武田信勝 たけだのぶかつ 永禄十〜天正十(1567-1582)

信玄の孫。勝頼の長男。母は北条氏康の娘。天正十年、織田信長の軍に包囲され、天目山の麓で父と共に自刃。享年十六。

勝頼、御子信勝に向ひ、前途多い為、惜しまるるに信勝詠じ給ふ

まだき散る花と惜しむな遅くともつひにあらしの春の夕暮(理慶尼の記)

【通釈】この春の夕暮、私は死出の旅に赴きますが、散るのが早すぎる花だと惜しまないで下さい。遅くともいずれ、最後には嵐に吹き飛ばされるのです。

【語釈】◇まだき散る 早くも散る。まだ散る時季でないのに散る。◇おそくとも遂に 時期が遅れるとしても、いずれ最後には。◇あらし 「あらじ」(いずれは死ぬ、の意)を掛ける。

【補記】天正十年三月、織田勢に追い詰められ、父勝頼は切腹を覚悟したが、前途多しと信勝の命を惜しんだ。その際、信勝の詠んだ歌と伝わる。

【参考歌】正徹「草根集」
山がくれつひに嵐の音きかで心と花のいくかちるらん

信勝の介錯弟の土屋まゐらす

あだに見よ誰もあらしの桜花さき散るほどは春の夜の夢(理慶尼の記)

【通釈】はかないものと見よ。人は誰も嵐の中の桜花、いずれこの世を去る定め。咲いて散るまでの間は、あっけない春の夜の夢だ。

【語釈】◇誰もあらしの 「嵐」に「あらじ」(いつかは死ぬ、の意)を掛ける。

【補記】勝頼の臣、土屋源三親久が信勝の介錯をする際の作。作者名の明記はないが、これも信勝の辞世と思われる。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年05月07日