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ベッドサポート・カンパニー

 file6 薄幸少年救出コース (前編)

「できちゃった」
 夕飯のさばの味噌煮をがっぱがっぱ食い漁っていた攻造は、肩越しに答えた。
「おう、どんどん持ってこい。なんでも食うぞ、ハラ減ってっから」
「違うって」
 流しから軽やかに歩いてきた純が、ちゃぶ台の向かいにぺたんと座った。
「おかずじゃないの」
「はあ? デザートか?」
「もう」
 純はほっぺたをふくらませて、クッションを投げつけてきた。べしゃ、と攻造は味噌汁茶碗を顔にぶちまける。
「なにすんだこら!」
「聞いてよ。……赤ちゃんできたの」
「――――なに?」
「ここ」
 純はうっとりした顔でエプロンのおなかに手を当てる。ただでさえ子供っぽい上、髪を伸ばさないから、女らしさを感じたことはあまりない。それが、この時ばかりは、いっぺんに二十歳を越えたような大人びた顔をしていた。
「何ができたって」
「攻造の赤ちゃん」
「…………」
 攻造は、油あげを鼻の頭にへばりつけたまま、微動だにせず純を見つめる。十秒たち、二十秒たった。純はもじもじと待っていたが、だしぬけにそばに転がっていたティッシュに手を伸ばした。
「拭けよもう! 床まで垂れちゃうでしょ!」
「あ、ああ」
 わさわさとものすごい量のティッシュを抜きとって、強引に攻造の顔を拭きにきた。ほら動いちゃだめ、じっとして! と叱る。純はいつもそんな風に、秒単位でくるくる行動を変える。なんだ今のは冗談か、と言おうとして、攻造は気づいた。
 純の顔がほんのり赤らんでいる。冗談ではないのだ。間がもたなくなってティッシュ攻撃に出てきたのだ。
 攻造は、事態を理解した。
「何ヶ月だ」
「もう四ヶ月。ちょっぴりおなかふくらんでるでしょ? あははー、間抜けだよね、ずっと生理なかったのに全然気づかなかった」
「どうすんだ」
「どうしましょ?」
 ティッシュを捨てに行きながら、純は背中で明るく言う。捨てた後も、まだ半分しか入っていないゴミ箱の中を、ぐいぐい足で押しこんでいる。なかなかこちらを見ない。
 待っているのだ。いかにどんくさいとはいえ、攻造がそれに気づかないはずがなかった。
 攻造は、じっと考えた。それから、財布を持って立ちあがった。
「……攻造?」
 純が振りかえると、攻造はいなかった。六畳の安アパート、半年間一緒に暮らしてきた部屋の中が、やけに広かった。
「こーぞー……」
 純はうつむいた。ひょっとしたらと思い、でもまさかそんなと思っていた結果だった。攻造が自分の他に何十人もの女の子と遊んでいることは知っていた。けれど、彼は週に一度、かならず純のアパートに帰ってきた。何十対一なのに、七日に一回来るってことは、あたしにも分があるよね、と自分を励ましていた。
 だめだった。
「ひっく……ひっく……」
 涙が出てきた。立ったままうつむいて、純は声もなく泣いた。
 すると、トイレの扉が開いた。
「なんだおい、痛いのか?」
「こ……うぞう?」
 純はぽかんと顔を上げた。攻造が不思議そうな顔で立っている。
「……出てっちゃったんじゃないの?」
「まーた早とちりかよ、ったくおまえは成長しねえな」
「だって……だって攻造、どうしてこういう話の時にトイレなんか入るんだよ! 普通入らないでしょ!」
「いや、捨てたんだ」
「……捨てた?」
「ほれ」
 攻造が何か投げた。反射的に純は受け取る。アドレス帳だった。ただ一ページ、純の番号が書いてあるところをのぞいて、ごっそり破り取られている。
「なにこれ」
「女どものTEL番。八十五人分だぜ八十五人分、もったいねえったらありゃしねえ」
「……全部捨てちゃったの!」
「あると未練が残るだろが」
 攻造は、伸ばし始めた髪をわしゃわしゃかきまわしながら言った。ちらり、と純を見る。――どんぐりまなこが、みるみるうちににーっと細められて、一本の線になった。
「パパになってくれる、の?」
「あーあー、それ言うな! おれはそういうマイホームの匂いがする言葉は、背骨がねじれるぐらい嫌いなんだ!」
 自分の言った言葉に、攻造はやや不安を覚えた。顔が曇る。
「――その、おまえは……いいのか」
「なにが?」
「相手がおれで。こんな……女口説くしか能がない、おれみたいなちゃらっぽこな男で、いいのか?」
「だいじょうぶ」
 純は、軽い足取りで攻造の前にやってきた。うんと背を伸ばして、つん、と小さくキスする。
「攻造は、きっとあたしを守ってくれる。あたし知ってる」
「……なんでわかる?」
「何回エッチしたと思ってるの? 攻造は、いつもとびきり優しかったじゃない」
 わずかに目をそらして、はにかみがちな笑顔で純はささやいた。ぞくりとするほど色っぽい横顔だった。攻造は突然、無性に純を抱きたくなった。この場で押し倒して、薄っぺらなワンピースをひんむいて、細っこい手足をつかんでめちゃくちゃに犯してやりたい。
 そう思ったとたん、笑いながら純が飛びのいた。
「やだ攻造!」
「……なんだ」
「顔に出るのよ、考えてること! このちんちん男! 今はだあめ。二人でじっくり将来設計考えるんだから」
「いや、あのよ……」
「あのじゃないの! そうだ、デザートほしかったんでしょ? あたし買ってくるから頭冷やしな! お皿流しに戻しといて、五分で戻るね!」
「お、おい……」
 言うだけ言うと、純は財布だけ持ってつっかけで出ていってしまった。攻造は苦笑して腰を下ろす。
「まったく、脈絡ねーんだから、あいつは……」
 そこが気に入ったんだなおれは、と攻造はつぶやく。
 行き当たりばったりの出たとこ勝負、好奇心任せでなんにでも首を突っ込む。攻造と知り合ったのも、いたずら半分のテレクラでだった。そのくせ、付き合ってみると妙に世話焼きなところもあり、気配りもよくきく。料理洗濯だけならまだしも、ミシンまで使えるのには驚いた。
 けっこうおもしろい家庭になるんじゃないか、と攻造はぼんやり考える。こう、こんな小さいガキがころころその辺駆けずり回って、皿だの花瓶だのをひっくり返して、それをハタキ持ったあいつが笑いながら追いかける――ハタキは古いか。
 そうだ皿皿、と攻造は後片付けをする。ついでだ、と皿洗いまでしてしまう。意外に向いてるんじゃないかおれ、とにやにや笑う。
 気がつくと、もう二十分たっていた。コンビニはすぐそこの角だが、例によって道草を食っているのだろう。
「犬にでも追っかけられてんのか……追っかけてるのかも」
 にやにやにやにや笑いながら、攻造は待ちつづけた。

