●古事記・下・八八
【通釈】あなたが出掛けてから、たくさん日が経ちました。迎えに行きましょう。待つには恋しすぎる、もう待ってなんかいません。
【付記】古事記によれば、軽皇子が捕われの身になった時、兄の後を追って詠んだ衣通王の歌。万葉集には小異歌が磐姫皇后の歌として載る。
【関連歌】下2777
●日本書紀・巻一・神代上・第七段
故思兼神、深謀遠慮、遂聚常世之長鳴鳥、使互長鳴。亦以手力雄神、立磐戸之側、而中臣連遠祖天児屋命、忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇真坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、 一云、真経津鏡。下枝懸青和幣、 和幣、此云尼枳底。白和幣、相与致其祈禱焉。
【訓読】
【関連歌】上1072、上1226
●日本書紀・巻二・神代下・第九段
因勅皇孫曰、葦原千五百秋之瑞穂国、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。宝祚之隆、当与天壤無窮者矣。
【訓読】
【関連歌】上1071、下2596
●日本書紀・巻十五・弘計天皇
【訓読】稲莚 川そひ柳 水ゆけば 靡き起き立ち その根は失せず
【通釈】川辺の柳は、水が流れるので、靡いたり起き上がったりするが、その根が失せることはない。
【付記】
【関連歌】上0430、中1695
●摂津国風土記逸文・夢野(釈日本紀巻十二より)
摂津国風土記曰 雄伴郡 有夢野 父老相伝云 昔者 刀我野有牡鹿 其嫡牝鹿 居此野 其妾牝鹿 居淡路国野嶋 彼牡鹿 屢往野嶋 与妾相愛无比 既而牡鹿 来宿嫡所 明旦 牡鹿語其嫡云 今夜夢 吾背爾雪零於祁利止見支 又曰須々紀草生多利止見支 此夢何祥 其嫡 悪夫復向妾所 乃詐相之曰 背上生草者 矢射背上之祥 又雪零者 白鹽塗宍之祥 汝渡淡路野嶋者 必遇船人 射死海中 謹勿復往 其牡鹿 不勝感恋 復渡野嶋 海中遇逢行船 終為射死 故名此野曰夢野 俗説云 刀我野爾立留真牡鹿母夢相乃麻爾麻爾
【訓読】
【関連歌】上0344
岩波文庫『神楽歌・催馬楽』(武田祐吉編)による。
●催馬楽・呂・
あなたふと 今日のたふとさや いにしへもはれ いにしへもかくやありけむや 今日のたふとさ あはれ そこよしや 今日のたふとさ
【通釈】ああ尊いことよ。今日の尊さよ。昔もまあ、昔もこのようであったのだろうか、今日の尊さよ。ああ素晴らしい、今日の尊さよ。
【関連歌】上1496
●催馬楽・呂・
【通釈】あの娘と私と、二人で入る、入佐の山、そこに生えている
【関連歌】上0983
●催馬楽・呂・浅緑
浅緑 濃い
【通釈】浅緑色や濃い縹色に染めて掛けてあると見るほどに、露の玉が光り、下まで光る、新京朱雀大路の垂り柳。はたまた、水たまりになる。前栽の秋萩、撫子に立葵、しだれ柳。
【参考】「浅緑そめかけたりと見るまでに春の柳はもえにけるかも」(万葉集一八四七)
【関連歌】上0206、上1309、下2042
●催馬楽・呂・
【通釈】総角よ、
【語釈】◇角総 総角。髪を総角に結った少年少女。またはその年頃の少年少女。
【関連歌】上0263
●催馬楽・律・
伊勢の海の 清き渚に
【通釈】伊勢の海の清い渚で、潮時に
【関連歌】上1208
●催馬楽・律・飛香井
飛鳥井に宿りはすべしや おけ 蔭もよし
【通釈】飛鳥井に宿りはすべきですよ。木陰も心地よい、水も冷たい。御馬のための草も美味いですよ。
【関連歌】上0278
●催馬楽・律・浅水
【通釈】浅水の橋のとどろと響いて降った雨のように、古びてしまった私を、誰がこの
【関連歌】上0254
●催馬楽・律・東屋
【通釈】東屋の軒から雨がこぼれて降りかかり、私は立ち濡れてしまった。御殿の戸を開けておくれ。
掛金も錠もないので、殿戸は閉ざせません。押し開けておいでなさい。私は人妻なのだから。
【語釈】◇東屋の真屋のあまり 「四屋ト書テ『アヅマヤ』ト読候。四方ヘ棟ノアル屋也。其軒ヲ『マヤノアマリ』トハイヘリ」(拾遺愚草不審)。
【関連歌】上0663、中1527、中1771、員外2931
訓は多く旧訓によった。定家本の系統を継ぐという廣瀬本を主とし、廣瀬本に欠ける歌や、廣瀬本の訓に不審のある歌などについては、西本願寺本の旧訓によった。
巻一 巻二 巻三 巻四 巻五 巻六 巻七 巻八 巻九 巻十 巻十一 巻十二 巻十三 巻十四 巻十七 巻十八 巻十九 巻二十
●万葉集・巻一・一一 中皇命徃于紀温泉之時御歌
【通釈】あなたは野宿のための仮小屋を作っておられます。適当な萱がなければ、ほらこの小松の下の萱をお刈りなさいな。
【付記】斉明天皇の紀伊行幸の時の作であろう。常緑で長寿の松は霊力の強い木と考えられたので、その下に生えている萱なら仮庵を作るのに適していると言うのである。
【関連歌】中1623
●万葉集・巻一・三四 幸于紀伊国時川嶋皇子御作歌 或云山上憶良作
日本紀曰 朱鳥四年庚寅秋九月天皇幸紀伊国也
【通釈】白波の寄せる浜辺の松の枝に引き結んだ御供えは、どれほどの年月が経ったのだろうか。
【付記】持統四年(六九〇)九月、紀伊行幸の折の作。有間皇子が刑場へ向かう道中「磐代の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまた還り見む」と詠んだ「浜松之枝」に、無き皇子を偲んだ歌か。
【関連歌】中2004、下2390、下2703
●万葉集・巻一・三七 幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌(長歌略)反歌
【通釈】いくら見ても見飽きない吉野の川――その常滑のように絶えることなく、またここへ戻って来て滝の都を見よう。
【付記】「常滑」は岩に生えている水苔。そのように絶えることなく、天皇の行幸が繰り返しあらんことを願う。
【関連歌】上0271
●万葉集・巻一・五一 従明日香宮遷居藤原宮乃後志貴皇子御作歌
【通釈】手弱女の袖を吹き返す明日香風――都が遠のいた今は、むなしく吹くばかり。
【付記】持統八年(六九四)十二月の藤原京遷都後の作。かつて都であった飛鳥の地で、その美しい袖を風が翻した光景を回想し、幻視している。続古今集に収録。初句の現在の定訓は「うねめの」。
【関連歌】中1535、中1706、下2037、下2192、下2750
●万葉集・巻一・五七 二年壬寅太上天皇幸于參河国時歌
【通釈】引馬野に色美しく映える萩原へ皆で入り乱れ、衣を染めなさい。旅の記念に。
【語釈】◇引馬野 愛知県宝飯郡御津町御馬に引馬神社があり、その辺りかという。◇榛原 現在の定訓は「はりはら」。
【付記】大宝二年(七〇二)冬十月、持統太上天皇の参河国行幸に従駕した時の長忌寸奥麻呂の歌。訓は廣瀬本の旧訓による。
【関連歌】中2007
●万葉集・巻一・五九 譽謝女王作歌
【通釈】絶えず流れるように軒端に吹きつける風が寒い夜に、私の夫殿は独り旅の宿で寝ているのだろうか。
【付記】この歌の前に「二年壬寅太上天皇幸于參河国時歌」との題詞があり、大宝二年(七〇二)、持統上皇の参河国行幸に従駕した夫を思いやっての作と知れる。
【関連歌】上1144
●万葉集・巻一・六三 山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌
【通釈】さあ皆の者、早く日の本の大和の国へ帰ろう。難波の湊の浜松も我らの帰りを待ち焦がれていることだろう。
