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コンタクトは宇宙服を脱いで

 相互学術協力交渉の最終段階になって、グルームブリッジ人との話し合いが暗礁に乗り上げたので、太陽系連合外務局の若き交渉官であるジャックとミリアムは、ほとほと困り果てていた。
 テーブルの向かいでは、専用の与圧服を着た、四十八本の触手を持つグルームブリッジ人の交渉官が、ジャックが渡したパーカーのボールペンを持ちにくそうにつかんだまま、硬直している。もう四十分もそのままなのだ。
 彼の手元にあるのは、協力交渉の内容を文章にした同意書だ。これまでの話し合いがとんとん拍子に進んだので、最後の仕上げとしてジャックが差し出した。その途端相手は固まった。サインさえもらえれば、交渉は完了するというのに。
 内容に不満があるのかと尋ねると、不満はないという。にもかかわらず、相手はサインをためらっている。サインが無理なら拇印でもなんでも――四十八本の触手のどれを使っても、たとえ宇宙服越しでも構わないとミリアムが言ったが、それでも相手は同意しなかった。
 一体何が問題なのか、若い二人にはさっぱりわからなかった。困惑しきって、小声で相談する。
「どうする? サインだけは後日にしてもらおうか」
「だめよ、今日中に済ませろって言われてるでしょ。グルームブリッジ人は、明日開く超空間ゲートで帰っちゃうのよ。その次は三ヵ月も先だわ」
「仕方ない、部長に相談してみるか」
 インターホンで上司のカンクネン部長を探してみたが、あいにく彼は帰ってしまっていた。この交渉は、戦争の停戦交渉や種族間貿易の取り引きような重大な交渉ではないので、若い二人だけで充分務めを果たせると思われていたのだ。
 あわてて他の部局にも連絡してみたが、誰も出ない。みんな帰ってしまったらしい。異星人との初接触から四十年、今やETとの交渉は日常化したルーチンワークで、緊張感などかけらもない。外務局は、のんびりした組織なのだった。
「誰か残ってないか探してくる」
「あ、待ってよ!」
 焦るミリアムを残して、ジャックは廊下に飛び出した。
 タイタンにある外務局基地の廊下は、がらんとして人気がない。ジャックは必死に走り回って、頼れそうな人間を探した。
 二人と出会ったのは、そんなときだった。
「あら、どうしたの。そんなに走って」
 最上階の突き当たりにある、普段でも誰も来ない展望室で、初老の男女が土星の見事な景観を眺めていた。その片割れの女性が、ジャックに声をかけた。
「あなたは?」
「昔ここで働いていた者よ。近くまで来たから、懐かしくなって寄ったの。でも、時間が悪かったみたいね。誰もいない」
「昔ここで? ETとの交渉経験はありますか?」
「ETとの交渉? もちろんあるわよ。あの頃の局員にはみんなあるわ。一歩間違えば食べられたり砲撃されたりするETと話そうとする物好きは、私たちしかいなかったからね」
「ありがたい!」
 わらにもすがる思いで、ジャックは頼み込んだ。
「グルームブリッジ人との交渉が行き詰まってるんです。手を貸してもらえませんか?」
 ジャックの話を聞くと、女性は振り返り、土星の輪を見上げていた男性に聞いた。
「どうする、リュー?」
「まだミマスを見つけてないんだけど」
「衛星探しなんか後にしてよ。久しぶりにやってみない?」
「やりたいんだね、また」
 ムーングレイの品のいいスペーススーツを身につけた男は、穏やかに笑って言った。
「僕はいつだって君を手伝うよ、ハルナ」
「決まりね」
「こっちです!」
 二人の名前をどこかで聞いたことがあるような気がしたが、長話をしている時間はなかった。ジャックは走り出した。

「遅いわよ! ……あら、そちらは?」
「この方が相手ね」
 部屋に入って来た三人を見て、ミリアムが怪訝そうに言ったが、それには答えず、ハルナが異星人の前に立った。両手を左右に広げて武装していないことを示し、見事な最小要素語法で挨拶する。
「私は地球人のハルナ。友好に話します。あなたの個体名を知りたい。あなたの問題を知りたい」
 翻訳機が誤解を起こさないように、虚飾を省いて可能な限り単純化した話し方が、最小要素語法だ。異星人と交渉する際に必須の技能である。ベテランだと気付いて、ミリアムが口を閉じる。
 グルームブリッジ人がウーウーと低い声でうなり、テーブルの上の翻訳機が声を上げた。
「個体名はウォンヴォーです。交渉に同意します。しかし、この行為は認められません」
「この行為とは、色素定着器具を使用する行為ですか」
「違います」
「グルームブリッジ人は文字を使用しますか」
「使用します」
「認められない行為を定義して下さい」
「認められない行為を定義して伝えることは、認められません」
「何かタブーがあるけど、口にすることもできないってのね」
「ハルナ、ミラー法を試そう」
 黙っていたリューが言い、ハルナは自分のペンを取り出した。二人とも生き生きとした顔になっている。
 テーブルの白紙のメモ用紙に、ペンで横棒を引いて、ウォンヴォーの様子をうかがった。彼はじっと黙っている。
 次に、ペンでさらさらと絵を書いた。四角形と、垂直な四本の棒。テーブルだ。やはりウォンヴォーは沈黙している。
 次に、自分の名前らしい文字を書いた。Haruna Kunitomo。
 途端にウォンヴォーは唸り声を上げ、四十八本の触手をうねくらせた。
「その行為を中止して下さい。その行為は非文明的です」
「文字を書くのが非文明的?」
 ジャックとミリアムが顔を見合わせる。黙って、とハルナが手を出す。
「怒ってるわ。これでわかった。理由はともかく、彼らは文字を他人に見せる行為をいやがるのよ」
「他人に見せる行為をって……文字ってそのためのものじゃ?」
「いいから。疑問は後回しにして、相手に合わせるのよ」
 そういうと、ハルナはテーブルの上の書類の一切を片付け、ウォンヴォーに向き直った。
「ウォンヴォーの習慣を尊重します。文字を書く必要はありません」
「……感謝します」
「しかし、記録を残す必要があります。音声を記録することは認められますか」
「認められません」
「グルームブリッジ人が記録を残す方法を知りたい」
「見て覚えます。我々の言語は姿です。音声は異例です」
「姿ですか」
「ハルナ、映像だ」
 リューがまたいい、ハルナはうなずいた。
「映像を記録することは許されますか」
「認められます」
 ほうっ、とハルナとリューが同時にため息をつき、笑顔を交わした。ジャックとミリアムにはわけがわからない。
 ハルナが自信に満ちた口調で言った。
「映像を記録します。グルームブリッジ人の言語で、交渉に同意して下さい」
 カメラのスイッチを入れると、ウォンヴォーはたくさんの触手を複雑に振り動かした。
 それが終わると、ウォンヴォーは言った。
「同意しました。交渉が終わることを望みます」
「承諾します。感謝します。友好に関係しましょう」
「友好に関係します。ハ――ルナに、もう一度感謝します」
「済んだわ。後は任せた」
 ハルナとリューは席を立ち、あっさりと出て行ってしまった。ジャックとミリアムは、狐につままれたような顔で、彼らを見送った。

 月曜日に二人がカンクネン部長のところへ報告に行くと、彼はいきなり謝った。
