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Falling lovers firing

 1

 オリエ・シュフィールドは生まれて初めて、匂いで目を覚ますという体験をした。
 目の前に、髪を短く刈り込んだ男の頭があった。汗と脂と整髪料の匂いがする。昨日までの彼女は、それをどちらかといえば敬遠したい匂いだと思っていた。
「うわ……」
 目を見張って驚いたのは、それが昨夜の記憶と強く結びついていたからだ。泣きむせびながらこの頭を抱きしめていたような気がする。
 だんだんと思い出すと、胸がきゅっと苦しくなるような感慨が湧いてきた。
 ――とうとう、このひとに抱いてもらえたんだ。
 後悔はなく、幸福感が、思った以上に幸せな気持ちが広がって、オリエは軽く鼻先を髪にこすりつけた。
 下腹部の痛みはもうほとんどない。代わりにまだ胎内がぬらつく感触がするが、それは生理用品でなんとかなる。今日もこのまま艦へ向かえるだろう。どのみち多少の痛みはこらえるつもりでいた。小娘でもあるまいし、こんなことぐらいで何かあったような顔を周囲に見せるわけにはいかない。
 あくまでも、いつもと変わらないような顔と姿をしていなければ……。
 起きよう、と思った。
 隣に横たわるたくましい体にもっと寄り添っていたかったが、理性が打ち勝った。男を起こさないように静かにベッドを降りて、身支度を整えた。脱ぎ捨ててあったベージュのショーツとブラジャーを身につけ、ブラウスを着て紺のタイトスカートを履く。ストッキングは昨夜脱がされるときに破れてしまったのであきらめた。
 ――こういうことがあると予想できる夜には、ストッキングの替えを欠かさないこと。それとできればショーツも。
 教訓としてオリエは脳裏に刻んだ。ショーツは抱き合う前からすでにぐっしょり濡れていた。自分がそんなに濡れることも予想していなかった。
 ホテルの部屋に備え付けの電気ポットのスイッチを入れてから、顔を洗って簡単に化粧をしていると、予想通り、ベッドから男の声がした。
「大尉、シュフィールド大尉?」
「いま参ります」 
 髪のセットは間に合わなかったので、とうもろこしの房のような金髪をそのまま背に垂らして戻った。
 ベッドでは、男が裸の体を起こしていた。オリエはインスタントコーヒーを二杯淹れると、トレイに乗せてベッドのそばに戻った。「ああ」と生返事のような声を漏らして男はコーヒーを取ったが、口をつけもせず、しばらくオリエを見ていた。
 オリエはベッドの端に腰を下ろし、コーヒーを飲みながら彼の言葉を待った。
「大尉……」
「はい」
「すまん」
「何がでしょうか」
「君が酔ったのをいいことに、意思を確かめもせずにこんなことをしてしまった」
「別に。適量を越えて飲んだのは私自身の意思です」
「許してくれるのか?」
「許すも許さないも、何も悪いことはしていないでしょう。今は上陸時間です。航行中でも戦闘中でもありません。そして――お気に障ったら謝りますが――艦長は離婚なさいました」
「待て、それは私が言ったのか?」
「……艦長もそうとう酔っていらっしゃったんですね」
 灰色の瞳に鋭く見つめられて、オリエはため息をつき、うなずいた。
「聞きました。もちろん、ここを出れば忘れますけど」
「そうだったか……」
 男がコーヒーに目を落とすと、オリエはちらっと目を向けた。
「でも艦長。私は、艦長がお一人でなくても、こうやってお付き合いするつもりでしたよ」
 男が顔を上げて不思議そうに言った。
「それはつまり、妻の座を要求しないということか」
「妻の座につながるチケットを、ですね。そんなもの……そんなこと、求められる立場じゃないでしょう? 私も、あなたも」
「それはまあ、そうだ」
「ですから、あらゆる意味で、お気になさらず。私の艦長に対する感情は変わっていませんから。あなたを尊敬し、敬愛し、恐れています。誰かに言いふらすなんてことも絶対にしません」
「そんなことを言ってるんじゃない。私がこうむる不利益などは問題にしていない」
 男が強い口調で言ったが、オリエは気にしなかった。これでいつもと同じ顔をこの人に見せられた、と思っていた。有能でそつがない副官としての顔を。
 だから思わぬ言葉をかけられて動揺した。
「君は初めてだったんだろう」
「――ええ、まあ」
 言われた瞬間肩が震えて、答えるまで三秒近くかかった。自分の無様さに顔が熱くなった。
 ――見抜かれた。隠したと思ったのに。
 とても振り向けず、うつむいたまま訊いた。
「……どうしておわかりに?」
「私をいくつだと思っている……四十八だぞ。わからんわけがないだろう」
 白いものがいくらか混じっている髪をかいて、男が情けなさそうに笑った。それを聞くとオリエはますます恥ずかしくなり、身を縮めるようにしてつぶやいた。
「ええ、その通りです。私、初めてでした。この年にもなって……わ、笑ってくださいな。私だって他の女がそうだと聞いたら笑います」
 すると男が、片手を差し伸べた。
「笑いやせんよ。それよりも、初めてが私のような年寄りでよかったのか? 君なら他にいくらでも相手がいるだろうに……」
 それを訊くとオリエは、不本意にもかっとなって振り向いてしまった。
「艦長以上の男性なんかいません!」
 言ってから、男の顔の驚きに気づいた。すぐにそれが、照れくさそうな微笑に変わった。差し出される腕が両手になった。
「男冥利に尽きる」
 オリエは手のひらを見、歳月の彫りこまれた精悍な顔を見てから、おずおずと尻をずらして男に近づいた。がっしりと抱きしめられると、「きゃっ?」という悲鳴が自然に出た。それ以外の言葉は出なかった。――また、こんな時には出す必要もないのだと、初めてわかった。
 三十一年と三ヵ月と十五日。
 それが、オリエが処女だった年月である。

 2

 人類の歴史を通じて、植民地と宗主国は仲のよい敵同士であるか、さもなければ険悪な関係の味方同士だった。この二つの表現は同じではない。片方が滅びる時に、もう片方が喜ぶかどうかというちがいがある。
 惑星ワスピアナとツアモツ衛星群の関係は前者だといえる。ワスピアナとツアモツは、原太陽系にあてはめると地球と木星衛星のような位置関係にあり、宇宙船で交流している。どちらか片方でしか産しない特産物があり、交易が成り立っている。しかしどちらにも必需品を自給できるだけの産業があるので、万が一相手が滅びても痛痒を感じない。
 こういった場合、両者の関係は分裂に向かいやすい。特に自治権を持っていない側がそう願うのが常だ。ツアモツの六つの大衛星群、ピトケアン、ガンビア、ムルロア、ハウ、マケモ、ファカラバの人々もそう思った。彼らは過去三度の反乱を起こした。
 その一度目のあとに創設され、二度目で初めての実戦を体験し、三度目で確固とした支配態勢を築いたのが、ワスピアナ宇宙軍である。
 現在この軍隊は、巨大ガス惑星ツアモツの中心から半径二百万キロの空間を、治安維持空域と称して支配している。保有艦艇は大小取り混ぜて百七十八隻。参謀本部戦略司令部をワスピアナ本星に、宇宙艦隊司令部を、植民地総督府のある衛星ファカラバの周回軌道におく。
 光学戦艦レイリーはワスピアナ宇宙軍に所属している。鏡径十メートルのケック級レーザー砲一門を搭載し、反陽子ジェネレーターと噴射速度可変型エンジンを用いて、一G換算で二十時間ちかい加速時間を誇る。これによる速度増分は秒速七百キロあまりに達するので、もし直線加速を続ければ太陽系どころか銀河系すら脱出することができる。
 もちろん、そんなことはしない。レイリーの目的は、有効射程三千キロにも及ぶそのレーザー砲で、ツアモツ星系内ににらみを利かせることである。強力な加速性能は、自身をすみやかに制圧軌道へ入らせるためのものだ。通常は星系内で一ヵ月以内の短期航行を繰り返すが、その気になれば半年分の物資を積んで、ワスピアナ本星までの惑星間航行に出ることもできる。
 この艦の艦長が、四十八歳のディラン・ロンズギン中佐である。三度の反乱を通じて参戦した実力派の艦長として名高い。
 オリエ・シュフィールド大尉はその副官だ。九年前に幹部候補生として入隊してから、七年間ロンズギン中佐と同じ艦の艦橋に勤め、二年前、三度目のツアモツ反乱の直前に基地勤務に移された。
 再びレイリーに乗り組んだのは二週間前。反乱が鎮圧されたためだ。ファカラバ軌道基地に帰港した戦艦レイリーに、補充として配属された。
 七年仰ぎ見た上官との、二年ぶりの再会。しかも相手は実戦を潜り抜けていっそう名声を高めている。並の女なら会いたがらないわけがない。オリエだってそうだったが、だからといって個人的な好意を明らかにするつもりはなかった。今度の補充では、今まで後方に下げられていた女性兵が積極的に戦闘部門に送られたからだ。戦艦レイリーでは、艦橋に一挙に四人の女性兵が増えた。
 しかも、その四人ともが二十代前半の若くて元気な娘たちだった。
 そんな娘たちと妍を競うことは、何にもましてオリエ本人のプライドが許さなかった。嫁き遅れといわれようとお局様といわれようと、任務一辺倒の副官に徹しきるつもりだった。
 ロンズギンに同行させられた上陸任務が済んで、バーで一杯飲んだ、その真っ最中まで、本当にオリエにそんなつもりはなかったのだ。

 それなのに――
「なっちゃった」
 オリエはつぶやいた。
 光学戦艦レイリー、ファカラバから二千キロの空域で、名前のないナンバーだけの小衛星を相手に砲撃訓練中。攻撃発砲を行うと軌道が汚染されるので、千分の一出力での威嚇発砲を行う。
 艦の中央前方にあるバイタルブロック内艦橋に、きびきびした声が飛び交う。
「超長基線干渉計網より目標情報取得」「VLBI‐ゲット」
「本艦電波、簡易光学、重力、各探測系数値取得」「SELFS‐ゲット」
 オリエは完璧に表情を押し殺し、計算機の冷たさで報告する。
「照準準備完了、主光学系直望照準が可能です」
「MPS‐スタート」
 CICを兼ねる縦横十メートルほどの小さな艦橋の後方で、与圧服姿のロンズギン艦長が命じる。砲光長が復唱。
「MPS、スタートします」
 はしご型の艦体の中央にジンバルで支えられた、補助装置を含めると差し渡し十五メートルにもなる巨大なレーザー砲が、ゆっくりと標的を向く。昔の地上戦車では砲尾から砲腔内を覗いて敵戦車を視認するのが、もっとも正確な照準法だったというが、それは今でも通用する真理である。ほぼ理想的な低伸弾道を取るレーザー光は、突き詰めて言えば、方向の真正面に敵を捉えれば当たる。宇宙ではそれが千分の一ラジアン単位まで厳しくなるだけだ。
 MPSとは、レーザー砲が光学機器であるがゆえに可能な照準法だ。砲を逆に望遠鏡として使い、敵の光学像を探すのだ。
「物体像発見。艦影同定。目標です」
「砲撃開始」
「ATK‐スタート。第一波、十秒」
 レーザー、発光。一瞬では破壊しない。レーザー砲撃は熱の蓄積を目的とする。あらかじめ算出した破損予定時刻まで砲撃してからいったん照射を止め、赤外線で被弾状況を観察、第二波砲撃の要否を判断する。
 しかし第一波が始まってすぐ、レーダー士が報告する。
「訓練。レーザー攻撃を被弾中です。スモーク放出済み、砲撃脅威度、五百二十」
 脅威度の単位は秒で、自艦が破損するまでの時間を表す。小さいほど危険だ。五百二十ではたいしたことがない、とオリエが思っていると、艦長が鋭く言った。
「攻撃中止、バルーンデコイ射出、十二、実行」
「ATK‐アボート、BDS‐12‐シュート」
「レーザーはただの照準用かもしれない。その場合は旧式な実体誘導弾が飛んでくる。ツアモツ人は不正規兵器を使うことのほうが多い。気をつけろ」
「それがありました」
 オリエは舌打ちして機関科にジェネレーター非常出力を命じる。逃走と、もう一つの行動を想定してだ。案の定、レーダー士が砲撃よりも電力を食う全天ドップラー探測を開始した。電測系の消費電力が四桁増大、艦橋は通常照明が一時的にブラックアウト――しかし予測の甲斐あり、二秒で回復。
 ロンズギン艦長はその程度のことを誉めたりしない。
「副長、遅い」
「アイ、サー」
 オリエは唇を噛む。ブラックアウトなどさせてはいけないのだ。言い訳は利かず、ただ彼の信頼が減る。戦闘中の艦長のシビアさは比べるものがない。
 オリエも言い訳などしない。絶対に甘えない、という自制が快感になっている。
 艦内では。 
 
