほどの正論だった。ミツレルはうなだれる。  するとサンギータがミツレルを引き寄せて、正面からそっと抱いた。 「わ――」  淡い朱鷺色の柔らかな乳首をいただく、滑らかで形のいい双丘の谷間が、ミツレルの顔をしっとりと挟んだ。乳房の間に溜まっていた青草のような汗の香りが鼻をくすぐる。そしてミツレルの丸い豊かな乳房はサンギータの腹に受け止められる。  へそのあたりにふなふなした頼りない器官が当たった。抱き合ってからほんの数秒で、その器官はひくんひくんと伸びあがり、ずっしりとつややかに成熟して、ミツレルのへそのあたりに食い込んだ。 「わぁ……」  ミツレルは胸がどきどきして、頬が熱くなる。思わずそのまま愛撫を始めようとすると、サンギータがそっと制止した。 「今はそこはさわらないで」 「しないんです?」 「しません。肌と肌を覚えるだけです」  その言葉がすーっ意識に染み通り、ミツレルは自分がしていることに改めて気づいた。  生まれたままの姿で人と抱き合っている。  そんなの、これまでの人生でしたことはなかったし、執事を目指す自分にとって、この先もするはずのないことだった。  サンギータの頼もしい肌がぴったりと重なっている。あるところはうらやましいほどしなやかで、あるところは息が詰まるほど硬い。それらに余すところなく触れられて、顎が上がるほど満たされてしまう。  それと同じように自分に触れるサンギータも、柔らかさや重さや匂いや心地よさを感じ取ってくれているのが、手つきからわかった。  ミツレルは夢中になって唇を求める。サンギータも溶け合うような抱擁をしながら、深く口を合わせ舌を差し込んできた。 「ギータさん……!」 「んん……」  しばらくすると、外から苛立たしげにドアがノックされた。 「おいサンギータ、早くしてくれ。沼蛇狩りの連中も帰ってきた。あんたらの十倍も臭いんだ」 「わかった、急ぐわ!」  店主に答えると、サンギータはようやく腕を離した。ミツレルも腕を緩めたが、いまだにそそり立っているサンギータの見事なしるしを見て、ちょっと笑う。 「これ……収まりますぅ?」  実のところ、サンギータの男根の目の前で、ミツレルの秘所もまた熱く潤っていた。今すぐにでもつながれる状態だった。  だがサンギータは目を閉じて深呼吸し、背を向けた。 「こらえます」 「ええ?」 「この気持ちは発散せず、取っておきましょう。また今度、ね」 「……はぁい」  次はいつになるのかわらない。いや、次はないかもしれない。  それを口には出さず、二人は手早く体を洗い終えた。   2  外で待っていた粘液まみれの一行に洗い場を譲ると、二人は店に入った。するとこちらから話しかけるまでもなく、ザム店主が湯気の立つスープ皿を持ってきて、二人をテーブルに促した。 「まあこれでも飲め。気を落とすなよ」 「気を落とすなって?」 「任務失敗だろ。赤陸標がまだ点いてねえ」  椅子に腰を下ろした二人は、顔を見合わせた。言われてみれば、誰の目にも止まることだった。 「任務のことは隊長から?」 「ああ、話してた。サンギータがついてるから楽勝だろうってな。おれもそう思ってた。どこでしくじったんだ?」  盆を片手に、店主が見下ろす。サンギータが答えた。 「実はだいぶ長い話があるのだけど、最初に結論だけ言っておくと、ミツレルさんはしくじってないわ」 「ほう? どういう意味だ」 「彼女はハルハナ迷林の淫魔を根こそぎ退治したの。だから、赤陸標はもう必要ないの」 「ハハッ、そいつはすごい。見習い執事の戦果にしちゃ大手柄だな。ごほうびにそのスープ代はまけとくぜ」  店主は笑い、腕組みする。その目は、「で?」と訊いている。まともな人間が信じられる話ではない。  そのとき、場の空気や流れをまだ読めないミツレルが、立ち上がって声を張り上げた。 「あたしじゃないです、やったのはギータさんです!」  店主が肩をすくめる。 「何をやった?」  サンギータは額を押さえながら答える。 「魔女トワチカを倒した」 「ほう? どういうやつだった? 国境越えの強力な魔物か、それともどっかの気の触れた法儀師のなりすましか?」 「どれでもないわ。真正の、一九〇年前の魔女トワチカを、私たちが倒したの」 「ギータさんが、です!」ミツレルは強力に訂正する。「あたしはおびき寄せて少し囮をやっただけで、本当に面と向かって斬り合って倒したのはギータさん。鉄竜剣士のギータさんの手柄です!」 