「すまん、グルームブリッジ人の特徴を教えるのを、うっかり忘れていた。苦労したんじゃないか?」
「ええ、まあ……」
「よく映像調印を思いついたな。完璧な手際だ。ウォンヴォーは満足して帰っていったそうだ」
「あれで調印になるんですか?」
「自分たちでやっといて何を言ってる」
 カンクネンはデスクの画面に記録を再生していった。
「異星人には、文字がない連中や、あってもペンをもてない連中や、目がなくて音声しか使えない連中など、様々な種族がいる。グルームブリッジ人は本来、四十八本の触手を使って、手話で会話する種族だ。手話言語を記録に残すには、映像しかあるまい」
「でも彼らは文字があるんでしょう。なぜそれを使わないんです?」
「それが彼らの特徴だ。彼らの文明の」
 カンクネンは面白そうに言う。
「太古、彼らも文字を仲間に見せあっていた。だが、文字というやつは、伝えたいことのごく一部を、記号化して伝える道具に過ぎん。言葉を文字にする過程で、微妙なニュアンスがごっそり失われる。たとえば、地球語で「お手上げだ」と言ったとき、それはたいてい降参するという意味だが、慣用句を知らん人間が聞いたら、手を上げて攻撃に移る、という意味にも取れるだろう。――そんな不完全な道具で意志を伝達しようとしたために、彼らの仲間同士で誤解が相次ぎ、戦争が起こってたくさんの人々が死んだ。だから彼らは文字を封じたんだ」
「それで文明が成り立つんですか?」
「成り立つとも。見ただろう、あの優雅で複雑な手話を。あの方法で伝達される情報量は、文字よりもはるかに多い。彼らの仲間内では、あの方法しか使ってはいけないことになっている。妥協してもせいぜい、音声言語を使うぐらいだな。声なら、抑揚、声量、ピッチなどで、まだしも多くの情報量を伝えられるから。しかし文字は駄目だ。文字で調印はできん。ましてや、完全な抽象記号である拇印なんかもってのほかだ」
 ウォンヴォーにそれをすすめたミリアムが首をすくめる。ジャックはなおも言った。
「じゃあ、そもそもなぜ文字なんてものを作り出したんです? 封じるぐらいなら最初から産みだされなかったはずでしょう」
「記録さ。いや、記憶のためだ」
 カンクネンは額をつつく。
「彼らだって、記憶力は無限じゃない。未来の自分に意思を伝えるために、文字を作ったんだ。それを見るのは自分だけだから、誤解は生まれない。現在、グルームブリッジ人は、覚書のためだけに、文字を使っている。極めてプライベートな道具にしてしまったわけだ」
「プライベートな……」
「人前で文字を書くのは、彼らにとって、ドアのないトイレで用を足すようなものなんだろうな」
 そう言って、カンクネンはふと眉をひそめた。
「おい、そういうことを知らなかったのに、よく映像調印を思いついたな」
「実はあれは僕たちがやったんじゃないんです」
 二人は赤くなって告白する。
「局にいたベテランらしい人をつかまえて、助けてもらったので……」
「なんだ、そうか」
 カンクネンは拍子抜けしたようだったが、終わりよければすべてよしとばかりに、上機嫌でデスクのコーヒーに口をつけた。
「それじゃわしからも礼を言っておかないとな。どこの誰だ?」
「確か、ハルナ・クニトモっていう女性と……」
 ぷーっ! とカンクネンがコーヒーを吹き出した。
「は、は、ハルナ・クニトモ?」
「ええ、それと、リューとかいうかわいいお爺さんですけど……」
 銀のスペーススーツの胸元に、コーヒーをだらだらと垂らしているカンクネンを、目を丸くして見つめて、ミリアムが聞いた。
「……ご存知なんですか?」
「ば、ば、馬っ鹿者お!」
 コーヒーカップを放り出してカンクネンは怒鳴った。
「おまえたちは外務局の初代局長を知らんのか!」
「初代局長!?」
「国友春奈局長と補佐官のリューブリアム・レクスンといえば、太連航行保安部の通訳チームを今の外務局にまで育て上げた、人類きっての異星人通だぞ! たった二人で、二十一種もの異星人と友好条約を結んだ伝説の交渉官に、おまえたちは翻訳機の代わりをやらせたのか!」
「すみません……」
 こうしちゃおれん、と部長はインターホンを手にとる。
「あの方たちは五年前に引退してから行方不明だったんだ。いて座回廊をクルーザーで遊びまわっとるとか、シリウス帯でマイノリティーの異星人に星間交渉のいろはを教えているとか、噂ばっかり飛び交ってて居所はさっぱりだった。太陽系に戻っとるとなると、やりかけですっぽかされた引退記念式典をぜひもういっぺんやらにゃ!」
 外務局長、いや太連議長に連絡を、と大騒ぎしているカンクネンから目を離して、ジャックとミリアムは呆然と見つめあった。
「あの人がねえ」
「知らなかったね。そんな偉いひとだなんて」
「あ、そうだ。ミリ、ちょっと」
 ジャックはミリアムの手を引いて立ち上がった。どこへ行く? とカンクネンが血走った目でにらむ。
「仕事に戻るんですよ。記念式典なんて、僕たちの出番はないでしょう」
「む、そりゃそうだ。邪魔にならんとこに行ってくれ」
「はいはい」
 二人は部屋を出た。

 最上階の展望室に行くと、観葉植物の陰のベンチに、二人の男女が座っていた。ジャックはためらいがちに声をかける。
「あの……ちょっといいですか」
「あら、おとついの」
 老いてなお颯爽とした雰囲気を失っていない女性が、振り向いた。ジャックは尋ねる。
「あなたは、初代の局長なんですね」
「うわ、ばれた。もう忘れられてると思ったのになあ……それで探しに来たの?」
「衛星探しが終わっていないっておっしゃってましたから。ここはタイタン一見晴らしのいい場所です」
「なるほどね」
「人には言いませんから、安心して下さい」
「サンキュ。それで、御用は何?」
「聞きたくて……」
 ジャックとミリアムは、二人の前に回りこんだ。
「言葉も習慣も、呼吸大気も肉体構造も違う異星人と、どうやったらあなたたちのようにわかり合えるんですか? それを教えてほしいんです」
「私たち、失敗ばかりだから……」
 悄然と尋ねる二人を見上げて、ハルナはかたわらのリューブリアムに目を移した。
「どうする? 教える?」
「教えたいんだろう、君は」
 リューは一昨日と同じように微笑する。
「ETたちにすべてを教えたのと同じように」
「そう。裸になってすべてを見せるのって、快感だもの」
「その身も蓋もないオープンさのせいで、作らなくてもいい敵を作って、引退する羽目になった五年前のこと、忘れたの?」
「忘れたわ、そんなの。だから戻ってきたんじゃない」
 さらりと言って、ハルナは明るい瞳で二人を見上げる。
「それじゃ教えてあげる」
「ありがとうございます!」
「でも、途中で逃げ出すんじゃないわよ?」
 いたずらっぽい言葉の意味は、話を聞くにつれわかるようになった。

――――  ☆  ――――

「どーすんのよ、リュー!」
 太連航行保安官のハルナ・クニトモは、一言わめいてベッドに体を投げ出した。
 弱冠二十歳の娘である。黒髪につやが、黒い瞳に輝きがある。Tシャツとショートパンツという、軽装の衣服から伸びた手足の肌も、クリームのように緻密で白い。東洋系の女性の美しさを、あますところなく体現した娘だった。
「どうって、ぼくにつっかかられても……」
 狭い保安艇のキャビンの、向かいのベッドに腰を降ろして、助手のリューブリアム・レクスンが枕を抱きしめる。