【付記】遣唐使として唐に滞在していた時、本国を偲んで作った歌。新古今集に「いざこどもはや日の本へおほとものみつの浜松まちこひぬらん」と出ている。
【関連歌】上1148、上1300、中1981
●万葉集・巻一・七八 (題詞略)
【通釈】明日香の里をあとにして、新しい都へ去って行ったなら、あなたのおられるあたりは見えなくなってしまうのでしょう。
【付記】題詞は「和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧樂宮時御輿停長屋原廻望古郷作歌 一書云太上天皇御製」。平城京遷都の際の天皇、元明天皇の御製と見られ、新古今集も同天皇御製とする。
【関連歌】上1055
●万葉集・巻二・八七 磐姫皇后思天皇御作歌四首
【通釈】じっとこうして、あの人の帰りを待とう。床に投げ出した私の黒髪に、霜が置いたのかと迷いながら。
【付記】訓は廣瀬本による。結句、現在の定訓は「しものおくまでに」。「お(を)きまよひ」の訓は西本願寺本の貼紙、京都大学本の左赭書き入れにも見える由(校本万葉集)。
【関連歌】下2770
●万葉集・巻二・九〇
【通釈】あなたが出掛けてから、たくさん日が経ちました。迎えに行きましょう。待つには恋しすぎる、もう待ってなんかいません。
【付記】「古事記曰軽太子姧軽太郎女故其太子流於伊予湯也此時衣通王不堪恋慕而追徃時歌曰」。磐姫皇后の作とする八五番歌の注記として古事記から引用する形で記した歌。古事記の当該歌参照(移動)。
【関連歌】下2777
●万葉集・巻二・一〇一 大伴宿禰娉巨勢郎女時歌一首
【通釈】実のならない木には、おそろしい神がとりついていると言いますよ。実のならない木にはどれも。
【付記】「玉かづら」は「実」の、「ちはやぶる」は「神」の枕詞。「実なる木の実ならぬには、神の領し給ふと云諺有しなり。心は女のさるべき時に男せねば、神の依たまひて、遂に男を得ぬぞとたとへいふ也」(万葉集略解)。
【関連歌】上1376
●万葉集・巻二・一〇七 大津皇子贈石川郎女御歌一首
【通釈】あなたを待つとて、山の木々の下に佇んで、私は雫に濡れたよ。山の木々から滴り落ちる雫に。
【付記】万葉集巻二「藤原宮御宇天皇代」の大津皇子関連の歌を集めたところに置かれている。石川郎女の返歌は「我を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを」。
【関連歌】上0546、下2113
●万葉集・巻二・一一〇 日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首
【通釈】大名児が遠い向うの方の野辺で草を刈る時、草を一掴みして刈り取る、その「
【付記】旧訓による。現在初句は「大名児を」、「草」は「かや」と訓む本が多い。「彼方野辺に刈る草の」は「つか」を導く序。
【関連歌】上1378
●万葉集・巻二・一三三 柿本朝臣人麻呂従石見国別妻上来時歌二首 并短歌(長歌・反歌第一首略)
【通釈】笹の葉は山全体もさやさやと音立てて乱れている。私はひたすら妻のことを思っている、別れて来てしまったので。
【付記】訓は廣瀬本による。石見国から妻に別れて都に上って来た時の歌。新古今集に採られ(移動)、定家は『定家十体』の「幽玄様」の例歌に引いている。
【関連歌】上0981、下2295
●万葉集・巻二・一四一 有間皇子自傷結松枝歌二首
【通釈】磐代の浜松の枝を引っ張って結び、道中の息災を祈る――願いかなって無事であったなら、また帰って来てこの松を見よう。
【付記】斉明三年(六五七)、謀反の罪により藤白坂の処刑場に護送される途次、岩代(和歌山県日高郡南部町)で詠んだという歌。
【関連歌】〔下2627b〕
●万葉集・巻二・一四二 有間皇子自傷結松枝歌二首
【通釈】家にあったたならば食器に盛る飯を、草を枕に寝る旅にあるので、椎の葉に盛るのだ。
【付記】斉明三年(六五七)、謀反の罪により藤白坂の処刑場に護送される途次、岩代(和歌山県日高郡南部町)で詠んだという歌の第二首。「飯を…椎の葉に盛る」とは、神へのお供えをして息災を祈ったものであろう。『古今和歌六帖』の「たび」の部に引かれている。
【関連歌】上0745
●万葉集・巻三・二五一 柿本朝臣人麻呂羈旅歌八首
【通釈】淡路の野島の崎の浜風に、妻が(門出の時に)結んでくれた衣の紐を吹き返させている。
【語釈】◇妹之結 家を発つ前、妻が結んでくれた。旅の安全を祈りつつ結んだものであろう。◇紐吹返 「浜風の吹くにまかする意」(山田孝雄『万葉集講義』)。
【付記】妻が結んでくれた衣の紐を、異境の風が裏返して吹くのを見て、旅の無事を祈る家郷の妻に思いを馳せる。人麻呂羈旅歌八首の第三首。訓は西本願寺本による。現在では初句は「あはぢの」と訓むのが普通。
【関連歌】上1248
●万葉集・巻三・二五四 柿本朝臣人麻呂羈旅歌八首
【通釈】明石の瀬戸に船が入って行く日には、故郷から漕ぎ別れてしまうのだろうか、もう家族の住む大和の方を見ることもなく。
【語釈】◇留火之 「明石」の枕詞。◇明大門 「あかしのせど」の訓は廣瀬本による(西本願寺本は「あかしのなだ」)。現在の定訓は「あかしおほと」。明石海峡。明石市と淡路島北端の間の海峡。
【付記】人麻呂羈旅歌八首の第三首。往路の作。「あかしのせど」の訓は廣瀬本による(西本願寺本は「あかしのなだ」)。現在の定訓は「あかしおほと」。
【関連歌】上1249
●万葉集・巻三・二六四 柿本朝臣人麻呂従近江国上来時至宇治河辺作歌一首
【通釈】宇治川の網代木に阻まれてたゆたう波は進むべき方向を知らない。(そのように、我らの人生も様々の障害に突き当たり、行方は知れないのだ。)
【語釈】◇物乃部能八十 「もののふ」は朝廷に仕える官人、「やそ」は数の多いこと。「もののふのやそ」は、官人の数多くの「
【付記】『人丸集』『三十六人撰』などに採られ、古来人麻呂の代表歌の一とされる。定家は『八代抄』に採っている。
【関連歌】中1840、下2079、下2543
●万葉集・巻三・二六五 長忌寸奥麻呂歌一首
【通釈】なんと辛くも降って来る雨であることか。三輪の崎の狭野のあたりに家があるわけでもないのに。
【語釈】◇神之埼 和歌山県新宮市の三輪の崎。◇狭野乃渡 今の新宮港あたりにあった渡し場。但し『八雲御抄』は大和国の歌枕とする。◇家裳不有国 濡れた衣を乾かせるような家がないことを歎く。
【付記】紀伊に旅した時の詠であろう。定家はこの歌を新勅撰集の巻八羈旅歌に採っている。
【関連歌】上0967、下2428
●万葉集・巻三・三二八 大宰少弐小野老朝臣歌一首
【通釈】奈良の都は、咲く花の照り映えるが如く、今真っ盛りである。
【語釈】◇青丹よし 「奈良」の枕詞。奈良は青土(顔料に用いる)の産地だったことから。
【付記】神亀五年頃、大宰府における小野老の着任を祝う宴で詠まれた歌。
【関連歌】上1309
●万葉集・巻三・三九六 笠女郎贈大伴宿禰家持歌三首
【通釈】陸奥の真野の萱原――あなたはそのように遠いけれども、面影として私にはありありと見えるのです。
【語釈】◇陸奧之真野乃草原 今の福島県相馬郡鹿島町の真野川流域一帯の野という。ここでは「遠いもの」の象徴としてあげている。
【付記】笠女郎が恋人の大伴家持に贈った歌三首の第二首。「草原」までは「遠けれど」を導く序。この句、現在では「とほけども」と訓むのが普通。
【関連歌】上1069
●万葉集・巻四・四九六 柿本朝臣人麻呂歌四首
【通釈】熊野の浦の浜辺の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、心の中ではあなたのことを幾度も幾度も思っているけれど、じかに逢うことができないよ。
