次へ 戻る メニューへ  6.

 満たし合う感覚を久々に味わい尽くすと、ほっとシロンは体を離した。キオラが気だるげに体を起こす。
「なんか……泣けて来ちゃうんですけど、お姉さま」
「わたしもそうだったよ。でも、いいでしょ?」
「はい」
 キオラは素直にうなずいた。
 身だしなみを整えて起き上がってキオラは、思い出したように言った。
「それで本当の用事ですけど」
「え、本当のって…… わたしとしに来たんじゃないの?」
「そうですけど、それだけならエコールがお休みの日に来ればいいでしょ。こんな時間に来たのは、男爵さんたちが大変な話をしてたから、一刻も早くお姉さまに知らせようと思ってきたんです」
「なんなの?」
「フィルバルトにお姉さまを狙う動きがあるのは聞いてますよね。それと関係があるのかどうかは分かりませんけど、今月に入ったころから、王都にたくさんの武器や鎧が運びこまれたことが分かったそうなんです」
「武器が?」
「はい。勅使団のマイラさんたちが突き止めたって」
「ジングリット軍のものじゃないの?」
「だったらデジエラさんのところに報告が来るはずでしょ。でもそんな報告はないって」
「調べてみればいいじゃない」
 シロンは不思議に思いながら言った。
「衛士にでも、デジエラにでも、王都防衛の第二軍にでも命令して。第二軍のガルモン軍団長はこの件を聞いてるでしょ」
「そこなんですけど」
 キオラは言い淀む。
「隊商の記録から武器が王都に入ったことだけは分かったんだけど、その後どこへ行ったかが分からないっていうんですよね。荷馬車数台分はある武器が」
「荷馬車数台分って……ずいぶんな量じゃない。それがどこへ行ったか分からないって?」
「フィルバルトは八十万人の人がいる大きな町ですもん。オン川沿いには川舟の倉庫もあるし、町中にも大きな建物がいっぱい。……第一、バラバラに分けられちゃったらそれこそ打つ手がないでしょ」
「分けはしないと思うわ。もし反乱のための武器だったら、分散させればさせるほど見つかる確率が高くなる」
「あ、そうか……」
 二人はしばらく沈黙した。やがてシロンが首を振った。
「わたしたちが考えても仕方ないわ。とにかく、危険が実際に存在することだけは頭に留めておくから」
「はい、気をつけてくださいね」
 二人は話を打ち切った。
 心配するシロンに、シッキルギンじゃ夜中に抜け出すのは得意だったんです、と請け合って、キオラは裏口から帰っていった。シロンも自室に戻る。
 そっとドアを開けて入り、ノブを見つめながら注意深く閉じる。
「どこ行ってたの?」
 背中に声をかけられて、シロンは驚いた。振り返ると、ものの輪郭がかすかにわかる程度の闇の中で、ポレッカがベッドに身を起こしていた。
「ええと……お手洗い」
「長かったじゃない」
「散歩してたの」
「……私も、誘ってくれればよかったのに」
 シロンはポレッカを見直した。ポレッカは立てた膝の上に腕を組み、顔を乗せていた。三つ編みをほどいた空色の髪が、闇の中で灰色に浮いて肩を覆っていた。
 シロンは近づいて、ポレッカの隣に腰掛ける。
「どうしたの。無視したわけじゃないことぐらい、分かるでしょ」
「うん……でもね、ちょっと寂しかった」
「次からは誘ってあげるわ」
「シロン」
 シロンの言葉を聞き流して、ポレッカが体を傾けた。肩が触れて、シロンに体重がかかる。
「言っちゃいけないことがあるの。でもシロンには言えそう。聞いてくれない?」
「……いいわよ」
「私、官吏になんかなりたくない」
 雨の後の小川のように、ポレッカはさらさらと言葉をつないだ。
「お役人はいや。軍人もいや。書類なんか見たくない。剣なんか持ちたくない。試験はきらい。勉強もきらい。こんな学校いたくない」
「……ポレッカ」
 もうクリオンにも分かった。ポレッカの肩に腕を回し、抱きしめる。
「ポレッカは、お料理がしたいだけなんだね」
「……うん」
「でも言えなかった。言うとみんなに笑われる。この学校の生徒はみんな出世を望んでるから。そうだね?」
「うん」
「じゃあどうしてここにいるの?」
「……父さんと母さんが行けって言ったの」
 ポレッカは辛そうに目を伏せる。
「私は一人っ子で、昔、保育所にいたころはそこそこ頭もよかったの。だから父さんたちは、無理して私を中等部からエコールに入れてくれた。ほら、ゼマント陛下の時は国中がなんとなく暗かったでしょう。そんな世の中を良くしてくれって……」
「期待されてたんだ」
「うん。それは嬉しいよ? でも、ちょっと重すぎる。店の名前をこまどり亭にしたのだって、私がひいお爺さんに似たこんな髪で生まれたからなの。父さんは祝福してくれたつもりなんだろうけど……それでからかわれたこともあるの」
「勇気を出して、学校をやめたいって言えば?」
「言えないよ」
 ポレッカは自嘲的に笑った。
「父さんも母さんも、私が大金を稼ぐことを期待してるんじゃないんだもの。将来偉い役人になって町を良くすることを望んでるの。そういう娘だってご近所にも自慢してる。父さんたちが無理を言ってるわけじゃない、私が非力なだけ」
「……逃げられない仕事ってつらいよね。自分にできるかどうかも分からない時は特に……」
 クリオンはしみじみとうなずいた。他人事とは思えなかった。
 自分の周りには大勢の人々がいる。ソリュータやエメラダが、レンダイクやデジエラが支えてくれる。でもこの子に寄りそう人間は誰もいない。
 守ってやりたい。
 自分のその思いに気づいたとき、クリオンは決めた。
「ポレッカ」
 クリオンはポレッカを腕の中に抱き寄せる。
「なに?」
「守ってあげるよ」
「……どうやって? あなたは夏の間しかここにいないんでしょ」
 正確にはそうではなくて、レンダイクたちが謀反人を掃討するまでだ。だが、それが済んだら彼女を連れて帰ればいい。
「ぼくも、できるかどうか分からないほど重い務めを果たしてるんだ。だからきみのつらさはよく分かる。そういうのは、一緒に悩んでくれる人がいるだけで、ずいぶん変わるよ」
「シロンあなた……どうしたの? 男の子みたい」
 シロン、と呼ばれてクリオンは気付いた。演技を忘れていた。ポレッカが隠していたことを見せてくれたときに、自分も隠すことを忘れてしまったのだ。
「あ……ええと……」
 一瞬クリオンは迷った。自分の正体を明かしてしまうべきだろうか。
 だが、まだ早い、と判断した。城に戻るまでは娘の姿でい続ける必要がある。明かせば危険のことまで話さなくてはいけない。ポレッカに秘密を押し付けてしまうことになる。
 自分は演技を続けられても、ポレッカが他の仲間に隠していられるほど器用だとは、とても思えない。クリオンはシロンを続けることにした。
「ごめんなさい……ついくせで。家族にはよく男の子っぽいって言われるんだけど」
「分かるわ。そっちが地でしょ」
 ポレッカがくすりと笑ったので、シロンはうろたえかけた。だが、ポレッカはそれほど深い意味で言ったのではないようだった。
「剣でタッスから守ってくれたとき、ね……男の子みたいだなって思った。ううん、怒らないで。シロンが女の子なのは分かってる。でも、なんか凛々しくて……」
 ポレッカはまた目を閉じて、シロンの胸に顔を押しつけた。
「こういうのって変かもしれないけど……手近で頼れる人を欲しがってるだけかもしれないけど……シロン、私なんだか、あなたに触っていたい」
 それにいやらしい意味がないことは、シロンにも分かったし、キオラに解消してもらったせいで抑えることもできた。温かさだけを伝えるつもりで、ポレッカを抱いて、ベッドに倒れこんだ。
 下着を付けないポレッカのふくらみが、シロンの胸で硬くつぶれる。あん、とポレッカがくすぐったげに身じろぎした。
「ちょっと、ポレッカ」
「なあに、暑い?」
「ううん……あの、その声ちょっと刺激的すぎる」
「色っぽく聞こえる? あん、あん」
 ポレッカが真似声を上げる。シロンはかすかに苦笑した。この年頃だ、知識だけはあるのだろう。体では何も感じたことがなくとも。
 知らないなら、気づかれないに違いない。
 シロンはポレッカの両腕をつかみ、自分の体の上で軽く滑らせた。胸や足に生まれたしびれで、ポレッカが身を震わせた。
「ポレッカ、くすぐったいだけ?」
「ううん、なんだかピリピリする。気持ちいいわ。ちょっと続けてみる?」
「……ポレッカって大胆」
「何が? だって女同士じゃない」
 何も起こらない、と安心しているのだろう。シロンは少しずつ教えていくことに決めた。この遊びには、たとえ絶頂の白い閃光までたどり着かなくても、心と体をほぐす力がある。
「それじゃあ、もうちょっと触ってあげる……」
 シロンはポレッカの背に腕を回し、優しくさすり上げた。はああ、とポレッカが初めての他愛ないあえぎを漏らし始める。
 この子はチェル姫より純みたいだから、とシロンは考える。
 しばらく、こうやって育ててあげよう。時が来るまでは、わたしの欲望はしまっておこう。


 それから数日間のポレッカの変化は、今まで何人かの娘に触れてきたシロンにとっても、目新しくてどきどきするものだった。
 心の葛藤が、体にはけ口を求めたのかもしれない。昼間の講義室では伏し目がちに周囲をうかがっているポレッカが、寮に戻ると見違えるように生き生きと笑い、その笑顔のままで夜にはシロンに求めるのだった。
 最初は体を軽くこすり合う程度だった触れ合いが、しっかりとした抱擁、そして愛撫へと徐々に進んでいった。
 エコールの丘に吹く夜風が窓から忍び入り、室内の熱気をやわらげる。その熱の生まれるところは、ベッドの上の二人だ。
「はあ……ん……は……」「ポレッカ……可愛い……」
 横たわりわずかに片膝を上げたポレッカに、シロンが覆い被さって何度も手を滑らせている。
 頬を挟み、喉を撫で上げ、乳房を丸くこねてから腹に下がり、太ももの外を長くさする。そこから下は露出していて肌が触れるが、足より上は柔らかなワンピースで覆われていてそれ越しの愛撫になる。
 ポレッカは目を閉じて額に汗を浮かべ、か細い肢体をひくひくと震わせている。まだ何をしたらいいのか分からずに片手を宙に泳がせ、たまに両足をもじもじと組み替える。具体的な望みを自分から言うことはない。自分からシロンに触れようとすることもない。触れ方を知らないのだ。
 攻め手のシロンも微妙な気分だった。抱きはするが下半身は合わせない。触れはしても脱がしはしない。ポレッカの野花のような素朴で可憐な肢体を、指と手のひらだけで触れていく。自分のドレスの下のものはすでに熱くなっているのだが、それを押しつけるようなことはしない。
 それは限りなく性的なものだったが、しかしただのマッサージでもあるのだった。建前だけではない。シロンの手が太ももからワンピースの裾に入りかけると、ポレッカは押し止める。
「そっちはだめ……」
「どうして?」
「だって……私たち女同士じゃない」
 シロンの手を顔に引き寄せて、すりすりと頬を当てながら、ポレッカは残念そうにつぶやく。
「女同士でそんなことするのって、変だわ」
「そんなことって、どんなことか分かってるの?」
「四年も寮にいればいやでも聞くわよ。男と女が何をするかぐらい……」
 ポレッカは夢見るような目をシロンに向けると、その顔を引き寄せた。少し恥ずかしそうにささやく。
「男の人を、女の人が受けとめるんでしょう。あそこで……」
 ポレッカが視線を落とし、シロンも見る。――ポレッカの飾り気のない白いショーツは、真ん中が暗く変色して張りついている。
 シロンはまるで愛撫を受けているほうのように真っ赤になるが、ポレッカは頓着しない。同性の気安さでシロンに笑いかける。
「あは、ちょっと染みてる。……もしかして、シロンも?」
 シロンはかすかにうなずく。ドレスで隠してはいるが、染みているどころか、下着が突っ張って痛いほどだ。
「ここに触ったら、気持ちいいかもね……」
 自分の内ももにすらすらと指を這わせていたポレッカは、手を引いて首を振った。
「でもだめだよね。こういうのって男の子とすることなんだから」
 そして腕を広げてシロンに抱き付き、胸をこすりつけながらささやくのだ。
「あーあ、シロンが男の子だったらいいのになあ。もっといろいろできるのになあ」
 そう言って大げさに体をくねらせる。もちろんそれは本心ではなく、シロンが女だと思っているからこその冗談だ。自分の香りと柔らかさがクリオンのかんぬきを外しかけていることには、微塵も気付いていない。
 大岩を持ち上げるほどの努力をして、シロンはポレッカを引き剥がした。ベッドに押し倒して再び愛撫を続ける。ポレッカは無邪気に嬌声を上げる。
 そうして、お互いが疲れきったころに、ようやく眠りにつくのだった。
 