「傭兵組合の基準にきっちり照らしても、あなたにも手柄はありますよ、ミツレルさん。どちらもあの場で直接戦ったんだから。ええ、はっきりさせておきましょう。私たち二人の手柄は等分です」 「そういう……ことなら、はい、まあ」  ミツレルがようやく受け入れて、照れくさそうな笑みを浮かべた。  その無垢な笑顔が、サンギータにしてみれば強力な証拠だった。店主に目をやって、ほら、という顔をしてみせる。 「陸標台のてっぺんで戦って倒したの。赤玉はその時割れてしまった。だから今でも点いてないのよ」 「……おいおい、鉄竜章にかけて、マジの話なのか?」 「シベット隊長の真珠杖に誓って本当よ」 「ちくしょう、大ごとだな。みんな集まれ! 聞いてくれ!」  店主の呼びかけで、店にいた十数人が集まった。  それで、サンギータはつぶさに事情を語った。女大工の集落に着いたこと、昔の縁で泊めてもらったこと、夜中にトワチカが襲ってきたこと、地底に落とされてから巨大グモを倒して脱出し、陸標台で決戦したことなどを(ただしもちろん、大コウモリのキキリー・ククのことと、女二人の情愛については除いて)。 「……それで私たち二人、偶然、かろうじて勝ったというだけで、とりあえず他のことはすべて棚上げして帰ってきたのよ」 「他のことってなんだ?」  うなずきながら聞いていた客の一人が訊く。サンギータは答える。 「ビッスス一門の女たちを何人も殺してしまって、仮埋葬もしていない。すべて身を守るためだったから、やましいことはないけれど、もう少し後始末をしたかった」 「いや、そいつはかえってよかったと思うぞ」とザム店主。「生き残りや目撃者はいなかったんだろう? だったら下手に片付けや埋葬をすると、おまえが悪事をやってもみ消したんじゃないかと、後になって疑われかねない。すべてそのままなら、証拠も残ってる。領主の審問に耐えられるな?」 「もちろんよ。隠さず話して、調べてもらうつもり。そのために帰ってきた」 「あんたが倒した首領は本当にトワチカなのか?」と常連の剣士が訊く。「見た目は別人だったんだろう? じゃあトワチカを名乗るニセモノかもしれんじゃないか。よくわからんのだが」 「二体のしもべ、『闇足』と『雨傘』を従えていたから、間違いなくトワチカよ。『雨傘』のほうは逃げてしまったけれど、みんな知ってるでしょう。ただ肉体が一九〇年も長生きしたのではなく、魂が歴代の女大工に取り憑いていたというだけ」 「魂って、それじゃああんたが斬ったのは、ただの女大工だということにならんか?」 「皆さん何を言ってるんですか?」  ミツレルが口を挟む。今までサンギータの横でおとなしく聞いていたが、我慢できなくなったのだ。 「あれは間違いなくトワチカです、主の光に苦しんでいました。そうでなくても手ごわい悪党でした。それを倒したのに、よくやった、ご苦労さまの一言もないなんて……」 「いや、だって」「なあ」「ねえ」  一同は困惑して見つめ合う。一瞬ミツレルは、自分たちがカーニム(犬人)とエルミン(長鼠人)という獣人であるせいで、疑われているのではないかと不安になった。  しかし、そういうわけでもないようだった。前掛け姿の商人らしい男が言う。 「おこじょの嬢ちゃん。いや執事さんか。あんたが嘘つきだと言ってるわけじゃないんだよ。おれたちは前からサンギータのことを知っているが、領主の判事にとっては赤の他人だ。連中の目に入るのは死体や何か、今あるものだけだ。連中を納得させるものがいるんだよ」 「納得させるもの……淫魔が出なくなる、じゃだめなんですか?」 「淫魔が出なくなる?」一座がざわつく。「そうなったらすごいが」「ほんとにそうなるのか」「でもつながりがわからんな」 「そうなったらえらいことだよ」でかいジョッキで温酒を飲んでいた婆さんが言う。「そうなったら男どもみんなが森に入れる、焚き木を取れるし山菜も取れるし、豚も飼える。ハルハナは見違えるようになるよ」 「たいしたことだな」  風向きが変わってきたようだった。ミツレルは必死で考える。納得させるもの。納得させるもの。 「……地底の死体!」  声を上げた少女執事を、みなぎょっとして見つめた。女剣士が冷静に指摘する。 「『闇足』のほうですか? あれは誰も知らない怪物だったから、証拠とするには弱いかも……」 「そっちじゃないです、何人も死んでたじゃないですか。骨だけになって」  ああ、とサンギータの顔が明るむ。 