 こちらはなんと十八歳。火星のオリュンポス高校を出たての、男というより少年だ。何世代か前に、フランスとイギリスとロシアとあとどこかの血が混ざり合ってできあがった家系に属していて、柔らかな金髪と地球色の瞳をもっている。ハルナと同じ軽装を身につけた体は、手足ばかり伸びて筋肉がついていない。経歴だけではなく、肉体も心もまだ幼かった。
「一緒にご飯食べれば仲良くなれるかもって言ったの、ハルナだよ」
「そうね言ったのは私よね、でもそれはあんたが提案しないからでしょ!」
 ハルナはじろっとリューをにらんでわめく。
「いっつもそう。あんたはうんうんうなずくだけのイエスマンで、一度だって自分から動こうとしないんだから!」
「それは君が保安官で、ぼくが助手だからで……」
「そうねあなたのほうが格下よね、でもそれはあんたに覇気がないから!」
 ハルナはがばっと起き上がると、隣のベッドにはね飛んで、リューを後ろから締め上げる。
「射撃も操船も会話も航法も私よりうまくて、図体だって私よりおっきいのに、なんであんたはそんなにへろへろしてるのよ!」
「そ、それは、ハルナのほうが意欲があるからで……あ、あの、胸」
「やだっ、エッチ!」
 ハルナはリューを突き飛ばす。リューはベッドから転げ落ちて枕を抱く。
「ぼくが悪いんじゃないってば。きみが背中に抱きつくから」
「抱きついたんじゃない、首締めたの! ああもう、そんなことはどうでもいいっ!」
 叱るように叫んだものの、顔は正直に赤らんでいる。威勢はいいが奥手なハルナだった。
 奥手といえば、肉体経験だけではなく、恋愛経験に関してもそうだった。ハルナはリューが好きである。リューはハルナより能力が上なのに、白人にありがちななれなれしさがなくて、謙虚でおとなしい。そこが気に入っている。同時に嫌っている。もっと積極的ならいいのに、と思う。思うけれども口に出せないところが奥手なのだった。
「このミッションは、なんとしても成功さなくちゃいけないのよ!」
「そう? 失敗してもそんなに問題はないでしょ。タウ人の文明は地球よりちょっと遅れてるから、交渉するメリットはそんなにない。それに、まだ超空間ゲートを持ってないから、ほっといても太陽系に攻めてくることはない。太陽系は今までの七種とごたごたが続いて、その対処で精一杯」
 人類が八番目に遭遇した異星人であるくじら座タウ星人のことを、省略した通称で呼んで、リューは言う。
「重要じゃないからこそ、太陽系連合のVIPでもなんでもない、ただの保安官のぼくたちがお付き合いに派遣されたわけで」
「どこまでへりくだるか、あんたはっ」
 ハルナはベッドにあぐらをかいて、床のリューをにらみつける。
「私たちが会ってるのは異星人なのよ。ETよ!? 半世紀前にはいることも信じられてなかった、とてつもなくものすごい相手なのよ。八番目だろうが八千番目だろうが、人類の貴重なお隣さんだってことには変わりないでしょうが! 人手が足りないからって後回しにするのはとんでもない無駄だし、第一、相手に失礼じゃない!」
「その辺オリエンタルだね、君は。礼儀正しくて」
「したり顔で論評するなッ!」
 きれいな素足を伸ばして、ハルナはリューの顔面を踏んづけた。痛い重い見える、とリューがのけぞる。何が見えるっての! とハルナはまた赤くなって、ショートパンツから伸びた太ももをぴったり合わせて座る。
 それから、舷側の窓を振り返って、つぶやいた。
「仲良くなりたいじゃないのさ、お隣さんとは……」
 窓の外には、真っ暗な宇宙とクレーターだらけの地表が広がっている。くじら座タウ星の小惑星の一つに、保安艇は着陸しているのだ。
 少し離れたところに、宇宙へ出てくるのが精一杯といった感じの、武骨で原始的な宇宙船が止まっていた。それが、タウ人が差し向けた、交渉官の船だった。
 交渉官の名前はシュビクー。彼一人である。タウ人の技術では、一人乗り以上の大型船を作れなかった。それに乗って、故郷の惑星からここまでやってきた。地球の保安艇ならシュビクーの惑星にも降りられるのだが、それはタウ政府に拒否された。無理もない、自分たちより高度な技術をもった異星人を、うかうかと惑星に迎えたりしたら、どんな乱暴を働かれるかわかったものではない。乱暴でなくても危険な病原体を持っているかもしれない。病原体がなくても逆に地球人が病気になるかもしれない。異星人に旗を振って大歓迎する地球人のほうが異常なのである。
 乱暴はいやだが、技術はほしいというわけで、シュビクーは惑星全土の期待を一身に背負って、すさまじい熱意を抱いてここに来ている。だがハルナたちは全権大使でもなんでもなく、保安業務、つまり近所の見回りといった感じの軽い任務でここへ来ている。ハルナがタウ人と国交を開くことなど、上層部ははなから期待していない。その落差が情けない。
 せめて、なんとかしてシュビクーを喜ばせてやりたいとハルナは思うのだった。
 食事に招待したのも、そのためだった。無線で話すだけでは埒があかない。仲良くなりたい時に会食するのは地球人の基本だ。それを試そうと思ったのだ。幸い、タウ人は、地球人と同じ大気、気圧で生活する相手だった。
 名案のつもりだったが、結果は惨憺たるものだった。保安艇にやってきたシュビクーは、キャビンのテーブルに付きはした。しかし、ハルナたちが食事を始めて五分もたたないうちに、体調が悪いと言って帰ってしまったのだ。別に食べ物が口に合わなかったというわけではない。無害な水を飲ませたぐらいだ。それなのに帰ってしまったということは、機嫌をそこねたに違いなかった。だが、理由はまったくわからない。
 それから一時間ほどたつが、シュビクーの宇宙船に動きはない。それを眺めて、ハルナはため息をついた。
「次の手、どうするかなあ」
 ごろついていると、無線機の音がした。ハルナは反射的に立ち上がって、コックピットに飛び込んだ。あとからリューもついてくる。
「はい、こちら太連保安艇アルゴー」
 やな名前だと思いながら付け加える。
「保安官ハルナです」
「こちらはシュビクーです」
 壊れたエアコンのようなシュウシュウという音を、翻訳機が訳した。翻訳機といっても最初からそんなものがあったわけではない。素数のやりとりから始めたファーストコンタクト通信で、少しずつ語彙を蓄えて、リューが手ずから組んだソフトで地球語に対応させたのだ。まだ間違いも穴も多い。
「人類の生態がまた疑問です。また質問は認められますか」
 シュビクーには、高度な科学技術や軍事知識などを省略した、簡易版の百科事典を伝送してある。それを勉強していたらしい。ハルナはうなずいた。
「あ、いいですよ」
「……ひとついいですよとは、質問は一つだけ認められますか」
「aじゃないです、これはなんていうか、ただの声で、あんまり意味はなくて」
「ごめんなさい、複雑です。理解できません」
「ハルナ、最小の要素だけでしゃべらないとだめだよ」
「うっさいわねわかったわよ。シュビクー、質問を多数認めます。これでいい?」
「オッケ」
 リューが親指を立てた。これ練習がいるなと思いながら、ハルナは無線機に聞き入った。
「人類の数が大量です。百二十億というのは本当でしょうか」
「本当です」
「なぜそんなに多いのですか。生産量が少ないです。不適切です」
「それは……リュー?」