「勝手なまねしやがって、誰がそんなこと頼んだんだ?」
「誰も頼んでないです、でもボク、コインランドリー行くついでがあったから」
「ついでで人の服洗うんじゃねえ!」
「だって、そこに放ってあったから、それにちょっと汗臭かったし」
「スーツ着る必要があったから脱いだだけだ! 大体おまえはおせっかいなんだ!」
「おせっかいって……」
「事務所出るたびにどこ行くか聞きやがるわ、人の電話横から聞いて言葉づかい注意しやがるわ、一体何様のつもりだ?」
「そんな……何様って……」
 事務所に入ったとたん二人の叫びが降ってきて、外回りから帰ってきた倫子は顔をしかめた。
「ちょっとなんなの? 一体」
「あ、社長!」
 歩が泣きそうな顔で振りかえる。というより、すでに泣いている。
「攻造さんに怒られちゃったんです、ボクが攻造さんのズボン、勝手に洗濯しちゃったから……」
「表まで聞こえるわよ。お客さんが逃げちゃうじゃない」
「すみません……」「すみませんで済むか!」
「あんたも黙りなさい! 大人げないにもほどがあるわよ!」
 鞭のような一喝に、攻造が口をつぐむ。
 気まずい沈黙が生まれた。倫子は時計を見る。
「歩ちゃん、もう帰っていいわ」
「はい……」
 歩はデイパックに荷物をつっこんで、すごすごと事務所を出ていく。それを見送ってから、倫子は自分のデスクについた。ポストから抜いてきた手紙を広げながら言う。
「なずなと愛美ちゃんは?」
「臨時だ。二時間で終わるっつって出てった」
「何を怒ってたのよ。むしろ喜ぶところでしょう。あんた、着たきり雀なんだから」
「ほっとけよ……」
 攻造は、何かゴミのようなものをいじりまわしながら、デスクに足を乗せてつぶやく。
「体でも悪いの?」
「別に」
「じゃあ頭……は、もとからか」
「だから、ほっとけつってんだ」
 倫子は顔を上げた。
「そういえば攻造、最近は営業成績も芳しくないわね」
 攻造の営業とは、簡単に言うとナンパである。ベッドサポート・カンパニー社に連日舞い込む性の依頼に応えるため、興味のある女性を探し出してはベッドをともにし、適性を調べて勧誘している。
「今月、まだ三人しか新規の子がいないじゃない。あなたからナンパを取ったら何も残らないんだから、頑張ってくれないと困るわ」
「……」
「もしかして……それでイラついてたの? ナンパの調子が出ないから?」
 微妙に攻造の表情が変わる。百戦錬磨の倫子は、それだけで見抜いた。
「いえ……逆ね。歩ちゃんのことが気になってるから、色事師の腕が冴えないのね」
「うっせえな!」
「なるほどね」
 実にわかりやすい反応だったので、倫子は深くうなずいた。攻造はちっと舌打ちして横を向く。
「目障りなんだよあいつ……ちょろちょろしやがって。なんであんなの置いとくんだ。やめさせてくれよ、社長」
「お生憎さま、あたしはあの子が目障りだなんて思ってないの。お客の警戒心を解くのにあの子ほどの人材はいないわ。それに掃除、お茶汲み、電話番、お使い、一体誰がやってると思ってるの?」
「……」
「本気で邪魔だと思ってるのなら、自分で言うのね」
 簡単に攻造を黙らせて、倫子はなおも言った。
「こういうことに横から口出しするのはばかばかしいんですけどね、今のあなた、子供よ。もっと自分に素直になったら?」
「……なんのことだよ」
「いい子じゃない、歩ちゃん」
「どうしてこう、どいつもこいつも……あいつ男だろ! それに社長が社内恋愛勧めてどうするんだ!」
「そういう常識的な台詞はまっとうな会社で言うのね。あたしは、仕事が円滑に行くんだったら社内恋愛だろうが社内セックスだろうが気にしないし、ちょっと変わったカップルだって山ほど知ってる。中には、ランボー対ターミネーターみたいなすごい組み合わせだっているわよ。それに比べたら、はん」
 鼻で笑う。
「歩ちゃんなんか天使みたいなのに、何をこだわってるんだか」
 がたん、と椅子を鳴らして攻造は立ちあがる。
「どこ行くの」
「仕事」
 革ジャンを引っつかんで出ていく。ドアが乱暴に閉められると、倫子はため息をついた。
「歩ちゃんも不幸よね……ったく、なずなじゃないけどあたしが付き合ってあげたいぐらいだわ」
 ふと、空っぽになった攻造のデスクを見る。
「……まあ、あいつも不幸っていえば不幸ではあるか」

 帰宅ラッシュの人並みにもみくちゃにされながら、歩は電車を下りた。キュロットの中で下着がずれていて気持ち悪い。今日も痴漢にあったのだ。攻造の好みに合わせて、できるだけ可愛らしくしている服装の、副作用だった。
 声を上げたり怒ったりする勇気は相変わらずなかったが、最近はそれなりに慣れて、まずいと思ったらすぐ逃げるようにしていた。でも、今日はその元気もなくて、好きにさせた。幸いすぐに降りる駅についたので、じかに触られるところまではいかなかったが、まだお尻のまわりがぞわぞわしているようで気持ち悪かった。楽しんだことは一度もない。
 ――攻造さんの時は、あんなに気持ちよかったのに。
 その落差が大きすぎて、ますます悲しくなる。うつむいたまま、歩は駅前の通りを歩いて行った。
「かぁーのじょっ!」
「きゃ!」
 後ろから肩に手を置かれて、歩は悲鳴を上げた。逃げ腰で振りかえる。
 あれ、と思った。ぼさぼさの茶髪に汗じみたTシャツ姿の男。だが、意外にも相手のほうが先に思い出した。
「おまえ……白砂川?」
「……丸岡君?」
 答えてから、しまった、と思った。逃げればよかった!
「なんだあ? そのカッコ……ちっ、女かと思ったじゃねえか」
 キュロットとタンクトップ姿の歩をじろじろ見まわしてくる。もうあたりは暗いが、肩に透けているスポーツブラのストラップに気づかれるのが怖かった。
 丸岡清二は、中学校の時の同級生だった。同級生といっても友達ではない。その逆だった。学生服が下手な変装のように似合わない歩は、頭のわりに行動がとろかったせいもあって、いつもいじめられていた。汚ねえな触んなよ! とツバをはきかけられたこともある。
 今は工業高校に通っているはずだ。中卒で働いている歩より学歴は上ということになるが、素行のほうは相変わらずらしい。
「ふうん……」
 丸岡は、くちゃくちゃとガムをかみながら、もの珍しそうな目で歩を見つめる。歩は足がすくんで動けない。
「別人みたいになりやがったなあ……なんだ、化粧なんかしやがって、目覚めたんか?」
「ち……違うよ」
「黙ってりゃ女で通るぜ。ああ、おまえ中坊んときからこういうカッコしてりゃよかったんだよ! そうすりゃウケたのに」
 噛んでいたガムを吐き出して、丸岡は笑った。その時、丸岡の後ろから一回り大きな影が現われた。
「なにやってんだ、セイジ」
「ああ、木ノ又さん。こいつ、オレと中学一緒だったんスよ」
 おそるおそる顔を上げた歩は、ひ、と小さな息を漏らした。
 鼻と耳と唇に、全部で十個以上のピアスをつけた、見るからに恐ろしい顔の男だった。坊主に近いほど刈りこんだ髪は完全な金髪で、着ているものは肌ののぞくメッシュのシャツ。よくコンビニの前にたむろしているたぐいの、一目でわかるチーマーだった。
「逃げんなよ、白砂川。この人はなあ、工業のOBですげえ強え人なんだからな」
 木ノ又は、しばらく無表情に歩を見下ろしていた。それから、やにわに手を伸ばして、歩の細い首に指を当てた。ぷん、とヤニ臭い息がかかる。
「ひぃ!」
「ああ木ノ又さん、待った待った」
 丸岡が止めようとする。そのとたん、木ノ又はいきなり片手を振った。手の甲があたり、丸岡の頬が音高く鳴る。
「口出しすんじゃねえ」
「す、すんません」
 頬を押さえながらも、丸岡はまったく反抗のそぶりを見せない。完全に服従している。すごく怖い人だ、と歩は感じ取る。貧血を起こしそうになる。
 丸岡が言いわけのように早口で言った。
「そいつ男なんスよ。えらく可愛くなってますけど、オレのクラスにいたときはひょろひょろのションベン臭いガキだったんだ。信じられますか?」
 木ノ又はわずかに目を細めるたが、なおも歩の首筋に触れようとした。
 その時、唐突に電子音の音楽が始まった。木ノ又が、鎖のストラップをつけた携帯電話をじゃらりと腰から抜く。
 表示板に目を走らせると、短く言った。
「セイジ、行くぞ」
 きびすを返す。もう歩には興味をなくしたようだった。
「あっと、待ってくださいよ!」
 ちらりと歩に目をやると、運がよかったな、と言って丸岡は走っていった。
「……はあ」
 歩は大きなため息をついた。その場にくたくたと崩れ落ちそうになるのを、なんとかこらえて歩き出す。悪夢のような一幕だったが、別にケガをすることもなく切りぬけられた。
 携帯電話か、とふと思う。今みたいなときに携帯があれば、ポケットの中で警察にかけたりできるのに。
 だが、歩に携帯を持つだけの金はない。
 とぼとぼと歩が去って行ったあとに、一人の女が現われる。
「ふうん……?」
 ブランド物の洒落たスーツをまとった、三十歳ほどの女。小首をかしげて考えるしぐさにあだっぽい色気がある。
「あれ、使えるわね……」
 つぶやきとともにかすかに微笑みを浮かべる。
 視線の先には、木ノ又と丸岡の姿があった。

