水無瀬恋十五首歌合 ―海辺の恋―


←はじめへ 五十六番〜六十番 題「海辺恋」 →つぎ(川辺恋)へ


〔海辺恋〕海辺の風物に託して恋の心を詠む。先例としては、藤原定家の「殷富門院大輔百首」に同題の詠があり(『新古今集』所収)、『六百番歌合』には「寄海恋」「寄海士恋」などの題がある。
波に濡れた海人の袖を恋の涙に絡めて詠んだ例が多く、源重之の名歌「松島やをじまの磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか」(『後拾遺集』)の影響の大きさが窺われる。


五十六番 海辺恋
   左              俊成卿女
契りしを我がみひとつに松島やをじまの浪の音ばかりして
   右             有家朝臣
松島や恋せぬあまのぬれ衣ぬれてもしばしほさぬ物かは

両方、又松島なり。左、「我がみひとつに」といへるもよろしきを、右、「恋せぬあまのぬれ衣」と侍る、いたくたちまさるにこそ。

左(俊成卿女)
契りしを我がみひとつに松島やをじまの浪の音ばかりして


【通釈】約束したのに、私は一人ぽっちで待つのねえ、松島の雄島で。ここは、波の音が聞こえるばかりで…。(あの人の足音は聞こえない。)

【語釈】◇松島―陸奥国の歌枕。宮城県松島湾。「待つ」を掛ける。◇をじま―雄島(御島)。松島湾内の島であろうが、平安時代、どの島を指していたか不詳。現在雄島(御島)と呼ばれているのは松島海岸に近接する小島で、渡月橋で海岸と結ばれている。古来霊場とされ、見仏上人修行の地としても名高い。ただし重之の歌では普通名詞の小島(をじま)であったろうとの説もある。◇音ばかりして―親長本は「跡ばかりして」。これだと「波の寄せる跡ばかりで、あの人の足跡はない」の意になる。

【本歌】源重之「後拾遺集」
松島やをじまの磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか

【補記】海岸で恋人を待つ海女の風情。「我が身ひとつに松島や」は俊成の褒める秀句であるが、下句ではぐらかされる。「松島やをじまの浪」と来れば「浪=涙に濡れる」と続くのが通例であるのを、「音ばかりして」と結んだところにヒネリがあるのだろうが、だからと言って面白くはない。

右(有家)
松島や恋せぬあまのぬれ衣(ごろも)ぬれてもしばしほさぬ物かは


【通釈】恋などしていないのに、浮き名を立てられた、松島の海人――濡衣を着せられたら、ちょっとは疑いを晴らそうとしないだろうか、するに決まっているじゃないか。

【語釈】◇ぬれ衣(ごろも)いわゆる濡衣(ぬれぎぬ)。事実無根の浮き名。身に覚えのない恋の噂。◇ほさぬものかは―「ほす」は浮き名を雪(そそ)ぐ意を掛ける。「ものかは」は反語。否定の辞に続くときは、「…ではないだろうか、そうするに決まっている」という意をあらわす。

【本歌】左歌に同じ。

【補記】松島の海人の濡れた袖を恋の涙に譬えた本歌をいわば反転させて、恋をしていない海女の濡衣を詠んだ。身に覚えのない噂をかけられれば、誰だって浮き名を雪(そそ)ごうとするに決まっている、と濡衣に抗議する歌である。

■判詞
両方、又松島なり。左、「我がみひとつに」といへるもよろしきを、右、「恋せぬあまのぬれ衣」と侍る、いたくたちまさるにこそ。


【通釈】両方とも、同じ松島です。左の「我がみひとつに」と言ったのも結構ですが、右の「恋せぬあまのぬれ衣」とありますのが、甚だ優れています。

▼感想
俊成卿女のは本歌取りとは言えないかも知れないが、源重之の歌を踏まえてはいる。いずれも、本歌を思い切ってデフォルメしたような歌である。



五十七番
   左             親定
いかにせん思ひありその忘れ貝かひもなぎさに波よする袖
   右              宮内卿
友とみて伊勢をのあまに宿からん物思ふみは袖もかわかず

