ゲストブック(やまとうた・はるのゆき) 過去ログ


平成15年(西暦2003年) 7月〜12月 1月〜6月


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TIME : 2003/07/01(Tue) 00:11:19
NAME : 水垣
TITLE: 歌枕

八重葎様

井手の玉川ですが、地元で保存会を作って、少しでも昔の面影を伝えようと努力されているようです。山吹も会の方々が植えて育てられたものだったと思います。
こういう例はむしろ珍しいと思います。今や歌枕など忘却の彼方。昔を偲ぶ手がかりさえ無くなってしまっている所が殆どです。
歌枕を訪ねる旅はずいぶん致しましたが、失望するために行くようなものです。

>私の一番なじみのある歌枕は
>和歌の浦です。

歌枕の中の歌枕ですね。展望台があるのは新和歌浦と呼ばれる所になるのでしょうか。昔はロープウェーなどがあったそうですね。
赤人の歌に詠まれたのは今の旧和歌浦のあたりで、この辺は四年ほど前に行きました。
地形は昔とすっかり変わってしまったそうで、かつては幾つも島があったのが殆ど陸続きとなり、入江もわずかしか残っていません。住宅地がすぐそばまで押し寄せて、水は澱んでいました。
この時はさすがに愕然としたものです。歌枕のシンボルみたいな土地ですから。

しかしその後も懲りずにあちこち廻って、写真やメモが未整理のまま増えていますので、ちょっと整理してから、また紀行文や紹介文を載せてゆきたいと思っております。

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TIME : 2003/07/01(Tue) 00:48:11
NAME : sion
TITLE: お久しぶりです

水垣さん、皆様、こんばんは。すっかりご無沙汰してしまいました。

更新情報を拝見したら、千人万首は一休みされて、歌枕紀行や和歌雑記に力をお入れになるとのこと。水垣さんの新しい文章が読めるのはとっても楽しみです。
お写真のこと、謙遜されていますが、歌枕紀行の風景は水垣さんが撮られたものなのでは? 八重葎様がお書きになっていた井手の玉川もそうでしたが、印象に残る素敵な写真が多いと思います。

トップページが新しくなってましたね。嵐山、渡月橋あたりの景色かなと思いました。以前、夏に訪れた時の記憶がまざまざと…。
絵は爽やかで涼しげですが、夏の京都の暑さは半端じゃないんですよねー(^^;

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TIME : 2003/07/01(Tue) 12:28:48
NAME : 八重葎
TITLE: 和歌の浦

水垣様

和歌の浦もだいぶ変わってしまったようですね。
そういえば新和歌の浦にロープウェイがあり、
これに乗って展望台にいった記憶があります。

20年前は不老橋の近くで海釣りができ、鯛の子供
がよく釣れましたが、お盆なのですべてもとに
返していました。

歌枕は昔から遠くにあって思うもの
のような意味もあったようですね。
実際に自ら行った西行・能因、見て参れといわれて
左遷させられた人、いろいろですが、小生は
当分の間 歌まくら紀行を楽しませていただきます
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TIME : 2003/07/02(Wed) 00:40:38
NAME : 水垣
TITLE:  

>sionさん

お久しぶりです。お元気でしたか。

>トップページが新しくなってましたね。嵐山、渡月橋あたりの景色かなと思いました。

ご明察。嵐山を背景にした渡月橋の写真をもとにしております。
京都の夏はほんとに厳しいですね。でも鱧なんか美味いですし、やはり京都は夏も魅力的です。今年はちょっと行けそうにありませんが。

写真をお褒めいただき恐縮です。ここ数年、少しは構図など考えて撮影するようになったので、多少ましになったかも知れません。

>八重葎様

20年前は旧和歌浦の海もきれいだったんですね。

>歌枕は昔から遠くにあって思うもの
のような意味もあったようですね。

地名から匂ってくる通念的なイメージが大切だったわけで、実際その土地に行って見ることは無用だったわけですね。現実にどんな土地かという知識は、歌を詠む上で殆ど役に立たなかったと思います。

正徹という人はこんなことを言ってます。人から「吉野山はいづれの国か」と聞かれたら、こう答えよ。「ただ花には吉野山、紅葉には立田山と覚えて歌を詠めばよいので、伊勢の国やらどこの国やら、そんなことは知らない」と。

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TIME : 2003/07/02(Wed) 08:39:49
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: おはようございます

和歌雑記の「笠女郎」を 今日は拝見いたしました。

「君に恋ひ甚もすべ無み奈良山の
           小松が下に立ち嘆くかも(593)」


この歌が大変心に残りました。
とても美しい歌だと思いました。


「甚もすべ無み」

恋をすると、
そしてまたその恋がとても苦しいものである場合には 
このような心持ちになることと思います。


また この和歌雑記「笠女郎」での
「七 おわりに」の箇所。

水垣様の文章がとても心に響きました。

水垣様の中に 人に対する温かな眼があるからこそ
その文章も 読む人の心を掴んで離さないのでしょうね。





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TIME : 2003/07/03(Thu) 00:18:11
NAME : 水垣
TITLE: RE:笠女郎

hiyokiti様、こんばんは。

>「君に恋ひ甚もすべ無み奈良山の
>           小松が下に立ち嘆くかも(593)」

笠女郎の歌はどれも良いと思うのですが、この歌は特に素晴らしいと私も思います。これほどまっすぐな、真率な恋歌は、万葉集でもなかなか見つからないのでは。
苦しい思いを歌いながら、こんなに美しい歌になっているのは、不思議な程です。
「甚もすべ無み」も心に響く句ですし、「小松」という言葉がまた良いなあと私は思います。松の木は常緑で長寿ですから、無常の世にあって、生物でありながら、時の経過による変化をあまり受けない事物と考えられました。その木蔭を慕うように佇んでいる姿……。桜でも檜でも柳でもなく、小松の下じゃないと駄目なんですね。

ああいう文章を書いている時は、けっこう対象に感情移入してますから、笠女郎と家持の思いの温かさが自然と私にも移って、それがまたhiyokiti様の心にも届いたということなのでしょう。

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TIME : 2003/07/07(Mon) 08:58:19
NAME : 紀州の姫

水垣さま 八重葎さま

私は、八重葎さまをなぜかずっと女性と思い込んでおりました。それも恥ずかしい話ですが、「やえむぐら」とは読めず、ずっと「やえりつ」と・・。(無知を笑って下さい!)

>小生は
当分の間 歌まくら紀行を楽しませていただきます

小生ですって!?
いつか八重葎さまに対し物申した私は、男性に向かって
言ったのだと思うと、なんだか急に冷や汗が・・。
で、ついでではありませんが勉強しました。

やへむぐらしげれる宿のさびしきに
       人こそ見えね秋はきにけり

恵慶法師の所の河原院の写真は水垣さま撮影で
しょうか?

そして「和歌の浦」ではなく「わかうら」の呼び名は、私にも懐かしいです。

>sionさま
水無瀬恋15首の謝辞の中に、sionさまのお名前を見つけ
とても尊敬してしまいました。
余談ですが、先日ある会合での料亭の名前が
「四音(sion)」でして、紫苑、紫音の話を思い出していました。

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TIME : 2003/07/08(Tue) 12:15:56
NAME : 八重葎
TITLE : ふたたび 駒とめて

紀州の姫様 水垣様

おそれいります。素性が知れてしまいお恥ずかしい限りです。
古い時代には紀伊と書いて ただ ”き”とよんでいたようですが、私にとって きの国は返す返すもその風光が懐かしいところです。前述したように私はお盆の頃に訪ねていましたので、冬の きの国は知りません。
定家にも
駒とめて袖打ち払う影もなし 佐野の渡りの雪の夕暮れ
という有名な歌がありますけれど、佐野が紀ノ川の渡しというImageが今ひとつ結ばれない感があります。
紀州の姫様は如何ですか

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TIME : 2003/07/08(Tue) 17:58:35
NAME : 水垣
TITLE :

紀州の姫様、
私も「急に冷汗が」というようなこと、ありました。
そういう経験があって以後、ハンドルネームや文体から早計な思い込みはしないように心がけております。性別などもあまり気にしないようにしております。
(紀州の姫様が実は男性だったら、さすがに愕然とするでしょうが……。)

>恵慶法師の所の河原院の写真は水垣さま撮影でしょうか?

そうです。河原院の遺構と言われている渉成園を撮ったものです。今年の春先の京都旅行の折の写真だったと思います。
王朝時代の雰囲気の再現を目指しているのでしょうか、広々とした池泉式庭園です。何より良いのは、京都駅から歩いてすぐという便利な場所なのに、観光客が少なく、静かで、のんびりできることです。
周囲のマンションが借景になってしまっているのは頂けませんが……。

八重葎様、
紀の国は夏を過ごされた思い出の場所なんですね。私は子供時代の夏休みというと、母親の生地である徳島へよく連れて行ってもらったものです。そういう土地は、第二の故郷みたいなもので、いつまでも懐かしいものですね。

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TIME : 2003/07/09(Wed) 08:53:05
NAME : 紀州の姫
TITLE : 歌枕・佐野の渡り

水垣さま 
お返事を有り難う御座いました。恐縮しております。
これからは、読み方にも気を付けます。

八重葎さま
>定家にも
駒とめて袖打ち払う影もなし 佐野の渡りの雪の夕暮れ
という有名な歌がありますけれど、佐野が紀ノ川の渡しというImageが今ひとつ結ばれない感があります。
紀州の姫様は如何ですか

ごめんなさい!私にも、よくは分りません・・。
佐野の渡りは新宮なのですね。

苦しくも降り来る雨か神の崎(三輪崎)
    狭野(佐野)のわたりに家もあらなくに
          (長忌寸奥麿)

定家の本歌取りの歌に対してのこの歌がある事も
知りました。
この歌碑のある新宮の黒潮公園には行った事は
ありませんが、近くの太地に行った時の風景が
この歌の情景に近いものであった事を思い出します。

水無瀬恋歌合の六十七番にも定家の

ゆくへなき宿はととへば涙のみ 
   さののわたりのむらさめの雨

【鑑賞】に「もはや、実在の土地とは関係なく
進退窮まった作中人物の境涯を象徴しているにすぎない・・」とあり、これも印象的でした。

紀の国は、母の代々の里です。
余談ですが、紀の国出身の有吉佐和子の本が好き
なのは、やはり懐かしさを感じるからでしょうか?


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TIME : 2003/07/09(Wed) 22:36:50
NAME : sion
TITLE: 恐縮です

水垣さま、紀州の姫さま、皆さま、こんばんは。

>水無瀬恋15首の謝辞の中に、sionさまのお名前を見つけ

アセアセ(;^_^A)
私が出しゃばって書かせて頂いたのは、せいぜい3首くらいなのですが…。いま考えますと、臆面もなく水垣さんのサイトを汚してしまったなぁ、と。…後悔先に立たず、なのでした。
謝辞に名前を挙げて頂いたのは光栄の至りですけれど、本当によかったのかしら? 今も自問自答しては項垂れてしまう私なのでありました。
あ、でもまた歌合の注釈の企画などありましたら、やっぱり無謀にも挑戦してはみたいです(*^_^*)

>料亭の名前が「四音(sion)」

この字もなかなか素敵だと思ってしまいました。ハンドルネームを漢字に直す時、参考にさせて頂きますね(^^)

>恵慶法師の所の河原院の写真

河原院が実在? とビックリしましたが、遺構が残る庭園があるんですね。初耳でした。
恵慶法師のページから河原左大臣のページへジャンプしましたら、こちらにもいつの間にか写真が増えている!
清涼寺のお墓、ここはお参りしたことがあります。いやーしかしこんなに風情のあるところだったかしら?

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TIME : 2003/07/10(Thu) 23:48:02
NAME : 水垣
TITLE: RE:佐野の渡り

皆様、こんばんは。

>駒とめて袖打ち払う影もなし 佐野の渡りの雪の夕暮れ

鎌倉時代の『歌枕名寄』という本を見ますと、定家のこの歌は、大和国の「三輪」と、上野国の「佐野」の項に引用されていて、どうやら中世では紀州の佐野とは認識していなかったのではないか、と思われます。
私が新宮の三輪の崎に参りました時は、夏の暑い盛りでしたし、港湾化が進んで往時の面影もなく、定家や奥麻呂の歌の風情は全く感じられませんでした。
紀州の姫様のおっしゃる太地のあたりは行ったことがないので分からないのですが。

定家自身はどうだったでしょうか。三輪川のほとりあたりを思い浮かべて詠んだのでは? という気がしないでもないのですが。

ところで「水無瀬恋十五首」でsionさんの書いてくださったのは、春の慈円、冬の俊成卿女、風の宮内卿の三首だったかと思います。訳だけの場合もあり、釈文も書いてくださった場合もあり。私などの書いた物よりずっと感性豊かな鑑賞になっていることは一目瞭然だと思います。汚したどころか、その三首のところだけが光っているように私には思えます。

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TIME : 2003/07/11(Fri) 12:30:33
NAME : 八重葎
TITLE: 袖打ち払う影もなし

水垣様 紀州の姫様 皆様

長忌寸奥麿の本歌取りとは存じておりましたが、
佐野が紀ノ川流域と勘違いしておりました。申し訳ありません。新宮も太地も行きましたが、黒潮洗う陽光の地という印象があり、あまり雪が降るところとは思えませんでした。

定家の歌には、個人的な思い入れもあります。
昔スキーに友人達といきましたが、下手な私は転んでばかり。あっという間に仲間から外れました。もう夕暮れ時だったので、林間コースも私以外だれも滑っていません。
あせるのもつかの間、また転びます。このときの光景・雪が自分に降りかかる以外の音が一切ない世界が、この歌を読むと強烈に甦ります。

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TIME : 2003/07/11(Fri) 22:27:44
NAME : むらじ
TITLE:  

水垣様、皆様、お久しぶりでございます。
河原院の遺構、残っているんですね。初めて知りました。どれくらいの広さなんでしょうか。また、立ち入りは自由なんでしょうか?
八重葎様
>袖打ち払う影もなし
私も以前スキーをよくやりました。
そのせいか、お話をうかがってイメージがじつにすんなりと伝わってきました。私もスキー、へたくそでした…
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TIME : 2003/07/12(Sat) 20:37:46
NAME : sion
TITLE:  

水垣さん
お優しいフォローありがとうございます。少し自信が出てきました(と、すぐ調子にのる私です)。

今夜9時からテレビで冷泉家の特集番組があるんですよね。楽しみです。皆様はご覧になりますか。
あっ、もうすぐだわ。

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TIME : 2003/07/12(Sat) 21:58:59
NAME : むらじ
TITLE:  

>冷泉家の特集番組
見ました。
とくに夏の歌会の場面がよかったです。
薄暗い灯火のなかゆったりとした詠歌の響きが幻想的でした。
…と思ったら、隣室の家族が「お正月みたいだけど」(・_・)
半年ずれてんだけどな。
気になったのは、歌会や儀式に参加されている方々がそろって高齢であること。後継者は育っているのでしょうか。
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TIME : 2003/07/13(Sun) 23:40:15
NAME : sion
TITLE: 冷泉家の八百年

私もむらじ様と同じく乞巧奠の歌会が一番印象的でした。
あんな雰囲気のある場所で作れば、私も織姫彦星になった気持で和歌が詠めるのでしょうか^^
織姫彦星のために歌を作る、というお話も心に残りました。和歌が捧げ物になるんですね。

あれだけの歴史を担った家と文化を受け継いでゆくのには大変な重圧もおありではないかと拝察するのですが、冷泉家の方々は当然の責務みたいな感じで受け取っていらっしゃるように見えて、感銘を受けました。

百人一首カルタ美術館、拝見しました。冷泉為恭という画家がいたのですね。和歌の冷泉家とゆかりのある人だったのでしょうか。
歌枕の新しいインデックスページ、いくつかリンクを辿って歌枕の旅を楽しませて頂きました^^
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TIME : 2003/07/14(Mon) 01:51:53
NAME : 水垣
TITLE: 渉成園・冷泉為恭

むらじ様、お久しぶりです。

>河原院の遺構

「遺構」という言い方が正しいかどうかちょっと確信がないのですが…。
敷地は一万坪あるそうです。京都の中心地にあの広さは驚きでした。
下記サイト、参考になればとリンクさせて頂きます。

http://www.jalan.net/kanko/SPT_150439.html
http://www80.sakura.ne.jp/~agua2/film/f44.html

冷泉家の番組は用事があって見られませんでした。再放送をチェックしてみようと思います。

sionさん、
>百人一首カルタ美術館も拝見しました。冷泉為恭という画家がいたのですね。和歌の冷泉家とゆかりのある人だったのでしょうか。

生れは狩野派の絵師の家なのですが、母の奉公先が冷泉家だったので、その名を借りたということのようです。
カルタの絵は為恭の原画に比べると拙いものですが、ある程度感じは出ていると思います。

今日は大倉集古館で「京都画壇−近世・近代の諸相−」という展示を見て来たのですが、為恭の「山越阿弥陀図」が見られました。折口信夫が「死者の書」を書くきっかけとなった絵です。

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TIME : 2003/07/14(Mon) 09:10:31
NAME : 紀州の姫
TITLE: 冷泉家特集番組

私も見ました!
織姫と彦星になぞらえての恋文交換の場面には、
すぐに歌が交換できる閃きに感心し、それをサラサラと
書かれる美しい文字を見て感心し・・・。

又このところ、定家の歌のお話が出ていましたので、
定家の直筆の文・歌なども、耳に心に残りました。

色はみなむなしきものはたつた川・・・

の後が覚えきれず、上手く調べられず・・・、
教えて下さい。(^_^;)

もう一首

み渡せば花ももみじもなかりけり
     浦のとまやの秋の夕ぐれ

があったと思います。番組ではこれを「辞世の句」と
して読んだと言っていたと思いますが、実際は25歳の
時の歌とか?

何もかもは覚えられませんが、興味を持って少しずつ
勉強したいと思います。

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TIME : 2003/07/14(Mon) 12:02:39
NAME : 八重葎
TITLE: 俊成と雪

冷泉家の番組 私も見ました。
皆様おっしゃるように乞巧奠の部分は特に印象深く、

冷泉流の節回し、特に「…といえる心を詠める やまとうた」というイントネーションを聞いた時、そういう風に
題詠していたのか と感慨が深くありました。

また最後の方で、俊成の小さな像に新雪を供えている場面も、祖を大切に思い偲ぶ心が良く表れていたと思います。



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TIME : 2003/07/14(Mon) 13:18:27
NAME : ゆゆ
EMAIL: yukako@jasmine.ocn.ne.jp
TITLE: 私も見ました!

水垣様、皆様、お久しぶりで〜す!(もう忘れられてるかも;;)
書き込む暇は無いけど、ずっとロムしておりますよ〜。
NHKの冷泉家特集、見ました!たしか以前、BSでやるって予告をしていて、BSじゃあ見られないなぁ、と残念に思っていたので、総合でもやってくれて、すごく嬉しかったです。
昔は和歌を音読する時、のんびり長々と詠んだらしいとは知っていましたが、実際にはあんな感じかぁ、と面白く見ました(しかし、あんなにのろのろしていたんじゃあ、今ではかえって意味をとらえにくいですね;笑)。
為人さんが詠んだ歌に「秋」という言葉が入っていて、旧暦では七夕は秋だということにも気付いて、新鮮な感じがしました。

歌枕紀行、実は私は奈良出身なので、奈良が更新されるのをひそかに楽しみにしております!
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TIME : 2003/07/14(Mon) 18:22:33
NAME : sion
TITLE: NHKの冷泉家特集

わーい、皆様ご覧になったんですね。さすがです!!
水垣様はじめ見逃された方、今夜12時15分から再放送がありますよ。(少なくとも私の住む地域では。)
チェックしてみて下さいね。
取り急ぎ失礼いたします〜〜。

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TIME : 2003/07/16(Wed) 01:43:52
NAME : 水垣
TITLE: 冷泉家の特集番組、見ました

昨晩、再放送で見ることができました。sionさん、お知らせ有り難うございました。

冷泉家の年中行事はどれも興味深いものでしたが、花見や夏越の祓などは意外に小ぢんまりとしていましたね。それに対して七夕(乞巧奠)の行事は非常に大がかりで、やる気が違うというか、はりつめた空気が感じられました。後の「当座」の歌会(恋文交換)は、少し肩の力が抜けて、王朝の恋の美学と遊び心を感じさせてくれるものでした。

八重葎様のおっしゃる「俊成の小さな像に新雪を供えている場面」、私も殊に印象に残りました。俊成の臨終の日に雪を献じたのは定家でなく姉の建御前だったと思うのですが、それはともかく、明月記に記された一場面が、連綿と伝わる年中行事になっていることに感嘆しました。ものすごく安上がりなお供え物ですが(笑)、先祖への思いの深さが伝わってくるエピソードでした。

紀州の姫様、定家の歌は

 色はみなむなしき物をたつた河もみぢながるる秋もひととき

です。文治五年(1189)の早率百首、定家二十八歳の作です。

>み渡せば花ももみぢもなかりけり
     浦のとまやの秋の夕ぐれ

これも紹介されていましたが、どういう繋がりでしたっけ? この歌の後に定家八十歳にして死す、とか言っていたのでしたっけ。おっしゃる通り若い頃の作ですが、定家の辿り着いた究極の歌境ということで、辞世の歌の代りに持ち出したのかもしれません。

ゆゆ様、お久しぶりです。
>昔は和歌を音読する時、のんびり長々と詠んだらしいとは知っていましたが、実際にはあんな感じかぁ、と面白く見ました(しかし、あんなにのろのろしていたんじゃあ、今ではかえって意味をとらえにくいですね;笑)。

仰る通りです。結局頭の中で活字に置き換えないと理解できないので、意味を追おうとすると、あまりのゆっくりさにイライラしてきます(笑)。時間に追われる現代人の悪い癖でしょうか。
和歌の詠み上げ方としては、ああなるほか仕様がないのかもしれませんが、どうも私は馴染めません。

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TIME : 2003/07/16(Wed) 19:22:25
NAME : 葉つき みかん
TITLE: HP引っ越しました。

水垣さん、こんばんは。
今日、「八重桜」は、http://f17.aaacafe.ne.jp/~hmikann/index.htmlに引っ越しました。
大変お手数ですが、お手すきの時にでも、リンクのアドレスの変更をお願いいたします。一応もとのURLでも引越しの挨拶は出るようにはしておりますので、いそぎません。
これからもよろしくお願いいたします。
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TIME : 2003/07/17(Thu) 22:25:49
NAME : 八重葎
TITLE: 秋もひととき

色はみなむなしき物をたつた河
もみぢながるる秋もひととき

右 秋もひとときといへるこころ いとおかし
  まさると申すべし
と 俊成の判詞の真似をして云いたいほど
いいうたですね。テレビでぼっと見ていたときは
月並みなとしか感じていませんでしたが、
水垣様に書いていただいたお陰で味読できたような
気が致します。

まったく和歌の対象は自然現象・恋愛等とりわけ
ひとときのものが多いのですが、その一瞬の体験
を真実に三十一文字に籠められたうたは、千年の
時空を超えて追体験できます。
まさに古今であり、やまとうたの不思議さと言うほか
ありません。
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TIME : 2003/07/18(Fri) 08:07:16
NAME : 紀州の姫
TITLE: 色はみなむなしき物をたつた河

水垣さま、続きを教えて頂き有り難う御座いました。
お茶の世界において「たつた河」を秋(紅葉)の
代名詞にして使う事があり、それでこの歌を耳に
しました時、ちょっと覚えてみようかな?と。

でも、みわたせば花ももみぢも・・・は、いくらでも
調べる事が出来ますのに、私の調べ方が悪いのか、
色はみなむなしき物を・・・は、歌の深い解釈がやはり上手く調べられません・・。(^_^;)

>おっしゃる通り若い頃の作ですが、定家の辿り着いた究極の歌境ということで、辞世の歌の代りに持ち出したのかもしれません。

これは良く解りました。




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TIME : 2003/07/18(Fri) 18:59:41
NAME : 八重葎
TITLE: 空即是色 花ざかり

