ゲームのイベント探訪記


白久保のお茶講


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 人の集まりを講と言い、茶を飲みに集まるのがお茶講である。しかし、今、白久保のお茶講というと別なものである。

 鎌倉時代、茶を飲んで当て物をする闘茶という遊びがあった。茶道というものができて遊びで茶を飲むのが邪道とされてしまったため闘茶はすたれてしまったが、日本で唯一行われているその遊びが白久保のお茶講なのである。

 場所は群馬県吾妻郡中之条町。駅から車で15分程の山間の白久保という全部で15戸ほどの集落がその場所である。ここで毎年2月24日の晩、お茶講が行われている。

 24日朝、中之条駅から歩いて10分ほどの歴史民族資料館を訪れた。中之条とその周辺の歴史を展示する大きな資料館だ。知らなかったが、中之条がかなりの歴史を持つ土地である上に、さまざまな事物を収集しており、小さな町の資料館としてはかなり見ごたえのある施設である。お茶講に関しても一角を設けて資料を展示していたが、これまでの調査研究の結果が本となっているのがありがたい。  昼のバスで白久保に向かう。事前に連絡をしたところ、お茶講は夜からだが、昼から準備をするので一時頃に来られたら良いとのことなのである。バスを降りると 近くにお茶講の家を示す立て札があり、雪解け道を歩く。バスを一緒に降りた男性も取材風のいで立ちで、聞くと茶道史の研究家とのこと。

 お茶講の家はバス停から3分ほどのところにあった。茅葺きの大きな家である。中では何人かの人間が囲炉裏に当たっている。上がり込んで火に当たらせてもらうと、地元の人のほかにも何人か見学にている人がいることが分かった。  地元の人に話を聞くと、お茶講は元々白久保の集落の家家の持ち回りで行っていたのだが、広い部屋を持つ家が少なくなったため、20年ほど前にお茶候の家を建てたとのことであった。

 準備開始。持ち出されたのは煎茶、甘茶、ミカンの皮。これを焙烙でカラカラにして石臼で挽いて粉にする。できあがったものは和紙に取り、これから配合にかかる。スプーンである茶は煎茶3杯、甘茶2杯、ミカンの皮1杯、というように取り、4種類のお茶を作る。できあがるとそれぞれを3つに分ける。都合12に分け、これを一つ一つ畳んで包みにする。  一方では行灯作りだ。木枠に張った和紙に文字を書き今年用の行灯を作る。  3時、準備は一段落し解散。

 午後6時、再び人が集まってくる。

 まず、子供たちが行灯を持って神社まで行く。神社から1個ずつ行灯を道端に置いてくる。神を迎える道案内である。部屋の周囲にずらっと座布団を並べ、参加者たちが座る。この日は村の者立ちだけという決まりだが、特別に参加することを許された。最近は集落の者だけでは少ないのだそうだ。各人の前には、和紙が一枚おかれる。そこには場の名前と「一、二、三」の文字が2つずつと客という文字が書いてある。予想を言った後、その部分を折って確認するのである。

 竹串に刺さっていた紙包みをひとつずつ取り、粉を焙烙に入れやかんの湯を注ぐ。それを寿司屋の湯飲みに分けて入れ、お盆に乗せて。何人かおきに渡す。湯飲みひとつで3、4人が飲むことになる。

一口含むと茶の苦さと甘茶の甘さが広がる。最も甘くない茶ではないとは思うが、どの程度に甘い茶かというと、これはわからない。見当をつけて和紙を折る。 かかりが順番に席の名前を読み上げる。呼ばれた者は自分の選んだ番号を読み上げる。一つの茶に対して、一番から客まで4種類出揃うのが面白い。

 これを7回繰り返して終了。一回ごとに数を集計して、その分の飴をお盆に乗せる。客は4と計算する。

 折り返してある紙を開き、正解を発表する。自分が何と言ったか覚えていなくとも大丈夫。すべて紙に記録されているのである。次いで正解者を発表、飴の数を正解者の数で割り、飴を正解者に配分する。3や客と推理した数が多い程飴の総数は多く、正解者が少ないほど一人当たりの飴の数は多くなる。

 7つすべてを発表し終えたら、記録表に記号を書き込む。全問正解は花が咲いている枝を書く。これをハナカツギと呼ぶ。5つ正解は、4つ正解は鉄砲、3つ正解は、2つ正解は瓠(ふくべ)、1つ正解は、全部はずれると花の咲いている枝を逆さまに書いてサカサッパナと呼ぶ。 ハナカツギとサカサッパナが多いほど、その年は豊作とのことである。

 こうしてめでたくお開きとなった。

(2006. 2.24)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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