次へ 戻る メニューへ  皇帝陛下は15歳! 第7話 前編


 1

 丘陵に点在した数十の円陣から、黄白色の煙の塔が勢いよく立ち昇った。
 まばゆい閃光を放つ小さな塊が、後ろに煙の尾を曳いて上昇してくるのだ。その数は数え切れず、まるで突如として煙塔の森ができたように見える。
 微速で前進する天舶三隻の前方に、いくつもの炎の花が咲いた。
 大明軍翔空艦隊の旗艦『白沢バイズェ』の艦橋で、妓官たちが叫ぶ。
「対空砲火! ジングリット第四軍の火箭攻撃です!」
「到達高度は五千尺、過去の記録よりさらに伸びています! 砲数は概算で二百五十門、脅威度、甲種! 本艦も損傷を受ける恐れがあります!」
「増速して突破しましょう。操霊手、大気霊に仕置きを」
 麗虎リーフーが命じると、玉座の霞娜シャーナがそれを遮って言った。
「いえ、見過ごしてはだめよ。討ち果たしなさい」
「よろしいのですか」
 麗虎が振り返り、怪訝そうに言う。
布瑠張都フィルバルトに到着する前に、戦力を消耗してしまうことになります。強行突破するか、迂回したほうが……」
「地形を見なさい、このあたりの丘は風が巻くわ。迂回はできなくてよ。突破も愚策。彼らの陣形に気が付いて?」
 霞娜は指揮杖を取り、艦橋の床に描かれた地図を指した。
「まともな戦線を張っていない。小さな円陣をこの先十里に渡って、細く深く並べている。空を通る敵に対する、巧みな構えよ。抜かないうちに墜とされるわ」
「……地上軍と見てあなどってはいけない、ということですね」
 賢明な主君に、感嘆の顔を見せて、麗虎がうなずいた。
「かしこまりました、ジェンどもに掃討を命じます」
 信号妓官が両舷に出て、閃光灯を明滅させた。艦隊の周囲を巡っていた、大がらすのような一人乗りの槍騎艇の群れが、風切り音を立てて降下していく。
 鴆型の武装は、翼の大気霊とつながれた艇首の真鍮の槍である。低空を突き進む鴆の全体がチリチリと蒼い光を宿し、敵円陣の頭上を通過する瞬間、槍が閃光を放つ。大地と艇体を結んだジグザグの電光の柱が、岩をうがち土を削りながら走って、敵兵を小石のようにはじき飛ばす。
 反撃の火箭が続けざまに打ち上げられ、鴆の一艇がまともにその爆炎を浴びた。鎌形の主翼が根元からちぎれ飛び、姿勢を崩した艇はきりもみしながら地面に突っ込んだ。大気霊が瞬間的に解放され、バアッ! と凄まじい球電がふくれあがった。
「揚理隊が一艇喪失! 強石隊、鋭牙隊にも損害が出ています!」
「負けそうかしら?」
「いえ、全体としては押しています」
「そう……」
 霞娜が満足げに玉座に背を預けたとき、突然、警鐘が打ち鳴らされ、伝声管から艦尾物見の金切り声が飛び出した。
「後方上空に敵影出現! 騎鳥部隊です、兵数およそ四十!」
「行き足止め、面舵! 右舷弩砲全門に弓つがえ!」
 間髪入れず霞娜が命じ、白沢バイズェが全長二百丈の巨体をぐうっと右方へ向けた。
 舷側を天兵たちが駆け回り、ずらりと並べられた、人の背丈の二倍もある巨大な弩砲を引き起こす。歯車を使ってぎりぎりとたわめられていく鋼鉄の弓は、弦も鉄線であり、六尺の矢で五里先の石壁でも打ち壊すという代物である。
「照準合わせーえ!」
 弩砲長が叫び、天兵が渾身の力をこめて砲台を傾ける。ぐんぐん接近してくる敵騎鳥の群れに、鯨を撃つ矢と同じ四角い鏃がぴたりと向けられる。
 艦橋の硝子越しにそれを眺めながら、麗虎が緊張した顔で尋ねる。
「妓官、両翼の『饕餮タオティエ』と『燭竜ズウロン』は」
「僚艦は本艦よりわずかに先行しています。撃てば本艦に当たってしまいます」
「鴆どもは戻らないのか」
「掃討が終わっていません。背中を向ければ本艦もろとも撃たれます!」
「ち……最初の対空砲火は陽動ですね。道理で早過ぎると……」
 霞娜はあわてる様子もなく、象牙の玉座に片肘をついてじっと騎影を眺めている。
 接近する敵に向けて、ついに弩砲長が叫んだ。
「放てーッ!」
 ブン、と弩砲の弦が重い響きを発した。長大な矢が宙に放たれる。矢足はむしろ、普通の弓より遅い。だが、当たれば恐るべき威力を発揮する。
 伸び上がった矢の軌跡が騎鳥の群れに突っ込むと、ぱっ、ぱっ、と細かい霧のようなものが飛び散った。血と肉片と羽根だ。軽い騎鳥にこの弩砲が命中すると、死体も残らないほどこなごなに砕いてしまうのだ。
 両手の指をめまぐるしく折り曲げていた観測妓官が叫ぶ。
「的中二十九! 残十三!」
「短弓放て!」
 天兵たちが手に手に弓を取り、一斉に矢を放つ。百を越える矢の雨が、ざあっと音を立てて空へ駆け上るが、人の手は弩砲に比べてかなり弱く、しかも上向きに射ているために、それほど威力はない。
 神具律都の騎鳥は翼の差し渡しが二十五尺に達する巨鳥である。なまじな矢など跳ね飛ばし、突き刺さっても意にもかけず、猛然と突っ込んでくる。
「抜剣ーッ!」
 舷側に羽ばたきを叩きつけて降り立った騎鳥と、凄絶な死闘が始まった。巨鳥はくちばしの一突きで天兵の胸を貫き、爪のひと蹴りで首をへし折って暴れ回る。白刃を重ねて切りかかる天兵たちに、鳥の背の騎士が、二矢を番えた弓を立て続けに射掛ける。決死隊のようだった。
 艦橋の硝子を蹴り砕いて、一羽が躍りこんできた。総立ちになって悲鳴を上げる妓官たちに飛びかかり、ぼろ切れのように引きちぎり、踏みにじった。その背の騎士が叫ぶ。
「合衆帝国大統令! 皇帝陛下のおんために、お命頂戴つかまつる!」
「私はここよ」
 麗虎を片手で制して、霞娜が玉座から立ち上がった。不敵な笑みを浮かべて騎士をにらみつける。
「よくも私の妓官たちを。生きて帰れると思わないことね」
「そこにおわしたか。見れば近衛もないご様子。お覚悟よろしいか?」
「笑止ね。私にそんなものは無用」
 ふ、と小さく笑いを漏らすと、霞娜は滑らかに歩を進めて、肩にかけた白紗の羽衣を、舞いの一拍のような仕草で打ち振った。
 しゃあっ! と涼しげな音と共に黒い水しぶきが広がった。砕いた黒曜石のかけらのような粒子が巨鳥と騎士に振りかかった。身構えた騎士は、体に付着したしぶきを見下ろして、顔をゆがめた。
「な、なんだこれは……ぐうっ、あ、熱い! 体に、体に食い込む……!」
「無駄よ、掻いても。それは決してはがれないわ」
「焼け、焼ける! 熱い、あつ、がああ!」
 騎士の絶叫と同時に、きーあ、と鼓膜を貫くような叫喚を上げて、巨鳥が床に翼を叩きつけた。振り落とした騎士ともども艦橋中を悶え回る。その体には無数の黒い斑点が生まれている。斑点は薄い煙を上げながら、じわじわと肉を食い荒らし、体内に入り込んでいく。
 やがて、駆けつけた天兵が彼らを囲み、剣を突き刺してとどめを刺した。それが必要だった。骨まで焼かれながら、騎士はその時まで生きていたのだ。
 煙を上げて横たわる死骸を見下ろして、霞娜は楽しげにささやく。
「誇りなさい。あなたは『闇燦星アンサンシン』に食われた、最初のジングリット人よ」
 いつしか、舷側の騒乱も静まっていた。麗虎が天兵に尋ねる。
「迎撃は終わったのか」
「は、すべて討ち果たしました。手勢が八十名ほど倒されましたが……」
「艦橋への侵入を許すとは何事だ。兵長に伝えよ、鞭打ち百回の後、兵卒に降格する!」
「は……」
 天兵は物言いたげに顔を上げたが、麗虎と霞娜、そして横たわる無残な死骸を見て、口をつぐんだ。大明軍での処罰に減免ということはないのだ。罰がより重くなることはあっても。
