水無瀬恋十五首歌合 ―旅泊の恋―


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〔旅泊恋〕旅の宿泊地における恋の心を詠む。類似の題「旅宿恋」は『金葉集』藤原忠通詠、『詞花集』隆縁法師詠、『清輔集』、『重家集』、『教長集』などに見えるが、「旅泊恋」という題の前例は見当たらない。当歌合では、船中で夜を明かす不安な心情に、恋の憂愁を重ねている例が多い。


四十六番 旅泊恋
   左              俊成卿女
都おもふ心のはてもゆくへなき芦やの沖のうきねなりけり
   右               宮内卿
いまはとてあかで出でにし曙にゐなのみなとも月ぞかはらぬ

右、「あかで出でにし」、すこし心かすかなるにやときこえ侍るを、左、「芦屋の沖」も、さまできこえられて侍らねば、持となんかし。

左(俊成卿女)
都おもふ心のはてもゆくへなき芦やの沖のうきねなりけり


【通釈】芦屋の沖に停泊した舟で、波のまにまに漂う「浮き寝」――都で待つ恋人を思う心もあてどなく不安で、旅先のさびしい独り寝であることよ。

【校異】底本、初句は「都をも」。結句は「うきねなりとも」。意味が通らないので、親長本により、それぞれ「都おもふ」「うきねなりけり」に改めた。

【語釈】◇芦や―芦屋。摂津国菟原郡。今の兵庫県芦屋市あたり。「伊勢物語」八十七段に由り歌枕となった。◇うきね―浮き寝(水に浮いて寝ること)・憂き寝(辛い思いをして寝ること)の掛詞。また「ね」は「根」の掛詞ともなり、「芦」の縁語となる。

【先行歌】藤原俊成「久安百首」「新勅撰集」
はるかなるあしやの沖のうきねにもゆめぢはちかき都なりけり

右(宮内卿)
いまはとてあかで出でにし曙にゐなのみなとも月ぞかはらぬ


【通釈】今はもう別れる時刻だと、心を残しつつ都の恋人と別れた曙――猪名の湊に停泊した船で一夜を明かし、迎えた曙も、月はあの時と変わっていない。

【語釈】◇あかで―満足することなく。◇ゐな―猪名。摂津国の歌枕。今の兵庫県伊丹市・尼崎市あたり。六甲山地が海岸線にまで迫っていて、山颪が吹き付ける。◇月ぞ変はらぬ―月(有明の月)は、恋人と別れた時と変わらない。壬生忠岑の「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」(古今集)を匂わせ、月は相変わらず「つれない」様で照っている、ということか。

■判詞
右、「あかで出でにし」、すこし心かすかなるにやときこえ侍るを、左、「芦屋の沖」も、さまできこえられて侍らねば、持となんかし。


【通釈】右の「あかで出でにし」の歌は、あまり歌意が強く伝わって来ないのではないかと聞こえますが、左の「芦屋の沖」の歌も、それほど得心はできませんので、持でしょうね。

▼感想
いずれも瀬戸内海の船旅にあって、都を思う歌。俊成卿女と宮内卿、両花最初の対戦だが、ネガティブな持に終わってしまった(二人の合せは、このあと五十三番にもある)。



四十七番
   左             権中納言
しるらめや風のたよりをまち侘びて袖に波たつ梶まくらすと
   右              定家朝臣
わすれぬは浪路の月に愁へては身をうしまどにとまる舟人

左、「かぢまくらす」とはてて侍る、いかがなど侍りしを、右の「身をうしまど」も、さまでも侍らぬにやとて、又持と定め侍りしなるべし。

左(公継)
しるらめや風のたよりをまち侘びて袖に波たつ梶まくらすと


【通釈】あなたは知らないだろうなあ。私は毎晩、袖に波しぶきのかかる舟の上で寝泊りしているが、風の便りを待ちわびて、涙でも袖を濡らしているのだと。

【語釈】◇風のたより―手紙。「風」は「波たつ」と響き合い、縁語ふうの働きもしている。◇袖に波たつ―波が立って袖にかかる。「なみたつ」には「なみた(涙)」が掛かり、「袖に涙…」の意を帯びる。◇梶まくら―楫(櫓や櫂などの船具)を枕に寝ることから、舟の中に泊ることをこう言った。