「確かに、魔女の犠牲者たちの遺体がありました! あれはひと目で昔のものだとわかるから、魔女の悪行を立証できる。調査隊に入ってもらえば――」  そこまで行って、またサンギータは眉根を寄せる。 「……あの洞窟の出口をもう一度探して当てるか、村の母屋で落とし穴の仕掛けを見つけなければいけないわけだ。どっちも簡単じゃないですね」 「戦ってましたし、暗かったですもんね。ううん」  二人が困り果てたとき、ザム店主が横から言った。 「何か持ってこなかったのか、証拠になりそうなモノは」 「魔女が魔女である証拠なんて何も――」  困惑して答えようとしたサンギータは、ふとあることを思い出した。  いきなり立ち上がって、椅子の後ろにかけていた剣をテーブルに置いた。錆び付いた古い剣だ。 「これです。この剣」 「なんだそれは」 「洞窟の死者から借りた剣です。これでトワチカを倒しました」 「ほほう?」「おう、剣なら見てやる。寄越せ」  運よく常連の中に鍛冶屋の男がいた。受け取った錆剣を調べて、妙な顔をする。 「なんだこりゃあ、抜けないぞ。これで倒したって言うのか?」 「ええ、抜けません。だから振り回して」 「棍棒代わりにしたのか? なるほど、確かにやたらとぶつけてる。無茶するねえ。……しかし鞘も壊れてないし柄も緩んでない、と」  業物のようだがな、と呆れ半分で目を凝らしていた鍛冶屋が、ふと真顔になった。 「錨紋だ。これは……マルキンドハンの錨か?」 「なに?」 「マルキンドハンのアバラ錨紋章だ。しらんか?」 「どこの剣士?」  尋ねたサンギータを、鍛冶屋は目を丸くして見つめた。 「どこじゃないよ、北氷街道縦貫御免だ。六ヵ国すべてで試し剣になった南洋生まれの大剣士、ジグロス・マルキンドハンの名を聞いたことがないのか? 誰も?」  周りを見回すと、聴衆がいっせいにうなずいた。 「ああ、ジグロス!」「鉄靴ジグロスか」「北氷街道を百往復もしたっていう人だよね」「確か四十年ぐらい前にいなくなったんじゃ?」「あのジグロスかよ。マルなんとかじゃわからんよ」 「悪かった、剣は家系を下るから、鍛冶は家名で呼びがちなんだ」  鍛冶屋はぶつくさ言うと、サンギータに剣を返しながら、今度は真剣な目で見た。 「遺体はどうだった。ジグロスらしかったか?」 「ジグロス本人を知らないから何とも。大グモの糸でぐるぐる巻きの骸骨だったから見分けもつかないと思う。ただ、探せば他の装備も残ってるかも」 「もしあれば、決め手になるな」  ザム店主がうなずいた。 「サンギータが生まれる前から死んでいたジグロスが見つかったら、女大工はトワチカだということになり、お前の勝ちだ。この剣があれば、そういう調査をしてもらえる……」 「それで証明されたら、みんなは祝ってくれる?」  聴衆は顔を見合わせると、口々に言った。 「ああ、もちろん」「おめでとう、サンギータ。それに執事の、なんだっけな?」「ミツレルです!」「ミツレルちゃんも」  まだ実感がないままのまばらな労いだったが、サンギータもミツレルも、ようやく笑顔で応えることができた。  だが、すぐにまた困惑することになった。ザム店主がこう言ったからだ。 「じゃあおまえ、方針も決まったことだし、今から領主館へ行って捕まってこい。そして白黒はっきりさせるんだ」 「今から?」サンギータは顔をしかめたが、しぶしぶうなずいた。「まあ、仕方ないのか。でも明日から傭兵任務だったのに」 「無理だな。後日に回していい件じゃない。下手に逃げたら罪を着せられる。おとなしく協力して来い。シベット隊長にはおれから伝えておくから」 「はぁ……」  サンギータがうなだれると、ミツレルが横から手に触れて、微笑みかけた。 「ギータさん、大丈夫ですよ。一緒に行って、説明しましょ。それで、褒めてもらいましょう」  少女の洗いたての顔がつやつやと輝いている。サンギータは軽く息を吐いて、うなずいた。 「そうしますか。――まだしばらく一緒にいられるし」  二人が出て行こうとすると、「おい」と鍛冶屋に呼び止められた。 「その剣、一千ストナッツで置いていかないか」 「一千?」  周りがざわついた。この酒場に半年は入り浸れる。抜けない錆剣の代価としては破格だ。  鍛冶屋は大まじめに言う。 「本物の鉄靴ジグロスの剣だったら、領主の佩剣にすらもったいない代物だ。この先、目利きのやつならみんな欲しがるよ。だからその前に、だ」  だがサンギータは首を振った。 「ごめんなさい、これは持っていたいから」 「そうか、じゃあ仕方ない」鍛冶屋はあっさり引き下がる。