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浜屋・よみうり仏教童話大賞入選作



吹雪の夜の客


 昔、都に良庵と言う医師がいました。
都では何年も前から戦があり、その後、都に疫病がはやり
ました。
 病にかかって、何日も高い熱が下がらず、苦しみながら死んでいく人もたくさんありました。
 良庵は貧しい人も、お金持ちも分けへだてなく治療する
ので、毎日たくさんの病人がやってきました。
 そんなある日のことです。
 妻の小夜が良庵にいいました。
「大変です。薬草の残りが少なくなってきました」
 それを聞いた良庵もこれはこまったことになったと眉を曇らせました。
 良庵が、都のどの医師よりも腕がよく、高い熱に苦しむ病人を治すことが出来たのも薬草のおかげだったのです。
 良庵は長い年月をかけて薬草の研究をして、新しく発見した薬草をうまく配合しよく利く薬を作り出すことに成功したのです。
 しかし、その薬草がなくなっては病人の熱を下げることができません。
 外はまだ雪が舞う冬でした。
 暖かい春が来なくては薬草も生えてきません。
 今日も、戸口にはたくさんの病人が訪れていました。
 そして、その日の夕方になると、薬草はほとんどなくなってしまったのです。
 さすがに良庵も明日からどうすればいいか考え込みました。

 その夜、遅くなってから、五歳になる一人息子の小太郎のようすがおかしくなりました。
 なんだかぐったりして顔色も真っ青です。
 小夜があわてて額に手をあててみるとびっくりするほど熱くなっていました。
「あなた。小太郎が……」
 おろおろする小夜を制して良庵は小太郎の脈を取って見
ました。
 脈は驚くほど早く打っています。
 早く熱を下げてやらねば小太郎の小さい体は耐え切れな
いかもしれません。
「薬箱を持ってきてくれ」
 良庵は小夜にいいました。
 小夜の持ってきた薬箱は薬草のきれはしが二つ三つ、ご
みのように残っているだけです。
 良庵は白い布を広げると、箱をさかさまにして底をとんとんと打ちました。
 布の上には薬草の粉らしいものが少し落ちていました。
 しかし、小太郎に煎じて飲ませるにはとても足りません。
 そのとき、小夜がはっと顔を上げました。
「どうしたのじゃ」
「あります。薬草が」
 小夜は急いで押入れをあけると、分厚い紙のたばを取り
出しました。
 それは、良庵が長い年月をかけて採集し、研究した薬草
を分類した標本でした。
 大切なものですが、もちろん小太郎の命にはかえられま
せん。
「よいところに気がついたな」
 良庵は標本の中から熱を下げるのに必要な薬草を取り
出しました。
 さっきの分とあわせると、何とか一人分には足りそうで
す。
 小夜は早速薬草を煎じはじめました。
 そのとき、はげしく戸をたたく音がしました。
 良庵と小夜は顔を見合わせました。
 こんなに夜更けに訪れるのは病人か、その家族に違い
ありません。
「わたしが」
 小夜が決心したように立ち上がりました。
 小夜が戸を開けると吹雪とともにどさっと黒いものが倒
れこんできました。
 土間に倒れた人は苦しそうにうめくだけで起き上がるこ
とも出来ません。
「あなた、大変です」
 小夜は良庵を呼んで二人でその病人を奥へ運び、寝か
しつけました。
 粗末な旅の身なりをしたその病人は高い熱を出していて、うわごとをいうだけです。
 このままでは命も危ないのは良庵にもすぐわかりました。
 しかし、隣の部屋には小太郎が同じように苦しんでいま
す。
 薬草はやっと一人分あるだけでした。
 小夜はすがるように良庵を見つめました。
 じっと病人を見ていた良庵はやがて、
「薬湯(薬草を煎じたもの)を持ってきなさい」
と、静かにいいました。
 小夜は薬湯を入れた茶碗を持って、部屋の入り口までき
ましたが、そこでぴたりと足が止まりました。
 左のふすまを開けると良庵と旅人がいる部屋です。
 右のふすまを開けると小太郎が寝ている部屋です。
 病にかかった人たちを救うことに身をささげている良庵は小太郎より、見知らぬ旅人にこの薬を飲ませるに違いありません。
 小夜はそうっと音がしないように右側のふすまを開けました。
 小夜が小太郎の枕元にしゃがみこんだとき、
「小夜」
 ふすまが開いて良庵が声をかけました。
 小夜の手は凍りついたように止まりました。

 それから、二人は少しも眠らず、旅の病人と小太郎の看
護をしました。
 いつの間にか障子の外が明るくなり、夜が明けていまし
た。
 病人の顔にわずかに赤みがさし呼吸も落ち着いてきたよ
うに見えました。
 目を開いた病人に良庵は思わず喜びの声をかけました。
「おう、気がつかれましたか」
「わたしはどうしたのでしょう」
 何も覚えていないらしい病人に、良庵は昨夜からのこと
を話しました。
「ありがとうございます。おかげで命が助かりました」
 病人は涙を流して礼をいいました。
 そのとき、隣の部屋から小夜のすすり泣く声が聞こえて
きました。
 良庵にはその泣き声の理由がすぐにわかりました。
 不審がる病人にそのまま寝ているようにいって良庵は
隣の部屋に入りました。
 そこには、冷たくなった小太郎のなきがらにすがって小
夜が泣き崩れていました。
 良庵は黙って小夜の隣に座ると小太郎に手を合わせまし
た。
「このようなこととは全く知らず、申し訳のないことを……」
 声に振り向くと、隣の部屋に寝ていた旅の病人がよろめ
きながら入ってきたのでした。
「私が来なければ、お子様は命を取り止めたかもしれませ
ん」
「いや」
 良庵は手で病人を制していいました。
「私たちはこの子に出来る限りの看病をしました。あなた
にかかわりなく、この小さな体には病に打ち勝つ力が残さ
れていなかったのです」
 ここで、良庵は思わず言葉をとぎらせました。そして、深く息をして続けました。
 「わたしたちも、いつかは死が訪れて仏となる身です。その日まで、この子に恥ずかしくないよう、病を得た人々のために努力していきたいと思います」

 その後、名の知れない旅人が、都のはずれに小さい石
のお地蔵様を建立しました。
 小太郎地蔵と呼ばれたそのお地蔵様は、小さい子ども
が病にかかったときに、よく願いを聞いてもらえると、お参りする人が後を絶たなかったそうです。