大伴御行 おおとものみゆき 生年未詳〜大宝一(701) 略伝

右大臣長徳の子。安麻呂の兄。子に三依(御依)がいる。
天武四年(675)、小錦上兵部大輔。同十三年(684)、宿禰賜姓。持統二年(688)、天武天皇葬送の際、誄を奉る。同八年、五百戸に贈封され、大伴氏の氏上に任命される。同十年、正広肆大納言として資人八十を仮賜される。文武四年(700)八月、善政を称され正広参に昇進。大宝元年(701)年正月、大納言正広参として薨去し、正広弐右大臣を追贈された。
万葉集巻十九に「壬申の乱平定以後の歌」として「大将軍贈右大臣大伴卿作」の歌が載る。因みに『竹取物語』に登場する「大納言大伴のみゆき」は御行をモデルとしていると言われる。

壬申の年の乱、平定(たひ)らぎし以後(のち)の歌

大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ(万19-4260)

【通釈】大君は神でいらっしゃるので、栗毛の馬が腹まで水に漬かって耕作する田んぼでさえ、皇都と成してしまわれた。

【補記】壬申の乱平定後、すなわち天武元年(672)以後、天武天皇の築いた飛鳥浄御原宮を誉め讃えた歌。左注に「天平勝宝四年二月二日聞之、即載於玆也」とあり、大伴家持が天平勝宝四年(752)に記録したものと知れる。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三
大君は神にしませば天雲の雷(いかづち)の上にに庵らせるかも
  作者不詳「万葉集」巻十九
大君は神にしませば水鳥のすだくみ沼を都と成しつ


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日