 すぐ着くよ、というのは嘘ではなかったが、事実のすべてではなかった。
「あいたたた……」
 早苗が助手席で腰をさすっている。
「なんなの、あのすごい道。全身複雑骨折になるかと思った」
「伊達じゃないんだよ、この車は」
 攻造はハンドルを叩く。スズキのジムニーである。早苗が顔をしかめて首を振った。
「スタイルだけでRVに乗ってるチャラチャラした男どもとは違うって言いたいわけね」
「ああ」
「ああじゃないわよ、こんなひどいオフロード入っといて。伊達でもいいから大きいの乗ってよね」
 ジムニーは軽自動車である。作りは本格的だが、乗り心地はおそろしく悪い。
 早苗はにらむ。それを無視して、攻造はドアを開けた。
「いいから来いよ」
「何があるのよ、こんな山奥に……」
 ぶつぶつ言いながら、早苗はついてきた。やぶをかき分けて、ひときわ切り立った斜面を登る。
 そして、息を飲んだ。
「どうだ?」
 攻造が得意げに言う。
「……すごい、なにこれ?」
 小さな公園だった。ベンチとシーソーがある。だが少し先で地面がすっぱりとなくなって、眼下に壮大な夜景が広がっていた。色とりどりのイルミネーションと暗い海が横たわっている。
「宅地開発で、そこから先は丸ごと切り崩されたんだ。この山頂公園に来る道ごとな。今では、ああやって沢沿いを無理やり上ってくるしか来る方法はない。――つまり、正真正銘貸し切りのナイトスポットだ」
「わたしたち二人きりってこと?」
「その通り」
「……やっぱりすごいわね、あなた。こんなところ知ってるなんて……」
 早苗は崖のすぐ手前に取り残されたベンチに腰を下ろす。攻造が隣に座ると、ごく自然に肩を預けてきた。頬を近づけて、ささやくように言う。
「今まで何人連れてきたの?」
「おまえが初めてだよ」
「うそつき」
 すねたように言いながら、早苗は唇を突き出す。攻造はそれを奪った。長めのキスのあとで、早苗がつぶやく。
「攻造、髪切ったよね」
「今時ロン毛ははやらんからな。どうだ?」
「いいよ。二枚目。そそられる。……しようか」
「ここでか?」
「そのつもりだったくせに。――下から見えちゃうかな」
「見られても気にしないくせに」
「ばれた? ……いいわよ、見せちゃお……」
 ほんのりと朱が差した顔で蟲惑的にささやいて、早苗はベンチに体を横たえた。足首まであるロングスカートに手を伸ばして、スリットを封じている安全ピンを外す。
 片ひざを立てると三角形の暗闇ができた。その中には太ももの白と下着のピンクがある。
「来て……」
 手を伸ばす早苗を、攻造はじっと見つめた。
 早苗は客である。攻造が「営業」で見つけた女の一人だ。最初の一回で妙に気に入られてしまい、しばしばビジネス抜きの時間を過ごすようになった。BSCの話に興味を示しただけあって、セックスのこともあっけらかんとした態度で扱う。服や靴を選ぶのと同じように。適度にドライな関係が楽で、攻造も常時キープの五人の中に入れていた。
 今夜突然呼び出したのも、その気楽さがほしくなったからだった。
 早苗は唇を薄く開け、ニットのノースリーブの胸元に手をやって、自分で乳房をこねはじめている。攻造はベンチにひじを付き、早苗の手をどけた。ノーブラなことは最初からわかっている。会ったときから先端が立っていた。
 攻造はゆっくりと乳房を丸める。肉越しに肋骨の数を数えるように。早苗は「うん……」と満足そうな吐息を漏らしたが、じきに目を開けて聞いた。
「……今日はやけに丁寧じゃない?」
「そうか?」
「いつもより指が遅いもの……」
 くちゅっくちゅっと間欠的にキスを交わしつつ、じきにセーターを持ち上げてその下に手を入れる。忘れていた何かを取り戻そうとするように、攻造は念入りにふくらみをつかみたてる。その愛撫が、ずいぶん長いあいだ続いた。
 そのうちに、早苗が攻造の胸を押し戻した。
「準備できた……入れて」
 早苗はスカートを両横にはだけ、下着をももまで下ろした。ひざの裏を持ち上げて、両脚を胸の上に抱きこむ。
 形のいい尻の間で、赤い唇がひくつく。攻造はファスナーを下げてペニスを取り出し、体を寄せようとした。その時、ほんの少し目をそらしたまま、早苗は言った。
「ねえ……今日は、あそこでしてくれない?」
「……」
「いつもお尻ばっかりじゃいやだもの。たまには本当にして。中で出していいから……」
 潤んだ目でそういうと、早苗は両手を尻に回した。自分からひだに指を当てて、左右に引き伸ばす。菱形の暗い穴が開いて、わずかな液が漏れ出してきた。
「来て……」
 美しく若々しい雌にしかできない、従順さを武器にした強烈な誘惑。
 そうだ、と攻造は思った。もういいじゃないか、本当のセックスをしても。
 こわばった器官を押し下げて、ひだの間に当てた。「そこ……」と早苗がうれしそうにつぶやく。攻造は腰を進めた。
 ぬるるっ、と飲みこまれた。「あっ」と早苗がうめく。そのうめきとともに、ペニスを覆った粘膜が、ひくりと震えた。口だけ硬いアナルとは違う、ペニス全体に巻きつくような柔らかい管の感触。ずいぶん長いあいだ味わったことのない抱擁感。
「その感覚」が、五年前に直結した。
「すてき……思ったとおり、攻造のってかたくって最高……」
「……」
「攻造?」
 うっすらと目を見開いて、早苗が不思議そうに見上げる。
「どうしたの? 早く動いてよ……」
「……」
「あ……ちょっと、あら?」
 あわてたように早苗は下腹部をのぞきこんだ。猛々しく腹を押し広げていた感触が、どんどん弱まっていく。早苗が腰を使い出すひまもなく、圧力はゼロになった。
 ぬるり、と感触が消えた。
「ど……どうしたの?」
「悪い……今日はだめだ」
「だめって……それはないでしょう! ここまで来て!」
「だめなものはだめだ」
「なに、やっぱりお尻じゃないとだめなの? じゃ、とりあえず口でしてあげるから――」
「うるせえな黙れよ!」
 叫んで攻造はズボンの中に性器を収めた。荒々しくベンチに腰を下ろして、町のほうに顔を向ける。横顔に突き刺さる早苗の視線が痛い。クズだなおれは、と思う。
 やはり、だめだった。入れたとたん、写真のように鮮烈な映像が早苗の体にオーバーラップした。早苗よりももっと細っこくて小さな体。そして、のどを撫でられた猫のような幸せそうな笑顔。快感だけを求める早苗の表情とはまったく違った顔。そのギャップは、越えられそうにない。
 さらにもうひとつのことが、攻造を苛立たせていた。
 思い出すだけでもいやなのに――その顔が、二重にぶれているなんて!