左、「思ひありその」とおきて、「かひも渚に浪よする袖」、いとをかしくこそ侍れ。右、「友とみて」といへる、ことなることなくや侍らん。左尤もかちに侍るべし。

左(後鳥羽院)
いかにせん思ひありその忘れ貝かひもなぎさに波よする袖


【通釈】どうしよう、消えない恋の思いを。まるで有磯(ありそ)の浜にむなしく打ち上げられた忘れ貝――忘れようとする努力も甲斐なく、渚にしきりと波が寄せるように恋心は私を襲い、袖を涙で濡らすのだ。

【語釈】◇ありそ―有磯海(ありそうみ)。越中国の歌枕。今の高岡市から氷見市にかけての海岸。「(思ひ)あり」を掛ける。歌枕紀行「有磯海」参照。◇忘れ貝― 不詳。離れ離れになった二枚貝の片割れを言うとする説、アワビ貝を指すとする説などがある。現在「わすれがい」と呼ばれている貝は、マルスダレガイ科ワスレガイ亜科ワスレガイ属の貝である。用例は万葉集から見られ「大伴のみ津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや」(身人部王)など。◇かひもなぎさに―「貝も渚に」「甲斐も無き」の掛詞。

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
ありそ海の浦とたのめしなごり浪うちよせてける忘れ貝かな

【補記】波にもてあそばれる忘れ貝のイメージが、恋を忘れようとするむなしい努力を表象する。声調・イメージが分かちがたく結びついた佳詠。

【他出】「後鳥羽院御集」1606。

●右(宮内卿)
友とみて伊勢をのあまに宿からん物思ふみは袖もかわかず


【通釈】(いつも波に袖を濡らしているという)伊勢の海人を友と思って、宿を借りよう。恋に悩む自分は、一向に袖が乾かないので。

【語釈】◇伊勢をのあま―伊勢の海人。「すずか山伊勢をのあまのすて衣しほなれたりと人やみるらん」(伊尹『後撰集』)など、「をじまのあま」同様、ひどく袖を濡らす人の例。

【校異】群書類従本は第二句「伊勢雄のあまに」とするが、この「を」は特に意味のない間投助詞であって「雄」を宛てるのは不適当であるので、親長本に従い、平仮名に改めた。

【補記】俊成の「いかにせん室の八島に宿もがな恋のけぶりを空にまがへん」(『千載集』)に発想を借りた歌であろう。宮内卿のは下句があたりまえすぎて、感興という程のものもない。

■判詞
左、「思ひありその」とおきて、「かひも渚に浪よする袖」、いとをかしくこそ侍れ。右、「友とみて」といへる、ことなることなくや侍らん。左尤もかちに侍るべし。


【通釈】左は、「思ひありその」と置いて、「かひも渚に浪よする袖」(と結んだのが)、大変興趣深くあります。右は、「友とみて」というのは、格別なことはないのではないでしょうか。左が当然勝つべきです。

▼感想
あらゆる意味で後鳥羽院の歌がすぐれていて、宮内卿の歌は花を添えるばかり。歌枕の使い方の巧拙にもはっきりと違いが出ている。



五十八番
   左             左大臣
打ち忘れもにすむ虫はよそにしてすまの余りに恨みかけつる
   右              雅経
契りきなさてやは頼む末の松まつにいくよの波はこえつつ

右、「まつにいくよの波はこえつつ」といへる、えんに侍るを、左猶心ふかく侍るにや。仍て勝と付け侍りしなり。

左(良経)
打ち忘れもにすむ虫はよそにしてすまの余りに恨みかけつる


【通釈】藻に棲む虫――「われから」という名を持つ虫はうっちゃって、つまり自分の意思からした恋だということは忘れて、須磨の海人ではないが、余りにひどく、あの人に恨みをかけてしまった。