【語釈】◇三熊野之浦 三重県熊野市から和歌山県新宮市にかけて、長大な弓なりの海岸線をなす。「浦」に裏(心中)の意が掛かる。◇浜木綿 ヒガンバナ科の草。夏に白い花をつける。葉の付け根あたりの白い葉鞘が幾重にも重なっているので、「百重なる心は思ふ」の比喩に用いた。
【付記】四首一組のうち冒頭の歌。浜木綿の葉に寄せて、逢えない恋を嘆く。『拾遺集』にも同じ形で人麿の歌として載る。現在第三句の定訓は「ももへなす」。
【関連歌】上0737、上1277、員外2881
●万葉集・巻四・五〇〇 碁檀越徃伊勢国時留妻作歌一首
【通釈】伊勢の浜辺の蘆を折り伏せて、あの人は旅寝をしておられるのだろうか。波風荒い浜辺に。
【語釈】◇神風之 「伊勢」の枕詞。◇浜荻 浜辺の荻、また蘆の異称という。「伊勢国には、蘆を浜荻と云ふなり」(仙覚抄)。
【付記】持統六年(六九二)三月、伊勢行幸の折の作か。旅中の夫を思い遣った妻の歌。『人丸集』『古今和歌六帖』などにも見え、新古今集には「読人不知」、初句「神風や」として撰入されている。
【関連歌】上0577、上1279、下2158、下2186
●万葉集・巻四・五二一 藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
【通釈】庭に茂り立つ麻を刈って干し、しきしのぶ(意味不明)――そのように頻りとあなたを偲んでいるこの東国の乙女をお忘れ下さいますな。
【付記】廣瀬本による。「布幕」は現在「布暴」とし「ぬのさらす」と訓まれることが多い。藤原宇合が上京する時に常陸国の娘子が贈った歌。
【関連歌】下2476
●万葉集・巻四・五七一 大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前国蘆城駅家歌四首
【通釈】月夜は美しい、川音も澄んでいる。さあここで、都へ旅立つ人も筑紫に留まる人も、思う存分遊んで参りましょう。
【付記】左注によれば作者は防人佑大伴四綱。訓は廣瀬本による。第二句は現在「かはおときよし」または「かはおとさやけし」と訓まれるのが普通。
【関連歌】上1341
●万葉集・巻四・五八八 笠女郎贈大伴宿禰家持歌廿四首
【通釈】白鳥の飛ぶ飛羽山の松ではありませんが、貴方のおいでを待ちながら、私はずっと慕い続けておりました、この何か月の間というもの。
【関連歌】上1168
●万葉集・巻四・六一七 山口女王贈大伴宿禰家持歌五首
【通釈】葦の生えている岸辺を通って満ちて来る潮のように、ますます恋しく思っているからでしょうか、あなたのことが忘れられませんでした。
【語釈】◇思へか 「思へばか」の「ば」が略された形か。「思うので~か」の意。「か」は係助詞で、結びは連体形「つる」となる。
【付記】初二句は「いやましに」を起こす序。新古今集巻十五には第三句「思ふか」として掲載。
【関連歌】上0282
●万葉集・巻四・六三二 湯原王贈娘子歌二首
【通釈】目には見えても手に取ることの出来ない、月に生えている桂の木のようなあなたを、どうしたらよいのだろう。
【付記】古今和歌六帖や伊勢物語第七十三段にも見え、定家は新勅撰集に採っている。
【関連歌】下2491
●万葉集・巻四・六七二 安倍朝臣虫麻呂歌一首
【通釈】粗末な
【付記】「倭文手纒」は「数ならぬ」の枕詞。自身を卑下し、叶わぬ恋に思いを燃やしていると言うことで、恋人に苦しさを訴えている。巻四相聞歌。旧訓による。
【関連歌】上1379
●万葉集・巻四・六七八 中臣女郎贈大伴宿禰家持歌五首
【通釈】あなたにじかに逢えた時――その時こそ、命をかけた私の恋はやむのでしょう。
【付記】「命に向かふ」とは、命を相手にする。命も失せるほど強く恋していることを言う。
【関連歌】上0860、上1375
●万葉集・巻四・七二七 大伴宿禰家持贈坂上家大嬢歌二首 離絶数年復会相聞徃来
【通釈】恋を忘れるという忘れ草を下着の紐に着けたけれど、馬鹿草め、言葉だけのものでしたよ。
【付記】下着の紐に着けたが効き目がなかったと、忘れ草を罵る。訓は西本願寺本の旧訓による。
【関連歌】上1385
●万葉集・巻四・七三七 同大嬢贈家持歌二首
【通釈】私たちの仲をああだこうだと人は言いましょうとも、若狭路の後瀬山ではありませんが、後々またお逢いしましょう、あなた。
【語釈】◇後瀬山 福井県小浜市にある山。「のち」を言うために使われているが、逢う日までの長い道のりを暗示してもおり、巧みな用法である。後世、歌枕・俳枕として数多くの歌・句に詠まれた。
【関連歌】上1165、下2542
●万葉集・巻四・七三九 又家持和坂上大嬢歌二首
【通釈】後瀬山の名のように後には逢おうと思うからこそ、本当なら死んでしまうところを、何とか今日まで生き延びてきたのではありませんか。
【付記】坂上大嬢の歌(前歌)に返した歌。現在では第三句「おもへこそ」、結句「けふまでもいけれ」と訓むのが普通。『古今和歌六帖』には作者名不明記で「のちせ山のちにあひみんとおもへばぞしぬべきものをけふまでもふる」とある(新編国歌大観)。
【関連歌】上1165
●万葉集・巻五・八一〇 大伴淡等謹状
梧桐日本琴一面 対馬結石山孫枝此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒 晞幹九陽之休光 長帯烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入雁木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠剒為小琴 不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰
僕報詩詠曰 琴娘子答曰
敬奉徳音 幸甚〃〃 片時覚 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳 謹状不具
天平元年十月七日附使進上 謹通
中衛高明閤下 謹空
【訓読】大伴淡等謹状
この琴、夢に
いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の
言問はぬ木にはありとも
琴の娘子が答へて曰く、「
天平元年十月七日、使に附けて
謹みて中衛高明閤下に
【通釈】「いかにあらむ…」いつになったら、この声を聞き分けて下さる方の膝の上を私は枕にすることができるのでしょうか。
「言問はぬ…」琴の娘子よ、あなたは物言わぬ木ではあるけれども、立派なお方がいつもそばに置く琴になることができるでしょう。
【付記】大伴旅人(「淡等」は「たびと」の漢風表記)が賦の形式を借りて藤原房前に思いを伝えた文。
【関連歌】上0892
●万葉集・巻五・八一八 梅花歌卅二首
【通釈】春になれば真っ先に咲くわが家の梅の花――独り眺めて春の日を暮らすとしようか。
【付記】定家は新勅撰集に「筑紫にて梅の花を見てよみ侍りける 山上憶良」として採っている。
【関連歌】上1103
●万葉集・巻五・八五四 答詩曰
【通釈】玉島のこの川上に私たちの家はあるのですが、ご立派なあなたに向かっては恥ずかしくて、家を明かさずにいたのです。
【関連歌】上0882
●万葉集・巻五・八五五 蓬客等更贈歌三首
【通釈】松浦川の川瀬がきらきらと光り、鮎を釣ろうと立っておられるあなたの裳の裾が濡れています。
【関連歌】上1136
●万葉集・巻五・八六〇 娘等更報歌三首
【通釈】松浦川のいくつもの淀は淀んでいるとしても、私はためらわずにあなたをお待ちしましょう。
