紀女郎
きのいらつめ
- 生没年 未詳
- 系譜など 紀朝臣鹿人の娘、名は小鹿(おしか)、安貴王(あきのおおきみ)の妻(04/0643題詞脚注)。04/0762・08/1452題詞脚注にも「名曰小鹿也」とある。紀少鹿女郎とも(08/1648・1661題詞)。小鹿は諱(いみな=本名)か字(あざな=通称)か不明。
- 略伝 養老年間(717〜724)以前に安貴王に娶られる。安貴王は養老末年頃因幡の八上采女を娶った罪で本郷に退却せしめられ、紀女郎の「怨恨歌」(04/0643〜0645)はこの事件ののち夫と離別する際の歌かといわれる。恭仁京遷都(天平12年)前後、家持と歌を贈答する。恭仁京遷都後早い時期に新京に仮住居を建てていることが知られ(04/0777〜0781)、女官だったかと推測される。家持との関係は程なく解消されたらしい(08/1510)。万葉には12首、04/0643〜0645、0762・0763、0776、0782、08/1452、1460・1461、1648、1661。技巧的で妖艷、万葉後期の典型的な作風を示す歌人の一人。
関連サイト:紀女郎の歌(やまとうた)
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