「地上の戦況は」
 振り返った麗虎の問いに、生き残りの妓官が招繋卓に駆け寄って覗き込む。
「ざ、残敵は四割です。いましばらくかかります」
「遅い。かくなる上は竜吼砲を放つぞ。生贄を選べ」
「麗虎、これ以上妓官を使い潰すつもり?」
 霞娜が眉をひそめて、腹心の肩を引いた。
「それは最後の手段よ。焦らずともいいわ。四割程度なら、鴆どもが討ち果たすのを待ちましょう」
「……かしこまりました」
 麗虎は叩頭し、ちらりと妓官たちを見た。彼女のたちの顔にあったのは、安堵と、それとは矛盾する感情――落胆だった。
 決死の突撃部隊が敗れたせいか、地上の敵軍の動きは目に見えて鈍っていた。悠然と頭上を通過していく三隻の巨艦を、抵抗もせず見上げる兵士たちが増えていた。
 初期の三割まで討ち果たされたところで、ジングリット第四軍の抵抗は消滅した。大明軍は、数艇の鴆と旗艦の兵士八十名という、わずかな損失を出しただけで、この戦に勝利した。
 丘陵を通過した『白沢』の艦橋で、霞娜がつぶやく。
「国境に張り付いている辺地の軍団にして、この士気とは……麗虎、あの騎士の言葉を聞いたわね」
「はい」
「ジングリット皇帝はたいした相手だわ。彼が王都にいないとはいえ、油断はできない……」
 霞娜は、秋の冷たい風が直接吹き込むようになった、艦橋の惨状を見回して、わずわらしげに首を振った。
「修理を急ぎなさい。私はしばらく眠るわ」
「閣下、『燭竜』に移乗なされては?」
「いいえ、この艦が必要よ。この艦に私がいることが。――必ず、竜吼砲を放つことになるでしょうからね」
 妓官たちがいっせいに、熱っぽい輝きを顔に浮かべる。彼女たちにかすかなほほえみを残して、霞娜は艦橋を出て行った。

 2

 傾いた西日が頭上のこずえを紅に染めると、地上に出ていた蝶たちが、我が家であるくぼ地に戻ってきた。
 苔を積み重ねた柔らかな寝台の上のクリオンに、名も知れぬ小さな蝶たちはじゃれつく。
「こら……あっちいけ」
 クリオンは頭を振って追い払おうとするが、十匹ばかりの蝶はまるで意に介さない。クリオンのつややかな金髪を、長いまつげを、可憐な唇を、花びらと見なしたように、ついばみ、くすぐる。
「やめろってば……」
 辟易して言ったが、蝶はまるで、クリオンの少年らしからぬ美しさに魅せられたように、離れようとしない。また、クリオンも言葉以外のものを彼らにぶつけることができない。
 クリオンの両手と両足は、背中でひとつにまとめて、しばられているのだ。
「はふ……は、ふぁ、はくしょっ!」
 くしゃみの理由も、蝶に鼻をくすぐられたからだけではない。肌寒いのだ。
 緋のマントも軽甲も肌着も下着もはぎとられた、全裸である。伸びやかな肢体を隠すものは何もない。そういう風にされた理由は、二つほど考えられた。クリオンがこのくぼ地から脱走するのを防ぐためと、クリオンを観賞するためである。
 現に今、観賞されている。
 このくぼ地は差し渡し二十ヤードほどで、地面の半分が苔に覆われた土、もう半分を湯気の立つ水たまりが占めている。数ヤード先にクリオンのものと同じような苔の寝台があって、そこに一人の少女が体を丸めて横たわっている。いや、少年かもしれない。どちらかわからないのだ。
 顔立ちと体つきは十五歳ほどの少女に似ているが、腰まで渦を巻く豊かな金髪の他に、背筋と手の先、足首から下にも、同じ色の体毛が生えている。うつぶせに手足を丸めている今の姿勢でも、脇から乳房のふくらみが見えるが、起きているときに、クリオンと同じ男性器があることも確かめた。――いや、少女か少年かということよりも、もっと大きな問題がある。
 その子は、金髪から突き出した三角形の耳をぴくぴくと動かし、短毛に覆われた長い尾をぱたりぱたりと揺らしながら、三日月のように細い虹彩でクリオンを見つめている。
 フェリドなのだ。
 人と獣の性をあわせ持つと言われる、樹海の蛮族が、自分を裸にむいて縛り、くぼ地に閉じ込めている。それが、クリオンが理解していることのすべてだった。どうやってここに運ばれたのかは覚えている。だが、なぜこんなことをされたのかは、さっぱりわからない。
 なぜかはともかく、何をされるのかは、知っていた。ここに運ばれてから五日ほどたつが、その間に思い知らされた。ただ、今までは素振りがあるだけだった。だが、今宵は本当になるかもしれない。
 日が暮れ、くぼ地に青い闇が忍び込み、それとともにフェリドが体を起こし、クリオンに見せ付けたからだ。――股間で勃起している、薄桃色の性器を。
 四つ足をついて体を持ち上げたフェリドが、ふさふさの毛に覆われた両の拳を前に踏ん張って、ぐうっと背筋を伸ばし、大きなあくびをした。目覚めたときの猫に似ていた。いや、現に彼女は、目覚めたのだ。フェリドは夜走る。日が暮れた今からが、彼女の時間だ。
 目覚めとともに性器が興奮状態になるところは、人間に似ていた。だから営みも人間に似ているんだろうな、とクリオンは思ったが、他人事のように考えている場合ではない。この場には彼女とクリオンしかいないのだから。
 そしてやはり、彼女の勃起はただの生理現象ではなく、クリオンを目当てにしたもののようだった。
 フェリドが尻を高く上げて、四つ足でふたふたとやってくる。長い尾がするりと優雅に後を追う。彼女は二本足でも立つが、寛いでいるときはそうやって獣のように歩く。
 クリオンのそばに来ると、ごく自然に顔を寄せ、すんすんと鼻を鳴らしながらなめ始めた。まず顔からだ。クリオンは、無駄を承知で声をかける。
「や、やめてよ、ぼくは君たちとは違うんだよ」
「ふ?」
「種族が違うし……あっ……敵同士だし……あ、あっ」
「ふぅー」
「第一、ぼくは男……ひあっ!」
 クリオンの甘い悲鳴は、お構いなしになめ続けるフェリドの舌が、耳に入ったのだった。
 人のものより少しざらついた舌が、くちくちと耳の中を調べ、たっぷりの唾液で濡らす。それからあごへ、肩へ、乳首へと滑る。肩も脇も、へそも腰も、あますところなくなめられる。
 もちろん性器も例外ではなかった。下腹にくっついた柔らかな肉の作りを、味わうように濃密な愛撫が這い回る。いや、本当に味わっているのだ。クリオンの肌に浮いた汗と匂いを、食べ物のようにこそぎ取り、口にためている。人間ならためらってしまうようなことを、平然とやるのが、異族らしかった。
「やめっ、やっ、あ……いやあ……」
 後ろ手に縛られて身動きできないクリオンは、否応もなく快感を目覚めさせられ、そこを充血させてしまう。先端をつるりと現し、ぴんと伸びて脈打つそれが楽しいのか、フェリドは特別しつこく、くちゅくちゅと唇で吸う。
「くぅ……だめ……」
 クリオンは眉をしかめてうめく。尻に力を入れて、必死に射精をこらえている。一昨日までは耐え切った。昨日は耐えられず、筋肉を引き締めたまま、とろとろと漏らしてしまった。今日はその我慢も忘れて、思い切り放ってしまうかもしれない。
「も、もう……だ……め――え?」
 ふっと唇が離れ、クリオンは昇りつめる寸前で正気に引き戻された。目を開けると、フェリドが体をずり上げて、クリオンの顔を覗き込んでいた。思わずクリオンは見つめ返す。
