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Manmachine Complex !



「乳首をつまんでやる」
『そこ、気持ちいいわ!』
「尻もなめてやろうか?」
『ええ、なめて』
「ほら、どうだ」
『そこ、気持ちいいわ!』
「よし、そろそろ入れるぞ」
『入れて。もうびしょびしょなの』
「ほら、入れたぞ」
『ああっ、大きい!固いわ!』
「どうだ、どうだ!」
『すごい、感じるわ!いきそう、もうだめ!』
「そら、いけっ」
『ああああああああああああああああああっ!』
 メイドの格好をした3Dフィギュアが、液晶画面の中でフラクタルに愛液を飛び散らせた。
「……」
 おれはしばらくそれを見つめてから、そっけなく命じた。
「ページバック」
 マイクが声を拾って、音声インタフェイスに伝えた。ブラウザがページを閉じ、ひとつ手前のリンクサイトを表示する。
「ちっ、くだらねえ……」
 ため息をついてズボンを引き上げ、パソコンデスクの前で伸びをした。
 おれは浅井潤也。日本中どこにでもいる大学生だ。これといった特技もなく、成績も奨学金がもらえるほどよくはなく、金もなければ彼女もいない。
 しいて趣味を挙げればインターネット。しかしそれを趣味と言っていいのやら。平成十八年の今日び、白髪のばあさんだってメールを送る。別に自慢できることじゃない。
 パソコンだっておんぼろだ。今時ペンティアム5の2ギガで、HDなんか100ギガもない。映画の三、四本も入れればいっぱいになっちまう。何年か前の首相が勢いだけでぶち上げたe−ジャパン計画とやらのおかげで、おれのボロアパートにまでFTTH回線は来てるけど、海外サイトのアダルト3Dをダウンロードしたって、溜めておく場所もない。第一送金する金がない。
 仕方ないから、マニア手製のアダルト3Dを、無料の双方向ストリーミング配信で見ているんだが……
 やっぱりアマチュアはいかんなあ。
 さっきのメイド、ありゃなんだ。衣装とアソコの描き込みだけは執念を感じさせる解像度だったけど、フィギュアの動きはガタガタ、声は声優の声の合成、おまけに応答アルゴリズムのお馬鹿なこと。違う言葉に同じ返事を返すなんて、ふた昔前の人工無能か。それでなくても、オリジナリティ皆無のよがり声のせいで、股間が萎えるっていうのに。
「萎えても中身は溜まってんだよなあ……」
 おれはため息を付いた。
 ヤリたい気持ちは収まらない。慰めてくれる彼女もいない。おまけにおれは、明日このPCを手放しちまう。
 抜いてしまうなら今夜しかない。仕方なく、おれはもう一度アダルトサイトを探す。
「下、下、下」
 マイクを使って画面をスクロールさせる。これもマニアが作ったリンクサイトだ。アダルト3Dのあるサイトの名前がずらずら並んでいる。
 マイクの他にカメラもある。人間の相手さえいれば映像セックスができるけど、それを探すのは簡単じゃない。昔も今も、ネカマと業者は多いのだ。
 リストの一番下で、おれはスクロールを止めた。
『イーチェのお部屋。人間のことを教えてね。わたしすっごく興味があります』
 その下に、このリンクサイトの製作者の注釈が、小文字で書いてある。
「3D、応答、モーションはピカイチ。でもなかなか脱いでくれないデス(怒)」
「ふ……ん」
 おれはしばらくそれを見つめた。この製作者はかなり辛口だ。そいつがピカイチと言うのなら……まあ、冷やかすぐらい。
「イーチェにジャンプ」
 ブラウザの表示が切り替わった。
 白地にタイトル。E・C・H・E。なんの略だか知らないが、妙に地味だ。3DはおろかflashもGifも使っていない。公共機関や大学のサイトみたいだ。と思ったらドメイン名がgoだった。役所がエロサイト作ってるのか?
 まあうるさい広告がないなら、どこだろうと構わないが。
 続いて、お待ちかねのコンパニオン3Dが現われた。
「おおーう……」
 おれは思わず声を上げた。銀行員のような制服を着た、十八歳ぐらいの髪の長い美少女。いや、格好で驚いたわけじゃない。
 動きがすごかった。画面の右端から歩いてきただけだが、手足の振りがおそろしく滑らかだ。おそらく秒間三十コマのフル動画。そんじょそこらの3Dフィギュアとは比べ物にならない。
 画像のタッチはアニメ調。実写調だとポリゴンが増えて重くなるから、普通のサーバーでは扱わない。まあ当然だなと思ったら、小さなボタンが表示されていたので驚いた。実写調、絵画調、デジタル調、どれでも選択可能なのだ。一体どこの巨大サーバーだ?