 さいわい、翌日は朝から忙しかった。歩も倫子とともにコンダクターの仕事で出かけたので、気まずくなった攻造とも、夕方まで顔を合わせずに済んだ。
 ほんとはちっともさいわいじゃない、と歩は思う。ずっと攻造さんのそばにいたいのに。ケンカなんかしたくないのに。
 でも、会って傷つけられるのはもっと怖い。
 だから、五時を過ぎて事務所に戻った時に、攻造がちゃんとそこにいたのを見て、複雑な気分になった。
 攻造は、相変わらずデスクに両足を乗せて大きな態度で週刊誌を読んでいる。倫子がやってくるのを見ると、先手を打って数枚の書類を差し出した。
「ほらよ、三人見つけてきた」
「あら、今日はちゃんと営業に出たのね。珍しい」
 倫子は書類を受け取ると、ぱらぱらとめくった。その後ろで歩はこわごわ攻造を覗き見ている。話しかけたいが、きっかけがない。きっかけがいるほど怖い。
 倫子が書類の一部に目を止めた。
「……ちょっと、適性調べてないじゃないの」
「書いてあるだろ。一人は四十代のおっさん好き、一人は話の合うオタな男希望、もう一人はヴィジュアル系がいい、しかも両刀」
「本人の希望じゃなくて、あなたの所感は? ちゃんとしなかったの?」
「そういう日もあらあな。いいだろ、本人たちがいいって言ってるんだから」
「その本人の意思が土壇場ではあてにならないから、あなたの手管で確認する必要があるんじゃない。……あら、電話番号も書いてない」
「え? ああ悪い、まだ携帯のメモリに入れてある。書くよ」
 攻造が携帯電話を引っ張り出し、書類に写し始めた。それだ、と歩は思った。
 攻造が書類を書き上げると、歩は勇気を出して言ってみた。
「あ、あの、攻造さん」
「なんだ」
「攻造さんのって、ドコモですよね。それいいですか?」
「……なんで?」
 攻造はちらりと振り返った。普通の顔に見えたので、歩は勢いづいて言った。
「ボクも携帯持ちたいなって思って」
「おまえ持ってねえのか」
「お金なくて……昨日友達に会って、ドコモだったから、ちょっといいなって思って。それメールとかできるんですよね。いくらかかるんですか」
「月一万もありゃいいんじゃないか」
「いちまん……」
 想像していた額の倍だったので、歩は思わず絶句した。
 その沈黙の隙に、攻造はまたむこうを向いてしまった。まるで、もう話は済んだといわんばかりに。
 やっとつかんだ細い糸を手放したくなくて、歩はまた聞いた。
「そ、それって最低でも一万なんですか」
「安いコースはあるんじゃないか。あまり通話しなけりゃ」
「それって、どんな」
「なずなに聞けよ。あいつのほうが詳しい」
「で、でもボク攻造さんと同じのが」
「どこのやつでも通話はできる」
「そういうんじゃなくて……」
「なんなんだよおまえは!」
 たまりかねたように振り返って攻造は怒鳴った。歩はビクッと体を縮めてあとずさる。
「ご、ごめんなさいしつこく聞いて!」
「しつこいよ、うっとうしいんだよおまえは! いつもいつもたいした意味もねえのにくっついてきやがって! おまえみたいにおどおどびくびくしたやつ見てると寒気がするんだよ!」
「こ、攻造さん……」
 歩は殴りつけられたようによろめいた。丸く見開いた目にみるみる涙が盛りあがり、堰を切ったように頬へあふれだす。
「ぼ、ボク……」
「ボクじゃねえんだ、もう顔も見たくねえ、とっとと出てけ!」
 それ以上耐えられなかった。歩は背を向けると、なずなと倫子の間を突っ切って脱兎のように事務所から逃げ出した。