ここでいっている色というのは、もみじの色も映像として重ねているかもしれませんが、すべてこの世の事象を指していると考えます。すべては移ろいゆくという無常観で、
当時の日本人には色濃い思想と考えます。

もろいものだからこそ、とりわけ美しく見える、
その例として竜田川のもみじをだしたのでしょう。
以前水垣様に教えていただきましたとおり、
この場合のたつたがわは もうどこでもよい
秋の代名詞かと思われます。
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TIME : 2003/07/18(Fri) 22:03:36
NAME : 水垣
TITLE:  


葉つきみかん様、お知らせありがとうございました。直しておきました。

八重葎様、紀州の姫様、

 色はみなむなしき物をたつた河もみぢながるる秋もひととき

この歌の核心は、八重葎様の解説に尽きているのでは、と思います。
「色」は八重葎様が仰る通り般若心経の「色即是空 空即是色」の「色」でしょう。
『拾遺愚草抄出聞書』という中世の注釈書(三弥井書店の「中世の文学」シリーズとして刊行されています)を見ましても、「此『色』は空也。心経の文の心也」とあります。但し続けて「世上の色とおなじ物にて、人に愛せらるゝと也」とあり、こう考えた場合、恋歌の色彩が濃くなります。
しかし早率後百首では「雑」の部にあり、題は「川」です。生々流転、無常の主題を川に託して詠んだ歌と考えられます。

>テレビでぼっと見ていたときは
>月並みなとしか感じていませんでしたが(八重葎様)

私もそうでした。定家の個性はあまり出ていませんが、よく味わってみれば良い歌ですね。本当に締の句が素晴らしいと思います。

>お茶の世界において「たつた河」を秋(紅葉)の
>代名詞にして使う事があり(紀州の姫様)

これはやはり百人一首の影響なのでしょうか。竜田川は文様の名にもなっていますね。

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TIME : 2003/07/19(Sat) 00:33:49
NAME : 紀州の姫
TITLE: 奥が深い・・・

水垣さま 八重葎さま

お教えを頂き、有り難う御座いました。
今、私は目に耳に触れる一句一句が珍しく、又それを
厚かましくも色々お聞きし、時々我ながら恥ずかしくなります。(歌を良くご存知の皆様からはきっと、
こんな事も知らないで・・と)

でも厚かましい性格のお陰で、この歌にも想像以上の
深い意味が有る事が良く解りました。
色即是空があり空即是色となることも、少し勉強しま
した。

八重葎さまの
>すべては移ろいゆくという無常観
水垣さまの、
>「此『色』は空也。心経の文の心也」

この事を思い、再度

色はみなむなしき物をたつた河もみぢながるる秋もひととき

を充分に味わいました。
この歌の「竜田川」(たつた河)の言葉が耳に残っただけだったのですが、お陰様でとても勉強になりました。
本当に、有り難う御座いました。m(__)m
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TIME : 2003/07/19(Sat) 02:12:59
NAME : 葉つき みかん
TITLE: ありがとうございました

水垣様、リンクアドレスのご変更ありがとうございました。
お手数をおかけして申し訳ございませんでした。
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TIME : 2003/07/20(Sun) 10:30:57
NAME : 水垣
TITLE: どういたしまして

「色はみな…」の歌ですが、紀州の姫様のご投稿がなければ、あまり気にかけずに遣り過ごしてしまっていたことでしょう。むしろこちらが感謝申し上げたいところです。
八重葎様も見事な鑑賞文を有り難うございました。

葉つき みかん様、お引越しお疲れ様でした。

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TIME : 2003/07/21(Mon) 00:22:29
NAME : Naked
TITLE: 「色はみな…」鑑賞会


「色はみなむなしき物をたつた河もみぢながるる秋もひととき」 興味深く、楽しく拝見しました。

 一つ二つ教えてください。
 『色』=移ろいゆくこの世というロジック(論理)。  『もみじ』=もみじの色というレトリック(修辞)。
 この二つを重ね合わせ/対置しているという見方でよろしでしょうか。

 もう一つは、たつた川に、色を『絶つ/断つ』を懸けていると見られるでしょうか。そうすれば、“この世の事どもを絶ってみてみれば、一瞬に流れるもみじのように過ぎ去る秋も、心揺らぐことなく眺められるものだ”と解することができそうですが、いかがでしょうか。

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TIME : 2003/07/21(Mon) 20:50:12
NAME : 水垣
TITLE: RE:「色はみな…」鑑賞会

>『色』=移ろいゆくこの世というロジック(論理)。  『もみじ』=もみじの色というレトリック(修辞)。
> この二つを重ね合わせ/対置しているという見方でよろしでしょうか。

この歌の構文としましては、上句と下句が因果関係でつながれていると思います。

「この世の物象には固定的実体などないに決まっているのだから、今私は竜田川の紅葉が流れる情景に見とれているけれども、この美しい秋もほんの一時のはかない事象にすぎないのだ」。

こんなふうに訳してしまうと風趣も何もあったものではありませんが、本流の歌意としてはこうなると思います。
もっとも、「ものを」を順接の接続助詞でなく詠嘆の終助詞と考えることもでき、ここで一旦切れると見ることもできます。その辺の微妙な息遣いこそがこの歌の大きな魅力になっていると思うのです。

対置ということでしたら、抽象・具象という概念の方がぴったりくるような気がしますが、いかがでしょう。
抽象的な言い方をした上句に対して、下句では具体的な証拠が挙げられて、「色即是空」という定理を証明ないしは追認している、とも言えるのでは。
むしろロジックをレトリカルに表現した歌ではないでしょうか。

>もう一つは、たつた川に、色を『絶つ/断つ』を懸けていると見られるでしょうか。そうすれば、“この世の事どもを絶ってみてみれば、一瞬に流れるもみじのように過ぎ去る秋も、心揺らぐことなく眺められるものだ”と解することができそうですが、いかがでしょうか。

この歌は、定家の作にしては余情の面で少々物足りない気がしますので、そういう読み方には魅力を感じます。
しかしそのように解釈しますと、下句が詞足らずになってしまうのでは。「心揺らぐことなく」というあたりの心が、余情として籠められているかどうか、疑問です。

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TIME : 2003/07/21(Mon) 21:15:06
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: 歌枕紀行

こんばんは。
「歌枕紀行」しみじみと拝見させていただきました。

写真も文章も、誠に心が洗われるようです。

ここで水垣さまにお願いがあるのですが・・・・
この「波流能由伎」「やまとうた」を
ひよきちのサイトにてご紹介させていただいても宜しゅうございますか?



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TIME : 2003/07/22(Tue) 20:33:02
NAME : Naked
TITLE: RE:RE:「色はみな…」


水垣様 「ロジックをレトリカルに表現した」との解説、ありがとうございました。
“たつ”た川のほうは何ともいえないかもしれませんけど、「秋もひととき」の『も』に込められた情感を掬いたいと思っています。
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TIME : 2003/07/23(Wed) 08:54:12
NAME : 水垣
TITLE:  

ひよきち様、お返事遅れて申し訳ありません。
拙サイトを紹介してくださるとのこと、勿論大歓迎です。

Naked様、
>「秋もひととき」の『も』に込められた情感を掬いたいと思っています。

この「も」は「類例の暗示」と考えれば一応納得できる気がするのですが…。しかし「情感」がこの一語に込められていることも確かなように思われます。

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TIME : 2003/07/23(Wed) 10:25:30
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: ありがとうございます

わぁ! 嬉しい(*^_^*)
ありがとうございます。
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TIME : 2003/07/23(Wed) 13:06:19
NAME : ゆゆ
EMAIL: yukako@jasmine.ocn.ne.jp
TITLE:  

水垣様、皆様、こんにちは〜!昼休みの、ゆゆで〜す。
梅雨はまだ明けないけど、暑くなってきたので、暑いことを詠んだ歌を探してみようと思いたちました。二十一代集のページをあちこち覗いてみていたのですが、あんまり無いような気がしませんか?蛍、短夜、月、木陰、五月雨、などなど、涼しい感じのが多いんです。暑いのは、宮内卿ので良い歌があるんだけど、他に目につくのが無いなぁ、と。
私の探し方がいい加減だし、万葉集の方まではみていないし……と思っていたら、曾禰好忠が、他にない珍しい感じなので、ついつい引き込まれました!

みそぎする賀茂の川風ふくらしも涼みにゆかん妹をともなひ

これ、鴨川でいい風吹いてるらしいし、彼女と涼みに行こ〜っと!……っていう意味ですかね?(ああ、私またものすごい恥をかいているのでは……。いつものことなので、ひらきなおって)解説に、広い川原は芸能の舞台となる、とあるので、出し物を見物に行く目的もあるのでしょうか?
とにかくも、好忠の歌は朴訥で微笑ましい感じで、楽しめますね!
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TIME : 2003/07/24(Thu) 01:10:19
NAME : 水垣
TITLE: 夏の暑さを詠んだ歌

ゆゆ様、こんばんは。
おっしゃる通り、夏の暑さを詠んだ和歌は少ないです。特に勅撰集となると、ほとんど無いと思います。王朝和歌の美意識とは相容れないところがあったんでしょうね。
曾禰好忠は伝統的な美意識よりも生きている実感みたいなものを歌にしようとした歌人でしたから、夏の酷暑は恰好の題材になったのだと思います。
賀茂川の歌(ゆゆ様の解釈でよろしいと思います)、私も好きなのですが、やはり勅撰集には採られていません。
宮内卿の歌とおっしゃるのは多分、

 見わたせば浪もゆるがぬ夏の日に松かげ遠き磯のほそ道

ではないかと思うのですが、これも勅撰集には入ってないのです。

勅撰集に採られた歌で、わりと有名なところでは、玉葉集の定家作、

 ゆきなやむ牛の歩みにたつ塵の風さへ暑き夏の小車(をぐるま)

というのがあります。のろのろと進む牛車がたてる塵を、熱風が舞い上げるという、真夏の昼下がりの路上を活写した歌です。

>みそぎする賀茂の川風ふくらしも涼みにゆかん妹をともなひ
>解説に、広い川原は芸能の舞台となる、とあるので、出し物を見物に行く目的もあるのでしょうか?

蛇足解説だったかなと反省しましたが、作者がわざわざ川の名前を出しているのは、色んなイベントが行なわれた賀茂河原の雰囲気を出したかったのではないかとも思います。

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TIME : 2003/07/24(Thu) 13:09:25
NAME : ゆゆ
TITLE: 天神祭、晴れたらいいな!

こんにちは〜!
宮内卿の歌、水垣様の御推察の通りです。

見わたせば浪もゆるがぬ夏の日に松かげ遠き磯のほそ道

これはずっと心に残っていて、暑い日に外を歩いてる時なんかに「松かげ遠き磯のほそ道」と心の中でいつも恨めしく思い出すものです(笑)。
好忠のページは以前拝見した時、特に夏の歌が印象に残った気がして、もう一度訪れてみたのでした。
どちらも勅撰集には採られていないのですか。なるほど美意識のことを考えると、暑いことを上品に詠むのって、難しい気がしますね。

ゆきなやむ牛の歩みにたつ塵の風さへ暑き夏の小車

暑〜い!!これは暑いですね(笑)!想像するだけでぐったり……。
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TIME : 2003/07/25(Fri) 00:47:48
NAME : 水垣
TITLE: 天神祭、晴れましたか?

>ゆゆ様
>なるほど美意識のことを考えると、暑いことを上品に詠むのって、難しい気がしますね。

冬の寒さを雅びに詠んだ歌は多いんですけどね。いかにも夏らしい季節感を詠むのは、和歌より俳諧の方が得意のような気がします。

>ゆきなやむ牛のあゆみにたつちりの風さへあつき夏の小車

玉葉集ではこのあと夕立の歌が続いて、塵も暑苦しさもすぐに洗い流してくれるのですが。

それにしても日本列島どこまで梅雨明けしたんでしょうか。関東地方はたまに晴れても空がモヤモヤしています。梅雨明け直後の真っ青な空が待ち遠しくてなりません。

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TIME : 2003/07/25(Fri) 20:48:51
NAME : Naked
TITLE: 一昨日(23日)は大暑ですが…

 大坂では天神祭の頃が一番暑いといわれるようなのに、まったく逆目です。

 大暑だった7月23日は、旧暦では六月二十四日ですから七月二十三日になるのは、8月20日頃になります。この頃になると暑くなるかもしれません。ですが、そうこうしていると、8月23日の処暑が来てしまいます。
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TIME : 2003/07/26(Sat) 10:17:06
NAME : 紀州の姫
TITLE: 天神祭り・船渡御

昨夕は天神祭りの最大のイベントである船渡御に参加
して参りました。
乗船する頃は西日で汗がダラダラ・・の、はずだった
のですが、今年は初秋を思わせるような涼しさで
こんな事は初めてだったようです。

祭神の菅原道真を祭る御鳳れん船を先頭に、100隻ほどの船が淀川を行き交い、両岸、橋の上には人人人・・。
花火が上がる頃には、船の掛け声と見物客の歓声で
お祭りの熱気は最高潮に達しました。

みそぎする賀茂の川風ふくらしも涼みにゆかん妹をともなひ

“賀茂”の川風ならぬ、“淀の大川”の風景でした。

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TIME : 2003/07/26(Sat) 13:35:12
NAME : ゆゆ
TITLE: いいな〜!

毎年のことですが、残業で、帰宅する頃には花火の最後の残片を聞きながら、満面笑顔の浴衣の方々とすれ違った昨日でした(涙)。楽しい気分は分けてもらえますが、やっぱりちょっと寂しいなぁ……。
紀州の姫様、船に乗る権利をお持ちなのですか。わ〜、羨ましい!一度でいいから乗ってみたいです。
昨夜は本当に涼しかったですね。半袖だと、風が寒いくらいでした。道真さんも、今年はなにか思うところがあったのかな(笑)?
道真さんといえば、私が好きなのはこの歌です。

こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな

私は梅の花ならぬ、大輪の花火に未練ありありです(笑)。
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TIME : 2003/07/27(Sun) 01:53:28
NAME : 水垣
TITLE:  

梅雨が明けないまま迎える天神祭というのも珍しかったのではないでしょうか。
大川に船が100隻も出るのですか。想像するだにワクワクしますね。しかも乗船されたとなれば、さぞや壮観だったことでしょう。
私にとりましては、名残の雰囲気だけでも体験できるのは羨ましいです。

東京では今日(というかもう昨日ですが)、隅田川花火大会がありました。知合いが向島に住んでいた頃は、屋上で豪勢な花火見物をさせてもらったものですが、その後引っ越してしまってからは、間近で見物する機会もなくなってしまいました。

近畿・東海地方もようやく梅雨明けしたそうですね。関東地方はあと一日二日の我慢のようです。今日も涼しかったです。
東北地方では震度六の地震が三度もあったとか。地盤が緩んだ後の雨も気がかりです。

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TIME : 2003/07/29(Tue) 20:31:42
NAME : 水垣
TITLE: 天神祭の「大阪締め」

過日花山院愛徳の掛軸のお写真を送って下さった奥村 丞様より、今度は天神祭のお写真をご送付下さいました。偶然にも、奥村様も今年初めて天神祭船渡御の講船に乗船される機会を得、その時に撮影された物とのことです。そのうちの一枚を紹介させて頂きます。



お渡りの船がすれ違う瞬間、「大阪締め」と呼ばれる手締めを交わす場面ですね。熱気が伝わってくるようです。
上の写真をクリックしますと、より大きな画像にリンクします。
奥村様、有り難うございました。

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TIME : 2003/07/30(Wed) 08:17:08
NAME : okuchan
TITLE: 天神祭り

 早速のサイト掲載有難う御座います。今春、花山院愛徳のお軸のお読み下し頂きまして大変勉強となり嬉しく御座いました。お客様に説明の出来たことが幸甚です。
又この機会に大阪天神祭りの船渡御の写真を採用掲載いただきまして有難う御座います。小生も始めての経験でしたが、いかにも京都で接する天神様と浪速の地で接する天神様とは様子が違うんだと感じ入りました。又、大宰府では違うんでしょうかね。天神様は、常日頃衣冠束帯姿でどちらと申せば、憤怒のお顔をしていられますが、渡唐天神としてのお姿は、いかにも柔和でいられます。この辺りから天神様の幅の広さ、包容力の深さを感じ取ればよいのでしょうかね?
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TIME : 2003/07/31(Thu) 01:30:21
NAME : 水垣
TITLE: 天神像

okuchan様、こちらこそ有り難うございました。
京都で接するのと大阪で接するのと、天神様の様子が違って感じられるとのこと、興味深いお話です。

>天神様は、常日頃衣冠束帯姿でどちらと申せば、憤怒のお顔をしていられますが、渡唐天神としてのお姿は、いかにも柔和でいられます。

北野天満宮の束帯天神像は、眉をつり上げて、憤怒の形相としか言いようがありませんね。如何にも御霊らしい厳めしさがあると思います。時代が下るにつれ、だんだん柔和な表情になってゆくようです。
渡唐天神像は詩文の神様として道真公を祀ったものでしょうか。もはや怨霊の面影はなくなっておりますね。
祟り神と福をもたらす神、荒魂と和魂、両面の貌が、二通りの天神像に表れていると言えそうです。

因みに、道真公は和歌・連歌の神様でもありました。連歌の会席では、床の間に天神像を飾るのが習わしだったようです。

参考に、北野天満宮の天神像へのリンクを張っておきます。
http://www.kyohaku.go.jp/tokuten/kitano/hp10-9j.htm(京都博物館公式サイト)

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TIME : 2003/07/31(Thu) 20:22:32
NAME : 八重葎
TITLE: 花かあらぬか 波のよするか

水垣様 皆様

関東では亀戸の天神様が有名ですが、
初天神の鷽替え、初夏の藤まつりなどしか
知りませんでした。関西ではずいぶん盛大に
おまつりされているようですね。
(御霊会的な名残がまだ色濃くあるのかも)
受験でお世話になって以来、学生時代は
あまりご縁がありませんでしたが、
近年うたを通じて菅公の詩情を折に触れ
直接伺わせていただいているような気がします。

大岡さんが菅公の漢詩に注目されつつ
貫之との関連につき述べられた文章が
特に印象に残っています。
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TIME : 2003/08/01(Fri) 00:20:14
NAME : 水垣
TITLE: 満願の魚蝦 満地の蒿

八重葎様、こんばんは。

湯島天神などもありますが、祭よりも、梅と受験の季節が一番賑わうのでは…。
関東の祭というと、神田祭ですね。祭神は平将門。やっぱり東国には東国の御霊がいらっしゃるというわけで。

>大岡さんが菅公の漢詩に注目されつつ
>貫之との関連につき述べられた文章が
>特に印象に残っています。

大岡信『紀貫之』ですね。私はこの本を読んですぐ『菅家文草』『菅家後集』を買おうと古書店を探して歩きましたが、なかなか見つからず苦労した思い出があります。

 膝を抱き舟の中にして 濁醪(にごりざけ)に酔ふ
 此の時 心は白き雲とともに高し
 潮平に月落ちて 何れの処にか帰らむ
 満願の魚蝦(ぎょか) 満地の蒿(よもぎ)

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TIME : 2003/08/01(Fri) 12:45:09
NAME : 八重葎
TITLE: 観世音寺の鐘

水垣様

ありがとうございます。
なかなか漢詩まで手が回らないのが歯がゆいのですが、
一般書にある菅公の詩をみると、鮮烈な印象のものが
多くて驚きます。単なる学者というより生来の詩人では
という気もします。
大宰府に行かれた後の詩には、悲嘆の色が濃く
その思いを想像するのも難しいのですが、これだけ
強い感性の持ち主ならば、とりわけつらいことも
あったのでは、、、などと不遜な想像もしてしまいます。


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TIME : 2003/08/03(Sun) 17:13:43
NAME : sion
TITLE: やっと梅雨明け

関東地方も夏らしくなりましたね。でも今日なんか刷毛ではいたような薄い雲が浮かんで、空は早くも秋めいてきたような。梅雨が延びると夏はこんなにも短く儚いものだったのね〜(涙)。

今日は十三代集の新千載集〜新後拾遺集あたりを拝見しておりました。新千載集あたりから新古今風の復活が見えてくるのでしょうか。以前こちらで少し話題になりました藤原為子の

 袖の香は花たちばなにかへりきぬ面かげみせようたたねの夢

(私の大好きな歌の一つです)これも新千載集に採られているんですね。
それ以前の勅撰集に比べると、少し華やかになったような印象も受けます。

今、図書館で和歌文学大系の「続拾遺集」を借りて読んでいるのですが、恋の部に来てあくびが止まらなくなりました(藤原為氏さまごめんなさい!)
こちらで水垣さんの解説を読み直してみますと、「恋歌・雑歌には類型的・感傷的な作が並び、殊に当代歌人の作には見るべき物が少ない。全体的にマンネリズムの印象は免れ難い」。
まことに仰るとおりと思いました。王朝和歌の華であったはずの恋歌がなぜこんなことに…。

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TIME : 2003/08/03(Sun) 22:08:07
NAME : 水垣
TITLE: 菅公の詩

八重葎様

岩波大系の『菅家後集』をぱらぱらと読んでおります。配所での日々の暮らしぶりが惻々と伝わってきますね。詩を読む限りでは、殆ど謫居の外に出ず、あばら屋の官舎に籠もっていたようです。
私にも白文で理解できそうな七言がありました。左遷されて二年目の九月晦日の詩です。

  九月盡
 今日二年九月盡
 此身五十八廻秋
 思量何事立中庭
 黄菊殘花白髮頭

萎びた残菊の中にまじった、白髪の頭。和歌だと、これほど物のイメージが鮮烈に迫ってくるということはまずあり得ないと思います。

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TIME : 2003/08/03(Sun) 22:08:44
NAME : 水垣
TITLE: 勅撰集の退屈さ

sion様
暑いのは苦手ですが、やはり夏はこうでないと。入道雲が湧く夏空もまだこれから見られるでしょう。

>新千載集あたりから新古今風の復活が見えてくるのでしょうか。

大雑把に言って、二条家は反新古今、京極・冷泉家は親新古今だと思うのですが、殊に続拾遺集あたりから反新古今色が強まり、変化に乏しい二条家の保守的歌風が確立されてくるという印象があります。新千載集あたりで、また揺り戻しがあったのでしょうか。北朝の持明院統が二条家の歌風を受け入れたことによって、京極・冷泉との対立が解消されたという背景も何程か影響しているかもしれません。

>今、図書館で和歌文学大系の「続拾遺集」を借りて読んでいるのですが、恋の部に来てあくびが止まらなくなりました

一般論として、藝術作品の構成は調和と変化、あるいは統一性と多様性でも良いでしょうが、両方の要素がないと人に美的感動をもたらさないと思うのです。続拾遺集以後の二条家の勅撰集は、全体的な調和や統一感にばかり心を砕いて、あまりにも変化・多様性に乏しいのではないでしょうか。それで現代人にとっては退屈すぎるのだと思います。あるいは現代の我々にとっては微妙すぎる変化やバリエーションが実現されているのかもしれませんが。

ちょっと話が堅くなりました。反省。
恋歌の話はまた日を改めまして…。

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TIME : 2003/08/04(Mon) 12:28:40
NAME : 八重葎
TITLE: 万葉花さんぽ

水垣様

菅公の詩ありがとうございます。
古今は金子博士の評釈を読んでいるのですが、
なにぶん大部で 恋の部立てに入ってから
小生も中休みしています。

気分転換に小学館文庫の万葉花さんぽという本を買って
読んでいます。吉野の宮滝とか、以前こちらでも話題になっていた むらさきの花の開花写真を見ることができました。写真は入江泰吉さんのものです。

むかし修二会の行法を拝観したとき、今はなき白髪の入江さんがフラッシュなど一切使わず、静かに撮影されていた
姿を思いだしました。

この本に、「詩は歴史より真実である」という言葉がありました。水垣さんにぜひお伝えしたく、長文になりましたが書かせていただきました。
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TIME : 2003/08/04(Mon) 15:38:34
NAME : sion
TITLE: 調和と変化