 どうやらシュビクーは機嫌を損ねてはいないらしい。何もなかったように質問してくる。このチャンスをつまらない意地で潰したくはなかったので、ハルナはおとなしくリューにバトンタッチした。リューがマイクを握る。
「リューです。昔、産児制限を行っていませんでした。繁殖は個体の判断で行いました」
「なぜですか。人口が※※することが理解していませんでしたか」
「理解していました」
「ではなぜ、人類は大量に繁殖したのですか」
「それは……シュビクー、質問は認められますか」
「認めます」
「タウ人は大量に繁殖しなかったのですか」
「タウ人は知性があります。知性がある生物は適切に繁殖します。タウ人は生産量と※※な繁殖です」
「もっともな意見だねー……」
 ハルナがうなずく。リューがいったん送信機を切る。
「どう説明する?」
「どうって、私が聞きたい。なんで人類はあんなにうじゃうじゃいるの?」
「それは、さ。人類が繁殖好きだからで……」
「繁殖って……」
 二人は顔を見合わせ、赤くなってうつむく。
「それ、言うの?」
「言わなきゃ理解してもらえないでしょ。相手は胎生ですらないんだから」
 リューは送信機のスイッチを入れて言った。
「シュビクー、人類は繁殖行動を好みます。だから増えました」
「なぜ繁殖行動を好むのですか?」
「……繁殖行動そのものに、か、快感があるからです」
「快感があると、不適切でもするのですか?」
「快感が大量なのです」
「快感は、知性で対抗できないほど大量なのですか?」
「……はい」
「それほど大量な快感なのに、今では消滅したのですか?」
「していません」
「なぜ、人類の増加は停止なのですか?」
「避妊しています。ヒニンとは、実際に繁殖せず、繁殖行動をすることです」
「ごめんなさい、理解できません。矛盾しています」
 行きがかり上当然だったが、シュビクーはとんでもないことを言い出した。
「人類の繁殖行動は、男性と女性が行動しますか?」
「はい」
「ハルナとリューは男性と女性ですか?」
「はい」
「私はハルナとリューの繁殖行動を見たいです」
「うあ……」
 ハルナが顔を背ける。リューは必死に理性的な応答を続けようとする。
「ハルナと私は結婚していません。結婚とは共生単位のひとつです。結婚しなくては繁殖できません」
「先ほどの知識と矛盾します。実際に繁殖せずに繁殖行動ができます」
「繁殖行動は、二つの個体の合意が必要です」
「合意をお願いしています。お願いです」
 異種族の知識の吸収にかけるシュビクーの情熱は、恐るべきものだった。リューは送信機のスイッチを叩き切ってハルナに聞く。
「どうしよう、どうすればいい?」
「知らないよ私は! あんたがなんとかしてよ、そんな方向に話持ってったのあんたでしょ?」
「仕方ないじゃないか、他にどう言えばよかったんだよ!」
「その通りだけどさ、その通りだけど……」
「に、逃げちゃおうか?」
 リューがエンジンのスイッチに手をかける。
「規定じゃ無理に他の星に押し入っちゃいけないけど、無理に逃げちゃいけないとは書いてないよ。また次があるんだからさ」
「そ、それはだめ!」
 ハルナはリューの手を払いのける。
「あんなに一生懸命なんだもの、なんとかしてあげたいわよ。見捨てるのだけはだめ」
「じゃあ、どうすれば……」
 二人が言い争っていると、また無線機が言った。
「リュー、繁殖行動が認められないのは、地球政府の禁止だからですか?」
 リューがマイクを持って息を整える。
「違います」
「超空間ゲート、質量転換エンジン、恒星※※、それらと同じ、とても技術ですか?」
「違います」
「教えると、地球人は危険ですか?」
「違います」
「教えて下さい」
 二人は沈黙する。無線機が間延びした声で言った。
「危険な技術……教える……禁止……わかります。タウ人もそうします。しかし、繁殖行動は教えます。なぜなら危険ではありません。……リュー、理解が難しいです」
「ごめんなさい……」
 シュビクーはしばらく沈黙した。やがて、つっかえながら言った。
「リュー、私たちのタブーです。でも言います。タウ人は食事を他人に見せません。不快感です。見るのも不快感です。理由です。タウ人は大量な以前、タウ人を食べました。今は食べません。でも食事は攻撃と同じです。※※を見せることは敵です。でも私は、アルゴーに入りました。リューとハルナの食事を見ました。水を食べました」
 二人は息を呑んだ。シュビクーはまた少し沈黙してから言った。
「不快感でした。※※と同じ気持ちでした。※※は知能のない生物です。でも見ました。あの時間は、タウ人の食事の時間と、十五倍です。タウ人は、※※時間で食事が終結します」
「シュビクー、ごめんなさい」
 リューが咳き込むように言った。
「知りませんでした。謝罪します」
「受け入れます。理解します。タウ人と地球人は異なります種族。タブーも異なります」
 そう言ってから、シュビクーは小声で遠慮がちに言った。
「地球人、私の意味は、実際に理解できましたか」
「できました。非常に理解しました」
 そう言ったリューの横から、ハルナが叫んだ。
「シュビクー、繁殖行動を見せます!」
「ハルナ!」
 リューが送信機を切って叫んだ。
「な、何言うんだ。意味わかってるの?」
「わかってるわよ、彼の前で、え、エッチするってことでしょ?」
 顔を真っ赤にしてハルナは叫んだ。
「やってやろうじゃないの。あの人だって自分たちのタブーを我慢して、付き合ってくれたのよ。動物になったみたいな気分だって言ったでしょ。人間でいえば、町のど真ん中でトイレするようなことなのよ。それをしかも、タウ人全部に聞かれてる無線で告白したのよ? あんな大恥かかせておいて、知らんぷりして逃げるなんて、できるわけないでしょ!」
「でも、ハルナ、初めてでしょう? いいの、ぼくとで――」
「ばかっ!」
 ピシャッ、とハルナはリューの頬を叩いた。目に光るものを浮かべてにらみつける。
「いい加減気付きなさいよ、私が好きでもない男と、パジャマみたいな服で一緒の部屋で寝ると思う?」
「……好きじゃなければ、宇宙に蹴り出してるだろうね。貞操観念固いみたいだから」
「だからへーぜんと論評するなっ!」
 今度は手加減して殴ってから、ハルナはその手を後ろに引っ込めて、上目がちに言った。
「……それで、あんたはどうなのよ」
 答えの代わりに、リューは送信機に言った。
「シュビクー、同意が成功しました。繁殖行動を見せます」
「記録すると認められますか。映像、音声、医学機械で記録します」
「認めます。もうなんでもやっちゃってください」
「感謝します。来て下さい」
 送信機を切って、はあっと息を吐き、リューは振り向いた。
「これで、返事になったかな」
「なんでもやっちゃってって……あきれた、あんた土壇場になると根性あるのね」
「これじゃだめ?」
「ううん」
 ハルナはリューの首に両腕を回し、素早くキスした。ファーストキスだった。
「認めます。行こう、行って見せ付けてやろ!」

 一人乗りのシュビクーの宇宙船は、穴倉のように狭いものだったが、食糧や電池をいったん外に出したので、何とか入ることができた。
 二人を迎えたのは、蛇に似た生物だった。体長二メートルほどで、足はないが、腕が二本あった。体はモグラのような密な毛で覆われていて、顔もモグラに似ていた。黒目がちの二つの目と、とがった鼻。地球の蛇よりは愛嬌のある顔立ちだった。