「この間の訓練……ごめんなさぁい……」
 基地に戻ると、宙港から離れたホテルの個室に入るなり、どちらからともなく抱き合って激しくキスを交わした。大きな手がブラウスをくしゃくしゃにしながら脇や背を這う。早くもしびれを感じながら、オリエは鼻声を出した。
「対応、遅れてしまいました。すみません……」
「うむ。しかし、君でなければ五秒は遅れただろうな」
 ロンズギンは安っぽい誉め言葉など発しない。二秒遅れたことは許さない。しかしこういう形でなら優しさを見せられる男だった。
「今度は……がんばりますぅ……」
「ああ、がんばれ」 
 口の中をえぐる舌が出て行ったと思ったら、頬を這い、耳に忍んだ。ちゅるちゅると直接的な音がする。
「ひんっ!」
 オリエの腕にぞっと鳥肌が立つ。性器ではない場所なのに、怖いほど心地いい。
 着くまでのタクシーの中で、すでに瞳が潤むほど興奮していた。娘たちよりはるかに遅れた開花。とっくの昔に男を迎える準備のできていた体が、ようやく春が来た、と歓喜してうずいている。
 ロンズギンはオリエの耳に続いて、顔と首の一帯に熱烈なキスを降らせた。それだけでもう、オリエは立っていられなくなる。くったりと体を預けてかくかく膝を震わせる。言わずにはいられなかった。
「してくださいな、お願い……」
「わかった」
「きゃふ!」
 両手で尻を抱かれたための声だ。強い指がタイトスカートの上からむちむちと肉を揉み回す。引きつけられた腹にはほんのり熱くなった突起物が当たっていた。ロンズギンのペニスだ。
「艦長……私、意外です」
「ん?」
「艦長が、こんなに、その……」
「いやらしいか?」
「はい」
「幻滅したろう」
「いいえ、そんなこと!」
 お返しのつもりで彼のザラついたあごに口付けしながら、オリエはささやく。
「幻滅なんてしません。だって、私も自分自身がこんなに……」
「そうだな、私も意外だ」
 指がスカートをたくし上げ、尻の肉をじかにつかんだ。「んあぁ……」とオリエは息を吐く。揉まれるのも心地よかった。というよりロンズギンに触れられるところで心地よくないところがなかった。どこもかしこも――
「……溶けそうですぅ……」
 ぐにぐにと尻や太ももをまさぐりながら、指が股に入ってくる。汗ばんだしわの間や、布の上からとはいえ、閉じたつぼみの上を撫で回されるのは、心臓が止まりそうなほど恥ずかしく、心地よかった。
 触れられる快感に集中するあまり、キスをするのさえおろそかになる。ロンズギンの胸に頭を任せて、はー、はー、と病人のように熱い息を吐くだけだ。
 もぐりこんだ指が、トンネルをくぐるように股間から前方へと抜けかけるところで、ぴたりと止まった。オリエも気づいて、こくりと唾を飲んだ。
「はい……そうです、艦長」
「すごいな」
「濡れてます、私。歯止め利かなくって。艦長に触っていただいてるっていうだけで、無条件に欲情しちゃってるみたいです。……だから、いつでも」
 言いながら太腿をすり合わせた。ショーツからにじみ出した潤みの中で、ロンズギンの指がくちゅくちゅと音を立てる。彼がここへ来て始めて苦笑した。
「無理を言うな。君みたいに若くないんだ」
 若い、と言われると、自分でもおかしいほど嬉しかった。しかし逆の意味で気になって顔を上げた。
「艦長……?」
「私がもう二十歳若ければ、言われるまでもなく押し倒しているんだが」
 くい、と腰を押し付けられて気づいた。男性器のことらしい。そこは熱を持って膨らんでいるが、さっきからあまり変わった様子はない。
「ひょっとして、立たな……失礼、準備に時間が?」
「ベッドでじっくり楽しみたいところだ」
「あの、こういう場合にふさわしいと思うのですが……」
 ためらいを抑えこんで、オリエはささやいた。
「よろしければ、口でしてさしあげます」
「できるのか?」
「知識はありますわ、もちろん。あとはやる気だけの問題じゃありませんか?」
 努めて明るく、オリエは微笑んだ。
 ところが、どういうわけかロンズギンは横を向いてしまった。オリエは焦る。
「すみません、はしたないですね。取り下げます。やっぱりベッドで」
「いや、そういうことじゃない」
 ちらっと一度視線をくれてから、ロンズギンは言いにくそうに言った。
「その、なんだ……恥ずかしいんだ」
「恥ず……艦長が、ですか」
「何しろご無沙汰でな。若い頃は多少は遊んだが、宇宙軍創設後にすぐ、縁談が来て結婚した」
「確か、中将閣下のご令嬢でしたね」
「そうだ。その彼女との間に、私は子供がいない。言っておくが、二人とも体に問題はなかった。それなのに。――どんな夫婦生活だったか、まあ想像がつかんかね」
「ということは……艦長……」
 まじまじと彼の顔を見つめて、オリエはぽそっと言った。
「ずっと我慢してらっしゃったんですか?」
「責任ある軍人として当然だ」
「当然って……」
 オリエはあきれた。
「だって、男性は女と違うんでしょう? 我慢できることとできないことがあって、だから娼館などというものがあるんでしょう。いえ、女を買えなんて言いませんけど、お友達を作ったりとかはなさらなかったんですか?」
「どうも好き嫌いが激しいらしくてな」
 他人事のように言うと、ロンズギンは穏やかに微笑んでオリエの頭を撫でた。
「君のような女が今までいなかった」
「……〜っ!」
 声にならなかったが、無性に嬉しくてオリエが頭を押しつけたのだ。んー、んー、と何度も鼻を鳴らしてから、もう一度顔を上げて、目を輝かせた。
「じゃ、私がしてさしあげてもいいんですね?」
「願ったりだ。じゃ、まずきれいにするか」
「い、一緒に入りたいです!」
「そうか?」
 ロンズギンが手を引いて、二人は脱衣場に入った。オリエは胸をどきどきさせながら背を向けて脱ぎ、深呼吸してから振り向いた。
 浅黒い背中が目に入って、息が止まった。中肉中背で、尻や脇腹の皮膚が少したるんでいるが、がっしりした骨格に十分力強い筋肉がまとわりついている。もうすぐ五十に手が届くとは思えない。
 目立つのは腰骨や肩口の白いしみ、そして引きつれだ。全部で十数か所、すべて傷跡だった。
「ん……こら、そんなにじろじろ見るな」
 ロンズギンが振り向いたが、そっけなく言ってさっさとシャワーに入ってしまった。やはり少したるんだ胸筋と、股間の茂みから垂れた黒っぽい性器が目に入った。
 オリエはしばらくぼうっと立ちすくんでしまった。それからおそるおそる後を追った。
 ロンズギンはすでに頭から湯を浴びていた。ファカラバ基地の中でも遠心重力がある外周の施設なので普通に水を使える。オリエが後ろ手に戸を閉めると、狭い室内が二人の体でいっぱいになる。湯が流れていく男の背中に、体を貼り付けた。
「見とれました」
「なに?」
「思ったよりずっと逞しくて……艦長、すてきです」
「世辞も度を越すと冗談にしかならんぞ」
「私にはそう見えたんです!」
 ロンズギンがぐるりと振り向いた。見下ろす目の強さにオリエは少しひるむ。するとロンズギンが少し横に体を寄せた。照明の光と熱い湯がオリエの体に降りかかった。
「あっ……」
「……ふん、君が言うと冗談にしか聞こえん」
 あの夜は明かりをつけずにした。オリエは初めて男の視線をじかに肌に感じて、逃げ出したいほどの恥ずかしさに襲われた。
 昔から背が高めで体形にめりはりがあり、男の目を集めていた。今では乳房は十分すぎるほど実って心もち重たげに垂れ、しっかり張り出した腰から太腿へとたっぷりした脂がついている。しかし二の腕や脇腹、へその周りには肉付きがなく、すんなりと美しいくびれを見せている。三十一歳――十分すぎるほどその準備を重ねながら、まだ子供を生んでいないとひと目でわかる体つきだ。
 顔立ちは、実はもともとあどけない。それを引き立てるよう、しかし仕事がら派手にならないよう、苦労するのがオリエの化粧だった。薄いグロスとわずかなマスカラ。それがシャワールームの黄色い明かりの下ではひどく艶っぽく見える。長い金髪はほどかず結い上げたまま。
 顔に当たりあごからしたたった湯滴が、弧を描いてずっしりと丸い乳房をつたい、腹になめらかな水膜を作って垂れ、逆三角の茂みに流れこむ。骨盤がつくるV字型の下端に赤っぽい陰唇が覗いている。湯はそのあたりで柔らかな毛を集めて透明な小便のようにほとばしり、その両脇のつやつやした太腿にも貼りついて、きれいな膝からくるぶしへの流れを作っていた。
「あ……」
 オリエは息を呑んだ。ロンズギンの下腹で、むくむくとペニスが持ち上がり始めたのだ。彼が真剣な顔で言う。
「まったく……かなわんな。君を見ていると平静でいられん」
「興奮……なさってるんですか」
「ああ」
「もしかして、艦内でも?」
「艦内で封じているからこうなるんだよ」
 オリエはしゃがんだ。ロンズギンが隠そうとしないので、正面から性器を見ることになる。まだ草を食む馬のようにうつむいているが、ズボンに隠れている時よりも明らかに大きく、長くなっていた。
 問いかけるように見上げると、怒っているような顔でロンズギンがうなずいた。部下のオリエは彼に怒られているのに慣れている。むしろ命令を下されたことにほっとして、フェラチオを始めた。
 ちゃんと洗われたそれは味も匂いもせず、オリエは拍子抜けしてしまった。舌をふれた瞬間ビクッと跳ね、唇に収めたあともビク、ビクと痙攣はしたが、喉を突くような乱暴なことは少しもしてこなかった。小さな鼓動を舌に伝えながら、少しずつ起き上がっていくようだった。
「んむ……ふ……ふ……くふ……んむぁ」
 いろいろ刺激したほうがいいということはわかっている。先端を転がし、舌を前後させて、気持ちと手間を伝えようとした。ただ、それが自分にないために、どうすれば一番いいかを想像できず、困った。
 口を離してもう一度見上げた。ロンズギンがじっと見下ろしている。胸板が大きく上下していた。
「それでいい。続けろ」
「艦長、手を……」
「手?」
 右手を自分の頭に乗せさせて、オリエは言った。
「いろいろやってみますから、よかったら力を入れてください。不快なら引いて」
「フィードバックか……」
「口がふさがっていちいち聞いていられないんですもの」
 再び口を使い始めるといろいろなことがわかった。ペニスの先端、くびれ、裏側に舌を這わせると頭を押される。深く飲みこんで根元を締めつけるのもいい。ただ、あまり顔を動かしすぎると髪を引っ張られて、「そんなに慣れた感じでするな」と苦情を言われた。少し調子に乗っていたオリエは恥じ入った。
 七、八分も愛撫すると、その肉の棒は水平よりも持ち上がり、口に収まりきらないほど成長した。硬さもゼリービーンズぐらいにはなってきた。感覚的に、前回挿入された時に近くなったような気がする。
 挿入――それをまた体に入れられることを想像して、オリエは胸を高鳴らせた。痛いのは最初だけだという話だ。今度はきっとものすごく気持ちよくなるのだろう。それでなくてもロンズギンに抱きしめられるのは嬉しい。楽しみで仕方ない。
 顔を上げて、元に戻らないようにしきりに頬ずりしながら、オリエは訴えた。
「艦長? そろそろいけませんか?」
「ひとつ提案があるんだが」
「はい?」
「オリエ、と呼んでいいか」
 思いがけない言葉に、オリエは目を見張った。それはもちろん構わない。構わないというより無上に嬉しい。
 それを気の利いた言葉で答えようとしたオリエは、すぐに一番いい返事に気づいた。
「……ええ、ディラン」
 驚いた。言った瞬間、ペニスがぶるっと震えたから。
 ちゅ、ちゅ、と何度も亀頭にキスしてやりながら、オリエは訊く。
「さあ、お願いします。まだ私、こういうことをぜんぜん知りません。手ほどきをお願いしていいんでしょう?」
「ふふ……じゃあ、立ち上がって壁のほうを向いてくれ」
「……後ろから、ですね」
 薄笑いして、言われたとおりにした。壁に手を突いて振り向く。ロンズギンが目を細めてオリエの背に触れた。脇腹に滑らせた手を前へ回す。胸を包まれた。ブラジャーの代わりにでもなったかのように、むにゅり、むにゅりと乳房を包みこんできた。充血した乳首が指で挟まれ、同時に尻の谷間にペニスが当たる。左右に揺れて目標を探し、むしろ戸惑いを楽しむように、少しずつ谷間をこすり始めた。 
 その動きで、オリエは男の欲望の一端を知ったように思った。彼らは本当に、「物体としての女」が好きなのだ。想い想われることや声や仕草を楽しむことよりも、見ることとさわる事が大事なのだ。
 ――今まで、しなくてよかった。
 オリエはつくづく、そう思う。どこの馬の骨ともわからない男にモノ扱いされるのは耐えられない。しかしロンズギンが相手なら納得できる。自分の能力が彼に高く評価されていることを知っているから。
 それ以前に、彼に乳房を愛撫されるのは、単純に快感だった。円を描くように、揉み潰すように、乳首を軽くつつくように――好きでやっているのかもしれないが、それはオリエの欲望とうまく一致した。
 股間のうずきに耐えられなくなっていた。膝をすり合わせるようにして足踏みする。ロンズギンもわかっているらしく、ささやいた。
「今してやるからな、オリエ」
 こく、とうなずくと同時に、性器の入り口に丸いものが当たった。予感できた。
「ん、ふぅ……」
 意識して息を吐くと同時に、力のこもったペニスが侵入を始めた。
 ぐいぐいと少しずつ押し開けながら、中へ潜りこんでくる。それはソーセージに中身の肉を詰めるような、硬さよりも圧力に頼った行為だったが、まだ二回目のオリエにそんな違いはわからない。ただ、はあっ、はあっと息を吐いて、下腹がずぶずぶと押し開かれていく感触を堪能した。
「ディラン……いいです……」
「ああ」
「うずきが……落ち着く……かゆいところをかいたみたい」
「うん」
「素敵なんです、気持ちいい……ディラン、若くないなんて嘘ですよぉ……♪」
 振り向いてささやくと、ぐうっと格段に硬さが増したような気がした。
 オリエは、意識せずにロンズギンの興奮を最大に引き出していた。ただでさえ男好きのする肉付きのいい尻を差し出していたのに、振り向いた顔にはとろけそうな愉悦の表情を浮かべ、無条件で男を誉める言葉を漏らしたのだから。
 ロンズギンの息が荒くなり、両手がしっかりとオリエの腰をつかんだ。ペニスが音を立てて前後し始めた。
「あっ……あはっ……はっ……はぁ……んっく……はぁん……はぁぁ……♪」
 ゆったりした、しかし確実なペースの動きがオリエの内側をこそぎあげる。じりじりした切なさが麻酔のようなしびれに変わって腰の中に拡散していく。尾てい骨から下腹部までの間が意志と関係なくひくひくと痙攣し、ゆるんだり引き締まったりする。それに合わせて失禁したように愛液が漏れ出していくのを、オリエは止めることもできない。
 それは一時間以上も続いた。強弱をつけてひっきりなしにペニスが出入りし、その間尻と言わず乳房と言わず撫で回され、振り向いて何度もキスを受けた一時間。生硬だったオリエがほぐれ、目覚めさせられ、穏やかな絶頂まで何度も運ばれ、とうとう哀願まで始めるのに、十分な長さだった。
 ずっと動き続けるロンズギンに、オリエは全身しびれて床に崩れる寸前の有様で言った。
「お、おねがぁい。も、もう私はいいから、あなたがいってください。私もう体、溶けてこわれちゃいそう……」
「ん……じゃあもう……我慢はやめるか……」
「我慢、してたんですか?」
「実は三十分も前からいきそうなんだが、君と離れるのがあまり惜しくて耐えていた」
「そんなぁ……それなら早くぅ……!」
「ああ、わかってる。いくぞ……んむっ!」
「ひぁんっ!?」
 ひときわはっきり奥を突かれたと思った直後、びゅるびゅると明らかに何かがほとばしる感触を体内に覚えて、オリエは歓喜の声を上げた。ロンズギンが爪跡がつくほどオリエの尻をつかみながら、うっとりと目を閉じて腰を突きこんでいた。
「オリエ……くらえっ……」
「こっ、すごっ、こんなにぃ……っ!」
 三十分もこらえていただけあって、ロンズギンの射精は強烈だった。いや、数週間の航行の禁欲のせいもあっただろう。えげつないほどしっかり子宮口に食いこんだ先端が、遠慮会釈もなくぶくぶく膨れながら精液を吐き出すさまが、オリエには目で見えるようだった。
 ふと、次の生理までちょうど二週間ほどであることを思い出した。このまま放置すれば必ず妊娠してしまうだろう。――もしロンズギンの子を宿したら、という想像は刺激的だったが、実現させるわけにはいかなかった。
 二人とも現役の軍人なのだ。ここは無難に事後避妊薬を飲んでおくべきだった。
「はあっ! はあっ! はあっ……!」
 ロンズギンの絶頂が、オリエにも精神的な終点をもたらした。彼が最後まで射精しきるのを感じ取ると、一仕事果たした、という満足感が湧いた。振り返って尋ねた。
「ディラン……おつかれさまです。どうでした?」
 返事は抱擁だった。ロンズギンは彼に似合わぬ性急さでオリエを抱きしめ、結婚式のように持ちあげた。さすがに悲鳴を上げる。
「やあっ!? か、艦長?」
「お楽しみはこれからだ――と言ったらどうする?」
「え……」
 オリエが顔を引きつらせると、老練な男は急に相好を崩して笑った。
「はははは、冗談だ。そんなすぐに二回戦は無理だ。しかし、さっきの公約を実行したい」
「ああ……ベッドでじっくり、ですか?」
 オリエは彼の首に腕を巻いて微笑んだ。
「しましょ、じっくり。帰艦予定は明朝八時ですよ」

