中島広足 なかじまひろたり 寛政四〜元治元(1793-1864) 号:橿園(かしぞの)・黄口・田翁

寛政四年三月五日、熊本藩士中島五郎平の子として生れる。国学を長瀬真幸(本居宣長門)に、和歌を一柳千古(加藤千蔭門)に学ぶ。三十歳の時、肥前国長崎に移住し、この地で国学・和歌を教授する。文久元年(1861)、藩命により肥後に帰国し、国学の師範役となる。元治元年正月二十一日、没。七十三歳。肥後万日山に葬られる。
家集『橿園集』(天保十年-1839-刊)と『しのすだれ』(嘉永〜安政年間刊)、研究書『詞の玉の緒補遺』『詞の八衢補遺』『玉霰窓の小篠』など、文集『橿園文集』『橿園随筆』などの著がある。同郷・同門の和田厳足と親交があった。

以下には『橿園集』(校注国歌大系十九に収録。続日本歌学全書八に抄出)と『しのすだれ』(肥後文献叢書一)より六首を抜萃した。

和風報春

しの簾高くかかげて長閑(のどか)なる風の春をぞ宿に入れつる(しのすだれ)

【通釈】篠簾を高く巻き上げて、のどかな風のもたらす春の気を家の中に入れたのだ。

【語釈】◇しの簾(すだれ) 篠竹を編んで作った簾。◇宿 和歌では自宅も旅宿も区別せず「やど」と呼んだ。この歌では住家のこと。

【補記】題意は「和(なご)やかなる風、春を報(しら)す」。遺稿家集『しのすだれ』の巻頭歌で、同集の名の由来となった一首。江戸派の流れを汲む作者の詠風は概して平明温雅、きわだった個性はないが、掲出歌に見られるような清々しい調べをそなえていた。

交花

咲きしより桜が中に身をおきて花より(ほか)の世をしらぬかな(しのすだれ)

【通釈】桜が咲いてからというもの、花の中に我が身を置いて、花よりほかの世界を知らぬことであるよ。

【補記】花に耽溺する心を誇張して詠み、風狂の境地に踏み入っている。

水辺萩

さを鹿のわたりすぎたる山水に散りて流るる秋萩の花(しのすだれ)

【通釈】牡鹿が渡って越えた谷川の水に、秋萩の散り花が流れている。

【語釈】◇山水(やまみづ) 山中の水の流れ。谷川に同じ。

【補記】牡鹿は萩の花咲く繁みで一夜を過ごし、花びらをたくさん身体に付けていたのであろう。ゆえに川を渡った後の水面には、その花が浮かび流れていたのである。鹿と萩の間に深い契りがあると見た古人の考えを踏襲している。

河霧

浪の音はしたに騒ぎて明くる夜の霧しづかなる木曽の山川(しのすだれ)

【通釈】波の音は下の方でざわめいて、明けてゆく夜の川霧は静かに流れてゆく、木曽の谷川よ。

【補記】秋の木曽川上流の渓谷、その明け方の景。霧の下に隠れて騒ぐ波の音が、霧のゆったりとした動きと静けさを強調している。

水初結

汲む水に今朝よりまじる薄氷まだ釣瓶(つるべ)にはさはらざりけり(しのすだれ)

【通釈】汲み上げる水に、今朝から薄氷が混じっている――その氷はまだ釣瓶の上げ下ろしには差し支えないのだった。

【語釈】◇釣瓶 井戸水を汲み上げる桶。◇さはらざりけり 邪魔にはならなかった。釣瓶を引き上げるのに支障があるほどの厚い氷ではなかったということ。

【補記】題意は「水、初めて結ぶ」。井戸水が初めて結氷した初冬の朝。釣瓶という具体物との係わりを詠むことで、氷の薄さが実感的に捉えられた。「まだ…さはらざりけり」と言って、いずれ氷が厚くなる厳冬の朝も予感されている。

深山雨

足柄の峰の浮雲うき立ちて神の御坂にはやさめぞ降る(橿園集)

【通釈】足柄の峰に浮雲が湧き上がって、神の御坂に激しい俄雨が降っている。

【語釈】◇足柄の峰 駿河・相模国境の足柄峠。東海道の難所。◇神の御坂(みさか) 足柄峠の坂。◇はやさめ 速雨。激しいにわか雨のこと。古事記中巻に見える語。

【補記】雑歌。古典の知識から作った歌であるが、「足柄」「神の御坂」といった歌枕がそれなりに効いて、題「深山雨」にふさわしい幽邃の気は出た。


公開日:平成20年07月04日
最終更新日:平成20年07月18日