 それもクリオンが抵抗できない理由だった。彼女が、美しいのだ。頬の線にこそわずかに幼いまるみが残っているが、鋭い虹彩と彫りの深い目鼻立ちは、下手な人間の美少女よりも、謎めいた妖艶さをかもし出している。
 フェリドがこれほどの美しさを備えているなんて、卑怯だ、とクリオンは思った。犬や猿と同じ、卑しい蛮族なのに、いやでも欲情してしまう。
 だがそれは、逆の場合にも当てはまるようだった。フェリドは瞳を濡らし、白い頬に血を昇らせている。明らかに、異族のクリオンに対して欲情していた。
「ふー、ふぅぅ……」
 つぼめた唇から息を吐いてうなると、フェリドはクリオンの首筋にかみついた。そのまま乳房を重ね、腰を押し付ける。しなやかな筋肉がぐいぐいとクリオンの肌の上でうごめき、首に当たる歯に力がこめられる。犬歯を唇で隠しているから、甘噛みだということはわかる。でも、なんて情熱的で強い求め方なんだろう。
 フェリドのこわばり切った性器が、クリオンの同じものに当たり、ころころと押し潰す。汚される、とクリオンは覚悟した。この娘がクリオンの性別を気にしたり、ましてや倫理なんてものを考えたりするわけがない。
 ぼくは、この綺麗な蛮族にいいようにされてしまうんだ。
 だが、しばらく抱きすくめられているうちに、クリオンはその抱擁が長すぎることに気付いた。フェリドはもどかしげに腰を押し付けるのだが、はっきりした前後運動をしないのだ。
「ふぅう、ふぅん、くぅーん」
 クリオンの首に、肩に噛み付きながら、フェリドが鼻を鳴らす。よく見ると、目を細めて、切なそうな顔をしている。確かにクリオンと交わりたがっている、だが、交わろうとしていない。
 彼女の年のほどに思い当たったとき、クリオンは気付いた。
「まさか……やり方が分からないの?」
「ふすん」
 そう、と答えるように、鼻をすすりあげて、フェリドが見つめた。少し考えただけで分かった。フェリドは蛮族だから、獣と同じように本能で交わる。だが、クリオンが少年だから、犯すべきところが見当たらない。戸惑っているのだ。
 助かるかもしれない、と一瞬だけ思ったが、甘かった。
「ふぅっ」
 耐え切れなくなったようにフェリドがうなり、クリオンの肩に手をかけてごろりと転がした。うっとうしいとばかりに戒めの一部を解き、今度は背中に顔を押し付けて舌を這わせていく。ぞくぞくと背筋を走るしびれの中で、あ、まずい、とクリオンは思った。
「ふぅっ♪」
 喜びを感じさせる、高い鼻声が上がった。フェリドはクリオンの尻に顔を押し付けていた。
「そ、そんな……」
 おぞましい寒気が腰の下から這い上がってきた。二つのまるみの中心を、フェリドの尖った舌がちろちろとえぐっている。
「だめ、やめてよっ、やはぅっ!」
 必死に手足を動かして抵抗しようとしたが、手首と足首それぞれはまだ戒められたままだ。逃げるにしてもシャクトリムシのように這いずるしかなく、それさえも、フェリドの強い力で押さえつけられていた。
 せめて体を伸ばし、尻に力をこめて隠そうとしたが、フェリドは後ろからクリオンの腰をしっかりと抱え込み、やっと見つけた獲物を逃がすかとばかりに、思い切り舌を押し込んでくる。無理にばたつこうとすると、鋭い爪で腰骨をひっかかれた。肌に血の玉が連なる。もう、逃げずに耐えるしかなかった。
「ひゃぅ……ひんっ……いやぁ……」
 我知らず、娘のように甘く溶けた声が漏れる。ぞわぞわとした気が狂いそうな奇妙な快感が注がれている。のけぞるように体を伸ばしていたが、それももたなくなった。徐々にうつむき、膝を持ち上げ、尻を突き出すようにしてしまう。そうやって任せれば任せるほど、快感が大きく、はっきりしたものになる。
 レグノン卿としちゃったからだ、とクリオンは涙を浮かべて後悔する。あの年上の青年に教えられたから、こんなことが気持ちいいと思える体になってしまった。
 後悔で消えるような快感ではなかった。いつしかクリオンは、胎児のように膝をまるめて、尻をフェリドに与えていた。嬉しそうにむしゃぶりついていたフェリドが、クリオンの腰を両手で挟んで、ぐいと引き起こした。寝台に顔と膝をついて、腰を高く突き出す姿勢にされる。
 ……ぼく、待ってる……
 自覚していたが、もう逃げる気が失せていた。舌と唾液で溶かされきったそこからは、力を抜いてしまっていた。先ほどいやというほど刺激された性器も、硬く育ちきって、うずきだけが満ちていた。わずかに残っている理性に向かって、クリオンは自らつぶやいた。
「もう、どうでもいいや……どうせ、孕んだりしないんだから……」
 そう言って、呼吸を整えた。
 それがフェリドに感じ取られたらしかった。彼女の本能が、後ろから交わる「正しい」姿勢によって目覚めさせられ、彼女を滑らかに動かした。
 これでいい、というようにフェリドが嬉しそうにクリオンの背中を抱き、性器を押し付けた。逆らっても苦痛が増すだけだとクリオンは知っている。あきらめと、そして期待を抱いて、息を吐き、力を抜いた。
「ふー……ううっ」
「んくぅ……」
 じりじりとフェリドの硬いものがめり込んでくる。それを受け入れるためにクリオンが締め付けをゆるめると、必然的に性器のこらえも消えた。細身の幹が普通ならありえないほど硬く張り詰め、真っ赤に光る先端からとろとろと粘液を垂らし始める。精が押し出されて漏れているのだ。
 射精を弱く長く続けさせられているような状態のせいで、クリオンの神経があの純白の快感に染められっぱなしになる。全身の感覚がしびれに乗っ取られ、自分の格好もわからなくなった。
「あァーあ……あ、あ……」
 寝台に押し付けた頬に、うつろに光を失った瞳から涙が滑り落ち、長めの髪が垂れて唇に張り付くが、拭く気力もない。開き気味に伸ばした両足のつま先が、強く反っているが、それも感じていない。ただ尻を突き出すことだけを意識している。その脱力した体に、フェリドが腰を打ち付けて、がくがくと揺さぶっている。
「ふぅっ、ふぅっ」
 以前、完璧に少女に化けおおせたこともある、クリオンのしなやかで美しい体に、フェリドも我を忘れて溺れていた。折ったら折れてしまいそうなほど硬くなった性器を、ずるずるとねじ込んで、恐らく初めての包まれる快感をむさぼっている。
 クリオンの背中に乳房を押し付け、彼の金髪を後ろからかき分けて首筋に噛み付き、細い胸を力いっぱい抱きしめて、腰だけを激しく動かす。一番深いところまで押し込む都度、クリオンの性器もぴくんと跳ねて、糸を引く白い滴をまきちらす。
「ふぅん、ふぅーんん!」
 激しい暴力的な抽送の末、フェリドがぎゅうっと柔らかな丘の間に腰を押し付け、長く尾を引くうめきを漏らしながら、びくびくと震えた。クリオンは、体内を針のように鋭く叩く奔流を感じ取る。
「ひぃーんっ!」 
 その瞬間、クリオンも鳴いていた。性器がピンと下腹に張り付いて、それまでの小出しな漏れとは比べ物にならない勢いで、決壊したように精液を撃ち出し、瞬く間に胸までどろどろにした。その快感の炸裂が、一気にクリオンの意識を吹き飛ばした。
「ふぅ、ふぅ、ふぅーぅぅぅ……」
 フェリドの射精は異様だった。収まらないのだ。深々とクリオンを貫いたまま、その奥でいつまでもどくどくと流し込む。薄れた意識の底で、クリオンは腰の裏側にたっぷりとした熱い袋が膨らまされていくように感じる。錯覚ではない、それほどの量なのだ。