 翌朝、二人は遅刻しかけた。原因は寝坊である。
「ポレッカ、鐘を聞いてなかったの?」
「熟睡してたんだもの! シロンだってそうでしょ!」
 スカートと肩布を翻して走っていた二人は、遊歩道の途中で立ち止まった。シロンが青い芝生の向こうの生け垣を指差し、ポレッカがうなずく。
「緊急事態だもんね」
 二人は近道に駆け込んだ。旧校舎を通るあの道だ。
 生け垣の隙間をくぐる時、ふとポレッカはいやな予感を覚えた。頭を振って打ち消す。あんなこと、そう何度も起こるわけがない。それにシロンがいてくれる。
 普通の場合なら、その通りだったかもしれない。
 だがポレッカは忘れていた。考えていなかったというべきかもしれない。そもそもあの日、タッスたち不良連中が、なぜ立ち入り禁止のここにいたのかということを。
 風化した砂岩のアーチをくぐり、軒から落ちたガーゴイル像を飛び越える。雑草は以前よりもさらに伸びていて、前を行くシロンの胸から上しか見えない。
 校舎の角を曲がったところで、シロンが、立ち止まった。ポレッカは何気なく尋ねる。
「どうしたの? ……ひっ」
 いたのだ。タッスたちが。
 六人ほどの上級生の男子が、こちらを認めた。ぎょっとしているようだったが、やっぱりな、という納得顔の奴もいる。二度目の偶然は、偶然ではないということらしかった。
 タッスがにやにや笑いながら進み出る。
「おまえか……シロンとかいったな。何をしに来た?」
「通りがかっただけよ」
 答えつつ、シロンは背中の冷汗を感じる。信じてもらえるわけがない。
「怪しいとは思ってたんだ。この時期に転入生ってのがおかしいし、女のくせにあれだけ腕っ節が立つのもおかしい。おまえ……城のイヌだろ?」
 シロンは一瞬、息が詰まりそうになった。だが、タッスの指摘は正解ではなかった。
「衛士だろう。それも特別な訓練を受けた密偵ってやつだろ?」
「……違うわ」
「とぼけるなよ、どっちにしろ見逃しはしねえぞ」
「ポレッカは関係ないでしょ」
「どうだか。そいつはタレ込み専門なのかもしれねえ。まあ、知られた以上はおまえと同じ扱いだ」
 頭からこちらを密偵だと決めつけているのが気になった。そういう調査を恐れるようなことをやっているのだ。
 だがまだ、事態は致命的なほど悪くはない。相手は学生だ。酒を飲むとか、ベバブの葉を噛むとかの、みみっちい悪事をして、必要以上に警戒しているだけかもしれない。
 そんな胆力のない学生が六人なら、渡り合って勝てないまでも逃げるのは簡単だ。シロンは挑発的にタッスをにらんだ。
「なにをやってるのか知らないけど、捕まえる気なら捕まえてみたら」
「いい度胸だな。――ギンテ! クリム! 押さえ込んで縛り上げてやれ!」
 相手が動いた。シロンはかすかに笑う。リーダーのタッスを一番最初にやっつけよう。そうすれば他の連中は腰砕けになるはずだ。
 だが、彼らが交錯する前に、割れ鐘のような怒声が響いた。
「馬鹿野郎! 何をやってるんだ!」
 男子たちが立ち止まった。シロンも振り向いた。そして、さあっと顔から血の気が引くのを感じた。
 廃校舎の玄関から、身の丈六フィート半はあろうかという巨漢が現れた。商人風のだぶだぶのトーガを来ているが、それは偽装にしかすぎない。胸元に、これみよがしな短剣の柄が覗いているのだ。
 周囲には、同じように剣呑な雰囲気をまとった数人の男たちが立っている。目つきは暗く、一目でならず者たちだと知れた。
「タッス、どうした」
「お客ですよ、キャメリさん。多分密偵だ」
 シロンは唇を噛む。相手はタッスたちだけではなかったのだ。噂通り彼らは、本物の悪党たちとつるんでいた!
「馬鹿め……」
 キャメリは吐き捨てるように言ったものの、にらんだ相手はタッスだった。
「それで、どうする気だ」
「どうって……捕まえて閉じこめるに決まってるでしょう」
「それで。その後はマワしてから殺してオン川に沈めるのか」
 タッスたちは沈黙した。彼らの想像力の足りなさが分かる。後のことは考えていなかったに違いない。しかし言われてみれば、そこまでやらなければ捕まえても意味はないのだった。
「とぼけ抜いて通しちまやあよかったんだ。一人前気取りのボンボンが、度胸もねえくせに余計な真似しやがって……」
「すんません……」
「いいか、おまえは俺の言うことに従ってりゃあいいんだよ。そうすれば、何もこんな行きずりの娘たちを捕まえなくても、妓楼に上がるぐらいの分け前はくれてやる。行ったことないだろう? 川沿いの紅酒通り」
 へへへ、とタッスたちは卑屈な笑みを浮かべる。これが終わったら連れてってやると言うと、キャメリはシロンに向き直った。
「運が悪かったな。恨むならこいつらの不手際を恨みな。――おい」
 ちらりと目配せをする。誰に向けてしたのか分からない。こいつ、場慣れしてる。そう思ったとき、シロンはあることに気付いた。
 キャメリの手下が、減っている。
「キャアーッ!」
 悲鳴と衝撃が、同時にシロンを襲った。
 悲鳴はポレッカのものだった。そして、衝撃は背後から頭を殴られたのだった。
 雑草に隠れて近づかれた――今さら無意味な理解を最後に、シロンの意識は途切れた。

 7.

