春道列樹 はるみちのつらき 生年未詳〜延喜二十(920)

主税頭新名の一男。春道氏は物部氏の末流(『三代実録』貞観六年五月十一日条)。
延喜十年(910)、文章生に補せられる。大宰大典を経て、同二十年(920)、壱岐守となるが、赴任する以前に没した(『古今和歌集目録』)。
古今集に三首、後撰集に二首入集。小倉百人一首にも歌を採られている。

志賀の山越えにてよめる

山川(やまがは)に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり(古今303)

【通釈】山中の小川に風がかけたしがらみは、瀬に溜まって流れることもできない散り紅葉なのであったよ。

【語釈】◇志賀の山越え 京都の北白川から比叡山・如意が岳の間を通り、志賀(大津市北部)へ抜ける道。天智天皇創建になる崇福寺を参詣する人々が往来した。◇山川 山中の谷川。◇風のかけたる 人が作って仕掛けるものである柵(しがらみ)を、風が仕掛けたと見た。◇しがらみ 水流をせき止める柵。普通、杭を打ち並べ、竹や枝などを組んで造る。◇流れもあへぬ 流れようとしても流れない。風に散った紅葉が川にしがらみをなしている情景。

【補記】京から志賀(琵琶湖の南西部)の崇福寺へ向かう山道で詠んだという歌。すなわち題詠でなく、即興の歌である。道すがら眺めた「山川」では、風に散らされた大量の紅葉が「しがらみ」をなしていた。「見立て」と言われる古今集に著しい技法であるが、散り紅葉をしがらみになぞらえていると同時に、風をしがらみの作り手と見ているところが面白く、この歌の味わいを深めている。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄、詠歌大概、百人一首

【主な派生歌】
紅葉ばの流れもやらぬ大井河かは瀬は波の音にこそ聞け(源資綱[新勅撰])
散りかかる紅葉流れぬ大井川いづれ井ぜきの水のしがらみ(源経信[新古今])
桜木の葉守の神はしらねども風のかけたる花のしらゆふ(藤原顕輔)
龍田川木の葉の後のしがらみも風のかけたる氷なりけり(藤原家隆[続後拾遺])
山川に風の懸けたるしがらみの色にいでてもぬるる袖かな(藤原家隆)
山水のたえゆく音をきてとへばつもる嵐の色ぞ(うづ)める(藤原定家)
木の葉もて風のかけたるしがらみにさてもよどまぬ秋の色かな(藤原定家)
散ればかつ浪のかけたるしがらみや井手こす風の款冬の花(藤原為家[続拾遺])
岩つたふ山のさくらのしき波に風のかけたる布引の滝(藤原基家)
山川に春ゆく水はよどめども風にとまらぬ花のしがらみ(源通光[続拾遺])
谷川に岸の木のはを吹きためて風のかけたる瀬瀬の浮橋(後崇光院)
天の原春立つ雲の浪こえて風のかけたるしがらみもなし(正徹)
さそはれていとど思ひの露ぞもる風のかけたる袖のしがらみ(〃)
風さむきを花が末の浪の間にながれもあへぬ秋の日のかげ(一色直朝)
こほりつつ流れもあへぬ山川につもればかかる雪のしがらみ(望月長孝)
さそひきて紅葉をしけば是も又風のかけたる山河の橋(後西院)

年のはてによめる

昨日といひ今日と暮らしてあすか川流れてはやき月日なりけり(古今341)

【通釈】昨日と言い今日と言って日々を暮らし、明日はもう新年を迎える。飛鳥川の流れが速いように、あっと言う間に過ぎ去ってゆく月日であることよ。

【補記】大晦日に詠んだ歌。あすか川に「明日」を掛ける。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄、歌枕名寄、桐火桶、題林愚抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中はなにかつねなるあすか川きのふの淵ぞけふは瀬になる

【主な派生歌】
石ばしる初瀬の川の波枕はやくも年の暮れにけるかな(徳大寺実定[新古今])
とどめばや流れて早き年波の淀まぬ水はしがらみもなし(*道助親王[新勅撰])
けふといひ昨日とくらす夢の中に五十あまりの過る程なさ(飛鳥井教定[続拾遺])

題しらず

梓弓ひけばもとすゑ我が方によるこそまされ恋の心は(古今610)

【通釈】梓弓を引けば、本と末が私の方に寄って来る――その「寄る」ではないが、夜になるとつのるよ、恋心は。

【補記】「もとすゑ」は弓の本(上端)と末(下端)。弓を引けば両端が自分の体の方に引きつけられるが、恋人はそのように寄ってくれないので、恋心がつのると嘆いた歌。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日