 思いもしなかったことだが、それは心地よかった。あることも知らなかった体内の隙間が、暖かく満たされていくような感覚だ。
 クリオンがその袋の重ささえ感じるようになった頃、ようやくフェリドは息を吐き、絶頂を終えた。ふぅーん、と鳴いて、体重を預けてくる。
「はああ、あぁ……」
 押されるまま、クリオンも寝台に体を伸ばした。怒りと屈辱を忘れてしまうほどの充足感があった。
 満足そうにクリオンの上で深呼吸していたフェリドが、やがて体を起こした。ぬるぬると性器が滑り、抜けるとともに暖かいものがあふれ出すのがわかる。それを止める気力もなく放心していると、出し抜けに腕をつかまれてひきずられた。
「え……?」
 しびれていて抗えない。そんなクリオンをフェリドはずるずると引きずる。地面は土だが厚い苔に覆われていて痛くはない。されるがままにしていると、少し先の泉に、どぼんと放り込まれた。あわてて泳ごうとしたが、腰ほどまでの深さしかなかったので、ほっとした。
 泉というより、それは小さな温泉だった。クリオンがぼんやりと座り込んでいると、フェリドがふーふーと穏やかな鳴き声をあげ、体をさする仕草をした。
「……体を洗えって?」
「ふー」
 そう言われても両手が使えないのだが、岸辺の苔に体をこすりつけて、クリオンはなんとかそれをやってのけた。フェリドは大きくうなずくと、自分の寝台のところに戻って、そばに放り出してあった毛皮を身につけた。胸と腰を覆うだけのものだ。それでも、隠すことを知っているだけ偉い、とクリオンは思った。
 身支度をすると、フェリドは振り返って鼻を鳴らした。
「ふん」
「え?」
「ふんん」
 大きくうなずくが早いか、壁に立てかけてあった槍をつかみ、するすると壁を登って、くぼ地から出ていった。つややかな木の柄と鋼鉄の穂先を持つ、その槍の奇妙な立派さが、クリオンは気になった。
 ともあれ、今日の心配事は終わったのだった。期待したような終わり方ではなく、敗北に等しい終わり方ではあったが。
 クリオンはようやく冷静になり、辺りを見回した。
「……ここって、あの子の家だよね……」
 樹海の中にぽっかりと開いた落とし穴のようなくぼ地だった。干し肉や食物を入れるかめが置いてあり、高さ十ヤードに達する周囲の壁には、地上の樹木が大蛇の群れのような根を下ろしていた。その根をフェリドほどうまく扱えれば、逃げることは容易だろう。だが、人間が同じことをやっても滑るだけだ。
 両手さえ自由なら方策があるのに。しかしフェリドの縛り方は巧妙で、痛まないくせにちっとも緩まなかった。切る刃物は、あるにはある。クリオンの剣『ズヴォルニク』だ。しかしそれは高さ五ヤードの空中、木の根の中腹あたりに、剥き身で突き刺さっている。フェリドはそれをクリオンから奪った瞬間に、危険なものだと気付いたらしく、鞘から抜くが早いか壁に投げつけた。あれでは取り返しようがない。
 万策尽きたとはこのことだった。
「どうしてこんなことに……」
 クリオンは思い返す。油断したのだった。
 クリオンがフェリドにさらわれたのは、五日ほど前のことである。場所はトンベの砦だ。
 トンベはギニエ市の南、三リーグのところにある砦である。ギニエを囲む耕地の終わりにあたり、ジングリット領最南端でもある。そこより先は滅多に人の踏みこまぬ森で、森の向こうに、不吉な暗雲に包まれたガジェスの山嶺が見える。
 その日、二体のフェリドが砦の前に徒歩でやってきて、手に持った杖で、地面に何かを描いた。平べったいものを踏みつける人型の絵。ジングリット兵なら誰でもわかる。皇帝旗だ。
 人間たちは面食らった。これはジングリット人の常識に照らすと、犬がやってきて絵を描いたのと同じことである。平時ならばその場で縛り上げて、なぶりものにしたか、見世物にしただろう。
 しかしこの時は、南の森に六万のフェリドがいた。二人のフェリドははぐれ者ではないのだ。誰言うともなく、軍使なのではないか、ということがささやかれた。
 軍使だとしても、人間の軍隊の使いだったら、ことはその場で片付けられただろう。用件は分かるし、対応も限られる。トンベ砦の隊長級の武官にはその権限もある。
 だが、フェリドが相手では言葉が通じない。何を考えているのかも分からない。前例がないだけに隊長の手にあまり、ギニエ市に早馬が飛ばされた。フェリドの使いが皇帝旗を地面に書いた、と。
 それでクリオンが出向いたのだ。
 誤算はたった一つだけ。フェリドが、まさか小瓶一杯で部屋中の人間を眠らせるような強力な眠り薬を持っているとは、誰も思わなかったことだ。武装のないことを確かめられ、抜剣した二十人の兵士に厳重に囲まれて広間に通された二体のフェリドは、戦陣用の皇帝旗を背に玉座にかけたクリオンを見たとたん、それを使った。
 クリオンの最後の記憶は、窓から運び出されたことだ。累々と倒れ伏した人間たちを残して、いつのまにか呼び寄せたエピオルニスに窓から乗り移り、フェリドは悠々とクリオンをさらっていった。
 途中、骨まで凍りつくような寒さに包まれたことを、おぼろげに覚えている。恐らく、ガジェス山脈の分水嶺を越えたのだろう。
 そういうわけで、クリオンは今、南方半島のいずこともしれぬ、湿った暖かい穴倉の中に、幽閉されているのだった。
「……もうだめなのかな、ぼく……」
 ここへ来てからもう五日、脱出はおろか満足に身動きもできない状態でなぶりものにされて、さすがにクリオンも気力が尽きかけていた。
「みんな心配してるだろうな……いや、もう死んだことにされちゃったかな……」
 フェリドが人間を捕虜にしたことはないはずだ。フェリドとの戦で姿が見えなくなった者は、例外なく、死んだか食われたものとして扱われると聞いている。デジエラやネムネーダは、悲しみながらもそう判断するだろう。レンダイクも驚くだろうが、クリオンなしでジングリットを支えていく方法を考えるだろう。それでなくても、ギニエ市は戦の真っ最中だ。クリオン一人を助けに来る余裕などないし、その方法もない。
 あきらめかけたとき、心の底で小さなものが光った。小さいけれど、この上なく明るいものだった。
 ソリュータ。
 彼女だけは、決して自分を見捨てない。
 彼女と、クリオンの姫たちは。
「……そうだ」
 クリオンは頭を振って、心を蝕みかけていた諦念を振り払った。ソリュータが待ってる。帰らなくちゃいけない。どんなことをしても。
 自分でやるんだ。まだ自分は、かすり傷程度しか負っていないのだから。
 クリオンは温泉の中で座りなおし、考え始めた。
 ここは山脈の南だ。ギニエまでの距離はわからないが、自分一人で歩いて山越えをするのは無理だろう。だから、帰るためにはエピオルニスに乗る必要がある。
 くぼ地の周囲から、鳥の鳴き声は聞こえてこない。エピオルニスを探さなくてはいけない。その前にくぼ地から出なくては。だが、自力ではくぼ地を出られない。
 すると、フェリドの手を借りるしかない。隙を見て脅すか、説得するかだ。どちらにしろ、ここへ来る唯一のフェリドである、あの若い個体をもっと知らなくてはいけない。
 しまった、とクリオンは後悔した。あのフェリドは、自分を監視するものであると同時に、ただ一本の救いの綱だったのだ。もっと早くからそのことに気づいていればよかった。五日も無駄にしてしまった!