「おい……起きろ」
 体を揺すぶられて、シロンは目覚めた。
「う……」 
 体を起こして、頭を触ろうとした。手が動かない。後ろ手に縛られていた。
 ゆっくりと目の焦点を合わせると、相手の顔が目に入った。二人いる。タッスと、ギンテと呼ばれていた小太りのやつだ。
「起きたか」
「ひどいケガじゃねえよな」
 二人はそうつぶやいて、何もせず離れていった。シロンはさらに視線を回し、ポレッカがすぐ隣にいたので少し安心した。縛られてはいるが、服は乱れていない。
「ポレッカ、大丈夫? 変なことされなかった?」
「え、ええ。何も……」
「今はいつ? ここはどこ」
「廃校舎の中よ。もう夕方」
 聞くまでもなかった。そこは昔の講義室で、隅に寄せられた無数の机の上に、分厚くほこりが積もっていた。窓には外から板が打ちつけられていたが、それも五枚に一枚ははがれて、朱色の夕日が斜めに差しこんでいた。
 床に寝かされていたのだ。上級生たちは少し先に帆布を敷いて座り、にやにやとこっちを見ている。その向こうには、大きな箱が積んであった。上級生たちよりも、シロンの目は箱のほうに吸い寄せられた。
 高さ一ヤード、長さはその倍ほどもある大きくて頑丈そうな木箱だ。それがざっと見て五十箱は積んである。机を寄せたのはこのためだろう。縦横二十ヤードはある講義室の半分が、箱で埋められていた。
「食うか」
 声をかけられて、シロンは視線を戻した。タッスが麦パンを振っていた。シロンは尋ねる。
「キャメリはどこなの」
「さあね。取引だとか言って出てったよ」
「きみの仲間は」
「補修だ。何しろ俺たちは学生だからな」
 言ってから自分でも滑稽だと思ったのか、タッスはひっひっと笑った。
 妙だった。なんのために自分を生かしておいたのだろう。キャメリの口ぶりでは、すぐにでも殺されそうだったのに。
「……どうして殺さないの」
「匂うだろうが。死体が。この暑さじゃ」
 胸が悪くなるようなことをタッスは言ったが、すぐにおかしなことを付け加えた。
「っていうのがキャメリさんの考えだ」
「……じゃあ、きみたちは違うの?」
「違うとも。おれたちは賢いんだ」
 タッスは得意げに言った。
「人殺しなんて大それたことをしたら、縛り首じゃねえか。キャメリさんはもう何人もやっちまってるから平気なんだろうが、俺たちはそこまで落ちぶれたくはねえ。おまえらにも手は付けない。仕事が終わったらこっそり逃がしてやるさ」
「衛士に言うわよ」
「言えよ。俺たちをぶちこめよ。でもせいぜい二年か三年の刑だよな。出てきたら今度こそおまえたちをメチャメチャにしてやる。まあその前に、親父に保釈金を積んでもらって出てくるがな」
 なるほど、こいつらが自分たちに手を出さないのは、情けをかけているのではなくて保身のためなのだ。シロンは甘い考えを振り切った。
 シロンは用心深く質問を続ける。
「きみたちはここで何をしてたの?」
「何っておまえ、知ってるから乗り込んできたんだろう」
 タッスはちらりと背後の箱に目を走らせた。
「目の前にお目当てのものがあるじゃねえか」
「知らないわ。私は密偵じゃないんだもの」
「とぼけやがって。まあいいさ、話すために起こしたんだから」
 あざ笑うように言うと、タッスは箱を指差した。
「あれはな、荷抜け品の酒なんだ」
「……密造酒?」
「そう、オリネラの黒蟲酒。それを隠してある。でもいつも酒とは限らない。ベバブの葉や、ガジェス山の珍鳥や、宝石や金の場合もある。俺たちはそれを見張って分け前をもらってるんだ」
「そんなもの、どこから手に入れたの」
「分からねえ女だな、キャメリさんが仕入れてくるに決まってるじゃねえか。それをほとぼりが冷めるまで隠しておくのが、この場所なんだよ。キャメリさんは場所を探していた、俺はこの廃校舎のことを知っていた。そこで取引だ。まさか学校に荷抜け品が隠してあるなんて誰も思わねえ。いい考えだろ?」
 シロンの頭の中で、何かが閃いた。
「おまえがおれたちのことを通報したって、せいぜい建物に無断で入ったことぐらいの罰しか受けねえんだ。だから逃がしてやる。――キャメリさんに叱られるのは怖いけどな」
 ハハハハ、とタッスは痴呆的に笑った。それを遮ってシロンは言った。
「この箱、いつからあるの」
「ん? 先月だ。酒は腐らねえからな」
「きみたち、今まで中身を確かめたことがあるの」
「あるわけねえだろ、売り物なんだから」
 やにわにシロンは立ちあがり、後ろ手のまま走り出した。唖然とする二人の横を駆け抜けて、上に積んであった木箱の一つに体当たりする。箱は落ち、いやな音を立てて壊れた。
「何するんだ!」
 それまでずっと麦パンを食べていた、鈍重そうなギンテが、信じられないような素早さで飛びついて、シロンを引きずり倒した。
「こいつめ!」
「それを見てよ!」
 シロンの叫びで、ギンテは振り返った。タッスも見た。そしてぽかんと口を開けた。
 油紙とともに箱からはみ出しているのは、昨日鍛えたばかりのようにギラギラ光る、大型の両刃剣だった。それだけではない。篭手、胸当て、すね当て、小さめの円形盾。装飾用ではない、実用一辺倒の無骨な武器防具が、まるまる戦士一人分出てきたのだ。
 もう間違いなかった。
「な、なんだこりゃ……」
 呆然とするタッスに、シロンはできるだけ冷たい声で言った。
「謀反人の武具」
「謀反人?」
「皇帝を襲う計画があるの。そのための武具がフィルバルトに持ちこまれたって話を聞いたわ。軍が必死に探してるけど、こんなところにあったなんて……」
「お、おまえやっぱり密偵なのか!」
「どうでもいいでしょそんなこと。それより、きみたちの立場を心配した方がいいんじゃない」
「俺たちの立場?」
「見てしまったんだから、もう謀反人の一味よ。反乱は縛り首。だまされたなんて言っても通じない。今まで何度もここを使ったんだから。今まで一度も気付かなかったなんて言いわけしても、その方が不自然よ。きっともっと危険なものもあったはず。毒薬や、暗殺道具や、ひょっとしたら――死体とかね」
 みるみる二人が青ざめる。図星だったのかもしれない。考えるひまを与えずにシロンは畳みかける。
「今ならまだ間に合うわ。わたしたちを逃がして衛士に届けて。それできみたちは、謀反を事前に知らせた英雄になれる。さあ、どうするの!」
 真っ青になったギンテが、タッスの顔をうかがった。
「どうするのさ。あ、箱を直して知らんぷりすれば……」
「馬鹿野郎、直す前にキャメリさんが戻っちまうだろうが」
「じ、じゃあこの子たちを逃がす? 最初から逃がすつもりだったんだし」
「それは、この品物が全部はけてからのつもりだったんだ。いや、待てよ……」
 タッスは目を寄せた。こめかみに追い詰められたような脂汗が浮いた。シロンを見る目が充血していく。
「いっそ……やっちまえばいいんじゃないか」
「お、おい」
「荷抜きの証人を逃がすのと、謀反の証人を逃がすのじゃ、キャメリさんの恨みが違う。あの人のことだ、たとえ自分が縛り首になったって、手下に一生俺たちを追わせるぜ」
 シロンは失敗したことを悟った。ここまで追い詰めるべきではなかったのだ。
 二人がこちらを見る。その顔にうっすらと劣情が積もっていく。
「仕方……ないよな。余計なことを言ったこの子が悪いんだよな」
「そうだ。俺たちは知らずに済んだはずなのに」
「や、やめ……」
 後ずさるシロンに、ギンテがゴムまりのように飛びかかろうとした時。
 突然、屋外からけたたましい音が飛びこんできた。
「な、なんだ?」
 鐘楼の鐘を叩き壊したような派手な音だった。タッスがぎょっとしたように辺りを見まわし、ギンテに命令した。
「おい、そいつら見張ってろ!」
 飛び出していったタッスは、すぐに戻ってきた。わけがわからないといった顔でうめく。
「銅像だ。……玄関前の銅像が台座から転げ落ちたんだ」
「あの銅像? あんなのが自然に落ちるかなあ」
「落ちるわけねえだろうが! 誰かが落としたんだ。くそっ、一体誰が……」
「見張っていた方がいいんじゃない」
 危険を引き伸ばせる機会を最大限に利用するつもりで、シロンは言った。だが、タッスの脅えた目つきを見て、とっさに考えを変える。
「ううん、さっさとわたしたちを殺したら。ほら、早く! 誰か来ないうちに!」
 物凄い目付きでシロンをにらむと、タッスはギンテの腕を引っ張った。
「おい、二人で表を見張るぞ。おまえは西側だ」
「なんでだよ。この子たちを先に――」
「先にやれるのか、おまえ! ざっくり殺してみろよ! 今すぐ!」
 突然怒鳴られたギンテは、ぶるぶると頬を震わせてシロンたちを見たが、すぐ目を逸らした。言いわけのようにつぶやく。
「殺すのは、き、キャメリさんたちが来てからでもいいよな」
「ああ。それより誰かに見つかる方がまずい。行くぞ!」
 二人はあたふたと出ていった。さすがに扉に鍵をかけるのは忘れなかった。
 シロンよりもポレッカが崩れた。今まで一言もしゃべれないほど緊張していたのだ。床にへたり込んで、長い吐息を吐く。
「シロン……怖かったわ。なんで殺せなんて言ったの?」
「殺せるわけないもの、学校の生徒なんかに。彼らが言い訳を欲しがってたから、あげたの」
「生徒なんかにって……あなただって生徒なのに」
 だが自分は血を流して戦ったこともあるし、首を折られそうになったこともあるし、その相手を刺し殺したこともある。シロンは少し自分がいやになった。
「とにかく、時間は稼げたわ。なんとか逃げ出さないと」
 手首のいましめは剣を使うことで簡単に切れた。だが、部屋を調べた二人は、すぐに脱出が不可能であることを知った。
 扉は古い建物にありがちの、樫の一枚木だった。壊すには剣で何度も切り付けなければいけないだろうが、そんなことをしたらあの二人がすぐに飛んでくる。
 窓を塞ぐ板はただの木の板のように見えたが、叩くと異様に硬く、中に鉄板が入っていることがわかった。板の隙間も二インチほどしかない。たとえ猫でも通れないだろう。床と天井は手を加えられていないようだったが、元々石造りだから壊すことなど思いも寄らなかった。
 つまりここは、最初から頑丈だった建物をさらに改造した、巨大な金庫なのだった。密輸品を保管する部屋なのだから当然かもしれない。
「だめか……」
 シロンはため息を付きながら窓の隙間を見つめた。その外は別の廃校舎の壁だ。誰も通りそうもない。
 通りそうもないそこを、紳士が通った。
「――え?」
 シロンは瞬きし、あわててそこに近づいた。夢中で板に顔を押しつけていると、当然のように紳士が戻ってきて、腕組みした。
「ううむ、衣装箱に竜を押し込める四つの手順とは、はていかなるものか……何日何夜考えてもわからぬ!」
「ま、ま、ま」
「むう? これはこれはシロン様。はてまたどうして、こんなところで顔のまわりに建物をぶら下げていらっしゃる?」
「マウス、どうしてここが!」
 見事なシッキルギン紳士のいでたちに身を固めた正体不明の道化が、何をおかしなことを聞くと言わんばかりに首をかしげた。
「難問を解決するに静寂の廃墟を闊歩するのは、理にかなったことでは?」
「理って、理って、そんな……あ、もしかして表の音はきみが!」
「表? ははあ、先ほどつまずいた石のことですな。何やら銅像のような石だったが」
「だからそれは本物の銅像でつまずいたってマウス身長何十ヤード……じゃなくって、助けてよ! 助けに来てくれたんじゃないの?」
 マウスはシロンを見つめ、ふうとわざとらしくため息をついた。
「拙者、一人剣舞から魔薬の調合まで四十八の芸に通じておりますが、金庫破りという芸は持っていませんなあ」
「そんなこと言わずに」
「ああ! 哀れな道化の頭蓋が荒れ狂う疑問で破裂しそうなのに、このお方はミセルン湾の砂粒ほども労わってくださらない! 悲しいことだ、情けないことだ!」
 どだいまともに話をするのは無理な相手だった。助けてもらうにしてもまず望みをかなえてやらなければいけないだろう。いや、そもそも助けに来たのかどうか。なんだかそれすらシロンは疑問に思えてきた。
 しぶしぶ考えてみる。前の問題は要するに、衣装箱の大きさを指定していないというずるい設問だった。先入観をなくせばいいのだろう。
「衣装箱を開ける。竜を入れる。衣装箱を閉める」
「三つですな。一つ足りませんが」
「はあ? ……衣装箱を開ける、竜を縛る、竜を入れる、箱を閉める」
「いやいやさにありませんぞ」
 シロンは困り果てた。呑気に謎解きをしている場合ではないのに。――いや、これならいいかな?
「……レグノン卿が知ってるわ」
「ははあ?」
「レグノン卿ならその問題の答えを知ってる。行って聞いてきて!」
「確かですかな?」
「確かよ! 廃校舎のシロンから聞いたって言えばきっと教えてくれる。いい、廃校舎のシロンよ!」
 その時マウスは、白と黒の奇天烈な顔に、不思議な笑みを浮かべた。あざ笑うような、慈しむような、なんとも形容しがたい笑いを。――顔の輪郭が不意にはっきりして、およそ彼の印象にそぐわない若い娘の容貌が浮かび上がったように、シロンは思っ
 マウスはいなくなった。
「……え?」
 狭い隙間からでは分からない。横に走ったのか、天地に動いたのか。まともな返事も残していない。
 だがシロンは、扱いにくい臣下との駆け引きに勝ったことを感じていた。
「なに、今の人……」
 振り向くと、ポレッカが呆然としていた。
「見た?」
「ううん、あなたが邪魔で見えなかったけど…… なんなの、あの変なやりとり」
「ええと……仲間」
「仲間?」
「そう、密偵の。大丈夫、もうすぐ助けが来るから」
 それを聞くと、ポレッカは額を押さえて首を振った。頭痛にでも耐えているようなその様子に、シロンは心配になって聞く。
「どうしたの、大丈夫?」
「もう……もう、ついていけないの」
 ポレッカはわずかに青ざめた顔でつぶやく。
「悪い人たちに捕まって、半日も閉じ込められて、その上殺されそうになって……それから、なに? シロンが密偵で、あの妙な人が助けを連れて来る? ……どこまで現実なの。なんか、悪夢みたい」
 平凡な十五歳の少女であるポレッカにとっては、突飛すぎる出来事なのだろう。シロンは腕を伸ばして、彼女を抱きしめてやろうとした。
 つい、とポレッカが離れる。
「やめて……あなた、私をだましてたんでしょ。寮に入ったのも、密偵の仕事のためなんでしょう」
「そんなことないわ」
 シロンは本心から言った。
「わたし、優しいポレッカが好きよ。守ってあげるって言ったの、本当よ」
 ポレッカはすがりつきたいような瞳でシロンを見たが、また顔を伏せた。
「信じられない」
 講義室にいるときと同じ、寂しげな顔だった。もう言葉では何を言っても信じてもらえないだろう。
 シロンはしばらく迷ってから、決断した。疑いのない事実を示して、信頼を取り戻すしかない。
「ポレッカ、聞いて」
「なに?」
「ぼく、男なんだ」
 ポレッカは、蛮族フェリドの言葉で話しかけられたように、沈黙した。
「男なんだ、ぼくは」
 クリオンは繰り返して、短い袖でごしごしと顔をこすった。白粉が落ちて眉がはっきりし、口紅が取れて唇が涼しくなった。今までと同じように美しかったが、それは少女ではなく少年の顔だった。
「うそ……」
「本当だよ」
「だって……そんな……私……」
 ポレッカは意味もなく両手を泳がせて、スカートの端をつまんだ。みるみる頬を朱に染めて目を逸らす。
「ちょっと……なんなのよ……そんな、ずるい……」
「信じてくれる?」
 ポレッカはちらりとクリオンを見て、そっと頬に手を伸ばした。眉に触れ、頬を撫でてうなずく。
「ほんとに……男の子」
「そう、それがぼくの秘密。これを話したんだから、信用してくれる?」
「え、ええ……」
 ポレッカはうつむいて、小さくうなずいた。
「きみを守りたいって言ったのも、そういう意味だよ。ぼくはポレッカが好きだ。女同士じゃないから、不自然じゃないでしょ?」
「不自然じゃ……ないけど……」
「けど?」
「だって私、あなたと……い、いろいろしちゃったじゃない……」
 消え入りそうに身を縮めながら、ポレッカが言った。クリオンはくすりと笑ってその肩を抱く。
「きゃ!」
「あのいろいろ、いやだった?」
「いやじゃなかったわ。……そうか、それってシロンが男だったからなんだ」
 クリオンの腕の中で、ポレッカはしばらくぼんやりと目を伏せていた。
 それから顔を上げて、かすれた声で言った。
「私たち、生きて帰れると思う?」
「もちろん。ポレッカは帰れないなんて思うの?」
「……帰れるとしても、シロンはこれが終われば、いなくなっちゃうのよね」
「それは……」
「今しか、ないんだ」
 決意のこもったつぶやきを口にしてから、ポレッカはシロンの体に腕を回して、力いっぱい抱きしめた。
「して、シロン」
「ポレッカ?」
「私もあなたが好き。女の子じゃなくてちょっとびっくりしたけど、今はすごくほっとしてる。夜のいたずら、ほんとは最後までしたかった」
 そう言って、ポレッカはクリオンの肩に乗せた頭を振った。
「……いたずらじゃなくしたかった」
「……いいの? ポレッカ、初めてでしょ」
「うん。シロンなら、後悔しない」
「分かった」
 シロンはポレッカの頭を持ち上げ、上気した頬を両手で挟んだ。
 それから初めてのキスをした。