 3

 男の仕事に女が口を出すとろくなことにならない。これも昔からの真理である。英明な君主がおろかな妻や妾の尻に敷かれて、まつりごとの舵取りを誤った例は多い。
 オリエはそのことを知っていた。これは彼女が女としてではなく、一介の軍人として今の地位まで出世した人間だったからだろう。ロンズギンの愛を得たからといって、彼に頼るつもりはなかった。頼れば自分だけでなく彼の評判も悪くなる。彼がそんなことをする男ではないから好きになったともいえる。
 彼とのことは完璧に隠しているつもりだったから、友達にそれを指摘された時には死ぬほど驚いた。
「オリエ……ひょっとして、男できた?」
 ぶぼっ、とオリエは飲んでいたカフェオレをチューブに吹き戻してしまった。そんな醜態をさらしたのも生まれて初めてだ。顔を上げると、十代の頃からの親友、アリタが親指を立てていた。
 ファカラバ基地サウスサイド、埠頭に近いカフェテリア。現在この区域はワスピアナ艦隊増強のために港湾の拡張工事中だ。アリタは夫婦経営のタグボート乗りで、旦那と三人の子供と五百トンの積荷とともに、常に六つのツアモツ衛星を巡っている。
 軍人のオリエとスケジュールがあうことは珍しく、一緒のランチは十五ヶ月ぶりだった。
「わ……わかる?」
 飲み物を噴いて白状したも同然となってしまったオリエは、情けない思いで目を伏せた。小柄なくせにオリエの三倍ぐらい元気なアリタがきっぱりうなずく。
「わかる」
「やっぱ顔に出るのかしら……」
「出てることは出てるけど、他人は気づかないんじゃないかな。あたしだからわかったのよ。あんまり気にしなさんな」
 アリタは三人坊主にちょっと遊んでらっしゃいとカードを渡した。子供たちは歓声を上げて隣のゲームセンターへ飛んでいった。
 それを見送ると、こほんと空ぜきをしてから、アリタは鬼刑事の目つきで身を乗り出した。
「さあ、いつどこで誰と何をどうした。すっかり吐いちまいな」
「あ、アリタ、なんでそんなに熱心に……」
「熱心にもなるわよ! 中学から鉄壁のガードで男を寄せ付けなかったあんたのことだもの! 正直このままお墓まで処女抱えて行くんだと思ってたわ。一体どういう心境の変化?」
「誰がお墓までよ。私だってチャンスがあればと思ってたわよ」
「そうなの?」
「そうよ」
「それは意外……いつもそういう話を振ると逃げちゃうのに」
「不特定多数の誰かには興味ないのよ」
「あー」
 オリエが顔を背けると、アリタがぽんと手を叩いた。
「なんだ、昔から好きな人がいたのか」
「……」
「そんで成就したんだ」
「……」
「すごいじゃない、おめでとう。で誰よそれは。年収いくら?」
 オリエはちらりとアリタに目をやった。
「うちの艦長」
 アリタの目じりが少し上がった。
「既婚?」
「バツいち」
「……ならいいじゃない。びっくりさせないで」
「よかないわよ、二人とも軍人で――あ、オフレコよ、この話」
「わかってる」
「軍人同士よ。しかも艦長と副長よ。職場結婚どころか寿退職すら許されないわよ。ある意味不倫よりきついわよ。バレたが最後飛ばされるわ。軍にお情けなんかないもの」
「でも幸せでしょ」
 オリエはアリタを見つめた。アリタがにこにこ笑っていた。
「顔がゆるいもの。そんなに和んでるオリエ見たことない。察するにもう寝た?」
 オリエが小さくうなずく。いっそう笑うアリタ。
「しかもよかったな」
「……やめてー……」
「何歳?」
「四十八……」
「そら艦長さんだもんねえ、ある程度歳なのは仕方ない」
「でもそんなに歳じゃ……」
「そうなの?」
「体が、あー……」
「なに?」
「は、話したい……」
 オリエはうつむき、抱えたチューブを覗き込むように身を縮めた。アリタがさらに凶悪ににこにこ笑いながら顔を寄せた。
「うんうん聞くよ? 体が何?」
「軍人だから立派なの。きれいとは言わないけど見とれる。それですごい力でぎゅーってしてくれるの」
「うんうんうん」
「うまい、んだと思う。二回目から痛くなかったし。どう考えても私より彼のほうが手数かけてるし。至れり尽くせりっていうの? 私にはもったいない感じ」
「うんうんうんうんうんうん」
「それでねほら、なんていうの、硬さ? とかあと角度? 中年はダメだっていうけどそんなことちっともアリタちょっとなにこの手は?」
「うんうんうんうんうんうんうんうん続けなさいなオリエ。そんなに幸せそうなあんたは初めてで妬けるっていうかうらやましいっていうかおまえそんなにエロかったならもっと早く言えというか」
「ちょっどはなじてぐびがじばる!」
 ひとしきりオリエの首を絞めて半殺しにしたあと、アリタは真顔に戻っていった。
「それはともかく、あんたも十分気をつけてね」
「言われなくても、けほっ、わかってるわよ。アリタにわかったことが他の女に気づかれないって保証はないし」
「男にもよ」
「え?」
 荷役事務所のほうから背の高い男がやってきて、おーい、と手を振った。アリタが振り替えるとそばへ漂ってきて並んだ。彼女の夫のナヒムだ。
「や、待たせたな。話の最中か」
「今いいところ。この子覚えてる? 昔の同級のオリエ、軍艦乗り」
「忘れるはずがないだろう?」
 ナヒムがこちらを向き、オリエは居心地の悪さを感じた。服装は軍服のままだ。白のブラウスを持ちあげる胸や紺のタイトスカートの腰周りに視線を感じる。それ自体はいつものことだが、隣に友達がいる。
 幸い、アリタは明るく片付けてくれた。ナヒムの足を思い切り払って転ばせたのだ。「ひょお!?」とナヒムは奇声を上げ、無重力下なので風車のようにぐるぐる回り始めた。
「じろじろ見るんじゃないの、オリエはもう人のものなんだから!」
「ごめんなさい、アリタ。なんか昔もあったわよね、こういうこと」
「こっちこそスケベな亭主でごめんね。あんたも大変でしょ、そういうエロっちい体だと」
「エロっちい……」
 ナヒムがアリタにしがみついて、ごめんよ許してくれとやたらにキスするさまを、オリエは複雑な笑顔で見つめた。
 そろそろ行くわ、とアリタが振り向く。
「最近ワスピアナ軍の発注が多くて仕事詰まってるのよ。儲かっていいけど忙しくって。――ごらー! 行くよあんたたち!」
 大声で子供たちをかき集めると、それじゃね、とアリタは去っていった。寸評を挟む余地もない見事なお母さんぶりだった。
 彼女を見送ったオリエは、少し立ってから、何か聞き逃したことを思い出した。