【関連歌】上1173
●万葉集・巻五・八七一 (題詞略)
【通釈】松浦佐用姫が夫を恋しく思い、領巾を振ったことから、その名を負うようになった、(
【付記】題詞は「大伴佐提比古郎子 特被朝命 奉使藩国 艤棹言帰稍赴蒼波 妾也松浦 佐用嬪面 嗟比別易 歎彼会難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝 黯然銷魂 遂脱領巾麾之傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰」。任那救援のため出航した大伴
【関連歌】上1230、員外2978
●万葉集・巻六・九一二 養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌 或本反歌曰
【通釈】泊瀬女が造る神聖な木綿花が、吉野の滝の水泡となって咲いているではないか。
【語釈】◇木綿花 玉串などにつけた木綿を花に見立てた語。
【付記】養老七年(七二三)五月、元正天皇の吉野行幸に際して笠金村が作った長歌の「或本反歌」として載せる三首の末。滝の飛沫を白木綿に見立てた。
【関連歌】上1231
●万葉集・巻六・九一九 神亀元年甲子冬十月五日幸于紀伊国時山部宿禰赤人作歌一首 并短歌
【通釈】和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、葦の生える岸辺を目指して鶴が鳴き渡ってゆく。
【付記】神亀元年(七二四)十月五日、聖武天皇の紀伊行幸に従駕して作った長歌の反歌第二首。古今集仮名序の古注に赤人の例歌として挙られるなど、古来赤人の代表作とされた。古来あまたの秀歌撰に採られているが、勅撰集では鎌倉中期の続古今集が初出になる。
【関連歌】上1298、員外3546
●万葉集・巻六・九三五 三年丙寅秋九月十五日幸於播磨国印南野時笠朝臣金村作歌一首 并短歌
反歌二首
【通釈】(長歌)名寸隅の船着場から見える、淡路島の松帆の浦で、朝凪のうちに海藻を刈ったり、夕凪のうちに藻塩を焼いたりして、海人の娘たちがいるとは聞くけれど、見に行く手だてもないので、ますらおの雄々しい心はなく、手弱女のように思い萎れて、うろうろするばかりで、私は恋い焦がれている、舟も櫓もないので。 (反歌一)海藻を刈り取る海人の娘たちを見に行くための船や櫓があったらよいのに。たとえ波が高いとしても。 (反歌二)往きに帰りに、いくら見ても見飽きることなどあろうか。名寸隅の船着場の浜にしきりに打ち寄せる白波は。
【語釈】◇名寸隅 明石市西端の魚住町付近かという。◇松帆の浦 淡路島北端の浦。
【付記】明石海峡に臨む「名寸隅」の船着場から淡路島北端の松帆の浦を眺めやり、エキゾチックな海人娘子たちへの憧憬を詠んだ。本文・訓は廣瀬本に、題詞は西本願寺本による。題詞には「三年…秋九月」とあるが、続日本紀によれば聖武天皇の播磨国印南野行幸は神亀三年十月七日の出発である。
【関連歌】下2447
●万葉集・巻六・九七九 大伴坂上郎女与姪家持従佐保還帰西宅歌一首
【通釈】いとしいあなたが着ている衣は生地が薄い。佐保山から吹き下ろしてくる風はひどく吹くな、家に帰り着くまで。
【付記】佐保から「西宅」に帰る家持に、叔母の坂上郎女が贈った歌。訓は廣瀬本の旧訓による。
【関連歌】員外3349
●万葉集・巻六・九八一 大伴坂上郎女月歌三首
【通釈】猟高の高円山が高いからだろうか、月がこんなに遅く山の端から出て、照っている。
【語釈】◇獦高 高円山周辺の旧名かという。「かるたか」は旧訓。現在は「かりたか」と訓むのが普通。◇高円山 奈良市春日山の南の丘陵地帯。
【関連歌】上1240
●万葉集・巻六・一〇一〇 橘宿禰奈良麿應詔歌一首
【通釈】奥山の槙の葉を押さえ伏せるようにして降る雪が、ますます激しく降るとしても、そして年月がどれほど
【付記】天平八年(七三六)冬、橘宿禰の姓を賜わった時、諸兄の嫡子奈良麻呂が詔に応じて作った歌。聖武天皇の「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや
【関連歌】上0366
●万葉集・巻六・一〇六〇 春日悲傷三香原荒墟作歌 反歌
【通釈】三香の原の久邇の都は荒れてしまった。大宮人が移り去ってしまったので。
【付記】天平十六年(七四四)の平城京還都の後、荒廃した恭仁旧京の跡を詠んだ歌(長歌の反歌第一首)。新勅撰集に作者「読人不知」、詞書「久邇のみやこのあれにけるを見てよみ侍りける」として撰入。
【関連歌】上1131
●万葉集・巻七・一〇七一 詠月
【通釈】山の端でぐずぐずしている月を、早く出ないかと待っているうちに、夜が更けてしまった。
【付記】一〇〇八番歌、一〇八四番歌など、万葉集に類歌は少なくない。『古今和歌六帖』や続後撰集に採られている。
【関連歌】上1010、上1325
●万葉集・巻七・一〇九二 詠山
【通釈】噂にばかり聞いていた巻向の檜原の山を、今日見ることができた。
【語釈】◇動神之 音の枕詞。雷の音の意。◇巻向之檜原山 奈良県桜井市の巻向山。「檜原山」は檜が林立する山。
【付記】「柿本朝臣人麻呂之歌集出」。拾遺集に人麿の作として入集。「なる神の音にのみきくまきもくのひばらの山をけふ見つるかな」。
【関連歌】上0743
●万葉集・巻七・一一三四 芳野作
【通釈】吉野川の「石迹柏」が変わらないように、いつまでも変わることなくここに通おう。
【語釈】◇石迹柏 未詳。現在では第二句を「いはほとかへと(巌と柏と)」と訓む説を採用する本もある。
【付記】芳野(吉野)で作られたという歌。「石迹柏」は未詳。現在では第二句を「いはほとかへと(巌と柏と)」と訓む説を採用する本もある。
【関連歌】上1281
●万葉集・巻七・一一四〇 摂津作
【通釈】猪名野をやって来ると、有馬山には夕霧が立ちこめていた。今夜の宿りはないままに。
【語釈】◇志長鳥 猪名野の枕詞。しなが鳥はカイツブリの別名という。掛かり方未詳。◇猪名野 兵庫県伊丹市から尼崎市あたりに広がっていた原野。◇有馬山 神戸の有馬温泉付近の山。
【付記】「しなが鳥」は猪名野の枕詞。結句は「やどりはなくて」とも「やどりはなしに」とも訓まれる。
【関連歌】上1223
●万葉集・巻七・一一九九 羇旅作
【通釈】海藻を刈り取る海人の舟が沖を漕いでやって来るらしい。妹が島の形見の浦に鶴が翔り飛ぶのが見える。
【付記】「妹が島」「形見の浦」いずれも所在未詳であるが、紀伊国かとする説がある。島の名、浦の名、そして鶴の飛ぶ姿に望郷の念を託している。
【関連歌】上1064
●万葉集・巻七・一二一四 羇旅作
【通釈】安太の地へ通ずる小為手の山の槙の葉も、久しく見ないうちに苔が生えてしまった。
【語釈】◇安太・小為手乃山 いずれも紀伊国の地名という以外不明。
【付記】紀伊を旅した人の歌。「安太」「小為手乃山」いずれも紀伊国の地名という以外不明。『和歌一字抄』『袋草紙』『五代集歌枕』などの歌学書に引用されている。
【関連歌】上1174
●万葉集・巻七・一二二〇 羇旅作
【通釈】家で待つ妻のために、美しい玉を拾おうと、紀伊国の由良の岬で、今日のこの一日を暮してしまった。
【付記】紀伊国の由良の岬を旅した時の作。左注に「藤原卿作」(不詳)とする七首の一。
【関連歌】上1215
●万葉集・巻七・一二二八 羇旅作
【通釈】風早の三穂の浦のあたりを漕いでいる舟の舟人が騒いでいる。波が立っているらしい。
