山本春正 やまもとしゅんしょう 慶長十五〜天和二(1610-1682) 号:舟木軒(せんぼくけん)

山本俊正(宗巴)の子。京の人。家業の蒔絵師を継ぎ、名手と評される。若い頃から文事にも興味を持ち、十代で松永貞徳に師事した。のち木下長嘯子に入門して門弟の中心的存在となる。同門の打它公軌(うつだきんのり)の遺志を継ぎ、師の歌文集『挙白集』、大部の和歌索引『古今類句』を編纂、完成上梓した。寛文四、五年(1664〜1665)頃、清水宗川と共に水戸家に招かれ江戸に出る。光圀の命を受けて岡本宗好と共に地下歌人の和歌を集成した私撰集『正木のかづら』を編む(長嘯子全集第四巻に翻刻あり)。他の著に『語句類葉集』等があり、家集に『舟木集』がある(彰考館蔵)。
以下には『正木のかづら』より三首を抜萃した。

天哉(てんさい)大原野(おほはらの)に住み給ひしとき、五首歌講ぜられし中に、深山花

山ふかみあはれ幾世の花なれや立つをだまきにかかる白雲

【通釈】山の奥深く、ああ幾年を経た花であろうか、ひっそりと立つ老木に、白雲がかかるように咲いている。

【語釈】◇天哉 作者の師であった木下長嘯子◇大原野 京都市西京区。大原野神社がある。◇山ふかみ 「ふかみ」の「み」は上代のミ語法と呼ばれ、形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわすのが本来の用法であるが、王朝和歌では形容詞連用形と同じ使い方がなされることも多い。掲出歌でも「山深く」の意で用いている。◇をだまき 葉のない朽木を指す歌語。人目につかない深山の桜の古木をあわれんでこのように呼んだ。◇白雲 山桜の花を雲に見立てる。

【補記】師の長嘯子が大原野に住んでいた頃に催した五首歌会での作。第二句底本は「あはれ幾夜の」とするが、歌意を斟酌して改めた。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむ人のおとづれもせぬ
  「狭衣物語」巻三
谷ふかくたつをだまきは我なれや思ふ心の朽ちてやみぬる
  後嵯峨院「六華集」
谷ふかみ日影にのこる白雪やたつをだまきの花と見ゆらむ

秋、北山にまかりて、朝の空をながめて

山里はただおほかたの朝けだに都に知らぬ秋の夕暮

【通釈】山里にあっては、普段の朝明けでさえこれほど趣深い。ましてや秋の夕暮は、都では経験しようのない哀れ深さである。

【補記】秋に北山(京都北方)を訪れ、朝の空を眺めて詠んだという歌。「朝けだに」で切れ、感に堪えぬ思いは言外に匂わせる。朝でさえそれほど素晴らしいということで、山里の秋の夕暮の哀れ深さを強調したのである。大胆・強引な語法は師の長嘯子譲りか。なお、題を「秋夕」とする本もあるらしい(林達也『近世和歌の魅力』)。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
おほかたの秋来るからに我が身こそかなしき物と思ひ知りぬれ
  藤原有家「新古今集」
物思はでただおほかたの露にだに濡るれば濡るる秋のたもとを

塩屋煙

すまの浦や藻塩(もしほ)たれけむ昔まで煙に残る夕ぐれの空

【通釈】須磨の浦で海藻を刈っては塩水を垂らしたという――そんな昔の趣までもが、たちのぼる煙に残っているように感じられる、夕暮の空よ。

【補記】雑歌。本歌は在原行平が須磨に流された時の詠で、「藻塩たれつつ」に涙を暗示している。須磨はまた源氏物語でも流謫の舞台となった。掲出歌の「昔」には、古人が綿々とこの地に寄せてきた思いが籠められている。

【本歌】在原行平「古今集」
わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ


公開日:平成21年11月09日
最終更新日:平成21年11月24日