伝未詳。文武朝頃の人か。間人宿禰は、天皇と臣下、または異国人との間をとりつぐ職掌をもったかとされる伴造氏族。天武十三年、連より宿禰に改姓された。
間人宿禰大浦の
天の原ふりさけ見れば
【通釈】空を振り仰げば、白木の真弓を張ったような月が懸かっている。この分なら夜道は歩きやすいだろう。
【他出】作者不明記「古今六帖」
天の原振りさけみれば白真弓張りて懸けたるよる道よにも
中納言家持卿「夫木抄」
あまの原ふりさけみればしらま弓はりてかけたるよみちはよけん
【通釈】倉橋の山が高いからだろうか、夜遅く出て来る月の光が待ち遠しい。
【補記】この月は夜遅く出る月であるから、題詞「初月の歌」はそぐわない。「倉椅の山」は奈良県桜井市倉橋の東南にある音羽山という。なお、巻九に小異歌が沙弥女王の作として載る。
倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき(9-1763)
【他出】はしうとのおほうら「古今六帖」
くらはしの山をたかみるこがくれていでくる月のかた待ちがたき
「猿丸集」
くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひかりともしも
―参考―
泉河の
川の瀬の
彦星の
最終更新日:平成15年09月22日