大伴宿禰三依
おおとものすくねみより
- 生没年 ?〜774(宝亀5)
- 系譜など 伴氏系図によれば御行の子。名は御依にも作る。
- 略伝 729(天平1)年頃、賀茂女王より贈られた歌がある。
賀茂女王の大伴宿禰三依に贈りたまへる歌一首
筑紫船いまだも来ねば予め荒ぶる君を見むが悲しさ(04/0556)
この歌の解釈は、筑紫に向かう三依との別れを悲しんだものとする説と、筑紫から帰る三依の変心をあらかじめ悲しんだものとする説に別れる。いずれにしても、旅人らと同じ頃、筑紫に赴任したことがあったらしい。748(天平20)年、従五位下。754(天平勝宝6)年、主税頭。757(天平宝字1)年、三河守。759(天平宝字3)年5月、仁部(民部)少輔。同年6月、従五位上。同年11月、遠江守。762(天平宝字6)年、義部(刑部)大輔。765(天平神護1)年、正五位上。766(天平神護2)年、出雲守。770(宝亀1)年10月、従四位下。774(宝亀5)年5月、卒去。時に散位従四位下。万葉に4首、04/0552・0578・0650・0690。
なお、梅花の宴の「豊後守大伴大夫」(05/0819)を『萬葉集代匠記』などは三依かとするが、官位の状況からしてあり得ず、この「大伴大夫」は大伴首麻呂以外考えられない(川崎庸之『記紀万葉の世界』)。
関連サイト:大伴三依の歌(やまとうた)
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