 その体型からわかる通り、タウ人は這って移動する生物だった。だから船内も横長だった。一番奥にとぐろを巻いたシュビクーの前に、宇宙服を着たハルナとリューがしゃがんで入ると、もう船内はいっぱいだった。
「狭いから不快感ですか?」
 リューが持ち込んだ翻訳機が、シュビクーの言葉を変換する。ハルナが、少し固い笑顔で答えた。
「宇宙服を脱ぐから大丈夫。それに、地球人の繁殖行動は、寝てやるの」
「ちょうどいいことです」
 リューとハルナはヘルメット越しに視線を交わし、うなずいた。
「脱ぐよ」「うん」
 宇宙服は、手の平ほどのセラミック板をつづり合わせた、鎧のような作りだった。堅いがよく曲がり、伸縮する。それを二人で手伝い合いながら脱ぎ、まるめて、冷凍庫ほどしかないエアロックに押し込んだ。
「へへ、ちょっと楽になった」
 腰を浮かせただけで頭がぶつかるほどの狭さだ。薄いスポンジのような床面の上で、両足を外向きに折って座り、ハルナが微笑んだ。リューも同じ座り方をする。
 ハルナの格好は、乳房から股間までを覆う水着型の下着、リューの格好は、ブリーフ型の下着だけだ。外を歩く時間がわずかだったので、冷却用のインナーウェアは着てこなかった。二人とももう、体を覆うものは一枚だけである。
 シュビクーが言った。
「見えません。保温材を外してください。気温は適切です」
「待って、シュビクー」
 ハルナは肩越しに振り返り、鼻が突き当たりそうな近くにいる異星人に説明した。かすかに海草のような匂いがした。
「地球人は他人に裸を見せない。見せることがタブー。理由は、見せると繁殖を誘引するから」
「今は繁殖行動をします」
「慣れていないんだってば。リュー、デリカシーって言葉、伝わるかな?」
「シュビクー、聞いてほしい」
 リューが言った。
「衣服――この保温材は、せ、性器を隠すために発達した。隠していると繁殖意欲は低い。それを外すことで繁殖意欲は高まる。外す行動も繁殖のプロセスの一つなんだ。わかる?」
「理解しました。あなたたちにも、繁殖を抑制する方法があるのですね」
「はい。――だから、これを外すと、意欲が急に高まります」
 そう言ってリューがハルナの下着に手をかけた。きゃ! とハルナが跳ねるが、すぐに深呼吸して、両手を左右に置いた。
「い……いいよ」
「うん……」
 リューはハルナの胸元のファスナーを下ろす。へそのところでそれは逆Y字型に分かれ、両足の付け根につながる。左右とも下ろすと、下着は右と左、そして股間部分に分かれる。
 すべて外して、リューはそっとポリマーの布を開いた。ハルナの、白い小ぶりな乳房が、右、左、と顔を出し、最後に股間の布を下ろすと、薄い茂みが現れた。リューがごくりとつばを飲む。
「ハルナ……きれいだよ」
「そ、そう?」
「性器はどこですか」
 ハルナの脇からするりと顔を出したシュビクーが、乳房から下腹部をしげしげと見つめた。あう、とハルナが頬を赤らめる。
 それでもこらえて、指差した。
「こ、ここ……」
「見えません」
「み、見せるから、急かさないで……」
「シュビクー、これは非常に微妙なプロセスなんだ。できるだけ介入しないでほしい。タウ人が無理やり食事を見せつけられたらどう思う?」
「……理解しました。しかし、質問は認められますか」
「どうしても必要なときには認めるよ」
 シュビクーはおとなしく身を引いた。うー、とそれをにらんでいたハルナが、意を決したように、膝を立てた。
「はい……ここが、女性の性器です」
「ぼくも見ていい?」
「見なきゃエッチできないでしょ。その代わりあんたもよ」
「わかってる」
 そう言って、地球人の男とタウ人は、ハルナの柔らかな太ももの間を覗き込んだ。
 白いふっくらとした丘の中央に、縦長の切れ目が走り、上端に火星のような赤みを帯びた粒がのぞいていた。リューが息を止めてそこを見つめる。ハルナは胸の中でつぶやく。
 うわ、食いつきそう……そんなに見たいのかな。
「な、中も見る?」
「うん」「はい」
「んと……」
 太ももの外から回した両手の指で、そっとハルナは丘を開いた。かすかにぬめって光る粘膜が、薄いひだとなって重なっている。自分でも二、三回しか見たことのないそこを、四つの目でじっと見つめられて、ハルナの声が羞恥で震え出す。
「こ、これがクリトリス……で、ここが排尿器官……こっちが、ち、ちつ……性器……」
「それでここが肛門」
「言うなよぉ……」
 立てた膝の間に、ハルナは顔を埋めてしまう。リューは意地悪そうな顔で笑っていたが、ふと横を見てぎょっとした。シュビクーが赤ちゃんのような小さな手で、カメラを突きつけている。
「撮って……るんだよね」
「撮影しています。送信しています。リューが認めました」
「ハルナ、タウ人に全世界生中継」
「ぜ……ぜんせかい……」
 ハルナの顔が、血の色そのものに染まった。泣き声になる。
「とーさんかーさん、ごめんなさぁい……」
「シュビクー、男性を見せる」
 リューが、ぐいとシュビクーのカメラを引っ張った。悔しいからね、と小声でつぶやく。
「これだよ」
 腰を浮かせて、下着を脱いだ。ほっとしたような顔のハルナと、興味津々といった体のシュビクーが目を向ける。
 リューのペニスは、すでに高々と立ち上がっていた。ハルナが、う、と息を呑む。
「おっき……そ、それ入れるの?」
「うん」
「二十センチぐらいあるじゃない!」
「そんなにないって。いいとこ十四、五……言わせないでよ」
 リューは緊張気味に苦笑し、ハルナと同じように膝を立てた。シュビクーがするりと顔を近づける。
「わかります。この部分が睾丸です。この部分が陰茎です。陰茎は勃起しています。繁殖行動に準備です。ここが子宮に精液を注入です。肛門は男女同型ですね」
「う、うん」
「接触は認められますか?」
「接触? ……少しなら認める」
「はい」
 シュビクーが小さな六本の指がある両手を出して、くにくにと握った。あっ……とリューがのけぞる。
「苦痛ですか?」
「違う。快感」
「快感ですか。続けますか?」
「やめてほしい。異星人の手でいくのはちょっと……」
「いくとはどういう意味ですか」
「し、射精。あの、ほんとにやめて」
「中止します。硬度を理解しました。疑問が消滅しました。これは膣に進入できます」
「そりゃよかった」
 そう言ってふとハルナの顔を見ると、なんとも複雑な表情で見ていた。怒っているような、あきれているような顔だ。シュビクーを押しのけて近付く。
「ヘビモグラに触られて嬉しがるなんて、どういう神経してんのよ」
「仕方ないじゃん、他人に触られたことなんかないんだから」
「あれが気持ちよかったんなら……これは?」
 ハルナがかすかに甘い笑みを浮かべて、きゅっとペニスを握った。くひん! とリューは鼻を鳴らす。
「い……すご……」
「ほんとに?」
「だって……ハルナの手だって思うと……すごく嬉しくて。これに比べたらシュビクーの手なんかヤスリだよ」
「そ、そう? それはちょっと嬉しい、かも……」
 不慣れながら、ハルナはきゅっ、きゅっ、とペニスを握り締めて、硬さを確かめるように愛撫する。リューが目を閉じてうめく。
「その辺でやめて……このままいきそうだ」
