藤原因香 ふじわらのよるか 生没年未詳

贈太政大臣高藤の娘。母は尼敬信。貞観十三年(871)、従五位下。元慶二年(878)、権掌侍。寛平九年(897)、従四位下掌侍。古今集の脚注には「貞観寛平延喜典侍云々」とある。勅撰集では古今集に四首、後撰集に一首入集。

女ども、花見むとて、野辺に出でて

春来れば花見にと思ふ心こそ野べの霞とともにたちけれ(後撰112)

【通釈】春になったので、花見に行こうと思う心が、野辺の霞と共に立ったのだなあ。

【語釈】◇たちけれ 「たち」に、霞が立つ意と心が立つ(思い立つ)意を掛けている。

心地そこなひてわづらひける時に、風にあたらじとて、下ろし籠めてのみ侍りけるあひだに、折れる桜の散りがたになれるを見てよめる

たれこめて春のゆくへもしらぬまに待ちし桜もうつろひにけり(古今80)

【通釈】簾を下ろして引き籠って、春の進行具合も知らない間に、心待ちにしていた桜も衰えてしまった。

【語釈】◇たれこめて 垂れ籠めて。簾などを下ろして室内に引き籠ること。◇春のゆくへ 春という季節の経過。

春宮のむまれたまへりける時にまゐりてよめる

峰たかき春日の山にいづる日はくもる時なく照らすべらなり(古今364)

【通釈】峰高く聳える春日(かすが)の山に昇る日は、曇る時もなく照り輝くということです。

【補記】皇太子誕生を祝う歌。古今集賀歌巻末。「春宮」は醍醐天皇第四皇子保明親王(生母は中宮藤原穏子)。従ってこの歌は延喜三年(903)の作ということになる。「春日(かすが)の山」は、藤原氏の氏神、奈良の春日大社の山。春宮の母が藤原氏であるので、春日山を持ち出したもの。「いづる日」は春宮を指し、「照らすべらなり」は、春宮がいずれ皇位に就き太平の世を治めることを予祝する。

右の大臣(おほいまうちぎみ)すまずなりにければ、かの昔をこせたりける文どもをとりあつめて返すとて、よみておくりける

たのめこし言の葉いまはかへしてむ我が身ふるればおきどころなし(古今736)

【通釈】あなたが散々私に期待させてきた言の葉、これを今はお返しします。我が身は打ち捨てられ、ポンコツになったので、この身も手紙も、どこにも置き場所がなくなってしまったから。

【補記】「右の大臣」は源能有。かつての恋人の通いが絶えたため、以前寄越した手紙を集めて返すときに詠んだ歌。「言の葉」は手紙のこと。

【他出】古今和歌六帖、定家八代抄

題しらず

玉ほこの道はつねにもまどはなむ人をとふとも我かと思はむ(古今738)

【通釈】お通いの道はいつも迷ってほしいものです。他の人のもとを訪ねたとしても、私の所においでになるつもりだったのかと思いましょう。

【補記】道を常に迷ってほしい、とは、道を間違えてでも私の所に通ってほしい、との意。「人をとふ(訪ふ)」の「人」は他人の意。


最終更新日:平成15年01月08日