「手入れが必要なら言ってくれ。他のやつを信用するなよ」 「ありがとう」  礼を言って二人は出て行った。  空いたテーブルで、二人分の女の香りが薄れていく。人の輪が崩れる中で、鍛冶屋がふとつぶやく。 「しまったな、あれは間違えた」 「うん?」 「言うなら、あんたの剣を打ってやる、だったかもしれん」 「買いかぶり過ぎだろ」  ザム店主が笑ってスープ皿を片付ける。 3  役人たちの扱いは、だいたい酒場の店主が予想した通りだった。サンギータは取り調べられ、赤陸標調査隊に同行させられることになった。  予想外だったのはミツレルの扱いだ。彼女は解放されることになった。理由は皮肉にも、昇格前の見習い執事だったからである。 「見習いですけどあたしも一緒にやってました! サンギータさん一人の責めじゃありません!」  城館から追い出された少女は喚いたが、通じるものではない。肩を落として立ち去るしかなかった。  放免されたミツレルは、傭兵組合を経由してダイアイアー教会付属の修道院に帰る。修道院は街の広場に面した教会堂の裏手に建っている。槍つき柵と痩せた大樹に囲まれた、広大だがどこかうら寂しい、古い建物だ。 「見習いミツレル、ただいま戻りましたぁ……」  鎧戸をガンガン叩いて入れてもらうと、小柄で丸顔の少年のような司祭が迎えてくれた。  まずは片手で身の前を撫で合って、帰館の祝祷を交わす。 「サークルアー・スルピリエオイルーア。おかえり、ミツレル。無事のようだね」 「サイ・オイルーア、クーバルト司祭。おかげさまで」 「手足を洗って、休むかい?」 「いえ、だいじょぶです。夕課からやります」 「じゃあ荷物を貸して」  司祭はミツレルの大きな背負い袋を片手でひょいと持って、廊下を歩き出した。  このランルーエー・クーバルト司祭が、ミツレルを北の村から連れ出してくれた。丸っこい童顔にいつも微笑みを絶やさない温厚な人で、巡回司祭をしていたころは、しょっちゅう詩人とか針売りなどの行商の少年に間違えられていた。澄んだ声で祝祷を唱え始め、額に巻いた信冠が本物だと気付いてもらえると、ようやく扱いが変わるのが常だった。  足腰はミツレル以上に頑健で、悪に染まらず、弱きにやさしく、法儀と地理と政情に詳しい。ミツレルが実の親のように信頼している人物である。  そんな人に、まずは失敗の報告をしなければならないのが残念だった。 「あの、司祭さま、すみません。赤陸標、点けられませんでした。それにサンギータさんが捕まっちゃって……」 「鉄竜サンギータが?」  先を行く司祭が振り向いた。 「何か悪事でもしたの?」 「いえっ全然まったく! でもお役人には説明が難しくて、半分誤解されてて」 「ふむ。花冠は咲いているね」  クーバルト司祭は顔を近づけたが、白丸耳のミツレルの頭を間近で頭を見て眉をひそめた。 「――花冠を作り直した? 様式が変わっているような」 「はひっ」  ミツレルは首をすくめる。さすがは司祭、ひと目で気付かれてしまった。 「あ、ミツレルだ」「ミツレル、おかえり!」「半年ぶり、任務どうだった?」  夕方の祈祷をしにいく友人たちが前方の廊下を横切る。そちらに手を振って、司祭がミツレルにささやいた。 「赤陸標が点いてないのはうちからも見えていた。何か理由があるとは思っていたよ。あとでゆっくり聞かせてもらうね」 「はい……」  司祭にうなずいて、ミツレルは仲間たちと合流した。  聖堂で祈祷と合唱し、晩餐を取り、晩課の学びと作業を終えて、夜の祈祷をする。ミツレルにここを出る決心をさせた、退屈な決まり切った時間割のあとで、司祭の部屋に出頭した。  陸標台への驚くべき二人旅の経緯を、ミツレルはぽつりぽつりと語った。すると司祭はあっさりとうなずいた。 「昇級任務に傭兵仲間の女人と出かけて、隠れ住んでいた古い魔女を倒し、森の淫気を払った、とね。――なるほど、大冒険だ。よくやったね」  てっきりまた疑われるだろうと思っていたミツレルは、驚いて聞き返す。 「信じてもらえるんですか? あの、サンギータさんによれば、任務の失敗が帳消しになるぐらいの戦果らしいんですけど」 「少なくとも卒業試験そのものを見直さなければならないだろう。それを当の卒業試験生が引き起こしたんだから、大戦果といっても間違いないよ。きみの昇任はまず間違いないだろうね」 「そうなんですか? ――そのわりに、司祭さまはそんなに驚いてませんね」 「ちゃんと驚いてるよ。