第1章 破壊と再生

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 地下都市の政府は最も古い竪坑に設けられ、12の豪族の族長をメンバーとする会議によって、政治が取り仕切られていた。近年に於ける地球浄化教団の政治的文化的攻勢により、地下の民には敗北感と絶望感が広がり、それは政府に於ける決定にさえ影響を及ぼす事となった。地上の民との対決から共存への選択である。共存とは美しい言葉だが、その実態は隷属への道を一歩前に進む事を意味した。その政策を推進するのは穏健派と云われる族長達である。一方、共存を拒む勢力も依然として存在した。彼らは勢力の劣勢から過激化する傾向を見せ、地上の民との直接戦争を声高に主張した。世界を滅ぼした人類の敵、地球浄化教団に今こそ天誅を加え、地下の民による平和な世界を建設しようと、彼らは訴えた。しかし、実際に戦争となれば、科学力に勝る地上の民は地下都市に地上の大気を導入し、一気に地下都市の殲滅を図る事が明白であった。一方の地下の民は、広大な地上で戦う経験も無く、武器や食糧の備蓄も殆ど無く、たちまちの内に劣勢となる事は明かであった。地上の民との直接戦争と云う、過激派の主張は全くの絵空事に過ぎず、その事実が過激派を一層苛立たせる事になった。

 地上の民の書く歴史書では、地球が浄化して最初の清浄な人間が地上に降り立った時を元年としているが、その暦で云う、聖歴512年、或る事件が起きた。

 地球浄化教団の教会で行われた貿易関連の会議の直後、地下都市政府の要人ハルマ氏のマスクが何者かによってはぎ取られ、氏は教会内の清浄な空気を吸った為に、間もなく死亡した。氏は地下都市政府の穏健派最大の重鎮であり、彼の暗殺によって地下都市政府は動揺した。犯人は不明であった。過激派が邪魔な穏健派に直接攻撃を仕掛けたと云う説と、その様に見せかけた地球浄化教団の陰謀だと云う説が流れた。何れにせよ、地下都市政府内部に於ける、穏健派と過激派の対立は急激に悪化し、地球浄化教団はその隙に穏健派との関係を一段と緊密化する事に成功した。古の諺に「最も得をした奴が犯人だ」と云う物が有るが、その観点からすると暗殺の犯人は地球浄化教団だったと云えそうだ。それはともかく、過激派の危機感は募り、彼らはついに直接行動に出た。

 地下都市政府警察のパトロール艇を装った特別攻撃機約20機が聖NOVA教団の教会に接近した。この攻撃機は地下都市防衛隊の所有であり、過激派の族長が防衛隊倉庫から秘かに流した物である。時を同じくして、別動隊は教会の通信網を遮断した。有線通信の切断、無線通信の妨害である。更にニセの交通情報を流して教会周辺の交通を妨害、警察無線への介入によってニセの事件を多発させ、パトロール艇を他の地域に誘導した。特別攻撃機は躊躇無く教会の神殿に突入した。攻撃機の特殊合金製突入口により強化セラミックの外壁が砕け、地下都市の障気が教会内部に流れ込んだ。マスクをした突撃隊員がかけ声と共に神殿を駆け抜け、信者を見つけ次第射殺する。隊員の服装は警察のパトロール隊員と同じ物である。信者も備え付けの軽火器で反撃するが、訓練の行き届いた突撃隊員の敵ではない。しかも、障気が流れ込んでいるので、信者同士がマスクの奪い合いをする始末。とても戦闘にならない。

「一人も残すな。根切りにしろっ!」

 隊長が叫ぶ。部屋の隅で震えながら、目の前に転がる手投げ弾が爆発するのを見つめる信者。爆発で崩れた神像の下敷きになって、身動き出来ず障気に晒されながら死んで行く信者。火薬弾頭付きの機銃弾を喰らってバラバラに吹き飛ぶ信者。手を合わせ地球浄化教の念仏を唱えながらハチの巣になる信者。

「ふん、自分で自分の葬式をしていやがる」

と云う冷笑が走り去る。

「探せっ!奥にいるはずだ」

 地球浄化教団のシンボルである巨大な目の描かれた扉が視界に入ってきた。

「この奥だ。爆破しろ」

 大音響と共に、重機関銃を抱いた突撃隊が飛び込む。引き金を引こうとするが、ハッとして立ち止まる。目の前には無数の信者が横たわっていた。

「生きているか?」

 隊員が信者の頭を蹴る。

「いや、死んでいる」

 もう一人の隊員が信者の頭をわしづかみにして顔を覗く。

「ち、死んでやがる。手間が省けたぜ」
「自殺か?」
「いや、地下都市の空気を吸ったんだな。攻撃機がエアコンのダクトをぶち破った様だ」
「って事は、俺達はマスクが要らないって事だな」

 障気の濃度を示すメーターを一応確認して、隊員はマスクを引きはがした。

「良い空気だ…血が匂う」

 二人の隊員が倉庫の扉を開けた。一人の名は大和、もう一人は飛鳥と云った。

「ここは…」
「ゴミ捨て場みたいだな」
「…おい、奥に何か転がっているぞ。人形か?」

 近づくと、それは人間だった。それも若い女の様に見える。

「信者か?」

 大和はマシンガンの銃口を向けた。

「…何だ、これは!? 鎖で繋がれているぞ」
「生きているのか?」
「そんなはず無いだろう。障気メーターを見ろよ。障気が充満している」
「…! お、おい…い、生きているぞ。動いてる」

 大和は思わず飛び退いた。

「うそだ…」
「信じられん。地上の人間なのに障気の中で生きていられるのか?」

 二人は恐ろしい物でも見る様に、その少女を見つめた。清浄な地上の大気に満ちていた教会の中でも、地下都市の障気の中でも生きられる人間。それは彼らの常識を根底から覆す恐るべき生き物だった。しかし、その姿はまるで天使の様だった。


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