1 川柳狂歌の部屋

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 江戸川柳・狂歌、いろいろありますが、中でも私が好きなのは歴史や古典を笑ったものです。

1.小倉百人一首

2.囲碁・将棋

3.忠臣蔵

4.源平の戦い

5.末番句/破礼


小倉百人一首

1・秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ・天智天皇

食うことがまず第一と定家撰り
秋は露春は雪にて御衣が濡れ (15番と共に天皇の歌)
秋の田を植え付けもせで抜け詣りわが着る物は雨に濡れつつ (江戸時代着の身着のまま伊勢神宮を参拝する抜け詣りが流行した)

2・春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山・持統天皇

秋濡れた衣を夏の山で干し
濡れて干す衣が百の父と母
いかほどの衣があれば香具山で衣干すてふ持統天皇
春過ぎて夏の日影に綿ぬきの衣ほす今日汗の柿染め
秋過ぎて冬来にけらし揉みたてて紙子売るてふ阿部川の宿
春過ぎて夏まで取らぬ御借米質を取りてふあたまかく山 (上げ米の制を皮肉ったもの)

3・あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む・柿本人麻呂

白妙の中に山鳥おりるなり

4・田子の浦にうち出て見れば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ・山部赤人

真っ白な名歌を赤い人がよみ
富士の歌山のほとりの人がよみ (山辺だから)
奥山と香具山の間に富士の山
高値の左右山鳥や鹿が鳴き
擂り鉢は三十一文字(みそひともじ)でほめたらず (擂り鉢は富士山。歌は33文字ある。すりばちとみそが縁)
赤人の尻に猿丸きついこと (普通は猿の尻が赤いのに)
田子の浦うちあけいづる抜け詣りかごの高値に銭をかまはず (江戸時代着の身着のまま伊勢神宮を参拝する抜け詣りが流行した)
橋の下を打出みればうろたえの不時の騒ぎに人は降りつつ (文化四年、永代橋が落ちて千五百人もの死者が出た)
町中へ打ちいでて見れば道具屋の鎧兜の高値売れつつ (嘉永六年、ペリー来航で武具が大売れした)

5・奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき・猿丸大夫

歌仙でも百でも猿は山の中

6・かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける・中納言家持

家持の次に並ぶが論語読み

7・天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも・安倍仲麻呂

百人の中で唐紙へ一首書き
仲磨はもろこし団子にて月見
三笠山四角な国で丸くよみ (中国は漢字の国なので四角な国)
月の歌ばかり帰朝と奏問し
その山に豚もいるかと安部に聞き
仲麿は頭を垂れて山の月 (李白の「頭を挙げて山月を望み頭を垂れて故郷を思う」から)
天の原月澄む秋を真二つにふりさけみればちゃうど仲麿 (仲秋の仲を仲麻呂にかけている)
高輪でふりさけ見ればはるかなる品川沖へできし島かも (嘉永六年、ペリー来航で幕府は慌てて品川沖に砲台用の島を作った)

8・我が庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり・喜撰法師

お宅はと聞かれたように喜撰よみ
わが庵は月と花との間なり
江戸ならば深川あたりに喜撰住み
世をうぢ山と喜撰は面白し
茶と鹿で喜撰たびたび寝そびれる (喜撰は上等な茶の名前でもある)
わが庵の隣は花の色むすめ (次は小野小町)
わが宿は御堂の辰巳しかも角よう売れますと人はいふなり
わが庵は都の辰巳午未申酉戌亥子丑寅う治

9・花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに・小野小町

花の色は美しけれど実はならず (小野小町は生涯男と交わらなかったと言われている)
雨に名を残して花の色はさめ
我が身世に肌を触れぬを百に入れ
通用のできぬを百の中に入れ
百人に女二人は好き嫌い (小町は嫌い。好きは相模)
上野は切られにけりないたづらに我が身夜ぬけにせんとせし間に (忠臣蔵の討ち入り)

10・これやこの行くも帰るもわかれては知るも知らぬも逢坂の関・蝉丸

百人で九十九人は蛇に怖じ (蝉丸は盲人なので蛇に怖じず、というわけ。)
四つの緒の言葉をば言はず蝉丸のお歌の中にもの字四ところ
これやこの酒も料理も減らされてへるもへらぬもお湯漬けのはら (倹約令を皮肉って)

