「ストロベリー・ブルー」    
                 香坂 直作
                   2010.3.31   角川書店    1470円
                   

『ストロベリー・ブルー』を読む

 よくも悪くも現代の中学生の生態を映した作品。エンドマークのない作品群。登場人物の名前はすっかり意味なくされる。昔(?)は「名は体を表わす」と言った。
 当初耳慣れないオーバーな表現にとまどったがいつの間にか溶け込めた。(「雅史くんの声と自分の声が、耳のなかをめちゃめちゃに飛び跳ねていた。痛みさえあった。鼓膜にガラスの破片が突き刺さるような。思わず、携帯を放りだしてしまいたくなるほどの。」p、10。「担任のピカリンが牛っぽい目でオレをみつめていた。」p、52)
 馴染みにくい表現もあった。「あたしの「好き」なんて、へたのまわりが白いいちごだ。酸っぱいだけ。」p、138「おれは原色の青春を送るんだからな。」p174。「私の成長は、y=a xのグラフにすると、a0で右上がりの直線。しかも、比例定数aの絶対値はかなり大きいはずだ。」p、168。「木崎がいるだけで、いつの間にか空の色がかわっていた。白くかすんでいた空が、いまは極薄の青い板ガラスにはめこんだみたいに見える。まるでカバーグラスのような空だ。/カバーグラスをピンセットでつまみ、そっとスライドグラスにのせるとき、ぼくの右手の甲にはいつも、チリッとかすかな緊張が走る。その瞬間、ぼくはひとつの宇宙を閉じこめる。でも、その宇宙は永遠ではない。すこし力を加えれば、シャリッという音とともに、あっけなく壊れてしまう。」p、202.
「ペテルギウスの情熱」の発想がおもしろかった。(タイトルの意味がよくわからない。ほかの作品も同様。)
 印象に残った作品「ロスト・パラダイス」「ストロベリー・ブルー」がともに<別れ>のせつなさを描いた作品だったのも興味深い。
 帯カバーに曰く「男女五人のせつない恋物語」。また曰く「待望の感動青春小説」。感動?読者は誰?おとな?。登場人物たちは児童文学の範中に入る年齢なのだが・・・。これが現代の「青春」?。
 作者は大阪教育大学肢体不自由児コース卒業生らしい。
                                                                                                     
ただ今『自分を育てる読書のために』(脇 明子・小幡章子 共著、岩波書店、2001)を読んでいます。
中学生にいかに本の手渡すかの実践記録です。先の脇の著作と違って図書館司書の小幡の文章は興味深いものです。
 読書の専門家(司書)とはこんなにすごいのかと感動します。次の課題図書が中学生を主人公となっていますので、これも現代の中学生の生態と思いご紹介しました。 
2011・9・17  大藤 幹夫

青春の気分


 中学生男女の青春群像と言うことである。5編の連作短編を集めている。掲載順序は発表の順序とは変更してある。もちろん時系列で考える所のほうが自然ではある。
 一番気になったのは文体だ。大藤氏も述べているが、気取った表現、独特な言い回し、意味はたいしてない比喩の多用。この年代の読者の好みだろうか、あるいは作者の個性とでも言うべきなのか。
 児童文学と言うよりはいわゆるYAというジャンルで考えてあえてこのような表現法をとったのだろうか。
 内容もさるながら情緒で流れる部分が多くて刹那せつなの気分だけが浮き上がってくる感じが否めなかった。
 ちょっと気になるのが今時の中学生の実態。もちろん個人差もあるが、ここに登場する中学生はほとんど高校生、いや、大人並みの感性を持っているように見える。中学生の感じ方はこれが普通だと考えるとちょっとこわい。その割に実際は単におしゃべりをしたり、勉強をしたり電話をしているだけ。性的な関係は描かれていない。
 やはり文体に象徴される青春の気分が濃厚にながれているだけの気がする。
 作品としての出来はやはり表題になっている「ストロベリー・ブルー」が一番だと思う。去っていき二度と会えなくなると思った木崎美優を追った横山との会話が面白かった。
 しかし、どの話も、上辺の気分だけで流れ、もっと深い部分が描けていないという感じがぬぐえなかった。
(信原和夫)
 

『ストロベリー・ブルー』(香坂直)を読む
 
 思春期をとらえた秀作である。
「カバーグラスをのせるときは、緊張する。そこに宇宙を閉じこめるみたいな感覚だから」と言
った横山くんを琴美は好きになり、クラスの子がいる中で「あたし、横山くんがすきなんだ」と
伝えるあっけらかんさがいいし、赤色超巨星ペテルギウスとカバーグラスに覆われた宇宙という
対比もいい。
 コロッケ店の子で陸上部の三田村大介は、ハワイショップの黄色頭の不思議な女に心ひかれる。
その女は「凪」という名が暗示するかのように、気の向いた所でしばらく暮らたかと思うと、ま
たいずれかへと去っていくのだが、大介はその彼女のつかみようのない不思議さに関心をもつ。
  明るく開放的な大介が、数学を教えてくれと頼んだのが「一人好き」の綿森という少女。大介
が彼女を選んだ理由というのが「いちばん無駄なく、サクサク教えてくれそう」というのだから、
異性への関心からはほど遠いようだ。ただし綿森の方は大介のおかげえ他人との壁が低くなり、
恋が芽生えそうになりはするものの、いつか立ち消える。このあたりも中学生の心をつかんでい
ると感心する。
 琴美から告白された横山くんは大人の雰囲気をかもす木崎がすきで、二人がデートをするとこ
ろは青春を感じさせる好場面だ。青春小説といえばちゃらちゃらしたものか、性描写ぎりぎりの
ものが多い中、大人の心にも響く作品である。
「すこーんとした雅史くんの声」「くっきり疑問形で訊き返す」「いま突然ここにワープしてき
たのかも、なんて思ってしまうほど場違いな感じ」「粗い目のサンドペーパーみたいな、ザラッ
とした声」「顔の前で、壊れたメトロノームみたいにおかしなリズムで手を振って」といった表
現は一歩間違えると、若い読者にこびたものに陥るが、中学生の感覚をすくい取っていると思う。
また「わたし、雅史くんのことちゃんと好きじゃないんです。/ううん、ほんとうは好き。いま
は、好きです、たぶん。/でも、わたしの『好き』なんて、まがいものなんです。すっごく汚く
て。」「おれは原色の青春を送るんだからな。わかったな!」という弟に対して「中学生の生活
というものは、原色じゃない。もっと甘やかな、淡い色の集合体だ。」という姉の思いなど、オ
ジサンにはわかりにくいけれど思春期の読者には「うん、わかるわかる」と響いてくるような気
がする。さわやかな青春小説に久しぶりに出会った。
(向川幹雄)