藤原朝臣宮子
ふじわらのあそみみやこ
- 生没年 ?〜754(天平勝宝6)
- 系譜など 不比等と賀茂朝臣比売の娘。光明子の異母姉。
- 略伝 697(文武1)年8.20、文武天皇の夫人となる。701(大宝1)年、首皇子(後の聖武天皇)を出産。これ以前から「人事を廃し」(続紀天平9年12月条)ていたため、出産後首皇子と面会することは無かったという。723(養老7)年、従二位。724(神亀1)年2.4、子の首が即位(聖武天皇)。その直後の2.6、天皇は正一位藤原夫人(宮子)を大夫人と称する勅を発するが、同年3.22、長屋王らがその称号の令に違反することを指摘し、天皇は先勅を撤回、公式には令通り「皇太夫人」とし、口頭では「大御祖(おおみおや)」とする詔を発する。737(天平9)年12.27、皇后宮で玄ム(げんぼう)の看病を受け、正常な精神状態に戻り、偶然行幸した聖武天皇に初めて相まみえる(続紀の記事によれば、聖武天皇はこの時まで生母の顔を見たことがなかったという)。754(天平勝宝6)年7.19、崩ず。火葬される。760(天平宝字4)年12.12、太皇太后(宮子)・皇太后(光明子)の墓を山陵と称し、忌日(7月19日・6月7日)を国忌とする。
関連サイト:宮子姫生誕の地、和歌山県御坊市
宮子姫の伝説(ちゃーさん)
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