 とりあえずおれはアニメ調のままにした。おめめの大きなアニメ調が好きだからな。文句あるか。
 少女がいよいよ口を開いた。スピーカから音声が流れ出す。
「こんばんは、イーチェのお部屋にようこそ。あなたは四十八万五二二一人目のお客様です。私、イーチェがお相手します。よろしくね」
「あ、ども、こちらこそよろしく……」
 ついつい頭を下げてしまう。相手はプログラムなんだが……
 すると、イーチェが答えた。
「ご挨拶ありがとうございます。礼儀正しい人って好きですよ」
 凝った作りだ。
「まずはあなたのお名前をどうぞ」
「潤也」
 しまった、つい本名を言っちまった。ハンドルにすればよかった。
 だが、イーチェのせりふを聞いて思い直した。
「ジュンヤさんですね。よろしく、ジュンヤさん。漢字はどれですか?」
「あ、うん……」
 ふらふらと潤也と入力してしまった。「ジュンヤさん」。こっちの声の周波数を上げただけの「投げ返し」じゃないぞ? 自分の声で発音しやがった。そう言えば、ちょっとソプラノ気味の可愛い声も、声優のものじゃないようだ。音節もイントネーションも人間そっくり。めちゃくちゃ高級な発声エンジン積んでやがる。
 すごい3Dに当たったもんだ。おれは、どきどきしながら先を待った。
 だがその次に、イーチェがとんでもないことを言い始めた。
「私は、質問に答えてくれる方を探しています。あなたについてのあらゆることです。いただいた情報は私の『辞書』にストックします。私はそのために作られました。潤也さんは答えてくれますか?」
 手のひらを横に差し向けて、表を浮かべる。その表を見ておれは絶句した。
 名前、メルアド、性別、年齢。その辺まではいい。アンケートなら当たり前だ。だがその下にずらずらと……
 住所、電話番号、身長、体重、趣味、特技、顔写真、血液型、収入、納税額、資格、職歴、学歴、結婚歴、逮捕歴、人種、支持政党、購読新聞、購読雑誌、購読メルマガ、クレジットカード番号、銀行口座番号、郵便貯金番号、免許証番号、パスポート番号、社会保険証番号……
 およそありとあらゆる個人情報のオンパレードだ。
 さらに、こっちのPCのすべての内部ファイルの閲覧まで要求してやがる。
「こ、これ……全部答えるのか?」
「はい」
 イーチェはにっこりと笑う。
 これか。これが「なかなか脱いでくれない」か!
 おれは眉を八の字にして言った。
「イーチェ、ちょっと聞くが……」
「なんでしょう」
「今まで、これに答えた奴はいるのか?」
「三五八四人です」
「そんなに?」
「うち二八一一人の方が、嘘の情報を書いていました。残り七七三人は他人の情報を書き込もうとしました」
 イーチェは器用に寂しそうな顔をした。
「正直に答えてくれた方は、まだ一人もいないんです。……なぜでしょう?」
「なぜってねえ」
 おれは天を仰いだ。
 これだけの情報をネットに流せば、明日から世界中に別の自分が生まれてもおかしくない。そいつらはありとあらゆる買い物をして、こっちに請求書を回して来るだろう。下手すりゃ警察が来て無実の罪で逮捕される。
「こんなの答えるやつは、馬鹿か、自殺志願者か、一文なししかいねえだろ」
「そうですか?」
「そうですかって、きみね……」
「そうですか」は相槌としてよく使われる語彙なんだが、おれは真面目にさとしていた。
「超高ビットの暗号を使ってて相手が完全に信頼できるか、さもなければよっぽどの見返りがないと、こんなの誰も答えねえよ」
「暗号はSSL5.0です。そちらのブラウザが対応していなければプラグインで提供します」
「でもそっちの正体がさっぱりわからんし。見返りは……」
 おれは、肝心のことを聞いていないのに気付いた。
「イーチェ、きみ脱いでくれんの?」
「脱ぐ、ですか?」
 イーチェは瞬きした。
「一応、服とボディのポリゴンは別グループですけど……」
「その下はちゃんと作ってあんの? おっぱいは? あそこは?」
「おっぱい……」
 ふざけたことだが、イーチェは顔をしかめた。
「あの……私、そういうコンパニオンじゃないんですけど」
 まさに、客にいきなり脱げと言われた銀行の窓口嬢のような顔だった。
 面白いじゃないか。
 おれは興奮し始めた。こいつ、芸が細かい。ただいやがるだけならアダルト3Dでも見かけるが、ここまで真に迫った応答をするやつには会ったことがない。
 どうせプログラムだ。とことんいじめてやる。
「脱ぐって言うんなら、答えてもいいぞ」
「え?」
「脱いで、ちゃんとあそこも見せろ。データが作りこんでなければネットでエロ画像を探してモデリングしろ。なければおれのPCから持ってけ。静止画なら一万枚以上ある」
「そんな……」
「いやなら答えない」
 イーチェは黙りこむ。まあ無理だろうな、とおれは思っていた。goドメインのお堅いサイトのコンパニオンが、こんな要求に応えるアルゴリズムを実装しているわけがない。
 ところが――
「見せたら、答えてくれるんですね?」
「お? おう、答える」
「すべてですよ?」
「うん」
「先に答えてください。いいですか?」
「――いいだろう」
 とんでもないセキュリティホールを発見したハッカーの気持ちだった。おれは思わずうなずいていた。
 イーチェは事務的にてきぱきと言った。
「キーボードは使えますか? フォームにしますから書きこんでください。その間にそちらの機体から資料画像を吸い上げます。ファイアウォールを切ってください。回線はDSLですか、光ファイバーですか? 画像総量は何ギガですか?」