「……ただいま」
 隙間の空いたドアを開け、狭い玄関に上がってから、歩は夕飯の材料を買い忘れていたことに気づいた。
 それに膝をすりむいている。転んだようだった。でも覚えていない。何も考えたくなかったのだ。
「歩、帰ったのかい」
 奥から声がかけられた。奥と言ってもふすまを隔てただけの八畳だ。築三十八年のおんぼろアパート。
「あ、うん……」
「そろそろおなかが減ってきたね。ご飯にしてくれる」
「えっと、それは……」
 キッチンを抜けながら、歩はいやそうに家の中を見まわす。紙テープで止めただけの割れたガラス窓。染みのついた壁。汲み取りのトイレ。いつもは気にしないようにしていることが、今日は重かった。
 ――もう少しお金があれば、自信が持てるかもしれないのに。攻造さんにあんなに怒られないで済むのに。
 ため息をつきながらふすまを開ける。
「おかえり」
 祖母の敏江が、脚に布団をかけたまま座椅子に体を預けて、テレビを見ていた。歩のただ一人の肉親だ。両親は昔、交通事故で亡くなった。
「今日はなにがおかず?」
「……ごめんなさい、スーパーに寄るの、忘れちゃった」
「まあ……困った子だねえ」
 眉をひそめて、敏江は歩を見た。小言を言おうとして背中を丸め、激しく咳込む。
「おばあちゃん!」
 歩はあわてて駆けより、背中をさすった。しばらく体を震わせていた敏江は、やがて顔を上げると、心底いまいましそうに言った。
「まったく、いやなことばかりだね。あたしの体は悪くなる一方だし、住むところはこんなあばら家になっちまったし、暮らしむきもちっとも楽にならないし……せめてご飯ぐらいはきちんといただきたいのに、それも今日はかなわないって言うんだからねえ」
「……ごめんなさい」
「残り物で済ませるしかないね。ほら、冷蔵庫に煮物があったでしょう。あれをあっためて、おつけに玉ねぎでも入れて……早くしなさい、ほんとにあなたは抜けてるんだから」
「はい」
 歩は素直にうなずく。祖母が小言ばかり言うのは、寝たきりになってしまって、手を出したくても出せず、もどかしいからだ。文句を言っても始まらない。
「和孝たちが生きていればねえ、こんな頼りない孫に世話してもらうこともなかったのに。それが無理でも、せめて保険金でも残ってれば。そりゃこっちが悪かったのは確かなようだけど、全部持ってっちまうなんて、先方も情のないことだよねえ」
 際限なく聞こえてくる祖母の愚痴を、歩は背中で聞き流して鍋を火にかける。我慢しなきゃ、とこらえる。おばあちゃんが悪いんじゃない。病気が悪いんだ。病気のせいで、おばあちゃんは心まで曲がってしまった。昔は優しいおばあちゃんだったのに。
 それでも、歩は嫌っていない。二人きりの家族だし、昔は優しかったから。特に、さっきみたいなつらいことがあった後は、おばあちゃんがいてよかった、と思う。一人きりにはならないから。
 中学校でいじめられた時も、コンビニのバイトでしかられた時も、おばあちゃんだけはそばにいてくれた。――そして今も。
 もうだめだろうな、とぼんやり思う。BSCの仕事は楽しかったけど、あんな風に言われたらもういられない。なずなさんや社長や愛美ちゃんも、ほんとはじゃまだと思ってたのかもしれない。やっぱり、もうだめだ。
 すぐ後ろで、こんこん、と玄関ドアが叩かれた。目頭をぬぐって、歩は出る。
「はい……」
「おう、いたいた」
「ま、丸岡君?」
 歩は思わずあとずさった。相変わらずくちゃくちゃガムをかみながら、もう会うこともないと思っていた同級生が、ぬっと中に入ってきた。
「えれえとこに住んでるなあ、おまえ。蹴ったら倒れんじゃねえか」
「な、なんの用?」
「おお、ちょっとばかし用事でね」
 言いながら丸岡は土足で上がってくる。歩はさらに後ろへ下がりながら叫ぶ。
「ちょっと、靴!」
「いいんだいいんだ、すぐ出てくから……木ノ又さん」
「……ひっ」
 丸岡の後ろから、さらに大きな人影が入ってきた。少しもためらわずにブーツのまま家の中にあがりこみ、無表情に歩を見下ろす。
「な、なんの……」
「デートのお誘いだよ。ひひひっ」
 丸岡が冗談のように笑った。それを押しのけて、木ノ又がさらに前に出た。歩が悲鳴を上げかけた時、奥から声がかけられた。
「歩、どうしたの?」
「お、おばあちゃん! 電話して、警察!」
「……ひゃっ! ご、強盗!」
 体を傾けて台所をのぞいた敏江が、のどに何かが詰まったような声を上げた。ほとんど町に出ない彼女には、木ノ又は犯罪者そのものに見えたらしい。あわてて布団の上で這いずり、電話のダイヤルを回す。
「も、もしもし! 警察ですか!」
 木ノ又が大またに歩いた。布団に足跡をつけて部屋を横切り、強引に受話器を奪い取ろうとする。
「やっ、やめっ!」
「やめて、おばあちゃん心臓悪いの!」
 敏江の抵抗は意外に頑強だった。なかば引きずられながらも、手を離さない。
 うざったくなったのか、木ノ又はいきなり拳で敏江を殴りつけた。
「グッ!」
「おばあちゃんッ!」
 歩は悲鳴を上げた。吹っ飛んだ敏江の頭が、テレビの角にぶつかったのだ。敏江はそのままずるずると畳の上に倒れて、動かなくなる。
「ちゃー、木ノ又さん手加減ねえなあ」
 感心したように言って、丸岡が敏江の顔を覗きこんだ。それから、妙な顔になってさらにかがみこみ、手を伸ばした。
 振りかえった彼は、変に崩れた笑顔になっていた。
「い……息してねえよ?」
「……」
「やばくないスか?」
「……心臓マヒだろ」
 他人事のように言うと、木ノ又は台所に出ていった。「おばあちゃん! おばあちゃん!」と歩は敏江にしがみつく。だが、返事はない。
「ちょ、ちょっと木ノ又さん!」
 丸岡の叫びが聞こえてくる。ふざけた性格の彼とは思えないほど焦った声だ。
「や、やばいっスよそれは! シャレじゃすみませんよ!」
「このほうが証拠がなくなっていいだろ」
「証拠って……」
「このままだと、おまえも殺人の共犯だぞ」
 様子がおかしい。歩は台所をのぞいた。目を疑う。
 カレンダーを破りとった木ノ又が、コンロの鍋の下にそれを突っ込んでいた。見る間にめらめらと炎が上がる。
「な、なにするの!」
 叫ぶ歩に一瞥もくれず、木ノ又はずかずかと居間に戻って、燃えている紙をカーテンの下に放り投げた。飛びついて消そうとした歩の腕をつかんで、ひきずり倒す。
 すぐにカーテンに火が燃え移った。ものすごい勢いで炎が天井を焦がし始める。
「ひどい!」
「行くぞ」
 木ノ又がぐいと腕をひいた。い、行くってどこに、とうめいた歩に、丸岡が顔をつきつける。追い詰められたようなひきつった笑顔だった。
「てめえが悪いんだぞ、白砂川。黙ってついてこれば、もっと小さな不幸だけで済んだんだ」
「ち、小さなって……」
「二、三日かわいがられるだけでな」
「――いやーっ!」
 悲鳴を上げた口に、ハンカチが押し込まれた。もがく歩を引きずって表に出た二人は、車に乗りこんでどこへともなく走り去った。

 翌日、BSCは静かだった。
 しかしそれは、静電気を大量に含んだ雲の中のような静けさだった。いつ雷雨が始まるとも知れない沈黙。
 愛美は、まわりの感情環境が今までのフレームになかったものだったので、じっと観察していた。倫子は、あるていど攻造の気持ちがわかるので、怒るのを我慢していた。気持ちがわかっても構わずえぐるなずなは、まだ来ていない。
 そして攻造が黙りこんでいる理由は――あるいは、本人が一番わかっていなかったかもしれない。
 運悪く昨日とは違って、まったく仕事のない午前だった。それでも、昼過ぎになってようやく愛美が口を開いた。
「社長、メールが来たよ。――あ、業務外だ。見る?」
「いいわ、捨てて。象とやりたいとか、金星人に口説かれたいとかいう馬鹿な話聞く気分じゃないから」
「ちょっと違うけど」
「なんでもいいから。それにしてもなずなはまだなの? 歩ちゃんも!」
「なずなおねえちゃんは学校って言ってたよ。土曜日だから、もう終わるんじゃないかな」
「学校か……」
 倫子は電話に手を伸ばした。
「急がせても、自転車だからあまり変わらないと思うけど」
「あの子の高校、歩ちゃんの家の近所だったわよね。ちょっと様子見させるわ。家で泣いてるかもしれない」
 ちらりと攻造を見る。攻造は新聞に目を落としたまま。ただ、同じページを朝からずっと見ているのだが。
 電話で指示を与えると、またやることがなくなった。ぴりぴりした時間が流れていく。
 やがて、また電話が鳴った。倫子が受話器をとる。ああなずな、と声に出す。
 だが、聞くうちに彼女の眉が吊りあがった。
「なんですって……全焼? 歩ちゃんは?」
 攻造がぴくりと肩を動かす。続く倫子の一言で、今度こそはっきり顔を上げた。
「一人死んでる?」
 攻造は椅子を蹴倒して立ちあがった。倫子から受話器をひったくる。なずなの緊張した声が流れてくる。
『……を警察が調べた限りでは、年寄りの女性だって。歩ちゃん、おばあさんがいるって言ってたから多分。火元は居間らしいんだけど、この季節に火なんか使わないわよね。歩ちゃんいつも煙草の匂いしないし。不審火みたいよ』
「あいつはどうなったんだ! そこにいるのか?」
『あら攻造……』
 なずなの声が皮肉な調子を帯びた。
『今さら何言ってるのよ、追い出した張本人のくせに。顔も見たくないんじゃなかったの?』
「いいから答えろ! いや、歩に代われ!」
『いたって渡さないわよ。もう私の彼女にしちゃうんだから。誰があんたなんかに』
「いるのかいねえのか?」
『……いないわ』
「どっかその辺にいるんじゃないのか? 近所の家とか回ったのか? なにちんたら電話なんかかけてやがんだ、早く調べろよ!」
『なんか猛烈に腹立つけど……教えるから社長に伝えて。歩ちゃんたちは去年ここに越してきたの。家族は歩ちゃんとおばあさんだけ。親戚からは絶縁されてる。で、おばあさんが寝たきりで外に出ないから、近所づきあいもなし。これ警察から聞き出すの、すごく苦労したんだから』
「つれの家とかあるだろうが!」
『歩ちゃんは中学でいじめられっ子だったのよ。中卒だから新しい友達もなし。ほんとにひとりぼっちの寂しい子だったのよ。あなた知ってた?』
 攻造は口をつぐんだ。なずなは容赦なく続ける。
『あなたにばれると嫌われるからって、口止めされてたのよ。でももう私キレた。攻造、歩ちゃんがどんな思いで頑張ってたのか、全然わかってあげようとしないし、おまけにあんなひどいことまで言うんだもの。あなたわかってる? あれは歩ちゃんにとって致命傷よ。人からいらないって言われるのは』
 攻造の手から受話器が滑り落ちた。倫子がそれを拾い、なずなからもう一度話を聞き出す。それから愛美に、歩が行きそうな場所に心当たりがないか尋ねた。その間、攻造はずっと石のように立ち尽くしていた。
 動き出したのは、愛美の言葉を聞いてからだった。
「関係あるかどうかわからないけど、さっきのメール、歩おねえちゃんのことだったよ」
「え? 復元できる?」
「うん。……歩おねえちゃんを三日間貸してほしいって依頼。おねえちゃんは実働要員じゃないから業務外なんだけど、変なんだよね、お金払う気はないって」
「差出人は!」
「満堂美都子さん」
 ガン! と攻造が机の横を蹴りつけた。スチールの机が大きくへこむ。
「愛美! そいつの居場所どこだ!」
「野柿町五丁目の福神ビルにこの人の事務所が」
 攻造は駆け出していった。
「あるけど……行っちゃった。社長、どういうこと?」
「あの女の仕返しよ! 急いで攻造追わなきゃ!」
 倫子は上着を引っつかんで愛美の車椅子に駆け寄る。
「なんで追いかけるの? 攻造にいちゃん、歩おねえちゃんを嫌いだったんじゃないの? どうして走ってったの?」
「いくらせきとめたってダムには限界があるのよ! 決壊する前に水に気づかなかったの、あの馬鹿は!」