水垣様、お返事ありがとうございます。

>ちょっと話が堅くなりました。反省。

いえいえ、暑さで融けている頭を、少し固くしないといけないので、よろしくお願いします(笑)。

>殊に続拾遺集あたりから反新古今色が強まり、変化に乏しい二条家の保守的歌風が確立されてくるという印象があります。

そうなんですか。十三代集の流れが全然つかめていないので、その辺がいまだにサッパリです。それにしても続拾遺とか続後拾遺とか、集の名にも「変化」が乏しいですよね〜。玉葉・風雅以外は、なかなか覚えきれません。

>続拾遺集以後の二条家の勅撰集は、全体的な調和や統一感にばかり心を砕いて、あまりにも変化・多様性に乏しいのではないでしょうか。

これはよく納得できました。私たち現代人は逆で、変化の激しさに慣れ過ぎているのでしょうか。調和や統一感を愛でる心が鈍くなってしまっているのかもしれませんね。
心をゆったりとさせて、また読んでみることにします。

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TIME : 2003/08/04(Mon) 22:41:41
NAME : ためかぬ
TITLE: 万葉花さんぽ

八重葎さまのご紹介にある『万葉花さんぽ』私も
てもとにおいて、楽しんでます。

10年程前、図書館で万葉集の花に関する写真集を
何冊か借りた時期がありましたが、
そのときの写真が載ったコンパクトできれいなビジュアル文庫として、しかも手軽な値段で(うれしいような、申しわけないような)書店にならんでいるのをみて、すぐにもとめました。

壱師の花は、彼岸花との解説もそのままでしたが、
とても懐かしい人との出会いのように、こころなごむ
ひとときを過ごしました。

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TIME : 2003/08/05(Tue) 01:08:35
NAME : 紀州の姫
TITLE: 菅原道真について

この話はとっくに終わって次に進んでいますのに、私はまだウロウロとしています。(^_^;)
「東風吹かば・・」しか知らなかった私は、

秋風の吹上に立てる白菊は
     花かあらぬか浪のよするか

を教えて頂き、これが和歌浦吹上の浜と知り、吹上の浜は歌枕にある事を知り、「そうだ!母は吹上小学校だったはず」と思い出し・・(私事で済みません)、次に漢詩が出てきて

九月十日
去年の今夜清涼に侍す
愁思の詩篇独り断腸
思賜の御衣今此に在り
捧持して毎日余香を拝す

を味わっていましたら、九月盡を教えて頂き、
天神様と渡唐天神様の違いを調べ知り、以前美術館で
ボゥーと見ていました北野天神縁起絵巻の第一巻第七段に

こちふかばにおいおこせよむめの花
あるじなしとて春なわすれぞ
桜花ぬしをわすれぬものならば
ふきこむ風にことづてをせよ

がある事を知り・・・・。あれやこれやと寄り道している間に、十三代集やら万葉花さんぽやら・・・。
また勉強しなければ・・!
(なんだか夏休みの宿題みたい・・(^_^;))
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TIME : 2003/08/06(Wed) 16:24:32
HOSTNAME : すずきのりこ
TITLE: 心の闇

最近の「こころの闇」ブーム(?)のなかで、ハテ?「こころの闇」ってそんな意味じゃなかったよなあ・・・と、思って検索してここに漂着いたしました。

しゃれたハンドルネームも思いつかない無粋な私ですが、私もこの作者さんと同じ1959年生まれです。息子が中学3年で入試に古文が出るのに学校では授業がなく、仕方なく見てやっているうちに、昔々の記憶がいろいろよみがえり、いつしか自分が夢中になって古典を読んでいます。
出身は東京ですが、今は滋賀県大津市に住み、平家物語のの舞台、松原、粟津はすぐそばです。
壬申の乱の舞台も徒歩5分、その乱で焼け野原になったことから焼野と名付けられた所も・・・。
ライフワークっていいですね。
仕事とそれにからむ国家試験の勉強その他で心がささくれだっていました。
体を壊したこともあり、ちょっと一休みして古典の世界に遊んでみようかと思います。
いろいろ読んでみてまた質問をしてみようと思いますのでよろしくお願いします。
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TIME : 2003/08/07(Thu) 00:40:46
NAME : 水垣
TITLE: 暑中御見舞

八重葎様、sion様、ためかぬ様、紀州の姫様、皆様、こんばんは。
当方夏休み前の慌ただしさで、なかなかゆっくりお返事を書く時間が取れませんが、ご投稿嬉しく拝読致しております。
WEB版暑中見舞をアップ致しましたので、何ともお恥ずかしい出来ではありますが、ご覧頂ければ幸いです。
それにしても立秋直前の暑中見舞になってしまいました…(汗)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/2003summer.html


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TIME : 2003/08/07(Thu) 00:41:38
NAME : 水垣
TITLE: RE:心の闇

すずきのりこ様、はじめまして。
同い年とのことですが、息子さんもウチのと同じ学年ですね。親としては気苦労の絶えない時期であります(笑)。
「心の闇」は、和歌の世界では、子に対する親の愛情を言うのですね。仏教の影響が強い考え方だと思いますが、「愛」が「心の闇」だというのは、大変深い人間理解ではないでしょうか。
大津にお住まいとのこと。戦乱の舞台でもありますが、和歌にもゆかり深いところですね。何度か旅行しましたが、見どころが多くて廻りきれていません。
ご質問などお気軽にどうぞ。

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TIME : 2003/08/08(Fri) 21:52:48
NAME : 花のうてな
TITLE: 式子 と 法然

昔(今も) 良かった 式子さんの歌が 綺麗に整理されて紹介されて 感激です。大谷 雅彦 さんのHP からのリンクで 飛んで 来ました。
  見えつるか見ぬ夜の月のほのめきてつれなかるべき面影ぞそふ 直裁な スピード の 式子 さんのうた が
好き! 
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TIME : 2003/08/09(Sat) 01:05:21
NAME : 水垣
TITLE: ようこそ

花のうてな様、はじめまして。
式子内親王は私も特に思い入れの強い歌人で、百首を選ぶのは楽しい苦しみでした。歌の並べ方はいつにも増して苦心した記憶がありますので、お褒めいただき嬉しく存じます。
式子内親王の歌を「スピード」という言葉で考えたことはありませんでした。少々意外でしたが、面白いご意見と思いました。ありがとうございました。

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TIME : 2003/08/09(Sat) 09:38:34
NAME : 札幌氏
TITLE: ★教えて下さい!★

『青丹よし奈良の都は荒れ果てて伽藍
いたずらに古の名残り留め星月夜、鎌倉の府は廃れ尽くして陰鬼空しく雨に哭す』この歌の「出典」「作者」「時代」をご存知であれば教えて頂けませんでしょうか。72歳の父が何十年前から心に引っかかっている歌らしく、どうぞ宜しくお願い致します。
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TIME : 2003/08/10(Sun) 00:49:08
NAME : 水垣
TITLE: RE:★教えて下さい!★

>札幌氏様
>青丹よし奈良の都は荒れ果てて伽藍
>いたずらに古の名残り留め星月夜、鎌倉の府は廃れ尽くして陰鬼空しく雨に哭す

申し訳ありませんが私は存じません。歌ではなくて語り物、たとえば浄瑠璃の類ではないでしょうか。どなたかご存じの方いらっしゃいましたら、ご教示ください。よろしくお願いします。

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TIME : 2003/08/10(Sun) 02:05:03
NAME : 水垣
TITLE: お知らせ

各地で台風が爪痕を残して行ったようですが、皆様のところはご無事でしたでしょうか。
こちらはもう風もおさまり、静かな夜を迎えております。

さて明日より16日まで旅行で留守に致します。
メールや掲示板でのお返事は出来なくなりますので、よろしくご了承下さい。

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TIME : 2003/08/12(Tue) 05:49:03
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: 野暮な疑問

はじめまして。MM3210と申します。

小生は文芸とは無縁の野暮天ですが、ひょんな経緯から、古い和歌と関わっています。
そんなことから、実に行き届いた貴HPがあることを知り、早速リンクさせて戴きました。

ところが、今回、「立秋直前の暑中見舞」を拝見し、蜩が鳴く頃の蓮の葉を、睡蓮同様に、浮葉と言えるのだろうか、と源俊頼の歌に疑問に感じました。

そこで、「浮葉」を『大辞林』で引いてみたのですが載ってなく、『最新俳句歳時記』(山本健吉編・文芸春秋)を見たところ、「蓮の浮葉」という項目があり、次のような解説が載っていました。

>初夏のころになると、蓮はその宿根から若葉を出して、
>淡緑の小さな円形の葉を水に張り付くように浮かべる。
>浮葉と言い、銭葉とも言う。
>やがて、清く水面から茎を立て、ななめに巻葉を見せ、
>のちにひらくが、緑色の葉は一種の香気をただよわせる。

この解説によれば、俳句の季語としては、「蜩」と「蓮の浮葉」との組み合せは成立しないことになりそうです。

また、夕立の後でなければ、蓮の葉にたまった露がこぼれ落ちるシーンは、
現実には、朝にしか見られないのではないでしょうか。

野暮な疑問について、お教え戴ければ幸いです。


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TIME : 2003/08/15(Fri) 15:30:42
NAME : 三つコブRIDER
URL : http://homepage2.nifty.com/mitsukobu-rider
TITLE: 大江の岸

中学生の長女に質問され、
 検索していてHITしやってきました。
和歌に趣味はございませんが、
 またお邪魔したいと思います。
失礼しました・・・^^

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TIME : 2003/08/15(Fri) 15:32:05
NAME : 三つコブRIDER
URL : http://homepage2.nifty.com/mitsukobu-rider
TITLE: 追加・・・^^

忘れていました。
 ”2300”GETのご挨拶でした。
   r(^^;;;
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TIME : 2003/08/17(Sun) 13:52:16
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: こんにちは


水垣様、皆様、こんにちは。
ご無沙汰致しております。

先日 帰省しておりました九州から
自宅に戻ってまいりました。

今日は「古玉聚」を拝見致しました。
どの歌をとりましても好きな歌ばかりで
胸躍らせつつ読ませていただきました。

殊に「かなし妹(いも)をいづち行かめと・・・」
  「梅の花香をかぐはしみ・・」が印象に残っております。

和歌の世界はまことに深遠なものと思います。
また時の流れに左右されない世界だとも思います。

慌しい日常生活の中で心がささくれそうになりますと
水垣様のサイトにお邪魔致します。

水垣様の文章に触れていますうちに
ほっと安心致しまして
優しさを取り戻すことができます。





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TIME : 2003/08/17(Sun) 15:30:10
NAME : 水垣
TITLE: 帰りました

栃木の温泉で静養して参りました。

●MM3210様、
はじめまして。ようこそおいで下さいました。

 風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ蜩のこゑ

>ところが、今回、「立秋直前の暑中見舞」を拝見し、蜩が鳴く頃の蓮の葉を、睡蓮同様に、浮葉と言えるのだろうか、と源俊頼の歌に疑問に感じました。

蓮の葉と言うと普通、水の上に高く伸びた葉を思い浮かべると思いますが、同時に水面に浮いている葉もあります。それを「蓮の浮葉」と言ったのでしょう。
下の写真は、私が昨年の八月十六日(旧暦では七月八日で、もう秋です)、宇佐神宮境内の蓮池を撮影したものです。分かりづらいかもしれませんが、水面から抜きん出た葉の陰に、浮葉がいくつか見えます。
「蜩が鳴く季節に蓮の浮葉がある」ことを実証しております。



>この解説によれば、俳句の季語としては、「蜩」と「蓮の浮葉」との組み合せは成立しないことになりそうです。

私も『最新俳句歳時記』(山本健吉編)を見てみましたが、「蓮の浮葉」は仲夏の季語になっておりますね。一方、蜩は一般に初秋の季題ですから、仰る通り、「蜩」と「蓮の浮葉」は俳句ではおかしな組み合わせになるのでしょう。しかし、もちろん平安時代の歌人が俳句の季語に規制される理由はないわけです。

>また、夕立の後でなければ、蓮の葉にたまった露がこぼれ落ちるシーンは、
>現実には、朝にしか見られないのではないでしょうか。

俊頼の歌の題は「水風晩涼」ですから、これは夕立が降った後の景ということになるでしょう。「晩」というのは、夕暮のことです。

●三つコブRIDER様、
はじめまして。「大江の岸」で検索されたのですね。お役に立てたのでしたら幸いでした。
アクセスカウントのご報告、ありがとうございます。

●ひよきち様、
こんにちは。「古玉聚」の感想ありがとうございます。

>和歌の世界はまことに深遠なものと思います。
>また時の流れに左右されない世界だとも思います。

「時の流れに左右されない」、変わらない世界に触れると、心に安定を取り戻す、ということがありますね。
人間を含めた現実世界は実は不変ではあり得ないわけですが、だからこそ藝術等の世界では不変を求めずにいられない、ということでしょうか。
もちろん、一方にはめまぐるしい変化への志向もあるわけですが、和歌はどちらかと言うと、永遠なるものに憧れ続けてきたように思えます。

そうした歌人たちの心が、ひよきち様に安心をもたらしたり、優しい気持を呼び起こしたりするのではないかと思います。

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TIME : 2003/08/18(Mon) 23:24:26
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: お礼

野暮な疑問に対して、蓮池の写真を添えた懇切丁寧なご教示を賜り、
小生が当地の蓮田の上面しか見てなかったことがよく分りました。

また、夕立という言葉がなくても、描かれた情景をもとに、
晩涼を一段と引き立てる夕立後の蜩の声と受け取ればよいことも分りました。

どうも、ありがとうございました。


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TIME : 2003/08/18(Mon) 23:46:51
NAME : 水垣
TITLE: どういたしまして

MM3210様、
お蔭様で、私自身、源俊頼の歌への理解が深まったと感じております。
何ごとにつけ疑問を持つことは大切だと改めて思います。「野暮」だなんてとんでもありません。
そもそも、暑中見舞に紛らわしい(睡蓮の)写真を載せたのが私の不手際でした。

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TIME : 2003/08/19(Tue) 20:29:01
NAME : 八重葎
TITLE: 暑中お見舞いありがとうございました

水垣様

急遽 2週間近く米国への出張を命ぜられた
ため返事が遅れました。
睡蓮の写真のお見舞いを向こうで見ておりましたが
感無量でした。ありがとうございました。

私も少し吉野山の奥にでも暫く
隠れ休息したい心境です。
時差もとれず乱筆となりましたが
お許しください。
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TIME : 2003/08/20(Wed) 07:12:53
NAME : 紀州の姫
TITLE: 残暑お見舞い申し上げます

やっと今頃、夏到来の感ありです。
でも朝晩はやはり涼しく、今年は冷夏のまま終わりそうですね。

私も水垣さまの涼しげな暑中お見舞い状を拝見しました。ありがとう御座いました。

風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ蜩のこゑ

MM3210様のお尋ねによりさらに深く味わう事が出来ました。勉強になりました。

お盆休みボケがまだ取れずにいます。
夏休みの宿題を、あれこれ頑張らなくっちゃ・・。^_^;

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TIME : 2003/08/21(Thu) 00:40:23
NAME : 水垣
TITLE:  

こちらも少しは夏らしくなりました。
今年はいわゆる夏バテする人は少なそうですが、不安定な気候に体調を崩される方は多いようです。皆様ご自愛くださいますよう。

●八重葎様、
お疲れのところご投稿頂き、こちらこそありがとうございます。
暑中見舞を海外から見てくださったとは思いも寄りませんでした。
拙い写真に恥じ入る思いでしたが、やはりアップしてよかったと思います。

●紀州の姫様、
私も休みボケでしょうか、温泉ボケでしょうか、どうも頭が働きません。
一週間も旅をしていると普通は家が恋しくなるものですが、山の温泉に浸っていましたら、もう都会になんぞ戻りたくなくなりました。
夏休みの宿題、そろそろ追い込みの季節ですね(笑)。

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TIME : 2003/08/23(Sat) 17:22:29
NAME : マウンテン
EMAIL: mountain_t55_0120@hotmail.com
TITLE: め

はじめて立ち寄り書き込みます。文芸は感性を磨き、人の心を癒し与えてくれます。皆さん、文化、伝統を守ろうとする志は立派だと思います。さて、私は、現在 あらゆる情報やモノであふれ、本当の平和に気付いていない「意志」のない人達があふれていると思います。
単調な毎日の中で無難に事をこなし、何の刺激もなく暮らし、いつも追い詰められた気持ちのままで本当の自由さを求め
ないでいる。これはすべて自分の事だけで、公に対して何の責任も感じないでいる。私達はこの日本に生まれた日本人
だ。日本人が日本の事を語らずして何が国際交流、世界平和なのだ。私はまず自国を誇りに持ち、祖先のために人として
生きる意味を問いたい。それが当たり前のことで私は常にこの国のことを考え続けなければならないと思う。そこで、現代
日本の様々なジャンルの問題に意見交換し、討論し合う熱いサイトを見つけたのでこれをお勧めしたい。
情熱だ、情熱!!  http://www.reformers.jp
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TIME : 2003/08/24(Sun) 00:40:44
NAME : 水垣
TITLE: サイト紹介ありがとうございます

マウンテン様、お書き込みありがとうございます。
このBBSはURLが自動的にリンクされませんので、こちらに改めてリンクさせて頂きます。

http://www.reformers.jp

私にも参加できる討論の場があるでしょうか。よく拝見してみようと思います。

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TIME : 2003/08/24(Sun) 12:06:21
NAME : Naked
TITLE: 名詩の風韻(8/24日経)

 式子内親王の“忘れてはうちなげかるる…”ほか数首が紹介されています。
 「しなやかな言語感覚」とともに、「当時の女性の時間への精妙な感覚」が息づいている、と評していますので、ご参考まで。
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TIME : 2003/08/25(Mon) 02:37:05
NAME : 水垣
TITLE: RE:名詩の風韻

Naked様、お知らせありがとうございます。
日経新聞の「名詩の風韻」、饗庭孝男氏ですね。
季節柄、次の引用歌が印象に残りました。

 照す日はさやかに夏の空ながら時をすぎたる松の下風

テレビで世界陸上の中継を見ていたらこんな時間になってしまいました。

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TIME : 2003/08/25(Mon) 12:25:07
NAME : 八重葎
TITLE: 斉院・斎宮

式子内親王はたしか加茂の斉院、
また時代は遡りますが 徽子内親王は斎宮と
多感な少女期を厳しく潔斎して、
神の御杖代として生きるということは、
現代の我々からは想像を絶する境遇です。

おそらくその立場になってみなければ
判らない孤高な美意識をもっての
歌が多いかと思います。

私自身としては
神館で草枕に葵を結ぶ歌(式子)/琴と松風の歌(徽子)
等が特に印象に残っています。

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TIME : 2003/08/26(Tue) 00:11:22
NAME : 水垣
TITLE: 徽子女王・式子内親王

時代は異なりますが、深く通い合うものがあるような気がしますね。
「孤高」という印象は、神に選ばれた女性としての心の高さからも来るのでしょうか。……やはりどうも私などの想像を絶しております。
「名詩の風韻」で式子の歌につき指摘がありましたが、メランコリックな心情を「しなやか」に歌っているところなども似ています。そういうところに何より惹かれます。

伊勢斎宮と言えば、初代の大伯皇女、最後の祥子内親王、ともにすぐれた歌人です。これも面白いと言うか、かたじけなきことです。

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TIME : 2003/08/26(Tue) 23:33:21
NAME : ぱぐ
URL : http://www.ne.jp/asahi/pug/daradara/
TITLE: 斎宮と斎院、その詩文関係

水垣さん、みなさま、はじめまして。
伊勢斎宮の話が出ていたのでしゃしゃり出てまいりました。

賀茂斎院というのもありますね、京都の賀茂神社の。
初代斎院は有智子<うちこ>内親王と言って嵯峨天皇皇女ですが、漢詩人でもあります。まだ読む機会を得ていませんが、『経国集』という漢詩集などに作品が残っているとか。
嵯峨野の落柿庵の近くにお墓があります。

あと、有名な選子内親王(村上天皇皇女、異例なことに五代の天皇の斎院を務めた)は自身も和歌を詠むし、女房たちにも和歌の才能を持ったものが多く、文化的なサロンとして有名ですね。水垣さんはこのへんはよくご存じだと思いますが。
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TIME : 2003/08/27(Wed) 17:30:28
NAME : 水垣
TITLE: RE:斎宮と斎院、その詩文関係

ぱぐさん、お書き込みありがとうございます。こちらでは初めましてですね。

有智子内親王の名は思いつきませんでした。十七歳で作った漢詩で、父の嵯峨天皇を驚かせたという人ですね。当時の斎院の知的な雰囲気が偲ばれます。
斎宮や斎院では歌や管弦の遊びなどが盛んに催されたようで、神に仕える場であると共に、文化的なサロンの様相を呈する場合もあったようです。そんなわけで、すぐれた歌人や詩人が育つ土壌となったのでしょうか。

なかでも選子内親王の時の斎院は一大サロンだったようですね。『大斎院前の御集』『大斎院御集』などに斎院周辺の贈答歌がたくさん収められていますが、私は到底読みきれていません。いろんな人物が略称で次々と登場し、誰が誰やら分からず、お手上げです。斎院を中心とした社交生活の華やかさだけはよく分かりました。

孤高の人式子内親王にしても、斎院での日常は結構明るく賑やかだったのでは。斎院時代を懐古した歌に

 時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ

という名作がありますが、馬場あき子氏はこの歌から式子の少女時代にもロマンスがあったことを推測しておられました。

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TIME : 2003/08/27(Wed) 21:57:54
NAME : むらじ
TITLE: 経国集

ずーっとご無沙汰いたしております。大変恐縮です。
ずっとロムはしているのですが、なにぶん読解力がなかったりすると、ついつい聞き役に回ってしまいがちなもものです…
「経国集」のお話が出てきたのでちょっと気になりぱらぱらめくってみましたが、小生の持っている「日本古典全集」本が抄本なのか、ほんらい一部散逸しているものなのか、巻がとびとびになっていますが、そのなかの巻第十三に

七言。奉和除夜。一種。            公主
幽人無事任時運。不覚蹉跎歳月除。暁燭半残星色盡。寒花獨笑雪光餘。陽林煙暖鳥声出。蔭澗氷消泉響虚(踈)、故匣春衣終夜試。朝來可見柳條初。

五言。山斎賦初雪。一首。           公主
朔氣三冬緊。班姫亡扇色。孫子得書輝。澗暁猿無嘯。林春鳥不依。野途失薪者。還識薄蘿衣

というのをみつけました。
この本には空海やら良岑安世やら小野岑守やら名だたる文人が勢ぞろいの感がありますが、ほかに女性らしき人のお姿は見当たりませんでした。公主、というと皇女のことですから、これが有智子内親王のことかと。
詩の意味ですか…?
いやー、それは聞きっこなしに…といったら怒られちゃいますかね。文飾紛々たる当時の漢文学の清華だけに、正直かなり苦しいところです。
前の詩の冒頭
幽人無事任時運。
というあたりがもしこの聡明な皇女の本音だとしたらちょっと興味深いものがありますが、漢詩の世界はものごとを多少誇張して表現するのがならいですから果たしていかがなものでしょうか。
それと、「澗」の字のモンガマエの中は「日」ではなくて「月」です。どうしても出てこない文字でした…
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TIME : 2003/08/28(Thu) 21:07:42
NAME : 水垣
TITLE: RE:経国集

むらじ様、お久しぶりです。なんだか、いつも絶妙のタイミングで助け船を出して頂いているような感じです。
「経国集」からの引用、ありがとうございます。私は初めて目にするもので、大変興味深く拝見しました。

「奉和除夜」の詩は、有智子内親王が自らを「幽人」(隠者)に擬しているのでしょうか。「時運に任す」という達観めいた言い方なども、興味を惹かれますね。仰る通り、誇張的な表現ではありましょうが。
全体的には、除夜から初春の朝にかけての時の移りゆきを、実に閑雅に描き出しているという印象を受けました。「春衣終夜試」などは女性らしい趣向で、可憐です。