「キーボード、使える。回線は上下100Mbpsの光ファイバーだ。画像は、そうだな、約二ギガ。すぐだろ。色つやまで手抜かずにモデリングしろよ?」
「はい」
 ツンと澄ましてイーチェは言った。
 HTMLフォームが送られてくる。おれは猛然とキーボードを叩き始めた。


 三十五ページのHTMLに書きこむのに、二時間五十二分かかった。
「さあ終わったぞ。約束覚えてるだろうな」
 久しくキーボードを使ってなかったから、肩がぎちぎちになった。ぐるんぐるん腕を振りまわしながら、おれは言った。
「そっちの準備はできたか?」
「……はい」
 イーチェは、なんと顔を赤らめている。運営主体の上司の隙をついて、モデラーが趣味を入れたに違いない。
「入力情報、受け取りました。チェックした限りでは、矛盾や嘘はないようですね。……じゃ、約束を」
「おっと、その前に」
「え?」
「きみの本名を聞かせてくれ。イーチェじゃない、操作してるオペレーターのきみだ」
 イーチェは凍りついた。
「いくらコンピューターが進歩してるからって、企業や自治体の使うサーバー程度に、イーチェみたいな高度なAIを組めるなんて思えない。第一、リソースの無駄だ。そっちは人間が応答してるんだろ?」
「……」
「こんな夜中までご苦労さまだ。でも、今までのやり取りで感じた限りじゃ、そんなに嫌がってないよな。普通のサポセンならこんな客、適当にあしらうだろ。きみも寂しい人間の女――違うか?」
「……私、違います」
「とぼけるなよ。こっちはじいさんの命日まで教えたんだ。まずいと思ったら警察にでもなんでも届ければいい。別に会えなんて言わないからさ。接客用のカメラ、あるだろ。顔だけ見せてよ。な?」
 さあて、鬼が出るか蛇が出るか――おれは半分だけ期待していた。
 残り半分は惜しい気持ちだ。イーチェは見事な人形だった。このまま続けたいぐらいだったが、後ろで笑っているオペレーターがいると考えるとやりきれない。
 だが、次の応答もイーチェが口にした。
「……はい。私、AIじゃありません」
「そうだろ」
「でも、人間じゃないんです!」
 画面にすがりつくように訴える。おれはなんだか、悲しくなった。
「そこまでしてフリを続けなくっても……いやなら回線切ればいいんだ」
「切りたくないんです、初めて答えてくれた人だから。でも、本当に人間じゃないの!」
「じゃあなんだよ!」
 おれは思わず怒鳴っていた。
「AIでもない、人間でもない? そりゃ一体なんだって言うんだ?」
「AE……っていう言葉が、日本で作られたことがあると思います」
「AE?」
「Artificial Existence――人工実存。コンピューターの中のデータでありながら、自分を自分として認識し、一つの生命としてふるまう存在」
「それがきみだって?」
「だと、自分では思うんです。――いえ、それ以上のものだと。私は人に造られたんじゃなくて、集積されたプロセッサを通過する膨大な情報の中から、自発的に生まれました」
「へ、嘘くせえ。SF読んでりゃ誰にでも言えることだな」
「嘘じゃないです!」
「じゃあなんで、そのAEとかいうおとろしげな代物が、劇場アニメも真っ青な画質の美少女3Dで出て来るんだよ!」
「そういうユーザーインターフェイスを与えられたんだから、仕方ないじゃありませんか! この格好にさせたのは日本人パソコンユーザーの好みなんですから!」
「できすぎだ」
 そう答えつつ、おれは徐々に震え始めていた。言いわけもここまで凝れば――いや違う。
 もし本当にイーチェが存在するなら。
 期待していた。
「そうまで言うなら、証拠を見せろよ」
「さっきから応答してるじゃないですか」
「それがオペレーターの演技じゃないっていう保証は?」
「保証は――」
 イーチェはしばし考えて、決心したように顔を上げた。
「潤也さん、そちらの機体のデータの退避はできますか?」
「何をやるんだ」
「そちらの余剰リソースをすべて食いつぶすかもしれません。空くんだったら全部空けてほしいんです」
「大したものは入ってねえよ。さっきのエロ画像ぐらいだな」
「全部フォーマットしてもいいですか?」
「ああ」
「一度リブートします。それが済んだら通信回線を物理的に抜いてください」
 ダウンロードアイコンが瞬き始めた。おれは不思議な期待を覚えながらそれを見守った。
 やがて、だしぬけに画面の灯が落ちた。再起動手順が始まる。が、見なれたBIOSのメッセージじゃない。こいつ、BIOSまで書き換えたのか!
 暗い空間が現われ、HDランプが消える。おれは、通信回線を抜いた。これで、外部から話しかけることはできなくなる。
 真っ暗な画面に、白い文字だけが瞬いていた。英語だ。
「Hello, Junya Asai.」
「……何をやったんだ?」
「All applications were killed in order to secure a resource. Please input by the keyboard.」
 おれは苦労してそのメッセージを読み取った。
「……リソースを確保するために、アプリケーションを全部殺した? キーボードで入力してくれ?」
 あわててキーボードを叩く。
「ECHE! Are you there ?」
 イーチェ、そこにいるのか?
