間人大浦 はしひとのおおうら 生没年未詳

伝未詳。文武朝頃の人か。間人宿禰は、天皇と臣下、または異国人との間をとりつぐ職掌をもったかとされる伴造氏族。天武十三年、連より宿禰に改姓された。

間人宿禰大浦の初月(みかつき)の歌二首

天の原ふりさけ見れば(しら)真弓張りて懸けたり夜道はよけむ(万3-289)

【通釈】空を振り仰げば、白木の真弓を張ったような月が懸かっている。この分なら夜道は歩きやすいだろう。

【他出】作者不明記「古今六帖」
天の原振りさけみれば白真弓張りて懸けたるよる道よにも
  中納言家持卿「夫木抄」
あまの原ふりさけみればしらま弓はりてかけたるよみちはよけん

倉椅(くらはし)の山を高みか夜隠(よこもり)に出で来る月の光(とも)しき(万3-290)

【通釈】倉橋の山が高いからだろうか、夜遅く出て来る月の光が待ち遠しい。

【補記】この月は夜遅く出る月であるから、題詞「初月の歌」はそぐわない。「倉椅の山」は奈良県桜井市倉橋の東南にある音羽山という。なお、巻九に小異歌が沙弥女王の作として載る。
 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき(9-1763)

【他出】はしうとのおほうら「古今六帖」
くらはしの山をたかみるこがくれていでくる月のかた待ちがたき
  「猿丸集」
くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひかりともしも

―参考―

泉河の(ほとり)にて間人宿禰が作る歌二首

川の瀬の(たぎ)つを見れば玉藻かも散り乱れたるこの川門(かはど)かも(万8-1685)

彦星の挿頭(かざし)の玉の妻恋に乱れにけらしこの川の瀬に(万8-1686)


最終更新日:平成15年09月22日