【語釈】◇風早の 三穂の枕詞であるが風が早い意を添える。◇三穂の浦 和歌山県日高郡美浜町三尾あたりの入江という。
【関連歌】上1357
●万葉集・巻七・一二四六 羇旅作
【通釈】志賀の海人が塩を焼く煙が、風がひどいので、立ちのぼることなく、山に棚引いている。
【語釈】◇之加 博多湾の志賀島。
【付記】「古集中出」とされた歌群にある。古今和歌六条では初句「すまのうらの」。新古今集には上記訓で掲載。
【関連歌】上1065
●万葉集・巻七・一二九一 旋頭歌
【通釈】この岡で草を刈っている童子よ。そんなに刈らないで。このままにしておいて、あの人がやって来たら、御馬草にしようから。
【付記】岡でせっせと草を刈る童に向かって、恋人の来訪を待ち焦がれている女が呼びかけた歌。男の馬の餌にしようから、草を刈らないでくれと言うのである。柿本朝臣人麻呂之歌集出。
【関連歌】中1623
●万葉集・巻七・一二九五 旋頭歌
【通釈】春日の三笠の山に月の船が出航する。風流な男子が飲む盃に、影を落して。
【付記】西本願寺本の旧訓による。「遊士」は現在「みやびを」と訓む本が多い。
【関連歌】中1542
●万葉集・巻七・一三〇六 寄花
【通釈】この山の紅葉の下蔭に咲いていた花を私はちらりと垣間見て、帰るのが恋しいことよ。
【付記】花に寄せて僅かに垣間見た娘に対する恋心を詠んだ歌であろう。訓は西本願寺本による。結句は現在「なほこひにけり」と訓む本が多い。
【関連歌】上1352
●万葉集・巻七・一三一六 寄糸
【通釈】河内女が手染めにした糸を何度も繰った、その片糸のような片思いであるけれど、この思いは片糸のようにたやすく絶えはしない。
【付記】巻七譬喩歌。糸に寄せて恋の思いを詠む。「河内女」とは、百済から渡来し、河内に住み付いた人々の子孫の女たち。染め織りなどに従事した。「片糸」は縒り合わせていない、一すじの糸で、切れやすい。片思いを暗示するか。
【関連歌】上1241
●万葉集・巻七・一三二八 寄日本琴
【通釈】膝の上に横たわる美しい琴に変事がなければ、これほどに私が恋い焦がれただろうか。
【付記】琴を愛する女性に擬え、差し障りがあって、ますます募る恋心を詠む。
【関連歌】中1974
●万葉集・巻七・一三四二 寄草
【通釈】山が高いので夕日が隠れてしまった。浅茅原を後も見ようために、標を張っておけばよかったのに。
【付記】巻七譬喩歌。女を独占し損ねた男が後悔の情を詠んだ歌か。
【関連歌】下2204
●万葉集・巻七・一四〇三 旋頭歌
【通釈】幣帛を手にした三輪の神官が神として祭る杉林。その杉林で薪を伐って、すんでのところで斧を取られるところだった。
【付記】「人妻に手を出し、厳しい制裁を受けかけた男の歌であろう」(万葉集釋注)。訓は西本願寺本の旧訓による。
【関連歌】中1920
●万葉集・巻七・一四一三 挽歌
【通釈】鶏の乱れ尾のように、末長く生きたいなどと、私は思わないよ。
【付記】連れ合いに先立たれた悲しみを詠むか。「乱尾乃」までは「長き」を導く序。訓は廣瀬本による。
【関連歌】上1383
●万葉集・巻八・一四一八 志貴皇子懽御歌一首
【通釈】岩に注ぐ滝のほとりの蕨が、芽をふくらませる春となったのだなあ。
【付記】万葉集巻八巻頭(春雑歌)。訓は西本願寺本による。初句は賀茂真淵『万葉考』により「いはばしる」と訓むのが定説となったが、定家の時代は「いはそそく」と訓んでいた。新古今集には結句「なりにけるかな」として入集。
【関連歌】上0409
●万葉集・巻八・一四二四 山部宿禰赤人歌四首
【通釈】春の野に菫を摘みにやって来た私は、その野に心惹かれ、離れ難くて、とうとう一夜を過ごしてしまったよ。
【付記】春の野山での遊興を主題としたと見られる四首連作。古今集仮名序の古注に赤人の作例として挙げるなど、王朝時代には赤人の代表歌の一つとされた。
【関連歌】中1898、員外3334
●万葉集・巻八・一四三五 厚見王歌一首
【通釈】
【付記】春雑歌。第三句までは「か」で頭韻を踏む。印象鮮明かつ調子の高い叙景歌で、多くの秀歌撰に採られ古来高く評価されてきた。勅撰集では新古今集が初出。
【関連歌】員外3480
●万葉集・巻八・一四五〇 大伴宿禰坂上郎女歌一首
【通釈】心が切なくて苦しいものだったのだなあ。春霞がたなびく時節にしきりと恋心に襲われるのは。
【付記】春相聞。『万葉考』は題詞「宿禰」の後に「家持贈」の三字脱とする。即ち家持が坂上郎女に贈った歌か。訓は廣瀬本による。初句、現在は「こころぐき」と訓むのが普通であるが、『古今和歌六帖』にも「こころうき」として載る。
【関連歌】下2778
●万葉集・巻八・一四六五 藤原夫人の歌一首
【通釈】ほととぎすよ、あまりひどく鳴かないでおくれ。おまえの声を五月の薬玉にあわせて糸に通すまでは。
【付記】万葉集巻八夏雑歌の巻頭。「五月の玉」は五月の節句に息災を祈って飾る薬玉。菖蒲や橘の実などと一緒に時鳥の声も糸に通して飾りたいから、その時まで鳴き惜しみをしてくれ、と呼びかけた。作者は藤原鎌足の娘で、天武天皇の夫人となった人。
【関連歌】上0923
●万葉集・巻八・一四七三 大宰帥大伴卿和歌一首
【通釈】橘の花が散る里のほととぎすは、散った花を独り恋い慕いながら鳴く日が多いことです。
【付記】神亀五年(七二八)、妻を亡くした大宰帥大伴旅人のもとに勅使として石上堅魚が遣わされ、喪を弔った。その後、「
【関連歌】中1924
●万葉集・巻八・一五〇〇 大伴坂上郎女歌一首
【通釈】夏の野の繁みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものであるよ。
【語釈】◇姫由理 姫百合。夏、山野に赤・朱・黄色などの花を咲かせる。百合の仲間の中では花が小さめなので、この名がついたものらしい。
【付記】夏相聞。夏草の繁みにひっそりと咲く姫百合に寄せて、人に知られぬ恋の苦しみを詠む。『古今和歌六帖』に見え、続後拾遺集にも入集。第四句は現在「しらえぬこひは」と訓むのが普通。
【関連歌】上1117、上1330、上1453、中1646、員外3427
●万葉集・巻八・一五一一 崗本天皇御製歌一首
【通釈】夕方になると、いつも小倉山で鳴く鹿が、今夜は鳴かない。もう寝てしまったらしいよ。
【語釈】◇小倉乃山 不詳。奈良県桜井市あたりの山かという。平安期以後の歌枕小倉山(京都市右京区)とは別。◇寐宿家良思母 「
【関連歌】上1236
●万葉集・巻八・一五一二 大津皇子御歌一首
【通釈】縦糸もなく、横糸も定めず、少女たちが乱れ織りにした錦――そのように美しい紅葉に、霜よ降らないでくれ。
【付記】秋雑歌。和歌において紅葉を織物に喩えた最初期の例。
【関連歌】上1350、中1937
●万葉集・巻八・一五九五 大伴宿禰像見歌一首
【通釈】萩の花が枝も撓むばかりに置いている露――その露のように、この身が消えるなら消えてしまうとも、心の内をおもてに表したりしようか。
【付記】万葉集巻八、秋雑歌。新古今集には「題しらず 中納言家持」とし、下句「けさきえぬとも色にいでめや」。
【関連歌】上0033、下2444
●万葉集・巻九・一六九三 紀伊国作歌二首
【通釈】明けるのが惜しい良夜であるのに、恋しい人の袖は遠く離れたまま独りで寝るのだろうか。
【語釈】◇玉匣 化粧箱。「あけ」の枕詞。
【付記】旅先で共寝のかなわぬ恋人を偲んだ歌。新古今集に恋歌として採られている。
【関連歌】上1472
●万葉集・巻九・一七〇七 鷺坂作歌一首
【通釈】山城の久世の鷺坂は、神代から、春には芽が萌えては、秋には葉が散るのだった。