五言の「山斎賦初雪」の「山斎」は斎院をこう言いなしたのでしょうか。やはり斎院という立場を漢詩の隠者趣味に置き換えているのかなと面白く思いました。でも日本人の漢詩にありがちな、いかにも作り物めいた感じはしませんね。

『続日本後紀』承和十四年十月戊午条の有智子内親王の薨伝にも漢詩が載っているとのことです。某サイトからのコピペですが、

寂々幽庄水樹裏。
仙輿一降一池塘。
栖林孤鳥識春澤。
隱澗寒花見日光。
泉聲近報初雷響。
山色高晴暮雨行。
從此更知恩顧渥。
生涯何以答穹蒼。

弘仁十四年(823)に嵯峨天皇が「齋院花宴」に幸した時、この詩が披露され、天皇が感嘆して内親王に三品を授けた旨記されています。

ところで、「斎王関係和歌の特色――伊勢斎宮と賀茂斎院の比較」という所京子氏の論文が(pdf文書ですが)読めるサイトがありました。
http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/japanese/saiowaka.pdf
14ページには有智子内親王のことにも簡単に触れておられます。ご参考までに。

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TIME : 2003/08/29(Fri) 22:35:03
NAME : きち
TITLE: 教えて下さい

こんにちは。突然ですが、教えてください。
私は、この掲示板にみなさんが書き込んでいるような難しいことは全然分かりません。
ただ、私の友達が昨日、お母さんを亡くされました。
その友達を励ませるような、元気づけられるような、うまい言葉が見つからないのです。
もしかしたら、昔の人の歌の中に、そういった言葉があるかもと思い、教えて貰えたらと。

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TIME : 2003/08/30(Sat) 00:31:58
NAME : 水垣
TITLE: RE;教えて下さい

きち様、ようこそいらっしゃいました。

早速ご質問の件ですが、友人の身内の死を知って、弔いの和歌を捧げる、といった例は少なからずあります。しかし、「この世は無常。死は逃れ得ぬ運命で…」といった内容の歌が殆どではないかと思います。たとえば、

   公時卿の母みまかりて歎き侍りける頃、
   大納言実国がもとに申しつかはしける
             後徳大寺左大臣
 悲しさは秋のさが野のきりぎりすなほ古郷にねをや鳴くらん(新古今集)

「悲しみは逃れ得ぬ運命で、秋の嵯峨野のこおろぎのように、貴方もやはり故郷で声をあげて泣いておられるのでしょう」。
どうも、あまり励ましたり元気づけたりするのは、和歌は苦手なのかなとも思います。

母の死についての感慨を詠んだ歌で、私の印象に深く残っている歌と申しますと、江戸時代初期の元政上人の「草山和歌集」、

   ははのなくなりてのち
 惜しからぬ身ぞ惜しまるるたらちねの親ののこせる形見とおもへば

歌意は、「惜しくもない我が身と思っていたけれども、母が亡くなってみると、この我が身こそ母が残してくれた形見だと思われ、愛惜されることよ」といったところでしょうか。
私だったら、「あなた自身を母上の形見と思ってご自愛下さい」というような気持で、この歌を友人に送るかも知れません。

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TIME : 2003/08/30(Sat) 21:59:49
NAME : きち
TITLE: ありがとう

どうもありがとうございました。
母親の死ってどんなに悲しいものか、私の母が亡くなったらと想像すると、やっぱりどんな言葉も慰めにはならないのかもしれません。
でも、24時間そばにいてあげられないのなら、何か声をかけてあげたい。
少しでも前へ進めるように。
時が癒してくれるまで。

本当にありがとうございました。
私も、色々な和歌を勉強してみようと思いました。



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TIME : 2003/08/31(Sun) 15:14:18
NAME : 水垣
TITLE: どういたしまして

勅撰集の哀傷歌などをぱらぱら捲って見たのですが、励ますというより「いっしょになって悲しむ」という態度の歌が多いように思いました。母親の死のような事態では、そういうことしかできないだろうな、と私も思います。

>でも、24時間そばにいてあげられないのなら、何か声をかけてあげたい。
>少しでも前へ進めるように。
>時が癒してくれるまで。

そうしたお気持ちがそのままお友達に伝われば、何よりの励ましになるのではないかと愚考いたします。
またお気軽にお訪ねください。

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TIME : 2003/09/02(Tue) 21:16:44
NAME : ためかぬ
TITLE: 津の国の待兼山の呼子鳥

「マチカネワニ」検索から
>待兼山という名は古典の中で「山はまちかね山、たま さか山」(枕草子、玉坂山は旧医療技術短期大学部前あ たりの地名)、「津の国の待兼山の呼子鳥」(古今和歌 六帖)などとみえ、歌枕としてもつかわれています。
とあるのを見つけたのですが、

>「津の国の待兼山の呼子鳥」(古今和歌六帖)などとみえ、歌枕としてもつかわれています。
が、どのように、使われているのかわからなく、お尋ねできたらと思っています。
待兼山は、今の住いの近くでもあり、気になってます。

ずっと、気になっていた、ハンドルネームの由来、このたびの更新で知りました。 瑞垣だったんですね。(^^ゞ
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TIME : 2003/09/03(Wed) 00:20:03
NAME : 水垣
TITLE: RE:津の国の待兼山の呼子鳥

歌枕「待兼山」の用例ですね。古今和歌六帖の歌は、

 津の国の待兼山のよぶこ鳥なけど今来(いまく)といふ人もなし

山の名に「待ち兼ね」を掛け、恋人を待ち侘びている自分を「待兼山の呼子鳥」になぞらえて、いくら泣いても相手が来てくれないと嘆いた歌です。呼子鳥はカッコウのことではないかと言われていますが、昔の人はカッコウの声を「ここい」(子来い、子恋い、など)と聞いていたらしいです。

 こぬ人をまちかね山のよぶこ鳥おなじ心にあはれとぞきく(詞花集)

これは呼子鳥の声を聞いて、自分と同じに相手を「待ち兼ねて」いるのだと共感している歌。
このように、恋歌では、恋人を「待ち兼ね」る意を掛けて用いる例が多いようです。

少し後の時代になると時鳥と合せた歌も多く、

 夜をかさねまちかね山の時鳥雲井のよそに一声ぞきく(新古今集)

これは恋歌でなく、夏歌になります。毎晩待兼山の時鳥の声を待ち兼ねていたが、やっと雲の彼方から一声聞けた、という歌です。

今は大学のキャンパスになっているそうですから、あまり鳥も棲んでいないでしょうか。

>ずっと、気になっていた、ハンドルネームの由来、このたびの更新で知りました。 瑞垣だったんですね。(^^ゞ

そうです(笑)。人麻呂のファイルを見て下さったんですね。
今になってみるとこのハンドルネームはちょっと恥ずかしいですねェ。

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TIME : 2003/09/03(Wed) 20:02:31
NAME : ためかぬ
TITLE: ありがとうございました。

さっそく詳しいご解説ありがとうございました。
思い切ってお尋ねしてよかったと感じているところです。
古いニュータウンという不自然な表現どおりの街並みのなか、身近に歴史を感じさせてくれるものがあると、ほっとするものですね。
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TIME : 2003/09/03(Wed) 20:52:36
NAME : ぱぐ
URL : http://www.ne.jp/asahi/pug/daradara/
TITLE: 作品のよって来たるところに興味

水垣さん、むらじさん(初めまして)、お返事ありがとうございました。
すこし間があいてしまいました。

嵯峨天皇の時代は漢詩が盛んなんですよね。そのあと仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多と代が下るうちに小町や業平などの和歌の名手が現れて、醍醐天皇の時代に古今和歌集の編纂に至る。これは政治的に言えば天皇親族が実権を失っていく過程とも重なるわけで、そのへんが興味のあるところです。
学生時代の専攻は国文だったのですが、文学そのものよりもそれが生まれた背景に興味があります。

そんなわけで選子内親王がなぜ五代に渡って斎院を務めることができたのか、ずっと気になっています。

斎宮・斎院は神に仕えるというのが基本の生活ですから見ようによってはつらいでしょうが、本人たちにとっては気心の知れた女房たちと過ごせて、案外楽しめるところもあったのでは。式子内親王にもきっとそんなところがあったのではないかと想像します。

所京子さんの論文はわたしの手元にある『斎王の歴史と文学』(2000、国書刊行会)に収められています。今は中途になっていますが斎宮・斎院についてちょっと調べたことがありますので。
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TIME : 2003/09/04(Thu) 11:56:10
NAME : 八重葎
TITLE: 斎宮

水垣様 ばぐ様
ありがとうございます。

斎宮方は結構自由な時間をお持ちだったのですね。

源氏でしたか、光の君が斎宮の母に会いに野宮に
忍んでいったのは。このモデルは徽子内親王なのでしょうか

現在でも天皇家に関係する女性の方が、神宮の祭主を
なさっておられるようですね。

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TIME : 2003/09/04(Thu) 15:21:43
NAME : 紀州の姫
TITLE: 津の国の待兼山

水垣さま ためかぬさま

盆休みボケが治った頃に今度は残暑ボケになり、毎日ボゥーとしながらも拝見しておりましたら、「待兼山」の話題があり驚きました。
ためかぬ様ではありませんが、私もこんな身近に(あの
地図の中に住んでいます)歴史を感じさせて頂く事があり、それに触れる事が出来るなんて驚きです。

津の国の待兼山のよぶこ鳥なけど今来(いまく)といふ人もなし

呼子鳥の声を聞いた事は記憶の中では御座いませんが、
大学があるお陰で緑が多いままなのがいいですね。
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TIME : 2003/09/04(Thu) 23:14:21
NAME : 水垣
TITLE: 待兼山

ためかぬ様 紀州の姫様

なんと、お二方はご近所同士のようですね。

三、四年前大阪を旅行しました折、万博公園の国立民族学博物館に行き、その後モノレールで池田の方へ向かったことがあります。地図で見ますと、その時待兼山のそばを通ったはずなのですが、気づかずにやり過ごしてしまいました。

ところで、ためかぬ様へのお返事を転用して、歌枕のコーナーに「待兼山」のファイルを加えました。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utamaku/matikane_u.html

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TIME : 2003/09/04(Thu) 23:17:24
NAME : 水垣
TITLE: 作品のよって来たるところ・斎宮

 ぱぐ様

和歌復興の原因としては仮名の発達などがよく指摘されますが、政治史との関連も興味深いですね。醍醐天皇代は摂関政治へのターニングポイントと言えるでしょうが、その時に初めて勅撰和歌集が編纂されたことは、偶然と思えない節があります。
それと、陽成天皇で文徳直系が断絶して光孝・宇多の系統へと移るわけですが、やはりここに和歌にとっても大きな転換点があったのではないかと思っております。

選子内親王の斎院五代というのは飛び抜けてすごいですね。いくら楽しいサロン生活があったとは言え……さぞや身心共に強い人だったのかなと想像します。それと、当時の政治が比較的安定していたことも一因でしょうか。

 八重葎様

>源氏でしたか、光の君が斎宮の母に会いに野宮に
>忍んでいったのは。このモデルは徽子内親王なのでしょうか

「賢木」ですね。六条御息所のモデルが徽子女王というのは、ほとんど定説と言っていいのではないでしょうか。斎宮となった娘に同行するという設定なんて徽子女王そのまんまです。徽子女王は間違っても怨霊にはならなかったと思いますが…。

>現在でも天皇家に関係する女性の方が、神宮の祭主を
>なさっておられるようですね。

斎宮の歴史の余波みたいなものを感じますね(誤解かもしれませんが)。
祭主は代々中臣氏がつとめていましたが、戦後から皇族出身の女性が任命される慣わしになったようです。現在は、今上天皇の姉君の池田厚子さんですね。

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TIME : 2003/09/05(Fri) 22:25:13
NAME : Naked
TITLE: 祖国とは国語である


>和歌復興の原因としては仮名の発達などがよく指摘されますが、政治史との
>関連も興味深いですね。醍醐天皇代は摂関政治へのターニングポイントと
>言えるでしょうが、その時に初めて勅撰和歌集が編纂されたことは、
>偶然と思えない節があります。

 『勅撰』とは、天皇の命により詩歌を撰することですから、まさに、深く政治的なことでしょう。

 また「万葉仮名の時代から平仮名発生後に至るまで、純粋に音を表わす文字としてのみ用いられていたのが、語を表わす文字として用いられるようになったのは、大体平安後期からのこと」であり、「文語というものは平安時代の口語であり、それが凍結されたものだという」ことですから、日本語全体にとって「大きな転換期」だったのだと思います。

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TIME : 2003/09/06(Sat) 02:40:04
NAME : ぱぐ
URL : http://www.ne.jp/asahi/pug/daradara/
TITLE: 色好みという生き方/古今和歌六帖

水垣さん

>それと、陽成天皇で文徳直系が断絶して光孝・宇多の系統へと移るわけです
>が、やはりここに和歌にとっても大きな転換点があったのではないかと思っ
>ております。

ああ、それもありそうですね。陽成天皇廃位のいきさつはいろいろ複雑なものがありそうですし。陽成天皇とその息子の元良親王(百人一首第二十番、わびぬればいまはた同じ……の作者)がいずれも和歌の名手というのもおもしろい符合です。元良親王は色好みで有名だそうですが、これって政治的に恵まれないひとの生き方のひとつだったのかなと思います。
業平しかり、和泉式部の恋の相手になった為尊・敦道の兄弟親王しかり。兄弟親王は冷泉天皇の第三皇子と第四皇子、三条天皇は兄に当たります。血は尊貴であっても権力には近づけない立場。

選子内親王は神に仕える立場でありながら熱心な仏教信者だったそうで、そのへんもおもしろいですね。

あとそれから質問になるのですが、『古今和歌六帖』という題目ごとの歌のあんちょこみたいなものがありますよね。あれって翻刻されているものなんでしょうか?手元にある大岡信さんの『あなたに語る日本文学史 新装版』(1998、新書館)に題目だけ紹介されていておもしろそうなんですが、水垣さんはご覧になったことありますか。
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TIME : 2003/09/06(Sat) 23:41:46
NAME : 水垣
TITLE: 平安時代

Nakedさん

平安時代は、和文(日本語文)の成立期であり、また一挙に最高の古典を産み出してしまった黄金時代でもあった、ということですね。詩では古今集、散文ではもちろん源氏物語ですが。

「文化の白晝(まひる)を一度經驗した民族は、その後何百年、いや千年にもわたつて、自分の創りつつある文化は夕燒けにすぎないのではないかといふ疑念に惱まされる」

古今集のことを考えるとき、いつも思い出してしまう三島由紀夫の一文です。

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TIME : 2003/09/06(Sat) 23:44:07
NAME : 水垣
TITLE: RE:色好みという生き方/古今和歌六帖

仁明・文徳・清和の三代は確か和歌を残していなかったんですよね。天皇で申し上げれば、陽成院が和歌復興の先駆けとなります。
陽成の和歌好きは、母親の藤原高子から来てるのでしょうか? その血が孫の元良親王まで伝わったものか…。
しかし元良親王はまさに皇統移行の狭間に生まれてしまった不運な皇子でしたね。

>元良親王は色好みで有名だそうですが、これって政治的に恵まれないひとの生き方のひとつだったのかなと思います。

不遇の貴公子の生き方として、一つのパターンではありますよね。もちろん才能や容姿その他に恵まれていなくてはならないわけで、選ばれし人の生き方だったでしょうけれど。

>選子内親王は神に仕える立場でありながら熱心な仏教信者だったそうで、そのへんもおもしろいですね。

そうそう、「発心和歌集」という釈教歌集も残していました。まことに興味の尽きない人です。詳しい伝記をどなたか書いてくれないものでしょうか。

古今和歌六帖の翻刻ですが、古くは「(旧)国歌大観」や「校註国歌大系」、最近では「新編国歌大観」に収録されています。「新編…」は第二巻、私撰集編です。それから、明治書院の和歌文学大系からもいずれ出ると思います。

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TIME : 2003/09/07(Sun) 00:32:10
NAME : Naked
TITLE: RE:平安時代

 水垣様

 たしかに、平安時代は、ある意味、日本の黄金時代でもあった、といえると思います。

 「その後の千年」は、「夕燒けにすぎない」という三島の解釈はどうでしょうか、あたらないのでは。
 この前“平安時代の口語が凍結された”と書きましたが、もう変化しないから工夫はそのなかでするよりほかない。千年工夫したから洗練された、と考えるのではないでしょうか。

 ただ、千年を経た、その後はどうかといえば、明治以降は文語がなくなってしまいました。戦後で仮名遣いも変わりました。

 そういう意味では、現在の状況は、三島のいう「夕焼け」よりも問題で、創りあげてきた文化が釣瓶落としに失われようとしているのかもしれません。

 古い詩歌を直接に味わうことができなくとも、解釈して伝えてくれる人がいればよいのですが、どんどん少なくなり、一世代も過ぎてしまえばどうなるのかと案じられます。

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TIME : 2003/09/07(Sun) 15:59:23
NAME : 水垣
TITLE: RE:平安時代

Naked様

>「その後の千年」は、「夕燒けにすぎない」という三島の解釈はどうでしょうか、あたらないのでは。

いえ、三島由紀夫は「夕燒けにすぎない」と「解釈」しているのではなく、「夕燒けにすぎないのではないかといふ疑念に惱まされる」と、自身の民族的「感慨」を洩らしているのです。
引用しましたのは三島が「日本文学小史」で古今集について述べた文章ですが、古今集が戦後日本の代表的作家にそのような感慨をもたらしたことが大変印象的で、私には忘れられない一言になっている、という、ただそれだけの話です。

>ただ、千年を経た、その後はどうかといえば、明治以降は文語がなくなってしまいました。

散文ではそう言えるでしょうが、韻文では短歌・俳句があります。文語は定型短詩として日本語にとりあえず生き続けている、と言えます。

>現在の状況は、三島のいう「夕焼け」よりも問題で、創りあげてきた文化が釣瓶落としに失われようとしているのかもしれません。

私もそういう危惧は抱いておりますが、しかし、その点では西暦九世紀より現代の方がマシかもしれませんよ。知識人はこぞって中国文化に心酔し、和歌など細々とは作られても、表面には全く出てこなかったという一世紀を日本は過ごしたことがあるのです。

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TIME : 2003/09/08(Mon) 12:06:46
NAME : 八重葎
TITLE: 叙景歌の少なさ

現代短歌について、どうこう言えるほど勉強もしていないので 詳しくはわかりません。ただ新聞などの歌壇の歌等を
拝見していて思うのは、皆さん生活の切実な経験から得た
ものが多く、昔のようなおおらかな 清冽な叙景歌を見ることがあまりない点が寂しく感じます。
古今と現代を単純に引き比べて、どちらがいいとか悪いとかいうつもりはありませんが、どうも こすからいというか
世知辛い歌が多く、どうしても古典に目がいきます。

それだけ我国の国土・自然は荒廃してしまったのでしょうか。文学観というより、私はその方が非常に残念です。
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TIME : 2003/09/08(Mon) 15:16:47
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  

水垣様 Naked様

>韻文では短歌・俳句があります。
 文語は定型短詩として日本語にとりあえず生き続けている、と言えます。


「生き続けている」というお言葉にとても共感いたしました。

私事ではございますが 幼い頃、母に物語を読んでもらった記憶がございます。
子供向けの昔話の時もありましたが、時には「平家物語」「今昔物語集」という時もございました。

その言葉の意味はよく分かりませんでしたけれど 
子供心に その言葉の響きを大層美しく感じたことを覚えております。

「言葉」を愛する日本人は文芸の面におきましても、また家庭の中におきましても
その「響き」というものを大切にし続けてきたのではないでしょうか。



しかし Naked様も仰っておいでのように 
今の私たち日本人を取り巻く状況は誠に嘆かわしいと言わざるを得ません。


自然というものを 克服するべき存在としてではなく共存するべきものとして捉え 
さらにその美しさをも文学・芸術として取り込んできた日本人の感性は 
世界の中でも特筆すべきものがあると思います。

そういう感性を いつまでも大切にしたいと考えます。





このゲストブックでは多くの方のご意見を伺うことが出来、
私自身 とても勉強になります。

これからも どうぞ宜しくご指導下さいませ。


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TIME : 2003/09/09(Tue) 01:37:35
NAME : 水垣
TITLE: RE:叙景歌の少なさ

八重葎様

歌から作者個人の生活経験がより切実に感じられるほど良い歌だ、という評価の傾向があるように、以前から感じていました。一つの評価基準として間違っているとは思いませんが、あまりそっちの方にばかり偏っても、歌は痩せてしまうのではないかという気がします。尤も、私も現代歌壇の動向はよく知りませんが…。

叙景歌はきっとたくさん作られているはずだとは思うのですが、良い歌が少ないということなんでしょうかね。心象詩は正直なところ読み飽きましたので、現代の「清冽な叙景歌」を読んでみたいものだと、私も切に願っております。

それはともかく、和歌と短歌の比較は難しいですねぇ。ある現代歌人は歌集のあとがきに「(私にとって)短歌はなによりもまず、五句三十一音の<定型詩>として存在した。<伝統詩>としての短歌、という発想ほどなじめなかったものはない」と書いておられましたが、こうした意識の歌人にとっては、和歌と比較されるのは迷惑千万という話になるのでしょうね。

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TIME : 2003/09/09(Tue) 01:38:02
NAME : 水垣
TITLE:  

ひよきち様

「平家物語」や「今昔物語集」をお読み聞かせになるとは、素晴らしいお母様ですね。幼かりしひよきち様の感性にも感心いたしますが。

言葉の「響き」や「調べ」の大切さを、しばらく日本人は忘れてしまっていたのでしょうか。少し前「声に出して読む日本語」がちょっとしたブームになったのは、多分その反動だったのでしょうね。

「歌はたゞ、よみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆる事のあるなるべし。もとより詠歌といひて、こゑにつきて、よくもあしくも聞ゆるものなり。」

藤原俊成の言葉です。昔の歌人がどれほど言葉の響きや調べを大事にしていたか、よく分かります。

自然との付き合い方なども、古人から学ぶところは今だからこそ大きいと思います。
ひよきち様は、感性を大切にすると言うだけでなくて、染色などで実践されているところが偉いと思います。
身近な生活の実践から始めなくてはいけませんね(と、自戒を籠めて)。

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TIME : 2003/09/10(Wed) 11:26:15
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: お願い

水垣 久 様

この度、<訓読万葉集―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―>にリンクさせていただいた上で、
「万葉集と類聚歌林」と題する小論に、類聚歌林に関わる箇所を、そっくり引用させていただきました。

拙論の内容は、万葉集を愛する方々には、不愉快極まりないものかもしれませんが、
悪意は微塵も抱いていませんので、ご海容くださるようお願い致します。

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TIME : 2003/09/10(Wed) 21:35:02
NAME : 水垣
TITLE: RE:お願い

MM3210様

お知らせありがとうございます。
「訓読万葉集」は引用・転載など、すべて自由です。
どうぞ存分にご活用下さい。
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TIME : 2003/09/14(Sun) 14:52:42
NAME : 紀州の姫
TITLE: 和歌織部焼

先日京都新聞に、ある発掘調査にて和歌を記した風流な織部焼きの器が見つかったとの記事が出ていました。

「鉄釉で書いた和歌を焼き付けた織部焼きの出土は初めてで、雅やかな京都の文化をうかがわせる逸品として注目を集めた。書かれていたのは茶懐石に使う向付けで
表面は和歌にちなんでカエデが描かれ、和歌は

竜田川もみじ乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなん

製作年代は江戸時代初期と特定された」とありました。(京都新聞 9/9 古の伝言52より)

和歌はいつの時代にも親しまれ、脈々と生き続けているのですね。

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TIME : 2003/09/14(Sun) 23:37:09
NAME : 水垣
TITLE: RE:和歌織部焼