 次からは、とクリオンは決意した。しっかりと意思を持って対決しよう。そして、彼女につけいる隙を探すのだ。どんな小さなものでも。

 3

「さらわれた……ですって?」
 ギニエ城館の一室に集まっていた姫たちは、訪れたデジエラ将軍の言葉を聞いて、呆然とした。
 デジエラは硬い無表情を保ったまま、淡々と言った。
「トンベ砦の広間で陛下がフェリドに接見なさろうとしたところ、フェリドがあやしの技を使い、その場の全員を眠らせた。連中は窓からエピオルニスを呼び、陛下を連れて逃走した。――五日前のことだ」
「い、五日前って……なぜ今まで!」
 レザがソファから腰を浮かせて叫んだが、その前を黒いものが横切った。
 ソリュータがつかつかとデジエラに歩みより、パン! と音高く彼女の頬を平手打ちにした。皆は度肝を抜かれる。いつも理性的なソリュータが、こともあろうに武人のデジエラに手を上げたということよりも、彼女が反応らしい反応をそれほど早く返したことに驚いたのだ。
 ソリュータは、振り抜いた右手を自分でも驚いたようにちょっと眺めてから、別に謝りもせずに言った。
「あなたは何をなさっていたんです。クリオン様といっしょに砦へ向かわれたんでしょう」
「私はそのとき砦の弩砲座を見回っていた。エピオルニスには気づいたが、来た時は野生のものに見えたし、去るときは陛下の御身が危険だったので、撃ち落とせなかった」
「追わなかったんですか」
「追ったさ。ただちに二隊八頭のエピオルニスに追跡させた。しかしガジェス山脈の谷間に逃げこまれて、見失った」
「つまり……完全に、してやられたわけですね」
「そうだ。すべて私の咎だ。申し訳ない」
 言い逃れもせず詰問に答えて、デジエラは目を伏せた。その率直さと、ソリュータに頬を貸したことが、彼女の謝罪だった。いったんは暴発したソリュータも、それを見るとさすがに言葉をなくしたが、別の女が震える声で言った。
「閣下……なぜ、五日も伏せていたのですか」
 マイラだった。彼女は軍務の合間の憩いを、この娘たちの部屋で過ごすようになっていた。デジエラは答える。
「いま明かせば、軍の士気は地に落ちる。明かせんのだ。知っているのは天領総監と軍団長以上の者だけだ」
「私も聞いていません。つまり、救助隊を出していないんですね」
「そうだ」
「すでにあきらめている、ということですか」
 音のない雷に撃たれたように、娘たちが体を震わせる。デジエラは顔を背けて、吐き捨てるように言った。
「フェリドにさらわれて帰った例はほとんどない。帰った者にしても、自力での脱出だ。捜索が成功したことはないんだ」
「だからと言って……!」
 マイラの叫びとともに、ソリュータがもう一度片手を振り上げた。デジエラはその手を見上げ、軽く首を傾けて頬を差し出した。
「気が済むなら殴ってくれ。軍として救助隊は出せん。鳥はいるが騎士がいない。あなたたちには、何もしてやれない」
 ソリュータはこぶしを震わせてデジエラをにらんでいたが、じきに力なくそれを降ろして、とぼとぼと窓際に戻った。デジエラは大きく息を吐いて背を向け、戸口を出た。
「残念なのは私も同じだ。あのお方なら、帝国を素晴らしい国に……くそっ!」
 扉が叩きつけるように閉じられたが、誰も咎めなかった。
 後に残された娘たちの中で、ポレッカが泣き笑いのような顔で左右の娘を見た。
「あの……大丈夫、ですよね? さらっていったってことは、こ、殺すつもりじゃないんですよね? だからそのうち」
「獣は、巣に獲物を持ち帰るな」
 ハイミーナの陰鬱なつぶやきを聞いて、ポレッカはひっと息を呑み、ソファの背に突っ伏して嗚咽し始めた。
 レザが立ち上がって、室内を見回す。マイラは壁際に立ち、剣の鍔を親指でカチッ、カチッ、とはじいている。エメラダはテーブルからワインを引き寄せて無言でらっぱ呑みを始める。きょとんとしているチェル姫を、キオラがしっかりと抱いて、何度も背中を撫でている。
 レザ自身も、スカートの中の足が震えていた。彼女は自分を、娘たちの中心だと思っていた。その自負があっても、一人でこの場の雰囲気を変える気力はなかった。
 スカートを滑らせて窓際に歩き、ソリュータに並んだ。彼女は静かな顔で外を見ていた。窓に当てた手に震えはない。皮肉の一つもぶつけたくなった。
「落ちついているのですね。悲しくないのかしら」
「鳥は……」
「え?」
「鳥はいる、とおっしゃいました。将軍が」
 ソリュータが振り返って言う。
「ハイミーナ、馬には乗れる?」
「馬? もちろんだ」
「ニッセン様、エピオルニスはクリオン様でも手綱を取れましたよね。馬に乗れる者なら、なんとか乗れるんじゃありませんか?」
「……躾けてある鳥なら、できると思いますが」
 ハイミーナとマイラが顔を上げた。ソリュータは畳み掛ける。
「ニッセン様御自身の予定は?」
「まだ新米の訓練が……い、いや。陛下をお探しするのに、他の軍務など!」
「探すですって? わたくしたちだけで?」
 思わず声を上げたレザを、まっすぐに見つめて、ソリュータがうなずいた。
「ええ、お探しします。レザ様はご異存が?」
「異存も何も、それができるものなら将軍たちがとっくにやっているでしょう。それよりマシなことがわたくしたちにできると思って?」
「できるできないじゃありません。クリオン様がお望みになることを、私たちはするんです」
「陛下の……お望み」
「分からないんですか? いま、クリオン様が何を思っていらっしゃるか」
 ソリュータは耳を澄ませるように目を閉じる。
「私にはわかります。クリオン様は戻ってこようとしていらっしゃいます。でも、簡単なはずがない。きっと手助けがいります。それができるのは私たちだけ」
「でも、フェリドは――」
「そう思うなら、どうぞそれをお使い下さい」
 ソリュータが目を開き、険しい眼差しでレザの群青の髪を指差す。そこに隠された自決用のかみそりを。
「クリオン様が亡くなったなら、私も逝きます。でも、この目でそれを見るまでは、私は絶対に信じません。命の尽きるまで、地の果てまで、クリオン様をお探しして、お助けて、連れ戻すんです!」
 皆が顔を上げていた。立ち込めていた湿った霧が、清冽な風に吹き払われたようだった。ソリュータがさらに言う。
「チェル姫と、ニッセン様と、ハイミーナと、私。この四人で、二頭のエピオルニスに乗っていきましょう」
「お待ちなさい、ソリュータ」
 レザがソリュータの肩を引いた。
「その役、なぜあなたが? わたくしに務まらないとでも?」
「やる気になってくださったんですね」
 にっこりと微笑まれて、レザはわずかに赤くなりながらも語を継いだ。
「何を根拠にそう決めたの。大体、なぜチェル姫が?」
「騎手がマイラ様とハイミーナの二人だからです。私は言い出した人間だから。チェル姫は「シリンガシュート」をお持ちだからです。危険なガジェス山に向かうとなれば、どうしても戦いの力がいります。聖霊がニッセン様のものだけじゃ、心細いんです」
「う、うん……チェル、がんばる」
 小柄なチェル姫が、心配するキオラの腕を押し戻してうなずく。レザが責めるように言う。
「わたくしは、ここで手をこまねいていろというのですね」
「戦い以外にもやることはあるでしょう。クリオン様が戻ってこられたとき、泣いてばかりで何もしていませんでしたって謝るつもりですか」
「戻ってこられたら……」
 ソリュータを見つめて、その時を想像しようとした七人の娘たちは、気がついた。ソリュータは想像しようとしてすらいない。それは、彼女にとっては来て当然の未来なのだ。
「ソリュータ」
 エメラダが近づき、手にしたワインボトルをぐいっと突き出した。
「飲んで」
「お酒なんか」
「余っちゃったわ。あたし、もういいから」
 ソリュータが顔をほころばせてそれを受け取ると、エメラダはぱちりと派手なウインクをして言った。
「かなわないわね、あなたには。あたしがあなたぐらい腕っぷしが強ければ、代わりに行くんだけどね」
「腕っぷしって、失礼な!」
「あはは、陛下をよろしくね」
「ではわたくしは、例の「悪魔」のことでも調べてみようかしら。ベバブの根は深いとともに広いわ。どこかで何かにつながっているかもしれない。キオラ様、あなたもお力を」
「あ、はい!」
「あの、わたしはどうすれば……」
「あんたが一番役に立つでしょ!」
 おろおろするポレッカの首を、エメラダがぐいと抱きかかえた。