【語釈】◇鷺坂 京都府城陽市の久世神社の東にある丘陵の坂という。万葉集一六八七・一六九四番歌には「鷺坂山」とある。
【付記】「柿本朝臣人麻呂之歌集所出」とする歌群の一首。定家は新勅撰集に採っている(第四句「春はもえつつ」)。
【関連歌】下2201
●万葉集・巻九・一七一五 槐本歌一首
【通釈】比良山の山風が湖上に吹くので、釣をする海人の袖がひるがえるのが見える。
【付記】題詞の「槐本」は作者の名を示すと思われるが不詳。
【関連歌】中1744
●万葉集・巻九・一七三〇 宇合卿歌
【通釈】山科の石田の小野の雑木林を見ながら、あなたは今頃山道を越えてゆくのだろうか。
【語釈】◇石田乃小野 京都市伏見区の石田から日野にかけての地。奈良から近江へ向かう近江路のほとり。歌枕として平安歌人によっても多く詠まれた。◇母蘇原
【付記】制作事情などは不明。新古今集に「題しらず 式部卿宇合」として採られている。定家は『定家十体』で「有一節様」の例歌に引き、『定家八代抄』にも採る。
【関連歌】上0973
●万葉集・巻九・一七三六 式部大倭芳野作歌一首
【通釈】山が高いので、白木綿花さながらに落ち滾る夏実の川門は、いくら見ても見飽きないことよ。
【付記】式部省の官人である
【関連歌】下2120
●万葉集・巻九・一七四七 春三月諸卿大夫等下難波時歌二首 并短歌
【通釈】白雲が立つという竜田山、その道沿いの滝の上にある
【付記】ある年の三月、諸卿大夫が難波に下った時に作ったという歌。竜田山を越えて難波から平城京へ帰る時、旅をする主君が見られるようにと、桜の花に対して散るなと呼び掛けた。「高橋虫麻呂歌集」の歌。
【関連歌】上0913
●万葉集・巻十・一八一三 春雜歌
【通釈】巻向の檜林にいつも立ちこめている春霞。そのように晴れない思いは慰めることなどできただろうか。
【付記】柿本朝臣人麻呂歌集出。訓は廣瀬本による。下句は現在「おほにしおもはば なづみこめやも」などと訓まれるのが普通。赤人集・五代集歌枕・続古今集などに採られている。
【関連歌】下2487
●万葉集・巻十・一八三五 詠雪
【通釈】今更雪が降るだろうか、そんなはずはない。陽炎の燃え立つ春となったというのに。
【付記】新古今集に入集。定家は『八代抄』『秀歌大躰』にも採る。
【関連歌】〔下2636〕
●万葉集・巻十・一八四〇 詠鳥
【通釈】梅の咲く枝に鳴きながら移動している鶯の羽が真っ白になるほど、沫雪が降っている。
【付記】新古今集に読人不知として採られ、定家は『八代抄』『詠歌大概』に引く。
【関連歌】上1306
●万葉集・巻十・一八九七 寄鳥
【通釈】春なので、百舌が草に隠れて見えないように、あなたの姿は見えないけれども、私はあなたの家のあたりを見遣りましょう。
【付記】訓は廣瀬本による。現在は初句「はるされば」、結句「きみがあたりをば」と訓むのが普通。
【関連歌】上0294
●万葉集・巻十・一九二七 問答
【通釈】石上の布留の神杉のように年老いてしまっても、私はまた新たに恋に落ちてしまったよ。
【付記】「春山のあしびの花のような美しいあなたとなら恋の噂を立てられてもよい」と言ってきた歌に対する答えとして詠んだ歌。作者は年嵩の女性か。訓は廣瀬本の旧訓による。
【関連歌】上0742
●万葉集・巻十・一九七四 詠花
【通釈】春日野の藤の花は散り過ぎたので、御狩の人々は、何をまあ手折って挿頭にするのだろう。
【付記】訓は廣瀬本による。第四・五句は現在「ふぢはちりにて なにをかも」と訓むのが普通。
【関連歌】上1319
●万葉集・巻十・一九九四 寄露
【通釈】夏草の露を分けて濡れた着物、そんな着物をつけていないのに、私の袖は乾く時もない。
【付記】露に寄せて、恋に苦しみ常に涙する心情を訴えた。西本願寺本の旧訓による。新古今集に作者人麿で「なつぐさの露わけ衣きもせぬになどわが袖のかわく時なき」として撰入。
【関連歌】上0931、下2469
●万葉集・巻十・二〇一三 七夕
【通釈】天の川の水辺の草が秋風に靡いているのを見ると、年に一度の逢瀬の時は来たのだった。
【付記】万葉集巻十、秋相聞、「柿本朝臣人麻呂之歌集出」。訓は西本願寺本の旧訓。
【関連歌】下2133
●万葉集・巻十・二〇一八 七夕
【通釈】天の河の去年の渡し場が様変わりしてしまったので、渡れる場所を求めて川瀬を踏みさまよううちに夜が更けてしまった。
【付記】万葉集巻十、秋相聞、「柿本朝臣人麻呂之歌集出」。訓は西本願寺本の旧訓。拾遺集には柿本人麿の作とし「天の河こぞの渡りのうつろへば浅瀬ふむまに夜ぞふけにける」として載る。
【関連歌】下2134
●万葉集・巻十・二〇六三 七夕
【通釈】天の川には霧がたちのぼる。織姫がまとう雲のように白い衣のひるがえる袖であろうか。
【語釈】◇雲衣 天の川にかかる雲を織女の衣になぞらえる。
【付記】巻十の秋雑歌、作者未詳。続後撰集に採られている。
【関連歌】上0032、下2135、員外3593
●万葉集・巻十・二〇六五 七夕
【通釈】足に巻いた玉も、手に巻いた玉も、ゆらゆらと音を立てるほど、手足を働かせて一心に機を織るけれども、あの人の着物に縫い上げることができるだろうか。
【付記】巻十、秋雑歌。牽牛の着物を織る織女の心を詠む。『赤人集』『古今和歌六帖』などに異伝の歌が載る。なお「手珠」には「てだま」の異訓もある。
【関連歌】上1337、下2136
●万葉集・巻十・二〇九六 詠花
【通釈】いちめん葛の生える原を靡かせて秋風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花は散る。
【語釈】◇真葛原 「真葛」は葛の美称。葛はマメ科のつる性多年草。◇阿太の大野 奈良県五條市阿田あたりにあった原野。
【付記】万葉集巻十秋雑歌、「詠花」と題された歌群のうち、人麻呂歌集以外の萩の花を詠んだ歌々の冒頭に置かれている。玉葉集入撰。『家持集』にも見える。
【関連歌】上0647、上1170
●万葉集・巻十・二一七一 詠露
【付記】白露の置いた萩が風に乱れるさまと、恋に乱れる自身の心とを区別し難いものと感じている。西本願寺本の旧訓による。
【関連歌】員外3061
●万葉集・巻十・二一九六 寄黄葉
【通釈】時雨の雨が絶え間なく降るので、常緑であるはずの槙の葉さえも、抵抗しきれずに色づいたのだった。
【付記】槙は杉・檜の類。常緑樹であるが、晩秋には赤褐色に枯れた葉が見られる。万葉集巻十、秋雑歌。新古今集冬に人丸の歌として採られている。
【関連歌】上0957
●万葉集・巻十・二二七〇 寄草
【通釈】道のほとり、穂を出した薄の下蔭の思い草――まるで思い悩むように俯いて咲いている。そんな風に私も恋の悩みを抱えているのだけれども、いやいや、今更もう何を悩んだりしようか
【語釈】◇尾花 穂の出た薄。◇思ひ草 万葉集に詠まれた「思草」はハマウツボ科のナンバンギセルとする説が現在では有力であるが、露草・竜胆などとする説もある。下2310などからすると、定家は竜胆と考えていたか。
【付記】秋の草に寄せて、恋の思いを詠む。訓は西本願寺の旧訓に拠るが、現在では「みちのへの をばながしたの おもひぐさ いまさらさらに なにをかおもはむ」と訓まれるのが普通。この歌により、「尾花がもとの思ひ草」は後世の和歌にも数多く詠まれた。例えば和泉式部の「野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける」など。
【関連歌】上0735、上1475、員外3120
●万葉集・巻十・二三三一 詠黄葉
【通釈】矢田の野の浅茅が色づいている。愛発山の峰に降る淡雪はさぞ冷たいことであろう。
