従三位葉室頼任の娘。花園院の典侍として仕え、院との間に祝子内親王を生む。勅撰作者部類によれば玉葉集の「別当」、続千載集の「新院別当典侍」と同一人。この件に関しては岩佐美代子「田中本帝系図をめぐる歌人達」(『京極派歌人の研究』所載)に詳しい考証がある。玉葉集初出。勅撰入集は計十三首。
恋の歌の中に
たのまじと思ふ心はこころにて暮れゆく空のまたいそがるる(風雅1040)
【通釈】期待するまいと思う心は心として抱きつつ、暮れてゆく空に一方ではそわそわしてしまう気持もあるのだ。
【補記】逢瀬の時である夕暮に、期待と諦めが交錯する心情。
恋五首歌合に、恋命
一たびの
【通釈】たった一度の逢瀬と引き換えにした私の命なのですから、捨てるも惜しむも、あなた次第なのです。
【補記】康永年間(1342-1344)頃、花園院主催の歌合。
【本歌】紀友則「古今集」
命やはなにぞはつゆのあだ物を逢ふにしかへばをしからなくに
【参考歌】伏見院「新後撰集」
逢ふ事にかへし命のままならば人のつらさも又はなげかじ
寄月恋を
うくつらき人の面影わが涙ともにぞうかぶ月の夜すがら(玉葉1479)
【通釈】薄情でつれない人の面影も、私の涙も、一緒に目に浮かぶよ。一晩中月を眺めていると。
最終更新日:平成15年01月13日