倭文部可良麻呂 しとりべのからまろ 生没年未詳

常陸国の人。天平勝宝七歳(755)二月、防人として筑紫に派遣される。

 

足柄(あしがら)の 御坂たまはり 顧みず (あれ)()え行く 荒し()も 立しや憚る 不破の関 ()えて()は行く (むま)の爪 筑紫の崎に ()まり居て (あれ)(いは)はむ 諸々は (さけ)くと申す 還り来までに(万20-4372)

【通釈】足柄の御坂を通して頂いて、振り返ることなく、俺は越えて行く。強い男でも立ち止まってためらう不破の関を越えて、俺は行く。馬の蹄(ひづめ)がすり減って尽きると言う筑紫の岬にとどまって、俺は身を浄め神に祈ろう。みんな無事でいてくれとお祈りする。帰って来るまでは。

【補記】「足柄の御坂」は足柄峠。相模国の西境であり、狭い意味での東国からの出口に当る。「不破の関」は岐阜県不破郡関ヶ原町にあった関。近江・美濃国境に当り、東山道の要所。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日