しつこい残暑に音を上げていたところへ、風流なニュースをありがとうございます。

織部焼と言いますと、美しい緑釉に奔放なデザインの鉄絵というイメージが浮かびますが、和歌を焼き付けたものがあったのですね。江戸時代初期ということは、織部の生きていた時代からもそう遠くはありません。織部自身が制作に関わっていたとしたら…などと考えると、わくわくしますね。
WEB版の京都新聞には残念ながらその記事は見当たりませんでした。いつか見てみたいものです。

「竜田川…」は古今集よみ人しらず歌ですね。当時古今集の権威は絶大で、戦国武将なども皆古今集をお手本に歌を作っていました。
古今集に代表される和歌は、都の文化の象徴みたいなものでしたから、嗜みとして嫌でも身につけなくてはならない教養だった、とも言えると思います。

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TIME : 2003/09/15(Mon) 09:46:45
NAME : 紀州の姫
TITLE: 続・和歌織部焼

(京都新聞9/9  地域ワイド京都 古の伝言52より)
 
『問題は、誰が和歌を書いたかだ。・・・・当時、京都には町絵師が工房を構えた「絵屋」が現れておりその内の一人が美濃の窯場に出向いて書き、持ち帰ったのではないか?と推測する。
織部焼は、千利休没後、茶の湯宗匠になった古田織部に由来する。型破りな造形と文様が特徴で「自由な発想だから和歌も書けたのだろう(市文化財建造物保存技術研修センター堀内主幹)」』

機会がありましたら記事をそのまま見て頂きたいのですが、取りあえず抜粋致しました。

先日のお茶会では、重陽の節句でもありお道具に菊の取り合わせがありました。
丁度、折節の記にも「菊の露」があり拝見し大変勉強になりました。

そして、菊酒が頂かれるこの節句ですが、
>『歳時記を見たところ、重陽の節句を境に、翌年三月三日の桃の節句までは、日本酒はお燗にして嗜むのが正式だとか。しかし、太陽暦の九月初めといえば、私の住む土地ではまだ残暑きびしい季節。もうしばらくは冷酒の方が旨そうです。(平成十二年九月九日)』

とありましたが、本当にそうですね。(^.^)

白珠の歯にしみとほる秋の夜の
     酒はしづかに飲むべかりけり
             (若山牧水)

残暑の厳しさも少しずつ和らいできております。
そろそろ京都のお寺の萩も美しいです。
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TIME : 2003/09/15(Mon) 13:54:31
NAME : Naked
TITLE: 旧暦では…

 新暦でいう重陽の節句の9月9日は、旧暦ベースでは八月十三日ですから、あと旬日たつと処暑、暑さのやむ時期を迎える、そんな季節感のズレがあるわけです。

 七月から九月までが、旧暦では秋にあたります。したがって、九月節気の寒露は、晩秋の寒くなる時期ということになります。晩秋ともなれば、燗で一献どうぞ。

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TIME : 2003/09/15(Mon) 22:46:50
NAME : むらじ
TITLE: 紀州の姫様

織部焼のニュース、楽しく拝読いたしました。
牧水の歌も素敵ですね。
古田織部という人は織部灯籠などでも知られるなかなかの風流人だったようです。
大阪の陣直前に徳川に意趣ありと断ぜられ斬罪に処せられたのはまことに波瀾の生涯を象徴して余りある出来事だったように思えます。
寝静まる我が家でひとり酒一献
…マズイ自詠で恐縮です。^^ゞ
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TIME : 2003/09/16(Tue) 08:42:35
NAME : 紀州の姫
TITLE: 重陽の節句

Nakedさま
私は難しい事が良く解らないので間違っていましたら
御免なさい。
「9月9日」の重陽の節句は、本来は旧暦の9月9日でして、新暦になりましても「9月9日」だけがそのままなのです。
旧暦の9月9日とは、今で言いますと10月4日になり
菊も盛んな頃でした。ところが新暦になりましても「9月9日」と言う日(9が重なり重陽なので)は変える事が出来ません。
そうすると新暦「9月9日」は、菊の頃にも(また衣替えの季節にも)遠くなり、時期の合わない行事のようにもなり、だんだんと忘れられる行事になった要因の一つのようです。
新暦「9月9日」では初秋ですが、もともとは晩秋の行事だったことになりますね。
本来は、燗に相応しい季節の行事だったようですね。

むらじさま
残暑のせいか、この掲示板も数日書き込みがお休みだったのでちょっとニュースをと思ったのです。
高尚なお話になると、拝読するだけで精一杯の私です。
それはとても勉強になり、いつも楽しく拝読させて頂いているのですが、お仲間に入れて頂くにはその隙間を狙う(?)しかありません。(^_^;)
茶道をしていますと古田織部に触れる機会が多く、そこに和歌があったので私も興味を持ちました。

そろそろ、一人静かにお酒を・・・、が似合う季節になってきましたね。
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TIME : 2003/09/16(Tue) 13:39:46
NAME : ぱぐ
URL : http://www.ne.jp/asahi/pug/daradara/
TITLE: 古今和歌六帖の件、ありがとうございます

水垣さん、こんにちは。また間があいてしまいました。

>陽成の和歌好きは、母親の藤原高子から来てるの
>でしょうか?
>その血が孫の元良親王まで伝わったものか…。

高子の歌は古今和歌集、巻第一・春歌上に一首載っているだけでしたか?
【二条后の春のはじめの御歌
 雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ】
いい歌だとは思いますが名手という感じはしないなあ。古今集編纂当時はスキャンダルのために后の位は停止だったそうですが、そんなひとの歌を載せるっておもしろいですね。

選子内親王の伝記はなにか出ているものだと思っていましたが、ないんですか。
あのころの時代を象徴するひとりだと思うんですけどね。

古今和歌六帖の翻刻版情報、ありがとうございます。明治書院のが出たらそれにしようかしらん。しかし専門書は高くてなかなか手が出せませぬ。
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TIME : 2003/09/17(Wed) 01:38:06
NAME : 水垣
TITLE: RE:和歌織部焼/旧暦

皆様、こんばんは。さすがに秋めいて来ましたね。

>和歌織部焼
続報ありがとうございます。
「自由な発想だから和歌も書けたのだろう」とのお話にはなるほどと頷きました。型にとらわれない織部焼ならではのアイデアだったのでしょうね。
そのうち京都の博物館あたりで公開されるでしょうか。期待して待つことにします。

>旧暦
本来旧暦で行なわれていた行事をそのまま新暦の日付で行なってしまうことに無理があるわけですが、残暑の残る九月頃ですと、季節感のギャップが殊に大きく感じられますね。
年中行事などは旧暦に戻しても良いではないかと思うのですが。
七夕にしても本来は初秋の行事ですよね。それが新暦では梅雨の真っ最中になってしまってます。まあ、当夜が晴れていたところで、都会では天の川など見えやしませんけれども…。

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TIME : 2003/09/17(Wed) 01:39:08
NAME : 水垣
TITLE: 藤原高子のこと

ぱぐさん、こんばんは。
高子の歌は仰る通り一首だけですね。ちょっとした和歌サロンの主宰者ではあったようですが、自分で作ることに熱心だったとは思えません。

>古今集編纂当時はスキャンダルのために后の位は停止だったそうですが、そんなひとの歌を載せるっておもしろいですね。

そうそう。まだ記憶に生々しいスキャンダルだったでしょうにね。
編纂当時后位を失っていたのに、古今集に「二条の后」という名で載っているのはおかしい、という説を唱えている人もいました。後から書き換えられたのだろうとか…。
ともかく、色々とこの人も面白いです。

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TIME : 2003/09/18(Thu) 21:34:41
NAME : ためかぬ
TITLE: 忘られぬべき雲の上かは

新聞広告に ミネルヴァ日本評伝選 第一回配本
「京極為兼」今谷 明 著 とありました。

歴史にも疎いので、これが、第一回配本の大々的な広告でなければ、目に留まらなかったかもしれないと思うと、
胸がドキドキしてしまいました。
和歌のほんの一部を知っているだけですのに、私にとってやはり憧れの君なんですね。

ところで、副題に「忘られぬべき雲の上かは」とありました。きっと有名な引用なのでしょうが、恥ずかしながら、わかりませんので、お教えいただければと思っております。

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TIME : 2003/09/18(Thu) 22:39:57
NAME : 水垣
TITLE: RE:忘られぬべき雲の上かは

京極為兼の評伝、出版されたんですね。お知らせありがとうございます。
副題の句は、冷泉為相撰「拾遺風体抄」に見える歌の下です。新編国歌大観から引用します。

    遠江にうつりけるに別ををしみて
    よめる         為兼卿
  幾月日いく山河をへだつとも忘られぬべき雲の上かは

「遠江」は「遠国」の誤写のようです。岩佐美代子さんは、永仁六年(1298)、佐渡に配流された時の歌としています。
幾山河隔てた遠国へ、幾月日遠ざけられようとも、雲の上(内裏)のことを忘れることなどできようか。気性の強さが良くあらわれた歌と感じます。

ミネルヴァ書房のWEBサイトで確認したところ、「日本評伝選」の刊行予定書目も掲載されておりました。歌人の評伝もたくさん予定されているようで、楽しみです。参考というかメモ代りにリンクさせて頂きます。

http://www.minervashobo.co.jp/nihonhyoudensentxt.html

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TIME : 2003/09/18(Thu) 23:34:14
NAME : ためかぬ
TITLE: 忘られぬべき・・・

早々にありがとうございました。

為兼像 詳しく知りたいような、自分勝手な幻想をこわされはしないかと、いい年齢をして悩むところです。

>気性の強さが良くあらわれた歌と感じます。
一途に理想を追求し続けた人なんだなあなどと、うっとり
夢心地で読んでしまいました。


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TIME : 2003/09/20(Sat) 21:12:10
NAME : むらじ
TITLE:  

「京極為兼」はおなじシリーズの「吉田松陰」と並んで本屋の店頭に並んでいました。なかなか渋い人選?に、かなり感動しました。さっそく買い求めたのですが、折悪しく本業が忙しくなったり体をこわしたりでゆっくり読む時間が取れません。
今谷先生という方は京都の方のようで、冒頭に始まる紀行文のような出だしはなかなかよかったです(…まだそこまでしか読めていません…(T_T))
為兼というとどうしても私の場合、「徒然草」の逸話が真っ先に頭に浮かびます。彼が捕縛されたのをみて日野俊基が「男と生まれたらあのようになりたいものだ」と嘆賞するというものです。
歌人としての面と、野心家としての面と、一見相反するものを兼ね備えた、複雑な人物のようですね。ただどちらからもうかがえるのはためかぬさんのいわれるようないちずな性分、と言えるでしょうか。
彼の評伝というと土岐善麿のものくらいしかなかったので、続きを早く読みたいです。

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TIME : 2003/09/20(Sat) 23:36:42
NAME : 水垣
TITLE: 為兼の評伝

私は一昨日ネットで注文してしまいました。週末は暇ができたので、書店に買いに行った方が早かったなと今さら悔やんでいるところです。
今谷明氏の著作はまだ読んだことが無いのですが、むらじさんが感動するほど「渋い人選」なのですね。ますます期待は高まります。
土岐善麿の本では歌人為兼の比重が断然重く、政治家像にはあまり突っ込んでおりませんでしたから、おそらく今度のが「歌人にして政治家」為兼の最初の本格的評伝になるのではないかと期待しております。

むらじさんの挙げられた「徒然草」の逸話は本当に印象的ですね。兼好の意図は別なところにあったのかもしれませんが、為兼の人となりまでありありと浮かんでくるようなエピソードです。
ためかぬさんの「一途」という言葉から思い出しましたが、土岐善麿には次のような京極為兼を詠んだ歌がありました。

 かしましくののしる声を聞きながらただに一途に事をし遂げき

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TIME : 2003/09/21(Sun) 16:58:21
NAME : 大嶋
TITLE: お知恵を拝借させて頂きたい。

はじめまして。お邪魔致しております。
お尋ねしたいのはある歌なのですが、在原業平の
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌に対して誰かが反歌のようなもの歌っていたような気がするのですが・・・
意味合い的には桜があったほうが良いというような歌だった気がします。
恐れ入りますがどなたかその歌と作者を教えて下さい。
お願い致します。
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TIME : 2003/09/21(Sun) 21:28:06
NAME : 水垣
TITLE: 「世の中に絶えて桜の…」の反歌

大嶋様、ようこそいらっしゃいました。

>「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌に対して誰かが反歌のようなもの歌っていたような気がするのですが・・・

伊勢物語八十二段に、次のような贈答が見えます。

 右馬頭なりける人のよめる、
  世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
 となむ、よみたりける。又人の歌、
  散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき

伊勢物語に作者名は記されておりませんが、他書には紀有常の作とあります。

現在リンクは外してあるのですが、当サイトの「和歌雑記」に昔書いた関連の文章がありますので、下記リンクいたします。ご参考になるかどうか、ご覧頂ければ幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/column02.html

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TIME : 2003/09/22(Mon) 15:40:10
NAME : 大嶋
TITLE: ありがとうございます。

水垣様

早速のご回答ありがとうございます。
恐らくこの歌だったと思います。スッキリしました。
業平のこの歌を初めて聞いたのは中学の授業だったと思うのですが、初めて聞いて情景が目に浮かびすぐに覚えた歌でした。
つくづく昔の人は雅だったと思わされます。

本当にありがとうございました。

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TIME : 2003/09/25(Thu) 21:30:09
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  


水垣さま

「風流の原風景」を拝見いたしました。

「そのような歓楽に耽る中にも、<いまこの時>が過ぎ去る悲しみは、人々の胸を締めつけている。」

このお言葉が 深く心に残りました。



春、桜の咲く頃になりますと 
咲き初めたと言っては心を躍らせ 
そして咲きそろう頃となりますと 風よ 吹いてくれるなと願い・・・・。

なかなか 心はしずまってはくれません。





「<いまこの時>が過ぎ去る悲しみ」

桜の時期に限ることなく 
このような感慨は 人々の心の奥深く在ったのでしょうね。











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TIME : 2003/09/26(Fri) 12:22:35
NAME : 八重葎
TITLE: わが身ひとつの秋にあらねど

水垣様 皆様

ごぶさたしております。

”時が過ぎ去る悲しみ”とは歌を鑑賞する上で
大事な認識かと私も痛感いたします。

古今にも秋の物思い、悲しさを歌ったものが多いですが
単なる秋=悲しさの言語遊戯をしているではなく
やはり自分の内面から、時の過ぎ行く無情さをかみしめ
そこから湧きあがるものが多く記載されているように
思います。
というよりも、この悲しさはもっと本能的に即座に感じることもできるような気もします。風に 虫の音などに。
ただ後から考えてみると、時の経過に対する諦念というような理屈になるのかもしれない。

うまくいえませんが、そんな感覚を大切にして、
うたを鑑賞していきたいと思います。

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TIME : 2003/09/28(Sun) 06:21:08
NAME : 水垣
TITLE: 「時が過ぎ去る悲しみ」

ひよきち様・八重葎様、おはようございます。

日に日に日が短くなってゆく今日この頃、時の経過に対しては特に敏感になるような気がします。桜の季節と共に、和歌がこの季節を偏愛するのは、十分な理由があるのでしょうね。

 あはれしばしこの時過ぎでながめばや花の軒ばの匂ふあけぼの

玉葉集、藤原(京極)為子の歌を思い出しました。「この時過ぎで」というのは、「今この時が過ぎ去らずに」、つまり時間を止めたいという願望です。
曙や夕暮の空は美しいものですが、「きれいだな」と思っている間に光は移ろい、刻々と変化してしまいます。
時間を止めたいという願望は、永遠への憧れでもあるのでしょう。日本人は、そうした思いを何よりも和歌に託してきたのではないかと思われます。

ところで昨日の夕方、近所の女子校の塀に沿った道を我が家へ向かっていたところ、校庭の木々から蝉の切れ切れの鳴き声が聞えてきました。ちょうど陽が沈む頃でしたが、やがてその声がやんでしまうと、入れ替わるように草むらで虫が鳴き始めました。

 ひぐらしのなく山かげはくれはてて虫のねになる萩の下露

後京極摂政良経の歌です。萩は咲いていませんでしたけれども、この歌に詠まれたようなみぎりを経験できたのだなとその時思いました。

……まあ、自然に対しては多少感傷的になってもいいでしょう、と言いたい。実社会に対しては感傷的になっている暇なんてありませんからね(笑)。

さて、今日は『京極為兼』を読んで、やりかけの後崇光院のファイルをアップして、夕方からは家族で映画を観に行く予定です。休日もあっと言う間に過ぎてしまいそうです(^_^;


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TIME : 2003/09/28(Sun) 11:35:35
NAME : のりまき
URL : http://www.norihuto.com/
TITLE: 十三代集

のりまきと申します、始めまして。
以前からこちらのホームページを愛読しておりました。鎌倉〜室町頃の中世史が好きなこともあって、十三代集(プラス新葉集)の解説は、特に興味深く読ませていただきました。

読後の印象として、やはり世間の解説の鵜呑みはいかんな〜〜ということです。私の受けた高校の歴史や古典の授業などでも、新古今以降はほとんど顧みられていませんでしたが、それ以降の勅撰集も、それなりの情熱と思いを持って編集されていたことを知ることができました。

私はあまり和歌の鑑賞は得意ではないのですが、後崇光院あたりは前々から興味のあった人物だったのですが、より興味が深く湧いてきました。

これからのやまとうた世界の展開も楽しみにしております。
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TIME : 2003/09/29(Mon) 01:17:07
NAME : 水垣
TITLE: RE:十三代集

のりまき様、はじめまして。書き込み有り難うございます。
十三代集はまだまだ勉強中で、解説めいたことを書くのもおこがましいのですが、一般向けの書物もほとんど無い現状ですし、ちょっと大げさに言えば文学史の常識に異議を唱えたいというような思いで、敢えてやってみたものです。
関心を持って下さる方が少しでも現れてくれれば以て嘉すべし思っておりました。ご感想を大変嬉しく拝見した次第です。

後崇光院に関心をお持ちとのこと。つい先程、「千人万首」というコーナーに歌々をアップしましたので、御覧頂ければ幸いです。
後崇光院は室町時代史を考える上で重要人物のようですね。今回、家集を読む傍ら、『看聞日記』を基にした横井清氏の評伝『室町時代の一皇族の生涯』を興味深く読んでおりました(実はまだ読み終えていないのですが)。

ところで貴サイトを拝見して興味津々です。ブックマークしたばかりですが、これから楽しみに読ませて頂こうと思っております。
またお気軽に訪問頂ければ嬉しく存じます。

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TIME : 2003/09/29(Mon) 08:06:15
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  


水垣さま

 
 あはれしばしこの時過ぎでながめばや花の軒ばの匂ふあけぼの


この歌は 初めて拝見いたしました。誠に美しい歌だと思いました。

「あはれ・・・ながめばや」の呼応。
藤原為子は今この瞬間を 心から愛していたのでしょうね。


>時間を止めたいという願望は、永遠への憧れでもある

仰るとおりだと思います。
この時が 何ものにもかえ難いと思えばこその感慨でもあるのでしょう。

昔は現代のように写真もビデオもなかったことを思えば 
余計に胸に迫るものがございます。

目の前にひろがる美しい風景を目に焼き付けて
1人 心の中で何度も反芻したのでしょうね。


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TIME : 2003/09/29(Mon) 11:43:26
NAME : のりまき
URL : http://www.norihuto.com/
TITLE: 後崇光院、そして…

水垣様、おはようございます。

実は私たちのホームページで、これから宗良親王のコーナーを作りたいな〜〜と考えています。

私にとって中世には後崇光院をはじめ、その生涯を追ってみたい、魅力ある人がかなりいるのですが……昨年たまたま南アルプスのふもとで宗良親王の歌碑を見かけてから、宗良親王の足跡を辿るコーナーを作りたいと思い始めました。

なにぶん私は和歌の専門家でもなく、どこまで宗良親王に迫れるか自信がないのですが、このホームページを読み進めていくうちに、『とにかくやってみよう!』と決心しました。

今後、いろいろと参考にさせて頂きたいと思います、よろしくお願いします。

私たちのホームページに興味を持っていただいたようで、光栄です。これからもよろしくお願いします。
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TIME : 2003/09/30(Tue) 06:51:21
NAME : 水垣
TITLE: 藤原為子「あはれしばし…」の歌

ひよきち様、おはようございます。

 あはれしばしこの時過ぎでながめばや 花の軒ばの匂ふあけぼの

本当に「心から愛していた」「今この瞬間」への愛惜が、「あはれしばし」の字余り、「ながめばや」の強い響きなどから、溢れてくるようです。
また、移ろいやすい曙、散りやすい桜だからこそ、愛惜の情が殊更心に染みるのでしょうね。

>目の前にひろがる美しい風景を目に焼き付けて
>1人 心の中で何度も反芻したのでしょうね。

そう思います。そんな経験を積み重ねたことが、ある日ある時、この一首に結晶したのではないでしょうか。

花の有様はどうだったかなど、具体的な描写はしていなくて、観念的な歌とも言えるのですが、情も景も心に染み渡ってくるような気がします。玉葉集の歌は細かな自然描写が特徴とされますけれども、こういった歌も結構多いです。

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TIME : 2003/09/30(Tue) 06:52:37
NAME : 水垣
TITLE: 宗良親王

のりまき様、おはようございます。

>実は私たちのホームページで、これから宗良親王のコーナーを作りたいな〜〜と考えています。

それは楽しみです。宗良親王の生涯はまだ分からないことが多いですよね。各地に色々な伝承が残っているらしいところも魅力を感じます。
南アルプスの歌碑とおっしゃるのは大河原村ではないかと思いますが、私もぜひ一度訪ねてみたいと思っております。

ところで宗良親王という人は、戦前までは人気の高い歌人であり歴史的人物であったようですが、イデオロギー的に利用されてしまった面がなきにしもあらず。戦後はその反動で、不当に無視され、或いは低く評価されている人ではないかと思っておりました。

>なにぶん私は和歌の専門家でもなく、どこまで宗良親王に迫れるか自信がないのですが、このホームページを読み進めていくうちに、『とにかくやってみよう!』と決心しました。

私のサイトが一つのきっかけになったのだとしたら、光栄です。陰ながらと言わず応援させて頂きたい気持です。

貴サイトでは特に金剛山と「表現者たち」のコーナーに花マル注目中です。こちらこそこれからもよろしくお願いします。

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TIME : 2003/10/01(Wed) 10:20:50
NAME : 紀州の姫
TITLE: 秋色の神無月

昨日、美術鑑賞に滋賀県立陶芸の森美術館「桃山陶に魅せられた七人の陶芸家」に行ってまいりました。
爽やかな秋晴れの中、都会から離れ、少し色づき始めた山の木々や田園風景は心を癒してくれました。
行く道々に、それは見事な満開の曼珠沙華に出会い
、青空と風に揺れる稲穂の黄緑色と緋色曼珠沙華が鮮やかなコントラストを描いていました。
秋の七草に曼珠沙華が入ってないのが不思議、という声も聞いた事があります。でも、

萩の花をばな葛(くず)花なでしこの花をみなへしまた藤袴(ふぢばかま)朝顔の花 〔山上憶良〕

やはりひっそりとした秋の七草に比べれば、曼珠沙華の緋色は余りにも激しすぎますね。私はとても好きですが。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきび)つよし そこ過ぎてゐるしづかなる径
木下利玄『李青集』より
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TIME : 2003/10/02(Thu) 01:39:31
NAME : 水垣
TITLE: 曼珠沙華

陶芸の森美術館、信楽にあるんですね。信楽へはもう十年程前になりましょうか、紫香楽宮跡(甲賀寺跡)を見に行ったことがあります。緑が濃く清々しい森の中にあって、さすがに大仏建立に相応しい浄地だなあと思ったものです。

曼珠沙華は今頃の季節目立つ花ですね。近頃は好まれるのでしょうか、人家の庭先でもよく見かけるようになりました。思わず見とれてしまいます。
秋の七草に入っていないのは、野生が少なかったせいでしょうか? 色彩が強烈すぎるということも考えられそうですね。(そう言えば、以前、当掲示板で万葉集の「いちしの花」が話題がなったことがありました。)

私は彼岸花と普通呼んでおりますが、関西では曼珠沙華と呼ぶ方が多いらしいですね。
曼珠沙華の秀句が多い山口誓子も京都出身でした。

 海上に星らんらんと曼珠沙華
 つきぬけて天上の紺曼珠沙華

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TIME : 2003/10/02(Thu) 18:25:15
NAME : 紀州の姫
TITLE: いちしの花

水垣さま

教えて頂き有り難う御座いました。
万葉集には「いちしの花」として歌われていたのですね。話題になっていた頃は、私はまだここにはお邪魔していませんでしたのでその事を知らず、実は曼珠沙華で一生懸命探していたんです。
また一つ、とても勉強になり嬉しくなってしまいました。

道の辺のいちしの花の、いちしろく、人皆知りぬ、我が恋妻は  (柿本人麻呂)

有り難う御座いました。
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TIME : 2003/10/03(Fri) 06:07:21
NAME : 水垣
TITLE: RE:いちしの花

紀州の姫様

そうです、万葉集のその歌なんです。「いちしの花」は、牧野冨太郎博士の説以来、曼珠沙華(彼岸花)のことだとするのが最も有力な説となりました。
ところが、他の「いちしの花」の用例を調べると、赤い曼珠沙華ではおかしい、という指摘をして下さった投稿があったのです。
たとえば、

 たつたみも衣手白しみちのべのいちしの花の色にまがへて(現存和歌六帖)

この歌などから、「いちしの花」が鎌倉時代には白い花と認識されていたことが分かります。
江戸時代になると「いちしの花」が何なのか、もう分からなくなっていたようで、諸説出てきます。有名な万葉学者の契沖は大黄のことではないかとしています。大黄は黄色がかった白い花ということになりましょうか。

http://www.shinwa-seiyaku.co.jp/hitokuti/herb/daio.htm

最近、曼珠沙華にも白い花があることを知りましたが、これは交配種で、万葉時代にあったものかどうか…。

他に、ぎしぎし(羊蹄)・くさいちご・えごのきなどとする説があるようです。

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TIME : 2003/10/03(Fri) 21:58:43
NAME : 紀州の姫
TITLE: 白い彼岸花

水垣さま

陶芸の森でちょっと目にした曼珠沙華(彼岸花)から、こんなに色々な事を教えて頂けるなんて・・・。
そして今日、習い事の先生宅に参りましたら、応接間に
花瓶いっぱいの白い彼岸花が!(先生のお庭に咲いていたものです)
先生とも思わず彼岸花談義となってしまいました。
あれこれと色々調べている中に、

『白い花と言えば、まさか柿本人麻呂は、赤い花の中で目立って(…いちしろく…)いる白子の白花ヒガンバナを、壱師として歌に詠んだのではないでしょうね…?』

と言うのもありました。

>(そう言えば、以前、当掲示板で万葉集の「いちしの花」が話題がなったことがありました。)

これが、どういう事かも良く理解できました。
何気なく見ていた曼珠沙華(彼岸花)について、ホンの少し、賢く(!?)なったような気がしております。
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TIME : 2003/10/04(Sat) 10:38:10
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: 作良田?