うちのコロコロちゃんがそんな手柄を上げたなんて、と」 「それ、やめてくださいってば」  好奇心で駆けていっては転んでばかりだった、子供のころのあだ名に抗議すると、司祭は笑って答えた。 「はは、悪い意味じゃないよ。駆けていくのが好きなきみだからこそ、ひょんなことから大きな事件に出遭えたんだろうってことだ」 「そんならいい……のかな」 「もちろん心配もしている。激しい戦いだったんだろう? けがはなかった? おいで、見てあげるから」  ミツレルが頭を寄せると、クーバルト司祭は浄めと気触れ防ぎの祝福を施してくれた。彼が適当に聞き流さず、きちんと話を受け止めた上で信じてくれたので、ミツレルは心からほっとした。  だが大戦果の報に笑っていた司祭も、ミツレルの花冠を調べ始めると真顔になった。 「これは……やはり、処女の花冠ではなくなっているね。ミツレル、きみはつらい目にあったのかな」 「つらい目? あっ司祭様、そういうことじゃなくてですね……」  司祭が同情の目を向けてきたので、ミツレルはあわてて訂正した。 「つらくはなかったです、乱暴なことではなかったんです。そこはだいじょぶです!」 「そうか。きみがみずから許したんだね。さしずめお相手は傭兵の誰かか」 「えっとその、破門ですか?」 「回勅はそう命じているが、教会は時として柔軟だよ。聖儀に供えられたのなら、主がそれをお望みになったということだ。しからば良き出会いだったんだろう。叱りはしないよ。ぼくの教えられる事柄ではないけれど」 「ありがとうございます……! あっでも聞きたいことがあります!」 「なんだい?」 「お察しの通り、あたしは人と結ばれました。司祭様に断りもなくすみません。でもですね、聖儀ってどうしたらいいんですかね?」  ミツレルは額にかかった冠をちょいと押し上げた。 「『主がお望み』ってことは、またせねばならないってことですよね。もっとせねばならない。それって、いつ、何を、どうするんでしょう。ほら、秋の祝祭だったら、実りの花冠をつけた執事が祭壇に収穫を捧げるでしょ。雪解け祭りだったら春にでっかいビスケットを割るとか。そういうの、この花冠にはあるのかなって」 「聖犠の祭礼……か」 「それと、何もしなかったらどうなるのか」 「何もしないわけにはいかないね」司祭が首を振る。「主に寿がれた者には、為すべくみわざが施される。つまり、行えば神様が助けてくれるし、無視すれば助けてもらえなくなるということだ」 「そうですよね?」ミツレルはこぶしをぎゅっと握り締める。「てことは、あたし、また会っていいんですよね?」 「そう、会っていい、会わなければいけない」司祭がつぶやくように言って、嘆息しかけた。「ミツレル……やっぱり言おう。一度その男と会わせてもらえないか? きみが決めたほどの相手だから、きっと立派な人だと思うんだ」 「あっやっぱり心配ですよね。立派なのは保証します、誰よりも素敵だってよくわかったんです! でも、会わせるわけには……」 「どうして? 近くにいないのかい?」 「それもありますけど、司祭さんが考えてるような人じゃないんです」 「旅のミツレルがよくわかって、近くにいなくて、ぼくが考えていなかったような人……」少し考えただけで、司祭は手を打ち合わせた。「ああ、そういうことか。つまり同行の女――」 「はわあああ、だめです秘密です!」  ミツレルはあわてて手を振り回したが、逆効果だった。司祭は苦笑して言う。 「そういうこともまれにある。よいことではないが、あやまちは人の常だ。ぼくは叱るつもりはないよ――」それから司祭はあさっての方向を見て、ポロリと言った。「しかしすごいな、女同士でつながれるものなのか」 「しさいさま!」  ミツレルは赤くなってにらみつける。クーバルト司祭はとぼける。 「いや悪かった、つい口に出てしまった」 「……ます」 「ん?」 「つながれます……カーニムですから……」  力説するところではないと思いつつ、関係をはっきり示しておきたくて、ミツレルはぼそぼそと言ってしまう。  それを聞くと司祭は、ウム、と何やら考えこんだ。 「われわれの執事見習いのエルミンと、さすらいの荒くれカーニムを主がつなげられたと。この組み合わせには何やら含意がありそうだ。ミツレル、他言無用だよ」 「言いませんよ、恥ずかしい……司祭様だから言ったんです」 「恥ずかしいからではなく、咎めになるからだ」  ミツレルは顔を上げた。司祭が額を撫でて考えている。 