 夕日の残照が消え、窓の板の外が暗くなった。
 明かりもないほこりっぽい講義室で、さっきの男子たちが使っていた帆布の上に膝を付き、二人は抱き合っていた。
「あいつら……来ないかな」
「来ないでほしいね」
 二人とも脅える猫のように聞き耳を立てている。だがまさぐる手は休めない。上半身を密着させて口付けをかわしながら、互いの背中をさすりあっている。
「そうだよポレッカ、手を止めないで」
「こ、こう?」
 今までも受けとめるばかりだったポレッカは、ぎこちない愛撫しかできない。自然に、クリオンがリードを取る。
 唇をついばみ、喉を吸い、鎖骨に舌を押しつける。「あ、あ、あ……」と声を漏らしながらポレッカは身を震わせ、愛撫を返す余裕を失っていく。
 クリオンが胸に差しかかる。夏服だけに覆われた、下着をつけていない少女のふくらみ。服の上からではまだあまり目立たないそこも、触れるとなると別だった。かぶせた手にはずむような弾力が返る。顔を押しつけると木の実のように小さな先端が頬に当たった。
「ポレッカ、ここ気持ちいい?」
「わ、分からない」
「痛くはないでしょ? ピリピリしない?」
「分からないよぉ……」
 駄々をこねるように首を振りながら、クリオンに押されてポレッカはのけぞっていく。
 そのままでは後ろに倒れてしまう。クリオンは支える腕を下げ、ポレッカの腰を抱く。細い腰の下から胸と同じように未熟なまるみが始まっている。片手はそこまで下ろした。
「やっ……」
 ポレッカが動揺する。
「おしり……触るの?」
「だって、それだけじゃないよ?」
「そ、そうだけど……」
 迷ってはいるようだが拒まないので、クリオンは少しずつ手の動きを大胆にしていった。軽く指が食い込むほど尻を撫で、乳房にも唇で丁寧な刺激を与える。ポレッカの息はどんどん熱くなり、甘い汗の匂いを漂わせ始める。もう聞き耳を立てることなど忘れている。
 片足を少しずらして、クリオンは膝を進めた。ポレッカの足の間に太ももが入る。スカート越しに股間に触れたとたん、ポレッカが叫んだ。
「いやあ!」
「ポレッカ」
「だって、恥ずかしい!」
 クリオンはわざと性急に、片手をポレッカのスカートの中に入れてみた。太ももを飛ばしていきなり下着の中心に触れる。
 木綿がしっとりと湿っていた。
「濡れてる」
「やだ、言わないで」
「どうして? ポレッカ、前は見せてくれたじゃない」
 すでに十分血が昇っていたポレッカの頬が、それこそ薔薇を置いたように真っ赤になった。
「あの時は、同じ女の子だと思ってたのよぉ……」
「見せて」
「見るの?」
 焦ったように言ったポレッカに構わず、クリオンは体重をかけた。ポレッカは耐えられずに帆布に横になってしまう。クリオンは顔を下げ、ポレッカのスカートをつまみあげた。
「い、いや……」
「見せないとできないよ?」
「……うん」
 蚊の鳴くような声で言って、ポレッカがおずおずと足を開いた。
 同い年の男子には決して見せたりしない、秘められた場所が現れる。まだほとんど肉の乗らない内ももに腱が浮き、ショーツの股間を持ち上げている。その下着は飾り気のない素朴なものだが、中心に浮かぶ菱形の染みひとつで怖いほどいやらしさが増していた。
「ポレッ、カ……」
 クリオンは両手をそろえて、すべての指でそこをくすぐり始めた。上のほうのぷくっとした盛りあがりや、染みの周りの柔らかい唇、それにへこんだ内ももや、もっと下の暗い部分まであまさず指を走らせる。
「い……は……」
 もどかしげに足を動かして戸惑うポレッカをさらに押し開いて、クリオンは中心に指を押しこんだ。たまらずポレッカが口を開く。
「やはぁん!」
 たちまち布の上までぬめる液があふれ出してきた。ひだの作りだけではなく、小さな突起まで指先で見つけてしまう。クリオンは傷つけないよう細心の注意を払ってそれを転がす。ポレッカがビクンと大きく腰を跳ねさせ、堅く歯を食いしばった。
「や……そこダメ……」
「やめる?」
「……」
 ポレッカが沈黙するのを、クリオンは感慨深く見守る。やめてほしくないぐらい気持ちいいんだ。――ぼくが初めて、レグノン卿にされたときみたいに。
 おとなしかろうと恥ずかしがろうと、思春期の身体を持つ少女が、その快感から逃げられるわけがなかった。初めてのクリオンが逃げられなかったように。
 少年か少女かは問題ではない。少女はそれを隠しているだけ。いったん開けば同じほど激しい。
 続けられるクリオンの愛撫に、ポレッカは抵抗のふりをすることすらできなくなっていった。意思に反して火照ってしまう体から精一杯顔を背けるが、背筋を昇ってくる寒気からは逃れられない。
「いやぁ……あん……だめェ……」
「ポレッカ……声、すごくいやらしい……」
「だ、だって……んんっ……」
 ポレッカは恨めしくなる。なんでこんな声が出ちゃうんだろう。でも抑えられない。
 とろけた声で鳴くポレッカに、クリオンはささやきかける。
「ポレッカ、初めては痛いって知ってるよね」
「う、うん……」
「気をつけてあげるけど、よく準備した方がいいと思うんだ。だから……」
 クリオンはポレッカのスカートに入れた両手を、腰の外に差しこんだ。
 ショーツを抜き取る。
「ほぐしてあげる」
「え? ちょっ、シロン、やぁん!」
 一瞬あそこが寒くなってから、温かいものにぺたりと覆われた。ポレッカは泣き出したいほどの恥ずかしさに襲われて、首を振る。
「やめて、そんなのきたない!」
「大丈夫だよ、ポレッカのだから平気」
「そんなあ、シロンん……」
 クリオンはポレッカの秘唇に口付けしていた。今までの経験からもう分かっている。自分が口でされると気持ちいいように、女の子もここを吸われるのが好きだ。慣れない初めての子の場合は特に。
 太ももを両手でつかんで、クリオンは夢中でポレッカのそこを吸いたてる。ひだも突起もすべてが小さい。そして柔らかい。蜜ですら不思議に澄んでいる気がする。
「シロン……シロン……」
 ポレッカはそれだけをうわごとのように言い続けている。
 それ以外のことを言おうとすると、あえいでしまうから。
 ――腰が、溶けちゃう。
 今までそこに軽く触れて、小さな快感を覚えたことはあった。でもそれがここまで強くなるなんて思ってもみなかった。クリオンの舌と唇が細かく吸い、はじき、えぐる。そのたびに神経が快感でいっぱいになる。文字通りそこからの快感しか頭に伝わってこず、それ以外の場所がどうなっているのかわからない。
 ポレッカはしどけなく両足を開き、無意識のうちにクリオンの頭をそこに押しつけていた。すでに目はうつろに天井を見つめ、舌を出した口からはあはあと荒い息を吐いている。
 純朴な少女の姿を忘れ、快楽をむさぼる女の形をポレッカは表し始めていた。
 ――あ、出てる……
 体内から止めどなく蜜があふれ、クリオンがそれを味わっていることをポレッカは感じる。きたないからやめて、と叫んだ時の心理は裏返り、もっと私を味わってほしいと思い始めている。
 ――このままいつまでも味わっててほしい……
 柔らかく温かい愛撫にポレッカがまどろんでいると、ふとクリオンが離れた。
「ポレッカ、するよ」
「えぇ?」
「もう大丈夫だと思うから……」
「まだあ、もうちょっとなめてぇ……」
 ろれつの回らない自分の声で、ポレッカは少しだけ自分の状態に気付き、驚く。
 ――私、おかしくなっちゃってる。
 寮生の間で冗談としてやっていたあのあえぎ声を、今まさに自分が上げているのだ。ちくりと抵抗感が湧いた。
 ――娼婦みたい。
 葛藤がポレッカを少し落ちつかせた。
 わずかに正気を取り戻したようなポレッカを見下ろして、クリオンはその上に覆いかぶさり、ささやいた。
「入れるよ、力を抜いて……」
「う、うん」
 ポレッカが思い出したようにクリオンをしっかりと見つめた。クリオンはその肩を抱き、自分のスカートを引き上げて腰を合わせた。
 空色の三つ編みに金色の髪をかぶせて、二人の少女が重なり合う。
 熱くぬかるんだくぼみにクリオンのものが突き当たる。手を添えて先端をくちくちとなじませてから、力をこめた。硬い肉が少しずつ開かれていく。
 何度も小刻みに腰を前後させながら、クリオンはポレッカの耳にささやく。
「痛いよね」
「少し……あ、入ってきた」
「もっといくよ。ゆっくりがいい?」
「ううん、これでいい。……あ、ああああっ」
 ポレッカが音程の狂った声を上げた。今まさに彼女の体の奥にクリオンが届いたのだ。
「ひ……ぎ……」
 ポレッカはクリオンの背に爪を立てて耐える。クリオンのペニスは華奢なものだが、初めての彼女にとっては優しいものではなかった。ざらざらした木の杭をねじ込まれているように感じる。
 ビーズ玉のような汗を浮かべたその顔は、苦痛に歪んでいたが、比べるものがないほど美しかった。
 震えるポレッカを抱きしめながら、クリオンは強い衝動を覚える。今まで危険ないたずらをしつつも刺激することのできなかった部分を、やっと包んでもらうことができた。すぐにでもこの少女の中に精を放ちたい。
 だが耐えた。欲望から始めたことではないのだ。この少女を気遣ってやらなければ意味がない。
「ポレッカ……動いても大丈夫?」
「う、動くの? 動くとどうなるの?」
「少しずつ気持ちよくなるよ。最後はぼくが精を出してポレッカに受けとめてもらうんだ。知らなかった?」
「だって、そんな詳しいことなんか!」
 ポレッカが知っていたのは、ごく表面的なことばかりだった。頼れるならばとばかりに、クリオンの頭を抱いて哀願する。
「あ、熱いの! 切られてるみたい! 痛くなくなるんだったら、早く動いて!」
 クリオンは動き始めた。同い年の少女の管はひどく狭く、貫いているクリオンが痛みを覚えるほどだった。だがそれもしばらくのことだ。周りから奥から迎える蜜があふれてきて、筋肉の硬さがしなやかさに変わっていく。処女から女に変わっていくポレッカを、クリオンはきつく抱いて愛しむ。
「痛い? ポレッカ、痛い?」
「痛いよう、シロン、助けて……」
「もうすぐだからね」
 自由度の高い正常位だからポレッカを気遣いやすい。深すぎて彼女が眉をひそめたら、腰を引いて浅くかき回す。少し余裕ができたと見れば、一度奥まで貫いて慣れさせる。
 ぐちぐちと濁っていた接触の音が、次第に軽いものになり始めた。ぬちゃっ、ぬちゃっ、ぬちゃっ、と音に潤いが表れる。
 ポレッカの指が、クリオンの背で戸惑ったように動いた。
「ほ、ほんと……痛くなくなって、きた……」
「そう?」
「うん。いいよ、シロン。もっと動いていいよ」
 クリオンは上体を起こして床に膝をつき、ポレッカのももをすくい上げた。少女の全身が目に入った。
 髪はきちんとまとまっている。夏服も乱れていない。だがスカートははだけられ、ほっそりした両足はクリオンの左右に投げ出している。何よりクリオンのものを飲みこみ、ぷつぷつと泡立つ蜜を絞り出しながらひくついている下腹が、不自然なほど艶麗だった。
「はあぁ……当たる……」
 朦朧とつぶやきながら、ポレッカが額の汗を拭く。自分がこんなにみだらな姿になれるなんて気付いてないんだろうな、とクリオンは想像する。
 太ももをつかんで、勢いよくクリオンは腰を揺さぶり始めた。ポレッカの顔が少しずつ変わっていく。我慢から享受に。クリオンのものを楽しみだしている。
「あっ、いいっ、いいよ、シロン、いいよ?」
「ぼくもいいよ。ポレッカ、可愛いよ」
 他愛ない呼びかけをかわしながら、二人は快感を煮詰めていく。そのうちクリオンが離れた姿勢に耐えられなくなり、ポレッカの手を引いた。
「起きて。ぼくが座るから、上に座ってくれる?」
「う、うん」
 ポレッカが体を起こした時、一度クリオンのものが抜けてしまった。濡れたこわばりを初めて見たポレッカは、どきっとした。
 ――あ、あんなに大きいのが私の中に入ってたの?
 大きくはないのだが、それでもポレッカの中指より長かった。中指を下腹に入れられるかどうかを考えれば、それはやはり驚くほど大きかった。
「座って……」
 化粧を落としても美しさを損なわない少年が、ポレッカを求めて見上げた。ごくりとつばを飲んで、ポレッカは立てひざから腰を下ろす。
「はあああ、あー……」
 当然、ポレッカはそれを受け入れることができた。大きく見えても入るようにできている。それが、彼女にあることを思いつかせた。
 ――シロンがこんなにおっきいのは、奥に注ぐためよね……
 クリオンが腰を突き上げ始める。ポレッカの腹の中でクリオンが暴れまわる。もう痛みはない。一突きされるごとに子宮からしびれが拡散する。
「シロン……」「ポレッカぁ……」
 二人は固く抱きしめ合い、がくんがくんと上下に振動する。深くねじ込みざま、クリオンがぐりぐりと中をえぐった。シロン出したいんだ、とポレッカは感じ取る。
「シロン……私に出すの?」
「うん、うん、ポレッカに、いっぱい……」
 クリオンはもはやポレッカの気掛かりになど気付かない。体内で果てるつもりで一心にむさぼっている。
 出されたら妊娠してしまう。それぐらいポレッカは知っている。
 ――止めなきゃ。やめてって言わなきゃ。
 クリオンがポレッカの胸に頬ずりしている。自分が憧れたほどの相手が、可愛らしく求めている。
 ――離れなきゃ、出されちゃう。
「ポレッカ、いくよ。受けとめてよ!」
 ――受けちゃいけない。
「ポレッカあ!」
 クリオンが切なげにうめいて、ポレッカの一番奥で小刻みに動いた。元よりポレッカも全然冷静ではなく、押しつけられた先端にびりびりとしびれを感じながら、クリオンを抱きしめ返していた。
 ――逃げなきゃ、今すぐ!
 理性のその声とは裏腹に、ポレッカは叫んでいた。
「いっぱい注いでっ、シロンのおちんちんで!」
「うんんっ!」
 びゅるびゅるびゅるっ、とクリオンは熱情を解き放った。熱いその粘液は勢いよくポレッカの子宮にあふれこみ、生まれて初めての火を注がれるような感覚を刻みこんだ。
「あっ、これっ、いやぁっ!」
 もがくポレッカを抱きしめてクリオンはびくびくと注ぎ続ける。ポレッカの中の鋭い熱さが、満たされるとともに和らいでいく。
「はあっ、はあっ」
 せわしなく息をつきながらクリオンは残る精をすべて放出した。ポレッカの体内にもう暴れるものはない。あとにはただ、じんわりと広がる温かさが残った。
 ポレッカにはそれが何かわかった。
「シロンのが……染みてくよ……私のおなかに……」
「よかった?」
「うん、とっても……」
 また、二人は長いキスをかわした。
 
