評価     ☆☆☆
感動     ☆☆☆
面白さ   ☆☆☆☆
THE MANZAI        あさの あつこ       岩崎書店    1999.10.15
おもしろくなかった漫才
お話

 転校した中学2年のぼくに、サッカー部の次期キャプテンという秋本が「おつきあいしてくれ」と迫る。ぼくは気色が悪くて逃げようとするが実はいっしょに漫才をしよういうことだった。ぼくたちは、文化祭に漫才「ロミオとジュリエット」を上演することを計画する。しかし、このことを知った学校側は何とかそれをつぶそうと圧力をかけてくる。

評価と感想


 一読してなかなか面白かった。転校した中学2年生のぼくにサッカー部の次期主将という秋本が「おつきあいをしてくれ」とせまる。ぼくは気色が悪くて逃げようとするが、実はいっしょに漫才をしようということだった。秋本は「勉強ができたかて、スポーツができたかてなんぼのもんや。たいしたことあらへん。やっぱ、おもろいやつが勝ちやで。歩」という。なるほどと思って読み進むうちにふと考えた。
「面白いやつが勝ち」という意味は何か。場を盛り上げて注目されることか。それにしては秋本はサッカー部の次期主将でその上女の子に結構もてている。
 それでは将来コメディアンか漫才師になってブラウン管に出て稼ぐ方が手っ取り早いということか。単に文化祭でいっしょに漫才をやろうというだけとはニュアンスがちがうし、ちょっとピンとこないところがあった。
 さて主人公のぼく(瀬田歩)だが、「ふつう」であるか「ふつうでない」かとてもこだわりを持っている。そもそもの原因が前の学校の先生に「お前ふつうじゃないぞ、精神科へ行ってみたら」といわれたことにある。ぼくはそれから学校に行かなくなり、そのため父母がけんかをし、そのあげく父と姉だけが外へ食事に行くと出かけて事故死をした。
 残された母が自分の故郷に引っ越し、ぼくは転校したわけだ。しかし、転校したぼくは学校へ行き始める。だが相変わらず「ふつう」「ふつうでない」ことにはこだわる。しかし、作者のいう「ふつう」「ふつうでない」が読者であるわたしによくわからない。老眼鏡なしで文庫本の活字を見ているようだ。
 やがて文化祭の出し物に僕たちのクラスは秋本の提案で「ロミオとジュリエット」を漫才でやることになる。クラスのみんなは協力するのだが、その中の森口という少女は「恋愛で男とか女とか関係ない」とホモセクシャルを肯定するような発言をする。その彼女もトラウマがあった。
 さて、練習が進み、その内容を知った校長、教頭が横やりを入れて何とか止めさせようとする。どうも、「坊ちゃん」以来のステレオタイプの校長、教頭で笑わされるが。
 そして、いよいよクライマックスの文化祭での漫才。今の子どもたちはこの漫才で笑うだろうか。わたしは笑わない方に賭ける。
 さすが達者な筆遣いで、それぞれのトラウマや、思い、感情を抱いて物語は終幕に進む。しかし、それぞれの問題がどのように昇華し解決されたのか。中学2年生の子どもたちのナイーブな感受性を基底に青春群像を描いて見せたわけだが、もう一つ作者の意図するものが見えてこないいらだたしさが心に残った。
 最後に「ぼく」が一つにはその原因となって事故死をした父と姉が「ぼく」の中でどうなっていたのか疑問が残ったからかもしれない。また、発光少女萩本恵菜が副主人公として活躍するのかと思うと、ちょい役で肩すかしを食ったようで惜しかった。