廣瀬本万葉集について

 近来、万葉集のテキストは西本願寺本を底本とするのが倣いとなっています。というのも、西本願寺本は二十巻揃った万葉集の写本として現存最古のものであると推測されているためです。おそらく鎌倉時代後期の書写であろうと言われています。しかもこれは、寛元年間から文永三年(西暦1266年)にかけて仙覚がそれ以前の諸写本を校合して作成した所謂「仙覚本」の系譜を引くものとしても最古の写本であり、本文の信頼性が高く評価されているのです。

 反面、当然のことながら、仙覚本系の写本は校訂者仙覚個人の見解の影響を強く被り、万葉集の原形をどれだけ留めているかという点になると、不安があります。仙覚の手を経由していない古写本(「非仙覚本系」と呼ばれる)が、より古形を遺す写本として尊重されて来たのは、こうした理由によります。元暦校本・類聚古集などがその例にあたります。しかし、全巻を完備した非仙覚本は、永くその存在を知られませんでした。

 ところが、昭和五十四年、廣瀬捨三氏が大阪そごう百貨店の古書展において入手した万葉写本は、その後の調査・研究により非仙覚本であり、のみならずこの系統の古写本としては初めて全巻を完備したものであることが明らかになりました。この「大発見」は平成五年十二月に至って公表され、当時の新聞紙上にも大きく取り上げられたので、記憶されている方も多いことでしょう。

廣瀬本万葉集
岩波書店刊『校本萬葉集』より

 通称「廣瀬本万葉集」と名付けられたこの写本の巻末には「天明元年十二月 春日昌預」の文字が記され、すなわち江戸時代中期の書写と判ります。万葉の写本としては極めて新しいものに過ぎません。しかし、奧書には「校合秘本」、「参議侍従兼伊予権守藤」などの文字が見え、祖本が藤原定家自筆の秘蔵本であったことを証明しているのです。

 この祖本は、定家が建保九年(西暦1213年)鎌倉三代将軍源実朝に贈った「相伝の秘本万葉集」と同一系統であろうと推測されています。

 実際のところ、廣瀬本は仙覚本系のテキストの影響を強く被っており、純然たる非仙覚本系の写本とは言い得ないかも知れませんが、ともあれこの本の出現によって、これまで仙覚寛元本系より古い伝来を持たなかった多くの歌について、より原形に近い姿を窺い知る可能性が大きく増進したことは確かであると言えます。


Last update:平成9-06-16

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