【語釈】◇もにすむ虫―藻に棲む虫。下記本歌より「われから」を指す。海藻などに付着している甲殼類の虫。「割れ殻」の意という。◇虫はよそにして―「われから」(自分の心から)ということは置いておいて。◇すま―須磨。今の神戸市須磨区南部。畿内と西国との境をなす関があった。◇余りに―「あま(海人)」を掛ける。◇恨みかけつる―「恨み」に「すま」の縁語「浦」を掛ける。

【本歌】藤原直子「古今集」
あまのかるもにすむむしの我からとねをこそなかめ世をばうらみじ

【校異】末句、底本は「恨みかねつつ」。親長本・有吉保氏蔵本・秋篠月清集(天理図書館本)・若宮撰歌合(有吉保氏蔵本)、すべて「うらみかけつる」とするのに従い、改変した。なお桜宮十五番歌合(書陵部蔵本)は「うちわすれもにすむむしのよそにして須磨の泊にうらみかけつつ」。

【補記】「物名(もののな)歌」ならぬ「物名隠し歌」とでも言うべきか。海辺に関する縁語を列ねて、恋人に恨み言を浴びせかけた自身を顧みる。技巧的な面白さだけでなく、歌に盛った情趣にも新味がある。

【他出】「若宮撰歌合」十番右勝、「水無瀬桜宮十五番歌合」十番右勝、「秋篠月清集」1446。

●右(雅経)
契りきなさてやは頼む末の松まつにいくよの波はこえつつ


【通釈】心変わりはすまいと約束したわよね。だからって、あてになどできるだろうか、行く末は。私は待っているのに、あなたは末の松山を越える波よろしく、幾晩も他人のところへ通い通いして…。

【語釈】◇契りきな―契りを交わしたよなあ。この「な」は軽い確認の意を添える。◇さてやは頼む―それで安心できるだろうか、いやできない。◇末の松―本歌「末の松山」を踏まえる。「末」は将来の意を響かせ、「松」は「待つ」を導く。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山波もこえなむ
  清原元輔「後拾遺集」
ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつすゑのまつ山なみこさじとは

【補記】上記本歌の「末の松山を波が越える」は、あり得ないことの譬えであり、また心変わりすることの譬えであるが、雅経の歌では、末に「行末」、松に「待つ」を掛けて、本歌を巧みに換骨奪胎している。

【他出】「明日香井和歌集」1108。

■判詞
右、「まつにいくよの波はこえつつ」といへる、えんに侍るを、左猶心ふかく侍るにや。仍て勝と付け侍りしなり。


【通釈】右は「まつにいくよの波はこえつつ」と詠んだのが艶ですが、左はさらに情趣が深いのでは。よって勝と付けたのです。

【語釈】◇えん―艶。人目を引き付けるような優美さや華やかさ。

▼感想
いずれも優艷な本歌取りの作で、本題では一番の好勝負であろう。心の深さで良経の勝となったのは納得できる。



五十九番
   左             前大僧正
心あるいせをの海士のぬれ衣ほすべき波の折をしらばや
   右              定家朝臣
別れのみを島の海士の袖ぬれて又はみるめをいつか刈るべき

左右いく程の勝劣なく侍るとて、持に定め侍りしなるべし。

左(慈円)
心あるいせをの海士(あま)のぬれ衣ほすべき波の折をしらばや


【通釈】伊勢の海人は衣をしょっちゅう濡らしているが、心得があって「乾す暇はある」と聞く。いったいいつ波が凪いで、衣を乾かす時機がくるものか、それを知りたいものだ。(恋の苦しみで涙に濡れてばかりいる私の衣の袖も、乾かす機会がないものか。)

