後亀山院 ごかめやまのいん 生年未詳〜応永三十一(1424) 諱:煕成 通称:大覚寺殿・嵯峨法皇

後村上天皇の第二皇子。母は嘉喜門院長慶天皇の同母弟。
長慶天皇の皇太弟となり、弘和三年(1383)、践祚。南朝第四代天皇。元中九年(1392)十月、足利義満からの和平の申し入れがあると、両統迭立などを条件としてこれを受け入れ、同年閏十月二日、入京して嵯峨大覚寺に入る。同月五日、神器を後小松天皇に譲って退位。ここに南北朝合一が成った。譲位後は上皇となるが、和約の不履行に不満を抱いたためか、応永十七年(1410)には吉野に潜行する。同二十三年、帰京。同三十一年四月十二日、崩御。七十五歳か(七十八歳とも)。御陵は京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町の嵯峨小倉陵。
勅撰入集は新続古今集のみ。「宗良親王千首」の奥書に「春宮御歌」として六首が書き留められている。なお「後亀山院千首」の名で伝わる千首歌は長慶天皇千首の誤り。

春宮御歌(二首)

みよし野の滝のしら玉数そひてかつちる花にはる風ぞふく(宗良親王千首奥書)

【通釈】吉野の滝の飛沫が次々とたくさん飛び散り、その一方で舞い散る花びらに春風が吹いていることよ。

【補記】「しら玉」は滝の飛沫。水しぶきと桜の花びらの舞い散る中に春風が吹く景は、歌枕吉野ならではの情趣であろう。

【参考歌】藤原家隆「壬二集」
さだめなき浮世を風にながむればかつ散る花にやどる白露

 

なりはひにたのむ所や多からん日をへてつきずとる早苗かな(宗良親王千首奥書)

【通釈】今年は農作に大いに期待をかけられるだろう。何日もかけて、尽きることなく早苗を取っていることよ。

【補記】早苗取りは、若苗を田へ移し替えるために苗代から採ること。夏の風物として歌に詠まれる。

夜ふくるまで月を御らんじて

見るからになぐさめかぬる心ともしらずがほなる月の影かな(新続古今2034)

【通釈】見るからに、慰めようにも慰められない私の心だとも知らぬ顔で、夜空に輝く月の光だことよ。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山にてる月を見て
【参考歌】二条院讃岐「続拾遺集」
もろともになれし雲ゐはわすれぬに月は我をぞしらずがほなる
  公順「拾藻鈔」
さだめなくかはるならひのうき世ともしらずがほなる月のかげかな


最終更新日:平成15年06月24日