右(定家)
わすれぬは浪路の月に愁へては身をうしまどにとまる舟人


【通釈】忘れないのは故郷の人、波路に映る月に歎きを訴えながら、我が身を憂しと、牛窓の港に泊っている船中の人よ。

【語釈】◇うれへつつ―歎きを訴えつつ。◇うしまど―牛窓。備前の国の歌枕。今の岡山県邑久郡牛窓町。瀬戸内海の要港。「憂し」を掛ける。

【校異】親長本、第二・三句は「涙の月にうれへつつ」。

【補記】万葉集にも詠まれた歌枕「牛窓」を舞台に、月に故郷を偲ぶ。

【他出】「拾遺愚草」2545。

■判詞
左、「かぢまくらす」とはてて侍る、いかがなど侍りしを、右の「身をうしまど」も、さまでも侍らぬにやとて、又持と定め侍りしなるべし。


【通釈】左、「かぢまくらすと」と終わっていますのは、どうでしょうかなどと意見がございましたが、右の「身をうしまど」も、それ程でもないのではということで、これも勝負なしと決まったのでしょう。

▼感想
「しるらめや」「わすれぬは」と、旅先の男と都で待つ女の応答という合せとして詠むと、なかなか哀れ深い。



四十八番
   左             親定
おもふ人をうきねの夢にみなと川さむる袂にのこるおも影
   右              有家朝臣
おもひねの夢路に人をみなと川さむればもとの浮きねなりけり

左右の湊川、「さむればもとの」といへるもよろしくはきこえ侍れど、左の「さむる袂に残るおも影」、いみじくをかしく侍れば、左ヲ以テ勝ト為。

左(後鳥羽院)
おもふ人をうきねの夢にみなと川さむる袂にのこるおも影


【通釈】恋しく思う人を、浮き寝の夢に見た、湊川。目が覚めた私の袂は(涙に濡れ)、あの人の面影が残っている。

【語釈】◇うきね―浮き寝。「憂き」を掛ける。◇みなと川―摂津国の歌枕。六甲山地より大阪湾に注ぐ川。この歌では、河口付近の船着場を言うか。寿永三年(1184)、戦場となり、多くの平氏が討ち死にした。(夢に)「見」を掛ける。

【他出】「後鳥羽院御集」1604。

●右(有家)
おもひねの夢路に人をみなと川さむればもとの浮きねなりけり


【通釈】恋しい人を思いながらついた眠りで、その人の夢を見た、湊川の舟宿り。目が覚めてみれば、元どおり、私はひとり波の上に浮いて、憂き寝をしていたのだ。

■判詞
左右の湊川、「さむればもとの」といへるもよろしくはきこえ侍れど、左の「さむる袂に残るおも影」、いみじくをかしく侍れば、左ヲ以テ勝ト為。


【通釈】左右の湊川の歌、「さむればもとの」という句も結構には聞こえますけれども、左の「さむる袂に残るおも影」、たいへん趣がございますので、左を勝とします。

▼感想
示し合わせたかのように、語句も情趣もよく似た二首。俊成は下句を比較し、左歌の方が詞遣いにより深い趣がある、としているようである。感情の深さでも左がまさっていよう。



四十九番
   左              前大僧正
ふねとむるむしあけの磯の松の風たが夢路にか又かよふらん
   右             家隆朝臣
うき枕なみに波しく袖のうへに月ぞかさなるなれしおも影

左、「たが夢路にか又通ふらん」も心をかしく侍るを、右、「波になみしく」といひて、「月ぞ重なる」などいへる、よろしくやとて、勝になり侍りしなり。

左(慈円)
ふねとむるむしあけの磯の松の風たが夢路にか又かよふらん


【通釈】船を停泊する虫明の瀬戸の、磯の松を吹く風の音。今宵はまた、誰の夢路にまで響き通るのだろうか。(私の夢の中にまで響いて、私を待つあの人に思いを通わせてくれ。)

【語釈】◇むしあけ―虫明。備前国の歌枕。今の岡山県邑久郡邑久町虫明。「むしあけの瀬戸」と呼ばれた狭い海峡があり、船の停泊地とされた。『狭衣物語』に飛鳥井女君がこの地で入水を企てたという条がある。「流れても逢瀬ありやと身を投げて虫明の瀬戸に待ちこころみむ」(巻一)。◇夢路―夢の中で辿る道。◇かよふ 松風の響きが、夢の中の道に通う。「かよふ」は「思いが通う」の意を帯び、また「夢路」の縁語として言う。