「一万七千人の兵隊さんが、明日にも打って出ようっていうのよ。日暮れから朝まで上がりっぱなしの炊き出しの煙が見えないの? 腹が減ってはなんとやらよ!」
「そ、そうですね!」
 先ほどまでの沈滞が嘘のように、部屋に活気がみなぎる。レザがちらりとソリュータを見て言った。
「帰りなさいよ。死んだらわたくしが陛下を独り占めしますからね」
「どうぞお好きに。毎晩枕元に立ちますよ」
 ソリュータが笑う。
 負けるとは思わないけれど、とレザは胸の中でつぶやく。
 本当に、歯ごたえのある娘だこと。

 4

 引きつった顔で微笑む裸のクリオンの頭の上に、東方産の竹を斜めに切ったような三角の耳が生えている。
 鼻面を近づけてじろじろと見つめたフェリドが、手でちょいちょいと耳の角度を直して、うん似合う、というようにニカッと笑った。
 何かの毛皮を使ったらしい、手製のかぶりものだった。夜明け前にくぼ地に帰ってきたフェリドが、自分で作ったのだ。それをひもでクリオンの頭にくくりつけると、彼女は自前のふさふさした耳を、挨拶するようにこすり付けた。
「んふーう」
「あ、あは、ありがとう……」
「んっ」
 どういたしまして、というように尻尾を振って、フェリドは離れていった。帰ってきたときに背負っていた、子供の服ぐらいある水連の葉の包みを開いて、くるみか何かの実をざらざらと開ける。かたわらの大石にそれを一粒ずつ乗せて、石鎚で叩き始めた。
 かこん、かこん、と実が割れる。が、歩留まりが悪い。三つにひとつは力が入りすぎて潰れてしまったり、割れ方が激しすぎてどこかへはじけ飛んだりしている。そのたびにフェリドは、うむー、と不満そうな声を上げる。
 クリオンは縛られた手と足ではいずって、近寄った。フェリドのそばに、道具の作りかけらしい、束ねた二本の棒が落ちていたのだ。
「ちょっと貸して」
「んむ?」
 棒は二本とも一フィートほどの長さで、大明の箸のように一端がつるでくくられている。試しにもう片方を開いてみると、うまくこぶしひとつ分ぐらいに開いた。いけそうだった。
「見ててね」
 興味深そうに眺めているフェリドの前で、クリオンは棒のV字の根元に実を挟み、開いた端をぐっと閉じてみた。てこの原理で根元に強い力が加わり、硬い実があっさりカキッと割れた。
「うふー!」
 フェリドが目を見張ってそれを奪い取った。実を挟み、割ろうとする。が、焦っていてうまくいかない。クリオンはそっと棒を取り戻して、何度かやってみせた。
「ね、一気にじゃなくて、少しずつ力を入れるんだ」
「ふんふん」
 鼻を鳴らしてうなずいたフェリドが、何を思ったのか、片手の指を揃えて差し出した。よく砥がれた象牙のナイフのような、白い鋭い爪がクリオンの鼻に突きつけられる。
「え? 待って、ごめん! もう邪魔しないから!」
 思わず目を閉じたクリオンの前を、シャッという音が横切った。
 目を開けると、手首の戒めがすっぱりと切られて、両手が自由になっていた。
「……そ、そうなの」
「んふん」
 フェリドは棒を指差して、背を向けた。割っておいて、ということらしい。クリオンはほっとため息をつき、実を割り始めた。
「とりあえず、成功か……」
 まずは懐柔しようという狙いだった。脅すにしても、油断してくれたほうがやりやすいからだ。ひとまずそれはうまくいった。
 カキッ、カキッ、と実を割りながら、フェリドの様子をうかがう。彼女は魚をさばいているところだった。ナイフなど使わない。鋭い爪で十分その用に足りている。腹を割き、はらわたを抜いて、ちょいちょいと虫を取り出している。
 恐ろしく集中している様子で、しゃがんだ背中は隙だらけだった。早くも好機だ、とクリオンは思った。
 そっと体を起こし、一気に飛びかかった。
「こいつっ!」
 首に腕を回し、力任せに締め上げ――ようとした途端、天地がくるりと回った。いとも簡単に背負い投げにされてしまったのだ。柔らかな苔の上に背中から叩きつけられ、瞳に燐光を浮かべたフェリドが覆いかぶさってくる。
 まずい、と冷や汗をかいた。やられる!
「んぅく〜」
 フェリドは、ちゅ、とクリオンの頬に口付けした。
「え……?」
「んーう、くぅふー」
 にやにや笑いを浮かべながら、クリオンのあごを、首を、胸を舐め始める。敵意はかけらも感じられない。それどころかとても嬉しそうだ。股間に手が這いこんで、きゅきゅっと揉み上げられた。
「さ……誘ったと、思ってる?」
「ふぅ♪」
 情けなさに泣きたくなった。決死の覚悟で挑んだのに、悪ふざけとしか思われていないのだ。
 料理は後回し、とばかりに魚の乗った石を蹴飛ばして、フェリドはクリオンを食べにかかる。乳首を、わきの下を、へそを、丁寧に濃厚にねぶりたてていく。両手が使えるようになったクリオンは、必死にそれを拒む。
「やっ、やめて、だめだってば、ぼくはァッん!」
 ぱくりと性器を飲み込まれた。るろるろと楽しげな舌の踊り。たちまちクリオンはいきり立つ。
「だぁ……め……」
 声も腕も震えていく。息が熱く、荒くなる。今日のフェリドは、キオラやエメラダをしのぐほど情熱的だった。こわばりの上半分を舌と唇でこねながら、下半分を指の輪でひっきりなしにしごきたてる。
「やぁっ……くぅんんっ!」
 ひとたまりもなくクリオンは達して、両足をぴんと突っ張りながら、腰を跳ね上げた。大量の熱湯が音を立ててフェリドの口の中に飛び出していく。
「んくぅ……むんん」
 ためらいなく、というよりそれが目的だったように、フェリドはごくごくと飲み干した。のみならず、足りないよ、というように頬をすぼめて吸い上げる。ただでさえ心地よい射精の快感を、無理やり数倍に加速されて、クリオンは歯を食いしばって鳴く。
「ひぃ、そっ、それいやぁっ!」
 管を通して、根元の奥のものを根こそぎ吸い出されてしまったような、強烈な虚無感に襲われた。腰の辺りの感覚がない。クリオンは涙を浮かべて、ぐったりと体を沈める。
 それを見たフェリドは、ふんふんと鼻を鳴らしながらクリオンをごろりと裏返して、尻を引き寄せた。丸みの間に唇を押し付けて、口の中に溜めた精液をつぷつぷと流しこみ、舌で優しく掘り返してくる。
 あ……また、される……
 わかっても、抵抗できなかった。力が入らず、期待までしてしまった。
「んーふふっ」
 準備を済ませると、フェリドはさっそくのしかかってきた。ぬむーっ、という体の中の音が、クリオンの脊髄を通って脳に達した。おぞましさと心地よさの混じった、あの異質の快感が、リズミカルに意識を浸していった。
「はぁ、はぉ、はんん……」
「くん、くぅん、くんんっ……」
 フェリドがクリオンを抱きしめる。鋭い爪が、傷ひとつつけずに髪の中をくすぐり、耳から頬へと丁寧に何度も触れる。まぎれもなく愛撫だった。その間にもぐいぐいと胎内をえぐられていたが、クリオンが苦しくなるような突き方は少しもされなかった。内部の前側を、クリオンが心地よくなってしまう部分を、激しく責め立てられる。
「くぁんんっ!」
 ひときわ激しく鳴いてフェリドが達した。前回と同じほど多くの精液が間欠泉のようにほとばしる。同時にクリオンも達した。自分の腹に勢いよくしぶきをあふれさせる。
「うう……はあぅ……」
 二度続けて絞りだすような絶頂に追いやられたクリオンは、意識も朦朧として苔の上に突っ伏した。しばらくの間、指一本動かせずに痙攣する。
 すると、フェリドが体を離して静かにクリオンの体をなめ始めた。
「まだ……するの……?」
 このまま犯され続けたら壊れてしまう、そう思ってクリオンはおののいたが、フェリドは今度は鼻声を上げなかった。ただ穏やかにクリオンの全身を清め、混ざり合った白濁を一滴残らず拭き取った。
 それが済むと、フェリドは魚の料理にもどった。腹を割き、はらわたを抜き、虫を取り、腹を割き、はらわたを抜き、虫を取る。二十匹あまりもさばいただろうか。
 蓮の葉に乗せて、クリオンの前に置いた。
「ん、ん」
「食べろって……?」
 言われてみれば、腹が減っていた。おずおずと一匹をつまみ、口に入れた。
 ぬらついて生臭く、食べられたものではなかった。顔をしかめて吐き出す。
 するとフェリドは悲しそうにふーんとうめいた。自分で食べてしまうかと思ったが、違った。向こうに積んであった、まださばいていない魚を持ってきて、頭からもぐもぐと食べ始めた。
 あれ、とクリオンは体を起こしてフェリドを見つめた。この子は別に、料理しなくても食べられるんだ。
 ということは、ぼくのためにわざわざ……?