 彼女の言葉の意味に気づいたのは、四日後だ。
 ファカラバ基地ノースサイドに停泊中の光学戦艦レイリー、艦内巡検。大きく分けて艦首居住区、艦央光学区、艦尾機関区の三つにわかれる艦内を見て回る。通常は甲板長の仕事だが、甲板長が特別研修で基地へ上陸しているためにオリエが受け持った。
「巡検! 環境科、異常ないか」
「異常ありません!」
「巡検! 制振科、異常ないか」
「申し訳ありません、主ジンバルシャフトに偏磨耗が出ております!」
「処置計画は立てたか」
「提出済みです!」
「よし、速やかに処置!」
 厳しい声をかけて回り、水兵たちの報告と敬礼を受ける。宇宙戦艦といえども昔の海軍からの伝統を受け継いで、士官と水兵の間に歴然たる身分の差がある。オリエが男顔負けの命令口調をあやつるのは、その権利と同時に義務があるからだ。
 ただし、コンピューター制御が行き届いた現在の艦艇では、人間による見回りに実用的な意味はない。これは士官が艦のすみずみに顔を出すことで、現場の人員の士気を引き締めるための儀式なのだ。
 事件は、オリエが艦尾に近づいた時に起こった。
 機関区に付随する小部屋の気密扉を開け、オリエは中に入った。そこは小火器を保管する武器庫だ。光学戦艦のこの艦で白兵戦が起こることはまず考えられないが、一応そういう部屋がある。
「巡検! 武器庫、異常は――」
 オリエは言葉を飲みこんだ。異常は、あった。そこには二人の水兵がいたが、左右の手のどちらかで敬礼していなければならないのに、ボールでも受け止めるように両手を前に構えていたのだ。
 オリエはその場の異様な雰囲気を感じ取ったが、士官としての矜持を思い出して踏みとどまった。二人に強い眼差しを投げつけて、あえて平静な声で言う。
「武器庫、異常はないか」
 返事はなかった。二人は動かない。オリエは押しが足りないのだと判断した。さらに前に出て強く言った。
「返事をせよ!」
 それが失敗だった。
 横にいた一人がすばやく背後に回りこみ、ドアを閉めた。逃げようとする間もなくもう一人がオリエの片手を引いた。
「何をする――」「副長、シュフィールド副長!」
 まだ二十歳を出たばかりのような若い兵が、叫びながらオリエに抱きついた。両腕ごと抱きしめて頬に無理やり唇を押しつける。蹴り上げようと思ったが、背後からもう一人に抱きつかれた。そちらの兵はオリエの太腿を抱き、尻に頬ずりした。
 あっという間にオリエは自由を封じられてしまった。恐怖で冷水をかけられたように背中が冷えた。ここは武器庫だ。男二人がかりで脅されたら女のオリエには抗うすべがない。
「や、やめなさいっ……」「好きです、好きなんです」
 さなぎのようにもがいたが、若い兵の抱擁は少しもゆるまなかった。腹を押し付け、胸にも圧力をかけてくる。ちょうど下から絞り上げられるような形になり、ブラウスの中の乳房がひどく窮屈になった。苦しくてたまらず、「くぅっ……」とうめいて逃れようとしたが、どうしようもなかった。
 ブラウスが、水を詰め込まれた風船のようにぱんぱんに張り、内側からの圧力に耐えられなくなった。プチプチッ! と立て続けに音がしてボタンが飛び、次の瞬間、ブラジャーからなかばはみ出した豊満な乳房が、あふれるように現われた。
「ひっ……」「ふ、副長っ!」
 驚きに目を見開いた水兵が、しゃにむに顔を押しつけた。子供のように夢中になった水兵の顔面によって、自分の乳房がたゆたゆと揺れながら激しく形を変えるのを、オリエはなすすべもなく見つけた。
 後ろのほうも無事ではなかった。抱きついた兵がスカートを歯でかんでめくりあげていた。黒のストッキングでぴっちりと絞り上げられた量感のある尻が現れ、ショーツが見えると、興奮した様子で叫んだ。
「赤だぞ! 副長、なんで赤なんか履いてるんですか!」
「く……ぅ」
 オリエは唇を噛んで声を殺した。もとより教えてやる義理などないが、男の前で着飾れない分、見えないところぐらいは綺麗にしたくて買い換えたのだから、言えるわけがなかった。
「む、むねっ、おっぱい! さいこぉ!」「たまんねぇ……」
 このまま最後までされてしまうのだろうか、と絶望しかけた時、不意にオリエの片手が自由になった。信じられないことだが、若い水兵が愛撫に夢中になって、乳房に触れるために抱擁をやめたのだ。
 オリエはとっさに手を伸ばし、壁にかけられていた殴打用のスタンバーを握って振り下ろした。ガツッ! と音を立てて若い水兵の後頭部に当たる。
「ぐあっ!」
「離しなさい!」
 顔を上げた水兵と目が合った。途端にその男は脅えた猫のように飛びすさった。背後の兵も異変に気づき、そろそろと身を離した。
 オリエは壁の手すりをつかんで身を翻し、二人をにらんだ。上官として叱責しなければいけないと思ったが、女としての恐怖で心が縮み上がっていて、とても無理だった。涙が漏れているのがわかる。泣き声をこらえるのが精一杯だ。
「か、かん……」
 言いかけて、必死にこらえた。艦長を呼んで処分を任せても、この状況なら臆病でも卑怯でもない。だが、そこで一段強く自制するのが、今の自分のしなければいけないことだと思った。
「……艦長には、黙っておく。ただし、次、次にやったら即刻処分だ」
「副長……」
「返事! へ、返事!」
 かすれて力の入らない声が情けなかった。しかし、二人の水兵は敬礼した。
「アイアイ、メム」
「よし」
 外へ出て扉を閉めてから、みじめな思いで破れたブラウスをかき合わせた。完全に理不尽な考えだが、ロンズギンがこのことを察してここへ来てくれればいいのに、と思った。

 口にくわえた円筒がびくびくと収縮し、先端から断続的にジェルが飛び出した。半ばはそのままごくり、ごくりと飲み、半ばは口の中に溜まるに任せて、オリエはそろえた四本の指で注意深く筒の根元をしごいた。弾力を感じるほど濃い精液がかなり長い間、出続けた。
 男性にとっては射精がすべてだとわかってきたので、その瞬間は特に念入りに気持ちを込めた。根元近くまで飲みこんで唇で締めつけ、ペニスの途中に残っている精液までぬちぬちと搾り出す。オリエの口の中はツンと生臭いにおいのする精液で満たされた。ちゅぽ、とペニスを抜く。
 しばらく処分に迷った。初めての口内射精だ。
 壁にもたれたロンズギンが一息ついて、ハンカチを差し出した。
「すまんな、ほら」
「……んーん、んん」
 首を振ると、オリエは頬をすぼめて粘液を喉に送りこんだ。呑みこむのが一番手っ取り早かった。
 こく、こくとすっかり嚥下すると、自分のハンカチを取り出して口の周りをぬぐった。目の前に、白くぬらついたロンズギンのペニスがまだ出ている。もう一度手にとって、だいぶ柔らかくなったそれに丁寧に舌を這わせた。
 大体きれいになったと見て取ると、下着に収めてズボンのベルトをかけるところまでやった。じっと見下ろしていたロンズギンがつぶやいた。
「誰かに習ったのか?」
「いいえ?」
 オリエは不思議そうに言い返した。彼女としてはしたいことをやっただけだ。別に男性器が好きなのではない。ロンズギンを心地よくする方法を考えたらそうなったのだ。
 とはいえ、自分たちの行為の卑猥さは十分わかっていた。でなければ人目を避けて港湾の倉庫の隅でしたりしない。
 額の汗をハンカチでぬぐいながらロンズギンが言った。
「やれやれ、手間をかけるな」
「だって、こんなところで脱ぐわけにはいきませんし……」
「脱がなくともできたんだが。まあいい、次は私だ。交替してくれ」
「え?」
「君が壁だ。私が下だ」
「そんな、そこまでしていただかなくても……」
「違う違う、したいんだ」
 からかうような光が彼の目に浮いているのを見て、しぶしぶオリエは承諾した。
「お断りしておきますけど、シャワーは昨日の晩でしたからね」
「同じ艦に乗っていて何を言っとる」
 オリエは壁にもたれてスカートを腰までたくし上げ、ショーツごとストッキングをくるくると下ろした。布に押さえつけられて平たくなった恥毛が現れ、滑らかな下腹にこもっていた甘酸っぱい体臭がむっと立ちのぼるのを、顔を赤くしてオリエは見つめた。
「どうぞ……」
 へそまでたくし上げたスカートと、膝までずり下ろしたストッキングの間だけ、切り絵のように裸になった。軽く開いた太腿の間にロンズギンが顔を寄せ、くちゅくちゅとしゃぶり出した。触れ、こすり、潜りこんでうごめく舌の感触を、オリエは目を閉じて味わった。
 その途中だ。何もこんな時にと言いたくなるようなタイミングでロンズギンが訊いた。
「武器庫でどこまで触られた?」
「えっ?」
 オリエは動揺し、すぐに「んぁっ!」と叫ぶ。クリトリスを吸われた。
「一等兵と伍長が君になにやら仕掛けたようそうだな」
「ご存知なんですか?」
「機関長から聞いた。どうなんだ、本当か」
「あ、んあ、本当です。でも……」
「状況は?」
「っんあ! 入ってすぐ、抱きすくめられましたっあ」
「なぜ抵抗しなかった。逃走は」
「しましっ、た! 最初に叱責したんです。しかしっ、へん、じがなかったので中へ入っ」
「その時点で君のミスだ。人を呼べばよかったものを」
「でもあんなことをされるなんて予想っ、も!」
「予想するんだ。君は君が思ってる以上に変わったぞ。色気が出てきた。若い兵などの前に出るのは危険だ」
「そ……そう、なん、っく、でしょう、かぁ……」
「そうだとも。それで無事だったのか」
「はい……いえ、いいえ。むね、を……」
「胸?」
「抱かれて、ボタンがぁ、飛んでぇ……見せて、しまって……」
「大きすぎるのも考え物だな……それで?」
「さわられて……かお、ぐりぐりぃって……」
「こうか」
「え? ひぃやぁぁんっ!」
 どっぷりとオリエの股に顔を突っ込んだロンズギンが、深々と舌を突きこんだまま顔をなすりつけた。ただでさえ柔らかい粘膜とひだがとろとろにかき回される。見る間にオリエはこぼれるほど濡れ、腰が崩れてへたりかける。
「そっ、そんなにされてません!」
「本当か」
「ほっ、ほんとうれすぅ、ああ、ディランっ、それ漏れっ」
「どうやってやめさせた?」
「す、スタンバーで殴って……逃げま……んぃいぃひっ!」
「なぜだ」
「やっ、ちょっと待、はなしっ、話できまっ」
「なぜ報告しなかった。懲罰ものの事例なのに」
「らって、らってぇ、でぃ、ディランがぁ」
「私が?」
「ディランがわたしの言いなりだと思われちゃったらぁ……」
 不意に顔が離れた。はぁー、と息を吐いてオリエはずるずると崩れる。白い頬が桃のように赤かった。
 その崩れかけのオリエの両脇にロンズギンが手を突っこみ、壁に叩きつけるようにして持ちあげた。垂れ流しの股間を丸出しにしたまま、ひっ、とオリエは息を詰める。
「そういうのは、言え。判断は私がする」
 灰色の瞳が険悪に光っていた。いつの間に回復したのか、彼の股間には今までにないほど激しく勃起したペニスがあった。
 オリエは数秒のあいだ脅えすくみ、彼がどういう状態なのかにはっと気づいた。あわてて片手を膝にやり、焦った動作で片足だけパンプスとショーツとストッキングを引き抜いた。
 つま先までむき出しで自由になった左足を、胸に抱くようにして曲げる。ロンズギンに向けて十分股を開くことができると、オリエは期待しながら聞いた。
「……妬いてくださってるんですよね?」
 答えは、無言で挿入されたペニスだった。大きい、などという言葉でごまかさなくてもいい、はっきり「硬い」と言い切れる杭のようなものがずぶりとオリエの中に入ってきた。
「ディランっ……!」
 ぐいっ! とオリエの下腹が押し上げられた。ぐいっ! ぐいっ! と何度も立て続けに。壁との間に挟まれて腰が潰れ、子宮にジンジンと波のようなしびれが走る。ロンズギンは薄笑いのような表情を浮かべ、片腕をオリエの頭に回して引き寄せた。接吻。オリエからもむさぼるように求め、こぼれるのも構わず唾液を交し合う。
 一度放ったあとなのに、驚くほど早かった。二十分もたたないうちに、ロンズギンがオリエの腹をずっぷりと貫いてううっとうめいた。「きゅうぅぅんっ!」と身をすくませて甲高く鳴くオリエ。子宮へ噴き上がってくる鋭い奔流を受けて、足の指先まで縮ませる。
 抜くと、大さじで垂らしたように白濁があふれて、真下のショーツもストッキングも汚れ果てた。今度こそべったりと床に尻もちをついたオリエが、放心状態でつぶやいた。
「ごめん……なさい……もう、油断しません……」
「ああ。――すまん、ちょっとやりすぎた」
 艦の燃料を使いすぎた、というようなそっけない口調でロンズギンが言った。
 オリエがうっすらと微笑む。
「でも、また妬かせてみたいです……」 
 男はふいととぼけるように目を逸らした。