「満堂ってやつはいるか!」
「アヴァンチュール・セレクション」の銘板がかかったドアを蹴り開けて、攻造は叫んだ。室内にいた二人の男女が驚いて顔を上げる。
「あら……どちら?」
「どちらじゃねえ、歩をどこにやった! 今すぐ教えろ!」
「歩……ああ、BSCのね。あなたあそこの関係者?」
「社員だ! あんたが満堂か?」
「もうちょっと穏やかに話をしたいわね」
 にこやかに言うと、美都子がもう一人の男に目配せした。黒のダブルを着た、目付きの険しい男が立ちあがる。
「社員というと、池之内攻造君だな。よく知ってる。うちのコンパニオンを何人も横取りしてくれているらしいね」
「なんだあんたは」
「三間坂勝一。美都子のパートナーだ。それにしてもえらい剣幕だな。なんの用かね」
「しらばっくれる気か? これ見よがしに挑戦状送ってきたくせしやがって」
「挑戦状?」
 三間坂は首をかしげる。美都子が軽く言った。
「ああ、ごめんなさい勝一。私がメールを送ったの」
「なに?」
「だって、黙っていたらわからないじゃない。あの女の悔しがる顔をどうしても見たかったから……」
「余計なことを」
「ほらみろ! やっぱりあんたらの仕業なんだろう」
 ゴホン、と空咳をして、三間坂は白々しく言った。
「知らんな。……そのメールは、美都子が冗談で送ったものだ。それとおたくの社員の失踪とは、なんの関係もない」
「失踪! てめえ、言ってるじゃねえか!」
「録音でもしているのかな。君一人が聞いただけではなんの証拠にもならん」
「くっ……そ!」
 攻造はこぶしを固めて一歩踏み出した。おっと、と三間坂が手のひらを突きつける。
「殴るなら、ケガにならないようにしてくれないか」
「なに!」
「ケガというのは、後に残ると立派な証拠になるんでね。私にしても、君らに傷害罪まで押し付けるのは気が咎める」
「こっ……の……」
「ほら、ここがいい。腹ならあとが残りにくいというじゃないか。本当かどうか試してみろ、ボディに一発、そら!」
 攻造はぶるぶるこぶしを震わせる。美都子が楽しくてたまらないという顔で三間坂を見上げた。
「あなたのほうがえげつないじゃない」
「発案はおまえじゃないか」
 にやにや笑う二人を前にして、攻造は何もできない。
 廊下に足音がして、倫子が車椅子の愛美とともに入ってきた。にらみ合う三人を見て、やや胸をなでおろす。
「よかった、手は出してないわね。……満堂さん、どういうつもり?」
「もういっぺん、名場面が見られるわね」
 くすりと笑うと、美都子は攻造に言ったことを再び話し始めた。

