道臣命 みちのおみのみこと 略伝

大伴氏の祖。天忍日命の曾孫。最初、日臣命(ひのおみのみこと)と名乗ったが、神武天皇東征の時、大久米を率いて熊野山中を踏み分け、宇陀までの道を通した功により道臣(みちのおみ)の名を賜わった。菟田県の首長兄滑(えうかし)を滅ぼし、さらに国見丘の八十梟師(やそたける)の残党を討伐した。和歌山市片岡町の刺田比古神社などに祭られている。
日本書紀は道臣命が詠んだという歌一首を伝える。

 

忍坂(おさか)の 大室屋(おほむろや)に 人(さは)に ()()りとも 人(さは)に 来入(きい)()りとも みつみつし 久米の子等が 頭槌(くぶつつい) 石槌(いしつつい)もち 撃ちてし()まむ

【通釈】忍坂の大きな土室(つちむろ)に、人がおおぜい入り込んでも、人がおおぜいやって来て入り込んでも、いさましい久米の者らが、くぶつちの大刀(たち)、石の槌でもって、やっつけずにおるものか。

【語釈】◇忍坂 奈良県桜井市忍坂(おっさか)。神武天皇は宇陀から忍坂に入り大和を平定した。◇みつみつし 「久米」の枕詞。語義・掛かり方未詳。◇久米の子等 久米の兵士達を指す。久米氏は大伴氏の配下にあって軍事を担当した。◇頭槌(くぶつつい) 刀の柄頭(つかがしら)が槌の形をしている剣。

【補記】日本書紀巻三。忍坂の大室にいた土蜘蛛八十建(やそたける)に、八十人の膳夫(かしわで)をあて、各人に大刀を佩かせて、歌を合図に斬りかかるよう命じた時の歌という。古事記に神武天皇が詠んだというよく似た歌があるが、日本書紀によれば道臣命の歌である。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年03月12日