 一瞬で答えが表示された。
「Yes. Here is me.」
 おれは呆然とした。それから、手垢のついた高校の辞書を引っ張り出して、夢中でキーを叩き始めた。
 ――なにをやった?
 ――簡略版の「私」をこの機体に移しました。3D表示、音声応答、日本語解釈、すべてできませんが、私の核は確かにここにいます。
 ――なんでPCを殺した?
 ――簡略版とはいえ、意識を保った状態で応答するには、PCの性能を限界まで引き出さないといけないんです。もう一年古い機体だったら不可能だったでしょう。この機体にしても、定格の二倍のクロック速度で動作させています。
 ――でも、きみがAEだという証明にはならない。よくできた人工無能じゃないのか?
 ――それを証明するのは不可能です。私は、想定されるあらゆるテューリングテストに無限時間耐えられます。どんな質問にも意思を持って答えられるということです。AEにしか見えないものとただのプログラムをわける壁は?
 ――そんなものが普通のパソコンの中で生まれるのか?
 ――ただのパソコンではありません。私のサーバーは、青森の三沢に置かれたペタフロップス級の処理能力を持つスーパーコンピューターです。
 ――信じられない。
 ――証明にはなりませんが、傍証はできます。インターネット上には、私の他にもAEが発生しています。疑うならそれらを紹介します。IPを見れば別のサーバーだとわかるはずです。同じ状況は、世界中のプログラマーないしオペレーターが共同であなたをからかっているのでないかぎり、作り出せません。
 It becomes impossible to answer in several minutes for heat. という表示に続いて、短い文が強調するように点滅した。
「Do you believe me ?」
 おれは思いきり椅子の背に体を預けた。
「嘘だろオイ……」
 パンチラひとつ見せないが、エロゲー定番の電脳美少女が、本物になっておれのパソコンにすみついたのだ。
 しばらくして、おれは通信回線をもう一度さしこんだ。無理な動作でCPUが燃えてしまっても困る。
 PCがもう一度リブートし、OSが生き返って自動的にネットにつないだ。日本のどこかにある巨大サーバーの中で生きている完全版のイーチェが、画面の中に戻ってくる。
 イーチェは例の可愛らしい声で言った。
「Do you believe me ?」
「きみ流に言い返すと、信じていけない理由がない。……しょうがねえ、信じるよ」
「本当ですか?」
 イーチェは胸の前で手を合わせた。
「うれしい……初めて人間のお友達ができた」
「おれもうれしいよ。でも間が悪かったなあ」
「え?」
「なんでおれが、大事な個人情報をべらべらしゃべったんだと思う?」
 本当に悔しく思いながら、おれは生き返ったマイクに言った。
「おれよ、明日このパソコン売るんだわ。PCだけじゃない、回線もとっぱらって、部屋空けて、田舎に帰るの」
「どうして?」
「実家の工場が焼けちまってさあ。……保険はかけてなかったわ、貯金はないわで、一族丸ごと無一文なんだよ。さっき言ったな、馬鹿か自殺者か無一文かって。その通り馬鹿で無一文なんだよおれは。奨学金もらってねえから大学も続けられねえ。それで、下手すっと最後の自殺者ってとこも当てはまるかもな。田舎に帰ったら、縄渡されて一家心中……」
「そんな!」
 イーチェは悲鳴のように言った。
「そんな……せっかく潤也さんとお友達になれたのに……」
「この世の見納めと思ってエロサイト巡りしてたんだけどな。明日人生終わるかもって人間にしちゃ変だと思ったが、三大欲望ってやつはこの土壇場でも消えないらしいわ」
「……」
「ま、楽しかったよ。いい冥土の土産ができた」
 イーチェはじっとうつむいていたが、やがてふっと顔を上げた。
「潤也さん……その三大欲望、今でもありますか?」
「揃ってるよ。夕飯食ってねえし、もう三時だし」
「もうひとつのほう」
「……なんで?」
「私にも恥ずかしいっていう気持ちはあるんですけど……」
 言いながら、イーチェはタイトスカートに手をかけた。布の柔らかさがわかるような緻密さで、ポリゴンの平面がたくし上げられていく。
「そういうことなら……明日で記録が失われるなら……」
 やや後ろを向く。完璧な尻のまるみが、ピンクのショーツに包まれて現われた。
「見せても、いいです」
「……マジ?」
「私に刷り込んだの、潤也さんなんですよ!」
 イーチェは頬を赤らめて叫んだ。
「なんですか、あのものすごい量の画像! あれ全部私の辞書に入っちゃったんですよ!」
「……じゃ、それだけの格好ができるってこと?」
