評価  ☆☆
感動  ☆☆
面白さ ☆☆☆
ムシャノコウジガワさんの鼻と友情   二宮由紀子  偕成社  2001.11

             ナンセンスのリアリティ
お話

 昔あるところにとっても鼻の大きな人がいました。あんまり大きくて重いので、その人が歩くたびに前の地
面にめり込んで大きい穴が開くほどでした。町ではそのムシャノコウジガワさんが自分の鼻で開いた穴に落
ちるたびに鐘を鳴らして集まり助け上げるようにしていました。しかし、ある日あんまりその回数が多いので
みんなはどうすればムシャノコウジガワさんが穴に落ちるたびに助けに行かなくてすむか相談しました。そ
して、ムシャノコウジガワさんがもう歩かないようにするか、鼻を大きいはさみでちょん切るか、今までの通り
にするか投票することにしました。そして………
評価と感想

 とりあえずこの作品のジャンルといえばやっぱりナンセンスというものだろう。
 やはり、このタイトルを見てまず芥川龍之介の「鼻」を思い出した。その次は武者小路実篤の「友情」であ
る。もちろん作者は読者がそんなことを想起するのは百も承知であろうけれど。
 まず最初にわたしはどうしてもこの物語に入っていけなかった。理由は主人公ムシャノコウジガワさんの
鼻と、それが元で引き起こされる事態が納得できない、受け入れられないからだ。大きくて重くても鼻で地
面に大穴を開けるには思いっきり上からドーンとたたきつけるか、地面をえぐるしかないが、ちょっと歩いて
転んだだけでそんな結果になるとはいくらホラ話、ナンセンスでもぴんとこない。
 ナンセンスならナンセンスのリアリティが必要なのではないだろうか。たとえばチビクロサンボのトラがぐ
るぐるまわってバターになってしまったというのは、あり得ないはなしだが、それを読んだ読者はそれを抵抗
なく受け入れ、最後に196皿も食べたサンボと同じように読者も満足する。
 このムシャノコウジガワさんの鼻と穴に対してはまず「嘘!」というのがあって物語に没入できない。イメー
ジできない。これはナンセンスにおけるホラは大きければよいというるのではないことをあらわしている。
 次に物語の展開を見ていく。体育の先生がムシャノコウジガワさんに体力をつけようと苦心するが全く効
果が上がらない。
しかし、ムシャノコウジガワさんにだんだん好意を抱きいっしょに住もうと言い出す。
 さんざん苦労をかけた相手に好意を持つようになるというのはよくある話であるが、この場合はいささか
ややこしい。好意を持つというのは良いがいっしょに住むというのはどうか。
 体育の先生が女性に惚れられているのに一顧だにしないでそうするのは友情というよりはホモセクシヤ
ルともとれないことはない。
 ばかばかしさが大きいほど楽しめるという人もいるが、わたしはそのバカバカしさに入っていけないのがこ
の作品の欠点だと考える。やはり、ナンセンスにはナンセンスの読者に受け入れられるリアリティが必要だ
と考える。