11・わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り舟・参議篁

ここまでは漕ぎ出でけれどことづてをちょと頼みたいあまの釣り船

12・天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ・僧正遍昭

遍昭は女に何の用がある
遍昭はもう一服と空に言い
落馬にもめげず乙女をとめたがり (遍昭には女郎花に見とれて落馬したという句がある)
とどめたは乙女落ちたは女郎花 (同上)

13・筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる・陽成院

永代の橋より落ちる皆人は死骸積もりて山となりぬる (文化四年、永代橋が落ちて千五百人もの死者が出た)

14・陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにし我ならなくに・河原左大臣

15・君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ・光孝天皇

秋は露春は雪にて御衣が濡れ (1番と共に天皇の歌)

16・立ちわかれ稲葉の山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む・中納言行平

17・ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅に水くくるとは・在原業平朝臣

ちはやふる神代にもないいい男
神代もきかずどらをした歌人なり
水底の紅葉業平一首よみ
娘どし賭にしてとる千早振る (どしは同士。)
色男歌仙と百で花紅葉 (歌仙には「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」がある)
けふ春になりひら朝臣ちはやふる神代の真似をしめ飾りして
ちはやぶる神代も聞かず春かしの夏まで取らで只勤とは (上げ米の制を皮肉ったもの)

18・住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ・藤原敏行朝臣
19・難波潟短き蘆の節の間も逢はでこの世を過ぐしてよとや・伊勢

20・わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ・元良親王

わびぬれば鯉の代わりに良き鮒のみを作りても飲まむとぞ思ふ
わびぬれど今裸にもなられねば身を裏表替へて着るもの

21・今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな・素性法師

百人へ有明たった四つ入れ (21、30、31、81)
今来むと言ひしばかりに出てこぬは素性法師の弟子か師匠か

22・吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ・文屋康秀

23・月見ればちぢに物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど・大江千里

月見ればちぢに芋こそ食ひたけれ我が身ひとりの好きにはあらねど
月見てもさらに悲しくなかりけり世界の人の秋と思へば

24・このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに・菅家

とりあへず御歌を幣の手向山
雷も天狗も混じる百人首 (道真は太宰府へ流されたのを恨み雷を起こしたと言われている。天狗は崇徳院)

25・名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな・三条右大臣

なにしおふ山坂じんのままなれば錆びたる剣研ぐよしもがな (嘉永六年、ペリー来航で皆戦争の準備)

26・小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびの行幸待たなむ・貞信公

行幸まで峰の紅葉葉散らずに居

27・みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ・中納言兼輔

28・山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば・源宗于朝臣

人目も草もいとはぬは夜鷹なり (江戸時代の街娼夜鷹を詠んだもの。恥も外聞もなく。)
山里は冬ぞさびしさまさりけるやはり市中がにぎやかでよい
旗本はいまぞさびしさまさりけり御金もとらで暮らすと思へば (上げ米の制を皮肉ったもの)

29・心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花・凡河内躬恒

白菊は惑わせ月は疑わせ (86の西行の歌との対)
心あてにならばや植えん菊の花秋のこがねの色を頼みて

30・有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし・壬生忠岑

百人へ有明たった四つ入れ (21、30、31、81)

31・朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪・坂上是則

百人へ有明たった四つ入れ (21、30、31、81)

32・山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり・春道列樹

33・ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ・紀友則

松と紅葉の真ん中を花が散り

34・誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに・藤原興風
35・人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける・紀貫之

36・夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ・清原深養父

深やぶはさすが蚊の出る御歌なり

37・白露に風の吹きしく秋の野は貫き止めぬ玉ぞ散りける・文屋朝康

38・忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな・右近

殺さるる身をば思わず登城せし首の別れの惜しくもあるかな (桜田門外の変。井伊直弼は登城の際暗殺された。)

39・浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき・参議等
40・忍れど色にいでにけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで・平兼盛
41・恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか・壬生忠見
42・契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは・清原元輔
43・あひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり・権中納言敦忠
44・逢ふことのたえてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし・中納言朝忠
45・あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな・謙徳公
46・由良の門を渡る舟人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな・曽禰好忠
47・八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり・恵慶法師