「ぼくは主の寿ぎを疑う者ではないが、そうでない人もいる」 「そうでない人……?」 「たとえばこうだ。『なぜこの組み合わせに主がお目配りされたのか? それは、そうせねばならないほど不吉だからだ』と」 「なんでそんなこと考えるんですか!」  ミツレルは思わず叫んだが、司祭は冷静な目で見つめた。 「いないかい? こう言いそうな人は」 「……いるかもです」  院内にはいろいろな人がいる。一、二人の顔が思い浮かび、ミツレルは肩を落とした。  クーバルト司祭はその肩に手を置いて、静かに励ました。 「想い人に会いたいかい?」 「それは……はい」 「そうだろうね、でも我慢しなさい。花冠の件も隠すように。きみのためにも、お相手のためにも」 「はい……でも、いつまで?」 「なんとかなるまで、だ」  それだけ答えて、司祭は背を向けた。  なんとかなるとは、何がなんとかなるんだろう。女同士の付き合いがある日突然公認されるのか、それとも外へつながる秘密の地下道を教えてもらえるのか。  疑問に答えてくれる人はおらず、ミツレルはなし崩しに執事見習いとしての日常に引き戻された。  院内的には陸標任務に失敗した残念な落第者という扱いになり、同じ見習い執事の仲間たちから、同情に満ちた生温かい笑みを向けられる。 「落ち込むことないよ。全員が成功するわけじゃないんだから」 「そうだよ。陸標任務は救護所での一ヵ月奉仕より難しいっていうし」 「ケガとか死んだりする人もいるんだよね。それに比べたらずっとまし」 「あっでも戦ったの? どうだった? 怖かった?」 「ミツレルはちっちゃいから隠れていれば済んだでしょ」  質問はどれも無邪気で的を外しており、そもそも陸標任務の前にはキャラバンを半年も護衛していたということもよく理解されていなかった。ミツレルはもどかしい思いで説明を試みた。たとえば幌馬車で寝ているときに外から斬り合いの音がしたのであわてて護身の膜を張ったら、直後に幌を貫通した矢が隣の女商人の目の前でかろうじて止まったとか、額を斬られたシベット隊の傭兵に血の浄めをかけすぎて、もういいと怒られたことなど。  しかしそれらは話を大げさにしていると思われたり、情景を理解してもらえず、適当に流されてしまった。  元来、ピントの修道院は、葬祭法儀をつかさどる執事や司祭を育てて近隣の村々へ送るための、学校のような位置づけにある。見習いたちは、教えられることを習うだけで、大過なく暮らそうとする者が多い。その中でも上澄みは役人を志願してピント領主の召し抱えを狙っている。  ミツレルのように傭兵を目指すのは変わり者なのだった。  また夜は夜で別の孤独を味わうことになった。  消灯後の大部屋で毛布をかぶって開催された陸標任務同行希望者大審議会。 「陸標台、なんで女剣士さんと一緒に行ったの?」 「そうだよ、シベット隊にすごくかっこいいすらっとした男の人いたじゃん」 「知ってるわたし見た! 髪長くてオーラ出てるエルフの人!」 「きっとめちゃ強いよね、エルフだし」 「えー細すぎでしょ、もう一人のほうが強いって、棍棒かついだゴツッとした人」 「おじさんはないかなぁ」 「いや強い人の話でしょ?」 「え、かっこいい人だよね?」  執事見習いという皮をかぶった欲求不満娘たちによる激論は、顔のいいエルフ男とたくましい棍棒男派が七対二ぐらいの割合で分かれることになり、残り一割とミツレルの好みはついぞ顧みられない。  ミツレルは言いたかった――シベット隊の副隊長であるエルフのハルフォンド伯は仲間の双子姉妹にぞっこんでミツレルのことなど眼中にないし、長棍使いのダルカッツはシベット隊長の忠実な護衛でミツレルのことを小ねずみ扱いするのだ、と。  しかしこの点に関しては参加者全員が心外な意見を押し付けてきた。 「どっちにしろせっかく二人なんだからいい男と行きたいよね?」  ミツレルは曖昧な顔でうなずくしかない。 「それはそうかもだけど、あたし男の人は、まだいいかなって」 「そっかー」「ミツレルまだ早いか」「そのうち自分の好みがわかるといいね」  憐みとともに解散となる。  夜が更けるとミツレルは毛布にきつくくるまる。 「してるんだから」  顔のいいエルフの副隊長や指のごつい棍棒戦士とロマンスをささやいたり、額にキスしたりする段階は、もう飛び越えている。好きな女とつながったのだ。 「飲んだし、また次もするんだから」  頭を押さえられながらキスされる官能を思い出して息を詰めた。