 歩は、カウンターに並んだ酒の空き瓶を数えていた。
 二十八本あることはわかっている。もう何百回も数えた。でももう一度数え始める。
 それぐらいしか、意識をそらす方法がなかった。
「オラ、こっちむけよ!」
 ぐいっと顔をねじ曲げられて、口の中に生臭いペニスが突っ込まれた。もう唾液も枯れ果てて、ごりごりとこすられる口蓋が痛い。それに耐えるためには、舌を動かしてペニスを支えるしかない。噛んだら殴られる。なめてしまうしかなかった。
 そして、その不自由な舌の動きだけでも、犯している男にとっては十分な刺激になった。
「おわあ、たまんねえ……中学生の女に突っ込んでるみてえだ」
 自分も高校に入りたてのようなそのチンピラは、歩の子供じみた顔をのぞきこんで、すぐに息を荒げ始めた。
「いるんだなあ、こんなやついるんだなあ、女にしか見えねえもんなあ、木ノ又さんの言ったとおりだ……」
 うわごとを吐き散らしながら、チンピラは急速に腰の動きを強めた。「うふうっ!」とうめいて、あっさり射精する。
「うう……」
 喉までかけられた。だが、もう吐き出す気力も飲みこむ気力もなかった。ぴくりとも筋肉を動かさず、どろどろした液が自然に流れるのに任せる。チンピラが引き抜いたペニスを追って、白濁液が歩のあごに垂れていった。
 繁華街の奥にある、怪しげなバーだった。周りには十人ほどの男女がいる。店員も含めたその連中が、昨日の夜からぶっ通しで歩を犯した。もう昼過ぎになった今では半分ほどが酔いつぶれて席でいびきをかいているが、残りはいまだに杯を重ねつづけ、獣欲をたぎらせた目で歩を見つめては、入れ替わり立ち替わりのしかかってきた。
「すげえいいっスよ、これ」
 テーブルに寝かせた歩から離れて、チンピラはカウンターに近づいた。木ノ又が黙然とバーボンを傾けている。年齢のわりに大変な場数を踏んでいるらしかった。
「男だって聞いたときはゲエッて思ったけど、これだけ可愛いとなんか逆に興奮するんスよね。背徳ってやつかな? おれ、目覚めちまったかも」
「掘ってやろうか」
「勘弁してくださいよ!」
 木ノ又のひとことに苦笑して、チンピラは歩に目をやった。うつろな目をしている歩はすでにシャツ一枚に剥かれていて、浴びせられるそばから乾いていった精液が、何重にもこびりついている。
「こいつだけの話ですよ。あー畜生、こんなやつ二度とお目にかかれねえだろうな」
「今のうちにやっとけ」
「わかってますよ! 木ノ又さんにいい体験させてもらったってことで」
 周りの連中が、いっせいに笑い声を上げた。
 最初はチームの全員がためらったのだ。召集に応じてやってきたものの、犯す相手が少年だとは聞かされていなかった。女なら何度もまわしたことがあったが、彼らはそれなりに「ノーマル」だと自認していた。
 だが、木ノ又が最初に歩を犯したとき、空気が変わった。甲高い声で泣き叫ぶ歩の顔、小さなペニスをこすられ、前立腺を押しつぶされて、嫌悪しながらも射精してしまった歩を見たとき、彼らの中でタブーが打ち壊された。もともとそんなもの、いくつでも破ってきた彼らである。ニキビの浮いた見苦しいガキならともかく、乱れたショートカットから桜色の頬を見せて震える、愛くるしい姿の美少年を犯せというのだ。ためらいはわずかなうちに消えてなくなった。
 ただ、一人だけ気まずそうな顔で一同から離れている少年がいた。
「セイジい、おまえもやっとけよ」
「一回やれば考え変わるって。別にホモになるわけじゃねえんだから。こいつ、特別だよ。犯罪的に可愛いもん」
「あ、ああ……」
 仲間に声をかけられて、丸岡清二は複雑な笑いを返す。だが、歩からは顔を背けている。
「っだよ、いい子ぶる気か?」
「そんなんじゃねえけどよ……おれ、こいつの昔の格好知ってるんだよ。モヤシみてえにひょろひょろした気色悪いガキでさ……なんか、かぶっちまって、どうもその気にならねえ」
「あんたそんなにデリケートだったっけえ?」
 尻が見えるほど短いピンクのワンピースを着たガングロの少女が、ケタケタ笑いながら言った。この娘も、歩を犯した一人だった。騎乗位で歩のペニスを無理やりむさぼりつつ、ほんとかわいー! 食べちゃいたい! と言いながら歩の肩に噛み付いた。歩の体には、性欲を呼び寄せる魔力があるのかもしれなかった。
 すると、木ノ又がいきなり言った。
「レミ、脱げ」
「えー?」
「服を貸せ」
 一瞬、レミと呼ばれた娘はきょとんとしたが、木ノ又には誰も逆らえない。もぞもぞとワンピースを脱いで、下着姿になる。
 木ノ又はさらに命じた。
「それをあいつに着せろ」
「……ああ、それいいかも!」
 レミは納得した顔で、歩に近づいた。人形のように力なく横たわっている歩を抱き起こし、全身の精液にちょっと顔をしかめつつ、手足を取ってワンピースを着せていく。
 それが終わると、木ノ又はカウンターから封を切っていないシャンパンを手に取って、思いきり上下に振った。何をするのか、と固唾を飲んで見守る少年たちの前で、うつぶせの歩の尻に近づいていく。
 ポン! と栓を開けると同時に、勢いよく炭酸の泡が吹き上がった。それが出るが早いか、木ノ又は歩の尻肉を割り開き、肛門にそれを突っ込んだ。
「はあっ!」
 気絶しているようにすら見えた歩が、ビクンと震えた。
「あっ、ああっ! や、やあーッ!」
 悲鳴を上げるものの、逃げ出す力は残っていない。がたん、がたん、と頭をテーブルにぶつけて、機械的に痙攣する。
「やめ、やめて! おなか、破れちゃう!」
 木ノ又は太い腕でその背中を押さえつけ、なおも瓶を左右に振った。「かっ、あっ!」と断末魔の声を上げる歩の体内に、瓶の口が根元まで押しこまれた。その異様な光景に、少年たちは恐れとも渇望ともつかないうめき声を上げる。
「レミ、バケツ」
「は、はいっ!」
 掃除用のバケツを持って、レミがすっ飛んできた。テーブルのふちにそれを構える。
 木ノ又が瓶を抜くと、しゅわああ、と泡立つ液体が流れ出してきた。腸の内容物が混ざって茶色く濁っていたが、炭酸の泡が匂いを薄めていた。
 レミがバケツを持ってトイレに消えると、木ノ又は振り返って、清二に言った。
「洗ってやったぞ」
 どん! と仲間が背中を押した。清二はふらふらと立ちあがった。目は歩の姿に釘付けになっている。その腕を木ノ又がぐいっと引いて、歩の後ろに立たせた。
「もう文句はないな」
「……は、はい」
 清二はごくりとつばを飲みこんだ。フェイクレザーのワンピースの背中が、あふれたシャンパンでてらてらと光っている。切り詰めた裾からのぞく尻も、精液が洗い流されてつるりと輝いていた。荒らされた肛門が充血して柔らかそうにひくつき、その下で小さな袋がぺたりとテーブルに潰れていた。
 横顔から目だけ動かして、歩が懇願した。
「丸岡君……やめて、お願い……」
 そのひとことを聞くたび、清二は昔、歩をさんざん殴りつけたのだ。衝動のスイッチが入った。
 もどかしげにスボンを下ろす。はあはあはあ、と息が荒い。飛び出したペニスは石のように硬くなっている。それを歩の尻にあてがいながら、清二は呪文のように繰り返していた。
「おまえが悪いんだ、おまえが悪いんだ、おまえが悪いんだ……」
 ぬちゃ、と亀頭がつぼみに触れた。頼りないほど柔らかい。ああ、とうめいて、清二は歩の太ももを両手で握り締めた。そこも柔らかかった。出し抜けに気づいた。自分が歩をいじめ始めたのは、水泳の更衣室で、裸を見た時からだということを。
 ずっとこうしたかったのだ。歩がワンピース姿になって性差を失った今、やっと清二はそのことに気づいた。
「あ……歩っ!」
「そ、そんなあ……」
 ずぶり、とペニスが入ってきたとき、歩は底知れない屈辱感を覚えた。たとえいじめられたことはあっても、このひどすぎる連中の中で、清二だけは自分を人間として見てくれていると思っていたのに。
 もう、自分は抱かれるだけのモノでしかない。
 清二は動き出す。消え残ったシャンパンの泡が、腸壁との間で潰れてぷつぷつと亀頭をくすぐる。細い括約筋だけでは圧迫が足りない。尻のふくらみをかきあわせて、そのたっぷりした肉で根元を挟みこむ。肉はとろりとして甘そうだった。食べたいぐらいだった。食べられないから、突き刺した。香りがほしくて髪に顔をうずめた。
「歩、歩、歩、歩ッ!」
 愛しそうに歩の細い腰を抱きしめて、清二がぐいぐいと突き込んで来る。彼が呼んでいるのは歩の名前ではない。自分が抱いている不思議に美しい生き物の肉体だけだ。歩の心を小指の先ほども気にしていない。誰も歩の心を求めていない。
「う……あ……あ……」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、歩は無力に犯された。
 やがて、何回目かわからない熱い塊が、どくりどくりと暴力的に腹の中に注がれた。

 より可憐な姿になった歩が清二に犯されるのを見て、次々と少年たちが集まる。新たな興奮に息を弾ませている。その中に木ノ又が割って入り、射精した清二を押しのけて、流れ出す精液にもかまわず自分のものを歩の肛門にあてがう。そして歩の口を、指先を、髪の毛を、他の少年たちは射精のための道具として使い始める。
「あーあ、かわいそ」
 スツールに腰掛けて無責任に笑っていたレミの耳に、携帯電話の音楽が入ってきた。カウンターに置かれた、鎖のついた携帯。
「これ……木ノ又さんのだよな。木ノ又さーん! これどうする? 大事な連絡かもよ?」
「出とけ!」
 木ノ又は短く叫ぶだけだ。ペニスを食い締める歩の粘膜に注意を集中している。
「はいはいっと……」
 レミは表示に目を走らせ、手早く返事のメールを打った。