48・風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふ頃かな・源重之

疵をいたみ面うつ恥のおのれのみ切られて物を思う上野 (忠臣蔵松の廊下)

49・御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ・大中臣能宣

地黄丸昼は飲みつつ夜は消え (地黄丸は強精剤)

50・君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな・藤原義孝
51・かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを・藤原実方朝臣
52・明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな・藤原道信朝臣

53・嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る・右大将道綱母

中程へ定家女郎屋ほど並べ (ここから15首のなかに女性が11首と集中している)
酔いつぶれひとり寝る夜の明くる間はばかに久しきものとかは知る

54・忘れじの行く末までは難ければ今日をかぎりの命ともがな・儀同三司母
55・滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ・大納言公任
56・あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな・和泉式部

57・めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな・紫式部

江戸染も京染めも入る百人首 (江戸紫から。京染めは赤染衛門)
百首にも源氏一帖式部よみ
名ばかりは五十四帖には表はせる雲隠れにし夜半の月かな

58・有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする・大弐三位

両脇に月の出ている有馬山

59・やすらはで寝なましものをさ夜ふけて傾くまでの月を見しかな・赤染衛門

江戸染も京染めも入る百人首 (江戸染は紫式部)

60・大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立・小式部内侍

鬼の住む山を優しく一首よみ (大江山は酒呑童子で有名)
歌に詠むときは優しい大江山
当意即妙見ぬ文を娘よみ
おとなをやりこめた歌も定家入れ
定頼の顔もみぢする大江山 (定頼に「母親からの手紙はまだか」と聞かれて詠んだ歌がこれ)
大江山いくのの道の遠ければ酒呑童子のいびき聞こえず

61・古の奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな・伊勢大輔

大和の桜山城で伊勢はほめ
古の奈良の都の八重桜さくらさくらと謡はれにけり
古の奈良の土産の菊の酒けふ九日の祝ひにぞ飲む
まず開く伊勢の大輔の初暦けふ九重も花のお江戸も
九重を一重散らせし八重桜今日この里に匂ひぬるかな

62・夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関はゆるさじ・清少納言

夜をこめて鳥のまねしてまづよしにせい少納言

63・今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな・左京大夫道雅

今はただ重湯も食べぬとばかりをお目にかかりていふよしもがな

64・朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えに現れ渡る瀬々の網代木・権中納言定頼

65・恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ・相模

千年も前の相模は歌をよみ (江戸時代相模地方の女は好色と言われていた)
百人首までが相模は恋歌なり
百人に女二人は好き嫌い (嫌いは小野小町)

66・もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし・前大僧正行尊

行尊の話相手は山桜
花より他に知る人もなし落馬 (僧正遍正のこと)
目と口と耳と眉毛の無かりせば鼻よりほかに知る人もなし
もろともにあはれと思へ質屋殿御身よりほかに知る人もなし (上げ米の制を皮肉ったもの)

67・春の夜の/夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ・周防内侍
68・心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな・三条院

69・嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり・能因法師

嵐吹く三室の山のもみぢ葉はたつたの今に散り失せにけり

70・寂しさに宿を立ち出て眺むればいづこも同じ秋の夕暮れ・良ぜん法師
71・夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろやに秋風ぞ吹く・大納言経信
72・音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ・祐子内親王家紀伊
73・高砂の尾の上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ・前中納言匡房

74・憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らむものを・源俊頼朝臣

この暮れはいつの年よりうかりけるふる借銭の山おろしして

75・契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり・藤原基俊

76・わたの原こぎいでて見れば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波・法性寺入道前関白太政大臣

一息ついてわたの原嫁はよみ (昔は名前から読んだ。名前が長いので)
法性寺入道前関白を半分ほどで沖つ白波 (同上)

77・瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ・崇徳院

雷も天狗も混じる百人首 (崇徳院は流された後天狗になったと言われている。流されて雷を起こしたのは菅原道真)

78・淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守・源兼昌
79・秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ・左京大夫顕輔
80・長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ・待賢門院堀川

