藤原勝臣 ふじわらのかちおん 生没年未詳

北家内麻呂の曾孫。越後介藤原発生の息子。元慶七年(883)、阿波権掾。五位。古今集に四首。

貞観の御時、綾綺殿の前に梅の木ありけり。西の方にさせりける枝の紅葉はじめたりけるを、うへにさぶらふ男(をのこ)どものよみけるついでに、よめる

おなじ()をわきて木の葉のうつろふは西こそ秋のはじめなりけれ(古今255)

【通釈】同じ樹の枝なのに、とりわけ西の方を向いた枝の葉だけが色を変えているのは、西こそが秋の始めであったのだなあ。

【補記】五行思想より、秋は西から来るとされた。

【主な派生歌】
をぐら山西こそ秋とたづぬれば夕日にまがふ峰のもみぢば(藤原家隆)
わきてなほ更けゆく影のさやけきは西こそ秋と月やすむらん(源資平[続古今])
都より尋ねてきけば小倉山西こそ秋と鹿もなくなれ(津守国冬[新後撰])
すずしさを月に吹きこせ住の江や西こそ秋の沖つ塩風(肖柏)
尋ねみむさぞな涼しき大井川西こそ秋の水のみなかみ(木下長嘯子)
夕まぐれほのみるからに悲しきは西こそ秋の初月の影(下河辺長流)
のどけしな西こそ秋のおなじえをわかずも春ににほふ梅が香(中院通茂)

題しらず

白浪のあとなき方に行く舟も風ぞたよりのしるべなりける(古今472)

【通釈】どこを目指して行けばよいのか、行方も知れぬ恋にとっては、風信だけが頼りになる導き手なのだ。

【補記】恋歌。「あとなき方」は、先導する船の航跡がない方向。「たよりのしるべ」は、頼りになる導き手。「たより」には便り(手紙)の意を掛ける。

【他出】古今和歌六帖、奥義抄、和歌初学抄、定家八代抄、歌林良材

【主な派生歌】
しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟の行方もしらぬ八重の潮風(*式子内親王[新古])
今朝よりは風をたよりのしるべにてあとなき波も秋やたつらん(藤原定家)
かぢをたえ由良の湊による舟のたよりもしらぬ沖つ潮風(藤原良経[新古])
都へとさそふしるべもしら波のあとなきかたに月ぞやどれる(藤原秀能)
春くれば霞をおのがたよりとてあとなきかたにかへる雁がね(藤原為家)
うき雲の跡なき方にしぐるるは風をたよりの木の葉なりけり(宗尊親王)
荻の葉に風ぞたよりの音たててものおもふ秋のしるべなりける(〃)
和田の原かぎりもいとど白波の跡なきかたにたつ霞かな(頓阿)
山里は風ぞたよりのしるべとも梅が香にほふ比やしるらむ(宗良親王)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成23年05月27日