評価  ☆☆☆☆
感動  ☆☆☆☆
 面白さ ☆☆☆
水底の棺               中川なをみ    くもん出版  2002.9.10
                      村上豊 絵

恋人を、暮らしを奪った狭山池の改修に挑む主人公

お話


 平安末期、狭山池の工事で養い親を失った小松は人買いの男に預けられて京へ出る。
 京でも華やかな表通りを裏に入ると人々の暮らしの悲惨さは狭山と変わらなかった。小松は
サスケという盗賊と知り合い仲間になる。しかし、サスケが人を殺すところを目撃した小松はサ
スケと別れ東大寺に身を寄せることになった。
しかし、狭山の隣の娘ゆうに対する思いを募らせた小松は、故郷に帰る。だが、父を亡くしたゆ
うは京へ売られていったと聞く。
 小松はゆうを探している内に盗賊のサスケと再会する。そして、偶然ゆうはサスケのところに
いた。しかし、ゆうはサスケに手込めにされ、子どもを身ごもっていた。その上、サスケは小松を
捨てた実の父だと知る。
 小松はゆうを連れて狭山へもどろうとするが、途中でゆうは死ぬ。小松はすべての苦しみの
元の狭山池の改修をしようと全力を注ぐ。困難を極めた工事は貴人の墓から掘り出した石棺を
樋管として使用することで成功した。
 小松はその後狭山を後にして宗へ渡り、焼き物を学ぼうとして新たな出立をする。

評価と感想

 本書は第43回日本児童文学者協会協会賞受賞作である。時代を中世(平安時代)にとり、
著名な歴史上の人物ではなく、無名の若者小松の幼時から青年期までを重厚な筆致で描い
た時代小説である。
 作者が後記で書いているように、この物語は大阪狭山池の改修を巡るものであり、この史
実についてはかなり実際の資料を調べての執筆であるということだ。
 その点で、単なる絵空事ではなく、読者に迫る迫力がある。主人公が養父の死後、京へ出
て生きるための様々な行動は十分その頃の庶民の暮らしぶりを推測することができて興味
深い。
 しかし、不満もある。主人公の小松が思いを寄せ必死で探し求めていたゆうが、たまたま小
松が以前仲間に加わっていた盗賊の頭サスケのところにいたという設定だ。サスケは最初、
に京へやってきた小松が会った人物であり、京へ売られたゆうが同じようにその仲間になっ
ている上に、実はサスケこそが小松を捨てた実の父親であるという。
 これにサスケが気がつかないというのは不自然であり、さらにゆうが手込めにされて妊娠し
ているというのは作りすぎの感じがする。
 ゆうの死そのものはこの時代の庶民の生活の重さを感じさせるものとしてよいと思うが、妊
娠については読後感の重さを考えるとなかった方がいいと思った。しかし、悲惨な状況下での
ゆうとの再会という設定には意義はない。
 文中の火の描写には特筆するものがあると思う。小松の死んだ養父を焼く炎、また、陶器を
焼く白熱した火、その炎に象徴された人の死と生。小松のひたむきに生きようとする気持ちの
エネルギーとしてよく生きていると思う。
 ゆうが死んだあと、小松は狭山へ帰り、自分たちに不幸をもたらした狭山池を改修しようとす
る。しかし、このクライマックスである改修工事に無力な若者が挑むにしてはあまりにも簡単に
話が進みすぎてあっけない。
 また、最大の山場である石棺を樋として使用することについては全くその是非についてのトラ
ブルなど書かれていないし小松はそれについて関わっていない。
 このあたりのあっさりした描写については作者のエネルギーが燃え尽きたのか、枚数の関係
かよくわからないが、惜しまれるところである。何しろタイトルが「水底の棺」であるのだからもっ
と書かれていてよかった。
 しかし、この重厚な歴史物語からからは十分作者の意気込みは伝わってくるし、興味深く読み
応えはあった。史実の重みを効果的に作品に生かされたというべきだろう。最近の軽すぎる感じ
のする作品群、いたずらに小手先で魔法や架空の世界を描くファンタジーの作品群に比べてこ
の作品の意義は大きいと考える。
 しかし、全体としては、素材テーマに新味が乏しく、新しい児童文学の創造という面では不満
が残った。