 8.

 そのままいつまでも抱き合っていたかった。
 だが、廊下から聞こえてきた数人分の足音が二人を我に返らせた。クリオンは気だるさを振り払って立ちあがり、箱から出てきた剣を取りに走った。しかしそれは愛用のレイピアの二倍以上の重さがある大剣だった。持っただけで腕が下がり、まともに扱えないことが分かった。が、ないよりはましだろう。
「……だから、客は貴族の好事家だって言ってるだろう」
 野太い声は、多分キャメリだ。それに追いすがるようにタッスの声も近づいてくる。
「本当ですか? あんな物騒なものを貴族が欲しがりますかね」
「確かにあれを飲みすぎれば廃人になっちまうが、そんなのは俺たちの知ったことじゃない」
「飲みすぎればね。飲めますかねあれが」
「……待て」
 二人の声が、扉の前で止まった。
「タッス。何が言いたい?」
「いや……実は俺とギンテ、見ちまったんですよ。箱の中身」
「何?」
「あの女たちの一人がちょっと目を離した隙に開けちまって。黙ってても見られたらばれるんで言いますが……でね、ちょっと提案があるんですよ」
「……」
「俺たちは別に箱の中身を知りたくなかったし、知ったって口外するつもりはないです。キャメリさんの怖さはよく知ってるから。だから、ここらで俺たちには手を引かせてもらえないですかね。……この校舎を使うのも今日限りにして」
 タッスは、衛士にも捕まらず、クリオンたちも殺さずに済む、第三の方法を思いついたらしかった。キャメリとの対等な取引、いや、脅迫に近いものだ。
 しかし、彼は気付いていなかった。そんなことをするには到底、彼の器は足りなかったのだ。
「……足を洗って見て見ぬふり、というわけか」
「へへ、まあそういうことで」
「一つ教えてやる」
 扉の前で剣を構えていたクリオンの腕にぞうっと鳥肌が立った。彼にはわかった。
 殺気。
「客は、教会だ。――裏切り者は拷問されて殺される」
「教……イフラ教会?」
「そんな死に様をさらすよりはこっちのほうがいいだろう」
 ズバッ! と命が切り裂かれる音がした。続いて倒れる音、ほんのかすかな絶鳴。ポレッカがひっと叫んで耳を覆った。
 沈黙の中で、扉がゆっくりと開いた。クリオンは重い剣を握り直す。
 短剣を右手にぶら下げて無造作にキャメリが入ってきた。クリオンをちらりと見るが、警戒するでもない。慣れない大剣を支えるのに精一杯で、クリオンも切りつけることができない。明らかに、キャメリの技量は自分より上だった。――いや、技量ではなく人を刺した回数が。
 キャメリに続いて手下たちが入ってくる。さすがに彼らは剣を構えたクリオンを見てぎょっと足を止めた。
「お頭?」
「素人じゃないようだが……たいした腕じゃねえな。おい、剣を捨てな。分かるだろ」
 クリオンは汗でぬらつく手にしばらく剣を握っていた。それを捨てたのは、キャメリがちらりとポレッカを見たからだった。その意味は痛いほど分かる。
 丸腰で立ち尽くすクリオンを指差して、縛れ、とキャメリは簡潔に言った。
「殺らないんで?」
「売ったほうが得だ」
「なるほど」
「泣かれると目障りだな。トリギット、こいつらを別の建物にでも放り込んどけ。ゾーラ、表のギンテを殺ってこい。ネムス、ゾーラと二人で死体をまとめて二ヤードより深く埋めろ」
「他の学生どもは」
「用済みだ。知ってるのは二人だけらしいから、放っとけ。急げ、もうすぐ客が来る」
 ある者は出て行き、ある者は残る。冷酷な手際のよさで、クリオンとポレッカは再び後ろ手に縛られた。表からギンテの悲鳴が聞こえてきた。
「歩きな」
 トリギットと呼ばれた異様にひょろ長い体型の男が、二人を押した。扉を出たところの血だまりを見てポレッカがか細い悲鳴を漏らし、その体を支えながらクリオンも歩く。取引のためか、キャメリたちは部屋に残った。
 表にはすでに闇が落ちていた。ポレッカとクリオンの後ろで綱を握っているトリギットが、ランプをかざして辺りを見まわした。
「どこに閉じ込めるかねえ、あまり遠くても目が届かないしねえ。……そういえばあっちに小屋があったね」
 トリギットにうながされて廃校舎を回りこむと、崩れかけた薪小屋があった。
「ほら、入ってね」
 突き飛ばされるようにして二人は小屋の中に押しこまれた。たたらを踏みながらもクリオンは振り返り、ポレッカを背にかばってトリギットをにらむ。
「ぼくたちをどうする気?」
「心配しなさんなって。娼館てのは客の相手さえちゃんとすりゃあ、あったかいご飯が食えてふかふかのベッドで寝られる、素敵なところなんだからね」
 優しい声で言うと、トリギットは付け加えた。
「――三年体がもてばいいほうらしいけどね」
 不気味な笑顔を浮かべるトリギットをにらんでいたクリオンは、はっと気づいた。
 トリギットの背後に、誰かが立っていた。
「じゃあね、声を出さずに待ってるんだよ」
 トリギットが小屋の戸を閉じた。
 間髪入れず、肉に剣が刺さる音が続けざまに起こった。どう、と誰かが倒れる。
「な、何?」
 脅えるポレッカを背中に隠して、クリオンは油断なく戸を見つめた。
 それから一連の作業が始まった。
「衣装箱を開ける。巨人を出す。竜を入れる。衣装箱を閉める」
 言葉とともに戸が開き、クリオンがひょいとつまみ出され、マウスがポイと放りこまれ、戸が閉じられた。
「は?」「え?」「なんと」
 三人三様の声が上がる。外に出されたクリオンは、そばに立つ黒髪の青年を見て驚きの声を上げた。
「レグノン卿! 来てくれたの!」
「クリオン、おまえな。こんな簡単な頓知を解くためにおれを呼ぶなよ」
「か、簡単って……」
「箱には巨人が入ってただろうが」
 軽く笑ってから、レグノンは口元を引き締めて小屋の中に呼ばわった。
「道化、マウスと言ったな? おまえはそこでポレッカを守っていろ!」
「はてまたご無理を。道化の仕事は御道化ることで……」
「ならおどけていればいいが、出ては来るな」
「き、教官! 怖いです!」
「死体が見たいか?」
 ポレッカが沈黙した。レグノンはクリオンを見下ろして肩を叩く。
「行くぞ。軍の屯所に使いを出したから、彼らが来るまで足止めしよう」
 女生徒相手ににやけた笑いを振りまく、坊ちゃん貴族の姿ではない。抜き身をひっさげて薄く笑うレグノンに、クリオンはこの上ない頼もしさを感じる。
「レグノン殿、いけませぬ!」
 マウスが切羽詰った声で呼んだ。
「なんだ?」
「新たな疑問が湧いたのです! はげ山のサバトにすべての怪物が集まる夜、来なかったのは一体誰か?」
「――戻ったら教えてやろう」
「ポレッカ、その人に害はないから!」
 身を翻して、二人は駆け出した。
 廃校舎の角を回ると、出会い頭に二人の男と鉢合わせした。
「誰だ?」「構わん、やれ」
 死体を埋めていたネムスとゾーラの二人だった。レグノンの手にレイピアを見るが早いか、素早く得物を抜いて斬りかかって来る。
 たちまち激しい剣戟が始まった。二人の武器は短剣と草刈り鎌だった。
 まともに考えれば、短剣も鎌も正面切って戦うには不便な武器である。だがこの二人は暗殺の経験でもあるのか、それを使った戦い方に熟達しているようだった。並の騎士なら手も足も出ずに翻弄されてしまうような攻撃が、左右からレグノンを襲う。
 しかしレグノンもただの使い手ではなかった。二人の奇妙な攻撃をよく見よく受けて、隙と見れば稲妻のような刺突を五、六回も連続して繰り出す。もともと大剣よりも素早い武器であるレイピアに、クリオンではかなわないレグノンの腕力が乗って、防御する敵をたびたびよろめかせた。
「食らえ!」
 そこに横から、クリオンが助太刀した。といっても剣などないから、とにかく石を投げたのである。
「くそっ!」「こ、この餓鬼……」
 およそ見栄えのしない攻撃だったが、鎧も着ていないならず者たちが相手なので効果があった。二人が顔をかばってクリオンをにらむ。その隙に。
「悪いが、急ぐ」
 ギャン、ギャン! と金属が叫び、二人は武器を吹き飛ばされた。さらに反転したレイピアが、二人の喉と腹を貫いた。
 ずるずると倒れる二人の上に、レグノンは剣の血を振り払う。殺しちゃったの? と聞いたクリオンに、当然、と答える。
「知らないのか、こいつらは回天党という有名な悪党団だぞ。短刀と鎌の二人っていう組み合わせに覚えがある。――富豪の家に押し入って金目のものを奪ってから火をかけたり、夜道で娘をさらってそのまま売り飛ばしたりする奴らだ。情けも容赦もいらんよ」
「そ、それいつ知ったの?」
 クリオンが驚いて聞くと、レグノンは簡単に答えた。
「道化に聞いた」
「どうやって聞いたの、あの変な道化から! 第一なんでマウスが知ってるの!」
「聞き出す方法はいろいろあるさ。どうやってマウスが知ったかまでは知らないが」
 ますます理解できなかった。
 レグノンは早口で補足する。
「おれが聞いたのはこれだけだ。タッスと悪党がつるんでる。悪党はここに何かを隠している。おまえたちが悪党に捕まった」
「何かっていうのは謀反のための武具で、それを買い取るのは教会らしいんだよ!」 「教会か。そりゃ穏やかじゃないな。……ああ、こいつはかわいそうに」  レグノンは、半ば埋められていたタッスたちに短く目礼した。教え子ではないとはいえ、生徒が殺されたというのはレグノンにも衝撃を与えたようだった。
 廃校舎の表へ出ようとして、レグノンが角で足を止めた。彼に習って、クリオンもそっと様子をうかがう。
 わけもなく震えが来た。
 そこには黒い貫頭衣をまとった数十人の人間が立っていた。ランプの光を浴びて胸にきらきらと光るのは五星架だ。間違いなく教会の僧たちだ。
 クリオンが震えたのは、彼らの穏やかな笑顔が、まったく別人なのに一人残らず同じに見えたからとだった。いくさの最中の兵士でもこれほど似通ってはいまいと思われた。
 廃校舎の玄関の前で、僧たちの代表らしい人物と、キャメリが話している。キャメリはそばに置いた木箱から、がらがらと剣や防具を出して、品質を強調するように何か弁じている。どうやらその音のおかげで、先刻の打ち合いは気付かれなかったらしい。
「あれが問題の品か」
「同じものが中にたくさんあるよ。多分、人数分」
 商談がまとまったのか、僧のリーダーの長髪の人物が手を上げた。一行はキャメリを先頭にぞろぞろと中に入って行く。クリオンはレグノンの腕を握り締めた。
「レグノン卿、まずい」
「どうした?」
「移送なら荷馬車を用意するはずでしょ。それをせずに僧侶ばかり集まってるってことは、今この場で武器を身につけるつもりじゃ……」
「ここから反乱を始めるのか!」
 レグノンははっと僧たちを見直した。もう十人ほど中に入った。
「今しかない、行くぞ!」
「やるの?」
「あの人数に武装されたら止められん!」
 二人は駆け出し、一息に距離を詰めた。玄関に立っていた長髪の僧が気付く。構わずにレグノンは僧の一人に体当たりし、中へと続く黒衣の列を断ち切った。
 しかしそれは少し遅かった。外に残っている僧はわずか数人で、三十名以上がすでに中に入ってしまっている。
 瞬時、レグノンは迷った。彼らは放置すればすぐに理非の通じない殉教者になる。しかし今ならまだ弱い。中にまで追って走れば、武装する前に十人以上倒すことができる。丸腰の聖職者を殺すことができればだが。
 迷いは直ちに壊された。邪魔者と見るや、僧侶たちの顔が一変したのだ。
「そなた何者か!」「聖戦の妨げするつもりか!」
 外にいた僧侶たちがかっと目をむき、一斉につかみかかって来た。とっさにレグノンはレイピアを鞘に収めて、拳で殴り飛ばす。クリオンもそれを見習って、すぐそばにあった見本品の大剣を取り、鞘に収めたまま振り回した。
