「第二音楽室」    佐藤多佳子作
               20010.11.15   文藝春秋   1500円

 

「第二音楽室」を読んで

前から気になっていた本だった。前評判では、『聖夜』のほうが高かったが、2冊を読み比べて身近な楽器である鍵盤ハーモニカ(ピアニカはヤマハの特許名)とリコーダーなら知っている人や体験のある人も多いと思って選んだ。しかし「裸樹」は全くわからなかった。ギターについての専門用語は予想もつかない。
 作者は「音楽と学校」というテーマで七作品を書いたそうである。そのうち五作品が出版された。『聖夜』は長いので1冊になったとのこと。あとの二作品は出版されるかどうかは未定とか。
 作品について言えば、ハッピーエンドであるが押し付けがましくない結末である。また、どこにでもいそうな子どもでありながら(「裸樹」以外)その子が変わっていく過程がなんとなくわかるところに無理がない。
 音楽が苦手な人にとってはこの世界はとっつきにくいかもしれないが、現代の子どもや若者は音楽の世界が、もはや学校の「音楽」ではなく、多様な世界で楽しむ「音楽」になっている。その中で作者が学校の中での音楽にこだわったところがこの作品の値打ちかな、と思う。週に2時間の音楽、3時間の体育(今は少し変更されている)だが子どもにとって学校生活での自分の位置がどこにあるかが問われる科目でもある。運動会、音楽会、卒業式(入学式も?)はこれらの科目の得意なこと苦手な子では天国と地獄ほどの差がある。
 それだけに特に得意でもない平凡な子どもがこの科目とどうつきあっていくかを物語にしたことが新しさかなとも思う。
 今回、候補にあげた他の作品(二作品)もすべて音楽をめざす子どもと若者の物語だった。演奏する側であったことと、作曲を目指す若者の話だったので、結局こちらを選んだ。
(森本和子)


女の子と音楽


 
音楽をテーマにした4っの物語。主人公はすべて小学生から高校生までの少女である。 はじめの表題作「第二音楽室」は卒業式の鼓笛隊の演奏に選ばれなくてピアニカ組に入ってしまった小学五年生の物語。練習の場所は今は使われていない忘れられた第二音楽室だった。みんなが練習しているときに主人公たちはこの音楽室で好き勝手に遊んだりお菓子を持ってきて食べたり羽目を外している。学校の中でこのような隠れ家があったらどんなに楽しいだろうかと、読者である子どもたちは思うに違いない。
 次の「デュェット」は中学校で音楽のテストで教師が自分たちでペアを組んで歌いなさいという話。生徒たちは恐慌を来してペアの相手を探すがなかなかうまくいかない。しかし、何とか治まるのはよほど学校なり、クラスが普段からまとまっていて問題がないのだなと思う。いや、仮にそうであっても新たな問題が発生しそうだ。
 主人公の片思いがみずみずしく描かれている。
「FOUR」は選ばれた四人の生徒が卒業式のためのリコーダーの四重奏の練習をする話。 四人の男女が音楽にのめり込みながら、微妙にすれ違う恋心を抱いて練習を重ねる。音楽に無知なわたしは、このような世界を新鮮に感じた。
 最後の「裸樹」が一番小説らしかった。主人公の少女がいじめを受けて公園で泣いていたときに謎の女性に「裸樹」の歌を歌ったもらう。
 後にその歌を歌っているというグループがあることを知るがあのときに歌ってくれた女性にはなかなか会えない。
 また、今の子どもが学校で友達と微妙に距離を置き、演技をしながらその関係を維持していこうとする姿がよく描かれていた。しかし、これはなかなかつかれるなと痛々しく感じた。過去にいじめを受けた後遺症なのか、それともこのようなことはかなり一般的なものなのだろうか。
 この年頃の少女たちのナイーブな日常が彷彿とされる作品だったが、今ひとつ、生活感が感じられなかった。ページを置くとその瞬間、今まで浸っていた世界がふわっと消えていくような気がする。これらの物語は現実ではなく、特殊な空間の中で感じたまやかしのようにも思える。
(信原和夫)

『第二音楽室』を読む


「第二音楽室」
 表題が魅力的だったわりには展開は普通。個人的なことだが、自分をウチとよぶ女の子が好きでないので、軽い拒絶反応。

「デュエット」
 爽やかな秀作。短いなかに、言いたいことはすべて自然に入りこんでいる。丁寧な言葉遣いの音楽教師に、大人の寛大さがみられて面白かったし、生徒たちの言動は、むかしむかしの自分にもあった日のようで。
学校生活のなかでは、鬱々とする幾つかのことを誰もが持っている。それでもひとつの断面には、こんな明るい楽しい出来事も確かにあるのだ。こんな日を覚えていてほしいと思う。
 
「FOUR」
 わたしにとっては知識の物語でもあった。リコーダーが8種類もあるのを知らなかった。まぁこんな短期間で、ものにすることは至難であろうけれど。
 よい意味で、良質の少女漫画をよんでいるような心地よさを覚えた。

「裸樹」
 やっぱりウチだ。音楽の専門的用語も少し煩わしかった。
 閉ざしていた自分を解放しようとする、少女の心のありようは丁寧に描かれていたが、この物語に心を添わせることができなかったのは、たぶん、わたしが歳をとり、痛みを直視するのがつらくてたまらなくなってきたからだ。四作品を読んで、つくづくとそれを感じた。
(村上裕子)
 

『第二音楽室』をよむ

 
第二音楽室:別冊文芸春秋 2008年5月号
「第二音楽室」は子どもの逃避場所。かつての大石真の『教室205号』を想起させる。
 まず言葉使いにこだわった。主人公が自分を「ウチ」と呼称する。ダラダラすることは「タリいこと」p、11。「ルーちゃんは見た目が男前で、遊ぶ相手も男子が多い」p、13。「ダルそうにボーツとしているスタンバイ・モードと、ヘンな計画を実行する時のアクティブ・モード」p、18(用字にも違和感)。「ウチらはひらがなっぽく答える」p、28。「顔はすごくシュール」p、29。
 私にはイメージする手がかりすらない。若者言葉を巻きちらすことで読者に迎合しているようにさえ思えてくる。いわば若者の風俗スケッチであるまいか。『教室205号』の弾みすらない。
デュエット:季刊 飛ぶ教室 2005年Spring
 唯一児童文学誌に掲載された本作は、可もなし不可もなしの作品。
 FOUR:別冊文芸春秋 2009年3月号
 まるで音楽の解説書・マニュアル本。(p、79の楽器の解説がいい例)登場人物たちのウジウジした描写も「カッタルイ」。
 同時に読んだあさのあつこの『13歳のシーズン』も同じシチュエイションを描きながらもっとドラマチックで気持ちいい。
裸樹 別冊文芸春秋 2009年9月号
「なんつーか」(p、171)の作品。これもまた音楽の案内書。たとえばp189の「楽器はアコースティック・ギター二台だけってシンプルな構成なんだけどね。スローなアルペジオ。クレジットには『らじゅ』の名前しかないから、どっちのギター・パートも自分で弾いてオーバー・ダビングしてるはず。」がその一例。p、233、p、261、p、268など、これがわからない読者は近寄るな?
 男しか目に入らないのが佐藤による女子高校生観?同性のあこがれの先輩・江上に対する感情も異常(これが女子高校生?)
 やたらに「こだわる」のも私には嫌悪感しか残らない。ラストでちょっぴりホッとした。
児童文学を書いてきた作家が若者言葉をまき散らしながら背伸びし
ている作品群。     
  2011・4・16 大藤幹夫