【語釈】◇八田乃野 今の奈良県大和郡山市矢田町にあたるかという(この場合、大和の地にあって遠い北国の雪を想起している歌ということになる)。有乳山と同じく越前国とする説もある。◇有乳山 滋賀県高島郡から福井県敦賀市に越える山。
【付記】新古今集冬に「題しらず 人麿」、初句「やたののに」として採る。同集は結句「さむくあるらし」とする本もある。
【関連歌】上1256、員外3438
●万葉集・巻十一・二三五三 旋頭歌
【通釈】泊瀬の神聖な槻の木の下に、私がひそかに隠している妻。その妻を、明るく照らす月の光で、人が見てしまうのではないか。(人が見つけているのではないか。)
【付記】「柿本朝臣人麻呂之歌集出」の旋頭歌二十首中の一首。大切にしている隠し妻に人が手を出さないか懸念した歌。訓は廣瀬本による。『綺語抄』『和歌一字抄』『袋草紙』といった歌学書に引用され、のち続千載集に採られている。
【関連歌】上1125、下2160
●万葉集・巻十一・二三五六 旋頭歌
【通釈】高麗錦の紐の片方が寝床に落ちていた。明日の夜、また来ようとおっしゃるなら、取って置こうものを。
【付記】女が男に媚態を示した歌。結句、西本願寺本は「取置待」で「とりおきてまたむ」と訓む本が多い。本文・訓とも廣瀬本に拠った。
【関連歌】上1354
●万葉集・巻十一・二四一七 寄物陳思
【通釈】石上の布留の神杉のように神さびてしまっても、私はさらに恋をするのだなあ。
【付記】神杉に寄せて老いらくの恋の心を詠む。「柿本朝臣人麻呂之歌集出」と注された一首。訓は西本願寺本の旧訓による。
【関連歌】上0742
●万葉集・巻十一・二四三〇 寄物陳思
【通釈】この川の水泡が逆巻いて流れる水のように、元に戻ることはあるまい。あの人を思い始めてしまった。
【付記】訓は廣瀬本による。現在は「うぢかはの みなあわさかまき ゆくみづの ことかへらずぞ おもひそめたる」などと訓まれる。
【関連歌】下2233
●万葉集・巻十一・二四七五 寄物陳思
【通釈】我が家の軒のしだ草、すなわち忍草は生えているけれども、恋忘れ草は見たところまだ生えていない。
【付記】草に寄せて恋の思いを詠む。「甍子太草」は忍草(ノキシノブ)の別名で、裏に恋を偲ぶ心を隠している。訓は廣瀬本の旧訓による。
【関連歌】上0736、中1772
●万葉集・巻十一・二六〇七 正述心緒
【通釈】交わして寝た袖も離れ離れになって、私を待っている子は今どうしているのか、その面影が目にちらつく。
【付記】「
【関連歌】上1179
●万葉集・巻十一・二六一七 正述心緒
【通釈】山桜の戸を明けたままにして、私が待っているあなたを、誰が引き留めているのだろう。
【関連歌】中1916、下2075、員外3633
●万葉集・巻十一・二六二二 寄物陳思
【通釈】志賀の海人の塩焼の衣が
【付記】「塩焼衣」までは「なる」を言い起こす序。訓は廣瀬本の旧訓による。
【関連歌】下2050
●万葉集・巻十一・二六二三 寄物陳思
【通釈】幾度も染めた紅の着物を毎朝着て馴れても飽きないように、あなたはいくら馴れ親しんでも可愛らしい。
【付記】「八塩乃衣」に寄せて、衣を着馴れるように馴れ親しんでも、いつも新鮮で可愛らしいと、恋人を讃える。「初句、廣瀬本の訓は「からあゐの」。
【関連歌】中1876
●万葉集・巻十一・二六三八 寄物陳思
【通釈】末の原ので鷹狩をするあなたの弓弦が絶えることのないように、私とあなたの仲も絶えるなどと思うだろうか。
【付記】弓弦に寄せて恋人との仲の強固なことを言挙げする。『古今和歌六帖』にも見え、定家がどちらを本歌としたか確かでない。
【関連歌】上0752
●万葉集・巻十一・二六四三 寄物陳思
【通釈】道を歩き疲れて、稲筵を敷いて休む。それではないが、しきりと重ねてあの人に逢う機会がほしいよ。
【関連歌】中1695
●万葉集・巻十一・二六七九 寄物陳思
【付記】訓は西本願寺本の旧訓による(廣瀬本の訓は第二句「つきはてらして」)。『袋草紙』『和歌初学抄』にもこの旧訓の形で引かれている。
【関連歌】員外3229
●万葉集・巻十一・二六八七 寄物陳思
【通釈】桜麻の麻畑の下草は露が多ければ、夜を明かしてから帰りましょう。親は知ろうともかまいません。
【語釈】◇桜麻乃 桜麻は麻の一種。「桜麻の」で
【付記】親に知らせず、離れ屋などで密会している時の歌。訓は廣瀬本に拠る。第三句は現在「あかしていゆけ」と訓むのが普通で、これだと男に対して詠みかけた女の歌となる。「桜麻乃」は「さくらをの」、「露有者」は「露しあれば」が現在の定訓。
【関連歌】上0738、上1336
●万葉集・巻十一・二六九六 寄物陳思
【通釈】荒熊が棲むという山のしはせ山ではないが、責めて詰問されても、あなたの名は告げるまい。
【語釈】◇師歯迫山 所在未詳。
【付記】家族等から交際相手を厳しく問われても名を明かすまいとの心。
【関連歌】上0767
●万葉集・巻十一・二七一三 寄物陳思
【通釈】飛鳥川の瀬の流れが早いように、早く逢いたいとあの娘は待っているだろうに、今日のこの日は逢えぬまま暮れてしまった。
【付記】初二句は「早見むと」を言い起こす序。訓は廣瀬本による。第三句は現在「はやけむと」と訓むのが普通。
【関連歌】上1335
●万葉集・巻十一・二七四五 寄物陳思
【通釈】湊に入る、葦を分けてゆく舟のように障害が多くて、恋しく思う人に逢わないこの頃であるよ。
【付記】葦分け小舟に寄せて、障害が多く逢い難い恋人を思う。拾遺集に人麿作として入集(移動)。
【関連歌】員外2855
●万葉集・巻十一・二七五四 寄物陳思
【通釈】眠りに落ちるや、ぬるや川のほとりの篠ではないが、しののめとなる――そんな短か夜でも、あの人を思って寝たので、夢で逢えたのだった。
【語釈】◇閏八河 現在では「うるやかは」と訓まれるが、定家の時代には「ぬるやかは」と訓まれ、「
【付記】訓は西本願寺本による。定家は結句だけ「ゆめにみえつつ」と改めて新勅撰集に採っている。
【関連歌】上1033、下2261
●万葉集・巻十一・二七六三 寄物陳思
【通釈】紅の色が浅いという浅葉の野に刈る草、その一
【語釈】◇浅葉の野良 「浅葉」は地名と思われるが未詳。紅の色が浅い意を掛ける。
【付記】「苅草乃」までは「束」を導く序。刈草の「束(数の単位)」に寄せて恋心を詠む。
【関連歌】上0959
●万葉集・巻十一・二七七六 寄物陳思
【通釈】道の辺の草を、野が冬野になり枯れるまでずっと踏んで私は待っていると、誰かあの子に告げてほしい。
【付記】草に寄せて恋の心を詠む。
【関連歌】中1676
●万葉集・巻十一・二七六八 寄物陳思
【通釈】蘆鶴が騒いでいる入江の白菅ではないが、私は人に知られようと恋に苦しんでいることだろうか。
【付記】訓は廣瀬本による。現在は下句を「しらせむためと こちたくあるかも」と詠むのが普通。
【関連歌】上0564
●万葉集・巻十一・二八三九 寄物陳思
【通釈】このままで、やはりこの恋は終わってしまうのか。私は大荒木の浮田の杜の注連縄ではないのに。
【付記】旧訓による。現在では第二句を「なほやまもらむ」と訓み、注連縄のようにずっと恋人を守っているだけなのか、といった男の歎きと読む解釈がなされている。
【関連歌】下2414、下2570
●万葉集・巻十二・二九八一 寄物陳思
【通釈】神主たちが祭っている神社の真澄鏡。それを懸けるではないが、心に懸けてあの人を慕っている。道で逢う人ごとに、あの人ではないかと思って。
【付記】まそ鏡に寄せて恋心を詠む。「犬馬鏡」までは「懸而」を導く序。廣瀬本の旧訓による。