 それを見た長髪の僧が、奇妙な訛のある言葉で叫んだ。
「入ったものは中へ! 武装を優先しなさい!」
 殺せないことが見抜かれたらしかった。二人は廃校舎の中へ入ることもできず、亡者のようにつかみかかってくる僧侶たちと必死に戦った。
「このっ!」
 大剣の柄を思いきり鳩尾に突き込んで最後の一人を失神させると、クリオンは振り返った。まだリーダーの長髪がいる。彼は奇妙なことに、少し離れたところで手を出さずにこちらを見守っている。――いや、彼ではなく彼女だ。夏の海に似た紺碧の髪を持つ長身の女、つまり尼僧だ。
 レグノンもそちらを見たが、構わないでいいと判断したようだった。クリオンに中へ突入するよううながす。
 だが彼らは、てこずりすぎた。
 玄関に入ってすぐ、廊下の奥から大剣を持った僧が駆けてきた。最初に入っていった者が装備を終えたのだ。続々と増える。
 聖職者たちは規律正しい生活で体を鍛えているから、軍人を除けば生半可な貴族よりも腕力がある。そのせいで今てこずったばかりだ。とても相手をする気になれず、二人は回れ右して外に飛び出した。
 そして驚いた。
 尼僧はいつのまにか姿を消し、代わりにいたのは、軍馬に乗った巨体の男だったのだ。その周囲を、松明を持った歩兵がずらりと取り巻いている。
 息を飲んだクリオンが、顔を輝かせた。
「将軍……ガルモン軍団長!」
 禿頭の巨漢が、無言で敬礼した。従卒兵が代わりに声を張り上げる。
「レグノン卿の通報により、エイレイ・ガルモン軍団長麾下第二軍王都防衛連隊、急ぎまかりこしました!」
「間に合ってくれた……」
「追ってデジエラ将軍、フォーニー将軍も急行中であります!」
 僧侶たちが次々と出てくるが、包囲されていると知ると悔しげに足を止める。その人数は膨れ上がり、廃校舎の前の中庭をほぼ埋めてしまった。第二軍は先発四百名を繰り出していたが、その二割もここまで入って来れないので、対峙しているのはほぼ同規模の集団ということになった。
 ガルモンの従卒が怒鳴る。
「謀反人たちに告ぐ! 汝らの企みはすべて暴かれている! おとなしく縛につけば皇帝陛下のお裁きを受けることができるが、従わぬならばこの場で掃討する! 選ぶがいい、縄か剣か!」
 返答は、イフラ神への祈祷詞だった。
嘉せよ、我が神ウーレー・イフラ!」
 転向を知らない者たちの激烈な抵抗が始まった。
 歩兵と僧侶が激しく斬り合う。時ならぬ殺戮の喚声がエコール中に響き渡る。
 ガルモンが馬を下り、長さ二ヤード半の長大な戦斧を従卒兵から受け取ると、無造作に自分の額に打ちつけて血を吸わせる。ぎょっとした手近の僧侶に近づくと、満身の力をこめて戦斧を振った。
 かなり体格のいいその僧侶が、大剣を立てて受けた。だが剣はこっぱのように砕け散った。僧侶は胸の辺りで体をへし折られて、中庭の端まで吹っ飛んでいく。
 異様な破壊力は、ガルモンの重量霊『マートネール』によるものだった。武器の重さを自在に変化させるこの聖霊によって、彼の戦斧は木剣よりも軽く舞い、巨岩をも粉砕する恐るべき兵器になる。
 丸腰のクリオンは兵士たちの背後に下がっていた。阿鼻叫喚の戦場を望見していた彼は、ふと背後に気配を感じて振り返った。
 なんとそこには、まだ制服姿のままの寮生たちが大勢立っていたのだ。
「み、みんな、どうしたの?」
「こっちが聞きたいよ。メシの前に大騒ぎして」
「シロン、あれ何が起こってるの?」
「な、何って……」
 うろたえながら視線をさまよわせたクリオンは、生徒たちの中にポレッカまで混じっていることに気付いた。
「ポレッカ! 大丈夫? マウスはどうしたの?」
「私、なんか気を失っちゃったみたいで……気が付いたらみんなに囲まれてたの」
「あ、レグノンさま!」
 女子のジョカの声で、クリオンははっと振り向いた。
 レグノンが敵と対峙していた。相手はキャメリだった。僧侶たちとは少し離れたところで、短刀とレイピアを向かい合わせて立っている。
「おまえがシロンを閉じこめた頭目か。それにタッスとギンテも殺したな」
「そういうあんたは誰だい。構えからしてあいつらの剣の師範かね」
「別に何も教えていない。が……悪い奴との付き合いかたは教えておくべきだったかな」
 レグノンはブーツを鳴らして踏みこみ、影のような突き込みを繰り出した。キャメリは受けずに体を逸らして避ける。
「レグノンさまーっ!」「頑張って!」
 突然、黄色い喚声が飛んできた。寮生の娘たちが必死の声援を送ってきたのだ。
 キャメリがやれやれと言った顔でうそぶく。
「ありゃなんだ。垂らし込んだのか」
「教え子に手を出したりはしないよ。ご婦人を口説くのは二番目に得意だがね」
 軽薄なやり取りの周りで銀光を交わし合う。
 キャメリは攻めに出ない。いや、出られないのか。レイピア相手に短剣を使うのは分が悪く、避け続けている。このまま逃げるかもしれない、と思わせる動きだった。
 その動きの途中で、わずかに左手を振った。
 突然レグノンの顔半分を、真っ黒なものが覆った。
「ハッハ、どうだァ?」
 キャメリはがらりと姿勢を変えて斬りかかる。墨袋だった。手のひらで握った小さな袋から、目潰しを飛ばしたのだ。
 卑怯だが、有効な戦法だった。キャメリは勝利を確信した。
 その腹から背に、一文字にレイピアが突き刺さった。
「な……なに?」
「おれがご婦人を口説くよりも得意なのは」
 レグノンは片目を煌々と光らせていた。そちらの目が残るよう、ぎりぎりで墨を避けたのだ。
「――これなんだ」
 レグノンは一息にレイピアを抜いた。刺してすかさず抜くのがレイピアの使い方だった。腹の穴からキャメリは鮮血を噴き、肉人形のようにがくりと倒れた。
「あ、足がなくなっちまった……」
「脊椎が切れたな。とどめが欲しいか?」
「……糞食らえ」
 レグノンは悪党を無視して、背を向けた。
 少女たちの方を見て、苦笑する。
「刺激が強すぎたな……」
 その通り、青ざめた顔で口元を押さえている娘もいた。生まれて初めて殺人の現場を見たのだから仕方ない。
 だがそうでない娘たちもいた。レグノンが見せた真の姿は、彼女らの甘い空想を突きぬけて、雌の本能にまで届いてしまっていた。
「レグノンさま、怖い」
「でも、すごい……」「うん」「……なんか、震える……」
 はしゃぐ余裕もなくして、酔ったようにぼうっと立ち尽くしている娘たちから目を外すと、レグノンは戦場を見回した。
 戦闘は終わりつつあった。いかに僧侶たちが命を惜しまないとはいえ、やはり多勢に無勢だったのだ。
「一件落着、かな……」
 クリオンが走ってくる。手を上げて答えようとした時、レグノンは妙なものを見た。
 生い茂る夏草の中から、すっと誰かが立ちあがった。クリオンも気付く。
「あ、あれは……」「隠れていたのか。覚悟したのか?」
 長髪の尼僧だった。尼僧は貫頭衣をはだけて両手を出した。右手には剣が握られていた。シェルカのものに似た、湾曲した刀。
「え?」
 周囲で数人が気付いた。レグノンは剣の種類まで見抜いた。
「大明の……青竜刀シンルンダオ?」
 だが、次に起こることは予想できなかった。
 青竜刀の刃を左手に滑らせて薄く血を与えると、尼僧はまっすぐに剣を突き出した。その延長線上には最後の僧侶と戦っているガルモンと、多くの歩兵たちがいた。
「応えよ、『激光ジーグン』」
 血のように赤い光の糸が現れた。それは尼僧の剣・僧侶・ガルモン・兵士数名を一瞬でつないだ。
 そして唐突に消えた。
「何っ?」
 彼にしては珍しく、レグノンが狼狽の声を上げる。その語尾に悲鳴がかぶさった。
 僧侶は首に穴が空いて死んだ。ガルモンは右腕を貫かれて倒れた。兵士たちは顔に、あるいは胸に光を受けてバタバタと横たわる。
「聖霊攻撃だ!」
 悲鳴は兵士たちからだった。浮き足立っている。彼らが最も頼るものは聖霊を操る指揮官であり、恐れるのもまた敵の聖霊なのだ。それが同時に倒れ、現れた。
「レグノン卿、今のが何か分かった?」
 見上げるクリオンにレグノンは首を振る。
「分からん、ジングリットの聖霊じゃない。あれは他国のものだ」
「その通り」
 尼僧が朗々たる声で言った。それまでの目立たない雰囲気を突如として脱ぎ捨てたようだった。
「私はジングリットの外からやってきた。主上の命によりやってきた。討つためにやってきた」
 尼僧は美しい顔にうっすらと淫猥な笑みを浮かべて、周りを取り囲む軍勢を睥睨した。
「僧をたぶらかした。武具を集めた。それらは無駄に終わったが……いや、私は運がいい。ガルモン将軍は創に斃れ、デジエラとフォーニーの将軍は未だ至らない。その地に、丸腰の貴方が立っておられる……」
 尼僧がクリオンを見つめた。まるでのしかかり凍らせるような視線だった。彼女に対しては、女生徒の服装がなんのめくらましにもなっていなかった。
「私の『激光ジーグン』を防ぐ精霊は、ここにない」
「……おまえは、誰だ!」
 クリオンの叫びを受けて、ホ、と尼僧は笑った。
「私は、東の方七千里、大明合衆帝国タイミン・エンパイアステイツが大統令、霞娜シャーナ閣下の下僕、麗虎リーフーと申す者」
 凍りつく一座の中、麗虎は青竜刀を握った右手をまっすぐに差し伸べて、誘うようにクリオンに向けた。
「主命により、お命頂戴仕る」
 麗虎は任務に成功していた。
 最後の最後で見誤らなければ。
 クリオンとレグノンの絆を理解してさえいれば。
「応えよ、『激光ジーグン』」
「目覚めよ、『ズヴォルニク』!」
 レグノンが、今まで使っていたレイピアをクリオンに渡した。それが、皇帝の最後にして最強の護衛だった。学校という丸腰になるしかない環境で、クリオンは魔剣をもっとも手の届きやすい場所に置いていたのだ。
 瞬間的に生まれた直線の赤光が、瞬間的に生まれた濃密な水煙に吸い込まれた。麗虎は絶句し、クリオンは必死に抑える。
「『ズヴォルニク』、相手を呼べ!」
『不可能なり。きやつは心を持たぬ』
「心がない? あ――暴れるな!」
『あれは不自然な存在だ。気に入らぬ。我が抹消する』
「やめろ! ここで弾けたら学校が!」
『ならば起こすな』
「く……うっ……」
『ズヴォルニク』に攻撃を命じることはできなかった。彼を使わずに敵を倒さなければいけない。恐ろしい勢いで精神を消耗しながら、クリオンは助けを求めて辺りを見まわした。
 濃霧の中に、いくつもの影が見えた。
「『激光ジーグン』、索敵!」
 麗虎は苛立たしげに青竜刀を左右に振っていた。赤い光が霧を貫こうとするが、数ヤードもいかないうちに白い壁の中に吸収されてしまう。
『熱ブルーミング発生。出力減衰九十七パーセント』
「紙一枚も貫けんか……」
 焦りながら周囲を見まわした麗虎は、はっと気付いた。先ほどよりも左手寄り、兵士の松明が投げかけるだいだい色の薄明かりの下に、皇帝が欺瞞のために着ている夏服の灰色が見えた。
 目立っていることに気づいていないのだ。
「……善哉」
 黒衣の自分は気付かれずに近づける。精霊が使えなくとも刃はある。麗虎は数度の跳躍でそこに近づいた。
「お覚悟!」
 その途端、影がすっと伏せた。思わず瞬きした麗虎は、周囲に無数の皇帝が立っていることに気付いた。
「な、なにっ?」
 反射的に赤光でなぎ払う。だが効果はまったくない。影は消え、別のところから現れ、漂い、離れていく。
 麗虎は完全に混乱し、闇雲に赤光を撃ちまくった。それがどれほど目立つか忘れている。
 屈辱ではあるが、草に隠れて逃げおおせようかと考えた時、見下ろした足元から、刃の光が駆け上がった。
「食らえッ!」
 麗虎は全身を揺さぶる衝撃を感じ、倒れた。
 自分と同じ制服姿の娘たちを近づかせて、麗虎を惑わしたクリオンが、虚ろな精霊の宿る青竜刀ごと、右手を付け根から切断したのだった。


