上冷泉為広 かみれいぜいためひろ 宝徳二〜大永六(1450-1526)

藤原氏北家長家流。権大納言為富の子。母は丹波重長女。為和の父。御子左家系図
享徳元年(1452)十一月、叙爵。文明九年(1477)十二月、従三位。参議・権中納言などを経て、文亀元年(1501)、正二位。永正三年(1506)九月、武家執奏によって権大納言に任ぜられる(年長の下冷泉政為より一月早い昇任であった)。十一月には民部卿を兼ねる。永正五年四月十七日、将軍足利義澄に殉じて出家。法名、宗清。大永六年(1526)七月二十三日、薨。七十七歳。
将軍足利義尚の信任を得、文明十五年(1483)の和歌打聞の企画の際、寄人に任命される。文亀二年(1502)には足利義澄により宗匠に推挙され、下冷泉政為・三条西実隆と共に堂上和歌師範として活躍した。文明五年(1473)の「親長卿家歌合」、同十四年六月十日の足利義尚主催「将軍家歌合」、同十六年十二月二十三日の「文明歌合」、文亀三年(1503)六月十四日の内裏歌合等に出詠。文亀三年(1503)の「三十六番歌合」では判者を務めた。数種の詠草類の他、「為広百首」等が伝存する。『一人三臣和歌』の作者の一人でもある。

「前大納言為広卿集(清玉集)」続群書類従433(第16輯上)
「為広卿集」新編国歌大観8(為広集1)
「為広詠草」私家集大成6・新編国歌大観8(為広集2)
「為広卿詠」私家集大成6・新編国歌大観8(為広集3)
「為広詠草」続群書類従434(第16輯上)・私家集大成6

初花

思ひ寝になれこし花や今朝さくもなほ覚めやらぬ夢の面影(清玉集)

【通釈】思い寝に見慣れてきた桜の花は、今朝咲いたけれども、まだ醒めきらない夢の中の面影よ。

【語釈】◇思ひ寝 (花を)思いつつ寝入ること。

【補記】八百三十余首を収める『清玉集』は為広の家集と伝わるが、足利義尚の家集『常徳院集』との重複が三百首を越え、義尚の作が混入したらしい。この歌は義尚の集には見えず、為広の作と見られる。

遠尋虫

帰るさの朝霧ふかし虫の音を夕露かけてたづねこし野に(清玉集)

【通釈】帰る時には朝霧が深く立ち込めている。夕露を身に浴びながら虫の音をもとめてやって来た野に。

【語釈】◇夕露かけて 夕露を身に浴びせて。「夕かけて」(夕暮近くなって)の意が響く。

【補記】虫の音を聞いて一晩を過ごすという趣向に、夕露と朝霧との対比でアクセントを付けた。なおこの歌は姉小路済継の家集『済継集』(私家集大成の「済継V」)にも見えるが、為広の作が混入したものらしい。


最終更新日:平成17年09月12日