【関連歌】中1716
●万葉集・巻十二・三〇四八 寄物陳思
【通釈】御狩に因む雁羽の小野の楢柴ではないが、あの人と馴れ親しむことはなくて、恋しさばかりが増さる。
【付記】木(楢柴)に寄せて恋心を詠む。「雁羽」は地名であろうが、不詳。新古今集に人麿の作として撰入。
【関連歌】下2443、下2498、〔下2498〕
●万葉集・巻十二・三〇六八 寄物陳思
【通釈】岡の葛の葉を風が吹き返すと、白い葉裏がはっきり見えるように、はっきりと顔を見知っているあの子が、姿を見せないこの頃であるよ。
【付記】葛の葉に寄せて恋の心を陳べる。「吹変」までは「面知」の序。「上三句の序は、葛の生態をよくとらえていて印象鮮明」(万葉集釋注)。
【関連歌】上1037、下2259
●万葉集・巻十二・三〇七一 寄物陳思
【通釈】丹波道の大江山の葛が絶えることのないように、二人の仲が絶えようなどと私は思っていないのに。
【付記】「玉葛」に寄せて、恋人との仲が絶えるとは願っていないと弁解した歌か。第三句は「さねかづら」と訓む説もある。
【関連歌】上1227
●万葉集・巻十二・三〇八八 寄物陳思
【通釈】恋衣を着馴れるというきなれの山に鳴く鳥のように、やむ時もない、私の恋心は。
【付記】「恋衣」は恋を常に身に着けた衣服に喩えた語。一首の本旨に関わる語であるが、着馴らすと言うことから「奈良の山」を導く序としたもの。「著楢」を山名とみて「きなれ」の訓を示す万葉集の古写本もあり、上掲の訓はそれに従ったものである。
【関連歌】中1674
●万葉集・巻十二・三一五六 羇旅発思
【通釈】鈴鹿川のいくつもの瀬を渡って、私は誰のために山を夜越えてゆくのか。そちらに妻が待っているわけでもないのに。
【関連歌】上1282
●万葉集・巻十二・三一九五 悲別歌
【通釈】磐城山をまっすぐ越えて来て下さい。磯崎の許奴美の浜に私は立って待っていましょう。
【付記】妻が夫に対して帰りを待つと言った歌であろう。地名はいずれも所在未詳。駿河国とする説などがある。
【関連歌】上0984
●万葉集・巻十二・三二〇一 悲別歌
【通釈】時つ風が吹くという名の吹飯の浜に出ては、海神に我が命の無事を祈るのは、妻のためを思ってこそだ。
【語釈】◇時風 季節の風。◇贖命 幣を捧げて命の代償とする。神に航海の無事を祈る。
【付記】「時風」は季節の風。「贖命」とは、幣を捧げて命の代償とすることを言う。旅する夫が、留守をまもる妻を思い、航海の無事を祈った歌。
【関連歌】上1089
●万葉集・巻十三・三二三一 雑歌
【通釈】月日は移り変わって行くけれども、ここは久しく変わることのない、三室の山の行宮の地なのである。
【付記】吉野行幸の際、神奈備山(三諸山)の行宮でいにしえを偲んだ長歌の反歌。訓は廣瀬本による。
【関連歌】上1500
●万葉集・巻十四・三三五五 相聞
【通釈】天空に聳える富士の柴山の
【語釈】◇己能久礼
【付記】東歌相聞、駿河国歌。
【関連歌】上1283
●万葉集・巻十四・三三七三 相聞
【通釈】多摩川に晒す手織りの布ではないが、さらにさらに、どうしてこの子がこれ程いとしくてならないのか。
【付記】巻十四、東歌相聞、武蔵国歌。拾遺集には「読人不知」とし「玉河にさらすてづくりさらさらに昔の人のこひしきやなぞ」として収録。
【関連歌】上1292
●万葉集・巻十四・三三八七 相聞
【通釈】足音を立てずに渡ってゆける馬があったらなあ。葛飾の真間の継橋を始終通おうに。
【付記】巻十四、東歌相聞、下総国歌。「足音を立てずに渡ってゆける馬があったら、葛飾の真間の継橋を始終通おうに」と、恋の噂を立てられることを厭う心。
【関連歌】上1175
●万葉集・巻十四・三三九一 相聞
【通釈】筑波山に対して背後に見える葦穂山。その「
【付記】東歌相聞、常陸国。筑波山の背後に見える葦穂山が「
【関連歌】上1264
●万葉集・巻十四・三五三〇 相聞
【通釈】牡鹿が草叢に臥すと姿が見えないように、姿は見えなくとも、あの子の家の前を通り過ぎるだけでも気分が良いよ。
【付記】定家より後の時代であるが、『夫木和歌抄』に採られている。
【関連歌】上1053
●万葉集・巻十七・三九二二 左大臣橘宿禰応詔歌一首
【通釈】降り積もった雪のように髪が白くなるまで、陛下にご奉公申し上げることが出来たことを思いますと、神意は畏れ多くも有り難いものにございます。
【付記】天平十八年正月、大量の積雪があり、左大臣橘諸兄は諸王諸臣等を率い、元正太上天皇の御在所に参って雪掃除に供奉した。その後太上天皇より宴を賜わり、雪を題に歌を詠めと仰せがあった。そこでまず橘諸兄が詠んだ歌である。
【関連歌】上1497
●万葉集・巻十八・四〇五六 左大臣橘宿禰歌一首
【通釈】堀江には玉石を敷いておけば良うございました。大君が御船遊びをなさると以前から存じておりましたならば。
【付記】天平十六年(七四四)の「太上皇御在於難波宮之時歌七首」すなわち元正上皇が難波宮を御在所とした時の一首で、作者は橘諸兄。難波堀江に上皇を歓迎した歌。
【関連歌】上1228
●万葉集・巻十九・四一五三 三日守大伴宿禰家持之舘宴歌三首
【通釈】海彼の風流人たちも筏を浮かべて遊ぶという今日の日です。さあ皆さん、桜の花で編んだ縵をおつけなさいな。
【付記】天平勝宝二年(七五〇)三月三日、越中の国守館で催した宴で、守大伴家持が自ら詠んだ三首のうち第三首。庭園の流水に酒盃を浮かべ、それが流れ過ぎないうちに詩歌を作っては盃をほすという「曲水宴」を偲んでの一首。『古今和歌六帖』や『新撰朗詠集』に採られ、新古今集には「から人の船をうかべて遊ぶてふ今日ぞ我がせこ花かづらせよ」として入集。
【関連歌】上0813
●万葉集・巻十九・四一五四 八日詠白大鷹歌一首 并短歌
【通釈】遥々急峻な山坂を越え、長の年月越の地に住んでいるので、大君の支配なされる国としては、都もここも変わりはないと心では思うものの、語り合っては憂さを晴らし、顔を合わせては気を晴らせる相手が少ないために、物思いの種は尽きない。それ故、心も慰むかと、秋めいてくれば萩が咲き匂う石瀬野に馬を操って行って、そこここで蹄の音を立てては鳥を飛び立たせ、銀で鍍金した鈴を揺り鳴らす鷹に捕えに行かせ、その様を仰ぎ見ては、つかえた胸の内を伸びやかに晴らして喜ぶ。そんなふうにしながら、妻屋の内に止まり木を立て、そこに置いて私が飼っている、真白な斑模樣の鷹である。
【付記】天平勝宝二年(七五〇)三月八日、大伴家持が「白大鷹」を詠んだ長歌。短歌一首は略した。訓は西本願寺本の旧訓による。
【関連歌】中2019
●万葉集・巻二十・四四五八 天平勝寳八歳丙申二月朔乙酉廿四日戊申 太上天皇大后幸行於河内離宮 経信以壬子伝幸於難波宮也 三月七日於河内国伎人郷馬国人之家宴歌三首
【通釈】たとえ息長川の流れが絶えることはあっても、あなたにお話ししたい言葉が尽きることはあるでしょうか。
【付記】「河内国仗人郷」(大阪市の東南端、現平野区喜連)の馬国人の家で宴を催した時の歌三首の第二首で、主人の国人が客の家持に贈った歌。「尓保杼里乃」は息長川の枕詞。息長川は滋賀県の伊吹山麓に発し、琵琶湖に注ぐ天野川の古称。
【関連歌】上1441
●万葉集・巻二十・四四九四
【通釈】鴨の羽の色である青馬を今日目にした人は、寿命が尽きないのであると言う。
【語釈】◇水鳥の 鴨の枕詞、また上二句は「青」を導く序。◇青馬 灰毛の馬。
【付記】天平宝字二年(七五八)正月、大伴家持が七日の
【関連歌】下2027
公開日:2010年11月27日
最終更新日:2012年10月17日