第二章 旧線跡をたずねる
第一章で述べたように、旧線のルートは北への直行コースを取るべく計画された。そのため、そのコースは必然的に現在の東北新幹線に近くなり、事実旧線跡からは新幹線の高架がよく見える。ただし、極力地形に逆らわないルートが選択されたことも確かで橋梁部以外の築堤・切取りは少ない。 以下に宇都宮方から旧線跡をたどるが、私が初期段階でルート探索に利用した本島三郎氏の「日本鉄道覚え書」(県立図書館複製T686−28)を引用しながら記述してゆくこととする。(引用のカッコ内は私の脚注) なお、以後掲載する地図内の旧線位置は推定であり必ずしも正確ではないことをお断りしておく。なぜなら、 (下線部 2004.10補筆) <距離/長さの単位について> 1マイル=1.609km 1チェーン=20.1m 1フィート=30.48cm |
2−1 宇都宮起点0〜1マイル (1)引用 駅をでると(上野起点)66マイル付近で新旧両奥羽街道を横ぎり、北北東に進路をとる。 |
(2)この区間の状況 この区間の遺構は、御用川かかっていた橋梁の橋台である。それ以外、旧線のルートを示す痕跡は発見できていない。 |
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現在線との分岐地点付近から旧線跡と思われる箇所に立って宇都宮駅方を見る。左が現在線。 | |
上とほぼ同地点から、矢板方を見る。手前は白沢街道(旧奥羽街道)。旧線は新幹線よりやや東(写真では右)よりに方向を定めて北を目指していた。 | |
御用川の橋台跡。左が矢板方。矢板方に翼壁を含む橋台跡が、右の宇都宮方には洗掘と造成工事で傾斜した橋台跡が残る。御用川は、この場所で旧線跡と直交するよう旧線建設時に改修されたようである。現在このクランクを直線状に再改修する工事が行われており、この遺構も近々失われる可能性が高い。 (2002.12) |
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矢板方の橋台。比較的原型をとどめている。要所に石材を用い、煉瓦も褐色のもの(焼過煉瓦)と煉瓦色のものを用いて意匠(ポリクロミーという)も凝らされている。 (2002.12) |
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宇都宮方橋台。原型は損なわれ傾斜も著しい。 (2002.12) |
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上記のように、2003年に行われた改修工事の結果、本遺構は失われたかに見えたが、両側とも近くの資材置き場に分断された形で保管されている事がわかった。 今後の処遇が気になるところだが原型に近いまま残されていることに感謝したい。 (2004.9現在 2004.5撮影) 2004.10 補筆 |
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道床へ繋がっていた面は、つい先日積んだかの様な新鮮な煉瓦色をしている。明治初期の職人が1つ1つ積んだのかと思うと感慨が湧いてくる。 (2004.5撮影) 2004.10補筆 本情報は、2004.5.9に宇都宮市のトクハラ様よりいただき達磨小僧が取材した。 |
第−章 開通から路線変更まで に旅する 第三章 新線(現在線)を観察する に旅する。 |
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更新 2004.10.3 地形図に関する記述 御用川橋台に関する情報を補筆
作成 2002.1.5
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