 4

 ディラン・ロンズギンは馬鹿の二文字から遠く隔たったところにいる男だが、神のごとき叡智を誇るというわけでもなかった。それどころか彼は、自分が解決できないでいると感じる問題を、人一倍多く抱えていた。
 小は、オリエの問題。今のところ彼女のことは、四十男の節操にかけて、一途に愛していると言える。しかし彼女との関係ははなはだ不安定で、何らかの手を打つ必要がある。
 中は、艦内の問題。ロンズギンの考えるプライオリティにおいて、光学戦艦レイリーは最上位に、オリエよりも上に位置している。オリエとの関係が艦に悪影響を与えるならばオリエを切らねばならない。むろん、そんな事態にならないようにするのが男としての務めだが。
 実際、難儀なことだ! 本人は気づいていないが、オリエの人気はレイリー一艦に留まらない。艦隊中に彼女のファンがいる。ワスピアナ宇宙軍士官学校を三位卒業、幹候過程における総合採点一千百八点、星航、操艦、戦術、諜報各養成教程における適性、Aマイナス以上(ただし指揮のみB)、そしてそれらの好成績がすべて、宇宙軍がはかせたゲタではないかと噂されたほどの、清楚な美貌と派手なプロポーション――。
 そんな高嶺の花のまま、こともあろうに十年独身。
 昔のようにアイドル扱いでちやほやされるということはなくなったが、決して楽ではない軍隊暮らしを十年続けたということで、逆に兵の敬慕は増している。オリエを襲った兵がいたそうだが、あれが発覚したのはロンズギンが調べたからではない。犯人の様子がおかしいことに仲間たちが気づき、ロンズギンに知らせてきたのだ。レイリー艦内にはオリエに対して抜け駆けをしない、という紳士協定までできていた。
 オリエ本人が正式に申告しなかったので処罰という形は取れず、二人はよその艦へ送るしかなかったが、どうやらその前にリンチを受けたらしく顔に傷ができていた。
 そんなオリエとロンズギンが関係を持ったことが艦内に知れたら――どうなるか、ちょっと見当がつかない。レイリーのクルーは士官によくなついているが、まあよくない影響が出ることは間違いないだろう。
 そして一番大きな問題として、宇宙のことを考えねばならない。
 正確に言えばワスピアナとツアモツの関係だが。
 ロンズギンは、両勢力の摩擦熱が発火点に達した、第一次ツアモツ紛争の時からつぶさに成り行きを見ている。その彼の感じでは、三度の紛争が起こった今でもとうてい火が消えたとは言えなかった。供安法関係の不満がツアモツ市民の間にくすぶっている。この供給安定法という法律は、ワスピアナがツアモツに対して食品や酸素やチップなどの必需品を極めて安く売るよう定めている。
 表向きはツアモツの消費者のためだ。しかしこれは平たく言えばツアモツから関税をかける権利を奪う法律だ。だからツアモツの生産者はやきもきしている。法律さえなければ自給できるのに、と。
 昔とちっとも変わらない。生産業の植民地が植民地としての立場に満足し続けたことなどありはしないのだ。
 ロンズギンは、その植民地を制圧する立場である。いや、だったというべきか。二十五年前には供安法は生きていた。ツアモツの人々は冗談のような安値で送られてくる必需品に随喜の涙を流していた。一握りの生産業者が関税をかけろと叫んでも、ワスピアナはおろかツアモツ内部にも賛同者はいなかった。だからロンズギンは乱を鎮めた。
 今は逆だ。成長したツアモツはもう輸入を必要としていない。供安法は死んだ。
「……ところが、我々はかつてないほど強力な軍事力を持っている」
 レイリーの艦長室で、離婚してしまったロンズギンはため息をつく。

 光学戦艦レイリーはほぼ三週間のサイクルで出港と帰港を繰り返し、訓練とパトロールに励んでいる。
 その船が今回ファカラバ基地に帰ると、ヒバリが乗ってきた。
「うっわーあこれが本物の戦艦? せまっ、ドミトリーより狭い! くさっ、人間くさいよ? くらっ、本が読めないじゃない! ねえ、私ペーパー読むのよ。キャプテンにも貸そうか?」
 ヒバリは赤毛だった。炎のような鮮やかな赤。艦艇乗員のジャケットとズボン/スカートの制服ではなく、宇宙機用の与圧服を着ている。十九歳の若々しいボディラインを誇示するためなのは聞くまでもない。ピーチクパーチクとやかましくさえずりながら、広くもないレイリーの艦内を飛び回った。
 ピナ・カーネリア・グースカス、とわかりやすい名前がついている。わからない人間も式典の一つにでも出ればすぐ知るだろう。ロンズギンは上官の第三戦隊司令官からその名を聞いたときにすぐ理解した。
 彼女の後ろにつきしたがって艦内を一回りしたロンズギンは、艦橋に戻ってくると、おもむろに声をかけた。
「グースカス少尉――」
「だぁめ♪」
 いきなり振り向いてロンズギンの唇に指を当て、娘はにやっと笑った。
「ピナって呼んで、キャプテン」
「ピナ少尉」
「ただのピナ!」
 ロンズギンはあきらめた。この娘をエアロックから放り出すか、さもなければ全面的に従うかだ。しかしこの娘には艦上査察官というわけのわからない役職名がついていて、放り出すことはできない。丁重に遇するしかなかった。
「ピナ」
「なあに、キャプテン」
「レイリーは光学戦艦なので暴れないでもらいたい」
「どうして?」
「望遠鏡の足をつかんでぐらぐら揺さぶったらどうなると思うかね」
「望遠鏡はこんなに大きくないわ」
「大きな望遠鏡なんだ、この艦は。性能の八割が制振能力に依拠している。むやみと衝撃を与えられると、それが波になって構造を往復し、君が考えもつかないほど長い時間、残留する。それでは三千キロ先は狙えない」
「わかったわよ、暴れなければいいんでしょ。でも個室には照明を追加してもらえる?」
「正規の少尉に与えられるのは四人部屋なのだが」
「ええ、そう聞いてるわ」
 笑顔のピナとロンズギンは見詰めあった。この娘をめちゃくちゃに泣かせてやりたい、と思うほど若くはなかった。
「おはようございます」
 艦橋にあでやかな花が咲いた――と思ったのは、オリエが入ってきたからだ。彼女はジャケットをあまり着けずにブラウスだけで行動することが多い。白と金の花のように見える。
「あら……」
 ピナに目を止めて戸惑った顔をした。別に彼女だけではなく、ロンズギン以外の全員がピナの来訪を知らなかったのだが、副長としてそれではいけないと思ったようだ。真顔になって――つまり叱られる覚悟をして、ロンズギンに聞いた。
「この方は?」
「ピナ・カーネ……」「ピナです、よろしくね」
 本人がふわりとオリエの前に降り立った。ひとまず名乗ることにしたらしく、オリエが笑顔で言った。
「光学戦艦レイリー副長、オリエ・シュフィールド大尉よ。そのスーツは航科の学生さん?」
「残念でした、乗組員です。本日付けで戦艦レイリーに配属されました!」
 と敬礼してからぺろっと舌を出した。
「これいっぺん言ってみたかったの!」
 オリエが困惑して目を向ける。
「艦長……?」
「乗組員だ。一番近い表現をすれば、オブザーバーということになる」
 それ以上の説明はピナに禁じられていた。できるだけ普通の乗組員として振る舞いたいという要求である。もちろんそれは乗組員と同じようにこき使ってくれという意味ではない。彼女が従うのは、彼女が従いたい時だけ――そんなところだ。
「副長」
「はい」
「すまんが部屋を開けてくれ。ピナが使う。君は女性士官室に入れ」
「――了解」
 レイリーでは艦長や副長だけしか個室を持っていない。それを取り上げることには重い意味がある。しかしオリエは黙って承諾した。
 ピナはそんなことに頓着しない。思い切り飛んでロンズギンに抱きついた。
「ありがと、キャプテン♪ 夜にご招待するわ。一緒に飲もう?」
「艦内にアルコールはない」
「大丈夫だって、ちゃんと持ってきてるわ。私、まだハーネルのカクテルしか飲めないの」
「ピナ……さん! そういう意味ではないわ、艦内は禁――」
 オリエが声を上げたが、身を翻したピナが今度は彼女に飛びついた。
「わかってるって、だから内密に、ね?」
「内密ですって――」
「私、酒乱じゃないのよ。ちょっと気分よくなるだけ。誰にも迷惑かけないから」
「あなたね――」
「急に押しかけてごめんね、お詫びに荷物はこぶの手伝うわ。おばさんの部屋、どこ?」
 オリエは黙った。
 ロンズギンは、言いたくもないことを言わねばならなかった。
「副長、行け。艦長命令だ」
「了解」
 どんな時でも、彼の声に対しては、オリエは痛々しいほど従順だった。

 三週間の航行中、ピナは好きなように振る舞った。最悪なのはロンズギンが気に入られたらしいことだ。
「ねえキャプテン、エンジンを見てみたいわ」(走行中にタイヤに首を突っ込むようなものだ)
「ねえキャプテン、艦を操縦してみたい」(スティックとスロットルで動かせるとでも思っているのか?)
「キャプテン、レーザーを撃たせて! デコイ相手でいいから!」(シーケンサー制御だと何度言っても、手動があるんでしょと食い下がってきた)
 わかっているのかいないのか、生命にかかわるようなことはやらないのだ。それをやりさえしてくれれば閉じこめる口実ができるものを。
 ロンズギンは立場上、叱ることができない。すると彼の部下もピナに対して強く出られない。一週間もすると艦橋に妙な空気が漂い始めた。本来、艦内の絶対者であるべき艦長の権威が無視されて、クルーの序列が怪しくなってきたのだ。士官の命令を受けていた当直員がピナに用事を言いつけられて別のところにいってしまったり、ピナに関して言い争いが起きたりした。
 そういう雰囲気と懸命に対抗していたのが、オリエを始めとする一部の上級クルーだった。彼女らは入れ替わり立ち代わり艦長室を訪れて訴えた。
「ピナを軟禁、いえ、せめて立ち入り禁止区域を守らせてください。彼女、反陽子取扱区画にまで入り込んでいましたよ。一歩間違えばレイリーが沈みます!」
「艦上査察官っていうのはでっち上げの肩書きなんでしょう。ありゃどう見ても学校出たてのお嬢さんだ。教えてもらえませんか、あんなのを預かることになった経緯を。私の口の堅いのはご存知でしょう……?」
 しかしロンズギンは誰に対してもこう答える。
「彼女は戦隊司令の命令で乗艦させている。邪魔をしてはならん」
 そんなことを言われれば逆に鬱屈するのが人間というものだ。いきおい矛先はピナに向かい、食事の時間をわざと間違えて教えるとか、彼女がくるとぴたりと会話をやめるとかいった嫌がらせが起きた。
 オリエに限ってそういうことはなかった。彼女は決して嫌がらせに加担しなかった。私情を殺し、艦内秩序の維持に努めようと、傍目にもわかるほど苦心していた。
 しかし、そんな彼女ですら、一度――
「副長――シュフィールド大尉」
「サー?」
 訓練の合間の空域移動航行中、水兵が艦橋から出ていくと、ロンズギンは彼女に声をかけた。艦橋では他の幹部がそれぞれの務めを果たしている。
 振り向いた彼女に目配せして、そばまで近寄らせた。勤務中だと心得た上で、それでも、硬い表情の隅に声をかけられた嬉しさをにじませていた。
 ロンズギンは顔にも声にも感情を出さない。
「いまの水兵に何を命じた」
「サー、艦外硬服の一部に装具不良があるとの報告を受けたので、交換を命じました」
「装具不良とはなんだ」
「還元キャニスターの樹脂触媒が古くなっていたのです。使用期限まであと一週間でした」
「そんな細かいものの交換部品があったか。触媒ならば再生処理にかけないのか」
「再生処理は手間がかかるので……」
「何と交換した?」
「予備の艦外硬服とです。艦長、触媒は期限が切れても腐りません。しばらくは使えます」
「そうとも限らん。ものによっては期限が切れてすぐにだめになることもある。この場合は再生するのが正しい処置だ」
「アイ、サー」
「魔が差したな」
「――艦長?」
 ロンズギンはうつむいて言った。
「もし今このときに退艦の必要が生じたら、プラス一の乗員は予備を着ることになる。正規と予備の重要度はまったく同じだ。いつもの君ならば予備だからといって軽んじはしまい」
 見なくてもわかったが、視線を上げた。
「どうせピナが着るのだから、と思わなかったか」
 オリエの顔色が変わった。おそらく本人も自覚していなかったのだろう。自分に悪意があったこと、そしてロンズギンに容赦なくそれを指摘されたショックが、彼女を打ちのめした。
「も……申し訳ありません……」
「再生処置だ」
「アイ、サー」
 消え入りそうな声だった。
 視界の端で何かが動いた。振り返ると、艦橋入り口のドアにピナがもたれていた。彼女がいつからそこにいたのか、ロンズギンは知らなかった。