水垣様

万葉集3−271の高市黒人の歌は、原文に「櫻田」とあるので、「千人万首」にあるように、普通、次のように訓読されています。

桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る

ところが、「訓読万葉集―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―」では、地名「桜田」が「作良田」になっています。

鹿持雅澄が「作良田」とした理由が分かっていれば、ご教示ください。
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TIME : 2003/10/04(Sat) 12:49:10
NAME : のりまき
URL : http://www.norihuto.com/
TITLE: 資料集め

のりまきです。こんにちは。
宗良親王のページを作るという目標が出来たので、まずは我が家にある鎌倉〜室町時代にかけての本の読み返しを始めました。

どの本も一度は読んだはずなのですが……改めてこれまで読み方が足りなかったなあ〜〜という反省をしました(苦笑)。これから宗良親王関係の文献を集めていこうと思います。正直なところ、実際のページ作成開始まではまだまだ道のり遠しです。

ところで曼珠沙華(彼岸花)についてですが……この植物はたしか日本には自然状態では分布していなかった植物で、かなり古い時期、中国大陸から日本に帰化した植物であったと記憶しています。
日本に分布する曼珠沙華(彼岸花)は、山吹と同じく、花は咲いても実ができません。古い時代に日本にやってきた曼珠沙華(彼岸花)は、株分けで増えていくしかなかったそうで、人の手を介しながら日本各地に広がっていったとされているそうです。
万葉の昔には、曼珠沙華(彼岸花)はなかった(ないしは今よりずっと少なかった)のかもしれません。
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TIME : 2003/10/05(Sun) 08:04:11
NAME : 水垣
TITLE: RE:白い彼岸花

皆様、おはようございます。

>紀州の姫様
私も先日、道端で白い彼岸花を見かけました。燃えるような紅い花という先入観があるゆえでしょうか、見るたびにハッとさせられます。同じ白い花でも、他の花の「白」とはどうも違って見えて仕方ありません。濃い白とでもいうのでしょうか、純白に濃淡など無いはずなのですが。

>『白い花と言えば、まさか柿本人麻呂は、赤い花の中で目立って(…いちしろく…)いる白子の白花ヒガンバナを、壱師として歌に詠んだのではないでしょうね…?』

紅一点ならぬ白一点というわけですね。まさに「いちしろく」です(^^)。
それにしても花のWEBサイトはまさに百花繚乱です。

>のりまき様
曼珠沙華についてありがとうございます。そう言えば実ができなかったんですね。しかも帰化植物となれば、この花を詠んだ和歌が少ないのは無理もないのかも知れません。

田んぼのほとりなどに多く植えられているのは、開花期が秋の種播きの時期にあたるので、その目安とされたのだと聞きました。

宗良親王の文献は古いものが多くなってしまうでしょう。集めるのも大変だと思いますが、成果を期待しております。開設の日を気長にお待ちしております。

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TIME : 2003/10/05(Sun) 08:06:04
NAME : 水垣
TITLE: RE:作良田?

MM3210様

>桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る

初句の原文は「櫻田部」ですが、『萬葉集古義』には「櫻田部(サクラダヘ)は、和名抄に、尾張國愛智郡作良郷とある、そこの田へなり」とあり、この解釈に基づき、「訓読万葉集」では「作良田へ」と表記しました。

訓読万葉集にもこの旨、注を加えておきました。ご確認頂ければ幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyok03.html

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TIME : 2003/10/05(Sun) 20:06:57
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: お礼

水垣様

早速のご教示、まことに有難うございます。

契沖と折口信夫とが注目しているとのことですが、
私も、古万葉集を訓み解き撰んだ、源順をマークしています。

従って、「作良」が和名抄にもとづくものと分かり、
大袈裟に言えば、鳥肌が立つ思いです。

今後とも、よろしくお導き下さるよう、お願い致します。
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TIME : 2003/10/13(Mon) 17:36:08
NAME : 大谷祐康
TITLE:  

蓮生の墓が西山善峰寺にあるとありますが、西山三鈷寺内にある華台廟にあるのが正しいのではないのでしょうか。お尋ねします。大谷
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TIME : 2003/10/13(Mon) 18:58:29
NAME : 葉つき みかん
URL : http://f17.aaacafe.ne.jp/~hmikann/index.html
TITLE: 足利義教さんの歌

水垣様、お久しぶりです。
「千人万首」の更新で、足利義教さんの歌が載っていたので、喜んで書き込みさせていただきました。
私は、足利義持が廃止した遣明船を、幕府の利益のために復活したという、合理的な考えをもっていた義教さんの事が気になっていたのですが、こんなに風情のある歌(二首目)や、情熱的な歌(三首目です)を詠んでいたのですね!

ますます彼に惚れてしまいそうです。
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TIME : 2003/10/14(Tue) 01:23:49
NAME : 水垣
TITLE:  

大谷祐康様

>蓮生の墓が西山善峰寺にあるとありますが、西山三鈷寺内にある華台廟にあるのが正しいのではないのでしょうか。

そうだったのですか? では調べてみます。ありがとうございました。

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TIME : 2003/10/14(Tue) 01:26:26
NAME : 水垣
TITLE: RE:足利義教さんの歌

葉つき みかん様、お久しぶりです。書き込みありがとうございます。
義教がお好きでしたか。名より実を取るという、合理主義的な実行家という感じは受けますね。信長の先駆けみたいなところもある人で。重臣に殺されてしまうという死に方も似ていますが…。

先日『室町時代の一皇族の生涯』という伏見宮貞成親王の伝記を読み終えたのですが、義教も重要人物として登場しておりました。恐い人には違いないものの、目をかけた相手には実に細かい配慮や情の深さを見せる人なのだなと、やや意外の感に打たれたものです。

和歌は当時の趨勢で、技巧的に凝ったものですが、情感も籠っていますね。二首目・三首目には私も惚れ惚れしました(笑)。

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TIME : 2003/10/14(Tue) 22:27:33
NAME : むらじ
TITLE: ただに一途に

おひさしぶりです。
ひところ話題に登った
「京極為兼」
読み終わりました。
じつに充実した読後感でした。
話のスジとあまり関係ないのですが、
さいごのくだりに出てくる土岐善麿の歌、

喧(かしま)しく詈(ののし)る声を聞きながら
    ただに一途に事をし遂げき

という一首に魅かれました。
この世に生きているうちただ一度でもいい、
おれは心の底からそう云いたい、
思わずそんな想いに囚われた一瞬でした。
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TIME : 2003/10/16(Thu) 01:17:27
NAME : 水垣
TITLE: 今谷明氏の「京極為兼」

むらじさん、お久しぶりです。為兼の本の感想、ありがとうございます。

>喧(かしま)しく詈(ののし)る声を聞きながら
    ただに一途に事をし遂げき

私もこの歌が印象に残りました。二条派から轟々たる非難を浴びながら玉葉集を編纂したことを言っているのでしょうが、六波羅に捕えられた時(二度目)の為兼の心境もこんな風だったのではないか、と想像されました。

そういえば、カバーにはむらじさんが以前触れておられた徒然草の「為兼大納言入道召し捕られて」の場面の絵が使われていましたね。

私も感想を書こうと思いつつ、怠け続けてしまいました。なんとか自分なりに纏めておきたいと思っているのですが。

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TIME : 2003/10/16(Thu) 23:06:51
NAME : kenichsberg
URL : http://kenichsberg.hp.infoseek.co.jp/
TITLE: 教えていただけませんでしょうか

こんにちは。はじめて投稿させていただきます。kenichsberg(けーにひすべるく)と申します。

これまでROMばかりでしたが、このサイトの素晴らしい内容には、いつもお世話になっております。

今回、どうしても内容でわからないことがありまして教えていただきたく、失礼もかえりみずに書き込みさせていただいた次第です。

具体的には千人万首の奈良時代前期、海上女王のことです。現在彼女のことを調べているのですが、貴サイトにおかれては「紹運録によれば、尾張女王・壱志濃王の母」とあります。しかし、この元の資料がどうしても見つからないのです。

「本朝皇胤紹運録」については、とりあえず『群書類従』所収のものを見ているのですが、そこにはそのような記述がありませんし、吉川弘文館の『日本古代人名辞典』の海上女王や壱志濃王の欄を見ても、そんな説明がないのです。

多分「紹運録」の異本にそのような記事があるのではないかと推測しますが、私は歴史の素人なので、普通の図書館で資料を調べてもよくわかりませんでした。

お忙しいところ恐縮ですが、このあたりの事情につきご教示いただけませんでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

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TIME : 2003/10/17(Fri) 18:33:32
NAME : 水垣
TITLE: 海上女王の記事について

kenichsberg様
疑問点のご指摘、有り難うございます。

>具体的には千人万首の奈良時代前期、海上女王のことです。現在彼女のことを調べているのですが、貴サイトにおかれては「紹運録によれば、尾張女王・壱志濃王の母」とあります。しかし、この元の資料がどうしても見つからないのです。

何かの本に異説として提示されていたと思うのですが、出所の資料が思い出せず、今のところ確認できません。
「本朝皇胤紹運録」は群書類従本と新註皇学叢書を見ましたが、いずれも海上女王の子についての記載はありませんでした。私も、

>「紹運録」の異本にそのような記事があるのではないかと推測

したのですが、少なくないらしい紹運録の異本については調べる手立てもなく、うやむやになってしまっておりました。

資料が確認できるまで(あるいは私の勘違い(?)が確認できるまで)、取りあえず海上女王の千人万首のページの「紹運録によれば、尾張女王・壱志濃王の母」の部分に抹消線を引いておきます。

海上女王 千人万首

惑わすような記事を書いてしまったことをお詫び申し上げます。
何か判りましたら、この掲示板に書き込むなり、ご迷惑でなければメールを差し上げるなり致したいと存じます。

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TIME : 2003/10/19(Sun) 22:54:33
NAME : ためかぬ
TITLE: 『新百人一首』

伏見院!!の歌は、なじみのないものでした。あせって、手元にある抄訳本で調べましたら、載っていたので、変に安心しました。

『新百人一首』藤原俊成女の頁の書の美しさに心ひかれました。特にこの頁を選ばれたのでしょうか。
たまたま、今日、蕪村展(逸翁美物館・大阪府池田市)で蕪村の味わい深い書をみたので、興味深く見てしまったのかもしれません。
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TIME : 2003/10/20(Mon) 18:05:20
NAME : 水垣
TITLE: RE:『新百人一首』

ためかぬ様、いつも有り難うございます。

>『新百人一首』藤原俊成女の頁の書の美しさに心ひかれました。特にこの頁を選ばれたのでしょうか。

虫食いがなかったので(笑)。どの頁も書は素晴らしいと思います。百人一首の「美術館」コーナーでそのうち他の頁も紹介できたらと思います。

蕪村展やっていたのですね。蕪村は以前逸翁美物館の常設展でも堪能したものですが…。晩秋関西旅行を計画しているので、できたら寄ってみたいと思っております。

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TIME : 2003/10/20(Mon) 20:04:59
NAME : kenichsberg
URL : http://kenichsberg.hp.infoseek.co.jp/
TITLE: ありがとうございます

水垣様
早速のレスありがとうございます。
うーん、海上女王については謎が深そうですね。

自分のサイトでは奈良時代のあまり知られていない人物を追いかけていまして、こちらで海上女王の記事を発見した時は色めきたっておりました・・・(^ ^;

お手数かけて恐縮ですが、何かわかったら教えていただけるとありがたいです。
勝手を言って申し訳ないのですが、何卒よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
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TIME : 2003/10/21(Tue) 00:39:43
NAME : 水垣
TITLE: RE:ありがとうございます

kenichsberg様
いえいえ、ご期待に添えず、申し訳ありませんでした。
資料を示さずに定説と異なる説を出してしまったのは軽率だったと反省しております。
昔読み漁った古代史関連の本をひっぱり出してみますので、お待ち下さいませ。

kenichsberg様のサイトを拝見しましたが、資料の少ない歴史上の人物を丹念に追跡されていて、読んでいて引き込まれました。山於女王に目をつけられるとは、ちょっとビックリでした。
私の方も色々教えて頂きたいと存じます。どうぞ宜しくお願いします。

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TIME : 2003/10/23(Thu) 01:02:06
NAME : きわ
TITLE: 初めまして

 私は短大一年の学生です。
 古典の授業の宿題で「旅人について調べろ」「梅花宴について調べろ」「梅について調べろ」「万葉の植物トップ5を調べてその歌も挙げろ」と一気にたくさんの宿題を出されたんですが、水垣さんのHP、ホントにとっても役に立っています☆
 実は春から参考にさせていただいていました。春は授業でやった作歌について二千字程度で説明しろっていうテストがあって。。。。私は憶良についてやったんですけど、水垣さんのHPのを全部使わせていただきました(^^ゞもちろん単位は取りました☆
 これからもいろいろと参考にさせていただきます!更新など、頑張ってください☆
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TIME : 2003/10/23(Thu) 08:13:19
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  


おはようございます。

「波流能由伎」のサイトマップを改めて拝見いたしまして
その素晴らしさに・・・呆然(笑)としている ひよきちでございます。


ひぐらしの 鳴きぬる時は 
       
   女郎花 咲きたる野辺を ゆきつつ見べし 

                     (17/3951)



その中で この歌を拝見いたしました。
とても心惹かれました。

歌を読んだだけでも このように心に残るのですから
実際に蜩の鳴く中を そして女郎花の咲く野辺を歩いたなら
どんなに忘れらない情景となることだろうと思いました。







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TIME : 2003/10/24(Fri) 12:45:06
NAME : 八重葎
TITLE: 子規について

水垣様 皆様

お久しぶりです。
先日NHKで子規がホトトギスを東京で再刊するまでの
経緯を放送していました。ご覧になった方も多いかと
思います。

小生が驚いたのは、34歳で亡くなっていたということでした。松山で見た写真などからは、もう少し老成した人と想像していました。
歌詠みに与える書など激烈な文章は、旧弊を打破しようとする意気・自分の命数との戦い・写実による新しい文章表現確立などいろいろなものが心にあったのだと思います。

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TIME : 2003/10/24(Fri) 18:17:31
NAME : 水垣
TITLE: >きわさん

初めまして。励ましのお言葉、有り難うございます。
万葉集の宿題が次々と、ですか。お役に立てたのなら幸いでした。
…が、(学生さんには特に強調して申し上げたいのですが、)なるべく、信頼のおける書籍にも当たられることをお勧めいたします(もちろん、そうされているだろうとは思いますが)。

調べ物用に(自分自身のためのメモを兼ねて)文献情報などをもう少し充実させようと最近は思っているところです。このサイトをきっかけにして、きわさんにとって和歌の世界が広がり、あるいは深まるようなことがあれば、幸甚に存じます。

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TIME : 2003/10/24(Fri) 18:18:56
NAME : 水垣
TITLE:  

>ひよきち様
いつも有り難うございます。サイトマップは、どういうわけか、たまに褒められます(笑)。

>ひぐらしの 鳴きぬる時は 
       
>   女郎花 咲きたる野辺を ゆきつつ見べし 

>                     (17/3951)

うーん、この歌、なかなか良いですね。秦八千嶋という人の作ですが、自分で訳したりしておいて、あまり良さに気づいておりませんでした。ひよきち様のコメントで、初めて良さに気づいたような気がします。

家持達が越中で故郷の奧さんを懐かしんでいた時に、以前から越中に居た八千嶋が、野に咲く花を見て心を慰めなさい、と言いやった歌ですね。女郎花は古人にとって美しい女性を連想させる花でしたから、こう言っているのでしょうか。そうでなくても、女郎花の花は、どこか人の心を慰撫してくれるような風情のある花です。

 をみなへし見るに心はなぐさまでいとど昔の秋ぞこひしき(藤原実頼「新古今」)

と、「女郎花にも心は慰まない」と歌った歌人もいましたが。

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TIME : 2003/10/24(Fri) 18:21:11
NAME : 水垣
TITLE: RE:正岡子規

>八重葎様
その番組はうっかり見逃してしまいました。再放送があるでしょうから、今度はちゃんとチェックしておこうと思います。
子規のように若くして亡くなった天才のことを考えますと、最近は、凡人は精々長生きして、少しでもその域に近づこう……なんてことをつらつら思うようになりました。(子規が亡くなったのは満35歳ではなかったかと思いますが)。
「歌よみに与ふる書」の過激さは、古典の知識の乏しさも一因と言えると思うのですが(きっと和歌は俳諧ほど勉強する時間がなかったのでしょう)、知識なんぞ無かったからこそ思い切ったことが言えたということもあるでしょうね。
大体10年くらいで俳句・短歌の革新を為遂げてしまったのでしたか。明治の時代精神が生んだ、真の英雄の一人だったと思います。

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TIME : 2003/10/24(Fri) 22:30:20
NAME : 八重葎
TITLE: 子規のこと 続

再放送は以下の予定だそうです
平成15年10月29日(水)16:15〜16:58 BS2 全国
平成15年10月31日(金)0:15〜 0:58 総合  全国(近畿除く)
平成15年11月2日(日) 8:00〜 8:43 総合  近畿のみ

年齢も私の記憶違いで水垣さんおっしゃるように
享年35歳でした。

子規の影響は予想外に大きくて、古今より万葉に重きがおかれ始めたのも彼をもって嚆矢とするのではないでしょうか?
また子規は 鎌倉の右大臣(実朝)びいきだったようですね。その万葉ぶりにひかれたということなのでしょうか
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TIME : 2003/10/24(Fri) 22:47:00
NAME : Naked
TITLE: RE:RE:正岡子規

 私もNHK「そのとき歴史が動いた」を見ました。
 同郷の誼もありましたが、一周忌を迎えた名コラムニスト山本夏彦翁が、和歌を廃れさせた文化の敵と難じていたからです。

 余命十年を「写生文」という方法で、俳句を改革し、近代日本語の改革につなげ、また日本語と生活とを結びつけたと評価していました。

 明治31年ホトトギス刊行のあたりは、まだ文語盛んなりし頃です。水垣様の言われるように、知らぬを幸いという面もあったのでしょうが、むしろ、自分が文語で育ったのだという認識がないまま、改革に走ったことが過激さを生んだのではなかったかと感じました。

 番組では、文語から口語への話には及びませんでしたが、子規35歳、死の五日前に書いた「九月十四日の朝」の最後の一文は『余は口で綴る』とあったように、高浜虚子による口述筆記だったとのこと。

 この時代の人は、やはり、書くように喋れたんだと、改めて感得した次第です。
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TIME : 2003/10/25(Sat) 23:37:09
NAME : 水垣
TITLE: 正岡子規の功罪

>八重葎様
再放送の情報、ご親切に有り難うございます。

>古今より万葉に重きがおかれ始めたのも彼をもって嚆矢とするのではないでしょうか?