 ポレッカにとって最悪の日だった。
 次々と襲いかかる恐怖の果て、学校を霧が包み、それが晴れたときにはすべてが終わっていた。自分たちになんの説明も与えないまま。
 一番最悪なのは――手に入ったのに、失ったことだ。
 かがり火の焚かれた廃校舎の周りを、剣や槍を持った兵士たちが、ものものしい様子で走り回っている。赤い髪の恐ろしく身分の高そうな将官が、教官たちと話し合っている。初めてみるエピオルニスに乗った士官がやってきて、なんの用件だったのかすぐ去って行く。地面に並べられた死体の列がどんどん伸びる。
「結局、なんだったんだろね……」
「うん……」 
 事情を聞くという名目で、芝生の上にひとまとめに待機させられている生徒たちが、ごそごそと言い交わす。
「教会と軍の内紛?」
「違うよ。軍はちゃんと警告してた」
「レグノンさまも軍人なのかな」
「生徒の死体があっちに放り出してあったって、誰か見た人いない?」
「シロンが終わらせたのは確かよね」
 ジョカがポレッカの顔を覗きこむ。
「聞いてない? あの子が誰だったのか」
「……知らない」
「そっか。……いい子だったのになあ」
「また会いたいな」
 ポレッカはそこを離れた。シロンのいないそこには耐えられなかったのだ。
 校舎の角を回って、壁にもたれる。濃霧で濡れた髪が重い。三つ編みをしぼると、ぽたぽたぽたとたくさんの水滴がしたたった。同じように涙もしたたった。
「バカ……あいさつもなしなんて……」
 最後まで許したことは後悔していない。下腹に残る痛みにも耐えられる。だからこそ、また教えてくれないのが許せなかった。
「シロンのばか……」
 足音が近づく。
「ポレッカ」
 レグノンだった。
「大丈夫か」
「……」
「気を落とすな」
「……」
 ポレッカが沈黙を続けていると、レグノンは微妙に口調を変えた。
「きっとまた会える」
「どうして」
 ポレッカは顔を上げてレグノンをにらんだ。
「シロンはもう来ないわ。私だってそれぐらい分かります。シロンは、別世界の人だったもの」
「……あまり思いつめるな。落ちついて待てばいいんだ」
「何を。忘れるのをですか。そんなのやだ。待てないし忘れたくない」
「……」
「もう、こんなところいたくない……」
 肩を抱かれた。突き飛ばしそうになったが、なぜかやめた。シロンに似ている気がしたから。
 レグノンの胸で、ポレッカは泣いた。

 十日後、ポレッカは寮を出た。
 夏が終わる頃だった。

 9.

「はーいっ、ビール茸のラザニア四ちょ、お待ちどっ!」
 ポレッカは天火から皿を引っ張り出し、カンカンカァン! とカウンターに並べた。母親が走ってきてそれを盆に乗せ、入れ違いに注文を残していく。
「ポレッカ! クリート一、ヘパ足二、チルメ一の片面!」
「はあい、クリート一、ヘパ足二、チルメ一の片面!」
 ポレッカは塊肉を叩き切る。
 満員のこまどり亭の昼食時だった。
 家に帰って来たポレッカを、両親は意外にも、叱りつけようとはしなかった。
 その代わり、別のことを強く勧めるようになった。
 四年間続けた学校をやめるぐらいだから、他に物凄くやりたいことがあるのだろう。ちゃんとそれを目指しなさい。
 だがポレッカは、そんな寛大な物言いとは裏腹に、自分が書いた退学届けを両親が隠していることを知っていた。
「……無理だってば」
 ポレッカはフライパンの上の玉ねぎを飛ばす。ジャーッ! と油が鳴る。 
 あの子を探すなんて。
 エコールの学生課に聞いても、帝国府文歌司権限で無理やり編入してきたということしかわからなかった。勇気を奮って軍の屯所にも行ってみたが、出てくるのは小隊長程度の小物ばかりで、あの時あの場にいたガルモン将軍のような大物には会うべくもなかった。教会には――行けば命が危ないことぐらいは分かる。
 頼みの綱のレグノンも、誰かに命令でもされたかのように口をつぐんで何も教えてくれなかった。
「いいんだ、まだこっちのほうが楽だから」
 同じ空しい毎日でも、料理をすれば気がまぎれる。
 天火の火加減もスープの塩加減も自由自在。符丁だって全部覚えている。母親と厨房役を交代したのは練習という名目だったが、もう料理長でも務まる。
 私、これから毎日、煮て焼いて切ってゆでて蒸して揚げて盛って出すんだ。
 それでいいや。
「はーいっ、チルメのムニエル片面あぶり、お待ちどっ!」
 キツネ色の魚をカウンターに出すと、切れたスパイスを買いに行っていた父親が、あわてた様子で店に入ってきた。お財布忘れてったのかな、とポレッカは見つめる。
 走ったせいなのかなんなのか、大汗を流しながら父親が言った。
「ポレッカ、交代だ」
「え、いいよ。父さんこそ先に食べたら」
「違う、お客さんだ。いやお客様だ」
「お客様?」
 ポレッカはエプロンを外してカウンターをくぐり、口をぱくぱくさせている父親の前を通って表に出た。
 白馬八頭立ての、銘木と金とエナメルとガラスの馬車が、アヒルの歩く水車通りを塞いでいた。
 ハンマーで頭を殴られたように意識を飛ばしていたポレッカは、本でしか見たことのない長たらしい礼服を着た老人が、隣で頭を下げていることに、かろうじて気付いた。
「あ、あの、これ……」
「ポレッカ様でございますか」
「さささ様って誰ですか」
「ポレッカ様ですな。私は帝国府儀典長官のラハシュ・ジューディカと申します。ポレッカ様をお迎えに上がりました」
「ちっ長官様閣下がどうしてわたたしのとこに?」
「皇帝陛下のお妃様をお迎えするのは、私のお役目なのです」
「おき」
「お妃様です、ポレッカ様」
 着替えてきます、という引き延ばし策を思いついたのですら、それから三十秒後だった。