「いっちゃえば? 二回や三回ぐらいできるでしょ?」
「射精しますか? 膣内以外でするのですか?」
「き、機械的刺激でも、射精は、か、可能……」
「見たいです。膣内では記録が困難です。外部では記録が容易です。透視は認められますか?」
「透視?」
「生体を透視するX線と超音波です。被曝量は※※です。人類に許容量です」
「なんでそんなのがあるの!」
「私の医療です。私はタウ人のための実験体です。宇宙旅行は貴重です。認められますか」
「う、うん……」
 シュビクーが一番奥の操作パネルをいじると、天井から唸りが聞こえ、壁の円いディスプレイに灯が入った。彼が微調整すると、鮮明な映像が映る。リューもハルナもびっくりする。
 勃起したペニスの画像だった。人体正中線の断面を基準にして深度方向にも薄く描画されている。色もつやも本物そっくりな映像を見て、ハルナがくすっと笑う。
「タウ人のテレビも、人間に見えるんだね」
「恒星タウは太陽と同じG型スペクトルだから、可視領域も人間と同じなんだよ。あうー、せめてぼくたちに見えなきゃよかったのに……」
「私は面白いよ。リューのおちんちんの中なんて、滅多に見られないだろうから」
「解剖学的に見ます」
 シュビクーが無味乾燥に言う。
「括約筋細動脈が閉じて陰茎海綿体を鬱血です。副睾丸から精巣に精液が輸送です。尿道は閉鎖で排尿が不可能です。リューは初期の興奮状態です」
「へー……初期なの?」
 さわさわと撫でながら、ハルナは断面図を見て尋ねる。リューが首を振る。
「し、知らないよ……」
「もっと進めてよ」
 リューが初めての愛撫に興奮して、もだえている。その様子がいつにもまして可愛らしく、ハルナは大胆な気分になった。暗い桃色に染まったペニスを右手でさすりながら、身を乗り出してリューの体に乳房を押し付ける。
「ほんとは触りたかったんでしょ、私に。ほら、触らせてあげるから」
「あ……柔らかい……」
 リューが薄目を開けてハルナの乳房に手を当て、ふにふにと揉む。ハルナの右手の中で、ペニスがぐんぐん突き立っていく。よし、これでいいんだ、とハルナは自信をつける。
 片目でディスプレイを見ると、膀胱の下の小さな袋から、ペニスの根元にとくとくと精液が送り込まれていた。シュビクーが言う。
「第一段階の脊髄反射です。後部尿道に精液が蓄積です」
「それってここかな?」
 ハルナは、映像を見ながら、リューの睾丸の下の部分に指を当てた。ゴムのようなこりこりしたものをきゅっと押すと、映像の中のふくらんだ尿道の根元が、窮屈そうに縮まった。
「あ、ここだ」
「は、ハルナっ、それ、刺激が……!」
「気持ちいいんでしょ? もっとくにくにするよ」
「はっ、ああっ、ゆ、指っ」
 リューがハルナの腕にしがみついて身を震わせ、腰をひくつかせる。腰の奥の小さな袋から、白いねっとりとしたものが、すぼめられた尿道の根元に、とく、とく、と押し出されていく。
「蓄積が進行です。リューは射精が直前です。射精管閉鎖筋が限界です」
「リュー、いっちゃえ!」
「ん、ん、ううっ……」
 思い切ってリューを抱きしめ、むにむにと乳房をこすりつけた。リューが耳まで真っ赤になって目を閉じ、腰をぶるぶるっと震わせた。
「い、いくっ……」
 言い終わらないうちに、精液が溜まりきって膨らんでいた部分が、きゅっと収縮した。細い尿道を一瞬で走り抜ける精液を、ハルナは目を見張って見つめた。その汗ばんだ手の平に、びしゃっと温かいものがかかった。やった! とハルナは手の動きを早める。
「うあっ、んあっ、くっ、ふっ……」
 びくん、びくん、とリューは精液をハルナの手に噴きこぼす。彼の頭を優しく抱きしめてやりながら、ハルナは手の動きを続けた。頭の中がぼうっと張っていて、胸の中と下腹部が、中で何かが暴れているようにざわついた。セックスをしようとしてるんだ、と自分の状態を感じ取る。
 しゅうう、とシュビクーが長い息を漏らす。感嘆の声だった。
「リューは快感ですか」
「はい、すごく……」
「わかりました。男性の繁殖行動は不随意です。実行は快感で条件付けされています。だから快感です」
「タウ人は……快感ではないの?」
「タウ人は一つの個体が産卵します。別の個体が放精します。部族内の個体が不足すると、計算して繁殖します」
「本能で増やさなくてもいい環境なのかな。天敵がいないとか……」
 つぶやいて、リューは息を吐いた。ハルナは困った顔で、べっとりと濡れた手の平をみている。
「リューのがついちゃった。シュビクー、ティッシュ……除染器具はない?」
「あります。しかし認められません。精液は持ち帰って下さい」
「潔癖症なの?」
「地球人の精液はタウ人に無害です。でも地球の遺伝資源の輸入は禁止です」
「ああ、そうか」
 ハルナはつぶやくと、ぺろりと指をなめた。リューが叫ぶ。
「ハルナ!」
「いいわよ。なんだか、気持ち悪くないの。……へえ、エッチな気分だと、こんなものまで平気なんだ……」
 そう言って、ハルナはぺろぺろと一滴残らずなめとってしまった。リューは唖然としてそれを見ていたが、シュビクーも驚いたようだった。
「ハルナ、人類も人類を食べますか」
「え? 意味は?」
「繁殖細胞を食べています」
「違うの。精子はまだ個体じゃないの。これもプロセスの一部」
 笑って、リューの睾丸に触れる。んん、とリューが目を細める。
「それに、まだいっぱいあるから……一度で三億ぐらいだっけ。まだこの中に十億ぐらい……?」
「う……ん」
「ね。だから……シュビクー、期待していいよ。これからほんとのセックス、するから……」
「セックスは繁殖行動ですか?」
 そう言ってから、シュビクーは付け足した。
「避妊はしないですか?」
「もうしたわ。薬を飲んだ。宇宙船で妊娠したら対処不能だから、常備されてる。昔はそういうのがなかったの」
「でもリューは手で射精が可能です。なぜ地球人は手でしないのですか」
「手でもするわよ。でも、本物のほうがずっといいんだって」
「だってとは推測ですか」
「はい。私、経験ないから」
 ハルナはそう言って、リューの手をとり、開いた足の間に導いた。
「頼んだわよ、リュー。優しくして……」
「うん」
 横たわるハルナの上に、リューが覆いかぶさり、股間をまさぐる。すぐに、くちゅくちゅと濡れた音が漏れて来た。指先にとろみを感じながら、キスを繰り返して、リューが言う。
「濡れてるね」
「そうよ。リューの見てたら、私も……」
「心拍と血圧が増加です。体温も増加です」
 シュビクーの声に、二人はディスプレイを見る。シュビクーは、今度はハルナの体内に透視装置を向けていた。滑りあう筋肉や蠕動する内臓が克明に映っている。
 彼はさらに、フォーカスをハルナの下腹部に移す。背中側の桃色をした腸、黄色い液体が少し詰まった膀胱、その上に乗った子宮や真っ白な恥骨が、ナイフで切り開いたようにはっきりと映る。
「子宮が降下です。クリトリスと外陰部が鬱血です。粘液が増加です。ハルナは興奮しています」
「ば……ばかぁ……」
 ハルナがもがいて手で画面を隠そうとする。リューがそれを押さえつけて、体重をかけ、キスを繰り返した。
「だーめ。ぼくにも、ハルナのすべてを見せて……」
「やっ、いやっ、こんなの恥ずかしすぎっ」