81・ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる・後徳大寺左大臣

ほととぎす後徳大寺に鼻あかせ
一声は月が鳴いたかほととぎす
下の句は月にゆずってほととぎす
百人の中へ一声ほととぎす
百人へ有明たった四つ入れ (21、30、31、81)
つんぼうはただ有明の月ばかり
ほととぎす鳴きつる方にあきれたる後徳大寺の有明の顔
ほととぎす鳴きつる影は見えねどもきいた証拠は有明の月

82・思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり・道因法師

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬはなんだべらぼう

83・世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる・皇太后宮大夫俊成
84・ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき・藤原清輔朝臣
85・夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり・俊恵法師

86・嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな・西行法師

武士(もののふ)をやめて百人の列に入り (西行は元武士)
白菊は惑わせ月は疑わせ (29の凡河内躬恒の歌との対)
何故か西行ほどの強勇が月の影にてしほしほと泣く

87・村雨の露もまだひぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕ぐれ・寂蓮法師
88・難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき・皇嘉門院別当

89・玉の緒よ絶えなば絶えね永らへば忍ぶることの弱りもぞする・式子内親王

玉の緒よ絶えなば絶えねなどと言ひ今と言つたらまづおことわり

90・見せばやな雄島の蜑の袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず・殷富門院大輔

あと先の紀伊も讃岐も袖濡れて殷富門院やはり同断 (先の紀伊は72、後の讃岐は92)

91・きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む・後京極摂政前太政大臣

さむしろに衣かたしき丸太がけ (江戸時代の街娼夜鷹を詠んだもの。粗末なところで商売した。)

92・わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし・二条院讃岐

人こそ知らね頼政が娘なり

93・世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも・鎌倉右大臣

百人首弓箭筋も一人あり (弓箭筋は剣難の相。実朝は暗殺された。)

94・み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣打つなり・参議雅経

95・おほけなく憂き世の民に覆ふかな我が立つ杣に墨染の袖・前大僧正慈円

この広い浮世の民を覆ふとはいかに大きな墨染めの袖

96・花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり・入道前太政大臣

97・来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ・権中納言定家
九十九は選み一首は考える
来ぬ人は花と風との間に見え
来ぬ人を入れ百人に都合する
御父子して千と百とを御選み (父の藤原俊成りは千載和歌集を編纂した)

98・風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける・従二位家隆

99・人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は・後鳥羽院

百人首鍛冶をも一人入れておき (後鳥羽院は刀を打ったと言われている。)
後鳥羽院言葉続きの面白く世を思ふゆゑに物思ふ身は

100・ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり・順徳院

智で始め徳でおさめる小倉山(第1番は天智天皇)

全体

鴬の初音は聞かぬ小倉山 (鴬を詠んだ歌は無い)
百人ながら法華経はよまぬなり (同上)
百人一首(ひゃくにんしゅ)絵のできたのははるか後 (昔は読み札は字だけだった)
絵が無いと男女の知れぬ百人一首
百人一首二つにわっておなぐさみ (源平戦は二手に分かれて行う)
歌がるた人という字に手が五つ (人で始まる歌が多いので手がたくさんのびる)


囲碁・将棋

石は生きたが死に目には合わぬなり (碁将棋に凝ると親の死に目に会えないとはよく言ったもので)

碁がたきは憎さも憎し懐かしし

碁会所で見てばかりいる強い奴 (お前らなんぞ相手になるか、というところでしょうか)

碁会所と医者とへ使い二人出し (家で誰か倒れたのでしょうね。あそこにいるに違いない)

碁の客はたいがいにして女房寝る (つきあってられないわ)

小便に起きて女房は碁を叱り (まだやってるの。早く寝なさい)

御相手の碁は勝ちそうで考える (接待碁ですね)

一目の負けそこらじゅう撫で回し (どこかに石が落ちてないかな)

下手将棋湯殿あたりで駒を投げ (隅が雪隠だから、湯殿は桂馬のあたりか)

飯どこか王手飛車手を食っている (飯食いな、と呼ばれて)

負け将棋逃げるたんびにお手は何 (変わるはずないんだけどね)

明日でも剃ってくれろと飛車が成り (床屋ですね。順番が来たのだが、今いいところ)

入王になると見物碁にたかり (こりゃ終わりそうもないや)

見物の下知に従う下手将棋

時過ぎて二歩を見つける下手将棋

*私の好きなのはこの後、囲碁将棋を詠んだのではなく用語を使ったものです

手にあらば桂馬打ちたき姉妹かな (揃って美人なんでしょうね。桂馬ならどちらか取れる)

