在原滋春 ありわらのしげはる 生没年未詳

業平の次男。棟梁の弟。師尚の兄。妻は中納言藤原山蔭の姪、五条の御(『大和物語』)。系図
内舎人、六位。古今集に六首、新勅撰集に一首を収める。また『大和物語』百四十三・百四十四段に「在次君」として登場、五首の歌を収めている。

甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはむとてまかりけるを、道なかにて、にはかに病をして今々となりにければ、よみて京にもてまかりて、母に見せよといひて、人につけて侍りける歌

かりそめの往きかひ()とぞ思ひこし今はかぎりの門出なりけり(古今862)

【通釈】ほんのしばらく行って帰って来る甲斐路と思って出掛けましたが、あれが今となっては最後の死出の旅立ちだったのですね。

【補記】「ゆきかひ」の「かひ」に国名「甲斐」を掛けている。この歌は『大和物語』百四十四段にも見え(第三句は「思ひしを」)、同書によれば滋春は甲斐国で客死したことになる。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日