評価  ☆☆☆
面白さ ☆☆☆
感動  ☆☆  
ウサギが丘     ロバート・ローソン 作・画        学習研究社
              松永冨美子 訳               S41・11・10 初版

自然と生きるものへの愛が生んだこの世の楽園

お話


 ウサギが丘の新しいおとなりさん、人間が越してくるというので動物たちはおおさわぎ。ウサギのジョーい坊やは仲間の中で一番お年寄りのアナルダスおじさんを呼びにいくことになる。ジョーい坊やは犬に追いかけられたり、しながらおじさんを呼んでくる仕事をやり遂げる。
 そして、ついに人間がやってくる。
 その人間は罠や毒を使わず、飼い猫も動物たちをおそわない。家のすぐ近くに住むボギーにも危害は加えない。また、のネズミのウィリーはある日、窓のそばの水桶に落ちるが人間に助けられる。
 そんなある日、ジョーい坊やが車にはねられて連れて行かれてしまう。動物たちはみんな大憤慨。パパもママも悲しみに沈む。しかし、人間に看病されていたことがわかり問題は解決。ほかの人間は、罠も毒も使わないのにこの一家の作物が動物たちに荒らされないことを不思議がる。

評価・感想

 1930年代に書かれたこの物語は、人間と自然との共生を理想的な姿で示されているように見える。動物達はお互いに助け合って、必要なだけの食物を人間の作る作物、また、大自然の中から得て、人間は人間でおおらかに、ウサギや、モグラや、他の動物達を温かい眼で見守っている。大自然、生命への愛、お互いを思いやる心がこの楽園を作り出している。
 さて、1930年代で、人間と自然は事実このような関係であったかどうかを考えて見ると、それは大いに疑問が残るところだ。現実に人間は荒野を開拓し、作物を栽培し、動物を片端から殺し、絶滅させ、技術の進歩により、いっそう自然破壊のスピードを加速させた時期であった。
 多くの物語にあるように、この物語では捕食関係にある動物達の姿、自然の真の姿が描かれていない。あたかも、人間同士の社会のようにキツネはウサギや、ネズミを襲わないし、人間の家族のように生活している。もちろん、幼い子供たちへの擬人化した物語で、人間や真実を示そうとしたものだろう。それにしては動物同士のさまざまな事件における葛藤がなく、登場人物(動物)はいい人ばかりである。また、そこへやってきたお隣さんも、これ以上はないといういい人であった。
 この楽観主義は文中の次のことばによく表れている。

・ 世の中には、よい時代もあれば、悪い時代もある。だが、それも過ぎていく。また、よい人間もいれば、悪い人間もいる。だが、それもいってしまう。
・ いつでも、だれかあたらしいものがやってくる。そして、いつもあたらしい時代がくる。  (どちらも最長老のアナルダスおじさんのことば)

しかし、21世紀を迎えたわれわれは自然に対する人間の営みがどのような結果をもたらしたかをよく知っている。もちろん、この時代においても厳しい自然との闘い、生きるために野生の命を奪わざるを得ないという真実を描いた作品も多くあったことは事実である。しかし、現代ではこの楽観主義が成立しがたくなっているというのが私の感想である。
 この楽観主義の作品においても広い荒野に数台しかない自動車が動物を事故に巻き込むという挿話があり、未来を暗示しているともいえよう。
 このような、善意、思いやりの心で楽園が出来上がるという物語もすばらしいものだが、現代の子供たちには、それだけでは生きていけないし、積極的な関わりなしには究極の自然、地球そのものの環境も保てない時代に生きているということを認識させるような作品も読ませる必要があるだろう。