【補記】下句は「私は誰の夢路に通うのだろうか」と言っているようにも聞こえるが、そうではない。一首の眼目は、「松風の音が都の人への恋情を催させる」ということにあるので、「私の夢の中にまで響きわたって、『待つ』人への思いを通わせてくれ」という願望を籠めて詠んでいる、と取るべきだろう。背景には狭衣物語だけでなく、斎宮女御の名歌「琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ」(拾遺集)を幽かに響かせている。

【他出】「拾玉集」4955、「夫木和歌抄」11795。

右(家隆)
うき枕なみに波しく袖のうへに月ぞかさなるなれしおも影


【通釈】水の上に浮かぶ枕――波に波が重なり、涙がしきりとこぼれる袖の上に、さらに月の光が面影を重ねるのだ、都の懐かしいあの人の面影を。

【語釈】◇うき枕―浮き枕。船上で寝泊まりすることを言う。「憂き」を掛け、つらい独り寝の意を含ませる。◇なみに波しく―あとからあとから波が重なる。「なみ」に「涙」を響かせ、「しく(頻く)」に「敷く」(波を敷物とする)を重ねる。◇なれしおも影―馴れ親しんだ面影。

【補記】「袖の涙に映った月の光に恋人を偲ぶ」という情趣に新味はないが、声調の効果によって興趣が生れた。

【他出】「若宮撰歌合」十番左負、「水無瀬桜宮十五番歌合」十番左負、「壬二集」2806。

■判詞
左、「たが夢路にか又通ふらん」も心をかしく侍るを、右、「波になみしく」といひて、「月ぞ重なる」などいへる、よろしくやとて、勝になり侍りしなり。


【通釈】左の「たが夢路にか又通ふらん」も興趣深いですが、右の「波になみしく」と言って、「月ぞ重なる」などと言ったのが、結構ではないかということで、勝になったのでございます。

▼感想
両者の力倆がまずまず発揮され、この題では一番の好勝負であろう。



五十番
   左             左大臣
まてとしもたのめぬ磯のかぢ枕虫あけの波のねぬよとふなり
   右              雅経
片しきの袖もうきねの浪枕ひとりあかしのうらめしの身や

左右の上の句は、ともによろしくきこえ侍るを、右の下の句「うらめしの身や」、ことの外よわくみえ侍り。左、「虫明の浪のねぬ夜とふなり」、もとも勝に侍るなり。

左(良経)
まてとしもたのめぬ磯のかぢ枕虫あけの波のねぬよとふなり


【通釈】待っていてくれとも約束できない、不安な旅の宿り――虫明の磯のほとりに泊めた舟で、眠れずにいる夜、一晩中、波の音が訪れるのを聞いて過ごす。

【語釈】◇たのめぬ―この「たのめ」は「(人に)期待させる・あてにさせる・確約する」といった意味。◇かぢ枕―四十七番左に既出。◇虫あけ―四十九番左に既出。

【他出】「秋篠月清集」1442。末句は「ねぬよとふなる」。

●右(雅経)
片しきの袖もうきねの浪枕ひとりあかしのうらめしの身や


【通釈】自分の袖だけを敷いて、波を枕とする辛い浮寝。明石の浦で、独り夜を明かす、口惜しく悲しい我が身ではないか。

【語釈】◇片しきの袖―恋人同士は互いの袖を交わして寝るので、自分の袖だけを敷いて寝るのを「片しき」と言った。◇うきね―浮寝・憂き寝。◇あかし―明石・明かしの掛詞。明石は播磨国の歌枕。今の兵庫県明石市。淡路島との間に海峡があり、瀬戸内海航路の要衝。◇うらめしの身や―「うらめし」は不満や悲しみが内攻する心の状態をあらわす。「うら」に明石の「浦」を掛ける。「うらめしの身や」は新古今集に二例あり、当時流行していた止めの句である。

【他出】「明日香井和歌集」1106。

■判詞
左右の上の句は、ともによろしくきこえ侍るを、右の下の句「うらめしの身や」、ことの外よわくみえ侍り。左、「虫明の浪のねぬ夜とふなり」、もとも勝に侍るなり。


【通釈】左右両歌の上句は、どちらも結構に聞こえますけれども、右の下句「うらめしの身や」は、特別に弱く見えます。左「虫明の浪のねぬ夜とふなり」が、当然勝でございます。

▼感想
雅経の歌の下句が「ことの外よわく」と言うのは、俗調で締りがないということか。あるいは、当時流行の句だったため、安易に聞こえるということもあったか。



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更新日:平成14年1月15日
最終更新日:平成24年3月6日