武烈天皇 ぶれつてんのう 別名:小泊瀬若雀命(おはつせのわかさざきのみこと)

仁賢天皇の皇子。母は雄略天皇の皇女春日大娘皇后。子はいない。仁賢天皇の七年、皇太子となる。仁賢十一年(498)八月、仁賢天皇が崩御すると、大臣平群真鳥が国政を専断し、皇太子の宮を自らの住居とした。皇子は大伴金村と真鳥排除を計り、金村は自ら軍を率いて真鳥・鮪父子を誅滅した。同年十二月、即位。大伴金村に大連を賜る。武烈八年(506)、十二月八日、崩御。武烈紀は天皇の暴虐記事に満ちているが、これは王朝の終に暴君が現れるという中国的な歴史思想によると言われている。
日本書紀に武烈天皇御製と伝える歌四首が見える。以下にはそのうち二首を抄した。

 

大太刀(おほたち)を 垂れ佩き立ちて 抜かずとも 末は足しても 遇はむとぞ思ふ

【通釈】俺は大きな太刀を腰にさげたまま、抜くことはしない。そんなふうに、今は我慢しよう。だが、あとで、この借りはたっぷり返してもらって、何度も媛を抱くつもりだぞ。

【語釈】◇末は足しても 将来は、今の不足を補うほど。「末果しても」と訓むこともできる。

【補記】日本書紀巻第十六。影媛をめぐって平群鮪と歌垣の場で争った時の歌。次の歌とともに、由来は影媛の頁参照。

【派生歌】
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院)

 

琴頭(ことがみ)に 来居る影媛 玉ならば ()()る玉の (あはび)白玉

【通釈】琴を弾くと、琴のそばに神が影となって寄ってくるという。その影という名の影媛は、玉に喩えるなら、鮑の真珠だ。俺はその白い玉が欲しいのだ。

【語釈】◇琴頭に 琴のそばに。「琴頭に来寄る」は「影」から影媛を導く序。

【補記】日本書紀巻第十六。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月17日