江戸時代の賀茂真淵あたりから万葉回帰の主張は出て来て、良寛なども古今集は読まず万葉集を読めと言っていたそうです。子規の古今否定・万葉讃美も、大きくはそうした流れの中にあるものと言えると思いますが、「くだらぬ集」とまで言って古今集を徹底的にこき下ろしたのは子規が「嚆矢」ということになるのでしょうか。
実朝の万葉ぶり評価も真淵が先鞭をつけていますね。

>Naked様
山本夏彦は「風流韻事」としての和歌を正岡子規が滅ぼした、という風に言ってましたね。子規は、西洋の文学理論の影響を受けて、和歌を文学(literature)に高めようとした。その代り、市井人が当り前に身につけていた教養としての、文化としての和歌は滅びてしまった。短歌を新時代の生活と結びつけるのに急で、伝統的な生活の中に息づいていた和歌を滅亡に追いやってしまった、とも言えるでしょうか。
子規の功罪の大きさということでしょう。

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TIME : 2003/10/27(Mon) 17:25:11
NAME : ためかぬ
TITLE: 新々百人一首

玉葉・風雅の歌が多いのも(つい、そちらに目がいってしまうので)あってか、清澄な印象で、この本は、是非手に入れないと思いました。

>和歌一首ごとに長短とりどりの評論が付いています。
やはり 京極派の歌のことが、どう書かれているか、
気になりますし。

詳しくないので、具体的に名をあげるのは難しいのでが、京都画壇の丸山カルタってできないかな 
などと期待してしまいます。
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TIME : 2003/10/28(Tue) 00:31:13
NAME : 水垣
TITLE: RE:新々百人一首

玉葉・風雅は意外と多いですね。「清澄な印象」というのはなるほどと思いました。
ただ、京極派の歌風については殆ど触れていなかったと思います。伏見院の詠など絶賛はしているものの、「何も言う必要がない」で終り(笑)。京極派歌人は概して素っ気ない扱いです。
この本では和歌の正統性や王朝文学の特質といったことに興味の中心があって、あくまでも異端に過ぎない京極派はそれなりの扱いしか受けていない、ということになるのでしょう。

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TIME : 2003/10/29(Wed) 22:17:28
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: お教えください

水垣様

紀朝臣男人の略伝の注にある、731(天平3)年3.30の日付がある「大宰府牒」は、
最近発見されたものでしょうか。

不躾な質問ばかりで恐縮ですが、お教えいただければ幸いです。
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TIME : 2003/10/30(Thu) 20:56:32
NAME : 水垣
TITLE: 「大宰府牒」

MM3210様、サイトの内容に関する質問はいつでも歓迎です。

この大宰府牒は大日本古文書の家わけ第十八と東大寺文書五に収められているとのことですから、「最近」の発見ではないでしょう。
日本古代人名辭典(昭和36年初版刊行)の紀朝臣男人の項にも「同三・三、大宰大弐、従四上とみえ(東大五366)」とあります。

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TIME : 2003/10/31(Fri) 08:53:44
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  


おはようございます。


ひぐらしの 鳴きぬる時は 
       
    女郎花 咲きたる野辺を ゆきつつ見べし 

                     (17/3951)


>女郎花は古人にとって美しい女性を連想させる花でしたから・・・

仰るとおりだと思います。
たおやかな 美しい人を思わせる花ですね。

緑がかった明るい黄色の花。
手で触れますと 小さな花びらがぽろぽろとこぼれおちます。




 をみなへし 見るに心はなぐさまで

             いとど昔の 秋ぞこひしき(藤原実頼「新古今」)


>「女郎花にも心は慰まない」と歌った歌人もいましたが。


おそらくは それほどまでに辛い出来事があったのでしょうね。




「波流能由伎」の「大伴家持全集 訳注編」という中におきまして
「高岡市街より早朝立山方面を望む」との写真を拝見し 
とても感動いたしました(*^_^*)

本当に美しい写真ですね。

心が洗われるようです。




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TIME : 2003/10/31(Fri) 14:54:05
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: ああ、耄碌

ショックでした。

そんなはずはないと思いながら、「日本古代人名辭典」をひらいてみると、
ご指摘の箇所にも、マーカーで線が引いてありました。

耄碌したとしか言いようがなく、救いようがありません。

中西進・伊藤博両氏の著書の注に、「紀卿」を未詳としているので、
天平3年3月の日付がある「大宰府牒」のことは、最近まで
知られていかったに違いない、という思い込みがあったためでしょうか。

それにしても、続日本紀の大宰大弐に関する記録は奇妙ですね。

天平 9年 6月11日、大宰大弐従四位下小野朝臣老卒。
天平 9年 7月25日、勅、遣左大弁従三位橘宿禰諸兄・右大弁正四位下紀朝臣男人、就右大臣第、……。
天平10年10月30日、大宰大弐正四位下紀朝臣男人卒。
天平10年12月 4日、従四位下高橋朝臣安麻呂為大宰大弐。

これに、天平3年3月30日の時点で紀男人が大宰大弐であったことを加えると、
男人は、2度も大宰大弐に任じられて、現地に赴いていることになります。

中西進・伊藤博両氏は、このことを不自然に感じ、天平3年3月の「大宰府牒」を疑ったのでしょうか。

(↑質問ではなく、老いのたわごとです。)
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TIME : 2003/10/31(Fri) 15:58:31
NAME : 紀州の姫
TITLE: 菅大臣天満宮「愁思祭」

水垣様
紅葉始まりました京都も今、修学旅行者や観光客で大変
賑わっております。

さて先日、菅原道真公の邸宅の後、公の誕生の地、産湯の井戸が保存されているという京都菅大臣天満宮の愁思
祭に行ってまいりました。神殿で執り行われる厳かな行事の最後には、いつも詩吟が歌われるのです。
今までも、憂いに満ちたそのお声にはいつも聴き入っていましたが、意味は何も解らずただボゥ−と聴いて居ただけでした。
が、何とそれは先日ここで話題にもなりました漢詩の
「愁思の詩」「九月十日」「和歌」だったのです。
今回はその詩吟をじっくりと聴き、憂いの中身も少し感じる事が出来ました。
そして、これはここで勉強させて頂いたお陰だと、本当に大変感謝感激しながら聴き入っておりました。
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TIME : 2003/10/31(Fri) 18:24:06
NAME : むらじ
TITLE: 紀男人のこと

MM3210様
はじめまして。むらじ と申します。
たしかに太宰大弐に二度なっている、というのは珍しい感じがしますね。
高島正人著「奈良時代諸氏族の研究」によると、男人は大納言紀麻呂の子で、続日本紀にみえる叙位の記録等からも、この当時紀氏一族で第一位の立場にあったそうです。同著では万葉集5−815にある「紀卿」となりうるのは男人しか見当たらない、とされています。
二度にわたる太宰大弐在任についても、一度目はお話の中にある天平三年三月の大宰府牒が、二度目のそれについては続日本紀の記録がその根拠とされています。
とくに二度目の大宰府赴任について同著では、男人よりも下位とみられる人物でも参議に昇っている例があることにも触れながら、この時期の紀氏はかなり冷遇されていたのではないかとされています。
(他人様の書かれたご本のことですので、或いはニュアンスの違い等あろうかと思います。男人についてはかなり詳しく述べられていますので、一度ご覧になることをお勧めいたします)。
かなり時代は下りますが、清和天皇の御世において、京家出身さいごの公卿である藤原冬緒が二度、太宰大弐になっています。あまり知られていまない事件のようですが、当時大陸方面の海賊?が北九州に来襲して、略奪行為をはたらいたことがあり、大弐経験者として再任された、といわれています。
太宰府の長官、というのは、「すぐれているから任命される」という面と、「ケムたい存在だから遠ざける」という面と、両方の性格を持っているようですが、男人のばあいそのどちらの動機をも併せ持っていたような印象がありますね。
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TIME : 2003/11/01(Sat) 12:35:50
NAME : 水垣
TITLE: >ひよきち様

おはようございます。

>手で触れますと 小さな花びらがぽろぽろとこぼれおちます。

そうなんですか。見た目にも、いかにも華奢な花だとは思っていましたが、そういうことを知ると、歌の理解が深まります。

 世をすつる我がすみぞめの袖ふれて
      をるもやさしき女郎花かな

慈円の歌ですが、袖が触れただけで女郎花を折ってしまったと詠んでいます(「をる」は折る・居るの掛詞です)。

>をみなへし 見るに心はなぐさまで

>             いとど昔の 秋ぞこひしき(藤原実頼「新古今」)

>「女郎花にも心は慰まない」と歌った歌人もいましたが。

>おそらくは それほどまでに辛い出来事があったのでしょうね。

仰る通りで、この歌は奧さんが死んだ時のものです。「女郎花を見ると、心が慰むどころか、かえって妻が生きていた昔の秋を思い出し、余計恋しくなる」。花の名によって、妻が美しかったことも暗示しているんでしょうね。

>「高岡市街より早朝立山方面を望む」

あの写真はホテルの窓から早朝撮ったものですが、あの光景を見たおかげで、立山の歌がよく理解できた気がしたものです。

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TIME : 2003/11/01(Sat) 12:36:44
NAME : 水垣
TITLE: 紀男人

>MM3210様

万葉集巻五の紀卿が誰か、未詳とする注釈書は多いようですね。「石橋を叩いても渡らない」というくらい慎重な態度のように思えるのですが。

大宰大弐重任の件など、むらじ様がコメントして下さってますので、お読み下さい。

>むらじ様

いつも有り難うございます。
高島正人著「奈良時代諸氏族の研究」は私も図書館で借りて読んだおぼえがあります。国文学の方でも万葉集巻五の紀卿が誰か、詳しく論じて紀男人以外あり得ないと結論づけた論文があったと思いますが、記憶があやふやです。
こんなこと(サイトを公開する)と分かっていたら、もっと精確なメモを取っておいたのですが…。

>太宰府の長官、というのは、「すぐれているから任命される」という面と、「ケムたい存在だから遠ざける」という面と、両方の性格を持っているようですが、男人のばあいそのどちらの動機をも併せ持っていたような印象がありますね。

興味深いご指摘だと思いました。
大伴旅人の大宰帥任官などにも、そうした二面性が窺えるような気が…。
当時の大宰府には、山上憶良とか沙弥満誓とか癖のある面白い人物が集まっていましたが、紀男人ももっと注目すべき人物かもしれませんね。

そう言えば、メールで触れておられたkenichsberg様の「他戸親王」を拝見しましたが、本当に素晴らしかったです。感想文をお送りしようと思いつつなかなか時間が取れず…(すみません、私信となってしまいました)。

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TIME : 2003/11/01(Sat) 12:41:13
NAME : 水垣
TITLE: RE:愁思祭

紀州の姫様、

愁思祭は寡聞にして存じませんでした。道真の詩「九月十日」の「秋思詩編独断腸」から来た名なのでしょうね。

詩吟と言いますと思い出すのは、小学校の時の担任の先生が嗜まれて、私ども生徒によく聞かせてくれたことです。もちろん当時は内容など理解できず、ぼんやりと聞いていただけですが、張りがあり、かつ「憂いに満ちた」そのお声は今もありありと耳に残っています。
その後高校の頃から漢詩を愛読するようになりましたが、その素地は小学校の先生が作って下さったのかも知れないと、今になって思います。
耳から入る、というのは大切ですね。内容の理解は、後からでも良いのでしょう。

私の世代でももう貧しい環境でしたが、まして今の子供たちは、日本語の名調子に接する機会がどれだけあるのか、心もとない限りです。

この三連休、京都の寺社は賑わっているのでしょうね。私も余り寒くならないうちに行きたいと思っているのですが、紅葉に間に合うかどうか。

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TIME : 2003/11/01(Sat) 12:43:27
NAME : 水垣
TITLE: NHK「そのとき歴史が動いた」

一昨晩見ることができました。根岸の子規庵の秋の庭など見ることが出来て、十分楽しめました。
俳句と写生文が主で、短歌のことは殆ど触れておりませんでしたね。
「日本語を革新した男」とかいうサブタイトルがついていましたが、大げさすぎると思いました。視聴者を惹き付けるためのキャッチコピーとしてもひどいものです。子規は何も「日本語を革新した」のでなくて、文を書いたり句を作ったりする時の態度、現実に対する把握の仕方などを変更させようとしたに過ぎないと言うべきでしょう。それだけでも十分子規は偉大だったのです。

そもそも、母国語を新しく造り替えようなど、不遜な行為と言うものです。

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TIME : 2003/11/01(Sat) 23:03:30
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: お礼

水垣様

自分で、もっと、しっかり調べよ、と舌打ちしたい愚問に対して、
きちんとご回答戴き、ありがとうございます。


むらじ様

懇切丁寧なご教示ありがとうございました。

高島正人著「奈良時代諸氏族の研究」は、
当地では、県立図書館にもないようでしたが、
私の単純な疑問は、むらじ様のお教えで、すっかり解消しました。

今後も珍問を発するかもしれませんが、その節はよろしくお願い致します。
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TIME : 2003/11/02(Sun) 16:08:41
NAME : むらじ
TITLE:  

>MM3210様
どういたしまして。行き届かぬ解説に対し過分のお言葉、かえって恐縮しております。これをご縁によろしくお願いいたします。

>kenichsberg様のおたずね
については小生も興味を抱き、いろいろ調べてみたのですが、はかばかしい成果も得られませず…
そうとう専門的なことをじつに平易に語っておられ、大変魅力のあるサイトと感じました。
タイミングが悪くてご挨拶しそびれてしまい、残念です。
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TIME : 2003/11/03(Mon) 21:27:33
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  をるもやさしき女郎花かな


こんばんは。

   世をすつる我がすみぞめの袖ふれて
           をるもやさしき女郎花かな

>「をる」は折る・居るの掛詞です。

そうなりますと「やさしき」は 
それぞれ「易しき・優しき」という風に考えても
宜しいのでしょうか。

千人万首の「慈円」の歌を拝見いたしました。
心に染みいる歌の何と多いことだろうと思いました。


「創作短歌」! 早速拝見いたしました!
とても素敵だと思いました(*^_^*)

なかでも

「月讀よ 花なき枝に 白き紗を
       掛けつつわたれ 春の訣れに」とのお歌が

とても心に残りました。
透明感のある 美しいお歌だと思いました。

毎月1日に入れかえをなさるとのこと、
これからも楽しみに致しております(*^_^*)









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TIME : 2003/11/03(Mon) 22:36:14
NAME : ためかぬ
TITLE: 冬歌

が一番好きです。
北欧旅行のときの御歌だったと記憶していますが・・

季節としては、冬は好きでないのですが、
厳しい寒さ、冷たさより、その美しさが先に伝わってくる
ためでしょうか。

ひよきちさまとおなじく、次回たのしみにしております。
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TIME : 2003/11/03(Mon) 23:07:37
NAME : 水垣
TITLE: >むらじ様

>kenichsberg様のおたずね

海上女王の件、手持ちの本を調べてみましたが、進展なしで、どうも私の勘違いのような気がしてきました(恥)。もうちょっと調べてみます。

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TIME : 2003/11/03(Mon) 23:09:28
NAME : 水垣
TITLE: >ひよきち様


>   世をすつる我がすみぞめの袖ふれて
>           をるもやさしき女郎花かな

>>「をる」は折る・居るの掛詞です。

>そうなりますと「やさしき」は 
>それぞれ「易しき・優しき」という風に考えても
>宜しいのでしょうか

当時の「やさし」は主に「恥ずかしい」「優美である」といった意で用いられていました。「易しい」の意味で使うのは、多分もうちょっと後の時代になると思います(慈円の頃「易しい」に当たるのは「やすし」という言葉でした)。
ですから慈円の歌の場合、「折ってしまったのも恥ずかしい」「そばにいてくれるのも優美である」という二つの意があるのではないかと思います。

……と書いているうちに気づいたのですが、当時の仮名遣い(いわゆる定家仮名遣い)では、「折る」は「る」、「居る」は「る」と書くのが普通でしたから、「折る」「居る」の掛詞と取るのは無理だったかもしれません。
「折ってしまったのも恥ずかしい」「たやすく折れてしまったのも優美な」の両意に取るのが穏当でしょうか。

「創作短歌」のご感想も有り難うございました。大変嬉しく拝見しました。

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TIME : 2003/11/03(Mon) 23:13:09
NAME : 水垣
TITLE: >ためかぬ様

いつも有り難うございます。今度は更新持続しようと思います。

冬の歌、拙い作で恐縮です。あれは実景というわけではないのですが、北欧の海岸風景の印象があったことは確かです。

私も冬の空気のぴりっと張りつめた感じや、自然の厳しい美しさに惹かれます。実際に生活する上では、あまり冬を歓迎する気持にはなれませんけれども。


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TIME : 2003/11/05(Wed) 08:56:05
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  


おはようございます。


>>そうなりますと「やさしき」は 
   それぞれ「易しき・優しき」という風に考えても宜しいのでしょうか

>当時の「やさし」は主に「恥ずかしい」「優美である」といった意で用いられていました。
 「易しい」の意味で使うのは、多分もうちょっと後の時代になると思います
(慈円の頃「易しい」に当たるのは「やすし」という言葉でした)。

そうだったのですか!
お教えいただきましてありがとうございます(*^_^*)



>「折ってしまったのも恥ずかしい」「たやすく折れてしまったのも優美な」の両意に取るのが穏当でしょうか。

女郎花を折ってしまったことに対して 
「恥ずかしい」と思うその感性こそが美しいと思います。
またそう思わせる雰囲気が その花にあるのでしょうね。

淋しいことに こちらでは女郎花の季節も過ぎてしまいました。




>ためかぬさま 

仰いますとおり 毎月1日が楽しみですね(*^_^*)




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TIME : 2003/11/05(Wed) 12:17:23
NAME : 八重葎
TITLE: 日本語

水垣様

NHKのCatch Copyは確かにひどいです。
あれでは子規も恥ずかしいでしょう。

話しは変わりますが、小生が高校時代に
英語の時間にMother Tongueという語を
母国語と訳したら、先生からきつく注意されました。

あくまでそれは、母乳とともに肉親から受け継いだ
ことばを意味するものだから、母語と訳せというのです。
世界の中では、母語と母国の籍が一致しない人も多い。
日本人はその辺が鈍感だから、注意せよということでした。

特に思想的偏重を持っている人には見えませんでしたので、そういうものかと納得し、言語自体に興味を持つ
きっかけとなりました。

以上 昔の思い出話ですが、書かせてもらいました。
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TIME : 2003/11/05(Wed) 17:19:13
NAME : 水垣
TITLE:  

>八重葎様

文脈によってはmother tongueを母語と訳す方が適当な場合がある――と言うか、多いのでしょうね。特に諸外国の現実を考えれば、そのことに鈍感であるわけにはゆかないでしょう。英語の先生のご指摘は大切なものだと思います。
しかし私は明治時代の日本人である正岡子規の話をしていたので、外国の話をしていたのではありません。

>ひよきち様

ちゃんと解釈しないまま、思いつきで引用してしまった慈円の歌でしたが、やはり良い歌ですね。ひよきち様の鑑賞を拝見してますますそう思いました。

秋の花の季節もそろそろ終りでしょうか。和歌では、一年の最後の花は菊ということになっています。

※取り急ぎのレスにて失礼いたします。

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TIME : 2003/11/07(Fri) 22:56:51
NAME : kenichsberg
URL : http://kenichsberg.hp.infoseek.co.jp/
TITLE: ありがとうございます

>水垣様

海上女王に関する自分の質問に、根気よくつきあっていただいて、恐縮するとともにお礼申し上げます。

>むらじ様

はじめまして。自分のつたないサイトへご訪問いただき、ありがとうございます。よかったら今後ともよろしくお願い申し上げます。


ややトピずれですが、海上女王の歌に関して自分の感想をちょっと述べておくと・・・

彼女の歌は聖武帝の相聞歌への返歌として詠まれていますが、よく読むと聖武帝が勝手に熱上げているだけで、海上女王は軽く受け流している印象があり、どうも片思いだったように思います。

そもそも二世女王である海上女王が正式な妃になるような事態になれば、藤原・光明組がすさまじい妨害工作を仕掛けたはずであり(命にかかわる危険さえあったのでは)、海上女王はそういう状況を見越して、聖武帝の求愛にこたえなかっただろうというのが私の解釈です。

皆様ハイレベルな議論を重ねている中で、やや妄想気味の感想になってしまいました・・・(^ ^;
ご容赦ください。m(_ _)m
ではまた。
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TIME : 2003/11/08(Sat) 08:47:39
NAME : 紀州の姫
TITLE:  

・「きく」は漢名の「菊」を音読みしたもの。
また、「菊」の漢字は、散らばった米を
1ヶ所に集める、の意で、菊の花弁を米に
見立てたもの。
漢名の「菊」は”究極、最終”を意味し、
一年の一番終わりに咲くことから名づけられた。

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TIME : 2003/11/08(Sat) 08:59:41
NAME : 紀州の姫
TITLE: さっき、ちょっと書き込み失敗・・

水垣さま

和歌では「一年の最後の花」が菊というのを初めて知り、色々調べているうちに書き込み「OK]ボタンに触れてしまい勝手に書き込みとなってしまいました。(^_^;)

お茶席でも十月はお道具、お花に菊の取り合わせが
必ずありますが、それが「一年の最後」という意味も
あるのかな?と・・。
茶道初心者の私は、そのような話を聞いたことがなく
一度先生に伺ってみよう・・・とあれこれ思いながら
パソコン触っていたわけです・・・。
そしたら・・・、(ごめんなさいm(__)m)

十一月は、お茶ではお正月にあたる「炉開き」です。
十月が、一年の最後「菊」でもあるわけですね。
そんなことを思っていました。
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TIME : 2003/11/08(Sat) 23:43:12
NAME : 水垣
TITLE: 聖武天皇・海上女王の贈答歌

kenichsberg様、再びの御出で、嬉しく存じます。
海上女王の件はもう少しお待ち下さい(汗)。

聖武天皇との贈答歌ですが、

  天皇の海上女王に賜へる御歌
赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひも無し

  海上王の聖武天皇に和へ奉れる歌
梓弓爪ひく夜音の遠音にも君が御幸を聞かくしよしも

このやりとりは何かちぐはぐな感じがして、どうもよく分かりませんでした。
聖武天皇の歌は何とも奇妙で、土俗的と言うか、俗謡風と言うか、ごつごつした天皇らしからぬ詠み口です。対して、海上女王の方は雅びで抒情的な美しい歌です。
男女の歌の贈答では、相手の持ち出した話題に引っ掛けて、一ひねりして切り返すのが常道でしたが、この二人の歌にはそういう機知の応酬もないようです。
二人の息が合っていない、という印象を受けます。

聖武の片思い、という感想は面白いと思いました。
和歌では「放ち駒」というのがよく詠まれますが、奔放なところのあった海上女王を「赤駒」に喩えているのではないか、なんてことを思いました。本当は「疑ひ」大ありなのだからこそ、「疑ひも無し」と詠んだのではないか。
それに対して女王は、「遠音にも君がみゆきを聞かくしよしも」。始め私は、素直に喜びを述べた歌だとよく考えもせずに受け取っていたのですが、どうも聖武天皇の贈歌と読み比べると、はぐらかしているように思われてなりません。「遠音」というのも、もしかしたら皮肉でしょうか。

これほど息の合わない贈答をやったということは、背後に特殊な事情があったのではないか、と疑われます。

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TIME : 2003/11/08(Sat) 23:46:05
NAME : 水垣
TITLE: 「一年の最後の花」

紀州の姫様

菊についてお調べ下さったのですね。どうもありがとうございます。漢字の由来と漢名の意味は初めて知りました。花弁が米粒の形に似ているとは、気づきませんでした。

お茶の世界では、菊の季節が文字通り一年の終りなんですね。

菊の後に咲く花としては、山茶花、水仙などいくつか思い浮かびますが、和歌では詠まれた例を知りません。冬歌には花を詠まないのが普通だったようです。例外が残菊と早梅です。
平安後期の「後葉集」にはこんな歌があります。

 菊をこそ花の限りと思ひしが
     かきねの梅ぞ冬さきにける(後葉集)

「和泉式部集」にも冬の菊を詠んだ歌があります。和泉式部が庭の前栽を眺めて、

 わが宿を人にみせばや春は梅
     なつはとこなつ秋は秋萩

と詠みますと、相模が「冬が抜けていますよ」とばかりに、

 春の梅なつのなでしこ秋のはぎ
     菊ののこりの冬ぞしらるる

と詠んで応じました。

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TIME : 2003/11/09(Sun) 12:47:08
NAME : kenichsberg
URL : http://kenichsberg.hp.infoseek.co.jp/
TITLE: >聖武天皇・海上女王の贈答歌

>水垣様、こんにちは。

海上女王の歌に関して、自分のまとまりのない戯言につきあっていただいて恐縮です。

特に水垣さんによる歌の解釈と説明は、自分が頭の中でモヤモヤと思っていながら、言葉に出来なかったことをたいへん適確に表現されていて感服いたしました。

自分もこれぐらいしっかりとした歌の解釈が出来るようになりたいものだと思っております。

取り急ぎお礼まで。

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TIME : 2003/11/09(Sun) 15:07:02
NAME : 水垣
TITLE: >kenichsberg様

こんにちは。お褒め頂きこちらこそ恐縮です。
下のは、kenichsbergさんの書き込みにヒントを得ての解釈です。貴サイトの歴史エッセイでも感じましたが、kenichsbergさんの読みの鋭さにこそ感服しております。

今ちょうど、「千人万首」の奈良時代あたりの推敲を少しずつ進めているところでしたが、この機会に聖武天皇の頁も書き直しました。

聖武天皇は光明皇后に対して頭が上がらない夫、みたいなイメージで語られることも多いようですが、そうではなくて、自分の思い通りにならない奔放な女性に惹かれるたちの人だったのではないか、と思えてきました。
そもそも強大な権力者は、従順な淑女より奔放な悪女に惹かれるケースが少なくない気もします(笑)。

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TIME : 2003/11/09(Sun) 22:40:04
NAME : むらじ
TITLE:  

>kenichsberg様
前回はご挨拶しそびれてしまいまして失礼いたしました。こちらこそよろしくお願いします。
>水垣様
>従順な淑女より奔放な悪女
というと、やっぱり妖美之徳、と謳われた酒人内親王を思い出してしまいますね。
…と、またぞろ和歌に関係ないお話で恐縮でした。
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TIME : 2003/11/11(Tue) 08:51:01
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: 有明の月のほそみち


おはようございます。

「千人万首 冷泉爲尹」のページを拝見いたしました。
このような方がいらしたのか!と驚きました。

個人的には式子内親王の歌も大好きなのですが 
この爲尹の歌も 何と魅力的なことかと思いました。


殊に秋の歌

   有明の月のほそみちほのぼのと

           小野よりいづるさをしかの声


現代におきましても 有明の月には風情がございます。
明け方 西の空に残っている月を見つけましたときには 
何となく嬉しい気持ちが致します。 


「有明の月」「さをしかの声」

有明の月に照らされた細道とは どのような明るさだったのでしょう。
秋の明け方ですから 歩いているうちに裾は露で濡れたのだろうなとか
そういうときに1人で聴く鹿の声とは どのようなものだろうなどと
考えること自体楽しいものです。

ともすれば忙しさに流されてしまいがちではありますが
古に想いを馳せる時間も大切ではないかと思いました。

そういう機会を下さる水垣さまに
心より感謝いたします(*^_^*)




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TIME : 2003/11/12(Wed) 06:26:43
NAME : 水垣
TITLE: おはようございます

おはようございます

>むらじ様
>酒人内親王
東大寺要録に薨伝が残っていて、すごい書かれ方をしていますね(美貌だけは褒められていますが)。さすがの桓武天皇も、この人にだけはお手上げだったのでは…。

>ひよきち様

>有明の月のほそみちほのぼのと

>           小野よりいづるさをしかの声

まだ寝静まった街の上にほっそり掛かる有明の月を見ると、昔と何も変わらないという気持になることがあります。
この歌は情景があざやかに浮かぶというより、ひよきち様がおっしゃるように「どのような明るさだったのだろう」など、歌の余韻が想像力を微妙に刺戟する、そんなところが楽しい歌ですね。
余情のある新古今に通う歌風ですが、より洗練されているとも言えると思います。「月のほそみちほのぼのと小野…」あたり、実際は工夫に工夫を重ねた表現と思うのですけれども、ごく自然に詠み下したような美しい調べです。

室町時代の和歌は余り注目されることがないのですが、新古今や一部玉葉風雅の影響を受けながら、和歌がまた新しい局面へ入った時代です。冷泉為尹はその先頭を切った歌人と言えると思います。

私は勉強しながら見つけた歌を「こんなんありましたけど〜」と提示しているだけで、歌の良さは見て下さる方が発見して下さると嬉しいわけで、こうして感想を記して下さるひよきち様にこそ心より感謝であります。

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TIME : 2003/11/12(Wed) 14:19:52
NAME : すずきのりこ
TITLE: 心は雪と・・・・

以前一度お邪魔した者です。

一茶の「おらが春」に「心は雪と墨染めの袖」という一節があります。日文研のデータベースでは「似雲」という僧の「西行に姿斗は似たれども心は雪と墨染めの袖」という戯れ歌があります。一茶もそれを踏まえたことと思います。

ここで「心は雪と」ですが、「墨染めの袖」との対比を表したものと解釈するようです。それは理解できるのですが、一方で「心は雪」というと、やはりどこか簡素で穢れなのないイメージが浮かんでしまいます。これは現代語の感覚なのでしょうか?