 暴れたので乳房が揺れ、足がばたつく。胸板や股間に当たるその弾力に、リューはかえって興奮し、再び性器がいきり立つ。それをハルナのひだに押し付けて、くちくちとかき回した。首筋を噛みながらうめく。
「うぁ……ハルナ、ここすごく柔らかい。入れたくて……たまらない」
「リュー……」
 もがいたせいで、はあはあと息を荒くして、ハルナが抵抗を止めた。リューの顔に涙のついた頬を押し付けて、ささやく。
「わかったわよ……私が言い出したんだもん。私を……あげる」
「ハルナ、好きだからね」
「私も……」
 リューが腰を浮かせ、先端を押し付けた。シュビクーが背後からカメラを近づける。
「角度が不適切です。クリトリスを圧迫しています」
「こ……こうかな?」
「改良されました。進路が膣に一致しました」
「それじゃ……」
 ハルナの頭を抱きしめながら、リューはぐっと力をこめた。薄目でディスプレイを見る。
 じりじりと進んだ赤黒い亀頭が、円環状の薄い粘膜の中心に食い込み、引き伸ばす。じきに、それがぷつりと裂け、ずるりと亀頭が進んだ。ハルナが震える。
「つっ……!」
「痛い?」
「ひ、避妊薬、ほんとに鎮痛作用もあるの?」
「すぐ効くよ。興奮すると相乗効果があるって」
 言ってから、リューは微笑んだ。
「そうだ、お礼しなくちゃ。ハルナ、バージンありがと」
「私だって……あんたのもらっちゃったわよ!」
 リューは片手でハルナの尻を引き寄せて、ゆっくりと腰を進めた。ぽってりと厚かった膣が薄く引き延ばされて、ペニスを迎え入れる。じきに、ペニスは根元まで埋まり、先端が奥をきゅっとへこませた。画面を見て、リューがささやく。
「全部、入ったよ……」
「言わなくってもわかる……奥に、当たってるもん……」
「リュー、微小に低いです。仰角が必要です」
「ん……こう?」
「あ、はっ……」
「ちょうどよいです。射精が子宮口に進入です」
 二人は、同時にぞくっと震えた。画面の中で、ハルナの小さな入り口に、リューの先端がぴったりと口づけしているように見えた。
「今出したら……まっすぐ飛び込むね」
「へん……すごく変な気分。それ、されたいかも……」
「して下さい。射精で繁殖行動が終了です」
「待ってってば!」
 シュビクーに向かって、二人は口を合わせて叫んだ。それから、くすくす笑いながら互いの体をまさぐり、腰をすり合わせ始めた。
「もっと楽しませてほしいよ……」「私も。もう、痛くないの」
 手足をからませるように愛撫し、粘膜を押し付けあうように腰をひねり、じきに勢いよく前後に動き始めた。かすかだった粘液の音が、ちゅぶちゅぶと激しいものになる。
「ハルナ……最高だよ、あれがドロドロに溶けそう……」
 床に両手をついてあごを上げ、勢いよく腰を叩きつけ、汗を滴らせてリューがうめく。
「私もっ、あそこ燃えそうっ、もっとごりごりしてぇっ」
 M字に大きく足を開き、つま先をぴくぴく震わせ、リューの背中に爪をつきたてて、ハルナが叫ぶ。
 画面では、入り口から、中から、とめどもなく分泌する粘液でとろとろに潤った膣の中に、こわばったペニスが勢いよく出入りして、外にあふれさせている。亀頭をぐりぐりと押し付ける動きも、膣をひくつかせて快感を受け入れる様子も、あますところなく描写されている。
 隣の画面には、シュビクーのカメラの映像が出ている。地球の猥褻な番組そのままの情景だった。ハルナの真っ白で張りつめた尻に、同じぐらい白く細いリューの尻が打ち付けられ、白っぽい粘液で濡れそぼったひだが、硬く充血したペニスでかき回されている。
 ハルナの頭をそちらに向けてリューが叫ぶ。
「ほらっ、ハルナっ、ひとつになってるっ!」
「やあぁ、すごっ、やらしすぎっ」
「シュビクー、タウ人は何人いるの?」
「前※※の調査で、十億二千五百十万五千四十一体です」
「ハルナ、聞いた?」
 ぐいぐいとハルナの尻を揺さぶらせるように押し付けながら、リューは言う。
「十億人が見てるって……」
「いいの、もう、見てっ!」
 ハルナはリューの片手の指をつかみ、ちゅっ、ちゅっ、としゃぶりながら半狂乱で言う。
「これが快感だから! 嘘じゃない、本物の地球人のセックスだからっ! こんなに嬉しいからするのっ! 見て、わかってぇ!」
「そうだよ、僕とハルナは大好きなんだよ! 隠さず言うよ、ぼくはハルナと、何回でも何万回でも、これをしたいっ!」
「して、してぇっ!」
「呼吸が過剰です。二酸化炭素が……」
 言いかけて、シュビクーは口を閉じた。黙って空調を調整する。
「知性が認められません。理解しました。繁殖行動は、大量に快感です」
「そっ、そぉっ、快感なのぉ!」
 絶叫するハルナを、リューがきつく抱きしめた。ますます激しく腰を動かしながらうめく。
「くるっ、射精くるっ」
「きてぇっ! シュビクー、みんな、見てぇ!」
「ハルナぁ!」
 輪郭が薄れるほどの勢いで出入りしていたペニスの先端から、どっと白いものが噴き出した。一筋の線となったそれが、まっすぐ子宮口に飛び込んだ。さらに、後からあとから噴き出す精液が、粘液と混ざり合って、じゅわっ、じゅわっと子宮内にあふれこんだ。
「来てるうぅ……」
 ハルナが全身を硬直させてリューを抱きしめる。膣が、括約筋が、きゅうっと縮み上がって、愛しげにペニスを包み込む。体と体、性器と性器、二人のすべてが一つに溶け合う光景だった。
 そのまま、二人は長い間密着していた。じっとそれを見ていたシュビクーが言った。
「さらに理解しました。人類の繁殖行動は、知性を放棄します。知性体として不適当です。だからタブーです」
 そう言うと、彼はいくつかのスイッチを操作した。透視装置と、カメラの画像が消える。
 そして彼は、人間のように頭を下げた。
「リュー、ハルナ。大量に感謝です。そして大量に謝罪です。あなたたちが繁殖行動の見せるは拒否は、適切な感覚です。私の要求は、不適切でした」
「え……」
 うっとりと目を閉じていたハルナが顔を上げて、船内を見回した。
「記録、もういいの?」
「中止です。必要なら消去です。要求しますか?」
「ううん、いいわ……必要ない」
 ハルナは、リューと軽い口づけを交わしながら、言った。
「恥ずかしかったけど、ありのままを伝えられたから。人類は友だちに隠し事なんかしない。超空間ゲートやエンジンのことだって、いつかきっと教えてあげる」
「感謝です。本当ですか?」
「本当よ。でも、タウ人も隠し事をしてはいけない。ありのままを教えて。技術が遅れていても、きっと面白いことや興味深いことが、たくさんあると思う」
「複雑です。ごめんなさい、一部が理解が困難です」
「そのうちわかるわよ……」
 言いながら、ハルナは再び、リューと愛撫を始めている。シュビクーが言う。
「理解は終了しました。もう繁殖行動の必要はありません」
「言ったでしょ、大量に快感だって」
 くすくす笑うハルナの乳房を、リューがはむはむとくわえながら、同じように言う。
「シュビクー、ぼくたちはしばらくセックスします」
「もう一度ですか?」
「わかりません。二度かも、三度かも」
 シュビクーはカメラを置き、奥の箱から小さな球形のパッケージを取り出した。
「認めます。私は、水を食べます」
「シュビクー?」
「必要です。時間が経過ですので」
 そう言うと、少し顔を背けて、それでも隠さずに、ちゅうちゅうと水を飲み始めた。リューとハルナは顔を見合わせて笑い、それからまたセックスを始めた。