【語釈】◇心ある―心得がある。物事をわきまえている。◇ほすべき波の折―波が凪いで、衣を乾かすことができる折。

【本歌】藤原親隆「千載集」
しほたるるいせをのあまの袖だにもほすなるひまはありとこそきけ

【補記】当歌合の前月、和歌所で催された「撰歌合」に詠出された宮内卿「心あるをじまのあまの袂かな月やどれとはぬれぬものから」の影響が窺われる。

【他出】「拾玉集」4957。

右(定家)
別れのみを島の海士の袖ぬれて又はみるめをいつか刈るべき


【通釈】別れを惜しみ、雄島の海人のように袖を濡らして…。再び逢える日にいつめぐり逢えるのだろうか。

【語釈】◇別れのみ―この「のみ」は強調の意を表わし、「だけ」の意は無い。◇を島―五十六番左に既出。「惜し」を掛ける。◇みるめ―海松(みる)に同じ。浅海の岩に生える、緑藻類の海藻。若芽は食用にした。「見る目」と掛詞になり、「みるめをかる」で「恋人に逢う機会を得る」意になる。

【参考歌】「伊勢物語」「新古今集」
みるめ刈るかたやいづこぞ棹さして我に教へよ海人の釣舟
  藤原実国「千載集」
しほたるる伊勢をのあまやわれならんさらばみるめをかるよしもがな

【補記】「やさしくもみもみと」(後鳥羽院御口伝)詠んだ、定家らしい歌。

【他出】「拾遺愚草」2547。

■判詞
左右いく程の勝劣なく侍るとて、持に定め侍りしなるべし。


【通釈】左右の歌、どれほどの優劣もないということで、持に定めたのでしょう。

▼感想
海人の袖を詠んだ合せ。両者の特徴はよくあらわれた歌だが、いずれも彼らにとっては平均値の作であろう。



六十番
   左              権中納言
磯なつむいせのあま人我が袖をたぐひとみらんことぞ悲しき
   右             家隆朝臣
藻塩たれひるまもなきをわくらばにとへどもまたじすまの波風

左の歌、「類ひと見らん」など、古今の歌の詞出でくべしともみえ侍らぬにや。右の歌、「とへどもまたじすまの波かぜ」、尤も勝に侍るべし。

左(公継)
磯なつむいせのあま人我が袖をたぐひとみらんことぞ悲しき


【通釈】磯菜を摘む伊勢の海人は、私の濡れた袖を見て、似た者同士と思うだろう。そのことが悲しい。(私の思いを知ってくれる人などいないのだ。)

【語釈】◇磯な―磯で採れる、食用の海藻。◇たぐひ―同類・仲間。

【校異】「いせのあま人」、右傍に異本参照「(いせ)をのあまの」とある。また親長本は下句「たぐひとみえんことやかなしき」。

右(家隆)
藻塩たれひるまもなきをわくらばにとへどもまたじすまの波風


【通釈】須磨の波風にあたりながら、塩焼の藻に海水をかける――その藻が乾く暇もないように、私はずっと泣き濡れて過ごしています。たまたまにでも手紙を寄越してくれたって、待つつもりなどありませんよ。

【語釈】◇藻塩たれ―海藻に海水を掛けて焼き、塩を採る。「しほたれ」(塩水=涙を垂らす)を掛ける。◇ひるまもなき―干る間もなき。◇すま―五十八番左に既出。

【本歌】在原行平「古今集」
わくらばにとふ人あらばすまの浦にもしほたれつつわぶとこたへよ

【校異】◇すまの波風―右傍に異本参照「(すまの)浦(風)」とある。

【補記】須磨で蟄居する身の侘しさを詠んだ本歌を、恋歌に引きなした。これも家隆の作としては平均的な出来であろう。

【他出】「壬二集」2808。

■判詞
左の歌、「類ひと見らん」など、古今の歌の詞出でくべしともみえ侍らぬにや。右の歌、「とへどもまたじすまの波かぜ」、尤も勝に侍るべし。


【通釈】左の歌、「類ひと見らん」など、古今集の歌の詞に出てきそうにも見えないのでは。右の歌、「とへどもまたじすまの波かぜ」、当然勝でしょう。

【語釈】◇古今の歌の詞…―規範とすべき古今集で使われそうにない詞遣いということ。



つぎへ歌合目次へやまとうた目次へ


最終更新日:平成13年1月29日