 クリオンは、初めて気がついた。自分がとても大切にされていることに。
 獣も同然の異族に、クリオンは不思議な感情を覚えた。胸の温かくなるようなものを。
「……ううん、だめだ」
 あわてて頭を振って、打ち消した。こいつは自分を無理やりさらってきた相手だ。今この瞬間にも、ソリュータたちが心配で胸の張り裂けそうな思いを味わっている。敵なんだ。
 それなのに――
 クリオンは魚をつまみ、噛み砕いていた。喉に引っかかるうろこを無理やり飲み込み、涙交じりの笑みを浮かべる。
「な、なんとか食べられるかな……」
「ふぅ♪」
 異族は目を細めて笑い、皮を割った実を持ってきて、差し出した。クリオンはそれを受け取る。
「君、名前は?」
「ふぅ?」
「フウでいいか。ぼくはクリオン。わかる?」
「くぅ?」
「それでいいよ」
「くぅ♪」
 フウと名づけられた両性具有のフェリドは、ふさふさの手のひらを伸ばして、クリオンの頭の耳を撫でた。
 クリオンは実をかじった。苦かったが、栄養はありそうだった。

 それから数日の間に、二人は急速に親しくなっていった。
 フウは献身的にクリオンの世話をした。食事を与えるのはもちろんのこと、クリオンの金髪を毛づくろいし、温泉に浸して柔らかな毛皮の手で洗い、眠るときには単純だが独特の旋律をもつ子守唄まで歌ってくれた。
 一度、クリオンが事情があって交わりを拒むと、どういうわけか理由を悟られてしまい、くぼ地の隅にある柔らかな腐葉土を満たした穴に連れて行かれ、背後から両足を抱かれてぶら下げられた。耳まで真っ赤になってクリオンは抵抗したが、華奢なわりに強靭な力を持つフウは、頑として受け入れず、クリオンが用を済ませてしまうまで離してくれなかった。――この年で赤ん坊みたいに用足しを手伝われたなんて、死んでもソリュータには言えないな、とクリオンは屈辱感にまみれて思った。
 フウは日暮れとともに出かけ、夜明け近くに戻ってきた。手ぶらで帰ったことは一度もなく、常に山のような獲物を背負っていた。それをクリオンに与え、代わりにクリオンの肉体をむさぼった。徐々にクリオンは、自分の扱われ方に気づいた。
 お嫁さんだ。
 自分は、異族のとらわれ妻になってしまったのだ。
 仮にも一国の皇帝であり、それ以前に男である自分がそんな風に扱われているというのは、情けないにもほどがあったが、舌を噛んで死のうなどとは思わなかった。やらねばいけないことがあったし、その境遇は――認めたくないことだったが――それなりに快適なものだったからだ。
 とはいえ、毎朝毎晩、ではなくて毎晩毎朝、体力のみなぎるフウに犯されるのは、大変な消耗だった。クリオンは、自分が少しでも隙を見せると、つまり誘惑のようなそぶりをすると、その途端にフウの情欲を呼び覚ましてしまうことに気づいた。逆に言えば、かたくなに防御を固めていれば、ある程度はフウの求めを回避できるのだ。
 そこでクリオンは、あることを思いついた。隠せばいいのだ。
 しかしそれも諸刃の剣で、隠すことによって刺激してしまう、という人間の性についての知識が、フェリドにもあてはまるようだった。
「うーううーっ」
「あ、おかえり」
 大樹の根を伝い、中腹に刺さった『ズヴォルニク』に足をかけて、フウがするすると降りてくる。魚をすりつぶしてなんとか肉団子のようなものをこしらえようとしていたクリオンが、すかさず振り向く。その姿は、もう裸ではない。
 シダの巨大な葉を体の前から後ろのほうにまで巻いて、首と腰の後ろをひもで縛り、胸から下と、膝より上までを隠している。言わば即席のエプロンをつけている。例の作り物の耳は、外そうとするとフウが猛烈に怒るのでかぶったままだ。
 その姿を初めて試したとき、温泉の水面に自分を映したクリオンは、他人事のように笑い出す自分を止められなかった。できの悪い仮装のようで、しかもそれが似合っていた。似合ってしまう自分が恨めしかった。
 そんな姿でも、やめるわけにはいけない。クリオンが裸だと、帰ったきたフウはその場でいきり立つ。
 だが、身を隠していても、されるときはされるのだった。
「今日はジングリットの料理を試してみたよ。口に合うといいけど。ポレッカならうまく味付けできるんだろうけど、ぼくは料理はあまり……」
 言いながら背中を向けて石皿を取ろうとして、ぞくっと背筋に悪寒を覚えた。
 まずい、見せちゃった。
 シダは体の前面しか覆っていない。背中側はわきが少し隠れている程度で、金髪のかかった肩からつるりとした尻まで露出している。背筋の悪寒は、視線のせいだ。フウの眼差しが食い込んでいる。
 と思うが早いか、がばっと背中に温かいものがしがみついた。太ももにぎゅうっと硬いものが押し付けられる。もうその気になってる!