 二人の地球人と一人のタウ人は、とても恥ずかしいことを、長い間見せあった。

――――  ☆  ――――

 ベンチに腰掛けたジャックとミリアムは、逃げるどころか身動きもできず、息を呑んで老婦人の話を聞いていた。二人とも顔は真っ赤だった。
「……というわけで、私たちとタウ第一科学文化帝のシュビクーは、親友になったの。地球で言えば太連議長よ。あとからそんな偉い人だって聞いてびっくりしたけど、おかげで、ただの保安官の私たちが、タウ・地球無制限交流条約を結ぶことができた」
「そんな話、聞いたこともないですけど……」
「彼らが秘密にしてくれたからね。だから私も、タウ人の食事を見たっていうことは伏せた。今じゃ常識のあのマナーは、私たちが発見したのよ」
「ほんとですか?」
 疑わしげに言ったジャックの袖を、ミリアムが引く。
「タウの話は知らないけど、この人たちがすごく有能なのは確かよ。無差別採取行為で四つもの文明を食べちゃった、おおぐま座ラランド人と不可侵条約を結んだの、確かこの人たち……」
 ミリアムは、ハルナを振り返る。
「あれも、今の話みたいに、繁殖行動を見せて理解を深めたんですか?」
「セックス見せりゃいいってもんじゃないの」
 ハルナは楽しそうに笑う。
「連中は、戦闘力の低い異星人を、知性体としての生存能力に欠ける失敗作としか思わない奴らだったわ。セックス見せても仕方ない。だから代わりに、戦闘力が低くても有能な知性体がいるって言うことを教え込んだ」
「どうやって? 策略を使って奴らの要塞彗星を倒したんですか?」
「頭を使ったって、戦争やったら同じことよ。あの時も使者と交渉をしたわ。まずリューを連中の知能テストにかけて、知性があるってことを確かめさせた」
「それで収まったんですか」
「収まらないわよ、知性よりも暴力のほうが上だと思ってるんだもの。だから、知能テストのあとで、私がリューを殴り殺した」
「……そんな無茶な」
 ジャックとミリアムは青ざめる。相変わらず土星を見上げていたリューが、飄々と言った。
「あの時はきつかったね。いくら僕が軟弱だからって、一発や二発殴ったぐらいじゃ死なないもの。ハルナは泣きながら手の指が折れるまで僕を殴って、心臓停止にまで追い込んだ。蘇生が二分遅れたらほんとに死んでた」
「なぜそんなことを……」
「蘇生を見せ付けるため。私が必死こいてリューを助けたの。リューが息を吹き返したときは、ラランド人は気が狂ったみたいに大騒ぎしたわよ。――明らかに強力な個体である私が、弱いリューを助けちゃったんだもの」
「賭けだったねえ。あそこまで僕を痛めつけたハルナが、僕のことを必要としているって、連中に伝わるかどうか。痛めつけられた僕が、ハルナに欠けている部分を補うために、命懸けで従っているってことが、伝わるかどうか。結構ややこしい理屈だったからね」
「でも伝わった」
 ハルナは得意げに言った。
「弱い異星人を食べちゃうより、生かして手伝わせたほうがずっと得だって、連中も気付いたからね。――そのあと当然奴隷化を思いついたけど、そこで保安艇が役に立ったわ。保安艇の武器がね」
「攻撃したんですか?」
「まさか。見せただけよ。それだけで連中は腰を抜かしたわ」
「保安艇の、マルチプロトコル・データリンクシステムね」
 リューが淡々と言う。
「太連内だけじゃなくて、あらゆる異星人の兵器と連動運用ができるシステム。壊滅戦しか知らなくて、異星人との軍事同盟なんか結んだことのないラランド人は、あれを使えば自分たちの数百倍の兵力を運用できるって知って、震え上がってたね。――僕は、人類五千年の戦争の歴史が産んだあのシステム、嫌いだけど」
「ふてくされるなって。それを使わせないために、私たちが頑張ったんじゃない。初めから異星人同盟軍の艦隊を組んで押しかけたら、実戦の火蓋が切られてたわ。代替案を教えたからこそ、抑止力が役に立ったのよ」
「そう。抑止は成功した。ラランド人は、しぶしぶながら不可侵条約に同意した」
「今では貿易も始まってます」
 ジャックが感動に声を震わせた。
「あなた方は、そうやって人類の友達を増やしてくれたんですね……」
「まーね。私、人付き合い好きだから」
 ハルナはこめかみをぽりぽりかいた。
「最近の外務局はどうもやる気がないみたいだから。どんな若いのがいるかと思って来てみたの」
「ハルナは体育会系だねえ」
「だから他人の振りして論評するなと」
 ぽかりとリューの頭をはたいてから、ハルナは二人を見上げた。
「ま、わざわざロートルの話を聞きに来るような若者がいれば、この先も何とかやっていくでしょうね」
「やってみせます!」
 ジャックより先にミリアムが叫んだ。
「あなたみたいに……異星人と親友になれるような交渉官になります!」
「見る前に飛べ。いえ、話すより脱げ、かな?」
 ハルナがあっけらかんと笑う。リューが土星の輪を指差してつぶやいた。
「あ、ミマス見つけた」
「やっとか。それじゃそろそろ行きましょうか」
 二人が立ち上がる。
「もう行っちゃうんですか?」
「カンクネンのやろーは苦手なのよ。あいつ、何かっつーとすぐ星間電話かけてきて、今度の宇宙人はどう扱ったらいいかって泣きつくんだから」
「あの部長が……ですか?」
「昔ね。あいつが自毛だった時代の話」
 ハルナが、ぽんとジャックの肩を叩いた。背筋はまっすぐだが、驚くほど小柄な女性だった。
「あんたは若いから少々頼ってもいいわよ。はい」
 ネプチューンブルーの洒落たケープのスリットから、ハルナがデータカードを出した。受け取って見ると、何の肩書きもなく、名前とコールナンバーだけが記されていた。ただし、八十九の種族の文字で。押せば同じだけの声でしゃべるだろう。
 顔を上げると、二人はすでにいなかった。
「行っちゃった……」
 立ち尽くすジャックの無線機が、呼び出し音を上げる。噂のカンクネン部長だった。
「ジャックか? 急用だ。くじゃく座デルタの先で、未接触の異星人惑星が見つかった。こっちはあのお二人の捜索で忙しくて手が回らん。ファーストコンタクトのタスクフォースが行くまで、お前たちが先行して、ざっと観測と情報収集をやっといてくれ」
「教える?」
 ミリアムがジャックを見上げる。
「ハルナさんのナンバー教えれば、部長も手が空いて応援を回してくれるんじゃない?」
「冗談」
 鼻で笑って、ジャックは言った。
「了解、ミリアムと二人で現場に向かいます。初期交信条約を結ぶ権限を下さい」
「なんだと? おまえたちにはまだ無理――」
「やってみせますから、成功したら事後許可をお願いします」
 通信を切って、ジャックは昂然と歩き出した。その背を見つめたミリアムが、つぶやく。
「一皮剥けたかな? ちょっといいかも……」
「ミリアム? 来ないのか?」
 ジャックが振り向く。ミリアムは追いついて言う。
「行くわよ、もちろん。……あんた次第で、どこまでもね」
 後半は口の中だけのつぶやきだ。まだ彼女は知らない。
 六十二種の異星人と手を結び、意思疎通不可能と言われたダークマター知性体とさえも知識貿易条約を成立させる、苦難と栄光に満ちた人生を、彼がともに歩んでくれることを。


―― おわり ――



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