 航行を終えて帰港しても、なぜか今回は人事や補給の仕事でやたらと忙しく、なかなかオリエとの逢瀬が持てなかった。
 やっとその時間をもてたのは次の出港の前夜だった。オリエからメッセージが入り、ファカラバ基地内にある、民間資本が経営する繁華街を指定してきた。
 現代の入港中の戦艦が昔ともっとも異なる点は、半舷上陸という制度を取らないことだ。ほんの二、三名の緊急対処員を除いては全員一度に上陸することができる。これはもちろん、宇宙には不意に襲来する嵐も、夜中に錨鎖を這い上がってくる密航者もないからである。艦長と副長が同時に艦を離れられるのもそのおかげだ。
 しかしこのときに限って、ロンズギンは少しだけ困惑した。繁華街となると軍服で行くわけにはいかない。目立ってしまう。しかし私服で行くとなると、今度は艦を出る時に乗組員の目に留まる。わざわざ着替えを持ち出してどこかで替えるという、手間をかけるしかなかった。
 待ち合わせの場所に着いて驚いた。
「オリエ……?」
「ディラン」
 時計塔を模した瀟洒な建物の前で、空色の柔らかそうなワンピースに白いカーディガンをかけ、ハンドバッグを両手でちょこんと抱えて、女は待っていた。髪は後ろに垂らしてバレッタ留め、足元は透明なシリコンの可愛らしいサンダル。――目立たなくしてみました! と全身で頑張っているような姿だ。
 少女のように期待を込めた目でロンズギンを見上げた。
「ね、これはどうでしょうか?」
「……うん、いいな」
 悪くはないがそれは三十一歳の晴れ着じゃない――などと口に出すことはなかった。あまり人のことを言えた義理ではないのだ。ロンズギンもオリエと同じく、軍服か、さもなければ礼服しか着たことがなくて、私服の見当のつかない人間だった。
 オリエは喜んでくれたが。
「ディランも、素敵です」
「そうかね」
 どうということはない、スタンドカラーのワイシャツにベストとジャケットを重ねただけだ。中年で人並みの体形の男ならば、誰にでも似合う枯葉色の服装。
「しかしこれはこれで」
「はい」
「どこにでもいる夫婦者のように見えるかもな」
「やだ……」
 変にはしゃがずに片手を頬に当てる仕草は、ちゃんとした大人のものだった。
 運良く港にレイリー以外の艦が入っていなかったし、乗組員が街に繰り出す時間も避けた。角を曲がるときに少しあたりに気をつけるだけでよかった。適当に歩き、適当に店を冷やかし、ロンズギンが昔から知っている小さなレストランで食事をした。その席で、オリエがすっかり上機嫌になっているわけがわかった。
「ピナ・カーネリア・グースカス、ですか」
「調べたのか」
「いいえ、戦隊司令からその名前で問い合わせがあったんです。どんな具合か、と」
 ロンズギンは黙ってチキンに入れたナイフを動かした。オリエが微笑む。
「グースカス宇宙軍大臣の関係者なんですね」
「……大臣の、とは限らん。グースカス一門は宇宙軍上層部に根を張っている」
「その誰かの娘さん?」
「それもわからん」
「娘さんかお孫さんが宇宙戦艦に乗りたいとわがままを言い出し、第三戦隊司令に命令が降り、困った司令に頼まれて断りきれずに、ディランが引き取った。――そういうことじゃありませんか」
 ロンズギンは小さくうなずいた。それだけでオリエは満足したようだった。
 食事を済ませてホテルに入っても、オリエの機嫌のよさは続いた。わずかな香水でうまく香り付けした柔らかな体を、ロンズギンの愛撫に任せて、服も脱がずに最初の交わりを起こさせた。広げられたスカートと脚の間でロンズギンが果てると、体を離し、一度裾ですべてを隠して、萎えたロンズギンへの奉仕を始めた。
「お、オリエ……」
「ふぁい」
「脱ごう。裸がいい」
 二人で全裸になると、最初はあなたが動いてくれたから、と横たわるよう言われた。ロンズギンが仰向けになると、体を添えたオリエがペニスに顔を近づけようとして、ふと言った。
「時間は、まだありますか」
 泊りじゃないか、と言おうとしてロンズギンは気づいた。時間があるかどうかではなくて、二回戦をするかと聞いているのだ。それも、直接質問すると物欲しそうに聞こえるし、もしロンズギンが断るつもりなら気を使わせてしまうから、ほのめかすような言い方をしている。
「あるよ。そうさな、あと二回分ぐらいは」
 オリエは安心したようにうなずいてフェラチオに取りかかった。
 再び勃起したロンズギンにまたがって、ゆっくりと尻を上下させながらオリエが言う。
「あなたの立場はわかります。上にはやっかいごとを押し付けられて、下からは文句を言われて、当のピナ本人は手のつけられないはねっ返りで……困りますよね」
「ああ。……起こしてくれ」
 両手を伸ばし、オリエに引かせて上体を起こした。あぐらをかいてオリエの体重を支え、しっかりと抱き合う。性器をつなげているのは心地いいが、ロンズギンぐらいの年になると体全体が温もるほうがいい。あまり上下運動には身を入れず、粘膜同士を軽くこね合う程度に腰をひねって、指と唇のほうに専念した。
 ロンズギンの頭に鼻と唇が触れ、すうすうと温かい呼気とともに声をかける。
「そのうえ私まですねたら、ディランにひどい心労が……」
「まったくだ、勘弁してくれ」
「んふ♪」
 ちゅ、と頭皮にキスされるとともに、たゆたゆと揺れる乳房を左右から顔に押し付けられた。
「私のことは大丈夫です。私、ディランを癒したい……重荷にもなりたくないんです、私を、あなたの好きなように扱って」
 オリエの動きが遠慮がちに、ロンズギンの興奮をうかがうように激しくなる。ロンズギンの腹をオリエのふっくらした腹がうねうねと滑りあがり、高く反りあがったペニスを、クリームをまとった陰唇が上下にこそぐ。腰は前後にも軽くくねり、ペニスを曲げるような方向に力をかけているので、脂身のようにぽってりした粘膜からきつく圧迫される。
 射精欲がこらえようもなく高まり、ロンズギンは予告するのがせいいっぱいだった。
「オリエ、すごいな……も、もうすぐ……」
「これでいいんですね? 続けますね……」
 絶頂は、オリエがクリトリスを押し付けるように、くいっと軽く腰をくねらせた時にきた。両手でオリエの尻をしっかり引き寄せて射精する。オリエはまだだったらしく、ふうっと熱い息を吐いて少しの鳥肌を立てただけで、声を上げるまでにはいたらなかった。
 ロンズギンの射精が済むと、彼を中に収めたままで、オリエもぐったりと体を預けて一息ついた。
「おつかれさまです。……私、よかったですか?」
 オリエは最初の夜から、ロンズギンの膣内射精を拒もうともしない。もちろん、薬一つで完璧な事後避妊ができるからだろうが――
 それでもロンズギンは、オリエが隠しきれていないねっとりした感情を嗅ぎ取ってしまうのだった。

 その頃のオリエが将来のことを考え始めていたのは、確かだった。
 考えないはずがない。女の身で戦艦の副長にまで上り詰めたが、艦長の適性がないことは自分でもわかっている。おそらく、もし次に昇任があれば基地勤務の管理職に回される。基地ともなれば艦上と違って、女性軍人も大勢いる。男性にも既婚者が増える。そしてこの先、自分の容色は留めようもなく失われていく。
 もうあまり余裕が残されていないということだ。どういう結果になるにしろ、ロンズギンとの関係には人生がかかっていると考えるべきだった。
 しかし、そんな打算を抜きにしても、オリエはこの恋を実らせたかった。
 初めてとは言わない。十代の頃にはそれなりの想いも抱いた。しかし、相手の人格の深いところまで知った上で、添い遂げたいと願うような本物の恋は、これの前にはなかった。これの後にもあってほしくない、とさえ思う。
 彼の想いを受け、彼の手に触れられ――彼のしるしを残したかった。  
 ホテルに泊まった翌朝、ロンズギンに先に出てもらい、時間差をつけるために横たわっている間、そんなことを考えた。三十分ほど待って外へ出る。そのあと直接艦へ向かわず、艦隊司令部へ寄って用事を済ませたので、帰艦したのは昼すぎになった。
 ファカラバ基地の無重力埠頭から、ボーディングチューブを伝って舷門をくぐろうとしたところで、エアロックの当番兵に呼び止められた。
「副長、ちょっと」
「なにか」
「ピナ士官から伝言をお預かりしています」
 ピナは階級すら呼ばせないので、困った水兵たちはそんな呼び名を奉っている。オリエは眉をひそめる。
「伝言?」
「はっ。帰艦したら艦長室に来てほしいと」
「……なぜそんなことを?」
「わかりません」
 水兵は気まずそうに目を逸らせる。ピナとオリエの折り合いがよくないことは艦のすみずみまで知れ渡っている。ほとんどの兵はオリエの肩を持っているが、進んで首を突っ込もうという者もいなかった。
 いぶかしみながらオリエは艦長室に向かった。
「艦長、失礼します――」
「どうぞ」
 ドアを開けたのはロンズギン本人ではなく、ピナだった。彼女の格好を見てオリエは思わず声を上げた。
「ピナ、それはなんのつもり?」
「今日から艦長付きの給仕をやるわ」
 赤毛の娘は与圧服の上にエプロンをつけていた。オリエは赤くなる。無重力下では食べ物が飛び散るから、エプロンをつけること自体はおかしくない。しかし体にぴったりした与圧服の上にそれをつけられると、妙に場違いで扇情的に見えた。
 いや、問題はそんなことではない。
「聞いていないわ。給仕は尉官の仕事よ、なぜあなたが?」
「あたしだって少尉よ。階級に不足はないと思うけど」
「本艦には本艦のやり方があるんです!」
「そういう古株のしきたりみたいなものは知らないわ。今の艦長がいいと言えばいいんじゃない?」
「こんなことで艦長のご命令を仰ぐ必要はないわ。ピナ、あなたの行動は目に余ります。すぐに外へ――」
「副長」
 ピナとオリエは振り向いた。デスクにいたロンズギンが横を向いたまま言った。
「下がれ」
 デスクに置かれたトレイに、食べ終わった食器が積まれていた。
 オリエはピナを見た。ピナは、ありがたいことに、口笛でも吹きそうな顔でわざとらしく目を逸らしていた。それでよかった。目が合ったらまた文句の一つも言っていただろう。
「……失礼しました」
 ドアを開けて廊下へ出たとたん、吸引クリーナーを抱えた水兵が目の前を横切っていた。廊下の左右を見ると、どちらにも作業中の兵がいる。本当に作業をしているのでないことはひと目でわかるが。
 オリエは無視して宙を滑り出した。胸のうちの不快感を顔に出さないよう努める。ロンズギンがピナを叱れない理由は昨晩聞いたばかりだが、それでも、こう露骨に特権を見せびらかされると平静ではいられなかった。ロンズギンもロンズギンだ、苦境にいるのはわかるが、もう少しピナを牽制してくれてもいいのに……。
 する気がなかったら?
「――まさか」
 オリエは手すりをつかんで静止する。不安が夕立雲のように膨れあがる。ロンズギンはお嬢様のわがままをそれほど不快に思っていないのではないか? ああ見えてまんざらでもないのでは。それが証拠に、というのも妙だが、ロンズギンは十七歳も年下のオリエを抱いてくれた。もしロンズギンが年下好きなら、オリエより若いピナのほうが断然有利だ。
「そんなことは……」
 ない、と言い切れるのか。言い切りたい、言ってもいいと思う、誠実なロンズギンは自分を嫌ったりしない。――でも、とオリエは気づく。たとえ彼がオリエを好いたままでいてくれても、現実が違う方向に進むことはありうるのだ。ありうるではなくて、すでに一度そうなった。
 ロンズギンは上官の勧めを断りきれず、政略結婚をしたことがある。
「ディラン……!」
 オリエは片手でぎゅっと自分の体を抱いた。顔色が青ざめて冷や汗が出た。
「おい、変だぞ」
「副長、大丈夫ですか!」
 廊下の隅から水兵たちが飛んできて――やっぱり様子をうかがっていたのだ――肩をつかんでくれた。かろうじてオリエは貧血から立ち直り、頭を振ってみせた。
「だ、大丈夫。心配ない」
「心配ないってことがありますか、そんな真っ青で」
「ピナ士官にひどいことを言われたんじゃありませんか?」
「医務室まで送りますよ」
「いい、ありがとう」
 口々に言う兵士たちを片手で押しのけて、女性士官室に戻ろうとしたオリエは、ふとあることを思い出した。今朝できなかったことを、部屋に戻ったらするつもりでいた。
 今は、それをしたくなかった。
「……やっぱり、医務室まで頼む」
 振り向いて言うと水兵たちが目を見張り、次の瞬間、タンカだ酸素だと大騒ぎをし始めた。

 しかしオリエの深刻な悩みは、三週間後にあっさり消えてしまった。
「お邪魔しました! 楽しかったわ、この艦。艦長は素敵だし艦内はきれいだし――副長も優しかったしね」
 そう言い残して、ピナが艦を降りてしまったのだ。レイリーの皆が拍子抜けした。ことにオリエはがっくりきた。彼女としてはピナと仲良くする気には到底なれず、さりとてロンズギンに嫌われるような意地悪をするわけにもいかず、板ばさみになって苦しんでいたのだ。埠頭を去っていく彼女を見送った後は、気がゆるんだのか急に体調が悪くなり、三日ほど寝込んでしまった。
 だがともかく、災難は終わったのだと思っていた。