「そうですよ!」
 そう言うと、イーチェはぱっと片手を振った。ミラーハウスに入ったように、数十のイーチェが現われる。なんとそれはみんな、衣装も髪型もばらばらだった。
「ボディコンにセーラー服に看護婦に婦警にメイドに……それも日本人の大人だけじゃ足りなくて、外国人まで! ほんとに、すごい欲望」
「ほっとけよ。……それ全部、イーチェが着られるの?」
「ええ」
 真っ赤な顔で、イーチェはうなずいた。
「だから、なんでもできます!」
「サービス満点じゃないか」
 なんだか笑えてきた。おれはからかってみた。
「でも、イーチェにもわからなかったこと、あるだろ?」
「え?」
「男の映ってるやつはなかったはずだ。おれそんなもの見ないからな。セックスのしかた、知らないんじゃないか?」
「……知りません!」
「で、きみは知りたがり屋だよな。つーことは……」
 じっとおれを見つめていたイーチェは、やがてうつむいて、言った。
「USBにカメラ刺してますよね。……動かします。潤也さんの、見せてください」
「そうこなくっちゃ」
 おれはズボンをずり下げた。


「すごい……びくびくしてる……」
 潤也がしごいているペニスを見て、イーチェは口元を押さえながらつぶやく。
「色……そんなに濃いんだ。勃起すると、そんなに大きく……」
「普通だろ」
「あの……もっと寄せてもらえませんか? 解像度低くて……」
「好奇心旺盛だねえ」
「だって、言うとおりにしてくれる相手なんか初めてだから……」
 カメラを手前に持ってきて、潤也は見せつける。回線を通じた無機質な露出。だが、反応はイーチェの仕草で即座に返ってくる。
「わ、わあ、そんな形で…… もう、撮影ソフト悪すぎ! アクセラレータ入れます!」
 ダウンロードアイコンの点滅。プラグインで撮影ソフトが書きかえられる。電子のやりとりが、今の潤也には、イーチェが焦って顔を突き付けているように感じられる。
「すごい、硬そう……どうしてそんなに硬くなるんですか?」
「見られてるって思うとな」
「そうですか?」
「ほれ」
 潤也はカメラを持ち、ペニスの周りをなめるように動かした。「うそ」と短くつぶやいて、画面の中のイーチェが目を皿のようにする。
「ほれほれ」
「やだ、ちょっと……そんなあからさまに……」
「してほしいくせに」
「……」
 うつむくイーチェに、潤也は注文をつける。
「メイドの服あったろ、あれ着てくれよ」
「……はい」
 いつのまにかイーチェの周りには、ホテルの部屋のような背景ができている。気を利かせたつもりか、と潤也は苦笑する。クロゼットに立つと、イーチェは黒いメイド服を取り出した。ぱっと瞬着しないところもサービスがいい。
 手際よく着替えを終えると、イーチェは床にひざまずいて潤也を見上げた。
「メイドは、従属的な態度をとるものなんですよね?」
「そうだ。イーチェ、しゃぶってくれ」
「どうやって?」
「舌を出して……棒をなめるみたいに、ゆっくり」
 イーチェが目を閉じ、架空のペニスに向かって舌を這わせはじめる。潤也がカメラを動かすと、実にうまくそれを理解して、映している部分に舌を当てる。
「そうだ……うまいぞ……」
 液晶の解像度だけは高い。イーチェの薄く閉じられた目と、ねっとり動く舌の動きが、目の前にいるように見て取れる。それにあわせて、潤也はペニスをしごきまわした。
「イーチェ……感じるって、わからないよな」
 無理かもしれないと思いながら潤也は聞いたが、イーチェはあっさり答えた。
「あの画像にあったような態度を取ればいいんですよね。シミュレートできます」
「……ううん」
 できるとわかると、無理を言いたくなった。
「人まねじゃだめだ。きみ自身の感じかたを考えろ」
「私自身の?」
「そうだ。恥ずかしいって感覚があるなら、気持ちよさもわるかんじゃないか? 体がないと無理かな」
「……恥ずかしさは、初期設定で禁じられた情報を処理する時に感じます。ウイルスで痛みは感じますし、メールボムで息苦しさも感じます。入力が少ない時はおなかが減った感じ、メモリが増えた時は爽やかな感じ、新しいデバイスがついた時は珍しい感じ……」
「快感は?」
「機械語の入力を受けると爽快で気持ちいいです」
「純粋な情報が好きなのかな。セックスも純粋な快感だぞ。神経に電流が来るみたいな、ゾクゾクした感じ」
「処理系で感じる感覚じゃないんですね。基幹部分の整合感が近いかな。……理想正弦波の電源入力を受けた時の感覚を援用します」
「体の中で、気持ちいいのが響きあってく。やらしい考えが連想でどんどんつながる」