他に「心は雪と墨染めの袖」という歌を踏まえたものをどなたかご存知ではありませんか?

初歩的な質問かと思いますが、よろしくお願いします。

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TIME : 2003/11/12(Wed) 20:44:09
NAME : 水垣
TITLE: RE:心は雪と・・・・

すずきのりこ様、お久しぶりです。
『おらが春』、陸奥に旅立とうとする所ですね。
今年みちのくの方修行せんと、乞食袋首かけて、小風呂敷せなかに負たれば影法師はさながら西行らしく見えて殊勝なるに、心は雪と墨染の袖と思へば思へば入梅晴のそらはづかしきに…

>ここで「心は雪と」ですが、「墨染めの袖」との対比を表したものと解釈するようです。それは理解できるのですが、一方で「心は雪」というと、やはりどこか簡素で穢れなのないイメージが浮かんでしまいます。これは現代語の感覚なのでしょうか?

「雪」と「墨」が対比されているわけですね。白と黒、つまり正反対のことをあらわす喩えです。
姿は西行に似ているけれども、心は「雪と墨」。西行が雪なら、おらは墨だべと言っているのです。月とスッポン、ということです。
「雪と墨」という諺と「墨染の袖」が掛詞になっていることは言うまでもありません。

雪を穢れない清浄なものと考えるのは、「現代語の感覚」に限らないと思います。

 田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける

などにしても、雪の清らかさが富士の神々しさの象徴として歌われています。

>他に「心は雪と墨染めの袖」という歌を踏まえたもの

これは存じません。



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TIME : 2003/11/12(Wed) 21:35:59
NAME : すずきのりこ
TITLE:  

水垣さま

さっそくのご返信ありがとうございます。

私は「墨染めの袖」で、世を捨てたことしか思いうかべませんでした。そこの辺から間違っていたようですね。「雪と墨」「白と黒」という対比には気づきませんでした。

どこかに同じような表現がありそうな気もします。なにかお気づきになりましたらお知らせください。

まずはお礼まで。
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TIME : 2003/11/14(Fri) 00:59:12
NAME : Naked
TITLE: 雪と墨といえば…

 歌舞伎の「助六」で、揚巻の台詞にもあります。

「…意休さんと助六さんをこう並べて見た所が、こちらは立派な男振り、こちらは意地の悪そうな、たとえて言わば雪と墨、…」
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TIME : 2003/11/14(Fri) 16:15:54
i214215 NAME : 水垣
TITLE: 雪と墨

Naked様、ご指摘ありがとうございます。
今は殆ど使われなくなりましたが、江戸時代には日常的な慣用句でしたから、用例はたくさんあるでしょう。

詳しい古語辞典や国語辞典(あるいは諺辞典など)でしたら、「雪と墨」の用例が載っているのではないかと思います。


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TIME : 2003/11/22(Sat) 00:04:15
NAME : 紀州の姫
TITLE: 都鳥

水垣さま

先日、ある陶芸家の方の作品で「都鳥」と名の付いた
お香合を手に入れることが出来ました。
お香合はお茶席のお床に飾るのですが、さて「都鳥」は
季節となると、いつになるんだろう・・・?
また、都鳥の歌は無いかしらと探してみました。

名にしおばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと ( 在原 業平)

「都に置いてきた人(恋人?妻?)の事が気がかりで、
都という名前の「都鳥」なら都の事を知っているに
違いないから聞いてみよう・・・」

春を呼ぶ都鳥と言われていますが、調べてみますと
夏に出てきたり、冬に出てきたり。
この歌からは季節の読み取りは上手く出来ないのです
が、「都鳥」はいつ頃と考えれば良いのでしょうか?
勝手な質問をし、申し訳ございません・・。

今年は遅いですが、関西もそろそろ紅葉が本格的に
なって参りました。
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TIME : 2003/11/22(Sat) 18:01:09
NAME : ちり
URL : http://homepage3.nifty.com/a2002/homepage2/index.htm
TITLE: はじめまして

つたない百人一首の ページを 立ち上げましたものです。
発展途上です。

作成に当たりの勉強で Yahoo検索にて こちらに 額田王 のページから お邪魔いたしました 

そこから広がる大海原のような内容に
圧倒 されました
こんなに 深く広く 造詣深い 教養に。

リンクをはらせていただきました 

ありがとうございました
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TIME : 2003/11/22(Sat) 22:24:09
NAME : Naked
TITLE: ユリカモメ

 東京都の鳥に指定されているユリカモメが、「これなむ都鳥」ですよね。こうすると「冬」鳥ですが…

 「名にしおはば……」です、念のため。

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TIME : 2003/11/22(Sat) 22:56:11
NAME : 水垣
TITLE: RE:都鳥・ユリカモメ

都鳥はNaked様の仰る通り今のユリカモメとされており、ユリカモメは秋に日本へ渡ってくる冬鳥ですね。俳句の季語としては冬になるようです。でも和歌では紀州の姫様の仰るように冬に限らないですね。

春 さきいづる心の花の宮こ鳥とりさだまらぬ春の初風(正徹)
夏 夏かりのあしまにやどる都鳥なにはほり江の跡やとはまし(肖柏)
秋 都鳥うきねのかずもあらはなる難波ほり江の秋の夜の月(加藤千蔭)
冬 都鳥こゑもさむけしふなぎほふ堀江の川のこほる霜夜に(衣笠家良)

ざっと調べただけでも全ての季節で詠まれていました。冬以外はいずれも室町時代以降の歌なので、この頃から都鳥が何の鳥を指すかについて認識の変化があったのかなとも思いますが、もう少し詳しく調べてみないと、何とも言えません。

都鳥をチドリ科のミヤコドリとする説もありますが、いずれにしても冬鳥のはず…。
うーんこれはちょっと宿題にさせて下さい。
何かご存知の方、ご意見お持ちの方、どうぞ書き込みお願い致します。

今朝のテレビ番組で京都仙洞御所の紅葉を中継していました。そろそろ見頃のようですね。私はこの三連休あたり、関西方面にいるはずだったのですが…(涙)。

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TIME : 2003/11/22(Sat) 23:07:55
NAME : 水垣
TITLE: はじめまして

ちり様、ようこそおいで下さいました。
リンクのお知らせ、有り難うございます。
お褒めの言葉も頂き、恐縮です。

貴サイトをちょっとだけですが拝見しました。
まことに百人一首は汲めども尽きぬ泉のようですね。
明日にでもまたゆっくりと拝見致したく存じます。

では、貴サイトのご発展をお祈りしつつ。

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TIME : 2003/11/23(Sun) 07:52:28
NAME : ちり
URL : http://homepage3.nifty.com/a2002/homepage2/index.htm
TITLE: 水垣さま

さっそく 私のページを見ていただき 感激です。

ああもしたい こうもしたいと 夢は膨らむのですが
和歌に関する浅薄な教養と
pcに関する 貧弱な知識が
災いして 遅々として 進みません

けれど hp作りが こんなに楽しいものだなんて!
 
これから もし 突拍子もない質問をしても・・・・
ひらにご容赦ください
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TIME : 2003/11/23(Sun) 15:26:33
NAME : 水垣
TITLE: RE:都鳥・ユリカモメ2

調べてみましたところ、ユリカモメは早いものは八月頃渡来し、年が明けて五月頃までに北へ帰って行くそうです。ですから冬鳥と言っても初夏・盛夏を除いて見られるわけで、都鳥=ユリカモメ説に特に矛盾はないように思えました。

いずれにせよ、和歌における都鳥は季節による限定を受けない風物と考えて良いようです。白鷺なども季節を問わず詠まれていますから、都鳥だけが例外というわけでもないでしょう。
(因みに、鷺は俳句では春の季語だそうです。)

なお、下の記事で「チドリ科のミヤコドリ」と書いたのは誤りで、正しくは「チドリ目ミヤコドリ科のミヤコドリ」でした。訂正致します。

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TIME : 2003/11/23(Sun) 19:45:20
NAME : 紀州の姫
TITLE: 有り難うございました

水垣さま Nakedさま

お教え頂き、誠に有り難うございました。m(__)m
私が調べても何ほども得る事が出来ないのに、都鳥に
ついて春夏秋冬全部の歌を教えて頂き、有り難く
心から感謝しております。

お香合も、季節に合ってないものは出すわけには
いきませんが、都鳥の場合、冬と限定しないで
初夏盛夏以外のいつの季節に出しても良い事が確認
できました。
また、お答え頂きましたお話をお茶席でも使わせて
頂こうと思っております。
本当に、有り難うございました。m(__)m

今日もお茶会があり、京都に行って参りました。
まだまだ新米の私ですが、炉でのお点前をさせて
頂きました。「松風(湯の音)」を聞きながらの
お点前のひと時に、私自身も癒されてきました。
今から暫く、京都は美しいですよ。(^.^)
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TIME : 2003/11/23(Sun) 22:39:37
NAME : 水垣
TITLE:  

紀州の姫様

いえいえ、私も良い勉強になりました。
お茶にまつわるお話、いつも楽しく拝見しております。
「松風」なんて、名前からして気持が清々しくなりますね。

京都は紅葉に時雨、いちだんと風情の増す季節でしょう。

ちり様

「パロディ百首」など、楽しませて頂きました。

WEBサイト、作り始めの頃は、楽しいんですよね。でも、見て下さった方から反応を頂くようになると、もっと楽しいものです。楽しければ、苦労も忘れます。
「初心忘るべからず」で、「遅々として」でも、どうか末長く。

「突拍子もない質問」は楽しみです。突拍子もないお答えをしても、こちらこそご容赦下さい。

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TIME : 2003/11/24(Mon) 09:55:53
NAME : okuchan
TITLE: 香合都鳥

 大和歌の世界とお茶の席との融合を本誌上で遣り取りされる姿は、いかにも実社会の異業種交流会の様子で、楽しく拝見させて頂いています。
この度、都鳥はオールシーズンタイプの鳥としてのお話しですが、ここで又、お茶の席の約束事がありまして、焼き物の香合(と察しますが?)は、炉の季節のみ、風炉の季節には、木地、塗り物を使うという事が有ります。つまり11月より4月迄と云う事から、冬から春にかけて重宝な香合となりますね。拝見したいものです、写真掲載はいただけるんですか?
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TIME : 2003/11/24(Mon) 21:16:21
NAME : 水垣
TITLE: RE:香合都鳥

okuchan様、お久しぶりです。

>焼き物の香合(と察しますが?)は、炉の季節のみ、風炉の季節には、木地、塗り物を使うという事が有ります。

なるほど、都鳥の季節と炉の季節とは、ほぼ重なるわけですね。

香合は手の込んだ可憐な風情のものが多く、茶をやらない者にとっても、眺めているだけで楽しいものです。都鳥と名付けられたのはどんな趣向のお品なのか、私も少々興味を惹かれます。

なお、近いうち、画像を手軽にアップできる掲示板に変更するつもりでおります。切りのよいところで、お正月あたりにしようかと思っておりました。
今のところ、画像は私のアドレスに添付メールで送って頂かないとなりません…。

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TIME : 2003/11/24(Mon) 22:47:46
NAME : 紀州の姫
TITLE: またまた有り難うございます

茶道に造詣が深いokuchanさまの
>焼き物の香合(と察しますが?)は、炉の季節のみ、風炉の季節には、木地、塗り物を使うという事が有ります。
水垣さまの
>なるほど、都鳥の季節と炉の季節とは、ほぼ重なるわけですね。

が、良く理解出来、勉強にもなり感謝しております。
こんなに考えて頂き、なんだかただの香合の都鳥だったのが、まるで命を与えられ本物の都鳥になったような気が致します。
いつか、陶芸家の先生に是非このお話をしたいと思っております。
画像につきましては、掲示板が新しくなります頃までに
貼り付けが出来るよう勉強致します。(^^ゞ
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TIME : 2003/11/27(Thu) 19:57:51
NAME : Naked
TITLE: 「花散る」百態

 ろくに知らないでたまに書き込みしているので、少しは知らなくてはと「旧かなを楽しむ」(萩野貞樹)を買い求めてみました。

 和歌を楽しむにあたって正確な文語に慣れるには、少しく時間を要しそうですが、同書の巻末付録に、活用表自由自在として、「花散る百態」と題した章に感じ入りました。

 “花散らず”から始まって、“花散らむ”“花散らむず”“花散らざらましを”等々、本当に百ほど並んでいて、文語の簡潔さと広がりを改めて実感した次第です。

 もっと、ちゃんと、基本を学ばなければ……
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TIME : 2003/11/30(Sun) 13:18:57
NAME : MM3210
URL : http://www.geocities.jp/yasuko8787/
TITLE: 大弐紀卿

>大宰府牒は大日本古文書の家わけ第十八と東大寺文書五に収められているとのこと。
>日本古代人名辭典(昭和36年初版刊行)の紀朝臣男人の項にも
 「同三・三、大宰大弐、従四上とみえ(東大五366)」とあります。

水垣様から、上記のようにご教示いただいたのですが、
中西進氏などが大弐紀卿を未詳としていることが納得できず、
大日本古文書、家わけ第十八東大寺文書之五に当ってみました。

問題の大宰府牒案(勅により施された伎樂面の目録)は、東大寺の末寺である観世音寺の文書
109呉樂田公験案(1巻)に含まれており、336ページに、次のようにありました。

天平3(731)年3月30日 従六位上行大典麻田連陽■ 
従四位上行大弐紀朝臣男人

しかし、編纂者の注によれば、この保安元(1120)年6月28日という日付のある
呉樂田公験案は、同一形式を備えたものが十数巻も現存するとのことで、
何となく胡散臭いように感じます。

それはともかく、大宰大弐については、天平元年2月11日 多治比県守(続日本紀)、
天平2年1月13日 紀卿(万葉集)、天平3年3月30日 紀男人(大宰府牒)。

大宰大典については、天平2年1月13日 史氏大原(万葉集)、天平2年11月 麻田陽春(万葉集)
天平3年3月30日 麻田陽■(大宰府牒)となるわけですから、
慎重を期すならば、大弐紀卿を紀男人と断定しない方がよいことになるのでしょうか。

参考:遠藤基郎のページ


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TIME : 2003/11/30(Sun) 21:39:49
NAME : 水垣
TITLE: 桜花散らば散らなむ散らずとて…

多忙の上に体調を崩しまして、すっかりお返事が遅くなりました。風邪が流行っているようですので、皆様お気をつけ下さい。

>Naked様

その本の噂は耳にしておりましたが、「花散る百態」は面白そうですね。口語で同様の試みをしてみれば、比して文語の表現機能がいかにすぐれているか、一目瞭然ということになるでしょう。

>MM3210様

大宰府牒の詳しい情報ありがとうございます。
こうした史料の扱い方は全く存じませんので、私などには何とも申し上げようがありませんが、「蓋然性が高い」とは言えても、「断定」はできないということで、「未詳」としている注釈書等がある、ということなのでしょうか。

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TIME : 2003/11/30(Sun) 23:14:29
NAME : 紀州の姫
TITLE: お見舞い申し上げます

お身体の方(お風邪でしょうか?)、大丈夫でいらっしゃいますか?
どうぞ、ご無理なさらずお大切になさって下さいませ。
一言、お見舞い申し上げます。
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TIME : 2003/12/01(Mon) 00:40:52
NAME : 水垣
TITLE: >紀州の姫様

お気遣いありがとうございます。どうも風邪が胃に来ていたような気がします。
お蔭様で大分良くなりました。サイトもちょっとだけですが更新しました。

いやはや、もう十二月ですねえ。

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TIME : 2003/12/02(Tue) 09:15:08
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: 淡霧流る


   默々と黎明の苑(ゑん)を行く人の
          幾たりにそひて淡霧流る



おはようございます。

早速「創作和歌」のページを拝見いたしました!
この1ヶ月 とても楽しみにしておりました。

今回も本当に素敵です。

どれも心に残りますが 殊に上記の1首が印象的でした。

霧の流れゆく様まで目に浮かぶようでした。

水垣さまのお歌を拝見しましたときに受けた印象を
忠実に文章として表現したいと思うのですが、
なかなか言葉が浮かんで参りません(*^_^*) 

何とももどかしい限りです。






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TIME : 2003/12/03(Wed) 00:02:59
NAME : 水垣
TITLE: RE:淡霧流る

ひよきち様、早速ありがとうございました。
そんなに楽しみにして頂くほどのものでは……と恐縮しつつ、やはり感想を頂けるのは嬉しいものです。

「淡霧」の歌、野暮な自注を付けさせて頂きますと、早朝、近所の公園を散歩した時に見かけた実景がもとになっております。広い芝生の周囲に桜林がある公園なのですが、まだ薄暗い頃からジョギングやウォーキングしている人達を見かけます。急に涼しくなった秋口の朝、霧が発生して芝生の上を川のように流れてゆくのが見られました。

その時の感じは到底うまく表現できていないので、多分ひよきち様の思い浮かべたイメージは違っていると思うのですが…。

それはともかく、歌や句を読んで、受けた印象を説明したり、なぜ感動したのかを説明したりするのは、本当に難しいですね。それに比べれば、意味を解釈することなどは容易いことに思えます。

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TIME : 2003/12/03(Wed) 10:14:39
NAME : ひよきち
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: RE:淡霧流る


おはようございます。
お歌についての詳しい解説を本当にありがとうございました。


>早朝、近所の公園を散歩した時に見かけた実景がもとになっております。
>広い芝生の周囲に桜林がある公園なのですが・・・

「桜林」ですか!
桜の木は1本でも十分美しいものですが それが林ともなりますと・・花咲く頃には本当に見事でしょうね。
想像するだけでも楽しく また嬉しくなって参ります。


>霧が・・・芝生の上を川のように流れてゆくのが見られました。

誠に美しい情景だったことと思います。


>歌や句を読んで、受けた印象を説明したり、なぜ感動したのかを説明したりするのは、本当に難しいですね。

仰いますとおり 本当に難しいと思います。
また同時に そこを何とかして表現しようと悩むこと自体、とても楽しいものですね(*^_^*)  

そして何より、
心に深く残る歌に出逢うことができたということ。

この事に感謝したいと思います。

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TIME : 2003/12/10(Wed) 00:21:32
NAME : むらじ
TITLE:

お久しぶりです。
過去ログ懐かしく拝見しました。いつもながらのきめ細かい対応に感謝しております。
ざっと読み返しただけですが、いろんなお話が出たんですね。
そのなかで印象的だったのが、「仁明・文徳・清和には歌がない」というご意見です。とくに仁明天皇は父親である嵯峨が政治家としてもアーチストとしても優れた人物で、そのうち後者のほうだけを相続したようなお人柄なので、てっきり歌も多いのか、と思っていましたが・・・
調べてみるとたしかにご指摘どおりで、勅撰集をみても、新拾遺和歌集巻十七釈教歌に いつのまに いとふ心を かつ見つゝ はちすにをるは 我身なるらん
というのがあるくらいのようですね。この歌も失礼ながら、とりたててどう、というお歌ではないように思えますが・・・
嵯峨の時代も和歌よりは詩文のほうが盛んなご時世でしたから、仁明も管絃のことはともかくとして、和歌のほうまでは手が回らなかったのかもしれませんね。
いっぽう、息子の文徳は父とは似ても似つかない謹直な人だったらしく、地方官に任じられた官人が赴任するのを嫌がった、ときいて「盛怒」して解却してしまった、などと伝わっていますし、「仁明朝ではさながらアーチストの巣窟だった蔵人所からそうした人々が消えていったのがこの時期」などとされていましたから、ご指摘はじつに頷けます。
いつもながらとりとめもない話で恐縮です。
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TIME : 2003/12/13(Sat) 21:58:52
NAME : 水垣
TITLE: お久しぶりです

お返事遅くなりすみません。
私もアップ前に過去ログをざっと読み直したのですが、結構いろんな話が出ていたのだなあと我が事ながら意外な程でした。皆様がご意見を下さったり話題を提供して下さったりしたお蔭で、楽しい記録を残すことができました。
このゲストブックはログの保存を手作業でやらなければならず、ちょっと面倒でしたが、やはり保存しておいて良かったと思います。

仁明御製はないものと思い込んでいたのですが、勅撰集に一首だけありましたね。しかしどうも印象の薄い歌です。
私などは仁明天皇と言えばまず遍昭を思い出します。蔵人頭として仕え、崩後すぐに出家してしまいました。在原業平も同じ頃に蔵人だったはず。小野小町も仁明の後宮に仕えていたのだろうと言われていますね。そうした意味では和歌史上注目すべき天皇の一人なのでしょうが、この時代は不勉強で、むらじさんのお話には「へえー」を連発しつつ読ませて頂いた次第です(笑)。



1月〜6月やまとうた表紙はるのゆき表紙