山縵女王
かずらのおおきみ
- 生没年 未詳
- 系譜など 『尊卑分脉』に山慢女王とあるが、慢は縵の誤りであろう。同書によれば三島王(舎人皇子の子)の娘で、藤原恵美久須麻呂に娶られ三岡を産む。淳仁天皇の姪にあたる。『続日本紀』宝亀2年7月11日条に三嶋王の女子とする葛王(かずらのおおきみ、又はくずのおおきみ)と同一人か。この名は葛氏の養育を受けたことに拠ると思われるが、葛(くず、またはかずら)氏はもと腹太(はらだ)姓をなのり、719(養老3)年10月、得麻呂が葛に改姓した旨続紀に見える。
- 略伝 764(天平宝字8)年9月、夫の久須麻呂は父押勝の乱に加わって宮中で射殺される。『尊卑分脉』によれば子の三岡もこの乱で誅されている。山縵女王は(上記葛王と同一人とすれば)同年10.9、淳仁天皇の淡路配流に伴い、姉妹の河辺王と共に伊豆遠流の刑に処せられた(宝亀2年、旧籍に復す)。従五位下の官位にあったという(分脉)。
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