 5

 ピナが去ってから三週間後に、光学戦艦レイリーは長距離航行準備を命じられ、その翌週に準備を完了、ファカラバ基地を出港した。
 出港後に艦長が命じたのは、惑星ツアモツの公転から逆行する方向での加速だった。レイリーは中心恒星に対する公転速度を失い、落下を始める。軌道計算をするまでもなく、艦内の全員が察した。これまでのようなツアモツ星系内での戦闘が任務ではなかった。
 内惑星帯のワスピアナ本星へと向かっているのだ。それはこの艦がおよそ半年、目的地での寄港が不可能ならまる一年以上、航行を続けるということを意味した。惑星間航行が始まったと知った艦内には怠惰な雰囲気が漂い、任務の種類がわからないこともそれを後押しした。防諜上、ロンズギンが明かさなかったのだ。
 それでも軍艦には、無為の長期航行を乗り越えるための習慣というものがあり、乗組員はそれに従って、訓練や艦の整備に精を出した。
 最初は誰も気づかなかった。
 出港一週間後に、まずコックが気づいた。
 その一週間後、艦の軍医が気づいた。
 その二週間後、女性士官たちが気づいた。
 その二週間後には全艦が気づき、それでもなお、誰一人そのことを大っぴらに言えなかった。
 その翌週、とうとうロンズギンが気づいて呼びつけた。

 艦長室に入ってきたオリエの姿を見たロンズギンは目を疑い、次いで、自らを呪った。それに気づかなかったことを、ではない。オリエが自分を避けていることに気づきつつ、自分から会おうとしなかったことをだ。
 紺のジャケットとタイトスカートをまといながら、下腹をぽっこりと膨らませた、滑稽な体形のオリエに向かって、ロンズギンは歯ぎしりをこらえるように言った。
「妊娠か」
「……はい。五ヵ月に入りました」
 オリエは無表情だった。片手で壁面のアシストバーにつかまって気を付けをしようとしていたが、誰かに押さえつけられたようにその頭が垂れた。左手がおずおずと腹をかばう。
「軍医には?」
「まだです」
「なぜだ」
「見せたら発覚します」
「隠す意味があるのか」
「隠そうとはしたんです。しています。いっしょうけんめい……」
「しかしもうばれている。全艦にだ。どうするつもりだ?」
「どうって、どうするって」
 オリエが顔を上げた。見る間にその顔をゆがめて、悲鳴のように甲高い声を上げた。
「どうしたらいいんですか? この子、一体どうしたら……」
「オリエ?」
「どうしましょう、艦長、ごめんなさい!」
 顔を覆うと、堰を切ったように泣きじゃくりながら、オリエは切れ切れに声を漏らした。
「すみません、私が悪いんです。あの朝ちゃんと薬を飲んでおかなかったから! 信じてください、たくらんだんじゃないんです。ただ漠然と、ディランがしてくれたのに薬で打ち消すようなことを、したくなかっただけなんです。気持ちが収まったら飲むつもりでした。でも、次の日もその次も忙しくて飲み忘れて、まさか一度でと思っていて……」
「……自分で気づいたのは?」
「遅かったです。八週目……出港の一週間前です。二回も生理が来なかったからようやく疑って……」
「なぜその時点で手を打たなかった。今はもう無理でも、その頃なら手術なりなんなりできただろう」
 オリエが叱られたようにぎゅっと目を閉じた。そして唇を震わせて言った。
「堕ろしたく……ありませんでした」
「……」
「すみません、艦長、すみません……」
 オリエはうつむいたが、腹には両手を当て、しっかりと抱きしめていた。
 ロンズギンはもう、事務的なほど乾いた口調で言う。
「こうなることはわかっていただろうに」
「はい……」
「現役士官が任務中に妊婦だと発覚するなど前代未聞だ。まずもって処罰は免れん」
「はい……」
「五ヵ月と言ったな。生まれるのは?」
「あと五ヵ月半ほど……」
「到着予定日か、少し遅いぐらいだ。つまり戦闘の真っ最中になる」
「戦闘……」
「実戦のど真ん中で君は赤ん坊を生み、私は副長と軍医なしでレイリーを戦わせることになるわけか」
「すみません艦長、本当に、本当に……ごめんなさ……」
 戦闘と聞いて息を呑んだオリエが、わなわな震えながら口走ったが、途中で口を押さえて泣き崩れた。
 その頭上に、艦内放送の声が降ってきた。
「全艦へ、ロンズギンだ。総員呼集」
 オリエが不思議そうに顔を上げた。ロンズギンが硬い顔のままで目配せした。
「来たまえ」
 食堂に移ったオリエは、乗組員が揃うまでの間、彼らの好奇の目を浴びて身を縮めていた。隣で堂々としているロンズギンに頼みさえした。
「艦長、処分で結構ですから、下がらせていただけませんか?」
「それだけでは済まん」
 乗組員がほぼ揃うとロンズギンが話し始めたが、それはオリエが予想したことと違った。のみならず、誰もが驚くようなことだった。
「クルーの諸君――今から話すのは、先だって本艦に乗り組んでいた艦上査察官のピナ少尉のことだ。諸君の中には、彼女の名を聞いた者もいたと思う。ピナ・カーネリア・グースカスというのがその名前だ。グースカスといえば今の宇宙軍大臣だ。彼女が大臣の娘だと考えた者もいただろう」
 ざわめきの中で一息ついて、彼は言った。
「そうではない。彼女は大臣の娘などではなくて星間情報局ISISのエージェントだ。艦上査察官という妙な肩書きは、まさに彼女の任務の実態を表していた。小娘のふりをすることで艦のあらゆる場所に入り込み、クルーの勤務態度からエンジンの整備状況まで、細大漏らさず調べていたのだ」
 皆が静まり返った。
「グースカスという名は、まさに高官の血縁だと思われることを狙った、まったくの偽名だ。そんな十九歳の娘は存在しない。十九歳の姿自体、おそらく本物ではないだろう。ISISのエージェントは卓越した変装技能を持っているという」
「艦長はそれをご存知だったのですか」
 士官の一人が訊いた。ロンズギンは首を振った。
「途中からだ。昔の伝手を頼って調べるのに手間取った。聞いた話では、彼女に入り込まれた他の艦は軒並み作業効率が大幅に下がって、問題解決能力が低いとみなされたそうだ。幸い本艦ではそれほどのトラブルもなく彼女を送り出すことができた。諸君の忍耐のおかげだ」
 皆が驚き、ことにオリエはぽかんと口を開けていた。忍耐のおかげなどと言われると、かえって忸怩たるものがある。自分たちは艦長の苦労も知らず、ピナを邪険にするようなことばかりしていたのだ……。
 ロンズギンは全員を見回した。
「本艦は信頼するに足るという評価を得た。今回の任務はそのために与えられたものだ。我々は敵艦隊を追撃している。ツアモツの爆撃艦隊がワスピアナ本星へ向かっているのだ」
「爆撃艦隊!?」
 皆がどよめいた。砲光長が興奮気味に言う。
「それは大変なことだね。今までツアモツがワスピアナ本星に仕掛けてきたことはない」
「そうだ、重要な任務だ。失敗すれば多くの命が失われるだろうし、成功すれば大きな功績になるだろう。――しかし私が言いたいのはそういうことではない」
 ロンズギンが黙ったので、じきに皆も静かになった。やがてロンズギンが重い口調で言った。
「敵艦隊と言っただろう。今回、彼我の戦力差はきわめて大きい。敵艦隊は対空武装のある爆撃艦三隻と、対艦レーザー兵装のある艦が一隻だ」
「――つまり、我々と同じ光学戦艦がいるということですか」
「戦艦と言えるほどしっかりした船かどうかわからんがな」
 沈黙に緊張の色がついた。光学戦艦の光学系というのは高度なテクノロジーの塊である。植民地のツアモツがそんなもので挑んできたことは、過去一度もなかった。
 少なくとも、実戦では。
「ダメージを受ける可能性が大きい」
 ロンズギンが断定するように言った。
「我々は危険に近づきつつある。諸君、覚悟を決めてくれ」
 抑えつけられたような沈黙が満ちた。
 その沈黙のさなか、食堂の一番はしで、ずっともじもじと帽子をいじっていた男が、声を上げた。
「あのう……艦長」
 それはコックのバジルという男だった。振り向いた皆の前でバジルは言った。
「副長は戦闘に参加されるんですか?」
 いっせいに全員がオリエを見た。――オリエの膨らんだ腹を。
 唾を飲みこむ音が聞こえるような沈黙のあとで、ロンズギンがはっきり言った。
「無理だ。シュフィールド大尉は私の子供を妊娠している」
 おう……と男たちの吐息が重なった。それが消えないうちに、水兵の中では最古参の先任軍曹が昂然と声を上げた。
「ちょっと待ってくださいよ、妊娠している、だぁ? よくもぬけぬけとそんなことを言えたもんですな」
 軍曹は壁を蹴ってロンズギンのすぐそばの壁まで飛んできた。続いて同志らしい三、四人の男たちもやって来る。オリエは思わず割って入る。
「さ、下がれ! これは私の不届きで、艦長に責任は……」
「勘弁してくださいや副長、こればっかりは上官もクソもありません。副長がよくても俺たちが収まらねえんだ。一体何人があんたを狙って――いや、憧れていたと思います?」
「何人……って」
「レイリーだけでこれだけだ。全艦隊で百人は下りませんぜ」
 五人ほどの男たちを見て、オリエは困惑して言葉に詰まる。いくら好意があっても、意に反してまつりあげられたのでは嬉しくない。
 オリエが手を引いた隙に、軍曹がロンズギンに腕を伸ばした。肩章のついた肩をつかんで顔を覗きこむ。
「そういうわけです。よその連中の分も含めて、落とし前つけさせてもらいますよ。覚悟はいいですか? 艦長――」
「いいから始めろ」
 言うが早いかロンズギンは軍曹の腕を引き、反対の腕でパンチを放った。白手袋をはめた拳が頬にめり込み、軍曹はくるくると回りながら吹っ飛んだ。
「おっ」「そうこなくっちゃ!」
「あ、おい、おまえたち……」
 一人だけ、士官の航行長が声をかけたが、残る水兵たちは聞こうともしなかった。慣れた動きで散らばってロンズギンを囲み、いっせいに殴りかかる。
「やっちまえ!」
 ロンズギンは善戦した。身をかわし、殴り返し、投げ飛ばし、何度も男たちをはねのけた。
 だが所詮は管理職の悲しさで、体を張って熱や真空や質量と戦っている水兵たちの敵ではなかった。顔に一発が入ってふらつき、腹に追加を食らうともうだめだった。囲みの中から抜け出せず、袋叩きになった。
「艦長、艦長! ちょっと、やめて――」
 オリエが半泣きで制止しようとしたとき、耳元で鼓膜が破れそうな大音響がガンガンと響いた。
「おーい、KOだKO! 勝負あり!」
 コックのバジルだった。おたまで大鍋のふたを叩いている。男たちがチッと舌打ちしてロンズギンから離れた。代わりにオリエが飛びつく。
「艦長、大丈夫ですか?」
「うむ……たいしたことはない」
「ここ、出血しています、こっちもすごいあざ! 早く手当てをしないと……」
「あわてるな、かすり傷だ。アッツツ……」
「これは反乱です、こんなことって許せません!」
 振り向いて軍曹たちをにらんだオリエは、ふと妙な顔になった。今まで敵意をむき出しにしていた男たちが、ばつの悪そうな顔で肩をすくめているのだ。
「副長、あんたねえ……そんな風に、女の子みたいにあわてちゃって……」
「女だ、私は! 何を言ってる!?」
「ちぇっ、くそっ……」「こう見せ付けられちゃな」「ああ、やってらんねえ」
 苦笑する顔、男泣きに泣き出す顔。子供のようだ。戸惑うオリエに近づいて、航行長が耳打ちした。
「副長、この件はここだけのことにしてください。あれが連中のはなむけなんですよ」
「はなむけですって?」
「副長が幸せになるのは祝ってあげたいが、今まで黙っていた艦長の水臭さも許せないんですよ。艦長はわかっていてケンカしてやったんです」
「け、ケンカって……軍規は、罰則規定は」
「そんなものは司令部が考えることでしょ。連中はこれで十分なんですよ」
 オリエはもう一度水兵たちを見た。航行の鬱屈まで晴れたようで、さばさばした顔をしていた。
 バジルが前に出てくる。
「出港してすぐにわかりましたよ、副長の食べ物の好みががらっと変わってましたから。つわり、ひどかったんでしょう? そういうことは早く言ってくれなくちゃあ……。これからはカルシウムと鉄をどんどん摂らせますからね。無重力での妊娠ってのは難儀なんですから!」
 それが引き金になったように、男たちがどっとオリエを取り囲んだ。
「体、大事にしてくださいよ!」「敵には指一本ふれさせませんよ!」「嫁に渡されたアミュレットをあげますよ、安産だったんです」「艦長にひどいことされたらいつでも言ってください! ぶちのめしてやります!」
「おまえたち……みんな……」
 右を見、左を見たオリエは、ついに顔を覆ってしまった。
 今までとは反対の気持ちで。