唇に入りこむ濡れた舌の動き。股の奥に沈む熱い肉の硬さ。 「それ以外はもう無理……」   枕に顔を押し付けてミツレルは体をくねらせる。何も知らない他の娘たちが、たとえ助けてくれる気になったとしても、どうにもできない孤独だった。 ‡ ‡  起きて働いて祈って眠る。以前と同じ平板な毎日が戻って来てしまった。まるで傭兵になどならなかったかのように。まるで陸標台へなど行かなかったかのように。  周りがそれが当然のように振舞ったが、ミツレルにはまったく当然ではなかった。  彼女はとっくに、院から出られているはずだった。  初めはサンギータの帰還を待っていた。次には外へお使いに出される機会を待った。次には昇任のお声がかりを待って、次にはダイアイアー神のお告げを待った。しまいには「トワチカの雨傘」が救い出してくれるのまで待った。  何も起こらなかった。ミツレルが絶対起こると確信していたものから、これはまずないなと思ったものまで、クーバルト司祭のいう「なんとかなる」機会は、どれも一つも来なかった。  石窓から入る日差しが傾き、風は冷えてきた。認めるのは嫌だったが、だんだんあることが身に染みてきた。  誰も来ないのだ。そして逃げる機も逸したのだ。  ある日、監督司祭から無造作にこう言われた。 「見習いミツレル、もう荷造りは済んだ?」 「何の荷造りですか?」 「あらまだなの? 急ぎなさい、アキア病棟は日帰りじゃいけませんよ」  荷造りもアキア病棟も初耳だったミツレルは、他の監督にもいろいろ聞いて回って、まもなく、自分を含む十人ほどの見習いたちがそこへ送られるのだと知った。アキア病棟はピントの街を挟んだ向こう側にある病院で、そちらの人々の病やけがを診る。今いる修道院より待遇が悪くなるわけではない、というか若干の給金すら出るという。  別に流刑の地ではない。だが、そこは終点だった。役人だの傭兵だのになる道は閉ざされる。もとより、そういう道に向かわない者たちの行き場だった。  それを知ったその日のうちに、ミツレルは脱走を決意した。  午後のお勤めと祈祷のあいだの短い時間に、厨房の食べ物をくすね、なけなしの小物を同室の娘にはした金で売りつけ、新しい靴ひもを通して荷物をまとめて支度を整えた。そして晩課の祈りの直後に無人の食堂を通って出て行こうとしたところで――。 「ミツレル! どこへ行くんだい?」  クーバルト司祭に見つかった。   あわてて荷物を隠したが、司祭はすぐ見抜いたようだ。だが咎めることはせず、急いでミツレルに近づいてささやきかけた。 「きみを探していた。見つかってよかったよ」 「あたし、その、今ちょっと――」 「忙しいのかい? 少しだけ待ってくれ。なに、君もこっちのほうが大事だと思う」  なんのことですか、と訊こうとしてミツレルはぽかんと口を開ける。  司祭の後ろから、一人の女性が現れたのだ。緑の三角帽子とぞろりと長い魔法服がよく目立つ。胸元や太ももには白肌が覗いてなまめかしい。 「――シベット隊長!?」 「いかにも、わたくしですわ」傭兵隊長シベットは大人びた艶やかな声で言う。「お久しぶりね、処女の花冠位のミツレル」 「えっあっはい、ミツレルです。しょ……その」 「あ、ごめんあそばせ。聖儀の花冠位となられたのでしたわね」  ミツレルは目を見張って、かたわらのクーバルト司祭を見た。司祭も驚いた顔で首を振った。 「いや、ぼくじゃない。この方はついさっき公務でいらして、君に会いたいとおっしゃったばかりなんだ。隊長さん?」 「話は、サンギータから」シベットは塗り爪の人差し指を立てて揺らす。「あなたへの話も、彼女から言伝されてますわ。まったく、こちらだって西野村の防衛から戻ったばかりなのに、人使いの荒い子だこと」 「ギータさんは無事なんですか!?」  他の何よりもそのことが気になって、ミツレルは詰め寄った。シベットが微笑む。 「ええ、もちろん。まだ赤陸標の近くで領主の御用を勤めてますわ」 「そうなんですか。じゃあなんでこんなに帰ってこないんですか?」 「なんで、ですって? もちろん女役人だけで隊を組んで、もろもろの武備機材を揃えて、あるかもしれないたくさんの遺体や遺物を収容しにいっているからですけれど?」 「女役人だけって、迷林にはもう淫魔はいないはず――」 「と言っているのはあなた方だけ。まずは確かめないといけませんでしょ? あなた方は、それだけ大きなことを申し立てたんですもの」  言われてみればその通りだった。 