本能寺橋の歩を突く暇はなし (織田信長の最期)

裏返る金で石田の破れなり (将棋の石田流という戦法と関ヶ原で金吾中納言に 裏切られて負けた石田三成をかけています)

尻から金と打たれて石田負け (これも同上)

飛車角のみんな成り込む一の谷 (源平の戦い、ひよどり越えの奇襲)

金銀をおいて桂馬を関羽取り (三国志。曹操に味方になれと言われた関羽が 取ったのは宝物でなく名馬赤兎馬)


忠臣蔵

 いまだに毎年のようにテレビ、映画、舞台に登場する忠臣蔵。もしかすると 日本の歴史上最も後世にインパクトを与えた事件なのかもしれませんね。川柳 子も数多くの句を残しています。私が好きなのは忠臣蔵関連の言葉を使ってお らず、わかる人にだけわかると言うものです。

顔赤穂させたが事の起こりなり

五万石捨てれば五百石拾う (浅野五万石は没収。止めた梶川与惣兵衛は五百石加増)

空き店の札所所へ貼る十四日 (義士が隠れて済んでいたところが空き店になったわけです)

知れているものを数える泉岳寺 (つい数えてみたくなるのが人情なんでしょうね)

親子して四十五人の下知をなし (親子+45=47で、ははぁ忠臣蔵か、とわかる仕組み)

そばきりが二十うどんが二十七 (足せば47で、そういや前夜はそば屋に集まったよな、と)

裏門をちからまかせにぶっくだき (主税は裏門の指揮)

一字ずつ仮名の働く十四日 (四十七士をいろは四十七文字にたとえているわけです)

笛の音にちりぬるいろは寄ってくる (これも同上。散っていた四十七士が集まって来る、ということ)

真っ白な夜に真っ黒なところへ逃げ (寝間着で炭小屋に。ポンとこの句だけ出されて忠臣蔵とわかりますか)

白無垢は屋根へ逃げぬが運のつき (これも同じ。屋根は雪だから隠れ仰せたかも)

首一つ九十四目で睨み付け

一世二世捨てて三世の仇を討ち (夫婦は一世、親子は二世、主従は三世といいます)

その時の和尚は後家の見飽きをし (数十人の後家が同時に出来たのだからこうなったろう、という推測)

それまではただの寺なり泉岳寺

あさよりも内匠したことを知らずして面を吉良れて医者を上野


源平の戦い

義朝は湯かんを先へしてしまい (源義朝は湯殿で暗殺された)

義朝は抜き身を下げて討ち死にし (同上)

末期の湯のんで義朝最期なり (源義朝は湯殿で暗殺された)

常盤めをこれでと長田握ってみ (源義朝は長田庄司に殺された。常盤御前は義朝の愛妾)

牛若の目が覚めますと常盤言い (清盛が言い寄ると…)

木曽の山むかし朝日の出たところ  (木曽義仲は都へ上って朝日将軍と称した)

清盛の医者は裸で脈を取り (清盛は高熱を発して死んだ。らしい。)

入道は真水を飲んで先へ死に (残りは壇ノ浦で潮水を飲んで…)

そのあした橋の欄干傷だらけ (前夜牛若丸と弁慶の戦いが…)

武蔵坊とかく支度に手間がとれ (七つ道具ですから。)

弁慶は力の強いわけがあり (生涯一度しか女と交わらなかったという。)

弁慶と小町は馬鹿だなあかかあ (小野小町は一度も男と交わらなかった。)

女に目のある男武蔵坊

義経はお好き弁慶嫌いなり 

教経の入水あぶくが三つたち (壇の浦で両腕に源氏の武士をかかえて沈んだ。)

源氏方湯の返報は水で勝ち (義朝は湯殿で殺された。平家は壇ノ浦に水没。)

三月と五月のような壇ノ浦 (武者と十二単がたくさん)

義経は母をされたで娘をし (母常盤御前を清盛に奪われたので清盛の娘建礼門院を)

五条ではぶたれ安宅でぶちのめし (五条大橋と勧進帳)

衣川さすが坊主の死に所 (弁慶の立往生)


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