「でもね、私たちはなんにも知らないの。おたくの歩ちゃんのお友達が誰か、どこにつれて行ったのか、なんてことはね」
 内容自体が矛盾した台詞を吐いて、美都子は平然と微笑んだ。聞かれただけではなんの問題もない、ということを確信している。
 聞いている倫子の顔は、薄ら寒くなるような無表情だった。美都子はそれを、悔しさを表に出さない演技だと思っていた。
 だが、違った。
「愛美ちゃん、全部聞いたわね」
「うん」
「証人が増えても一緒だよ」
 愉快そうに三間坂が言った。そして、愕然となった。
『――業界の仁義をわきまえないあなたにふさわしい報いじゃなくって? お金をとって客につかせる商売はしないのが流儀なんでしょ。そちらの方針にならって、私たちも逆にお金を払って、歩ちゃんを男の子たちに紹介してあげたわ。もっと仲良くなりたいっていう、彼のお友達がいたのよ。――でもね、私たちはなんにも知らないの。おたくの歩ちゃんのお友達が誰か、どこにつれて行ったのか、なんてことはね』
 愛美が美都子の声で言ったのだ。
「な……そうか、腹話術か!」
「だったらよかったのにね。これは完全な録音音声よ。この子は、機械なの」
「な、なんだと?」
「嘘じゃないわよ、ほら――愛美ちゃん、一回転」
 ぐるり、と愛美の首が三百六十度回った。そしてまたぐるりと戻る。並外れた靭性と弾性を持つ肌、そして頸部のユニバーサルジョイントがなくてはできないことだった。
「な……そ……」
「お望みならまだまだ証拠を見せてあげるけど、時間が惜しいわ。まずこれだけは理解しなさい。あなたたちが今調子に乗ってぺらぺらしゃべった言葉は、全部記録した。これを出すところに出すかどうかは、あたしたちの判断次第」
「そんな馬鹿な……」
 美都子がうめくと、とたんに自分の声が大音量で浴びせ掛けられた。
『報いじゃなくって?』
「……」
「わかったわね。そして、知らないというなら教えてあげるけれど、あなたたちが雇った人間は、殺人までやらかしたわ」
「さ――!」
「歩ちゃんのおばあさんよ。それに放火も。どうせ人選が甘かったんでしょうけど、これはもう、うちうちだけの話では済まないわ。刑事裁判になる。その時、あなたたちに有利な証言をするもしないも、あたしたちの勝手」
「……」
「どう、立場がわかったかしら?」
「くそっ!」
 三間坂は歯を噛み鳴らした。
「さあ、歩ちゃんの居場所を教えなさい! あの子はどこにいるの!」
「……知らないわよ、ほんとに」
「連絡ぐらいはとっているんでしょう?」
「さあね。お望みなら調べれば?」
 不意に美都子は挑戦的な顔になって、携帯電話を差し出した。倫子はざっと受発信記録に目を通す。――いや、美都子の態度が不自然だ。この中に相手の番号はない。あるとしても、偽名を使うぐらいのことはしているだろう。倫子がかけたら、不審に思われる。
 事務所の電話! 倫子は振り返る。しかし美都子がその番号を相手に教えているだろうか? 危険な取引だ。会社を巻き込むようなことはするまい。
 となると、直接通話以外の手段か。倫子は愛美に命じる。
「パソコンを調べて」
「なにを?」
「メールの履歴。さっき美都子がお友達って言ったわ。それはきっと、おとつい歩ちゃんが会ったっていう友達、いえ、多分いじめっ子のことよ。歩ちゃんはほとんど友達がいないんだから。そいつらの携帯を見て歩ちゃんはほしがった。つまり、そいつらはメールの使える携帯を連絡手段にしている」
 言いながら、美都子の携帯をもう一度見る。メール機能には対応していない旧型だ。していてもこれでメールは打つまい。携帯電話のアカウントは電話番号に連動している。使えば、自分の番号を相手に知られる。
「多分、会社と関係ない別アカウントをとってパソコンで連絡しているのよ。パソコンに入ってるすべてのアカウントを調べて!」
「ちいっ!」
 敵意を隠そうともせず、美都子が舌打ちした。
「ほら、得意でしょ!」
 倫子が愛美をせかす。愛美は、美都子のノートパソコンの前に車椅子を回した。メールソフトを立ち上げた愛美が声を上げる。
「社長、パスワードがいる!」
「パスワードは!」
 にらみつけられて、美都子は顔をそらす。
「言わないつもり? そうか、いま連絡さえ取らなければ、なんとか無関係で押し通せると思ってるのね。だったらそんなの、こじ開けるまでよ!」
 倫子は振り向いた。
「愛美ちゃん、なんとかパスワードを見つけて!」
 愛美がピアニストのような華麗な指さばきでキーボードを叩き出す、のを倫子は待った。
 一本指打法だった。
「ちょ……ちょっと、愛美ちゃん、パソコン使えるんじゃないの?」
「ごめんなさい、あたし指のサーボはそんなに高性能じゃないの」
 ぽつん、ぽつん、とキーを押しながら、くやしそうに愛美が答えた。
「LANコネクタがあれば、直接割りこみかけられるんだけど……これ、ついてない」
 途端に、三間坂がヒステリックに笑い出した。
「なんだ、おどかしやがって……ロボットはロボットでも、たいした性能じゃないようだな」
 はははは、ははは、と三間坂は笑いつづけた。そして首筋を吊り上げられて、ヒッとうめいた。
「ふざけてんじゃねえぞこの野郎……」
 攻造が両手で三間坂の襟首を吊り上げながら、殺しかねまじき目つきでにらんだ。
「今すぐ吐きやがれ! さもないとこの場でブチ殺すぞ!」
「攻造――」
「社長は黙ってろ! いいか、裁判なんかおれには関係ねえ。証拠もクソも知ったことか! 歩になんかあってみやがれ、二人まとめてコンクリで固めて海にたたっこむぞ!」
「無事なわけないでしょ、もう一晩たつんだから。どっちにしろ今ごろは、ちんぴらどももまわし終わってるわよ」
 捨て鉢な態度で美都子が言った。その途端、攻造の脳裏に真っ赤な色がひらめいた。

 ……こーぞー、いたいよ、血がいっぱい出るよ、あたしだいじょうぶ? 赤ちゃんだいじょうぶ? たすけて、こーぞー……

 バシッ! と美都子は頬を打たれて転がった。倫子が飛びつき、渾身の力をこめて攻造をはがい締めにする。
「攻造こらえて!」
 返事もせず、獣のように太い息を吐いて攻造は美都子をにらみつける。彼が女を殴った。一度も女に手を上げたことのない攻造が。
 一番深い傷に触られたんだ、と気づいて、倫子は攻造の肩に顔を押し付けた。それしかしてやれることはない。
「落ち着いて! 後にして! 今は、今だけはこらえて!」
 攻造は無言で倫子を振りほどこうとする。とても止められなかった。攻造の過去を知っているだけに、むしろ倫子が代わりに殴ってやりたいぐらいだった。
 その時、愛美が救いを投げた。
「待って攻造にいちゃん、赤外線端子があった!」
「……なに?」
「やった、VFIRが入ってる。これなら速いよ、この子と話ができる!」
 愛美はノートパソコンを持ち上げて黒い窓に視線を注いだ。受光CCDを逆に使って、超高速で赤外線信号の受発信を開始する。外部ポートからシステムバスにインタラプト、CPUへ行くデータを謝りながら横取りして、情報経路のボトルネックにじれながら全データを直接プロセッシングし、ラップトップには及びもつかない速さでメールソフトのソースを解剖し尽くす。
「わかった! 教えてくれた!」
 ノートパソコンの液晶画面が瞬いた。あっという間に、ずらりと並ぶメールログが現われた。愛美は分析次元を言語意味素のレベルに引き上げる。
「……これだと思う。受信記録、昨日の午後六時五十二分二十八秒。「獲物を捕まえた」だって」
「相手の居場所は! 書いてないの?」
「書いてない」
「じゃあ聞いて! 場所と人数を聞きだすの!」
「送るけど……相手が無視したらだめだよね」
 一縷の望みを託して、愛美は電話線にメールを飛ばす。じりじりするような数分間の後、愛美が明るい声で叫んだ。
「信じらんない、返ってきた! 人数は十一人、間野町舟橋通りのバー『キャンサー』!」
 今にも走り出そうとした攻造を、倫子が再び押さえつけた。
「落ち着いて! 人を殺したかもしれない連中が、十一人よ! あなた一人じゃ無理!」
「放せよ畜生!」
「だめ! 私たちも行くわ、なずなも拾ってから! あの子ならなんとかできる!」
「くそう……」
「歩ちゃん助けるんでしょ! 返り討ちにあったら意味ないでしょう!」
 攻造をなだめると、倫子は愛美の車椅子に走った。自走させるより押したほうが早い。
 だが倫子は、度肝を抜かれて突っ立っている二人に、出て行きざまひとこと投げつけるのを忘れはしなかった。
「首を洗って待ってらっしゃい!」

―― つづく ――

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