「ライオンとであった少女」    
                 バーリー。ドハーティ作
                 斎藤倫子訳
                 2010.32.28     主婦の友社


「ライオンとであった少女」」を読んで

 
アフリカのタンザニアに住む少女アベラとイギリスに住む少女ローザをそれぞれの視点で交互に描かれた物語。
 最初に描かれたアベラは貧困と病気で母親と妹を亡くす。病気で死にかけた母親とバス代がないので歩いて病院に向かうくだりはすさまじい状況がよく伝わってきた。
「強くなるのよ」死ぬ直前にアベラにいった母親の言葉はその後アベラに生きる勇気を与える。
 それにしても、アフリカの残酷で非人間的な風習は貧困以上に目を背けたくなるものがあった。今でも民族同士の殺戮が収まらないアフリカの根本に根ざすものがあるのではないだろうか。やはり嫌悪感が消えない。
 ロンドンの少女ローザは母親と暮らしているが母親は白人で父親はマサイ族の男でアフリカに帰ってしまい母子で暮らしている。その母親が養子に女の子を迎えようとしてローザは拒否感を持つ。
 なぜ養子を迎える気になったのかそのあたりの動機がよくわからない。やはり苦しんでいる子どもを救いたいという慈善心というところだろうか。また、夫だったマサイ族の男への気持ちもあったのか。
 ローザが養子を受け入れる気持ちに徐々に変わっていく様子が克明に描かれていく。それが成長なのか妥協なのか単なる心境の変化かはよくわからない。
 予想通り、ソーシャルワーカーなどの手で、ローザの家にアベラが養子に行くことになるところで物語は終わる。
 英米では発達途上国の孤児を養子に迎える制度があり、実際に受け入れる家庭も多いようだがあまりにも違いすぎる生育環境で問題は出ていないのだろうか。
 本書は評判はいいらしいが読みづらかったし、感動すると言うよりは一種の押しつけがましさが感じられてすっきりしなかった。
(信原)

『ライオンとであった少女』を読む

 この本も再読(?)。その時はあまり面白くなく、気が進まなかったから。今回も同じ感想です。第一に言いたいのはタイトルに偽りありです。実際に少女がライオンに出会う場面はほんのわずかな時です。原題の『アベラ』では売れないと見たのでしょうか。
 アフリカの貧しい少女(アベラ)とイギリスの富める(旦那がいなくても養女を迎えられる。)家庭の少女(ローザ)の物語。ワンパターンです。
 アベラの両親はエイズで死に、妹も死ぬ。アベラを育ててくれた祖母も家を追われる。食べ物もない。母親の収容された病院(一日歩き通さなければならない。)は医者もいなければ、薬もない。こんな悲しい設定の物語は正直読み通せない。
 ローザの母親が養子縁組(イギリスでは養子縁組休暇が取れることを知りました。)に執着する理由は何か。(「つらい思いをしている誰かにしあわせになるチャンスをあたえられる」なんて傲慢な。)アベラにとって養女になることが果たして「しあわせ」だろうか。

 急いで読んだので読み違いがあるかも知れません。この頃はこんな悲しい、悲惨な物語を避けるようにしています。感想も短くなりました。
 2011・6・18 大藤 幹夫

「ライオンとであった少女」を読んで 

 アフリカと一口に言っても民俗学的には約1000以上の部族、世界で約3500の言語のうち800に近い言語、そして面積は日本の約80数倍ということを「アフリカの民話」のあとがきで知った。ましてタンザニアという国についてはほとんど知らない。
 ヨーロッパではロシアもフランスもイギリスも一緒に考えてしまうに等しい人と同じだ、コンゴもギニアも同じアフリカという認識しか持たない人が多いという意味の表現があったが私もそのうちの一人だろう。
 子どもの本について言えば、アフリカ大陸で生まれても後に欧米圏の国で学んだ人の著述が多いのも実態だ。この作者は英語圏の人だ。舞台の中心がイギリスであるからかもしれないが、視点はイギリスよりだ。
 9歳のアベラと13歳のローザの二人の少女の視点から交代に描かれているが、舞台がイギリスに移ってからは、時々混乱しそうになった。アンソニーの養子縁組が成立しそうになったときは全く縁もゆかりもなかった二人がここで結びつく展開が最初の予想と違って「えっ!」と思ったが、父親に引き取られることが分かってからは結末が見えてきた。
 文化と風土、ここでは豊かな生活(いわゆる先進国)と貧困の対比だが、家族の結びつきが支えのアベラの人を信じようとするけなげな姿、母親の最後の言葉「強くなりなさい」という言葉に支えられて、言葉も不十分で生活や習慣も全く異なる国で、知っている人にすがりつき、求める姿は感動的だ。
 翻訳については何か違和感があった。アジア圏の人、欧米圏の人のたどたどしい日本語がテレビでよく放映されるが、どこの国の人でも日本語で表現するときは同じなのだろうか?また、セロテープは特定の会社の特許名だと思うが、一般名詞にしたら何と言うのだろう。(マジックペンやエレクトーンも特許名である)
 物語としては、読者を引っ張っていく力を持っている。しかし、エイズについて正しい知識を持っている子どもを読者として想定するなら、6年生以上だろうか。

森本 和子