 服装はさんざん迷った末、結局エコールの制服にした。単純にそれが一番高価だったのだ。しかし、生まれて初めて足を踏み入れたフィルバルト城は、想像を軽く越えるほど豪奢で、いっそ去年の学園祭で作った銀紙張りのドレスでも着てくればよかった、とポレッカは後悔した。
 馬車に乗って貴族街から幅二十ヤードの跳ね橋を渡ると、フィルバルト中の建物を合わせたような巨大な王宮がそびえ、儀杖兵の列が続いていた。列を抜けると馬車は庭園に折れ、一つの街ぐらいの建物の群れに入り、壮麗な温室や高すぎて先端が霧になっている噴水などのそばを通った。
 すさまじく低いところを滑空するエピオルニスが、いきなり窓越しに覗き込み、驚いて反対の窓に近寄ると、数えるのも恐ろしいほどの墓石がわずかに見え、こちんこちんになっているうちに馬車が止まったことが分からないほど乗り心地がよく、ふらふらと下りれば近づくのもおっかないほど美人の女性が五十人は並び、これがすべて侍女でうやうやしくポレッカを中へ招く、という具合だった。
 何百ヤードの廊下、何十段の階段を上って下りて行って戻ったのか忘れてしまった。ふと振り返ると、葬列のようにずらずら並んでいた侍女たちはいつのまにか消え、ジューディカ老と、もう一人、ポレッカよりわずかに年上の、瑞々しい美貌の侍女がいた。
「そのお部屋です」
 侍女が言い、ポレッカは謁見の間に入った。
 エコールの演劇ホールと同じほど、高く広い部屋だった。大理石の太い列柱が天から地に突き立ち、奥の壁には妙な生き物を踏んづける美女の絵の書かれた、長いのぼりが下がっていた。そして正面には、ポレッカが住む水車通りを世話する世話役を束ねる下町の長が従うフィルバルト市長が頭を下げる領主がぬかずく皇族の中で最も偉い、ジングリット皇帝の椅子がある。
 高い背もたれを備えた象牙の玉座が。
 絵本の世界だった。
「あのっ!」
 何も説明されていないポレッカは、失神するほど焦って振り返る。
「ほ、ほんとに間違いじゃないんですよね?」
 これが間違いだとしたら、ただでは帰れない。
 ――多分、絨毯を歩いた料金だけで、一万メルダぐらい取られるんだわ。
 ポレッカは真剣にそう思った。
 しかし間違いでないとしても心当たりはまったくなく、ジューディカ老がうなずいてもポレッカの不安はまったく解消されないのだった。
 ジューディカはなぜかその場を去り、代わりに円柱の陰で、扉が開く音がした。入ってきたのは、数人の娘たちだった。ポレッカの目は引きつけられた。
 胸元の大きく開いた大胆なサマードレスを着て、愉快そうに笑っている娘。
 反対に首にきっちりとチョーカーを巻いて隙を見せず、長袖の腰と腕を絞ってきりっとした美しさを漂わせている娘。
 ぐっと幼い、踊るように歩く金髪の少女。
 さらに年下の、浅黒い肌を不思議な長い布で覆った、一番エキゾチックな少女。
 四人はポレッカの側へやってくると、値踏みするように、あるいは感嘆したように、ぐるぐると眺め回す。
「怖がってる怖がってる。かーわいい、心配ないわよ」
「この方がチェルの新しいお友達になるの?」
「あ、その服……思い出しちゃうな」
「どんな娘かと思えば、エメラダ以上の山出しじゃないの。陛下もどこがお気に召したのやら」
「レザ様、そういうおっしゃりようは失礼でしょう?」
「陛下に?」
「ポレッカさんにです!」
 侍女だと思っていた黒髪の娘が、前に出てポレッカの手を取った。
「黙っていてごめんなさい。これから全部説明するから。私はソリュータ」
 優しい人だ、とポレッカは感じ取る。同時になぜか、一番苦手だ、とも思った。
「こちらがエメラダ。こちらがレザ様。こちらがキオラ様。こちらがチェル姫殿下」
 四人の娘が、それぞれのやりかたで挨拶した。いずれも際立った個性の持ち主のようだった。
 だんだん分かってきた。この人たちは陛下のお妃様、側室なんだ。街の噂の通りだ。噂になるほどの高貴な女性たちが自分を品定めしている。
 一挙に現実感が出てきて、逆に怖くなった。本当に自分は、顔も知らない皇帝に見初められてしまったのだ。
「あのっ、こ、皇帝陛下って、どんな御方なんですか?」
 思いきって聞いてみた。妃たちは顔を見合わせ、ちょっと言葉に迷った風だった。
 答えが得られないうちに、突然背後の大扉が開かれた。口論があふれ出してくる。
「それも初耳だよ、いきなり連れて来たなんて」
「私自ら出向いてのお迎えにご不満でも……」
「長官だろうが男爵だろうが、顔を知られてないって点は一緒じゃない」
「それは逆に私めにも当てはまりましたので、万一を考えてお連れするまでお話は何も」
「黙って連れて来たの? あきれたな、そんなの怖がるに決まってるじゃないか!」
 ポレッカは信じられずに体を震わせた。ジューディカ老を平身低頭させながら歩いてくるのは、あの少年に間違いなかった。
「シロン!」
 気がつくと、飛びついていた。願った通り、抱きしめられる。
「ああ、ポレッカ。あの時は大丈夫だった? ケガなんかしなかった?」
「シロンこそ……どこに行ってたの?」
「ごめん、黙ってて。残党狩りのじゃまだとか言われて、マイラにひとっ飛びで運ばれちゃったから……」
 カシャン、と金物がクリオンの頭から落ちた。ごめんなさい、とそれを拾おうとしたポレッカは、目を疑った。
 ――この、王様の王冠みたいなものはなんだろう?
「冠かぶれって長官がうるさくて。いいよ、それ略式のだから」
「シロン?」
 ポレッカは数歩下がって、まじまじとクリオンを見つめた。
 軍服に少し似た襟付きの白い上衣。金の金具で留めた緋色のマント。緋のマントは大貴族でも着用を禁じられているのではなかったか。それに王冠。
「シロン、あなたが」
「うん……ぼくがクリオン一世なんだ」
 信じられない、とポレッカは言おうとした。
「信じられないでしょうけど……本当なんです」
 ソリュータがポレッカの横に並んで言った。先回りされて、ポレッカは言うべき言葉をなくす。
「クリオン様は教会勢の襲撃を避けるために、一時的にエコールに隠れていたの。それがあんなことになってしまったのはとんだ誤算だったけど、是非はともあれ首謀者も捕まえたし計画も押さえた。すべて済んだから、お城へ戻って来られたのよ」
「というのは建前で、本当はお嫁さん探しだったんだけどね」
 反対側にエメラダが現れて言った。逃げ場を塞がれたような感じで、ポレッカは認めざるを得なくなってしまった。
「そうだったの……」
 ポレッカはクリオンの手を握る。一度認めると、すべてが府に落ちるような気がした。「逃げられない仕事ってつらいよね」。あの言葉の意味がはっきりとわかった。
「それで私を、お妃に……」
 ポレッカは、身を引いた。
「嬉しいけど……お断りします」
「どうして?」
「だって……私じゃ、釣り合わないでしょう?」  ポレッカはちょっと悲しそうに五人の娘を見まわす。たとえ最年少のチェル姫にでも、自分が年以外で勝っているものがあるとは思えなかった。
「シロンが恥をかいちゃうわ」  その手をクリオンが握る。
「そんなことないよ、ポレッカにはいいところがいっぱいあるよ」
「いいところなんて」
「フェリドや大明とも仲良くしたいって言ってたよね」
「……うん」
「それに、弓でぼくを助けてくれたよね」
 クリオンは、逃がさない、というようにポレッカの手を軽く引いた。
「優しくて、勇気のある子じゃない。ぼくは好きだよ」
「シロン……」
 傾く心を支えながら、ポレッカは左右をちらりと見る。
 クリオンはそれにも気付いた。
「みんな。ポレッカは凄いんだよ」
「何がですか?」
「それは……」
 天窓の日の高さを見て、クリオンはちょっと苦笑した。
「昼食は過ぎちゃったけど、夕食には早いよね」
「え……は、はい!」
 ポレッカは強く答える。そうだ、自分にはそれがあった。
「お料理……よね?」
「そうだよ」
「私ので、いいの?」
「ここにいる誰よりもうまいと思う。――城の料理長ぐらい」
「あら、それは食べてみたいわ」
 エメラダの言葉にキオラとチェル姫が賛同し、レザがつまらなそうに首を振った。後に彼女も意見を翻すのだが。
「だから、来てくれる?」
 ポレッカはうつむいた。しかしそれは一瞬だった。すぐに顔を上げ、潤んだ瞳でクリオンを見つめる。
 ――父さん、母さん。私、見つけたわ。
「はい、喜んで!」

 10.

 フィルバルト城地下、「万薬房」。
 侍医のリュードロフとその助手たちが、古今東西の薬草を栽培している半地下の倉に、二人はいた。
「そったら次の問題だ。なぜ竜は大きくて黒光りして火を吐くだかね? 旦那」
 明かり取りの窓に腰かけて、くるくるとナイフをジャグルしながら、平板な声が問う。
 聞かれているのは、片腕をなくし、厳重に包帯を巻かれた人物だ。ベッドに横たわり、目を閉じて歯軋りのようなうめきを漏らしている。もちろん質問には答えない。
「じゃ、次の問題だ。内側が真っ黒で外側が赤いものはなんだ?」
「次の問題だよ。真っ黒でそこにいないものはなに?」
「次です。おほん、青い竜はどうやって殺しますか?」
「次だァ。赤い竜はどうやって殺す?」
「次。黄色い竜の殺し方を述べよ」
「次はねえ、竜を二輪馬車に乗せる方法を教えてほしいなあ」
「次はだな、えーと、二頭の竜を二輪馬車に乗せる方法だ。コラ」
 口調を変えた質問が、間断なく患者に襲いかかる。患者は片手を上げ、耳を塞ごうとする。
 ジャグラーの手が動き、ビン! と患者の手が吊り上げられた。冷徹で澄んだ含み笑いが起こる。
「まだ四千九百八十二問しか聞いていないわ。あなたも音を上げるような体ではないはず」
「うあ……あ……」
「とりあえず」
 マウスは、慈悲のかけらもない笑顔でささやく。
「最初の一問に答えなさい。
 ――はげ山のサバトにすべての怪物が集まる夜、来なかったのは一体誰か?」




                           ―― 続く ――



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