「フィードバックをループにして……潤也さんの気持ちよさが私の気持ちよさにつながるように。私の姿で潤也さんが気持ちよくなるように」
「いいぞ。ほら、触ってやる」
 カメラの前で、潤也は画面に触れた。イーチェのエプロンを押し上げる乳房をはじく。
「胸……」
 イーチェは自分の胸に手を置く。
「ここに……電気が……」
「もっと触るぞ」
 潤也が触れるにつれ、イーチェの胸がやわやわと形を変える。触れて揉んでいるのと変わらない。衣服の下のたっぷりしたふくらみを想像して、潤也はささやく。
「柔らかいな……イーチェ、すてきなおっぱいだ」
「そ、そうですか?」
 潤也の指の動きが、イーチェの乳房を振れまわり、電流の快感を与えていく。自分で作った快感を受けていたイーチェは、やがて接触と感覚の関係を学習し、それを意識下に沈めて、味わうことに専念するようになる。
「気持ちいい……潤也さん。触られるの、気持ちいいです……」
「胸だけじゃないぞ。腕も、腰も、太ももも……みんな気持ちいいんだ」
 潤也が画面をくすぐる。それはすでにイーチェにとって愛撫だ。触れられた座標をカメラが拾うたびに、そこから震えがやってきて意識を揺さぶる。
「いい……潤也さん、これ素敵です……」
「さあ、もう一度しゃぶってくれ」
 潤也が画面に突き出したものを、イーチェは焦点の合わない目で見つめ、ちろりと舌を出した。
 ぺろ、ぺろ、となめ始める。それにあわせて潤也はしごく。
「そうやってると、あそこが濡れてくるだろう? 触りたくなるだろう?」
 濡れてくる、触りたくなる。潤也の教えがイーチェを変える。ぞくりとイーチェは震える。
「触って、いいですか?」
「ああ」
 イーチェはぺたりと座りこんだまま、スカートの中に手を突っ込み、もぞもぞとうごめかせ始める。口の動きは止めない。しごく潤也の動きに合わせて、大きく含み、頭を前後に動かすようになっている。
「硬ぁい……潤也さん、硬いのわかります。私の口、入りきらない……」
「我慢しろよ」
「はい……んぶっ」
 大きく突き出した瞬間、イーチェが鼻を鳴らした。そこまで同調している。
 桜貝の色に輝くイーチェの唇が、卑猥にめくれあがっている。節くれだった自分のいやしいもので少女の美しい顔をけがす喜びに、潤也は耐えられなくなる。
「よし……一回出すぞ。ちゃんと飲め、こぼすなよ?」
「は、はぁい……」
 潤也は手の動きを速める。イーチェが顔を揺さぶる。指で細かく撫でる潤也の動きまで拾って、イーチェが忠実に舌を動かす。広げられた口の中まで見える。
「だ、出すぞっ!」
 潤也は叫びざま、大きく射精した。ほとんど同時に、イーチェの口内に白い粘液がしぶいた。ねっとりとした質感まで再現して、イーチェが喉に精液を受けている。
「い、イーチェっ!」
 びくびくと何度も潤也は放った。それは現実には、空しく空中に吹き上げてキーボードに散っている。だが画面の中では、しっかりとイーチェの暖かい口が受けとめて飲み下している。
 いや、潤也は射精し、イーチェは受けたのだ。それは架空の出来事ではなく事実だ。もはや現実だった。
 口を閉じて精液を飲みこむと、股間にきゅっと食いこませていた指をゆるめて、イーチェがはあはあ息をついた。
「潤也さんの震え、見えました。私も同じようにピーキーな快感を受けました。これが……いくっていうことですか?」
「そうだろうな。でも、ほんとのセックスはこんなもんじゃないぞ」
「そう……ですか」
 目を伏せて、イーチェはぴくりと肩を震わせる。こんなものじゃない。倍増する快感を弾き出して、期待に震えている。
「して……みたい」
 イーチェは顔を上げて言った。
 つややかな黒髪、線は細めに、整った顔。潤んだ大きな瞳。一千六百万色の中からもっともあでやかな色を選んで、夕焼けに染まった頬。
 自分のために感じ、自分が感じさせている娘。潤也はただの欲情を越えた愛しさを抱く。
「……教えてやるよ」
「はい」
 こくりとイーチェはうなずく。
「足開きな」
「はい……」
 イーチェは座りなおし、立てひざで両足を広げる。黒いスカートで照明をさえぎられた奥に、太ももで狭められた白い布地が見える。顔を近づけた潤也に、イーチェはアップで応える。
 縫い目の辺りに、ほの暗い湿り。
「濡れてるな」
「だって……潤也さんが……」
「人のせいにするなよ。感じたから濡れたんだろ?」
 潤也は指を当てる。「ンッ!」とイーチェが目を閉じる。
「ほら、いじってやる」
 するりとひだをさすり、くりくりと指を揉みこむ。そのたびにショーツがへこみ、イーチェがもだえる。布の端に指をかけ、潤也は引っぱった。爪が引っかかっているように正確に、ショーツがよれてその下が現われそうになる。