「現地ではあれやこれや調べて、大仕事だったそうですわ。でも安心なさって。もろもろ一段落したから、わたくしのもとに報せが届いたんですの。その内容は――」  シベットは胸元あたりから一枚の書類を取り出した。金釘流のサインがちらりと見える。 「二人の申し出はおおむね事実であり、その功績を認める、と。領主判事ニャンバリン卿のお墨付きがいただけましたわ。あの人、相変わらずすっごい字」 「功績を認める……っていうと」  「魔女トワチカとそのしもべ『闇足』の討伐、並びにハルハナ迷林の淫魔どもの退治。私見を言うなら退治というよりは、魔女の使役からの解放ですわね。そして鉄靴ジグロス、長首タイロンガ、針指ケリーンなど探検者八名の遺体発見」 「あっやっぱり、そうだったんですね」 「またサンギータとミツレルの二人への、召命降下。これが先ほどの件ですわ。ダイアイアー神がお求めになられたのですわよね?」 「それはその、秘密で……」 「我々には隠せませんわ。その位置づけは管区司教の見解を待たねばなりませんけれど、ええ、ことがことですからね。一般に対しては伏せてあげましょう」  シベットが小粋に片目を閉じてみせたので、ミツレルはややほっとした。 「そういうわけで、まとめると大変よくやりましたね、ということですわ」 「は、はいっ!」  微笑みを向けられて、ミツレルは思わず声を上げた。  シベットは視線を巡らせる。 「それでいったん確認なのですけど、クーバルト司祭様。これらの承認を受けて、修道院としてはミツレルに何を求められますか?」  ミツレルの育ての親は腕組みして答える。 「それも院長に伺わねばなりませんけれど、順当にいって正執事か司祭への昇任と、ピントに新たな聖座をひとつ設けてそこに座してもらう、ということになりましょうね」 「ひえええ……あ、あたしが聖座?」  大任にミツレルは喜ぶよりも震えあがった。だが司祭はにやにやと笑っている。  逆にシベットに向けて彼が尋ねる。 「伝えるだけなら伝令で済むことです。シベット隊長こそ、ミツレルに何をお聞きにいらしたんです?」 「先ほどちらりと言いましたでしょう。判事が認めたのはおおむね事実である、ということだと」 「なにか事実でないことが?」 「『トワチカの雨傘』が調査隊に目撃されました」  二人は息を飲んだ。 「きやつが逃げたのだけは誤りで、どうやらまだ近くで様子をうかがっているようです。雨傘といえば百年以上多くの人に見られている、魔女以上に重みのある存在。これもぜひ討伐せねばならない、と主命が降りました」シベットがみずからの豊かな胸に手を当てる。「わたくしども、シベット隊に」 「ははあ、それで貴女がここに」 「ええ、そう。聞きましたね、ミツレル」術師隊長が嫣然と微笑む。「わたくしたちも貴女を必要としているのです。今再び」 「えっえっ」少女は戸惑って二人を見比べる。「聖座に座ったうえ、傭兵もやれってことですか? そんなのできるんですか?」 「あら大胆」「そりゃ無理だね」  二人がそう言ったので、ミツレルは要求に気付いた。 「どっちか決めろってことですか……」 「そういうこと」  クーバルト司祭がうなずくと、ミツレルは女隊長に目を向けた。 「でも、隊長。ひとつお聞きしておきたいです」 「まあ、なにかしら? 退魔聖座のミツレル司祭」 「あの、それはまだやめてほしくて……」赤くなりつつ、ミツレルは顔を上げた。「サンギータさんはこの先どちらに?」 「それがね、わからないんですのよ」 「わからない……」  ミツレルはいったん落胆しかけたが、すぐ助けを得た。 「なぜってあの子は、ミツレルさんの希望を聞かないと決められない、って言っていますからね」 「……!」  今度こそ、エルミンの少女は顔を輝かせる。 「あたしギータさんといっしょです! ギータさんのそばで戦います!」 「では、決まりですわね」  勝ち誇った顔をするシベット隊長に、クーバルト司祭は肩をすくめてみせた。 「こう言っては何だが、この子は聖堂で人々を迎えるよりも、出ていって困難と恐れに立ち向かうほうが、より力を発揮できるようです。――よろしくお願いしますよ、隊長」 「お任せあれ」  優雅に一礼すると、隊長はミツレルに言いかける。 「では決心の揺るがないうちに出掛ける支度を――済ませているようですわね? すでに」 「はい、すでに!」  ミツレルは荷物をぐいと背負い直して、歩き出した。 (陸標台へ二人旅、後日談おわり)