田捨女 でんすてじょ 寛永十一〜元禄十一(1634-1698) 号:嶺南・妙融尼・貞閑尼

丹波国氷上郡柏原の生れ。織田藩の藩士、田季繁(でんのりしげ)の娘。本名は捨(すて)。生年は寛永十年とも。
継母の連れ子季成と結婚し五男一女をもうける。延宝二年(1674)、四十二歳にして夫と死別し、のち出家して妙融と号し、まもなく京に上った。山科の地蔵寺で盤珪和尚と出会い、五十三歳の時その後を追って播州網干(あぼし)に移る。法号を貞閑と改め、盤珪が網干に開いた龍門寺のそばに不徹庵(ふたいあん)を結んで住む。同庵には捨女を慕って多くの尼僧が訪れ、修行を共にしたという。元禄十一年八月十日、同地にて没した。六十五歳。
幼少より文才をあらわし、『俳家奇人談』によれば六歳の時「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」の句を作ったという。出家後、北村季吟に師事した。家集『貞閑尼公詠吟』、『亡夫季成をしのびて』と題した自筆歌稿、いろは四十八字を頭に置いて詠んだ『伊呂波歌』がある(いずれも女人和歌大系三所収)。

亡き人のもてはやしける萩の枯れけるを見て

露の身の消えぬもかなしもろともに枯れゆく萩ぞうらやまれぬる(捨女自筆本)

【通釈】露のように果敢ない我が身が消えてしまわないのも悲しいことだ。亡き人と共に枯れてゆく萩が羨ましく思われたよ。

【補記】田家に伝わる「亡夫季成をしのびて」と題された自筆本(『女人和歌大系』所収)にある歌。季成は和歌俳諧を嗜み、夫婦仲睦まじく文雅を楽しんだという。

【参考歌】三条西実隆「雪玉集」
それながらうつろひはてて庭の面にきえぬもかなし花の白雪

初秋に

思ひやるこの夕暮のはつ風にふかくなりゆく秋のあはれを(捨女自筆本)

【通釈】はるかに思いを寄せるこの夕暮――秋の初風に、深まってゆくこの季節の哀れな情趣であるよ。

【補記】これも「亡夫季成をしのびて」より。同書の構成からすると、夫が亡くなった翌年の秋の作と見られる。「思ひやる」は和歌では多く恋心について使われる語だが、ここは故人を偲ぶ意。なお『貞閑尼公詠吟』には「七夕」の題で載り、この場合歌の解釈も当然異なってくる。

 

きし方を思ひ思へばまどろまぬ夢の枕にかよふ秋風(貞閑尼公詠吟)

【通釈】あの人と過ごした過去を思い思いしていれば、まどろむ暇もない――醒めながらはかない夢の中にある私の枕もとを、秋風ばかりが訪れては去ってゆく。

【補記】「夢の枕」は普通「夢を見ている時の枕」の意で用いられるが、ここは「まどろまぬ夢」、すなわち醒めていても現世の迷いの夢の中にいる、というのである。

【本歌】式子内親王「新古今集」
かへりこぬ昔を今とおもひ寝の夢の枕ににほふ橘


公開日:平成18年02月24日
最終更新日:平成18年02月24日