「それにしたって、こんなにひどく殴らなくてもいいのに……」
「許してやれ。私が連中の立場だったらこんなものではすまさん」
 ロンズギンを診た軍医が、私の出る幕じゃありませんと救急箱を渡して引っこんだので、オリエが艦長室で彼の手当てをしていた。上半身を裸にして、腕や背中のあざに湿布を貼る。
「そうなんですか?」
「君を誰かに奪われたら、そいつを殺してしまうかもしれん」
「……ディラン」
 オリエは手を止め、潤んだ瞳で男を見つめた。眉間のしわと無精ひげの目立つ顔が、にやりと笑った。
「心中、優越感でいっぱいだよ」
「もう……」
 そっと寄せられた顔に唇を重ね、長いキスをした。最初は唇の感触を確かめ合う程度だったが、すぐに舌が入り、濃厚にからみあった。
 唇を離すと、ロンズギンが視線を降ろした。
「見せてくれ」
「え?」
「服の上からではよくわからん」
 腹に手を当てて、オリエは冗談を言われたような顔で答えた。
「見せるんですか? そんな、見て楽しいようなものじゃないと思いますよ」
「見たいんだ。君が医者に見せるのかと思うと余計に腹立たしい」
「はあ……」
 オリエがためらいがちにジャケットを脱ぎ、ウエストに手をやった。タイトスカートの細い腰周りは自分でスリットを入れることで解決してあって、延長したベルトのバックルが突き出していた。
 細身のベルトを外して、スカートを下ろす。白のブラウスが、突き出した腹から垂れ幕のように垂れた。オリエの顔が赤い。スカートを途中で手を止めてちらりと目を上げる。
「ね、見苦しいでしょう」
「続けろ」
「……」
 スカートを脱ぐと、太腿の一部だけがしっとりした素肌を見せた。白いガーターストッキングを履いている。ブラウスのボタンを下半分だけ外し、左右に開くと、オリエの腹部があらわになった。
「こんな感じですけど……」
 おずおずと突き出された腹は、しかしまだ膨れあがるというほどではなかった。元の細いウエストに料理用のボウルを追加したほどの大きさで、もともと胸の大きいオリエは乳房のほうが標高が高い。
 ロンズギンが体を低めて、オリエの腰骨をつかみ、引き寄せた。「あっ……」と抵抗しかけたオリエが、思いとどまって見守る。目を近づけると、へその周りの肌がぴんと張りつめて、つやつやと光っている。手で触れると、膨張した子宮の硬い弾力が感じられた。
 温かみを与えるように手のひらを当てて、ロンズギンが言う。
「どうして薬を飲まなかった?」
「……不安だったんです、ピナが艦長にまとわりついて」
「あんなのが趣味だと思われたのか。心外だな」
「趣味ではなくて、以前のように上の斡旋を受けておられたのかと……」
「それに耐えられるようなら離婚などせんよ。そんなこともわからなかったのか?」
「頭がいっぱいだったんです」
 オリエは後悔を噛みしめる。もっと冷静に行動していればよかった。乗組員に認められたといっても、幸せに子供を産める状況とは程遠い。ロンズギンと子供を作るにしても、もっとましな時期や場所がいくらでもあった。
 そんなことを考えていると、腹を滑り降りた手が股間に入ってきたので、オリエは身をすくめた。
「あっ……ディ、ディラン?」
 ロンズギンの様子が変だった。白く輝く腹に口付けしながら、腹のふくらみによって下へ押し下げられた、細いショーツをまさぐっていた。恥毛で浮き上がった布ごとくしゅくしゅ触れていたのはわずかな間で、すぐに布の横から指を入れて直接ひだに来た。
「ちょっと、待ってぇ……」
 耳たぶのように乾いているひだを、骨太の指がくにくにと挟み、突く。二ヵ月以上していないオリエにとってはえも言われず心地よく、じわりとした熱さが簡単に湧いてしまう。焦って押し離そうとした。
「ディラン、艦内っ。か、艦内ではだめっ、したら歯止めがっ」
「種付けだ」
「種付け……?」
 ロンズギンがさらに体を下げ、オリエの腰を持ちあげて股に顔を入れようとしながら言った。
「この子はつけようと思ってつけた種じゃない、偶然の産物だ。そんな状態のまま産ませてたまるか。オリエ、君が子を産むなら、それは私が本気で孕ませたものでなければ許さん」
「ディラン……!」
 ゾクゾクと背中を寒気が駆け上って、オリエは我が身を抱きしめた。初めてロンズギンが、妊娠を許す言葉をくれた……。
「開け」
「はい……!」
 命じられるより早くストッキングに包まれた脚を自発的に開けた。妊娠していっそうたっぷりと肉のついた太腿の奥を、左右にピンと伸びたショーツが隠している。二本の脚を担ぐようにロンズギンが顔を埋め、布ごと嗅ぎ回ってから、唇でめくって舌を入れた。
「腹は立つが、早めに軍医に見せろよ」
「こ、この後でですか……?」
「む、そうか。……まあ構わん、ここまで来たらはっきりさせておくのがいいだろう」
 妊婦の心得をこっそり調べていつもより清潔にしておいたオリエは、ほっとする。ロンズギンはいつにも増して、飢えたように深くすすり上げてくる。以前よりはるかに強い羞恥にあぶられてオリエはぶるぶると肌を震わせる。今の体は初めて結ばれた頃のようなきれいなものではない。
「あ、余りしないで、私、太っちゃ……」
「そうか? よくわからん……まあ一時的なものだろう。君のお母さんだって四人も産んだとは思えないスタイルだった」
「なっ、なんで知ってるんですか?」
「艦長だからな、艦の全員の家族情報を把握している」
「だからってお母さんの写真まで……ひっ、んっ!」
「もうあきらめろ、抵抗するな」
「ていこう、できませぇん……」
 栓が抜けたようにとろとろと潤みが漏れ、体が煮えていくのを止められなかった。夢うつつになりながら身を任せてて、しどけなく開いた脚からショーツを抜き取らせる。暗い桃色のひだが解放されると、再び口での愛撫が続いた。つながるまでもなく底なしの海にオリエは落ちていく。
 前を半分開けたブラウスとガーターストッキングで、中途半端に装われただけの女の体と、がっしりした裸の上半身を見せたいかつい男の体が、ぎゅっと挟まれて濡れた部分を中心に、ゆっくりと室内を自転する。じきに二人の放つ熱が換気能力を上回り、果実をしぼったような甘い香りと、野生を感じさせる獣の匂いが空気を満たしていった。
 湿布の貼られた腕が巧みに動き、先へ行くほどすんなりと細いオリエの体を後ろから捕らえた。ロンズギンが腰骨を両手でつかみ、後ろから貫こうとしていると知ると、オリエは微笑んで軽く尻を上げる。
「そうっとですよ。もう満員なんだから……」
「こうか?」
 ガーターで縁取られたパン生地のようにふっくらした尻の間、うっすらと口を開ける濡れたひだの中の洞に、血管を浮かせるほどいきりたったペニスが食いこんだ。
「あ、あぁ……? で、ディラン、こんなぁ!」
「くっ、オリエっ、そ、そんなにびくびくと……!」
 溶けたひだを押し分けて性器がもぐりこんだものの、半ばのところで二人ともが声を上げた。オリエは興奮しきったロンズギンの怒張に戸惑い、ロンズギンは過敏になったオリエの激しい痙攣に驚かされた。
 ためらいがちの動きがそっと始まり、それが正しかったとわかった。ロンズギンが目を閉じ、オリエの尻や腹をゆったりと撫で回しながらささやく。
「これは……すごいぞ。すごく嬉しげだ。こんなに震えて……」
「は、はいぃ、なんだかすご、くぅっ! ディランに、ディランに出してもらえるって思うとぉ……」
「ほ、ほしいのか?」
「はい、はいっ。ほんとはこうしたかったの、こうやって注いでほしかった……」
「きつさがすごい……こんな具合で産めるのか、オリエ……」
「ディランこそ、なんですかこれぇ……あ、赤ちゃんこわれちゃいそぉ……」
 若者の暴走するようなセックスにはとうてい及ばない、チークダンスを思わせるゆったりした動きでひだに出し入れする。しかし動きの濃さはずっと上だった。互いの肌を毛穴一つまで知ろうとするようにさすり合う。抽送それ自体を目的として粘膜を滑らせる。
 ロンズギンは膣に飲まれたペニスの裏側に、普段よりずっと過敏にひくついている何かを感じていた。ブラウスの上にじっとりと乳を染み出させた乳房を、ブラウスごと五指を広げて揉みしだきながら、オリエの耳元でささやいた。
「このひくひくしているのはなんだ?」
「やっ、やぁ……」
「なにか我慢しているだろう? そのせいでこれほど締め付けているな?」
「そ、そんなこと、言われても……やっ、だめっ、ごりごりしないでぇっ!」
「我慢できるのか……?」
「あっ、圧迫されるんです! やめて、待って、出ちゃうぅ!」
 オリエは尿意をこらえていた。膨らんだ腹の下で膀胱が圧迫され、さらにいつになく激しく勃起したロンズギンに突かれて、あふれる寸前だった。そのせいで細かく痙攣していたのだ。
 ロンズギンは許さなかった。近くに浮いていたシャツを丸めて結合部にあてがった。
「悪いが、このまま追い込む。君もいってしまえ」
「そっ、そんなぁ……っ♪」
 ロンズギンが最後の動きをはじめた。片手で腰骨をつかみ、片手を腹に回して、大切そうにオリエを抱える。一番奥まで入れると当たってしまうことに気づいている。そのほんの少し手前まで、痛まないように丁寧に、長いストロークで繰り返し突きこんだ。
「さあ、そろそろだ……オリエ、俺のオリエ、おまえの腹に……」
「ディ、ディラン、愛して、いっぱい愛してぇ……」
「ああ、行くぞ、そらっ、そらっ……そらっ……!」
「はぁ……ぁんんっ……!」
 オリエははじけながら溶ける。全身を断続的にびくつかせて汗の玉を散らせ、子宮全体を危険なほど収縮させてきゅうっと引き締める。そこにロンズギンがなだれ込んでくる。オリエと同じように、意志を越えた筋肉の震えを起こして、溜め込まれていた濃密な体液をどくどくと撃ち込んでいく。
「さあ、これで、俺の子だ……!」
 射精の終わりごろに、ロンズギンが筋力を振り絞るようにして萎えかけたペニスを奮い立たせ、一番奥まで突きこんできた。じゅるっ、と満ちた精液の流れが感じられる。それがオリエは泣いてしまうほど心地よかった。
「んぁ、ああああ……ぁ」
 きつく閉じた目に涙を漏らして絶頂を味わう。真っ白に広がったそれが薄れるにつれ、体の力がふんわりと消えていった。
 しっかりとつながった二人の体。その中心に当てられたシャツが、小さな水音とともに湯気を立て始めた。

 妊婦など診たことがない軍医は、オリエと胎児の健康に太鼓判を押すまで、二日もかけた。
 大柄な女性士官の私服をもらって、即席のマタニティ服に仕立てたオリエは、艦長室にやってくると微笑んで報告した。
「順調だと思う、ですって。多分、女の子らしいです」
「頼りない医者だ」
 渋面のロンズギンに少し近づいて、オリエがちょっと顔をしかめて見せた。
「でもあっちはほどほどにしろですって」
「余計な世話だ」
「違うんです。あまりしすぎると、刺激でホルモンが出て早産してしまうって……」
「なに……」
 オリエはびっくりした。ロンズギンの顔色がそんなにはっきり変わったのは初めて見たので。
「早産だと? 大丈夫か!」
「だ、大丈夫です。よほどのことがない限り影響はないそうですから」
「なんだ……脅かすな」
「心配ですか?」
 オリエは、その後のロンズギンの顔を長い間忘れなかった。
 四十八歳の軍人は目を細め、妊婦の腹にそっと手を当てて言ったのだ。
「私も初めてなんだぞ。子供ができたのも、生ませたいと思ったことも」

 ――十四ヵ月後、光学戦艦レイリーはツアモツ星系ファカラバ基地に帰港する。その時の艦長はベリル・サウレン中佐、副長はダッカード・シングラス大尉である。
 ワスピアナ宇宙軍史はレイリーが四隻の敵艦を沈めたことしか語っていない。その戦闘中にあったはずのもう一つのドラマ、そしてレイリーが戦闘後に寄港したワスピアナ本星での、喜劇めいた深刻な騒動にも触れていない。軍史はただ、二人の将校の名を忘却する。
 しかし、そんな仕打ちができるのもわずかな間だ。
 二十一年後――

「エルカ・ロンズギン幹部候補生少尉……希望は戦艦勤務か」
「女の身で、なぜ今、戦艦に? ツアモツは火薬庫も同然だ。わずか一回の戦闘で事態が収まったレイリー号の時とはわけが違うぞ」
「帰る?」
「帰るとは、どこかの星にかね――宇宙?」
「宇宙戦艦がふるさとだと?」

 ――ワスピアナ宇宙軍史は、ロンズギン提督の名を迎える。


― 終 ―



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