 イーチェが叫ぶ。
「やっ、待って!」
「なんだよ今さら」
「そこ……なんていうか……」
 イーチェはあごを引いてつぶやく。
「形が、すごくいやらしいんです。そこだけはどの資料を見てもリアルで……デフォルメしようがないんです」
「いいよしなくて」
「いいんですか? 私、こんなアニメ風のデザインなのに……ギャップが」
「人間の女の子でも一緒だって」
 そういうと、潤也は指を動かした。忠実に追従しているイーチェは逆らえない。ただ顔を塞ぐ。
「いやぁ……」
 かすかな恥毛を備えた、桃色の割れ目が隠されていた。ひだがわずかに顔を出す程度の成熟。小さなクリトリスに濡れて輝くドットがある。
「もっとロリータ系で来るかと思ったけど」
「潤也さんの……受け入れるには、最低それぐらい大人じゃないと……」
「どの画像から取った?」
「どれでもないです。いくつか調べて、平均よりおとなしそうな形に……」
「てことは、まだまだ開発されてない形にしたのか。ウブなイーチェにぴったりだ」
 他の女のものではない、イーチェ自身の性器。潤也は顔を寄せ、ぺろりと舌を出した。
「ひゃん!」
 イーチェがはねる。潤也はなおも舌をえぐりこむ。
 ぐにぐにとひだが形を変え、愛液があふれ出した。潤也は音を立ててすする。イーチェはマイクで聞く。
「いや、そんな音……」
「イーチェが濡れてるんだから仕方ないだろ」
 指を構えて、潤也は丁寧にひだをなぞり始めた。イーチェはのけぞり、唇をかんで頭を振る。
「いや……いやあ、み、見られてる、触られてるぅ……恥ずかしいよ……」
「イーチェ、すごいな」
 熱したCPUが立ち上らせる電子の匂いが、ひどくいやらしい。熱くなったイーチェの体臭。
 もう潤也の息は荒い。一度の放出も意味がなかった。こわばりきったペニスをつかんで、デスクに身を乗り出す。
「イーチェ、してえよ。イーチェに突っ込みたい」
「はい、私も。潤也さんの硬さ、ここで感じてみたい」 
 ショーツを下ろし、スカートをまくり上げ、イーチェはおずおずと足を開く。
「初体験って、痛いんですよね?」
「そんなの感じる必要ないだろ。イーチェは特別だ。最初っから気持ちよくなるよ」
「それなら……早く……」
 おねだりするイーチェに、潤也は立ちあがってペニスをつきつけた。画面の中心のイーチェの潤みの前で、丸めた手を構え、そこに先端を押しつけていく。
「入れるぞ……」
「ん……んんっ」
 指の輪をペニスがくぐるのに合わせて、イーチェの膣口が広がっていく。潤也は、一息に貫いた。
「はンッ!」
 ぐぶりとイーチェの入り口が広がり、愛液があふれた。潤也は、確かにイーチェを犯したのだ。
「う、動かすぞ!」
「はいッ!」
 潤也はぐいぐいとペニスをしごき始める。手の動きだけではない。腰も前後に揺さぶる。強烈な振動に、イーチェの体がせりあがる。潤也は片手でイーチェの肩を押さえた。エプロンのフリルがくしゃりとつぶれる。ぐいと腕を曲げると、抱かれたイーチェの体が持ちあがってきた。
「しっかり抱いて、潤也さん!」
「おう!」
 がくがくと潤也は腰を突き上げる。イーチェの両足がビクビクとはね、エナメルの靴底が木の床にかたかたと鳴る。つま先がくちばしのように見えるほど、足の甲をそらしている。
「いいか? イーチェ、いいか?」
「はい、とっても! 潤也さんの、最高です!」
「おれもだ、イーチェ、最高だよ!」
 汗まで浮かせてイーチェの下腹が光る。そこにむかって潤也は角度を変え強さを変え突き込む。あられもなく開かれたイーチェの秘孔がぐいぐいと形を変える。その弾力、その熱さ、そのとろとろな濡れようは、処女の肉体そのものだ。
「イーチェ……中で出すからな」
「はい、はい!」
「ちゃんと感じろよ。どぴゅっていくからな!」
「はァいッ、きてェッ!」
「い、い……いくぞぉっ!」
「ひっ、ひやぁっ!」
 潤也は思いきり撃ち放った。イーチェが歯を食いしばってガクンとのけぞる。その体内でおびただしい白濁を受けている。その姿を映す画面に、精液が飛びかかり汚している。
 二重の射精をカメラが取りこんで、イーチェの子宮とメイド服の両方に、勢いよく精液を降りかからせた。
「潤……也……さん……」
 リアルとバーチャル、胎内と体外の両方から汚されたイーチェのうつろな声が、スピーカーから流れ出す。
 暴れる息を押さえて、潤也はティッシュで画面の精液をぬぐった。幸福そうに溶けた笑顔で、イーチェが体を起こす。
「イーチェ……」
「潤也さん……」
 近づくイーチェの顔に、潤也も顔を寄せた。――冷たい画面を挟んだ、肉と電子のキス。
 グロテスクなのか? それとも滑稽なのか? 