「ちょっと、フウ、だ、だめ!」
「ふーぅん♪」
 その気になったフウは絶対に止まらない。クリオンが手に持った石皿を背後に振って叩こうとすると、するりと脇の下を抜けて、前に回り込んでくる。シダの裾をつまみあげて潜り込み、クリオンの股間に顔を押し付ける。
「こ、こらっ、こぼれるよっ!」
 せっかく作った料理が惜しくて、クリオンは石皿を離せない。立ちすくむクリオンが無抵抗なのをいいことに、フウは唇と頬をやたらと押し付けて、すぐにクリオンのものを目覚めさせてしまう。敏感すぎる自分をしかりつけたくなるが、どうしようもない。
「ふ、フウぅ……」
 ぶるぶる震えながら、クリオンは股間を硬く硬く育てていく。フウはうぶな新妻を可愛がる夫のように、優しく舌を躍らせて導く。最後の瞬間に唇を離して頬を当てた。目を細めて笑いながら、引き抜くほど激しく片手でしごく。
「はっ、はぁぁんっ!」
 がくがくっ、と腰を痙攣させて、クリオンは鋭い角度で精を放つ。フウのミルク色の頬と夜明け前の紺の空に、半々ずつ粘液が飛び散り、吸い込まれる。
「か……はぁ……」
 フウの指戯はひどくうまい。絞り尽くされてクリオンは脱力する。膝の力が抜けて崩折れるクリオンを、フウは巧みに支えて苔の上に横たえ、おもむろに胸と腰の毛皮を捨て、全裸になった。仰向けのクリオンに霧のようにそっと覆いかぶさる。
 乳房がクリオンの胸をくすぐる。気のせいかもしれないが、最初のころよりもそれは硬くなってきているようだった。乳房というより筋肉のようになってきている。その意味はまだクリオンには分からない。
 本能に完全に従う分、フウの愛撫は的確になる。生き物の神経の場所を知り尽くしている。クリオンの体の隅々までまさぐって、受け入れずにはいられないような状態にまで高めてしまう。
「フウ、もう、ひ、ひどい……」
 感じないはずの心地よさを感じるように、すっかり体を変えられてしまった切なさで、クリオンがうめく。両足を大きく広げ、腰を浮かせている。フウはかすかにクリオンの喉をかみながら、体を重ねて入ってくる。
「んっ、んっ、んぅ、うぅ……」
 明るさの満ち始めたくぼ地に、クリオンの甘いあえぎと、フウの押し殺した吐息、苔のこすれるさりさりという音が響く。間隔は徐々に狭くなる。クリオンの細い膝の裏を手で支え、押しつぶす寸前まで体重をかけたフウが、ぐうっと腰を押し付けて体毛を逆立てる。
「ああっ、来たぁ……!」
 どくどくと、終わりも知らず、フウの体液が流れ込む。ふるるっ、と全身を震わせてクリオンが唇を噛む。つややかに張り詰めた先端からひくっ、ひくっ、と細い筋があふれ出る。恍惚としたフウがそれを乳房で塗り広げる。
 
 そんな交わりが済んで、フウが眠りにつくと、放心して横たわっていたクリオンは、はっと気づいた。
 レイピアが、クリオンの『ズヴォルニク』が壁の下に落ちている。先ほどフウが足をかけたときにゆるんでいたのだ。
 クリオンは立ち上がり、下腹部に残る鈍痛に耐えて、一息に走った。
『ズヴォルニク』を手にして振り返るのと、目覚めたフウが槍を片手に飛び掛ってくるのが同時だった。
 振り下ろされた槍を刃で受けた瞬間、信じられないことが起こった。
「やめろ」
 声が響いた。腕から頭へ。反射的に腕に力をこめ、膂力のこもった槍をしっかりと受け支える。
「やめろ、おまえはフウのもの」
 金の虹彩が、猛々しい眼差しと意思を送り込んでくる。クリオンは叫び返した。
「おまえのものじゃない、ぼくは、予はジングリット皇帝だ!」
 フウがはっと驚きの表情を浮かべた。槍から力が抜ける。
 渾身の力を込めてクリオンは押し返した。踏み込みながらフウのつま先を踏む。姿勢を崩してフウは仰向けに転倒した。その上に飛び乗って、剣を押し付ける。フウが槍でそれを支え、再び交流が起きた。
「言葉が分かるのか? 返事をしろ!」
「わかる。フウの『チュルン・ヴェナ』がつたえている」
「『チュルン・ヴェナ』? これは調律武器なの?」
「いにしえさまのやりだ。つよいふといたきのやり。おまえのけんもみずのけんだな」
「『ズヴォルニク』、海王の剣だ。滝と海……近いな、そのせいか」
「そのけんはとてもつよい。おとしたのはフウのしっぱいだった。『チュルン・ヴェナ』はかてない。フウはころされるのか」
「……予は、話し合いたい。向かってこないなら、剣を引くよ」
「フウもたたかいたくない。ずっとそのつもりだ」
 クリオンは身を引き、地面に座り込んだ。フウも体を起こす。
 二人はあぐらをかき、定められた儀式のようにそれぞれの武器をかざして、触れ合わせた。
「君の名は?」
「フウでいい。そうよんでいただろう。おまえはクリオンだな」
「なぜ予をさらったの」
「けっこんするつもりだったからだ。フェリドのフウはちからがいる。にんげんのぞくちょうをよめにして、ちからをもらおうとおもった」
「嫁に? 予は男だよ」
「おとこ……ほんとうか?」
 フウが改めてクリオンの体を見つめなおし、目を丸くする。
「そうか。それではもう、みわかれがすんでいるんだな。おまえがきれいだったから、まだだとおもったのに」
 フウはしゅんと耳を伏せる。「みわかれ」というのはよく分からなかったが、子供を作れる体だと思われていたのは分かった。
 クリオンは続けて聞く。
「どうして力が必要なの。人間の世界に攻め込むため?」
「ちがう。それはウォラヒアのジャムリンがやろうとしている。フェリドのフウは、ローダホンのセマローダといっしょに、それをとめようとしている」
「ジャムリンが敵で……セマローダが仲間なの?」
「ちがう。ジャムリンはわからずやだ。てきはもっとべつのものだ。おそろしいものだ」
「それは?」
「グルド」
 その言葉を聞いた途端、クリオンの肌を、ぞうっと寒気が走った。どこから来たのか分からない、しかし勘違いや錯覚ではない、本能の叫びに近い恐ろしさだった。
 チリッ、と剣が鳴った。見下ろしたクリオンははっと気づく。レイピアの封球が光を帯びている!
「……ジングの裔よ、懐かしき、忌まわしき名を聞いたぞ」
「『ズヴォルニク』……」
「それが敵の名だ。始めにあり終わりにあり、北海にあり南島にある。我が敵にして我らが敵。五星巡る限り相容れることはない」
「それは……なんなんだ。話してくれ、『ズヴォルニク』」
「今、この周囲に敵の気配はない。来たれば目覚めよう。我とてもまだすべてを思い出してはいない。千二百有余の年月は我にとっても永い……」
 光は消えた。
 目を見張って眺めていたフウが、身を乗り出す。
「おまえは、いにしえさまとはなせるのか」
「聖霊のことだね。思い通りにはいかないけど、通じることもある」
「すごい……やっぱり、フウはおまえがほしい」
「力を貸してもいい。どうやら、予と君たちには同じ敵がいるようだから。でも、もう少し詳しい事情を話してくれないと……」
 その時、空気を裂く音ともに、クリオンの一フィート右の地面にザクッと槍が突き立った。一本ではなく、続けざまに槍が降りそそぎ、瞬く間にクリオンの周囲に檻を作り上げた。
 驚いてクリオンが頭上を振り仰ぐと、くぼ地の周囲をぐるりと人影が取り囲んでいた。いずれも金の体毛、鋭角の耳、毛皮の装いを身につけたフェリドたちだった。
 三人ほどがくぼ地に飛び降りて、フウに近づいた。フウはあわてることもなく片手を上げて、座るよう促す。それで危険はないと理解したものか、三人のうち一人が、フウの隣に腰を下ろした。胸の下まで届くほどの長い白髭をたくわえた、高齢のフェリドだ。
 その老人が、横から『チュルン・ヴェナ』に触れた。フウの生き生きした子供っぽい声とは違う、落ち着いた声が伝わってくる。
「でんせいのほうを、おまえはつかっているのか」
「でんせい……そうだ。聖霊の力を借りて、フウと話していた。予はジングリット皇帝クリオン一世。君たちの話を聞きたい」
「ほう……おそれても、にくんでもいない。たいしたむすめだな」
「予は男だ。わからなかったのか?」
 その時の老人の顔は見ものだった。何か堅いものを飲み込んだように喉を鳴らして、視線を逸らし、言い訳がましく言った。
「うむ、む……おとこだったか。これだからわかいにんげんはにがてなのだ……」
 よく見れば、彼は最初にトンベの砦に来たフェリドの一人のようだった。ということは彼がクリオンを女だと決め付けた張本人で、フウがそれを信じているということは、フウより目上のフェリドなのだろう。人質を間違えるというのは、あまりみっともいいこととも思えない。
 クリオンは言ってみた。
「黙っていてもいい。他の仲間に知られたくないでしょう?」
「……かたじけない。にんげんにかばわれるとは……」
 老人はため息をついた。クリオンは彼に親しみを覚え、笑いを押し殺して尋ねた。
「あなたの名は?」
「ローダホンのセマローダ。フェリドのもっともふるいしぞくのおさ。どうやら、おまえははなしがつうじるようだな。あやまろう、てあらにつれてきてわるかった」
「本当に手荒だよ、フウってばやりたい放題で、壊されちゃうかと思った」
「ははは、みわかれのまえのわかものはみなそうなのだ。なかにはつれあいをえてもあきたらないものがいるが。――ジャムリンのように」
「ジャムリン」
 クリオンは、セマローダの顔を見つめなおす。つかの間浮かべた笑みを消して、セマローダが真摯な眼差しで見つめ返す。
「クリオンよ、たのみがある。きいてもらえないか」
「どんなこと?」
「ジャムリンをたすけてやってほしい。……さんじゅうまんのどうぞくをたばねる、ウォラヒアのおさを」
「……三十万?」
 クリオンは絶句した。
 フウと、セマローダと、フェリドの戦士たちが、じっとクリオンを見ている。


―― 中編に続く ――



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