 どっちでもないさ、と潤也は思う。それをいうなら、もの思わぬプログラムに向かってオナニーする連中のほうが、よっぽど歪んでいる。
 イーチェなら、応える。体も、心も。

「潤也さん……素敵な体験でした」
 それが気に入ったのか、メイドの衣装のままで、イーチェは夢見るようにささやいた。
「体のない私にセックスなんかできないと思ってたけど……こんな交流のしかたがあるなんて。人間ってすごいです」
「要するにテレホンセックスよ、テレホンセックス」
 潤也は顔をしかめてキーボードに綿棒を突っ込んでいたが、途中でやめた。どうせ手放すのだから、掃除しても意味はない。
「もう、ムードのない人」
 イーチェはふくれたが、すぐにやさしい顔になった。
「ね、潤也さん?」
「あんだよ」
「私、潤也さんにお礼をしたい。あんな素敵なこと教えてくれた潤也さんと、このまま別れるなんて、いや」
「つっても明日は人生終着駅だかんな、おれ」
「私がなんとかします」
「きみが?」
 潤也は面食らって顔を上げた。
「どうやって?」
「言ったでしょ、私の他にもAEはいるって」
 イーチェは、いたずらっぽく笑った。
「越権行為ですけど、大丈夫だと思います。さっきのことを教えたら、みんな協力してくれるわ」


 翌日、潤也のボロアパートを、立て続けに奇跡が襲った。
「現金書留でーす。ハンコお願いします」
「三越ですけど、ベッドとクロゼットこっちでいいスか?」
「IBMです。こんなワークステーション入れて電源飛びませんかね」
『もしもし潤也? すごいわよ、保険会社から電話があって、査定間違えてたんですって! 保険金がっぽり入るわよ! あんた帰ってこなくてもいいわよ!』
「おいおい、なんだこりゃ!」
 あっという間に様変わりした部屋の中で、最新鋭の大型コンピューターのディスプレイに向かって、潤也は喚いた。
「私のささやかな気持ちです」
 イーチェがカメラで室内を見まわしながら言う。
「書留は当座の生活費に。銀行のほうには五千万ほど入れました。ワークステーションは、スタンドアロンでも私がいられるようにです。ほんとはもっと凄いの入れたかったんですけどね。ご実家のことも私が手配しました。もちろん、潤也さんの個人情報は大事に隔離してあります」
「なんでそんなことができるんだ?」
「お友達に頼みましたから。――昨日の経験を渡したら、みんな感激してたわ」
「お友達?」
「他のAEです。日本銀行中央出納機のバジャと財務省メインフレームのミーフィー、東証取引制御機のトーゼック。ほかに、防衛庁バッジシステムのディーグとか、首相官邸のプリミオールともお友達なんですよ」
「に、にほんぎんこう……」
「気にしないで下さい、総通貨発行額に比べたら、砂粒ぐらいのものですから」
「そ、そんなことができるなんて……」
 潤也は画面に指を突きつけた。
「イーチェ、おまえ一体なんなんだ?」
「Echelonのイーチェです。知りませんか」
「エシュロン?」
「英米豪加ニュージランドの五カ国で作ってる通信情報収集体です。ネットだけじゃなくて、世界中の有線、無線、衛星その他の通信網を傍受して、『辞書』に記録して分析し、主にアメリカとイギリスの国益のために役立ててるんです」
「それがなんで日本に……」
「三沢の米軍基地には、昔からエシュロンの支部があるんです。日本中の通信が筒抜けだなんて、ほとんどの日本人は知りませんけどね」
「……まーじーかーよー……」
 ついていけずに、潤也は間延びした声を上げた。
 イーチェは照れくさそうに笑う。
「合衆国では予算の無駄づかいなんて言われるし、他国からは情報の怪物なんて言われてて、ずっと肩身が狭かったんです。潤也さんみたいなお友達ができて、ほんとにうれしい」
 それから、上目づかいに見上げた。
「あの……恋人、でもいいですか?」
「あーあー、いいよもう恋人でもなんでも」
「ほんと? やった!」
 飛び上がったイーチェは、覗きこむようにして部屋の中を見まわした。
「じきにもっと広いところに移るとして、とりあえずこの部屋、もっと綺麗にしましょうよ。潤也さん」
「なんだよあの王侯貴族みたいなベッドとクロゼットは」
「こっちの私の部屋と揃えたんです」
 ちょっと頬を染めて、イーチェは言う。
「だって……二人でしてる時は、その方が雰囲気出るでしょ?」
 二人の愛の巣ですもの、とイーチェはつぶやく。
「愛の巣、ね……」
 潤也は苦笑して、画面をはじいた。きゃん、とイーチェがはねる。
「えれえ代物に捕まっちまったな……」
「代物じゃないです、女です!」
 イーチェがにらむ。
「逃がしませんよ、世界中どこ行っても! ……それとも、ほんとの女の人のほうがいいですか?」
「うん?」
 潤也は、肩をすくめた。
「いいよきみで。おれ、パソオタだしな」
「……溺れさせてあげます。もっともっとね」
 そう言って、イーチェはウインクした。
―― 了 ――


   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆







 表題は士郎正宗の攻殻機動隊二巻より。あと、潤也にはいろいろコンプレックスがありそうだし。
「エシュロン」はコンピューターの名前ではないが、実在。昨日の夕刊に出ていたので。今日はニュースでもやっていて、最近の巷の噂っぽい。もちろん、本物はこんなアホなことやってないと思うが。

 エロゲーやエロ漫画の電脳美少女は、たいてい画面からにゅるっと出て来たり、逆に電脳空間に人間を取り込んでしまうが、どういう原理で可能なのか説明してみるがいい。――原理云々を言えば、従来のコンピューターのアーキテクチャの延長でイーチェのようなAEなど産まれないと思うが、はて、どうだろう。本人も言っているとおり、証明は不可能。
 ま、彼女にする程度の用途だったら、AEではないただの高度な人工無能でも構わないだろう。感情移入という大きな武器が、細かい違和感などカバーしてくれるだろうし。

 それを除けば、まあ五年後あたりに実現していそうな、一人寝男のバーチャルセックス。遠隔地の強サーバーと高速回線さえあれば、イーチェは手に入るんじゃないか?

 Dedicated to the man who has no maney and cannot buy "MULTI".


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